妖夢6



7スレ目 >>58


 陽が、沈む。

 宵を迎えた空はゆっくりと紫の色に染まり始める。
 自分の体はそれらと急激に距離を開けていた。


 風を、感じる。

 肢体は虚空に投げ出され、重力に導かれるまま唯々地面を目指す。
 目の前の光景がみるみる眼前に迫ってきた。






 迫ってきた。あと10メートル程だろうか。




 迫ってきた。…………残り1メートル?




 迫ってきt、ってえええええええええええええええぇぇぇぇぇ!?

































  ぐしゃり














































「やっぱり俺、死んじゃった…?」

 自分の記憶を遡ってみるも思い出せるのはこのシーンだけ。
 訳も分からず落下する俺の体。そして目の前に広がるいかにも硬質なコンクリートの地面。
 そして肌で感じたあのとんでもない速度。

 十中八九、ただでは済む筈が無い。というか、確実に死ぬ。
 …………筈、なのだが。




「しっかし……コレはどういうことかねぇ」

 現に、俺はこうして生きている。

 そして目の前に広がるのはとてつもなく広大な……庭?
 樹が所々に植えられていたり玉砂利が敷き詰められている様子を見るに、それは確かなのだろう。
 だがこんな場所は俺の記憶が確かなら見たこともないし聞いたことも無い。

 大体、体に何の異変もないし痛みも感じない。
 怪我の一つぐらいもしていないというのはさすが異常を通り越している。






「さては……大ピンチの俺に何か超人的な力が宿ってあの危機的状況を切り抜けたとか」

 おお!だとしたらすごいぞ、俺!
 成る程、だからさっきから地に足がついてないと感じるほどに体も軽く…………











「…………あれ?」

 そういえば先ほどからやけに気になっていた。
 何だろう、この一種の未確認浮遊快感は。

 嫌にふわふわとしていて、そう、言うならばまるで空を飛んでいるような。
 先の落下の残滓としてはやけにリアルに感じられる――――――って、




「うおぉぉぉぉおおおお!?」


 ○○は「そらをとぶ」をおぼえた!とかそんなノリじゃあ断じてない。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……とかそんな俺の今の心境。



「う、浮いてるのか、俺は?」

 目線を足元に向ければそこには地面から数センチほど浮き上がる俺の脚が。

 マジか、マジですか。
 これはもう我が身に神憑り的な力が宿ったという説を否定できない!
 ヒャッホウ!齢(自主規制)にして俺はついにすんばらしい力を…!












「……え~っと、どちら様でしょうか?」


「ぬ?」


 有頂天で思わず小躍りを始めてしまった俺の背後から、なにやら控えめな声が掛かる。
 人間の心理としてそれに思わず振り向いてしまう自分の体。
 果たして、俺が目に留めたものは……
















「…………辻斬り?」


 見たまんまを口にしたら本当に斬られそうになった。
 全く、可愛い顔して中々の遣り手である。

 と、思わずまた口に出してしまったものだからまた斬りかかってきた。
 この娘超怖い。



























「…………ってことは、ここは冥界、ということで?」
「ええ、その通りよ」


 庭によく似て何ともだだっ広い和室にて。


「そーか、やっぱ俺は死んだのか」
「普通はすぐに気付くものだと思いますが……」


 俺は机を挟んで、ここ白玉楼の二人の住人と向かい合っていた。


「しかし……これが幽霊ってもんなのか。何だか実感湧かないなあ」

 あの後辻斬り少女に連れられてきて、俺は今この場所にいる。
 そして此処の主である西行寺幽々子さんに今の状況について話を聞き終えたところだ。

 何とまあここは死後の世界、冥界に存在する白玉楼という場所であるとか何とか。
 そして眼前に存在する二人……もとい、一人と半分は幽霊らしい。それと他にも色々。
 未だに半信半疑ではあるが、いかにも的を得ていてそれが一番納得のいくような話だし、辻斬り少女の隣にふよふよと浮かぶ人魂っぽいものが何よりの証拠であろう。
 というか他に信じる物も無いのでそういう事にしておいたというのが本音である。


 ……あの人魂、触ってみたいなー。


「で、これから俺はどうしたらいいんでしょうかね?」

 瑣末な自分の願望はさておき、割と真面目な話題に入る。
 何でこんな所に来てしまったのかだの何だの疑問は尽きないが、この際は捨て置くことに。
 成仏もせず浮遊霊としてこれからどうしたらよいのかは、やはり経験者に聞くのが一番だろう。

 ていうか俺、幽霊初体験!すげえ!
 ……まあ誰だってそうですね、ハイ。

「ん~、そうねえ」

 言葉の調子そのままに、醸し出すオーラまでふわふわとしている幽々子さん。
 やっぱあれか。ふらふら空中を漂ってると、性格までそんな風になっちゃうモンなのか。

 心配だ。
 なるべくこれからは地に足をつけて生活することにしよう。主に二重の意味で。



「特に行く当ても無いでしょうから、ここに居てはどうかしら?」

「え……」

 俺にとっては頗るありがたい申し出に対し、どこか嫌そうな表情を浮かべる辻斬り少女。
 だがここで引き下がってはこれからの事が一切分からなくなるのでそこは譲れない。


「おお、それはありがたいですな。部屋はあるんですかぃ?」

 とりあえず辻斬り少女の事はごく自然にスルーしてして幽々子さんに尋ねる。
 何となく嫌な視線を感じるようだが、それはあくまで気のせいだと切り捨てた。

「ええ、幾らでも余ってるから好きなところを使っていいわよ」

 話がよく分かる上に懐も深い。
 いやぁ、やっぱり大人の女性ってのは違うねぇ。
 それと比べてこちらの少女は正反対だ。

「幽々子様、よろしいのですか?」

 先ほどから話を聞くだけだった辻斬り少女も漸く口を開く。
 どうやらこの娘は不正や例外は捨て置けない真っ直ぐな性格であるらしい。
 うんうん、そういう女の子も嫌いではない。

 今更幽霊がほんの一人増えたくらいで誰も気にしないわよー、というのは幽々子さんの返答。
 森の中に一本の木が増えたところで誰も気に留めるところではないのだ。

「いえ、私が気にするんですが……」
「もう、相変わらず生真面目ね。少しは頭を柔らかくしなくちゃダメよー?貴方のその半霊みたいに」
「そうそう、これから同じ屋根の下で暮らしていくんだから仲良くしようよ―――――って」


 呼びかけようと思って、迷う。
 そうだ、まだ辻斬り少女の名前を聞いていなかった。
 辻斬り少女と呼んでも特に問題は無いが、それによって斬りかかってこられる点については大いに問題がある。


「えーっと、君の名前は何ていうのかな?」

 問い掛けられ少し言い淀む素振りも見せたが、どうにか口を開いてくれた。
 これから毎日顔を合わせる間柄になるので、できれば友好な人間関係を築いていきたいものだが……

 まあ、それはこれからの俺の努力次第だろうな。
 なるべく好印象を植えつけるようにしていかねば。



「魂魄……妖夢と申します」

 以後、お見知りおきを、と佇まいを正し、ご丁寧に頭まで下げて名乗った。
 思わずこちらもつられて頭を下げてしまう。

 なるほど、妖夢……かあ。




「よし!それじゃあこれからもよろしくね、妖夢ちゃん!」

 某恵比寿神顔負けの笑顔で宣言する。
 これで日当たりのいい人柄だという事は存分にアピール出来たはず――――――って、あら?



「よ、…妖夢……ちゃん、…ですか………?」

 俺の目の前の少女は一瞬呆けた表情をしたかと思うと、拳を握り締めてぶるぶると震えだした。
 これは…もしかしなくても怒ってる?


「あ、あらー?気に食わなかったかなー、妖夢ちゃん?」

「…っ!その名前で私を呼ぶなああぁぁーー!!」
「おわぁっ!?」

 またしても斬りかかってきた。
 そういや、冥界では銃刀法違反は適用されないのだろうか。
 だとしたら犯罪も増えるんじゃないかなー、という疑問はとりあえず後回しに。

「だ、だったらどう呼べばいいんだい、妖夢ちゃん!?」
「だから、やめろと言っている!!」
「ひいいぃぃ!」

 八相の構えから腰を落としてこちらに突っ込んでくる。
 横眉怒目の眼光からは殺気がビンビンに漲っていた。

「ていうか幽々子さん、楽しそうに眺めてないで助けてくださいyって、うおおおおぉぉぉ!!」

 いけない、少しでも速度を落としたら……殺られるッ!


「そこに直れえぇー!!」

 部屋を出て庭まで逃げてもまだ追ってくる。
 全く執念深いというか、何というか。

 しかし顔を真っ赤に染めて怒っている顔もなかなかいいものだ。
 ゆっくりと眺める事が出来ないのが非常に残念である。



 こうして俺の白玉楼での生活は、とても快調とはいえない幕開けを迎えたのだった。



「やれやれ、この先が心ぱiって、うぉ!あぶねぇっ!」


 因みに、この鬼ごっこは幽々子さんのお腹の虫が鳴いて妖夢ちゃんが食事の準備を始めることになるまで続いた。












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 多少乱暴に書き殴られた手記


 ○月 △日 晴

 今日は白玉楼にとても変わった人物が訪れました。
 見たことも無いような衣服を纏い、とても個性的な身嗜みをしていました。
 あと、非常に無礼な奴でした。

 その○○という名の者は、幽々子様の御意向によりなんとここに住み着くことになってしまったのです。
 これから毎日あの態度で接してくるのかと思うと頭が痛くなります。

 明日に備えて早く寝ることにしましょう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


              続





 そろそろ本格的に春の訪れを感じる頃になった。

 俺の白玉楼での生活もすっかり慣れたものになり、幽霊としてもだいぶ板に付いてきた。
 幽々子さんとお茶を飲みながら縁側で呆けていたり、花を付け始めた桜をそこらの幽霊と一緒に眺めていたり。
 主にそんなまったりとした雰囲気で、俺のここでの日々は過ぎていった。

 変化らしい変化といえば、やはり妖夢ちゃんのことだろうか。
 あの池への転落の一件以来、何かとあちらからも話し掛けてくれることが多くなった。
 やたらと言葉に詰まっていたり一言話しただけですぐに逃げたりするが、まあ彼女にも色々あるのだろう。何にせよ嬉しいことに変わりは無い。
 全く、出会った当初と比較すれば素晴らしい変化だ。

 問題らしい問題も無くなり、ゆるゆると流れ行く毎日。
 ずっとこのまま平凡な日々が続いていくのではないかと錯覚してしまう。


「…………」


 錯覚、してしまうほどに。
 本当に、今の生活は俺にとって幸せなものだった。




 あくる昼のこと。
 俺はいつも通りに昼餉を終えて、縁側に腰掛けて考えていた。


 言い様の無いわだかまりが心を重くする。
 不都合な事など何一つとしてない筈なのに、何か不安のような物を俺はいつの間にか抱えていた。

「……ふぅ」

 溜息を、ひとつ。
 これでまた一歩年寄りに近づいたなー、と普段通り自然に考えることが出来ていたなら、まだ気は楽だったのかもしれない。
 どうやら自分は知らぬ間に相当追い詰められていたらしい。


 それは、確証など無いのに。
 必ず訪れると『感じる』、言うならば運命のようなものだろうか。


 だからといって、何が出来る訳でもない。
 そも、何をするべきかも分からない。
 それがまだ余裕を感じている証拠である、と断定するのは些か説得力に欠けた。



 まあ心にゆとりを持っているにせよ、いないにせよ。


「おー、やっと見つけたよ」


 その運命とやらは俺が思ったより早く動いていたということだ。












 本日の夕食の席にて。

「大変ご馳走様でしたッ」

 ぱんっ、という小気味の好い音が今日も食卓に響く。
 ○○が来てからというもの、幾分かここの雰囲気が明るくなったように感じる。
 きっとそれは彼の生まれ持っての個性というか特性なのだろう。


「どうも、お粗末様でした」

 だがやはりその影響を一番受けているのは妖夢だろう。
 あの一本気がここまで感化されるとは思ってもいなかった。
 まぁ、性格だけに留まらず様々なところに影響を与えられているようだが。

 ふう、若いっていいわねー。
 私もまだあの頃は……



「あー、幽々子さん。ちょっとお尋ねしたい事が……」
「あら、何かしら?」

 食事の後の一杯のお茶を愉しんでいる最中のこと。
 平素よりも幾らか声のトーンを下げて○○が尋ねてくる。

 わざわざ妖夢がいなくなった後に聞いてくるということは、何かあの娘に聞かれたくない話なのだろうか。
 もしかしたらそれは私の期待する類の話なのではないか、とその時は若干心弾む心持ちであったが、


「……彼岸までの道のりを、教えて欲しいんですが」


 次の瞬間には冷水を頭から被ったように、身も心も冷めてしまった。




 そういえば、と。
 後から思い返してみれば、この日は彼が来てから49日目だった。












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 くしゃくしゃに捨てられた手記


 @月 ×日 曇り

 もう○○さんが白玉楼を訪れてから随分と経ちました。
 きっとこれからも行く当ては無いのでしょうから、当分の間はここにいるのでしょう。

 何も、嫌だというわけではありません。
 寧ろ(黒く塗りつぶされていて読めない)

 何を書いているのでしょう。
 最近の私は何だかおかしいです。
 これも○○さんの影響なのでしょうか。
 全く分かりません。分かりたくありません。


 追伸。

 今日の昼方、小町さんが○○さんを訪ねていたようですが、何かあったのでしょうか。
 全く分かりません。

 気にしてもしょうがないので早く寝ることにしましょう。


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「なんつーか……賑やかだなあ」

 昨日、彼岸への道のりを幽々子さんに教わった俺は中有の道とやらに差し掛かっていた。
 聞いたところによると死者の溢れる場所なのだからさぞかし暗い所なのだろう、という俺の予想に反して、そこはとても華やかだった。

 確かに周りは人魂を浮かせた死人だらけだ。
 が、その数に比例するようになんとも出店が多い。
 またそれぞれに掲げられた看板も目を惹くものばかり。
 何だろう、死霊金魚掬いって。激しく気になる。
 思わずその雰囲気に流されて遊んでしまいたくなりそうだ。


「そこの旦那、ちょっと見ていきなよ」
「いやー、今持ち合わせが無くってさー」

 先程からこのようにして声を掛けられることもしばしば。
 気になるのは山々だが、この世界で使えるような通貨も持っていないため見て楽しむ事ぐらいしか出来ない。

 それに。
 俺がこの場所を行く理由はもっと別のところにある。
 思い返されるのは、昨日の死神――小町って言ったっけ?――の言葉。













「あんたが○○ってヤツだね?」
「……えーっと、どちら様?」

 質問に質問で返すとは多少失礼であったかもしれないが、考えを巡らしていた俺の頭はそこまで気が回らなかった。
 まあ目の前の物騒な鎌を携えた女性は、そんな瑣末な事を微塵も気にしていなかったから良かったと言えば良かったのだが。

「あたいは死神の小野塚小町。三途の川の一級案内人ってやつさ。」

 事も無げに話す彼女に対して、俺の方はそれなりに驚いていた。

 何とまあ、これが死神。ノートは持っていないようだが。
 まさかこの目で見ることになろうとは。
 何だか、こっちに来てからは色々と驚くことが多い。

 一級というのは恐らく自称なんだろうなー、というのが何となく口調から読み取れるが口には出さないでおく。
 それにしても。

「その三途の水先案内人、とやらが俺に何の用で?」

 ここは冥界であって三途の川などではない。
 管轄の違う人間はお呼びではないと思うのだが……


「あんたを連れに来たのさ」



「…………何?」


 ああ、これが、俺の感じていた運命というものなのか。

 以前、幽々子さんに少しだけ人の死後のシステムについて聞いたことがあった。
 人は死後、中有の道を通って三途の川に至り、そこを船で渡って彼岸に着くと閻魔様の裁きを受ける。
 そこで罪の重さによって天界やら地獄やら行き先が決まるんだとか。


 そして今、幽霊である俺の下にわざわざ三途の川の案内人がやって来たということは。
 文字通り、『お迎えが来た』ということなのだろう。


 その後の小町の言葉はあまり覚えていない。
 それなりに重要な事なのだから聞き落とすのは不味かったが、それすらも耳に入ってこないほどその時の俺はショックを受けていたということだろう。

 要約すれば。
 今までは六十年目だか何だかでやたらと死者が多く、幽霊の管理もままならない状態であった。
 だから見落とした幽霊――この場合俺の事だろう――もいて、それらが色々なところに迷い込んでしまった。
 最近ではやっとこさ死者の数も減り、彼岸にも余裕が出てきた。
 そこで抜け出してしまった幽霊たちをまた集めている、というところだろうか。

 あの後、小町は「それじゃ、ちゃんと三途の川まで来ておくれよー」とだけ言い残して去っていってしまった。
 てっきり有無を言わさずに連れて行かれるものかと思っていたがそうでもないらしい。
 何だか煩わしそうに仕事をこなしていたのを見る辺り、俺を引き連れていく気力というか、単にやる気が無かったのだろう。
 どうやら死神というのは面倒臭がりな性格であるらしい。











 以上、回想終了。
 そんなこんなで俺は今彼岸を目指しているという訳だ。

 もし。
 閻魔様の裁きを受けてその後の行き先が決まってしまったなら。
 俺はまたあの白玉楼の住人たちと会うことができるのだろうか。

 もし。
 もう会うことが出来ないとしたら。
 彼女らは、妖夢ちゃんは俺をどう思うだろうか。

 分からない。

 そして、どうすれば良いのかも分からないまま、何も出来ないまま、結局俺はここまで来てしまった。


「……っと」

 ふと見てみると、あれだけの屋台の喧騒もいつの間にか遠くなり、周りには静謐とした空気が流れていた。
 辺りには霧が漂い始め、川らしきものが薄ぼんやりと視界に移る。

「おー、来たみたいだね」
「まあ、来いって言われてたし」
「逃げ出して貰っても良かったんだがね」
「それじゃあ仕事にならんだろうに」

 いつの間にか現れた小町が近くの岩に腰掛けていた。
 ここでならその手に持つ鎌も幾らか様になっている。
 正に死神、という感じだろうか。

「じゃーさっさといこうか。ほら、渡し賃出して」

 む、困った。
 さっきもそうだが俺は金など一文も持っていないため催促されてもどうしようもない。
 まさか渡れないとか……?

「あーっと、俺は金が無くてだな。サービスとかは……」
「生憎そういった期間でもないんでね。でもあんた、結構持ち合わせてるじゃないか」

 期間が期間ならあるんかい、という突っ込みは喉元で押し留めた。
 ここには何も無いはずだが、と疑いながらも指で示されたポケットを探ってみる。
 あれ、この感触は……

「うわ、こんなにいつの間に」

 重みは感じないのに、どんどん小銭がポケットから湧き出てきた。
 一種の怪奇現象だろうか。

「ほー、これはまた……」
「うーん、こんなの入れた覚えは無いんだが」
「三途の川の渡し賃は生前親しかった人たちがあんたの為に使った金額の合計で決まる。
 するとあんた、結構な人数に慕われてたらしいね」

 俺がポケットから取り出した金は、全部で両手一杯にもなった。
 そんなに思われるほど俺は良い人間だったとも思わないのだが……
 他人の考えていることはよく分からん。


「これならあっち側までもすぐだろうさ。さーお客さん、乗った乗った」
「おっと」

 半ば強制的に川の畔に止められている木製の船に乗せられる。
 ……何だかこの船、今にも沈みそうで怖い。

「いよーし、それじゃーあたいのタイタニックで三途の川を楽しんどくれ」

 小町も船に乗り込み、舵を取って川を漕ぎ始める。
 ギギギ、という何とも不安の募る音を発しながら船はゆっくり動き始めた。
 これでタイタニックか、とも思ったがいずれは沈む運命にあるという点からすれば、なるほど納得できないこともない。


「それにしてもあんた、災難だったねー」

「そういや、お前さんは外の世界の住人なんだろう?
 どうなってるんだい、あっちの世界って。」

「おっと、あんまり川を覗き込まない方が良いよ。落っこちたら魚の餌だからね」


 度々話しかけてくる様子から思ったのだが、この死神さんはとても口が回る。
 やれこの間は閻魔様にこっぴどく叱られただの、うまい仕事のサボり方は知らないかだの、かれこれ十分以上はずっと喋っていた。
 全くこっちの気分などお構い無しに何かと話しかけてくるのだ。

 ……ま、そのお陰で塞いでいた気持ちが少しでも和らいだのだから文句は無いが。



「おー、もう岸が見えたね」
「あれが……」

 霧ばかりでよく見えなかった川の中に、だんだんと向こう岸が見えてくる。
 あそこで俺は裁きを受けて、そして……

 知らず、握り締めた拳に力が篭っていた。












 こんにちは、魂魄妖夢です。
 私は今、自分の部屋で瞑想に耽っています。

 何故そんな事をしているのか、と聞かれれば。
 それは先刻幽々子様に告げられた事が理由なのでしょう。


 ――その内容は、○○さんがもうすぐいなくなるかもしれない、ということでした。

 思えば、ここ冥界というのは転生を迎える者がその時まで待つための場所。
 ○○さんがここに来たのは恐らく偶然なのでしょうが、彼も例外でなかったのかもしれません。

 今思い返すのは彼がここに来てからの事、そして思うのはこれからの事。
 幽々子様は「あなたの行動一つで彼のこれからも変わるわよ」と仰っていましたが……
 私にはよく分かりません。きっと私の未熟故にでしょう。

 思い当たる節があるとすれば、それは、その、きっとあの事なのでしょうが。
 でも、まさかそんな事が○○さんに影響を与えるのでしょうか。

 ……分からない事だらけではありますが、自分の気持ちだけははっきりとしておかなければいけないのでしょう。
 彼がきっと戻ってくる、それまでの短い時間の中で。















「……疲労困憊とは、きっとこの事を言うんだろうな」

 彼岸からの帰り道。
 俺は疲れた体を引き摺って白玉楼を目指していた。

「なんつーかあの閻魔様、説教がやたらと長いんだよなー」

 大学の講義をサボったとか、罪らしい罪でもないだろうに。
 小学校の頃、野球をしてて近所の家のガラスを割ったとか覚えてませんて!

 何かにつけて、どんな些細な罪でも見逃さずに説教をかましてくる。
 しかも相手の外見が幼い女の子であるから余計に納得がいかない。
 というか、閻魔様の前ではプライバシーもへったくれもあったもんじゃないな。


「………」

 結局、俺に言い渡された処分は『転生』。
 俺の死因は不幸な転落事故であったらしく、その事に関してはお咎め無し。
 先述の通り何か大きい罪をやらかした訳でもないので、地獄に落とされる心配も無かった。

 だが、何であろうと。
 畢竟冥界の彼女らと別れてしまうことに変わりは無いわけで。
 覚悟していたとはいえ、やはり改めて聞かされると結構辛い。
 転生までの間は多少の猶予はあるらしいので、それまでは白玉楼に行くことになったのだが。

「………はぁ」

 吐いた息もすぐに虚空に消える。
 いつもは高く思える空も、今日に限って何だか重く、低く感じる。

 足取りは中々軽くなってくれず、ただ刻一刻と俺の憂慮するときが近づいてきて。


「……着いてしまった」


 ついに、俺は白玉楼の門の前まで辿り着いた。

 ええいままよ、と勢いに任せてこの扉をぶち開けることは可能だが、その後の展開を考慮しないわけには行かないので却下。
 だがそれ以外に何か道でもあるのかと聞かれたところで「Yes」と即答出来るほど決意も固まってはいない。
 頭の中でぐるぐると回る何かに迷いながらも、しょうがないと諦めかけて手を扉に掛けた正にその瞬間。


 バアン!!


 扉は自分以外の何物かの力で豪快に開かれた。

 それが誰の仕業であるかは目の前で手を突き出す人物を見れば一目瞭然であったが。

「………っは!よ、妖夢ちゃん?」

 吃驚した。それはもうかなりの勢いで。
 このタイミングにあの気概で来られると、少々心臓に悪い。って、もう死んでるか。

「……やはり、○○さん、ですか」

 俯いたままなので表情は分からないが、口調から何となく心境は察することが出来る。
 やはり、ということは俺がここにいる事が分かっていたのだろう。
 分かっていた上であんな破竹の勢いで扉を開け放つとは。空気読もうよ。

「……あー、うん。俺だよ」

 とりあえず返事を返したのは良いが、困ったことにその後の台詞が何も浮かんでこない。
 準備を全くといっていいほどしていなかったのでそれは当たり前の結果であるが、最早それを後悔する暇さえない。
 とりあえず何か適当な話題を、と決心して今日の晩御飯について話を始めようとした矢先。


「行って、しまわれるのですか」


 妖夢ちゃんのか細い声が二人の間に響いた。

「……ああ、そうだね」

「何時ごろ、なのですか」
「……それは俺にも分からないな」

「ここに、居られないのですか」
「……多分無理、かな」

 ギリ、と奥歯を噛む。
 妖夢ちゃんの質問に対して、二択のうち一つの答えしか返すことの出来ない自分の不甲斐無さに腹が立った
 でも、俺はどうすれば………


「……ぅ」

 だが。

「……も゛う」

 そんな俺の迷いも何もかも。

「もう゛、会え゛ない゛、の、でずがっ」

 妖夢ちゃんの涙交じりのその言葉で、全て吹き飛んだ。






「……ッ!」

 ガバッ

「ぁっ……」

 込み上げる思いに堪え切れず、妖夢ちゃんを胸に抱き留める。
 もうこの際、逃げは無しだ。


「……えーっとだな」
「……はい」

 後悔など、決してすることの無いように。
 隠し持った気持ちなど無いようにしよう。


「妖夢ちゃんは、さ」
「……はい」

 彼女は俺の言葉に対して頷くだけ。
 だが、良いのだ。それで良いのだ。


「また俺と会いたいと思ってる?」
「……はいっ」

 妖夢ちゃんの一際強い肯定。
 それこそが彼女の俺に対する思いの表れであると信じたい。いや、信じている。


「じゃ、話は簡単だ」
「……はい」

 そう、とても簡単。
 そして同時にとても難しいこと。

「いつか、絶対に会いに来るからさ」
「……はい」

 だけど、信じよう。
 きっと乗り越えることは出来るのだと。

「それまで、待っててくれるかな?」
「……はいっ!」

 女性を散々待たせるなんて、男としては名折れもいいところだけど。
 その清算はまた再開の時に済ませるということで今回は多めに見てもらいたい。

 腕に込めていた力を解き、妖夢ちゃんの顔を覗き込む。
 そこには涙に濡れながらも強い決意を感じる、半人前と呼ぶにはには相応しくない彼女の顔が在った。
 うん、この顔ならきっと大丈夫。



「……ぁ」

 妖夢ちゃんの呟きと、自分の体に違和感を感じ始めたのはほぼ同時の事。
 これが、消え行くということだろうか。
 見れば俺の体躯は、足の先からどんどんと風景と同化を始めていた。


「…んぅ、…ひっぐ……ぅう…!」

 ああもう、駄目だって。
 お別れは笑顔が良いんだってば。

 さっきまでの一人前の表情はどこへやら。
 またもしゃくりあげ始めてしまった妖夢ちゃんだった。

「○○、さん゛……!」

 だけど、どうすることも出来ない。
 涙を拭いてあげる筈の腕も既に消えかかってしまった。
 せめて安心できるように笑顔を浮かべることぐらいは叶うだろうか。



「もう行くね」



 だんだん意識を保つ事も難儀になってきた。
 相変わらず妖夢ちゃんは泣いてばかりだし。
 この先、一人で大丈夫なのだろうか。


 全く、いつまで経っても心配の残る娘だ。
 最早妖夢ちゃんに見えているのかどうかも定かではない苦笑をこぼす。
 最期に俺の目に映ったのは、桜の舞い散る中で泣き腫らす妖夢ちゃんの姿だった。













 季節は巡り、彼が去ってから数えるのも忘れてしまった幾度目かの春。
 私はいつものように庭の手入れに勤しんでいました。

 今までに、本当に色々な事がありました。
 神社の巫女がまた新しい人物になったり。
 白黒の娘が以前より増して泥棒に入るようになったり。
 まあ変わったのは主に人間の間で、ですが。


 一度も○○さんは訪れてきませんでした。
 いい加減、覚えている自分を褒めてあげたいほどの年月が経っています。
 何年掛かっているんでしょうか、あの人は。
 ですが、『来ない』と思ったことは決してありません。

 彼が待っていて欲しいと言いました。
 私は力強くはい、と返事をしました。
 だから、必ず来るのです。

 と、何度目になるのか分からない自分への励ましを終え、再び箒を手にした私の背中に。




「おぉーーーーーい!妖夢ちゃぁーーーーん!?」




 とてもとても、懐かしい声が掛かりました。


「……っ!」

 思わずその声に向かって走り出してしまいます。
 全く、庭先でなんて事叫んでるんでしょう。
 あの人は相当可笑しいです。致命的です。

 本当可笑しくて、笑い泣きが止まらないじゃないですか。


 だからこの涙も、今までの苦悩も、全部あの人の所為なんです。
 そう簡単には許してあげません。
 それだけの分を返してもらうまでは、絶対に許してあげませんから……!













 後書き          という名の言い訳


 ここまでお付き合い頂き、本当に有り難う御座いました。
 いやー、フラン→魔理沙とどんどん色んなお話書いて妄想膨らませている内に妖夢のお話が完成していたというこの不思議。
 いや、ほんとごめんなさい。
 書き上げたらそっちの方もうpしますんで。


 これ書き終わった時に求聞史記見て、幽霊は喋る事が出来ないと知ったというのはあくまで秘密。


                                               presented by パスタ好きの○○

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7スレ目>>445


「よーうむー♪」
「わぁ!? ちょ、いきなり抱きつかないでくださいよ!」
「いいじゃないか、幽々子さんは紫さんとこに遊びに行っていないんだし、
 せっかくの二人きりを満喫しようではないか」
「昨日もそういって……その……た、食べさせっことかいって……うー……」
「あぁ、妖夢のあーんしてくれる飯っていつもより美味いんだよなぁ。なんで
 だろ」
「し、知りませんよ!」
「まぁというわけで、堂々といちゃつこうではないか♪」
「みょんっ!? い、いきなりこんな……ッ」
「ん~?ただのお姫様ごっこですが何か?」
「う、うぅ~~~……」
「ほんじゃこのまま妖夢の部屋へレッツゴー♪」
「えぇ!? き、今日は貴方の部屋って……ぁぅ~……」

「幽々子……ここのところ毎日来てない?」
「いいじゃないの~。ここにくれば妖夢の初々しい姿とか見れるし~♪」
「はいはい出歯亀乙乙」
「とかいいながら紫も見るのね」
「女の子の恋愛諸事情を覗くのは若さの秘訣よ?」

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最終更新:2010年05月23日 00:21