咲夜16
新ろだ927
「見えた………!」
「はぁ……。何が、でしょう?」
突然声を挙げて立ちあがった主に、控えていたメイドは疑問符を浮かべる。
「治療法」
あっさりそれだけ言って、広がったのは、蝙蝠のような青みがかった黒い羽。
「あ!お待ち下さいお嬢様!!」
メイドの制止も聞かぬまま、主は窓を開ける。
そしてそのまま躊躇うことなく、寒風吹き荒ぶ冬空へと飛び出していった。
「お嬢様!!」
メイドの声は、吹き抜ける北風によって掻き消される。
聖夜を控えた、12月下旬の夜のことだった。
すっかり早くなった日没に、吐いた溜め息は白くたゆたう。
何を隠そう昨日は冬至。
世間では目覚めだの復活だのとありがたがられてはいるが、つまるところ一年で日照時間が一番短い日だ。
そして今や太陽は地平線を越え、迫る闇夜の西側に、辛うじてその残滓を遺すのみ。
逢魔が刻。
昔の人々が最も恐れたという、人妖入り雑じる恐怖の時間。
ただ、今となっては僅かばかりの懐かしさを感じさせる時間でもあり、
それはつまり、だんだんと向こうのことを忘れ、こちらでの日常を取り戻しつつある、俺の心境を浮き彫りにしてくれる時間でもある。
そんなことを考えながら下宿への道を急いでいると、不意に懐に入れた携帯が鳴り響いた。
手袋を外すのも面倒だったので、少々強引だがそのまま手をねじ込む。
そして、取りだした画面を見て首をかしげた。
映し出された番号は、見覚えのないものだったのだ。
「〇〇?」
興味本意で電話を取った俺は、そこから聞こえた声に言葉を失った。
半年前までは、毎日のように聞いていた声。交わしていた言葉。
それが、唐突に脳裏へ蘇る。
「〇〇?〇〇?
……聞こえないのかしら」
そんな心境を知ってか知らずか、電話の向こうの声は、変わらずに名前を呼び続けている。若い、女の声だ。
「………はい。〇〇です」
少し迷ったものの、意を決して声を出す。その返答は、すぐ。
「〇〇なのね。良かった、つながって。
私よ、咲夜。十六夜咲夜」
言われなくとも分かっている。出かけた言葉を、グッと飲み込んだ。
電話の向こう、銀髪のメイド長の瀟洒な姿が簡単に幻視できる。
そして、色々な思い出が脳裏をよぎる。
半年前にこちらの世界に返されるまで、ずっと世話になっていた紅魔館という名の吸血鬼の館。
そこで過ごした日々は鮮烈で、何より充実していたのだから。
「お久しぶりです。……どうしたんですか、突然。というか、どうやって」
「今、にとりと一緒に無縁塚にいるの。河童の技術も、馬鹿にならないものね」
「………気をつけて下さいよ」
河童の名は、いわゆる水戸黄門の紋所のようなものなのだろうか。
こうした科学技術の問題は、河童と聞けばたちどころに納得できてしまう。
今回も、無縁塚から無理やり外界の電波を拾っているのだろう。
だが今は、それだけでは納得しきれない部分がある。
科学技術以外の問題―――手間を掛けてまで、わざわざ俺なんかの元に電話をくれたその理由だ。
「それで、どうなさいました」
「えぇ、その件なんだけど……」
言いにくいことなのか、咲夜は少しためらう。
もしくはためらいの意思をこちらに伝えているのだろうか。
いずれにせよ、少しだけ間を開けてから、銀髪のメイド長は切り出した。
「お嬢様が、明日のクリスマス会に貴方を招待したいと仰っているわ。だから、その誘いを」
「は?」
あまりの突拍子の無さに、携帯を取り落としかける。
「まぁ、当然の反応よね」
「そりゃそうですよ。
だいたい、今こうして電波が通じているってだけでも奇跡に近いのに、幻想郷に行く手段なんてもう」
「来る気があるのなら、手段はこちらから提供するわ。……来る気があるのなら、ね」
何やら含みのある言い方をして、咲夜は声を改める。
「それとも他に何か、予定が入っているのかしら?」
「いや、無いですけど」
「…………そう。
なら、来ると良いわ。お嬢様だけじゃない。みんな、貴方を待ってる」
「明日の昼には、迎えが行くはずだから」と一方的に告げられ、電話は始まりと同じく唐突に、ふつりと途切れた。
「……は、はは」
笑おうとして失敗した、乾ききったできそこないの声を、風がさらって消していく。
フラッシュバックする、あの世界での出来事。
吸血鬼の当主。
その妹。
紫色の魔女。
小さな悪魔。
紅毛の門番。
そして――――銀髪のメイド長。
だんだん向こうのことを忘れていく?……とんだ戯言だったらしい。
叶わぬ望み。そのことに気付いてしまったから、うまく周囲をごまかして、自分の気持ちをも偽って。
そして、今に至る。
あの声を聞いただけで、誰のものかをわかってしまった自分。
名前を聞いて改めて、想いの火種が燃え上がるのを感じてしまった自分。
忘れていくんじゃない。本当は、忘れたかっただけだ。
ツー、ツー、と通話後特有あの音が、すっかり暗くなった冬の空と、狂おしいほどの寂しさを誘う。
夢のようでいて、しかし確かな現実を突きつけられた自分は、虚ろな眼で空を見上げたまま、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
思えば最後の瞬間まで、彼女と心が通じたことはなかった気がする。
美鈴さんや図書館の小悪魔さんは勿論のこと、何より当主である
レミリア・スカーレット嬢が俺のことをいたく気に入ってくれたおかげで、
俺は紅魔館全体を通して見れば、客観的にもかなり打ち解けられいた。
しかしそんな中でも唯一の例外が彼女だったのだ。
雑用という名目で居候していた俺の直属の上司であり、最も接点の多かった人物。
今になって振り返ってみれば、彼女が俺を快く思わなかったのは当然だ。
館の一切の切り盛りを担う、凄惨な仕事量。
それに対して俺は、果たしてそれのどこまで貢献できていたのかも分からない。
彼女にとっても、非力な妖精メイドたちは仕方ないとして、同じ人間の、それも男の俺が役に立たない現状というのは面白くないものであったに違いない。
そして厄介なことに、俺は密かな胸の奥に、彼女に対する想いを募らせていた。
彼女はきっとそのことも勘付いていて、だから尚のこと、淡白な接し方を続けていたのだろう。
彼女は、一体どんな気持ちで電話をくれたのか。
もしかしたらあそこで俺は、嘘でも予定があると言っておくべきだったのかもしれない。
叶わぬ想いと悟って、いたたまれなくなって、逃げるようにこちらに帰ってきて。
今さらもう一度、どのような顔をして会えば良い。
だが、あの誘いを聞いて、俺にほのかな希望の光が射したのもまた、事実だ。
引いては寄せる後悔と、見え隠れする暗い期待。
ない交ぜになった二つの想いは、複雑に絡み合っていて、到底一晩で払拭できるものではありえなかった。
次の日の昼過ぎには、俺は再び幻想郷へと足を踏み入れていた。
妖怪賢者の八雲紫さんが、部屋に現れるなり含みのある笑みを浮かべて、俺を隙間に放り込んだおかげだ。
これが、彼女の用意した「手段」―――――少々強引ではあったが、結果として俺は、こうして幻想郷の地を踏みしめている。
少し歩くと、紅魔館はすぐに見つかった。
放られた所が霧の湖周辺であったため、道のりは体が覚えていたのだ。
相も変わらず、館とは思えないほど紅い外装。
最後に目にしたあのときから、少しも変わっていない。
だから、
「お久しぶりです、○○さん」
門のところで声をかけられておやと思った。
本来、門番長である紅美鈴が立っているはずの場所にいたのが、記憶に残る、一人の妖精メイドだったからだ。
「……久しぶり、だね。ひょっとしてお出迎え?」
「はい。美鈴さんが会場造りに忙しいので、代わりに私が待つようにと咲夜さんから」
そう言って軽く頭を下げると、フリルのついたカチューシャの下で、藤色の髪がふわりと揺れた。
そのまま門を開けて中に入っていく。俺も、それに続く。
「懐かしいですか、ここが」
「そうだね。また来ることになるとは思わなかった」
中庭を歩きながら、妖精メイドと会話を交わした。
思い出される、屋外での喧噪。
次第に温かくなりはじめた頃から、紅魔館のパーティ会場はここに変わる。
美鈴さんの手掛けたラベンダー畑は、俺が去る頃に満開だった。
今はもう、その見る影もなくなっていたが。
「パーティが始まるまでしばらくありますので、こちらでお待ち下さい」
そうして連れてこられたのは、応接間。
主の客人を迎えるこの部屋が、俺のために開かれたのは、もちろん今日が初めてのことだ。
「待って。準備があるんだよね?俺も手伝うよ」
「いえ、今日の○○さんはお嬢様がお招きになった来客です。
そういうわけにはいきません」
「そのお嬢様にも、今の内にお礼を言いに行きたいんだけど」
「申し訳ありません。この時間、お嬢様は就寝中です」
「他に何かやれそうなことって、無い?」
「大丈夫です。今日のパーティは内々で行う予定だと聞いていますから。
準備は私たちだけで、充分間に合うはずです」
ただ待つだけというのも何なので、幾つか申し出をしてみたが、全てやんわりと断られてしまった。
この妖精メイドは、妖精にしてはかなり理知的であり、落ち着いた話し方をするため言い包めるのは至難の業だ。
というのも、いつもの彼女の勤務区域は主にヴワル魔法図書館。
そこの主であるパチュリー・ノ―レッジへの憧れが、彼女をこうさせた大きな要因であるのだが。
「わかった。じゃあ、始まるまでここで待たせてもらうよ」
彼女をずっと引き留めておくわけにもいかなかったので、仕方なくあきらめて、ソファの上に腰をおろす。
「後でお茶をお持ちします」
「お構いなく。それよりも、早くみんなに合流してあげて」
俺がそう言うと、彼女はペコリと頭を下げる。
やはり、本当は忙しいのだろう。彼女は踵を返すと、小走りな足音を立てながら応接間を後にした。
誰もいなくなった部屋で、俺は小さく辺りを見渡す。
この部屋自体に馴染みはないが、それでもまごうことなき、紅魔館の一室だ。
見知った妖精メイドにも会えた。
昨日の段階ではまだどこかで夢心地だったが、もう疑いようもない。
この館のどこかに、彼女がいる。
お嬢様も、美鈴さんも。妹様も、パチュリーさんも、小悪魔さんも。
あの時の、夢のような日常が、今もこうして続いている。
それは嬉しいことでもあり、同時になぜか、胸が締め付けられるほど狂おしいことでもあった。
「それでは、清き夜と、○○との再会を祝して――――乾杯」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
大広間に乾杯の声が響き渡る。
結局パーティが始まる直前まで、俺はあの応接間で時間を潰していた。
その間、特に誰かと話したわけでもない。
あの妖精メイドの子はパーティの始まりまで呼びに来ることはなかったし、
何よりお嬢様とも、会場で顔を合わせて二言、三言言葉を交わした程度だ。
だから、パーティが始まってすぐ、俺がお嬢様の元へと足を運んだのは当然のことだった。
「お嬢様」
「……○○。久しぶりね」
紅く満たされたワイングラスを傾けながら、お嬢様が言う。
辺りは喧騒だ。
しかし、相変わらずお嬢様の声は、そんな中でもよく通った。
「本当にお久しぶりです。
……此度は、素晴らしいパーティにご招待下さってありがとうございました」
「来てくれるかどうか、一つの賭けだったのよ。
こうしてまた会うことができて嬉しいわ」
「恐縮です」
お嬢様が、嬉しそうな笑みを浮かべてワイングラスを差し出してくる。応じる形で、自分もグラスをそっと掲げる。
キン、と小さな音がして、再会を祝う音色になった。
「……美味い。やっぱり、良いですね。ここは」
「貴方が帰る時は、バタバタしてしっかり送り出せなかったからね。
少しでも、そう思ってくれたなら幸いよ。あの時の貴方は―――――」
「○○~!!」
と、そこへ割って入るあどけない声。
程なくして背中にぶつかる柔らかい感触。
「妹様」
声で分かっていたが、そんなことをしそうな心当たりも彼女しかいない。
フランドール・スカーレット。
当主レミリアお嬢様の妹で、お嬢様と同じく齢500歳ほどの吸血鬼だ。
「まさかホントに来てくれるなんて思わなかったよ!
あはは、懐かしいな」
「お久しぶり………御壮健で何よりです」
自然に頬がほころぶのを感じながら妹様の手を取ると、幼さの残るその顔に、目一杯の喜色が浮かぶ。
「私ね、こないだ初めて神社に行ったのよ。
いろんな人間や妖怪が集まって、お酒飲んでて、すごかった!」
「それは良かったですね。
あそこは気の良い連中がたくさんいますし、飽きませんよ」
「ねえ○○、外の話も聞かせてよ。
今、どんな感じなの?」
「そうね。それは私も興味があるわ。
……座りなさい、○○」
再びお嬢様の声が聞こえたと思ったら、妹様に腕を掴まれていた。
お嬢様が眼前でニヤリと笑う。
こうなってしまっては、逃げ場もない。
「今日は、貴方と話をするために呼んだの。
半年分の埋め合わせ、しっかりしてもらうわよ」
「大したことはやっていないんですがね……。
わかりました。お望みとあらば、お話ししますよ」
俺は二人の吸血鬼に向き合うと、手近な椅子に腰をおろした。
外の世界に帰ってからの、何気ない生活。
面白い事なのかはわからないが、お嬢様も妹様も、時折相槌を混ぜながら興味深そうに聞いてくれた。
そうしているうちに、周囲には多くの妖精メイドや、パチュリーさんをはじめ美鈴さん、小悪魔さんたちが集まって来た。
パーティの空気も、それに伴ってだんだんひとつになっていく。
しかしそんな中で、視界の端をどれだけ探っても、銀髪のメイド長の姿は最後まで見つけることができなかった。
「スー……スー……」
パーティが始まって三時間は経っただろうか。
大広間を埋め尽くしているのは、死屍累々――――もとい、酔いつぶれた紅魔館の面々。
「……こんなに弱かったっけか」
すっかり手持無沙汰になってしまった、グラスの中身を一息であおぐ。
会場は、俺以外全滅していた。
幸いなことに無理強いして飲ませる雰囲気ではなかったため、皆の寝顔は心なしか安らかだ。
しかしその分、誰もが眼を覚ます気配はない。
「これは、もうお開きにするしかないわね」
急に背後で声が聞こえ、俺は息を飲んで振り返った。
「………メイド長」
「遠路ご苦労様。せっかく来てもらったところを悪いけれど、今日はお仕舞いにしましょう。
客間の一つを空けておいたから、今夜はそこを使って頂戴」
パーティの最中から、ずっと探していた銀髪のメイド長。
久方ぶりに見た、記憶にあるのと変わらぬ姿―――――否、さらに美しくなっているようにも見えた――――が、俺の後ろで、酔いつぶれた面々を見てため息をつく。
これから待つ重労働に、覚悟を固めているようにも見えた。
「俺も手伝います」
「結構よ」
立ちあがったが、にべもなく制される。
「しかし、これだけの人数では流石に……」
「美鈴と妖精メイドたちはここで良いわ。
お嬢様たちだけなら、誰かの手を借りるまでもない」
変わらない、無駄を省いた行動計画。
入る余地がないことに少し悔しさを感じ、食い下がろうと、
「なら、ここで寝る子たちに毛布でもかけておきますよ。
確か隣の救護室にあったはずですよね。取って―――――」
「余計なことを、しないで」
身震いするほど冷たい声が、静寂に包まれた広間に響いた。
驚いて振り返ると、メイド長は、紅い瞳をスッと細めて俺のことを睨み据えていた。
「もう貴方はお嬢様の客人。私の部下でも、紅魔館の雑用係でもない。
言ってしまえば関係がないのよ。
昔に戻ったような、ムシの良い真似はやめて頂戴」
メイド長は、冷たく俺を見据えたままあっさりと俺の急所を突いた。
次々に発せられた言葉に、臓腑を抉られるような錯覚を覚える。
先刻にも似たようなことを言われたが、言葉の鋭さは比較にもならない。
理由は簡単だ。
あの時の妖精メイドに対し、メイド長はもはや俺のことを、紅魔館の一員と考えていないのだ。
「(そう、か)」
そしてそのことは、意外にもすんなりと、自分の中に「落ちた」。
何よりも、今や決して叶わぬ想いとなった事実が、俺の思考をひどく落ち着いた、クリアなものにしていた。
「―――メイド長」
ならばもう、淫らな悪夢にうなされるのも、終わりだ。
小さく息を吸って、遠ざかっていく彼女に向けて、最後となるであろう名前を呼んだ。
紅く、厳しい瞳が俺を射抜く。
終わる。俺にとっての、幻想郷での全てが。
今、ここで―――――――
「今まで、ありがとうございました。
不相応だと知りながらも、俺は、貴方を―――――お慕い申しておりました」
―――――パアァンッ
俺がそう言い終えた刹那。
予想通りというべきか。熱気の引いた大広間に、乾いた音が鳴り響いた。
新ろだ928(新ろだ927続き)
終わった、と。
どこか遠くでその音を聞きながら、俺は静かにそう思った。
頬の痛みより心の痛み。
だが、今は不思議とその心も穏やかだ。
これで思い残すこともなく、あちらに帰れる。
もしかしたら最後の最後に、メイド長から罵倒の言葉があるかもしれない。
俺にそんな趣味はないし、出来ればお手柔らかに頼みたいな。
まぁでも第一発目がこれだしな。
無理か。
気づかれぬように小さく深呼吸し、覚悟を決めて向き直る。
そして、思わず息を呑んだ。
メイド長は、俺を引っぱたいたそのままの体勢で――――――声も立てず静かに、涙を流していたのだ。
「どうして、貴方はそうなのよ………」
掻き消えそうな小さな声。
しかしそれは、俺の耳にはっきり届く。
「あの時も、こちらの気持ちなんて知らずに、勝手に自分で納得して……」
紅い瞳は俺を捉えて離さない。
「貴方は、私が貴方を嫌いだと、思っているでしょう」
「それ、は………」
「そういうところは、確かに嫌いよ。大嫌い。
………でも、そうだとしたら! どうしてこの半年間で、ここまで苦しい思いをしなくちゃいけなかったのよ!!」
普段の彼女からは想像もつかないような声量。
俺は、周りで皆が寝ていることも忘れて、取りつかれた様に彼女を凝視していた。
「最初は忌々しかったわ……優しいってだけで、皆の心を掴んでいった貴方が。
優しいだけじゃ何もできない。そう思っていた私にとって、貴方は最悪の相性だった。
でも、メイド長として、貴方に接して………。
貴方の優しさに触れて、心惹かれている自分に気付いた時、私はそれを認めたくなかった!
貴方の気持ちにも、気付いてたわ……。
だけど……、だけど私の、小さなプライドが、貴方を拒み続けた!」
いつもの、屹然とした調子はそこにはない。
ため込んだ毒を、吐きだすようにまくし立てる。
「だから貴方が帰って、凄く後悔した………自分のくだらないプライドのせいで、取り返しのつかないことをしてしまったって。
そう思ってから、本当にダメになった………。
その上で、貴方を取り上げたのは私なのに美鈴たちにも心配かけてばかり………。
何度も何度もこれじゃいけないって思った………けど、結局どうにもならなかった………!
今回のパーティは、見かねたお嬢様が八雲紫に頭を下げてまで、私にくれた最後のチャンスだったのに……………」
ポフ、と。メイド長の頭が俺の肩に乗る。
「なのに………なのに私は、いざ貴方を前に…して…、なにも……できないまま………。
挙句、貴方を……振り切ろうなんて………、馬鹿なこと………考えて、は……、突き放す……物言い、ばかり………。
それで……、貴方に………あんなこと、言われて……、このままじゃ……、今度こそ、ほんと……に、取り返し………つかなくなるって…ッ………」
そしてそのままの体勢で嗚咽を漏らし始めたメイド長に、俺はどうして良いのか分からなかった。
メイド長の細い腕が、俺の体に縋りつく。震えながら、怯えながら、俺の背中を掻き抱く。
「ね…ぇ……、本当は、もう……、遅いのかしら………?
貴方と………会えるのも………これで、………本当に最後………?」
「メイド長。俺は………」
「行かないで………!!」
ひと際強い叫びが、夜の静寂に木霊する。
「今までのこと、……全部……全部謝るから………!
変な意地なんか、もう張らない…………。貴方が望むなら、何だってする………!
だからお願い………、帰って来て…………!
貴方がいない日々は……もう、耐えられないの………」
背中にまわされた腕から、一層強い力を感じる。
だが、それは抗えば簡単に壊れてしまいそうな、儚さや脆さをひた隠しにした力だった。
俺は、もう一度だけ深呼吸をしてから。
メイド長と、―――十六夜咲夜という一人の女性と、向き合う心を決めた。
「メイド長」
呼びかけた声に、ビクリと震える。
「貴方が謝ることなんて、何もない。
俺は………今まで無責任なことばかりしてきました。
勝手に帰ったり、流されるままに戻ってきたり。
或いは、この想いを叶わぬものと、勝手に決め込んだり。
それで、本当にたくさん迷惑をかけた。
……だけど、これからは違う」
「―――ッ!!?」
言うや否や、俺は全身全霊の力をこめてメイド長の体を抱きしめた。
「これが、俺の覚悟です。
俺はこの手を離さない。――――もう、貴方のことを、諦めたりはしない」
「……!!」
「随分回り道をしてしまいましたが、俺の気持ちは最初から一つです。
これからも、よろしくお願いします」
「○○……ッ!!」
薄く落ちた暗闇の中、俺たちは、始めて本当に一つになれた。
そんな俺たちを祝福するかのように、窓には白い月が浮かび、紅い館を優しく包み込んでいた。
~後日談~
「あの日の夜、ああしてあいつらが手を取り合う様を幻視したわ」
紅魔館、深夜。
テラスにて。
紅茶に砂糖をかき混ぜながら、レミリアは唐突に切り出した。
「またいつもの、運命操作かしら」
向かいに座るパチュリーは、さして興味もなさそうに、手元の本に視線を落としながら返す。
「運命だろうと何だろうと、あそこまでお膳立てして成功しなければ嘘よ。
お酒が回ったふりまでして、擬似的に二人きりにもさせてあげたわけだし」
「結果が見えていたから、そのお膳立ても無駄にならないって確信があったのよ。
運命操作って言うのは、つまりはそういうこと」
一口飲んでみて、甘すぎたのだろう。
レミリアは、カップを見ながら顔を顰めた。
「"運命は、見えるだけでは仕方がない"。レミィがいつも言ってることだったわね。
確かに先にあるヴィジョンが見えれば、その未来に行きつくよう、あらゆる手を使うことができる」
「まぁ、まさかあの二人があそこまでヘタれるとは思わなかったけど」
「今では、そんな様子がおくびにも出ないけどね。ほら、アレ」
パチュリーがさした方向を見て、レミリアはテーブルに置かれた砂糖を遠ざけた。
しかし、その眼元は楽しそうに緩んでいる。
視線の先には、秘密の逢瀬のつもりだろう。
建物の陰に隠れて手をつなぐ、○○と咲夜の姿があった。
「メイド長」
呼びかけられて、咲夜はパッと振り向いた。
その口元は、少しだけ不満げな三角。
「咲夜で良いって言ってるのに」
「今は勤務中、外の見回りの最中ですから」
にやりと笑う○○に、咲夜の顔もつられて和らぐ。
「それで、何かしら」
「寒くないですか?」
「え?えぇ」
「なんてね」
不意に○○の手が伸び、咲夜のそれと繋がる。
そしてそのまま、二人の手は、○○の上着のポケットの中へ―――――
「え?え?」
意図を掴みかねて困惑していると、やがて○○の手が、ポケットの中で動き出した。
次第に咲夜の指に伝う、ひんやりとした感触。
されるがままに、スルリと指奥まで入って来た、それの正体は。
「あ――――」
ポケットから出した自分の手をかざして、咲夜は小さく声を漏らした。
左手に嵌められた、ダイヤの指輪。それもご丁寧に、薬指に付けられている。
「結局、あの時は何も用意できていませんでしたから。
少し遅れてしまいましたが………メリー、クリスマス。咲夜さん」
「嬉しい………」
うっとりした顔つきで、咲夜は返す返す指輪を眺める。
擦れ違い続けた二人。
だが、ここから先はもう離れ離れになることもないだろう。
月明かりの下、今度は咲夜が○○に寄り添う。
そして、二つの影が重なり合った。
「これが、今の私にできる、最大のプレゼント。
メリークリスマス、○○。これからも、よろしくね」
~fin~
新ろだ944
今日は12月24日。つまりクリスマス・イブ、日本語でいうと聖夜である。
そんな訳で、今夜はお嬢様の思いつきでパーティーをする事となり、メイド長を始めとする俺たち従者軍団は普段の業務とは桁違いの仕事をこなす事となった。
そして夜も更けていき、パーティーもしめやかに終了を迎えた。
途中お嬢様や妹様が「「まだまだ騒ぎ足りない!」」と夜の眷族である吸血鬼っぽさ全開で言い出しもしたが、メイド長の「ちゃんと寝ないとサンタが来られませんよ?」という発言にあっさり解決した。
この姉妹は本当に悪魔なのか?と思う瞬間であった。
そんなこんなで無事後片付けも終了し、ようやく俺自身も就寝しようと横になった。
―――――ガサゴソ
その物音に目が覚めた。
あれから何時間たったのだろうか?
日当たりのいいこの部屋の中が暗い事からまだそれほど時間が立ってないのはわかった。
しかしそうなると今の物音は一体…。
―――――ガサゴソ
再び物音がした。
紅魔館に泥棒しようなんてのはあの白黒しかいないし、例えそうだったとしてもわざわざ盗る物もないこの部屋に侵入してくるというのは考えにくい。
「誰だ?」
疲れきった体を起こして明かりをつけ、侵入者へ視線をやった。
「…」
「…」
目の前にメイド長が立っていた。
しかも紅白の服を着て、片手で白い袋を背負っている。
―――――サンタクロース?
それもご丁寧ミニスカサンタ…。
「こ、こんばんは。メリークリスマス」
「は?」
いきなりの挨拶だったので、とっさにそれしか声が出なかった。
メイド長がなんでこんな時間に俺の部屋に?
というか何故ミニスカサンタのコスプレなんだ?
疲れているせいか思考がうまく回らない。
「えぇっと…○○?」
メイド長が顔を紅くしつつそれを白い袋で隠しながらこっちを見て不安げそうに俺の名前を呼んだ。
まずい、思わず抱き締めそうなほどかわいい。
「○○?聞こえてる?」
いつもとは違うメイド長の姿を見たからか、それとも眠気のせいなのか、さらに思考回路が混乱してきた。もしかしてこれは夢か…?
「○○ってば!!」
「―――は、はいっ!!?」
今度は怒ったような大きな声で呼ばれたので、思わず上ずった声で返事をしてしまった。
しかし、これで意識がしっかりしてきた。
「もう、しっかりしなさい。ずっとボーっとしてどうしたの」
しまった。「思わず抱き締めそうな程見蕩れていた」とは言えないな。
「それよりもどうしてメイド長がこんな時間に俺の部屋に?しかもそんな格好で」
とりあえず話を逸らすために気になっていた事を口にする。
「えっ?あーこれね…実は」
メイド長曰く、この前偶然香霖堂でこの衣装を見つけたので、サンタクロースを信じているお嬢様達ため一肌脱ごうと思って準備していたらしい。
で、本番の今日サンタらしくお嬢様と妹様の部屋に忍び込んでどうにかうまくプレゼントを置いてくる事に成功し、最後のプレゼントを置きに俺の部屋に来たらしい。
…普通に能力を使って置いていけばよかったのではないだろうか?
「はぁ…お嬢様達ならともかくまさか○○に気づかれるなんて…」
「あれだけ音立てれば普通気づくと思いますけどねぇ」
お嬢様達が気づかないのは、起きていたらサンタは来ないと信じきっているため熟睡しているからだろう。
「まぁいいわ。こうなったら来年からは○○も協力してちょうだい」
どうしてそうなるのだろう。
…いや、メイド長からの頼みなら断るまでもなく手伝うけどさ。
「わかりました。喜んでお手伝いしますよ」
そう答えるとメイド長は嬉しそうに笑って「ありがとう○○…」と返してきた。
その時の笑顔に、俺は顔が熱くなった気がした。
さっきの衝動といい、やっぱり俺は彼女の事が――――
「どうかした?」
「!?…いえ、なんでもないですよ」
「そう?あ、そうそう。ねぇ○○、ちょっと着いてきて」
「?えぇいいですよ」
なんだろうと思いつつ、お気に入りのパーカーに袖を通してメイド長についていった。
「ほら、見て」
「――――あ…」
空からテラスに落ちてくる白い、とても白い小さな欠片
「雪…ですか」
「えぇ、さっき外を見て気がついたの」
パーティーの時は外を見る余裕はなかったし、終ってからも疲れていたせいかすぐ横になったから気がつかなかった。
「綺麗…」
「そうですね」
月の明かりの中雪が舞う姿に「幻想的」まさしくその一言しか思い浮かばなかった。
でも、今この時にそれ以上の言葉はいらなかった。
「ねぇ○○」
「なんですか?」
蒼い瞳が俺を映していた。
「―――――メリークリスマス」
彼女はただ一言そう言った。
今まで見てきたどの笑顔よりも綺麗に。
今まで聞いてきたどの声よりも穏やかに。
どこまでも…そう、この雪景色よりも幻想的に。
彼女-十六夜咲夜-はその銀色の髪を揺らし静かに呟いた。
「……ッ」
その瞬間、雪の舞う月の夜、そこだけ別の空間になったように感じた。
たった2人だけのちっぽけな世界(ばしょ)。
壊したくないと心から願う一瞬だけの場所(せかい)
もしかしたらこれは俺が勝手にそう思い込んでいるだけで彼女はこれっぽっちもその気はないのかもしれない。これは俺が見せた幻想なのかもしれない。
でも―――――俺はそう思いたくなかった。
「メリークリスマス。咲夜さん」
だから俺は彼女の名前を呼んだ。
いつものように「メイド長」ではなく、彼女の名前を呼んだ。
そこに彼女がいなくならないように。
いつのまにか彼女を抱き締めていた。
彼女がここにいる事が嘘じゃないように、ここにいる事を確かめるように。
ぎゅっと彼女を抱き締めた。
「○…○?」
「嫌ならここで殴ってくれていいです。後で軽蔑してくれてもいいです。でも」
許されるならもう少しこのままで…。
「嫌なんて事…ない」
そういうと彼女もゆっくりと背中の方に腕を回し抱き締め返してきた。
そうしてお互いに抱き締めあう形となった。
「咲夜さん」
「なに?」
抱き締めた体勢のまま彼女にはっきりと呟く。
「俺はあなたが好きです。愛してます。俺と一緒に生きてくれませんか?」
告白というよりプロポーズ。
それほど俺は彼女に参っているらしい。
「……」
「……」
しばし沈黙が流れた。
「…す」
小さく何かが聞こえた。
「え?」
首を彼女の方に向ける。
「私もあなたが好き、愛してる。こんな私と一緒に生きてくれますか?」
今度ははっきりと聞こえた。
答えは考えるまでもない。
「これが答えです」
そういって彼女の唇に自分のものを重ねた。
「ん…」
触れるだけの軽いキス。
しかし今までの全ての気持ちをこめた。
―――――――――――そうして何分かが経った。
「…」
「…」
お互い何も言わず、ただ手を握りあって雪を眺めていた。
「そうだ○○」
「なんですか」
「これ…」
彼女が差し出したのは手の上に乗るような小さな紙袋。
「これは?」
「あなたへのクリスマスプレゼントよ」
なるほど、本来俺の枕元に置かれるはずだったものか。
「開けても?」
「えぇ」
これは…
「ペンダント…ですか?」
「正確にはチョーカーね」
袋に入っていたのは、ナイフ形の銀製アクセサリーだった。
「さっそくつけてみますね」
「じゃあ私がつけてあげる」
「お願いします」
一度彼女にチョーカーを渡し、つけやすいよう椅子に腰を降ろした。
「はい。いいわよ」
「ありがとうございます」
チョーカーというだけあって、その飾りが首の近くで揺れているのが感じられた。
「どうですか?」
「えぇ、似合ってるわ」
「それは良かった。ありがとうございます」
「えぇ、どういたしまして」
そういってまた彼女は微笑んだ。
さてと、今度は俺の番か。
「じゃあ今度は俺から咲夜さんにプレゼントです」
「私に?」
本来は明日、お嬢様達の分と一緒に渡すつもりだった小さな箱をパーカーのポケットから取り出した。
「これです」
「なにかしら」
「とりあえず開けてみてください」
「えぇ」
ゆっくりと箱の蓋が開けられた。
「これは…」
中身は咲夜さんと同じく銀でできた指輪。柄は彼女の能力でもありトレードマークでもある時計を意識して作った。
「サイズは前に聞いたので、大体あってると思いますけど…どうでしょう」
「えぇ…ぴったりね」
「よかった…」
「…薬指に」
「えっ?」
彼女の手をみると左手の薬指にさっきの指輪がはまっていた。
そこまでは狙ってなかったんだが…それに左手の薬指って事は…。
「私と一緒に生きてくれるんでしょ?」
微笑みながらそういう彼女はとても綺麗だった。
「えぇ、どこまでも一緒に」
それに合わせて俺も軽く答える。
しかしながら参った。彼女の方が遥かに上手のようだし。
やれやれ、と軽いため息をつきながらも自分が笑っているのがわかった。
「ありがとう○○。大事にするわ」
「はい。俺もこれを大事にしますね」
チョーカーを丁寧に弄りながら答えた。
「じゃあ○○」
「えぇ、咲夜さん」
「「メリークリスマス!!」」
二人だけの聖夜はまだまだこれから始まっていく。
きっとまた来年もさらにそのまた来年も。
最終更新:2010年08月06日 21:19