慧音11
幸せは、小さな箱の中(新ろだ983)
幸せは、小さな箱の中
「○○、ちょっと来なさい」
「なんでしょうか。慧音先生」
ちょいちょいと、半獣教師が人間の見習い教師を手招く。
「まあそこに座れ」
「?はい、分かりました」
言われたとおり、○○は慧音の前に座る。
「まあそう畏まらなくていい」
「畏まったつまりはないのですが?」
「そ、そうか、ならいい」
「それで用は何でしょう?」
「う、うむ」
どうも歯切れが悪い。○○は、慧音を不思議そうに見つめた。
「な、なんだ○○?」
「何だ、と言われましても・・・・・・」
「あ、ああすまない。それで用件と言うのなんだがな・・・・・・」
慧音は、チラチラと○○を数回みた後、意を決したように口を開く。
「昨日、人里の方に行ったそうだな」
「え?ああ、行きましたが」
「その時、その・・・・・・一緒に村の娘と居たと聞いたんだが」
「へ?」
「まるで、逢い引きの様だったらしいじゃないか!」
「ちょ、まってください!」
「娘の方も嬉しそうだったらしいじゃないかあ!!」
「ほぎゃーっ!?先生落ち着いて!!角、角出てる!!」
髪の毛と服の色が変わり始め、頭部より半獣の証、二本の角が生え始めた。
「ハッ!?」
○○に言われ、自分の状態に気付く。
「す、すまん。取り乱してしまった・・・・・・」
「あ、いや大丈夫です(掘られる的な意味)」
「う、うむ」
恥ずかしそうに下を向く慧音。○○は、何時もと様子の違う慧音に疑問を感じると同時に、慧音が一体誰から自分の事を聞いたのか気になった。
「先生、確かに自分は昨日人里の方へ行きましたが、誰に聞いたのですか?」
「へ?あ、ああいや、その・・・・・・」
「妹紅さんですか?」
「も、妹紅は違うぞ」
「では一体・・・・・・」
誰かと聞こうとして、○○はハッとした。
「もしかして・・・・・・実は見てました?」
「うッ!!」
ギクリ、と体を振るわせる慧音。
「・・・・・・見たんですね?」
「い、いや私は見てなどは・・・・・・」
「見・て、いらしたのですね?」
「はい、見てました!!」
この瞬間のみ、二人の順位は入れ替わった。
「なるほど、見ていましたか」
「あ・・・・・・」
「まあ、隠すつもりではなかったので仕方ありませんが」
「○○、その・・・・・」
「・・・・・・」
「あ」
慧音が○○に、何か言おうと手を伸ばすが、その前に○○はおもむろに立ち上がり、部屋を出ていった。
「・・・・・・」
呆然。
口を半開け状態で、○○の出ていった襖を見る慧音。
「ああぁ・・・・・・」
そして一気に、彼女の頭の中で様々な感情が渦巻く。
悲しみなのか、絶望なのか、怒りなのか、恐れなのか・・・・・・はたまた、それ以外の何か。それらが全部、押し寄せては混ざり込み、より不快なものとなった。
「う・・・うぅ・・・」
○○を失望させてしまった。いや、この場合は私が軽蔑されたに違いない、と慧音は思った。
そう思うと、瞳に涙が浮かんできた。
「そうだったな、○○にだってプライバシーはある。勝手に里で見かけて、後を付けた私なんか・・・・・・うぅ」
嫉妬する権利だってない。慧音は地下に住まうという、嫉妬の固まりに会いに行って、嫉妬の仕方でも習おうかと思い始める。
・・・・・・割と参ってしまったようだ。
フラフラと立ち上がり、もはや理性が半分も機能していない彼女は、地下へゆこうとする。
「あれ、先生何処へ行くのですか?」
ちょうどそこへ、○○が戻ってきた。
「何処へ、か・・・・・・ふふ、少し地下へ赴こうかと思ってな・・・・・・私なんて、薄暗い地下がお似合いさ・・・・・・」
「はあ・・・・・・じゃあその前に、先生に渡したい物があるのですが、それを受け取ってからで良いですか?」
「渡したい物?」
○○は、手に持っている小包を慧音に差し出した。
「これは・・・・・?」
「いやあ、本当なら驚かしたかったんですけどね。まあ、ばれちゃしょうがないです。さあ、どうぞ」
何も分からず、慧音は差し出される小包を受け取った。
「さ、開けてください」
「う、うん」
言われるがままに、綺麗にラッピングされた小包を、これまた綺麗に開ける。
そして、中には小さな箱。さらに、その中には・・・・・・。
「ネックレス・・・・・・」
「ええ、それなりに良いものです」
その輝きに目を奪われる。青と翠色の宝石がちりばめられたそれは、大変美しい物だった。
「良い色でしょう?先生に似合うと思って」
「あ、ああ、ありがとう・・・・・・。けど、どうして?」
「記念ですよ」
「記念?」
はて、今日は何か記念日であったか?慧音は持ち直しつつある頭で考えるも、特に何も思い浮かばない。
「いったい何の記念だ?今日は別に私の誕生日でもないぞ」
「はは、まあ忘れても仕方がないか・・・・・・、今日は僕が幻想郷に来て、ちょうど一年目です」
「・・・・・・あ」
そう言えばそうであったと、今思い出す。
「け、けど何故私に?」
「一年前、ここに迷い込み、
ルーミアに喰われかけた僕を助けてくれたのは、他ならぬ先生です。あの時は、お礼を言うだけでしかできませんでしたが、やはり、きちんとお礼をしたかったんです」
そこまで言うと○○は、恥ずかしそうに笑う。
「まあ、僕は女性のアクセサリーには詳しくないので、人里の知り合いの方に色々と教えていただきました」
「え?そ、それじゃあ人里で一緒だった娘は・・・・・・」
「ええ、知り合いの方です。親切に、色々と教えてくれました」
「は、ははは・・・・・・何だ、只の知り合いか・・・・・・はは」
勝手に勘違いして、勝手に嫉妬して、勝手に落ち込んで、されど○○マイペース。慧音、完全に一人相撲状態であった。
「・・・・・・私は、道化だな」
「え?」
「あ、いや何でもない」
もう完全に待ち治した慧音。
「まあ、あれだ・・・・・・こんな気を使わんでもいいのだぞ?」
「まあ良いじゃないですか」
「・・・・・・つけて、いいか?」
「はい、もちろんです」
ネックレスを手に取る。普段、こんなにお洒落な物何てつけない為、若干不慣れな手つきて首にかける。
「ど、どうだ?」
「大変似合っています。選んだ甲斐がありました」
「そうか・・・・・・ありがとう」
嬉恥ずかしそうにはにかむ慧音。嬉そうに笑う○○。
「・・・・・・ありがとう、○○。一生大切にする」
「はい・・・・・・あの」
「ん?」
ふと、○○が先程より声を小さめに話しかける。
「何だ?」
「そのですね・・・・・・」
「何だ○○、突然畏まり初めて」
よく見れば、○○の顔はほのかに赤みを増していた。チラチラと、床を見たり、天井を見たり、そして慧音を見たり。
それを五度ほど繰り返すと、○○は意を決したように顔を上げる。
「じ、実は、もう一つ、受け取って欲しい物があるんです」
「うん?これの他にか」
「はい!」
○○は、緊張した面持ちで、自分の服のポケットから、先程の小包より小さな箱を取り出した。
「それは?」
「・・・・・・本当は、こっちが本命なんです」
「へ?」
ゆっくりと、○○は慧音に近づく。
「ちょ、○○?」
「行き成り、こんなこと言って良いものか、すごく悩みました」
二人の間は、人一人分もなくなった。
自分の呼吸が速くなるのが分かり、○○の呼吸まで聞こえる。
まるで漫画の様に、ドキドキと胸が高鳴る。
「あ、う・・・・・・」
「けど、やっぱり言います。先生、素直なお返事を・・・・・・お聞かせください」
慧音は、再び混乱状態に陥っていた。
一つ違うのは、きっとこの後、自分にとって素晴らしい言葉が聞けると分かってしまったからだ。
「先生、どうか僕と!!」
○○は、手に持った小さな箱の蓋を開いた。
その小さな箱の中には・・・・・・。
新ろだ2-338
「身体の調子はどうだ?」
「大丈夫だ。心配無い」
慧音は大きくなった下腹部を擦りながら微笑んだ。
「永琳の言っていた予定日がもうすぐだからな……」
「そうか。いよいよかぁ」
もうすぐ自分が父親になると思うと、なんだか感慨深いものがある。
期待と同時に、本当に自分に務まるのかという不安もある。
「その、良かったのか……?」
「何が?」
「今月の旅行の事だよ」
「ん、ああ……」
今年も、紫さん主催の神無月外界旅行が今年も開催された。
参加者の大半は恋人同伴らしく、外界旅行ついでに里帰りして、家族に相方を紹介する予定の連中が多いようだった。
前回以上に参加者が集まり、中々に盛況のようだ。
そんなわけで、大勢の人妖が幻想郷を留守にしている。
トラブルメーカーの大半が不在のせいか、幻想郷はいつになく静かだ。
去年は不参加だった俺と慧音も、今年は参加する予定ではあったのだが、まあ、その、御覧の通りと言うわけだ。
当たらなければどうという事は無い! とばかりに「そこまでよ!!」だった俺に多大な責任があるのは言うまでもない。
「お前だけでも、里帰りしてよかったんだぞ?」
「あのなぁ、身重な女房置いて一人でフラフラ旅行に行けるわけないだろ」
「しかし、お前の顔を見れば、ご両親が安心するんじゃないのか?」
「いや、どうかな……」
むしろ、今までどこに行方をくらまして居やがったこの親不孝者と怒鳴り散らされそうな気がする。
まあ、紫さんに頼んで、手紙を届けてもらったから大丈夫だろう。
ちなみに、その手紙と言うのは、射命丸に撮ってもらった、俺と慧音の写真を使って作った絵葉書だ。
取り敢えず、俺が生きていることを知らせる事が出来れば、それで十分だろう。
「まあ、あれだ。来年があったら、孫の顔を見せに帰ればいいさ。その方が親孝行にもなる」
「そうか……」
「いちおう、紫さんに手紙を届けてくれるようにお願いしているわけだし」
「うん……」
「それじゃ、そろそろ寺小屋に行ってくるよ」
寺小屋の運営は俺と慧音の二人で切り盛りしているが、臨月を迎える慧音が教壇に立つわけにはいかず、ここ最近は、俺が一人で生徒達の面倒を見ている。
本当は慧音にずっと付いていてやりたい所なんだが、生徒達を優先してくれと言う慧音自身の願いのためだ。
里の人間に頼んで、慧音の身の回りの世話をしてもらってはいるが、それでも心配ではある。
「済まないな」
「気にすんな」
俺は心配ないとばかりに、慧音と啄むようなキスを交わした。
「んっ……」
俺が離れようとすると、慧音が俺の背に手をまわした。
「もっと……」
「教師の俺が遅刻なんてしたら、生徒に示しが付かないだろ」
「……」
「わかった、わかった」
「んっ……」
もう一度、俺たちは唇を重ねた。
お互いの舌を食むような、少し濃厚なやつだ。
「……朝っぱらからイチャついているところ悪いのだけれど」
ここに居るはずのない女性の声に、俺たちは驚いて声の方に顔を向けた。
そこには、隙間から身を乗り出し、胡散臭い笑みでこちらを見つめている金髪美女の姿があった。
「紫!?」
「ゆ、紫さん。旅行に行ってるんじゃ……?」
「隙間郵便サービスよ」
そう言いながら、手に持った封筒らしきものをヒラヒラと振って見せた。
「貴方のご両親からの返事を持って来たわ」
「え、俺の?」
手渡された封筒を開けると、中から2枚の便箋が出てきた。
慧音と二人で内容に目を通し、思わず苦笑してしまう。
親父とお袋が1枚ずつ書いたらしく、親父の書いた便箋には、大きく一言「でかした!」とだけ書いてあった。
一方、お袋の書いたものは、俺の身体の心配をするいかにも母親らしい内容から始まり、俺が綺麗な嫁さんを貰い、
もうすぐ孫が出来るという事を喜び、来年は必ず3人で帰って来なさい、といった趣旨の文章で締められていた。
「良いご両親だな。私も早く会ってみたい」
「ははは……まあ、あんまり期待しないでくれ」
微笑みながらこちらの様子を眺めていた紫さんに向き直った。
「紫さん、ありがとう」
「いえいえ。大したことではありませんわ」
紫さんは、口元を扇子で隠し、愉快そうに目を細めた。
さて、いい加減寺小屋に行かないと、本気で遅刻しちまうな。
「それじゃ、今度こそ行ってくるよ、慧音……慧音?」
慧音の様子がおかしい。
額に玉のような汗が浮かび、顔面が蒼白になっている。
「き、来た……」
「え?」
「き、来た……う、うあ、なん、なんだ、これは……う、あ、痛、痛たたたたたたた……!!」
「あら。もしかして、始まっちゃったのかしら」
は、始まった……?
そ、それって、まさか……
「どどどど、どうしよう!? どうすれば……!!」
予定日までは、まだ日があったはずなのに……!!
「落ち着きなさい。亭主の貴方がそんなことでどうするの?」
「そ、そそ、そんな事言われたって!!」
「まったく、役に立たないわねえ。薬師を呼んでくるから、ハクタクの傍に居てあげなさい」
そう言い残し、紫さんは隙間の中に姿を消した。
再び隙間が開き、八意先生と助手の鈴仙が来るまで、ほんの数分程度だったが、正直気が気でなかった。
俺に出来るのは、必死に陣痛に耐える慧音の手を、しっかりと握りしめてやる事だけだった。
こういう時、男ってやつはつくづく何の役にも立たない。
紫さんに連れられて隙間から現れた八意先生と鈴仙は、慧音とパニックになっている俺を見て瞬時に状況を理解したようだ。
俺に湯を沸かすように指示を出し、俺は言われたとおりお湯を沸かした。
その後は、部屋から叩きだされ、隣室でただひたすらオロオロとしていた。
「落ち着きなさいってば」
「だ、だだだ、だって……」
呆れ顔の紫さんに、俺は泣きそうな顔で言った。
俺が慌てふためいてどうなるものでも無いと分かってはいるが、落ち着けと言われても無理がある。
今こうしている間にも、隣室からは八意先生や鈴仙の声に交じって、慧音の苦しそうな息遣いが聞こえて来ているのだ。
「薬師も兎も、外で彼氏と宜しくやっているところだったというのに、嫌な顔一つせずに来てくれたのだから大したものだわ」
「う、うん……」
「貴方、暫くあの二人に頭が上がらないわよ?」
「あ、ああ……」
紫さんが何か言っていたが、慧音の事で頭がいっぱいで殆ど上の空だった。
どのくらいの間、そんな落ち着かない時間を過ごしただろうか。
唐突に、隣室から元気な鳴き声が聞こえてきた。
弾かれたように立ち上がる俺の手を、紫さんが落ち着けとばかりに引いた。
やがて、鳴き声が止み襖が開いた。
そこには、やや疲れた面持ちの、八意先生の姿があった。
「少し難産だったけど、無事に生まれたわ。女の子よ。母子ともに何の問題も無いわ。おめでとう」
情けない話だが、先生のその言葉に俺は、安堵のあまり腰が抜けたようにへたり込んでしまった。
「慧音……良く頑張ったな」
「ありがとう……」
毛布でくるまれた赤ん坊を愛おしそうに撫でながら、慧音は微笑んだ。
八意先生と鈴仙は隣室に移り、今ここに居るのは、俺達親子3人だけだ。
慧音は少しやつれてはいたが、今までで一番綺麗だと思った。
以前どこかで、女性は子供を産んだ時がもっとも美しいと聞いた事があるが、まったくその通りだと思う。
「抱いてみてくれ」
「だ、大丈夫かな……」
俺は恐る恐る、赤ん坊を抱き上げた。
こうして、産まれたばかりの小さな命を抱きかかえていると、自分が父親になった事を改めて実感出来て胸が熱くなった。
親父も、俺が産まれたときはこんな心境だったのだろうか。
「ふふ……これで、ご両親への親孝行が出来たな?」
「そうだな。紫さんに手紙を頼んでおこう」
腕の中の赤ん坊を見つめながら、俺は慧音の言葉に頷いた。
――その頃の寺小屋
「先生遅いなー」
「慧音先生といちゃついてるんだぜ、きっとー」
「昨日もそれで遅刻したもんなー」
「今日はきっと、口では言えないすごい事やってるんだー」
「えー、妊娠してる慧音先生とー? 鬼畜ー」
「変態だー」
……二人が寺小屋をほったらかしだった事に気づくのは、もう少し先の事だった。
Megalith 2010/12/31
幻想郷入りしてから確か三回目の冬を迎える。
人里はすっかり白銀の世界に変わり、どの家も新年を迎える準備に勤しんでいた。
ある者はお節料理の買出しに、ある者は餅米を炊いてもう搗いているころだろうか。
クリスマスの概念が無い幻想郷冬の一大イベントだ、皆張り切っているに違いない。
俺はというと、ご近所の粋な計らいで少しばかり食料と薪を分けてもらい、なんとか冬を越す準備は万全といったところだ。
「……三年、三年だよな」
なんだかもっと前からこの世界で住んでいたように思える。
幻想郷に来てから、時間の経過が妙に遅く感じていた。一日も一月も一年も。
それはひとえに自然と共に生きているからだとある人に教えられた。
春田畑を耕し種を蒔き、夏猛暑の中水をやり、秋豊作に心を躍らせ、冬土地と体を休める。
現代で暮らしていた俺は、時間というものに忙殺されていたような気がする。
あの頃は一年という単位が一瞬で過ぎ去るように思えて、半ば虚しさがこみ上げていた。
慣れない畑仕事は確かに苦労するが、俺にはこっちの暮らしが性に合っているのかもしれない。
「……慧音さんはどうするのかな」
白菜のキムチ漬けを作っている壷の手が止まる。
上白沢慧音。俺が人生で初めて、愛おしいと心から思った女性だ。
月光のように蒼みがかった白銀の長い髪。たおやかな細腕。成熟した肢体。
一目惚れと言うものだろう。恥ずかしながら、今日まで彼女を思わなかった日はない。
里を歩けば彼女の姿を探す自分がいる。家にいれば彼女の動向が気になる自分がいる。
この三年間、恐らく思考の四割は彼女のことで埋まってしまうだろう。
愚かであると自分でも思う。そうなってしまうほど、俺は彼女に恋焦がれているのだ。
「慧音さん……」
わかっている。俺と彼女が結ばれてはいけない仲なんだってことぐらい。
彼女は半分が人間、もう半分が妖怪という少し特殊な方だ。
外見は俺と大差ないが、実年齢は俺の数十倍は先を行っているだろう。
人間と妖怪。まったく異なる種族が合い結ばれることはとてつもなく稀なこと。
彼女のご両親は、俺の想像を遥かに凌駕する覚悟で愛し合い彼女を授けたのだと思う。
同種から忌み嫌われても相手を想い尽くし、愛したご両親にただただ尊敬するしかない。
俺にその覚悟があるのか、そこまで彼女を愛しているのか。
そう自分に問いかけても、まだ返事は返ってこないでいた。
外の雪は大分強さを増しているようだ。どうやら今夜は吹雪らしい。
壷の白菜をかき混ぜていると、轟々と鳴る風の中に小さく足音が聞こえてきた。
それは段々俺の家に向かってきているらしい。
――ック サク サク ザク ザク ザク ザグ ザッ……トントン トントントン
足音は家の前で止まり、代わりに戸を叩く音が聞こえてきた。
こんな夜更け、しかも吹雪の中一体誰だろうと疑問に思いながら俺は戸を開いた。
「よかった、明かりが灯っていたからもしやと思ったら」
そこには髪や服に雪を纏った思い人、上白沢慧音の姿があった。
あまりに突然の出来事に少しの間思考が追いつかなかった。
「慧音さん、こんな夜分遅くにどうしたんですか?」
「いや寺子屋に残って仕事をしていてな。今夜は降らないだろうと高をくくっていたらこの有様だ
……もしかして、迷惑だったか? それなら私は」
「い、いやいやいや! 迷惑なんか、そんな。どうぞ中へ入ってください。風邪ひきますから」
昂ぶった心臓を抑えつつ、彼女をけして小奇麗とは言いにくい家の中へ案内した。
こうなることが解っていたのなら、少しぐらい片付けていたはずなのに。
彼女は軽く雪を払うと、玄関で靴を脱ぎそのまま囲炉裏へと手をかざす。
よく見ると彼女の指先は赤みがかって震えていた。
結構な時間寒風に晒されていたのだろう。
俺は薪をくべ火の勢いを強くする。彼女の申し訳なさそうな横顔が火の光で映し出された。
「それにしても○○、その右手どうしたんだ? やけに真っ赤なんだが」
「え? あ、忘れてた。さっきまでキムチを漬けていましたからそれでしょう」
「きむ……ち? 漬けていたというのは、それは漬物なのか?」
「えぇ。俺が住んでいた世界の漬物で白菜を赤唐辛子で漬けるんです。ちょっと待っててください」
俺はすぐに冷水で右腕を洗うと、かき混ぜていた壷を彼女の前に置く。
壷の中から発せられる独特の臭いに一瞬だが慧音さんの表情が歪んだ。
赤唐辛子に加えニンニク、生姜、ネギなどの香りが強い食材が入っているから無理も無い。
初めてキムチを見る人にとっては、まずこの臭い克服が鍵となるだろう。
「○○……これは食べ物なのか?」
「酒のつまみや料理にも使いますし、そのままでも食べられます。どうぞ一口」
俺は来客用の箸を彼女に渡した。戸惑いを隠せない慧音さん。
確かに初見にしてはインパクト強すぎるよね、キムチって。
それでも俺は、彼女にこの食べ物のおいしさを教えてやりたかった。
何回か深呼吸した後、彼女は恐る恐るキムチに箸をつける。
白菜の白い部分を掴むと、躊躇しながらもそれを口に運んだ。
シャキシャキと歯応えを感じながら、俺は彼女の一言を待った。
「これは……うん、美味しい」
「お口に合ってよかったです」
「辛いには辛いが、後から酸味や旨味が複雑に押し寄せてくる。美味しい!」
綻んだ彼女の笑顔、それにつられて俺も微笑みを返す。
慧音さんの笑顔を見るだけでこんなにも幸福な気持ちになれる。
彼女が笑ってくれるだけでこんなにも世界が違ってみえる。
彼女の全てが、俺の世界を照らし出した。華やかでとても美しい世界。
今夜は吹雪に感謝しないといけない。図らずも幸せな時間をくれたのだから。
「慧音さん夕飯まだですか? 俺が何か作りましょう」
「い、いや! そんな気を使ってもらわなくても!」
「実は俺も夕飯まだなんです……ご一緒にどうですか? キムチ鍋」
「……○○がよければ、お言葉に甘えさせてもらおう」
困ったように、それでも笑いながら彼女は俺の誘いを承諾してくれた。
そのことが嬉しくて、内から溢れ出る感情を抑えきれず俺は少し笑った。
鶏がらで出汁をとり、青葉や白滝、きのこや鶏肉をいれ主役のキムチをどっさりと乗せた。
見た目にも体を温めてくれる紅い鍋に、彼女は目を丸くしながら驚いている。
それから二人、他愛も無い話をしながら鍋を囲った。
特に彼女は現代の物珍しい話を子供のように聞いてくれた。
所々「へぇ」と目を輝かせ、事細かく質問する辺りさすが教師だなと思う。
子供たちの前でも話してくれと彼女の問いかけに、二つ返事で了解した。
あまり人の前に立つことは苦手だと白状すると、自分もそうだと彼女は笑う。
時は無常にも過ぎていく。気がつけば鍋の中は空っぽになっていた。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした。鍋は私が洗おう」
「あ、いいですよ。慧音さんは座っていても」
「何か手伝わないと、なんだか落ち着かないのだ。私のためだと思って、な?」
そういうと彼女は鍋とお椀を持って流し台へと歩いていった。
俺は急にすることもなく、二つの茶碗に粗茶を注いでいた。
鼻歌交じりに流しに立つ彼女の後姿を、じっと眺める。
母性を感じさせる背中。視線は首筋からゆっくりと体のラインを沿って下へと進んでいく。
くびれた腰つき。服を通してでも解る安産型の臀部。切れ間に見え隠れする色白の脚。
生唾を飲んだゴクリという音がはっきりと聞こえた。心音が耳障りなほど高鳴っている。
荒く、ケダモノのような息遣い。目の前の女を狙う、雄の本能が目を開いた。
――パチッ!
「――ッ!」
薪が火で炙られ弾いた音。その音で俺は我に帰った。そして今しがたの自分を恥じた。
ほんの気の迷いとはいえ、なんてことを思ってしまったのだろう!
俺と彼女は里の顔見知りというだけで、特別な間柄ではないことなんて重々承知のはずだ。
それなのに俺は、俺は彼女を抱きたいと一瞬だが本気で思ってしまった!
掌を額にあてがい数分前の忌まわしい記憶を払拭させる。
なんて、なんて愚かなんだ俺は。
「――い! おい○○!」
「は、はい!」
目の前には心配そうにこちらを覗き込む慧音さんの姿があった。
その瞳に俺が映る。しかし罪悪感と自己嫌悪でまともに彼女の目を見ることが出来なかった。
心配なんてしないでください。その優しさが今は心に重く圧し掛かるから。
聡明な彼女は俺の気持ちをすぐに“拒絶”と汲み取ってくれた。
ひどく悲しそうに眉を下げ、俺から少しずつ離れていく。
俺の心の中に別の罪悪感が芽生えた。彼女を傷つけてしまった。
先ほどまで感じていた幸福が、目の前で音を立てながら崩れていく。
この場を取り繕うとする焦燥感、しかしそれは無意味だと勘で感じ取っていた。
沈黙が突き刺さる。ゆっくりと沈み込むように。
「……長居してしまったな。雪も小降りになってきたし、そろそろお暇する。
鍋……美味しかった。また……また作ってくれたら嬉しい……おやすみ、○○」
途切れ途切れに別れを告げると、彼女は俺に背を向けた。
その時俺には、これが今生の別れのように思えた。
今呼び止めなければ、俺と彼女はもう二度と巡り合うことはないだろう。
なのになんで。俺の体は動いてくれないのだ。なんで声を張り上げてくれないのだ。
「あっ……あ……!」
彼女の姿が玄関を過ぎ、師走の寒空へと過ぎていく。
行かないで、行かないでくれ。お願い、待って慧音さん!
金縛りのように動かない体が憎い。もう彼女は闇へと溶け込んでいっているのに。
このまま彼女とお別れなんて嫌だ。絶対に嫌だ!
寒風が室内に吹き荒れる。切り裂くような冷たさに、ようやく体の自由が利いた。
靴を履くのも惜しまれる。俺は裸足で、外へと飛び出した。
視界の向こう。彼女の後姿をはっきりと捉えた。
――慧音さんッ!!
あらん限り出せるだけ出せる声量を使い、思い人の名を叫んだ。
彼女の歩は止まらない。一歩、また一歩と俺から遠ざかっていく。
止まってくれ。止まってくれ。心からそう願い続けた。
不意に彼女の動きが止まり、ゆっくりとこちらを向いた。
雪雲はすっかり無くなり、月の光が二人をぼぉっと浮かび上がらせる。
足先の冷たさは痛みに変わってきた。それでも、俺はその場にいた。
遠くで彼女の表情がよく見えない。けれど、頬を伝う何かを月は綺麗に照らしていた。
何回か深呼吸して、俺は彼女に告げる。
「キムチ鍋……作ります。また、作ります!」
じっと俺の話を彼女は聞いてくれている。それだけで閊えていた言葉は淀みなく飛び出た。
「だから……だから! また一緒に……食べてくれませんか?」
言った。俺は言った。答えも聞いていないのに、安堵感が全身を包み込む。
つま先が痛い。とてつもなく寒い。けど、俺は立つ。立つんだ。
彼女は掌で目頭を拭う仕草をした後、背筋を伸ばした。
寒風が彼女の髪を撫でる。白銀の髪は、そのまま風景に溶け込んでいく。
「お誘い……喜んで引き受けます! おやすみなさい○○」
彼女の姿が闇に消えていくのを確認すると、家の中へ入っていった。
戸を閉め、深くため息をつく。なんだか妙に疲れた。
寝酒を飲むために、徳利を持って流しにあるお椀を探した。
二つ置かれたお椀。俺はいつも使っている自分のではなく、来客用の物に酒を注いだ。
何度か躊躇って、一気に日本酒を流し込む。腹の中から熱がこみ上げてきた。
「……慧音さん」
俺はお椀を流しに置くと、そのまま布団の中へもぐりこんだ。
宵の静けさは甚だしく、ただ薪が弾ける音が虚しく響くだけだった。
2010年、最後の投稿と……
書き収めということになりますかね。
スレ内でのネタを元に、私なりのアレンジを加えて書きました。
最終更新:2011年06月16日 23:43