藍5
うpろだ1283
「紫様、一つお聞きしたいことがあるのですが」
割烹着を着て、頭には手ぬぐいを姉さん被りにした藍が、はたきをかけながら尋ねる。
煎餅をかじりながら、ふさふさと揺れる藍の尻尾をぼんやり眺めていた紫は、問いに気付いて意識を戻した。
「なあに?めずらしいわね、貴女がそんなこと言うなんて」
滅多にない展開に興味を抱いたらしく、身を乗り出す紫。
「その……後ろからと前からと、どちらの方が愛があるものでしょうか」
藍の質問に紫は一瞬目を丸くしたが、すぐににやりと意味深な笑みを浮かべる。
「あらまあ、藍もずいぶんと大胆になったものね。
昼間からそんな、紅魔館の魔女が目を吊り上げそうなことをさらっと言うなんて。やっぱり恋人ができると違うわねぇ」
人の悪い笑顔でそんなことを言われた藍は、顔を真っ赤に染めてしまった。
「な……あ、いえ紫様、私はそんな意味で言ったわけでは」
「あら、私がどんな意味に取ったと思ってるのかしら?」
頭から湯気が出るのではと思える様子で焦る藍を見て、紫はおかしそうに笑う。
「冗談はこのぐらいにしておきましょう。
それで?どうしてそんなことを?」
「もう……いえ、○○のことなんですが」
○○は、幻想郷に迷い込んできたところを紫が拾ってきた外の人間だ。
本当ならすぐに送り返すはずだったのだが、ちょうど冬眠前で眠かった紫が面倒くさがり、
「起きたらちゃんと片付けるから、しばらく面倒見といて」
と、式神二人に押し付けてしまったのだ。
春が来て紫が起きてみると、○○はすっかりマヨヒガに馴染んでしまっていた。
外の世界に帰すから、と切り出した紫に、まず橙が「ちゃんと面倒見るから○○を帰さないで」とぐずり、
藍は藍で「橙もあのように懐いていますし、このまま置いてしまっては」などと言いながら、
その実自分もひどく寂しそうな顔を見せた。
当の○○も別れ難い様子であることから結局紫が折れ、
○○は家事手伝い兼橙の遊び相手兼紫の暇つぶしとしてマヨヒガで暮らすことになった。
意外と家事が得意だった○○はそれまで藍が一人でやっていた仕事を手伝うことが多く、
結果として藍と一緒に過ごす時間が多くなっていった。
二人の関係が特別なものになっていったのも、起こるべくして起こったことと言えるかもしれない。
人目をはばからずイチャつくわけではないが、それでも紫は幸せそうな○○を、初々しく彼に寄り添う藍を、よく目にするようになった。
……いや、実際のところは退屈しのぎに自らスキマを開けて二人の様子を眺めているのだが。
「その……○○が、私のことをよく抱きしめてくれるのですが」
「けっこうなことじゃない」
「最近はいつも、背中からなのです」
「……それで?」
「私の尻尾を気に入っている、そうで」
ふわり、と金色の尻尾が揺れる。
ふさふさした彼女の尻尾の感触が心地よいことは、長い付き合いである紫にもよくわかっている。
「いいじゃないの。その尻尾は、貴女にとっても自慢でしょう?」
「ですが、その……」
「もう、何なの?」
幾分いらだちを含んだ声で、紫は問いかける。
ためらいがちに話す藍の言葉からは、依然話が見えない。
「私は、ちゃんと愛されているのでしょうか?」
「……?」
「後ろから抱きしめる方が、前から抱きしめるより愛情のこもった行為なのでしょうか。
そうでなかったら、○○はもう私ではなくて、私の尻尾に惹かれているだけなのでは、と……
もし、尻尾がなかったとしても、○○は私を抱きしめてくれるでしょうか?」
紫は呆れたようにため息をついた。
恋とは、あの冷静な藍をここまで不安定にするものなのか。
取るに足らないようなことをこんなにも深刻に捉え、悩み、不安そうにしている藍の姿は、紫にとっても目新しいものだった。
「直接聞けばいいんじゃないの?もしくは尻尾をしまっておくとか。
それぐらい藍ならたやすいでしょうに」
「そ、それでもし、『尻尾が好きなだけ』と言われたら?抱きしめてくれなくなったら?
紫様、私は、私は……」
「ああもう、落ち着きなさい!」
かなり重症らしい。なんらかの対処が必要だろう。
この状況を半ば面白がりつつも、紫は考え込んでしまった。
スキマから新たな煎餅の袋を取り出す。
「ねー、○○」
「ん?なんだい橙」
庭の掃き掃除をしながら、○○は返事をする。
橙は縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、○○の仕事ぶりを眺めていた。
「○○は、藍さまのこと好き?」
「好きだよ」
即答する。あまりやりすぎると教育上よろしくないので、なるべく橙の前ではべたべたしないように心がけているが、
お互いを好きあっていること自体は別に隠すことではない。
「藍さまの尻尾は好き?」
今まさに藍がそのことで悩んでいるとも知らず、橙は特に深い考えもなく問いかける。
頭の中で少しその感触を思い出してから、感慨深げに○○は答えた。
「……好きだな」
「ふかふかで気持ち良いよね」
意見が一致したことが嬉しいのか、楽しそうに笑う橙。
穏やかな一時を過ごしていた二人のところに、廊下の向こうから紫がやってきた。
「あら、楽しそうね」
「あ、紫さん」
「どうしたんですか、紫さま?」
「橙、ちょっといいかしら」
「はーい」
呼ばれて、橙は立ち上がる。
紫は○○に話が聞こえないように、橙を廊下の曲がり角まで連れていった。
「橙には黙っていたけど……今日は百年に一度の『尻尾の日』なのよ」
「え、そうだったんですか!?私全然知りませんでした……」
もちろん嘘だ。藍なら頭を抱えて呆れ返るところだろうが、橙は紫の言葉を疑わなかった。
「そうよ。だから遠慮なく藍の尻尾をもふもふしなさい。私の分までお願いね」
「はっ、はい紫さま!わかりました!」
別に普段から遠慮などしていない橙だったが、主の主である紫の言葉に元気よく返事をする。
そのまま勢いよく駆け出そうとするところに、紫はもう一言声をかける。
「そうそう、○○には内緒よ。普段からいっぱいもふもふしてるから」
「はーい、わかりましたー!」
話の内容を聞き取れないまま掃除を続けていた○○は、走っていく橙をぼんやりと眺めていた。
「らーんさまっ」
台所に立っていた藍の尻尾に、橙が抱きつく。
まだ幾分うわの空だった藍だが、それでも振り向くと、優しい笑顔を見せた。
「ん、どうした橙?」
「えへへー」
尻尾に頬ずりする橙。藍は、やれやれといった表情で橙の頭を撫でると、また仕事に戻る。
(やはり○○も、私の尻尾が好きなだけなのだろうか……)
相変わらず悶々とする藍をよそに、橙はさらに深く尻尾に顔を埋める。
結局その日の夜まで、橙は暇さえあれば藍の尻尾にくっついていた。
夜。
床に就いた藍は、眠れずにいた。尻尾に潜り込むようにして寝ている橙が原因ではない。
就寝前に紫がそっと話したことが、藍を悩ませているのだ。
「何考えてるんだ紫様は……」
(貴女の尻尾に対する○○の欲求は、橙によって満たされない状態にしてあるわ)
「いや、そもそもそんな欲求があるのか―いや、やっぱりあるのだろうか……」
(橙はこのまま、貴女の尻尾の中で眠ってしまうでしょうね。もし、○○がやって来て)
(いたいけな橙を追い出すような暴挙に出てまで尻尾を堪能しようとするなら)
(○○は単なる尻尾狂と見なすことができるわ。その場合、○○は明日の私の晩御飯ということで)
「……むちゃくちゃだ」
理屈も何もあったものではない。だが紫の場合、一概に冗談とも言えない。
例え冗談だったとしても、いざその状況が訪れたら気まぐれで実行に移しかねないのが恐ろしい。
「もし、紫様の言うとおりになったら……」
○○には二度と会えなくなってしまうだろう。
藍は寒気を覚えて、寝巻きの襟を掻き合わせた。
(頼む、○○、来るんじゃない―)
藍の耳がぴくりと動いた。
気付かれないようにそっと見ると、願いもむなしく、ふすまを開けて部屋に入ってきたのは○○だった。
「ああ、やっぱり―」
藍が眠っていると思ったのか、○○は畳の上を足音を立てないように近づいてくる。
目覚めていると気付かれないように息を潜めていた藍は、ふいに冷たい空気を感じた。
○○が布団をめくり上げたのだ。
(やめろ○○、これでは紫様の)
「本当にもう、しょうがないな……よっ、と」
(ああ……)
尻尾の中から発掘した橙を抱きかかえ、立ち上がる○○。
そのまま部屋を出て行く。おそらく、橙を布団まで運びに行くのだろう。
そこらに転がしていかないだけましだが、このまま紫の仮定通り○○が尻尾に触れようとした場合、彼は紫のご飯にされてしまう。
(まずい、まずいぞ……だが、このまま戻ってこなければ……)
程なくして、廊下を戻ってくる足音が聞こえる。間違い様もない、○○の足音だ。
部屋に足を踏み入れ、ゆっくりと布団の方へ歩を進めてくる。
(あああああ、○○、来てはだめだ、来ては……)
布団の側にかがみこむ○○。
藍は背中を冷や汗が伝うのを感じた。
(このままではお前は、紫様に)
何も知らない○○は、藍の寝顔を覗き込もうとしている。
追い詰められた藍は、混乱のきわみにあった。
そして。
「○○っ!」
「うわっ!?」
藍は勢いよく飛び起きた。
驚く○○を真正面から抱きしめ、そのまま布団に倒れこむ。
「ら、藍!?いきなり何を」
「静かに!」
腕にぎゅっと力が込もる。
「ちょっと、苦し……」
「すまない。だが今は朝まで、このまま……」
確かにこの状態を保てば、紫の言ったとおりにはならない。
藍は○○が動かないよう、胸に抱きかかえるように彼の頭を押さえ込んだ。
雀の鳴く声がする。どうやら夜も明けたらしい。
「……何とかやりすごしたか」
時折うつらうつらしながらも、藍は○○を離さずにいることができた。
ひとまず、これで安心だろう。
「朝だぞ○○、もう起きても大丈夫だ」
「うーん……」
半ば気を失うようにして眠りについていた○○は、藍に促されて目を覚ました。
「あー……もう朝か。いったい何が……」
「すまなかったな。事情は……そうだな、後で話すよ」
「うん……とりあえず、朝ごはんの支度をしないと。着替えてくるよ」
「そうだな。では私も着替えて、すぐ行くから」
○○の背中を見送ると、藍は枕元にたたんであったいつもの法衣に着替え始めた。
上から割烹着を着ると、台所へ向かう。
「……と、いうわけだ」
味噌汁に入れる大根を刻みながら、藍は経緯をかいつまんで話した。
昨日までなら○○自身に話すことなど思いも寄らなかっただろうが、色々あって吹っ切れたようだ。
「一歩間違えば危うく食べられるところだったわけだ」
七輪の前にしゃがんで魚を焼いていた○○が、他人事のようにつぶやく。
藍はその反応に、少し眉根を寄せた。
「もう少し焦ったらどうだ。元はと言えばお前が……その、私の尻尾ばかり」
「そうかな。そんなに執着してるように見えた?」
「見えた。昨夜だって、橙を運んでから戻ってきた時は、てっきり紫様の言う通りお前が私の尻尾を独占しようとしているのかと」
「あれは、橙が自分の布団にいないようだったんで探してみたら案の定藍のところにいたから。
そのままだと藍が寝苦しいんじゃないかと思って」
「そ、そうか。だがそれでも、最近その……後ろから私を抱きしめることが多い気がする」
「それで、ちゃんと愛されてるのか不安になったんだ?」
「う……」
頬を染めて口ごもる藍を見て、○○は微笑む。
ほんの少しのからかいと、たくさんの愛しさを含んだ笑顔だ。
「確かに尻尾は好きだけれど
―藍のことが好きだからこそだよ」
「うう……」
「いや、藍が後ろからよりも前からの方が好きだって言うならそうするけど」
「ううう……」
真っ赤になった藍は、消え入りそうな声で答える。
「わ、私は、○○のことを愛しているから……ちゃんと愛情を込めてくれるならどちらでも、嬉しい……」
「………………そうストレートに言われると」
聞いていて今更のように照れが出てきたのか、今度は○○が黙る番だった。
「でも……」
包丁を置き、側に寄ってきた藍は身を屈めると、○○を包むように抱いた。
「私から、というのも悪くはないかな……」
お互いの体温が伝わってくるのを感じながら、二人だけの世界に浸る。
「朝ごはんまだー?」
「……はっ」
居間から紫の呼ぶ声が聞こえて、二人は我に返った。橙もそろそろ起きてきただろう。
「……っと。急ごうか、藍」
「そうだな。紫様も橙もお腹を空かせているだろうし」
「ええ、もうぺこぺこよ」
居間にいたはずの紫がいつの間にか台所に来ていた。いつもながら、気配を感じさせない。
「あ、紫さん」
「ゆ、紫様!?」
紫は優しい目で二人を見つめている。
「解決したみたいね、藍」
「……はい」
「抱きしめられて迷うなら自分から抱きしめて、わからない気持ちを確かめるのも大事よ?」
「紫様……ありがとうございます」
全て考えた上で自分を後押ししてくれていたのだ。
そう思うと、藍の心は紫に対する感謝の気持ちでいっぱいだった。
「それにしても残念ね。今日はたんぱく質豊富な晩ごはんになると思ったのに」
「ちょっと紫様!?それは嘘も方便というやつだったのでは」
「さあ、どうかしらねー」
「駄目ですよ、もう解決したんですからね!紫様と言えど私の○○に手は出させませ」
「あの、二人とも朝ごはん……」
「藍さま、おなかすいたー」
本日も、概ね何事もなし。
すっかり馴染みつつある○○を交えて、マヨヒガの日常は流れていく。
新ろだ115
雲一つない空に突如として花火が打ち上がった。
昨日まで何もなかった広場には、マイクやスピーカー、観客席等が用意され、大にぎわいを見せている。
……何故こんなことになったのだろう。
○○は溜め息を吐き、会場の入り口の看板を眺める。
願わくば、先程読んだそれが自分の見間違いであるようにと。
……残念ながら、看板に書かれた文字は、先程と同じだった。
『第一回、従者オブ従者選手権決勝』
ことの起こりは三日前の宴会でのこと。
スキマな事情により、紆余曲折の後にマヨヒガで住み込みで働くことになった○○。
雇用期間は死ぬまで。つまり永久就職。
三食及び雇い主からの愛情保証という特典付き。
職業名を『専業主夫』という。
久しぶりにという雇い主、八雲藍の誘いで、博麗神社の宴会に出向いた○○は、酒の飲み方を忘れていたらしい。
注がれるままに飲みに飲んでしまった結果、藍の膝の上に頭を載せ、唸るはめになってしまっていた。
「すまないな、○○。私が調子に乗って飲ませ過ぎたばかりに」
「……いや、俺もはめをはずしすぎた」
「藍さま、お水持ってきました」
藍の式神である橙がコップを片手に、とてとてと二人によって来る。
「ああ、ありがとう」
自らの腕にもたれ掛かる○○の口に水を運ぶ藍。
その甲斐甲斐しさは正に妻のそれ。
……いや、母のそれだろうか。
「……それにしても」
橙は○○をじっと見ながら言う。
「……なんで藍さまは○○なんかと」
「おや、橙は○○が私の夫では不服なのか?」
「当たり前です! ○○ってば段幕は撃てないし、力は弱いし、今だってこんなに情けない格好で……」
あれこれ不満をまくしたてる橙だが、その実○○を気に入ってることを藍は知っている。
単に○○が藍を独占していることが面白くないだけなのだ。
「いや、申し訳ない」
「申し訳ないじゃないよ○○! もっとしっかりしてよね!」
「「まったくね(です)」」
そんな○○と橙の微笑ましいやりとりに、口を挟む者がいた。
紅い悪魔の従者十六夜咲夜と、亡霊嬢の従者魂魄妖夢だ。
「私達に何か用事かな?」
不粋な闖入者に顔をしかめながら、藍が尋ねる。
「貴女の従者は随分となってないのね」
ピクリと、藍の形の良い眉が上がる。
「自らの限界も弁えず、主人を省みないで酒を飲み」
「あまつさえ、主人に迷惑をかけるなど、言語道断。同じ立場の者として恥ずかしい限りです」
ぶわりと、美しい九つの尻尾が大きく膨れた。
……明らかに怒っている。
「要するに、このダメ従者に一言言ってやりたくてね」
「お前ら……!」
ぶっとばしてやろうかしらと、懐のスペルカードに手を伸ばし……
「主夫を、……なめんなーーーーーっ!」
唐突に○○が立ち上がった。
「あら起きたの、ダメ従者」
「従者じゃない! 主夫だ!」
「ならダメ主夫ですね」
「言ってくれる。こちとら家事のプロフェッショナルだ! 家事の技量ならあんたらよりも上だ!」
この発言に今度は従者二人がこめかみをひくつかせる。
「西行寺の庭番をつかまえて、自分の方が上と? 言いますね」
「紅魔館のメイド長よりも家事ができる? ……面白い冗談ね」
一触即発。
三者三様のプライドを火花に変えてぶつけ合う、自分こそ最高と信じて疑わない三人。
いつのまに三つ巴になったのやら……
「……こうなれば」
いいながらスペルカードを取り出す妖夢。
「あら、分かりやすくていいわね」
同じように咲夜もスペルカードを手にとった。
「……」
一方いまだ丸腰のままの○○。
ただの人間である彼にはスペルカードなど使えるわけもなく……
「どうしたんです? まさか素手で闘うつもりですか?」
「へえ…… 甘く見られたものね。やって見せてもらおうかしら」
矛先を一辺に向けられた○○、早くもピンチである。
それでも主人、……いや、嫁である藍が見ているのだ。
情けない真似はできない。
「ちょっと待て、悪魔の狗に半霊。わたしの目の前で○○を痛め付けようなんて、良い度胸じゃないか」
そこに助け船を出す藍。橙を引き連れ、すでに臨戦体制である。
「……式の猫といい、ずいぶんと部下を甘やかすのね」
「訂正しなさい。○○はわたしの夫であって、部下じゃない。
それに、彼が傷付くところは見たくない」
「主が従者を守るだなんて、おかしな話ではないですか?」
「○○を従者と呼ぶな」
「同じよ。立場としては」
「……少し痛い目に逢いたいのかしら、悪魔の狗」
くっと目を細めた藍に内心動揺しつつも簡単には引き下がれない二人。
「ら、藍、もういいから……」
「いいや、良くない。わたしはともかく、○○と橙を馬鹿にする奴は誰であろうと許さない」
止めなくてはと、○○は藍に駆け寄るが、効果無し。
しばしの睨み合いの後。
「その辺にしなさい、妖夢」
「幽々子様!?」
「咲夜、あなたもやりすぎよ」
「お嬢様……」
膠着状態を破ったのは、紅魔館と白玉楼、それぞれの主であるレミリアと幽々子。
「ごめんなさいね、紫の式。この子もまだ半人前なのに生意気に」
「……申し訳ありませんでした」
「私からも謝るわ。まさか咲夜の失態をフォローする事になるなんてね」
「……お恥ずかしい限りです」
主にたしなめられうつむく従者二人
「だけど、このまま終わりにするにはもったいないわね、この展開」
「奇遇ね、わたしもそう思ってたところよ。
……というわけで」
レミリアと幽々子が笑いかける先には、心得たとばかりににやつく紫と文。
……そして話は冒頭に戻る。
「さあ始まりました。第一回従者オブ従者選手権決勝戦。司会はわたくし、射命丸文です。どうぞよろしくお願いします」
「解説の八雲紫です。よろしく」
あの時の一コマからわずか三日でこれである。
……最早突っ込むのもばからしい。
「あや~、それにしても、ずいぶんとお客さんが集まりましたね」
「貴女の記事の仕業ではなくて? 新聞記者さん」
「そうであれば喜ばしい限りですが、どちらかといえばあなたの仕業だと思いますが。
ああ、催しの宣伝の際には文々。新聞を是非ご贔屓に」
フィフティーフィフティーでこの二人の仕業だ。間違いない。
本当にわずか三日でよく集まったものだ。
普段宴会で見る連中はいいとして、里の人間まで混じっているのはどういうことだろう。
人知れず頭を抱える○○。
「さて、関係ない話はそのくらいにして、そろそろ始めましょうか」
「そうですね。ではこれより第一回従者オブ従者選手権決勝戦を開催いたします」
文の開会宣言とともに、満員の観客席が沸く。
幻想郷には暇人が多いらしい。
「……すまないな、○○。紫様が迷惑をかけた」
すまなそうに謝る藍。
「なに、俺が君のことをどれだけ想っているか、アピールするいいチャンスだよ」
多少の去勢はあるが、藍を想うこの気持ちは、誰にも負けない自負がある。
他のことはともかく、あの二人に想いで負けるわけにはいかない。
「……ばっ、馬鹿!」
頬を染め、照れ隠しに目を逸らす藍。
なんというナイスリアクション。これだから、八雲の専業主夫はやめられない。
「それではまず、ルール説明をしたいと思います。これから幾つかの質問に答えていただき、それを審査員が10点満点で評価します。総合得点の高い者が優勝となります」
「平時からの心構えがカギというところかしらね」
「単純な力だけが優秀な従者の条件ではありません」
「ええ、マヨイガの主夫が、それを証明してるわ。ただの人間があんな中決勝まであがってくるなんて、正直驚いたもの」
しかしこの進行役、ノリノリである。
早くも板についているあたり、流石というかなんというか……
というより、今更だが予選なんか何時やった?
「続きまして審査員の紹介をさせて頂きます。
まずは一人目、幻想郷の歴史を語り続ける求聞持の賢人、稗田阿求さんです」
花の髪飾りをつけた小柄な少女がぺこりと頭を下げる。
……だからどんだけ暇なんだよ、幻想郷。
「縁起に載るだけの妖怪たちの主従関係。非常に興味深いです」
……仕事の一環ですか?
それともただの職業病ですか?
「阿求さん、ずばり今回の注目点は?」
「もちろん、○○さんです。あの八雲藍の夫がただの人間であることには、わたしも驚きましたから」
「主であるわたしも驚いたわ」
「今日は○○さんのことを調べあげて、縁起に追加掲載するつもりです」
これはいよいよ情けない真似は出来ない……
「○○、そんなに硬くなるな。結果が振るわなくとも、お前の想いをしっかり伝えてもらえれば、わたしは満足だから」
「藍……」
「それでは、今日はどうぞよろしくお願い致します」
「はい。……わくわく」
目の前の鴉天狗のお株を奪わんばかりに、わくわくしている阿求。
……職業病だな、ありゃ。
「続きまして、永遠亭の月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバさんです」
「よろしくお願いします」
「同じ立場の目線といったところかしら」
「惜しくも予選で小野塚小町さんに敗れてしまいましたが、今回、誰が優勝すると思われますか?」
「誰が優勝してもおかしくはないとおもうわ。まぐれでここまで勝ち上がってきたわけではなさそうだし」
「成る程。目が離せない戦いとなりそうですね」
「そうね」
「それでは、審査員よろしくお願いします」
……あれ? ひょっとして、「決勝」に突っ込んでるの俺だけ?
「さて、最後の審査員は、……って何でこの方? 水橋パルスィさん」
「……平気でわたしをぞんざいに扱える貴女が妬ましいわ」
「ストレートな審査なら、彼女が一番でしょう。だから呼んだのよ」
「……妬ましい、妬ましいわ。こんな争いを起こすほどに慕われてる主も、慕う相手のいる従者も」
「成程、分かりやすいですね」
確かに分かりやすいかもしれないが ……非常に怖い。
「さて、審査員も出揃いましたところで、いよいよ選手入場といきましょう」
待ってましたとばかりに観客が歓声をあげる。
どいつもこいつも本当にノリがいいな。
それともこれが普通なのか?
……どこぞの巫女の、頭のネジを外しただけある。
「まずは、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜!」
名前を呼ばれると同時に、お得意の時間操作能力で音もなく現れる咲夜。
「予選から他を寄せ付けない圧倒的な強さで決勝進出。瀟洒な従者ここにあり!
主への絶対の忠誠とその能力で今回の優勝候補です!」
「紅魔の名に敗北の文字などありません。従者のなんたるかを皆さんにお教え致しましょう」
穏やかな表情で頭を下げる。
うん、瀟洒だ。
「続いて白玉楼の庭師、魂魄妖夢!」
目にも止まらぬ早さで、台上にあがる妖夢、一陣の風と共に参上だ。
「小柄な体つきならではのフットワークは抜群。主のために日々成長中! まだまだ未知数のその力に期待です!」
「剣を持つものとして、従者の名において、負けるわけにはいきません。全力でお相手させていただきます」
真っ直ぐに咲夜を睨み付け、宣戦布告をする妖夢。
対する咲夜は余裕ともとれる笑みで受け流す。
「あらあら、早くもボルテージが上がってきたわね」
「最初からクライマックスてやつでしょうか?
……さて、そして最後に八雲の専業主夫、○○!」
「それじゃ、行って来る」
「ああ、行ってこい。……ふふ、いつもと逆だな。頑張れ」
「ああ」
ゆっくりと台上へと向かう○○。
その姿は二人とはまた違った風格を、……醸し出せてはいない。
「持ち前のガッツと、主人八雲藍への強い想いで、ここまで勝ち進んだ、ある意味で幻想郷最強の人間。
今日、ついにその全貌が明らかになります!」
会場の視線が自分に集まるにつれて、開き直りに近い度胸が湧いてくる。
「俺は従者でなく主夫だ。この二人に戦闘では勝てない。
だけど、藍を愛する気持ちは、従者の主を想うそれに劣らない。
愛する人のために、力の限りに戦い抜くつもりだ」
先ほどまで頭を抱えていた姿はどこへやら。
なんだかんだでノリやすい○○も、立派に幻想郷の住人なんだろう。
「なんというか、甘いですね」
「文字通り、甘く見ると痛い目に遭うわよ」
「すいーつってやつですか?」
「甘い砂糖と、スパイスと、その他素敵な、なにもかもってね。まさかこのわたしが二人の前で膝を付くなんて思わなかったわ」
「八雲紫が、ですか!?」
「ええ、普段はすましてるけど、二人きりな時には近付かない方が良いわ。
一歩近付きゃ、砂糖にまみれ
二歩近付きゃ、味覚を忘れ
三歩近付きゃ、貴様も桃色の空間に溺れるがいい……」
「あ、あの、紫さん、その位で勘弁して下さい」
恥ずかしい紫の解説を止めにはいる○○。
「あら、これからだったのに、残念。
ともかく、これで役者は揃ったわね」
「はい。それでは改めまして、これより第一回従者にオブ従者選手権決勝を始めたいと思います」
割れんばかりの大歓声が、会場に響き渡った。
新ろだ188
目の前で花弁のように広がる九房の柔毛。金色の光沢を持つその一房を手にとり、俺は丁寧にピンブラシを掛けていく。
毛を傷つけないように、生きている毛を抜いてしまわないように、ゆっくりゆっくりと時間を掛けて作業をする。そうして被毛のもつれを解き、ホコリを除去して、次の作業に移る。
ピンブラシでのブラッシングが終わったら、豚の毛を用いた柔らかいブラシを使って抜け落ちた毛を絡め取っていく。
一房だけでも結構なボリュームがあるためにそこそこの時間がかかるものを、あと九回も繰り返さなければならないのだ。
だが、それもまた楽しいものである。
俺がじっくりと時間を掛けて房の一つ一つに取りかかっていると、この房の持ち主から声がかかった。
「いつもすまないな。自分ではよく見えないし、手も届かないからあまり手入れが出来なくて……」
「いや、気にしないでくださいよ。藍さま」
俺が手入れをしているのは八雲藍、つまり九尾の狐と呼ばれる最強の妖獣の尻尾なのである。
最強の妖獣とはいえ、無礼を働かなければ穏和で折り目正しいお姉さんだ。恐れることはない。
何より、俺はこの美しい九尾と彼女の人柄に魅せられていた。
「俺も藍さまの尻尾を手入れするの、好きですし」
「そう言ってくれるとありがたい。この九尾は私の自慢なんだが……」
九尾の狐なんだから、そりゃ尻尾は自慢だろう。それ以前に、ツヤ、手触り、ボリュームのどれをとっても最高の尻尾だ。自慢になるのももっともだと言えよう。
「手入れをしようと思っても自分では出来ないし、軽々しく他人に触らせたくもない。かといって、紫様にやらせるわけにもいかないし、橙は少し頼りない。君がいてくれて本当に助かっているよ」
「俺なんかに藍さまの大事な尻尾を預けてもらえて、逆に光栄ってなもんです」
「そ、そう。そうなんだ。君だから、この尻尾を預ける気になるというわけで……」
ん? ちょっとモジモジしないでください、藍さま。ブラシが掛けにくいですから。
無意識にやっているのか、そんな俺の思いとは逆に、藍さまは尻尾をワサワサと揺すっている。
まさか尻尾を鷲掴みにするわけにもいかないので、優しく尻尾の先だけを掴んでブラッシングを続けた。
「それに、九本もあるから手間も時間もかかるだろう? それを手入れして欲しいなんてワガママを聞いてくれて、感謝している」
感謝するのはこっちですよ。藍さまの尻尾を手入れさせてもらえるんですから。
名残惜しいと感じつつも、俺は最後の尻尾にブラシをかけ終えた。終了の合図に藍さまの肩を軽く叩く。
こっちを振り向いた藍さまに向かい、俺は言った。
「構いませんって。それに藍さまはもっとワガママ言わないと、ストレスでパンクしちゃいますよ? 俺でよければ聞きますから」
すると藍さまは一瞬驚いて、次に嬉しそうな、最後に照れ臭そうな顔をした。
「……参ったな。ワガママを言えなんて言われたのは初めてだ、嬉しいよ。だが、これ以上君に私のワガママを押し付けるのも心苦しい。
そこで」
コホンと一つ咳払いを入れる藍さま。どことなく顔が赤いのは気のせいだろうか?
「私も君のワガママを聞いてあげようと思う。それならお互い様だろ?」
「いやいや、それには及びませんって。藍さまの胃袋に穴を開けるわけにはいかないですから」
さっきは咳払い。今度は溜息をつく藍さま。
「……まったく、鈍いな君は。私は君と、ワガママを言い合えるような関係になりたいと、そう言っているんだ」
一方的ではなく、互いにワガママを言い合える関係。主従でも家族でもなく、友人ともわずかに違ったその関係。
ああ、そうか。気づいていなかったんじゃなくて俺が真っ先に切り捨てた、諦めていたその関係。それを指しているのか。
「じゃあ、言います。……これからも、俺だけに藍さまの尻尾の手入れをさせてください。他の誰にも渡したくありません」
「やれやれ、それじゃ今までとほとんど同じじゃないか。でも約束させてもらうよ、君以外には決して触れさせないと。
……それで、私からも新しいワガママを二つほど言わせて欲しい」
俺はコクリと頷いてみせる。柔らかく微笑んで、藍さまは言った。
「私に敬語を使うのはやめてくれ。それから私のことはこう呼んでくれ……藍、と」
「分かったよ、藍」
戸外からパラパラと音がする。窓の外を見れば、雲もないのに雨が降っていた。
藍の体を抱きしめつつ、俺は天の神の粋な計らいに感謝した。
最終更新:2011年02月26日 22:49