慧音10
新ろだ317
時はバレンタイン。
外界では企業戦略の賜物として広まっているイベントなのだが
いつのまにやら幻想郷にも浸透しきっていた。
おそらく原因は言うまでもなく、スキマの妖怪だったり、ブン屋の鴉だったり
最近幻想郷にやってきた者達の手によるものだろう。
「おうおう、お熱いこって……ケッ」
里に広がるラブラブいちゃいちゃなムードに辟易しながら、
俺は店の前で箒を履いていた。
営業スマイルを浮かべていたのも、ものの数時間だったわけで、
独り身にとっては今日という日の空気はとても痛いのだった。
「だーっ、止めだ止め。今日は店じまい!」
自棄糞気味に独り言をのたまうと、まだ昼日中だというにも関わらず、俺は自分の店を閉めた。
無駄に器用といわれた手先を生かして小間物屋を開いているわけだが、
どいつもこいつもやってくる客は皆カップルなのである。
あれが似合うよ、これはどうか、ちょっと派手すぎる、等々、
甘々な空間を延々と見せ付けられるのはある種の拷問に等しい。
「……はぁ」
表口に閉店の看板を立てかけたあたりで、盛大にため息をついた。
こんな俺にだって好きな人くらい、一応いるのだ。
ただ、まず振り向いてもらえる事は無いと諦めてはいるのだが。
通りで出会って、少し世間話をして、笑顔が見れればそれでいいのだ。
ただ、今日は少々顔をあわせ辛い。
隣に別の男がいるかもしれない、なんて考えただけで胃がしくしくする。
鬱屈とした思考を振り払うかのように首をぶんぶんと振る。
近頃よくつるむ様になった悪友の顔を思い出す。
あいつもどうせヒマをしているだろうから、独り身同士、酒でも飲むとしよう。
「よし!」
わけもなく気合を入れ、目的地へと向かって歩き始めた。
「で……出来た……!」
作り始めたのは夜明け前だが、既に日は天高く昇っている。
何度も失敗や作り直しを繰り返しながら、ついに完成の時を迎える事が出来た。
自分で言うのも何だけど、かなりいい出来だと思う。
彼もきっと喜んでくれるに違いない。
「先に、こっちを渡しにいくとするかな」
先に出来上がっていた別の小包。
同性に渡すのも少し変かな、と思わないでもないけれど
日頃から付き合いのお礼として渡すのも悪くはないはず。
ひとまず台所を片付けてから、向かうことにした。
「よう」
目的の人物をようやく見つけ、片手を上げながら近寄る。
ったく、毎度毎度わかりにくいんだよこの道。
「なんだ、アンタかい。ふふ、随分湿気たツラしてるじゃないか」
人の面を見るなり指差して笑うとは、随分な奴だ。
「うっせ……今日が何の日か考えりゃわかる事だろ」
「こんな所で暮らしてると、日付の感覚が薄れちゃってねぇ」
昼夜と四季くらいしか区別できないよ、とあっけらかんと言う。
呆れの臭いを交えたため息をついた。
「まあいいや……色々持ってきたんだ。付き合えよ」
提げていた袋を持ち上げ、妹紅に示す。
中身は酒と肴である。
「いいねぇ。真昼間から飲むのも悪かないね。
ま、こっちきて座んなよ」
ぽんぽん、と自分の横を叩いていたが、
俺は一つだけ頷くと、妹紅の正面に座り込んだ。
「なるほど、バレンタインねぇ」
酒の肴として色々話をする過程で、妹紅に今日が何の日かを話して聞かせた。
ラブラブカップルの忌々しさを丹念に交えながら。
「そういえば"こっち"にも入ってきてるんだっけね。
うん、思い出した思い出した」
炙ったするめを齧りながら、妹紅が頷く。
「そんな日にアンタはどうしてこんな所にいるんだい」
「そりゃ何たって独り身だしな。そして絶賛片思い中の俺は、
こうしてここに酒を飲みに来ている訳だ。主にウサ晴らしに」
杯を一気に傾け、透明な液体を再び注ぐ。
「あっはっは、そりゃ難儀なことだね……っと、そうだ」
ごそごそと荷袋を漁る妹紅。
何かを引っ掴むとこっちに投げて寄越した。
受け取ったのは小洒落た感じの――
「――なんだこりゃ。猪口?」
疑問符を妹紅へと向けると、腹を抱えて笑い始めるところだった。
「バレンタインのチョコが猪口でちょこっとってね。あっはっは!」
自分で言っておいてツボに入ったのか、げらげらと笑っている。
本来なら怒るべきとこなのだろうが、こいつ相手に怒る気にはあまりなれなかった。
「お前の場合は冗談なんだろうが……まあ、ありがとな」
貰った猪口をしばらく眺めてから、ポケットに突っ込む。
笑いすぎて苦しくなったのか、ひくひくと涙目で地面に寝転んでいる妹紅へと手を伸ばす。
「ほら、つかまれよ」
「ああ、ありがと」
二人して苦笑する。
後ろでぱき、と枝が折れる音がしたのはそんな時だった。
なんだ、そういうことか。
昨日まで悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
昼までかかって頑張っていた自分がとても惨めに思えた。
確かに妹紅と彼は普段から仲が良かったけど、
これほどとは思っていなかった。
後ろを向いて全力で走り出す。
手に持っていた包みを、驚いた拍子に落としてしまったが、
今となってはそんなもののことはどうでもよかった。
ただ一刻も早く、あの場から離れたかった。
一目惚れなんて、するんじゃなかった。
「今のは……慧音?」
どうして彼女がこんな所に?
呆気に取られて棒立ちしていると、妹紅が彼女が走り去った方へと歩いて行った。
地面に何かが落ちているのを見つけると拾い上げ、戻ってくる。
「どうやらこれが回答らしいね」
妹紅が手にしていたのは二つの、土に汚れた包み。
「こっちは私ので――」
片方を懐に入れると、もう片方をこっちに投げて寄越した。
「――そっちは多分アンタのだ。受け取りな」
危なげに受け取る。
「彼女が俺に? そんな馬鹿な」
「……この鈍チンが。いいから開けてみな」
妹紅の態度に押され、彼女に悪いと思いながら、封を解く。
中に入っていたのは、チョコレートと、短い手紙。
割れてしまっているが、確かにハート型をしていたチョコレート。
手紙の文面は、彼女らしく実にシンプルに、
俺への想いと、告白の文がしたためられていた。
(……両想い、だった……? いや、そんなまさか)
手紙を手にしたまま呆然としていると、背中に蹴りを入れられた。
いつのまにか後ろに回っていた妹紅が、いつになく優しげな瞳をしていた。
「行ってやんな」
そうだ、今はここで呆けている時じゃない。
「ああ……そうだな。ありがとな、妹紅」
彼女の贈り物を大事にしまいこむと、走り去った方へと向かって全力疾走を始めた。
「ちっくしょ……どこに行ったんだ」
途中までは足跡や枝の折れた形跡を辿って来れたのだが、
山から出てしまってからその跡すらも無くなってしまった。
こうなったら見つけるまで走り回ってやろう。
彼女には幾つか言うべきことがある。
そう決意を固めると、沈み始めた夕日へと向かって速度を上げた。
全力で走って疲れたので、その場へとへたり込んだ。
片想いで終わった事なんて幾らでもあったというのに
どうしてか慣れないものだ。
後から後から流れてくる涙をごしごしと乱雑に拭き取る。
立ち上がる気力ももはや出ず、そのまま地べたに座り込むことにした。
「ぜえ……ぜえ……」
慧音を探し始めてそろそろ一刻。
軽く一里四方は探し回った気がするが見あたらない。
だが俺の頭には諦めるなんて文字はハナっから無い。
すっかり上がってしまった息を無理矢理落ち着けると、
再び適当に見当をつけて走り始めた。
里から少し離れた河原近くまで来たところで、
見間違えようもない彼女の背中を見つけた。
「慧音っ」
自分では叫んだつもりなのだが、走り疲れた事もあってか、
若干掠れるような声になってしまった。
それでも彼女には届いたらしく、びくり、と背中が震えた。
のろのろと立ち上がり、再び俺から離れようとする慧音を
今度は後ろから抱きしめることで引き止める。
「やっ……離して!」
「断る」
もぞもぞと抵抗する力が消えたのを確認してから、正面に回る。
「何を勘違いしたのか知らないがな。俺とあいつはそんな仲じゃない」
懐から割れてしまったチョコレートを取り出す。
「あ……」
「これ、ありがとう。あとごめんな、割れちゃってたみたいだ。でも――」
結構なサイズだったのだが、それでも口にまとめて全部放り込む。
いつだったか甘いのがそんなに好きじゃないと言ったのを覚えていてくれたのか、
ほどよい苦味の利いた味が口の中に広がる。
「――うん、美味い」
「嘘は、やめて、くれ」
俯いたまま、搾り出すように放たれた言葉。
「惚れた相手が作ってくれたモノが、不味いなんてことはないだろう?」
そんな戯言を言わせないために、彼女の顎を手で持ち上げ、
「ほら」
口で塞ぐ事でそれを解決した。
「んっ……ぷぁ――」
口の中にまだ少々残っていたチョコレートを、彼女の口へと押し返す。
先程よりも甘みが増したような気のする液体が、二人の口内を満たした。
薄茶色になった唾液の糸を引きながら、彼女から離れる。
「な、美味いだろ?」
「あ、ああ……うん」
対する彼女は顔を真っ赤にし、縮こまってしまったように見えた。
なんだかそれがとても可愛らしく、思わず笑みが零れてしまう。
「なっ……何故笑う!」
「ああいや、ごめんごめん」
顔を真っ赤にしたまま不満そうな顔を浮かべる慧音。
「キスのほうが先になっちゃったけど」
バッと勢いよく頭を下げ、手を差し出す。
「どうか俺と付き合ってください!」
「……ぷっ」
しばらくの間を空け、今度は彼女が笑い出す。
「うん、こちらこそどうか付き合って欲しい」
差し出した手に静かに手が絡められたのを確認してから、顔を上げる。
目に涙を溜めながら微笑む彼女の顔は、とても素敵だった。
「喜んで」
新ろだ325
「で、この荷物は持っていく方なのか」
「ああ、それは持っていく方だな」
「よしきた……よっと」
大きめの木箱を気合を入れて持ち上げ、表へと運ぶ。
ちなみに運んでいる荷物は、慧音の私物や一部の家財道具。
(何も付き合い始めから同居まで踏み切らなくても……)
外に停めてあった荷車へと降ろし、ため息を一つ。
お互いに想いを伝え合った帰り。
「○○の家で暮らしたい」
という慧音の爆弾発言を、色々あったせいで疲れていた俺が
"ついうっかり"承諾してしまったのが事の始まりである。
お互い同じ里で暮らしているのだから、しばらくは泊まりか、
もしくは当分先の事だと考えていたのだが、どうにも彼女の頭の中では違ったらしく、
翌日俺の店までやってきて、引越しの話をされたのだった。
困惑こそしたものの、
「……やはり、だめか?」
などと好きな人に手を組んで上目遣いで見られた日には、
男として断るわけにもいくまい。
(ま、いいか。為せば成る、だ)
二階の窓から俺の姿を見ていたらしい慧音が声をかけてきた。
「重い荷物ばかり持たせてすまないな……疲れたか?」
先の溜息を見られていたのか。
彼女の方へ向き直り、まだまだ元気であることをアピール。
「小間物屋してるとはいえ、これでも男なんだ。
あれくらいならまだなんとかなる」
「はは、頼りにしてるよ」
「おう、まかせとけー」
少女&青年引越し中……
新ろだ375
前スレ>>992のさらに続き。
ホワイトデーネタで?
「ありがとうございました、○○さん」
商品を入れた包みを男に手渡しながらひやかす。
「おう。次に来るのは一年後か?」
「はは、よしてください。それじゃあ」
「ああ、お幸せに」
少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、彼は店を出て行った。
硝子戸越しに小さくなっていく背中を、見送る。
入ってきた時のガチガチの緊張は既になく、
その小さな包みを大事そうに握り締めているのが見えた。
その中身は――
「――婚約指輪、か」
依頼されたからには仕事はこなす。
仕上がりはいい方、だとは思う。彼も喜んでいてくれたようだし。
「しかしなー……」
がしがし、と頭を掻く。
まさか作る時に思い浮かべていた相手が、彼でもなく、話に聞いていた相手でもなく、
今同棲している人物の顔を思い浮かべながら作ったなどと、誰に言えようか。いや言えまい。言うまい。
――別のを作り直して渡せば良かったか。
そんな思考も一度は過ぎり、いくつか製作を試みたのだが、
結局期日までに作れたもので納得が行くのは、あの一品のみだった。
「黙ってりゃ分からない、か」
既に代金は受け取ってしまっている。
あの様子では渡すのは今日明日といったところだろう。
後は彼の奮闘を祈るのみか。
からんからん、と来客を告げるベルの音で我に返る。
「らっしゃい」
先程までの思考を横へと押しのけ、営業モードに入ることにした。
「……なんじゃこりゃあ」
時は過ぎて、閉店後の作業室。
俺は確か今日売れた分の品物を補充するべく、
いつものように製作に取り掛かっていたはずなのだが。
「落ち着こう。落ち着いて素数を数えよう」
いくら素数を数えた所で、目の前の現実が変わるわけはなく。
そこにあるのは紛う事無き、指輪だった。
ふと脇を見るといつの間にか出来上がっている補填分の品物。
頬をつねってみたが「痛ぅッ」――痛かった。
妖精さんが現れて作業を手伝ってくれたわけではないようだ。
再度作業台に視線を落とす。
指輪。うん、指輪だ。
装飾は控えめだが、そこそこ大きめにカットされた輝石が一粒埋め込まれている。
俗にいうエンゲージリングの形にとてもよく似ている。
注文された品物は既に今朝方渡したはずだが、
何故また俺はこんなものを作っているのだろう。
そんな思考がぐるぐると渦巻き始めた頃、作業室横の――玄関の――戸を開ける音が響いた。
別に隠す必要も無かったはずなのだが、その時の俺は、咄嗟に台から指輪を外し、
ポケットへと押し込んだ。
程なくして作業室の戸も開かれ、同居人が顔を覗かせる。
「なんだ、ここにいたのか。ただいま、○○」
「あ、ああ……おかえり、慧音。お仕事お疲れ様」
「○○も。それよりも帰ってきた時に大きな音がしたけど、どうかしたのか?」
「鑢を落としちまってな、それを拾ってただけさ。大した事じゃない」
ひらひらと手に脇に置いてあった鑢を手にとりアピールする。
「……そうか。椅子から落ちたりしたのかと思ってね」
やや残念そうな顔をする慧音。
しれっと毒を吐くのは付き合う以前からだったが、
同棲するようになってから悪化の一途を辿っている気がしてならない。
「ちょい待て。俺はどれだけドジなんだ」
「頭にかけた眼鏡の事を忘れるくらいにはドジだと思ってるよ」
「なっ……あれは寝ぼけていただけで!」
「ふふ、そうだといいな。それじゃあ私は晩御飯の支度をするよ。
○○も区切りがついたら二階においで」
「了解了解」
満足そうに一つ頷くと、彼女は階段をとんとんと上がっていった。
新ろだ405
相変わらずその部屋は暗かった。
カーテンはほぼ閉まっており、隙間から僅かに光が差し込むのみであった。
もう時間は昼を少し過ぎたくらいであろうか。にも関わらずこの部屋の主である○○は未だ寝ていた。
部屋の中に響くチャイムにさえも気付かず、起きる素振りさえも見せようとしなかった。
何度も鳴っていたチャイムがはたと途切れた。そして今度はドアを叩いて誰かが叫んでいた。
流石にこの喧騒で目が覚めたのか、寝ぼけ眼をこすりながら玄関へと向かっていった。
何度もあくびをこきながら、ドアに掛かっている鍵を外していく。
扉を開くとそこには長い髪、そして何よりも魅力的過ぎるほどの体付きをした女性が立っていた。
彼女の名前は上白沢慧音、いつも不思議に思われているのだが○○とは男女の関係だ。
予定が合えばだが、こうやって彼の部屋を訪れては洗濯したり料理を作ったりと世話を焼いている。
「やっと出てきたか、どうせ夜更かしでもしていたんだろう」
○○は少しばつの悪そうな顔になってしまった。どうやら図星だったらしい。
「全く、あれ程早寝早起きを心掛けろと言っているのにお前ときたら」
「あ、あぁ分かったから頼むから玄関先で説教は勘弁してくれ。するにしても中で頼む」
「言いつけを守らないお前が悪いんだろうが、まぁ良い」
そう言うと彼女は部屋の中へと入っていった。
「またこんな脂っこい物やら即席食品ばかりを食べているのか」
入るなりテーブルの上に置かれてあった空の容器を見て彼女がそう言い放った。
「良いだろ、手間要らずで俺みたいなのには必需品だぜ」
「私も忙しい時に食べたりもするが、お前は食べ過ぎだ。体を壊しかねん」
「何だ心配してくれてるのか」
「当たり前だ!私だって時間が無限にある訳じゃない。体を壊してでもみろ、一体誰が看病してくれるんだ?」
冗談で言ったつもりだったが予想外の反応が返って来た。
「それに…好きな人間が苦しんでいる姿なんていうのは見たくも無いんだ」
少し顔を赤らめながら慧音はそう呟いた。
「…心配させるのも悪いし、今度からは回数減らしてみようかな」
「本当はあまり食べないのが一番なんだがな、慣れていけば良いさ」
「ん、そういえば起きたばっかりだから何も食べてないんだ。何か作ってくれないか」
「分かった、何が良い?今ある材料だと作ってやれる物なんて知れてるが」
冷蔵庫の中を覗き使えそうな材料を出すと慧音はそう言った。
「何でも良い、慧音が作ってくれるんなら何だって食べるさ」
「なら生でも構わないな?」
「それはちょっと嫌かな…」
少し笑うと彼女はエプロンを付けて台所で調理を始めた。
あり合わせの材料で一体どんな物が出てくるのかは分からない。
だが彼女の思いが込められているのだきっと美味しいに決まっている。
そう思いながら完成を待つ○○であった。
新ろだ428
23スレ>>492の続き。
慧音の背中が踊り場を曲がり、消えたのを確認してから、小さく溜息をつく。
ポケットから取り出した、小さな指輪。
「どうっすかな、コレ……」
見つめるうちにぐるぐると思考が渦巻きだす。
次第に勢力を増した思考の渦は突如分裂を起こし、論争を開始した。
やれ渡せだの、早すぎるだのと、分裂した思考達はやんややんやと大騒ぎ。
シンプルにラ○フカードといきたいところだが、世の中はそんなに甘くない。
どうしたものかと悩んでいるうちに両者(?)の決着はついたようだ。
「……渡しちまうか」
既に現物は出来上がってしまっている。
ここで捨てる、或いは加工しなおすという選択肢を取ろうものなら、
世間の男性諸氏どころか女性からもヘタレの烙印を押されかねない。
「ええい、ままよ」
指輪を再びポケットに……の前に、商品用のケースから一つ適当なものを見繕い、それにしまいこむ。
まるで戦場に赴く兵士のように一つ頷き、俺は決戦場への階段をのぼり始めた。
食卓への扉を開けると、丁度慧音が食器を並べている所だった。
「お、来たのか。そろそろ呼びに行こうと思ってたんだ」
「つまりはナイスタイミングだったということだな」
「そういうことになるな。今、おかずを持ってくるよ」
そう言うとにっこりと笑い、彼女はぱたぱたと台所に戻っていった。
いつもの席に腰を下ろし、ふとある事に気付く。
(あれ、つまり俺は指輪を前に相当な時間固まっていたということか……?)
誰も見ている者がいなかったからよかったものの、傍からみればただの間抜けだ。
がっくりと項垂れる。 次からは気をつけよう、と心に誓いながら。
「ふぅ、食った食った。ごちそうさま」
「ごちそうさま。 ……美味しかったか?」
「決まってるだろ。不味かったらおかわりまでしないさ」
「そうか! 良かった」
胸を撫で下ろすように安堵の息を付く慧音。
新メニューが出る度の恒例行事となったらやり取りだが、
美味いのは本音なので何も隠すことはない。
このやり取りに何も言わないのはただ単に、
彼女のほっとするような顔が見たいがためである。
茶を一息に飲み干す。
ほどよい熱が口腔を通り抜け、萎えかけた決意を奮い立たせてくれた。
「慧音」
「うん? おかわりか」
す、と立ち上がろうとしたが、手で制す。
彼女も察してくれたようで、席に座りなおした。
「"あの日"から一ヶ月だな」
「あ、ああ……うん、そうだな」
あの時の事を思い出したのか、頬を染める慧音。
「今日という日はな、世間一般にはあの日のお礼を、
男がするべき日らしいんだ」
「ホワイトデーという奴だったか」
「ああ、そうだ。そこで俺もお返しを用意したんだ。ほれ」
ポケットから件の箱を取り出し、投げて寄越す。
甲斐性のある男連中ならばここで気の利いた台詞や行動の一つでも取れるのだろうが、
幸か不幸かついぞ先月まで"年齢=彼女いない暦"を打ち立てていた偏屈なのである。
どこからともなくヘタレ、と声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。
投げた先を見やるとキャッチし損ねたのか、両の手で箱をわたわたと持て余す慧音の姿があった。
取り立てて何も語らず、彼女が箱を開けるのを静かに見守る。
「これは――」
中身が何であるのか確認するや否や、驚きの表情に染まる慧音。
こっちに期待の視線を向けてくると同時、俺は首ごと顔を逸らした。
「……つい熱中して作業してたら、余計なものまで作っちまってな」
反射的にバレバレの嘘をついてしまった。
呆れられるかと思っていたのだが――
「くく、あははは」
――返ってきたのは笑い声。
赤くなっていると自覚している頬を見せるわけにもいかず、そっぽを向いたまま尋ねる。
「っ、何が可笑しい」
ツボにでも入ったのか、一頻り笑い声が響いた後にようやく返事が返ってきた。
「ふふ、そうだな、余計に作られてしまったのなら仕方ないな。
この際だからサイズがピッタリなのも聞かないでおくよ」
不意に視界に彼女の両腕が飛び込んできたかと思うと、後ろから抱きすくめられた。
白く細い腕の先――左手の薬指には、薄く光を弾く指輪が見えた。
新ろだ595
通りにいる人が家に戻ろうとする夕暮れ刻。
里の寺子屋からも生徒はいなくなり昼間の活気が嘘のようである。
そんな寺子屋を背景に二人の男女が見つめ合っていた。
一人は銀の長髪に変な帽子を乗せた女性。もう一人は奇妙な服装をした男性だ。
「慧音…」
名前を読んだきり何も行動を起こさずにいた男であったが
意を決したかの様に女性の顔に手を伸ばすとそのまま顔も近づけて行き…。
「待ってくれ!まだ心の準備と言うものがだな!?」
布団から飛び起き、開口一番彼女が叫んだのはそんな言葉だった。
「……んん?」
寝ぼけ眼で辺りを見渡すと夕暮れに染まる光景も男性もおらず、ただ無機質な壁がそこに広がるだけであった。
「まさか夢か…?にしても夢とは言えあんな光景を見てしまうとはな」
「それにしてもあの夢の中の男は一体誰なんだ…ううむ」
布団から体を起こした状態であれこれ考えていた慧音であったが、朝の支度を済ませる為寝室を後にした。
「ご馳走様でした」
朝食を済ませた彼女は目の前の箸置きに箸を乗せた。
食事中もやはり夢の事が気がかりで余り食が進まなかったようで茶碗の中にはまだ少しばかり飯が残っていた。
流し場で食器を片付け終えると、部屋にかけてある時計に目を向けた。ちなみにこの壁時計、河童が里で配っていたものである。
「もうこんな時間なのか!ええい急がねば!」
時計の針は既に辰の刻を指していた。寺子屋を開け授業の準備をしてどうにか間に合う時間だ。
鞄に資料を詰め込むと彼女は慌しく家を出て行った。
「せんせーきょうもありがとうございました!」
「けいねせんせいさようならー」
「お前達も帰り道には気をつけるんだぞ!」
太陽も傾き始めた夕暮れ時、授業も全て終わり慧音は子供達の見送りをしに表へと出ていた。
道の向こうへと子供達の姿が消えていくまで見守っていた彼女であったが、やがて姿が見えなくなるのが分かると大きく背伸びした。
「んんーッ今日も一日良く頑張ったなぁ」
「よぉ慧音、今授業終わったところかい?」
寺子屋の前の道を通りかかった男が彼女に声をかけて来た。
「うん?○○か。お前も今帰る途中なのか…んん?」
○○と呼ばれた男の服装が慧音の目に止まった。夢の中に出てきたあの男の服装に良く似ているではないか。
「そ、その服どうしたんだ?見かけない服装だが」
「ああこれ?何でも外の世界の服なんだってさ。珍しいから買ったんだけど着心地良いよこれ。」
「そ、そうか、それは何よりだな。」
(夢の中の男が○○…?まさかそんな事はある訳ないだろう。いやしかし…)
(仮に○○だとしたら…あの夢が正夢だとしたら…)
「慧音どうかしたの?さっきから考え事してるようだけども」
気付けば彼が心配そうに彼女の顔を覗き込んでいた。
「あ、ああいや何でも無い。今日の夕飯を考えていただけだぞ。
そうだ、まだ夕飯の買い物を済ませてなかったな…店が閉まっては困るし、私はこれで…」
「ちょ、ちょっと待ってよ慧音」
そう言うと○○は彼女の服の袖を引っ張ると自分の前に立たせた。
「な、な、何をする!」
「すぐ終わるからじっとしててくれ」
そう言うと○○は慧音の顔に手を伸ばしていき、頬の辺りで止めた。
じっと彼女の顔を見つめていた○○であったが意を決したように顔を近づけていった。
(も、も、もしかしてこのまま…いやでも○○となら…)
「慧音…」
「や、優しくしてくれ…頼む」
そう言うと彼女は目を閉じてその時を待った。
「これで良しと…」
「…?終わったのか?」
彼女の唇には期待していたような感触はあらず、特に何かされた様子は無かった。
何が起こったのか目を閉じていた彼女にはさっぱり、といった具合だ。
「ほらこれ、髪の毛に大きいゴミ付いてたよ。気付いて無さそうだったからさ」
「……ゴミ?」
目を開けた彼女の前には確かに大きなゴミが彼の手の中にあった。
「…ならこの為に私を呼び止めたのか?」
「これだけ大きかったら歩いてる最中に笑われてしまうよ
慧音とかそういう柄じゃないから尚更だと思ったからね」
「そうかそうか。ゴミを取ろうとしたからか…」
「どうしたの?何か怒ってるみたいだけども」
「いや怒ってない。うん怒ってない無いぞ。」
それじゃ、私は買い物をしにいかねばならんからな。」
そういうと彼女は早歩きで里へと歩いていった。
「ちょ、ちょっと!やっぱり怒ってるんじゃないか!俺何か悪い事したか!?」
「知らん!」
慧音の後ろを追うように彼もまた走っていった。
その後しばらくは慧音の機嫌を取ろうとする○○とそれを突っぱねる彼女の姿が見られたという。
終わり
新ろだ721
「で、○○」
「……はい」
「此度の件に関して、何か申し開きは?」
「何もございません。押し倒して悪うございました上白沢慧音様」
平身低頭、全力の土下座。
「いくら砂糖異変に中てられたとはいえ……。
私だったから良かったものの、そこらの村娘にでもやってみろ。
娘の父親達に殺されても文句は言えないんだぞ?」
「すみませんでしたーッ!」
さらに額を地面へ。
「まったく……」
「……でも」
「何だ、言い訳か」
「その、俺が押し倒したのは相手が慧音だったからで……」
「なっ――」
「……その、他の村娘には全く以ってぴくりとも、
食指が動かなかったといいますか……あれ、慧音?」
「――」
僅かに頭を上げ――
「顔、赤いけど。大丈――「おおおおおお前はなあ!」」
「ハイ!」
――再び地面へ。
「……そういう事は、もっと雰囲気を考えて……ごにょごにょ」
「ねえ、慧音」
この際だからついでに言ってしまおう。
「っ!な、何だ、まだ続きがあるのか?」
日頃の、想いとやらを。
「ううん。大好き」
「ッ!―――」
後日。
「今回はベビーブームか……」
「まったく、飽きない連中だな」
「まったくだね」
並んで、お茶を啜る。
「……○○は子供は、好きか?」
「寺子屋で教鞭を取っている手前、勿論好き――
ああ、性的な意味でじゃないぞ?――かな」
「なら……その」
頬を赤らめる慧音。ちょっと可愛い。
「ああでも、ちょっと待った」
「何故だ、ひょっとして他に女がいるのか!?」
そこまで思考が飛躍するとは予想外。
「だーかーらー……」
すっ、と差し出す、指輪。
「こういうのは、順序よくね?」
「……キスより先に押し倒したお前からその言葉を聞けるとはな」
「はは、それは耳が痛い。で、駄目かな?」
「お前のような駄目な男、私以外に貰い手などいなかろう?」
指輪は風のように俺の手を抜け、彼女の手のひらへ。
「一生涯面倒見てやるからな。覚悟しておくことだ」
「うわーい」
以前のような初々しさはどこへやら、といった風合いの
熱々カップルの姿がそこにあったんだとさ。
新ろだ918
「……それは冗談で言っているのか?」
先程まで一定のペースで動かしていた筆を止め、彼女は問う。
こちらを見つめる視線は、穏やかとも怒りとも取れる様を呈し、
問いかけを返された当の俺はというと、彼女の真意を推し量るべく
容量の少ない頭を働かさせていた。
「……難しい顔をしているな。
そんな顔をしているあたり、恐らくは本気なのだろうが――」
つ、と視線を書きかけの書類に落とし、彼女は作業再開の道を歩む。
「――そうだな、うん。私も"愛している"よ。○○」
こちらにもそうだと判る程度に含みを持たせ、
ついぞ先刻投げかけたはずの文言が帰ってきた。
その含みの中身が何であるのか考えようとしたが、
僅かに頬を緩める彼女の姿が視界に入り、
今の俺にはそれが答えのようにも見えた。
その姿に満足し、首肯する。
「そうか」
ふと、満足したところで頭に新たな疑問が浮かんだ。
真面目な彼女には申し訳ないが、もう少しこのやり取りに付き合って貰おう。
「時に慧音。もし"冗談"だったなら、どうしていた?」
問いかけた刹那、愚鈍な俺でもわかる程度に彼女の動きが止まったように見えた。
「――しまった、後でこれは書き直しだな。
うん。もし冗談だったらか……冗談だったなら、そうだな……」
細く愛らしい、白魚のようなと比喩するに相応しい指が彼女の頬に添えられる。
暫し黙考した後、一つ頷くと彼女は静かに口を開いた。
「もし君があんな言葉を冗談で言ったのなら、例えば」
「うん」
「君の毎日の食卓から、暫く一品ばかりおかずが消えたり」
「……」
「見知らぬ女と話しているところを見る度に、君のお小遣いが減っていったり」
「……おい」
「君が書斎の引き出し――上から三段目だったか?――に、
大事にしまってある君の"とっておき"がいつの間にか無くなっていたり」
「……頼む、もうやめてくれ」
「ああ、枚挙に暇がないな。
とにかく色々起きるということだよ。"色々"とな」
くすくす、と実に楽しそうに笑う。
「まったく、いつの間に……」
アレの場所まで知られているようでは、一体どこまでバレているのか。
そこまで考えてから彼女の本質を思い出し、ため息をつく。
隠し事をしているなどという"歴史"は彼女には通用しなさそうだ。
「……あらかじめ断っておくが、
私は君の歴史を紐解いたりなどはしていないぞ」
「何故判った……さてはお前、悟りにでも転職したのか」
「そうそう辞めるつもりはないよ。これでも誇りがあるのでね。
自身の能力に頼らずとも君の事くらいならわかっているつもりだ。
どれだけ一緒にいると思っているんだ?全く……」
やれやれ、とため息を一つつき、こちらに筆先を差し向け、
「ああそれと。先に挙げたあれらはあくまでも例え話だ」
そうであって欲しいと切に願う。
マイノリティでもない限りあれらの仕打ちは厳しいものを感じだろう。
「そもそも冗談だったなら、こうして今ここにいないだろう?」
「……それもそうだな」
「そういうことだ。さ、お喋りはこのくらいにしようか」
「ああ。やる事やってさっさと帰ろう」
やるべき事は後に残しても面倒事しか起こさない。
伝えたい事もすぐに伝えないと、後悔しか残らない。
「なあ、慧音」
「なんだ」
「愛してるよ」
「うん。私も愛してるよ」
最終更新:2010年08月06日 21:31