てゐ7



うpろだ0047


大吉

後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及しかむ 道の隈みに 標結へ我が背

残された側は唯悲観に暮れるのみにあらず。
自らの意思と力を持って行動するが良し。
去り行く軌跡に標が残されていれば、必ずや想いは届く。





――待人 幸運と共に訪れる。



「さっむ……」
 新年明けて3日。普通の会社員ならば明日からの仕事の事を考えて頭を抱えるであろう午後10時頃。
 雪が深々と降り積もる中、俺は高台にある神社へとお参りに来ていた。
 流石にこの時間ともなると誰も居ない様だ。
 三ヶ日は初詣客で賑わう境内も、連休最終日、しかもそろそろ深夜に差し掛かろう時間ともなると参拝客はゼロとなっていた。
 無人の神域は降りしきる雪と相まって、普段より厳かな雰囲気を張り巡らせている。
「なんだか緊張するなあ」
 少し及び腰になりながら奥へと進む。
 今年一年をより良く過ごす為、遅蒔きながら初詣へと出向く事としたはいいが、
 先程の溌剌とした気分から一転、周囲の雰囲気に呑まれ怖気づいていた。
 早い話が、おばけとか出そうで恐いという事だ。


「さくっとお参りして帰ろう……」
 そう思った矢先、社務所らしき所で販売していたおみくじに目が留まる。
 縁起物だし、一回引いてみようかしら。
 ここの神社のおみくじのシステムは、木製の貯金箱みたいなのに百円を入れて、隣に置いてある箱からおみくじを引くものとなっている。
 棒を取って巫女さんに渡す様なやつではない。
 野菜の無人販売所と同じ仕組みとでも言えば良いのか……人としてのモラルを試されるシステムと言えるだろう。
「百円入れて……来い、良いやつ!」
 身も蓋もない祈りを捧げながらおみくじを引く。中身は……
「大吉だ!ほんとにあるんだ!」
 本当に一番良いやつを引いてしまった。嬉しい反面、こんな所で運を使ってしまって良かったのだろうかという後悔が浮かんでくる。
「どれどれー」
 願望……って、大吉の癖に思いっきり否定的な事書いてやがる。
 本当に大吉なんだろうなこれ。
 ぶつぶつと文句を言いながら歩き、拝殿へ到着した所で、
「……へ?」
 薄桃のワンピースを着た少女が倒れているのを発見した。



「ただいまーって誰もいないんだよね」
 独り暮らしをして間もない人間なら一度はやった事があるであろう通過儀礼を行いながら、我が家へと帰る。
 先程倒れていた少女を放っておけず、家に連れ帰ったまでは良いが、この後どうすれば良いかが解らない。
 とりあえず寒いのは間違いないので、髪に付いた雪を可能な限り優しく払いながらベッドへ寝かせる。
「とりあえず毛布と布団掛けて」
 日本でも北の方に位置する我が地元は、冬になると零下を下回る気温が基本となる。
 -10℃を下回ると、何だか空気が変わるよね?
 しかし人間はどんな状況にも適応する生き物だ。
 そんな極寒の地でも快適に過ごせる強い味方。その名もオール電化様だ。
 特にパネルヒーターは一日中付けている事が前提で考えられている暖房器具の為、付けっぱなしにしておけば部屋は一日中暖かい。
 朝起きるのも辛くないし、仕事から帰って来た時も暖かく迎えてくれる。
 しかも電気代は灯油ストーブを運用するよりも断然安い。オール電化様すごい!最高!
 ……話が逸れてしまったが、とにかく部屋はいつでも暖かいという事だ。
 よって、お布団もぬっくぬくなので、薄着で外に倒れていた少女もすぐに温まれるという事になるわけだ。
 口元に耳を近づける。
 確かな呼吸音。
 病院にすぐに連れて行く必要はなさそうだ。
 さしあたっての問題は、
「起きた時どうやって説明しよう……」
 こんなご時勢だ。即通報という事も十分にありえる。
 冷蔵庫からビールを取り出す。
 これが最後の晩餐になるのかなぁとどうしようもない事を考えながら、少女が目を覚ますのを待つ事にした。



 日付も変わった夜半過ぎ。
 少女は目を覚まさない。
 今日はこのまま寝続けるのだろうか。
 それならば……どうしても寝ている間に確認しておきたい事があった。
 少女の頭から伸びるふわっふわの兎の耳。
 神社で拾った時は気が動転していた事もあり気が付かなかったが、部屋に戻って一呼吸吐いた後、その存在は俺の好奇心を大いに刺激していた。
 アクセサリーという線も捨てきれないが、本人の意識と同期する様にしな垂れる兎の耳は、本当に生えている様に見える。
 ……引っ張って確かめてみようか?
 眠っている無防備な少女に手を掛けるのだ。
 もし触った瞬間に意識が戻ったら、俺は間違いなくお縄を頂く事になるだろう。
 待っているのは固いベットと臭い飯。
 こんな所で人生の方向性を決める訳にもいかない。
 諦めよう、と思ったが、目の前のふっわふわで、もっこもこのうさみみから視線が外せない。
 お父さんお母さんごめんなさい。
 俺は今日、罪を犯します。
 両親へと心の中で謝罪させた後、自らの欲望に従い少女のうさみみへと手を伸ばした、その瞬間。
「う……ん……」
 少女はもぞもぞと目を擦り、半身を起こす。
 周囲を半眼になりながら確認している。
 どうやら自分が知らない場所にいる事に警戒している様だ。
「……」
「……」
 うさ耳をもっふるする為に近づいていた俺と目が合う
 しばしの沈黙。
 沈黙に耐え切れなくなった俺は、とりあえず声を掛けてみる。
「ええと……こんばんわ?」
「……こんばんわ」
 ぎこちなさ過ぎる挨拶。
 再度二人の間に沈黙が訪れる。
 今度は少女の方が口火を切る。
「あの」
「な、なんでしょう?」
 あまりの気まずさに声が上擦ってしまう。
「とりあえず離れてくれないかしら」
「ごめんなさい……」
 少女とは思えない様な凄みを湛えた顔とドスの効いた声で、詰められる事となった。



 ベッドの上に座る彼女と正対して、互いの自己紹介を行った後、地名や年代ついて説明する。
 あと、兎の耳が本物かどうかも熱く聞いておいた。
 本人からは「本物に決まっているでしょ」と素っ気ない対応。
 触って確かめさせてくれ、と喉まで出掛かったが、通報が恐いのでやめておいた。
 始めの内は寝起きという事もあり、少し気だるそうにしていたが、お互いの情報を交換する中で意識は完全に覚醒した模様、受け答えもしっかりしていった。


「うーん。知らない土地の名前ね」
「そっか。別の地方の出身なのかな?」
「そうとも言えるんだけど……」
 歯切れの悪い答えを返す彼女。
 一呼吸置いて、
「恐らく、ここは私が住んでいた世界とは違う場所だわ」
 何やら理解できない言葉を発する彼女。
 世界?あれか中二病とか呼ばれるあれなのだろうか。
「あなた何か失礼な事を考えているでしょう」
「考えてないよ」
 眦を吊り上げて怒る彼女。
 結構沸点は低いらしい。あまり刺激しないでおこう。
「とても説明しづらいのだけど……解り易く言うと、この世界とは隔絶されたもう一つの世界があるという事よ」
 いまいち理解が追い付かない。
 彼女は説明を続ける。
「そこには外の世界……あなたが住んでいるこの世界で忘れ去られたものが流れ着くと言われているわ」
「忘れ去られたものか……最近だと何が流れ着いてきたの?」
「そうねえ……最近喋るきのこが自生する様になったわ」
 んふんふ……時間の流れは時に残酷だ。
「話が逸れたわね。とにかく、人が忘れてしまった物や伝承、信仰も、今はそこに集められているというわけ」
「へー。じゃあてゐも人から忘れられてしまったからそこにいたの?」
「まあ……そういう事になるかしらね。一応私も妖怪の類だし」
「妖怪!? 寧ろ最近の流行じゃないか……」
「何を言っているのかしら?」
 彼女は最近の空前の妖怪ブームを知らないらしい。
「何でもない。しかし幾らうさみみが生えているからって急に妖怪と言われてもなあ……」
 さっきから非日常的な事が起こり続けているが、妖怪と言われてもすぐに納得できるものではない。
「疑っているの? しょうがないわねえ……」
 そうやってめんどくさそうに言うと彼女は、
「え……」

 ふわり、と身体を宙に浮かせた。

「どうかしら?」
 言葉の端々に優越感を滲ませながら問いかける彼女。
 俺は、目の前の光景に声が出せずにいた。
「……」
「何か言いなさいよ」
 先程の優越から一転、不満そうな彼女。
 俺は恐る恐る声を掛ける。
「き……君があの鳥類の名前が付いた宗きょ」
「止めなさい良く解らないけどそれ以上は言わない方が良いわ多分……ひゃっ」
 止めに入ろうとした彼女は空中でバランスを崩し、ベッドへと落下する。
「おっと……大丈夫?」
 近づいて声を掛ける。
「大丈夫よ。しかしこの程度で落下するなんて、本調子じゃないわね」
 外の世界に来て力が弱まっているのかしら、と呟く彼女。
「とりあえず、これで私が妖怪だって理解してくれたかしら?」
「妖怪かどうかはさておいて、普通の人間じゃないって事は理解できたよ……」
 あんな光景見せられたら、信じない訳にもいかないしなあ。


「んで、てゐは元の世界には帰れるの?」
 突込み所が多すぎて話が進まない為、強引に本線へと戻す。
「うーん、戻れるとは思うけど、少し時間が掛かるかも……」
 何やら事情がある模様。こっちに来れたのならすぐに帰れそうなものだが……
「どうして?」
「あちらとこちらの世界を繋ぐ事ができる妖怪が居るんだけど、そいつが3月位まで冬眠してて……」
 なんだそりゃ。熊の妖怪か。
「妖怪って冬眠するの?」
「そんなのあいつ位よ」
 ぞんざいに切り捨てる。仲悪いのかなあ。
「まあその妖怪がこっちの世界で私を見つけて、向こうの世界との繋ぎ目に連れて行ってくれないと駄目な訳よ」
 はぁ、と溜め息交じりに解説してくれる。
「じゃあこれから3月まではこっちの世界に居ないと駄目なんだ」
「そういうこと」
 それまで行く宛はあるのだろうか。
 彼女が別の世界から来たのなら、当然こちらの世界に知り合いは居ないはず。
 外気温は氷点下を下回っており、野宿するとなれば命に関わるだろう。
 危ないと解っていて外へと放り出す、というのはあまりにも酷だ。
 ここで会ったのも何かの縁だし、言うだけ言ってみよう。 
「もし良ければさ」
「何?」
「迎えが来るまで、俺の家で待ってたら?」
 幸いにして独り暮らし、部屋に一人住人が増える位問題はない。
 ……傍目から見たら幼女を自宅に連れ込んでいる構図になる為、倫理的に問題はありそうだが。
「え……何あなた変態?」
「どうして純粋な人助けと思ってくれないかな!?」
「どうだか。まあ、居候させてくれるのはとても助かるのだけど……良いの?」
 不安げな瞳で俺を見据える。
 その姿は見た目相応の、幼い少女の様に見えた。
「勿論。ここで放り出すのも目覚めが悪いし、何より面白そうだ」
 できるだけ安心を与えられる様に、笑顔で力強く答える。
「そう……変な人ね。まあ、そう言ってくれるのならば遠慮なく厄介になるわ」
 彼女の表情が崩れる。
 素直に笑顔を浮かべる彼女は、とても可愛らしく見えた。
「それじゃあ」
 居住まいを正す彼女。
 ベッドの上で正座する彼女と、床に座る俺。
 目線は丁度同じ高さにある。
「これから2ヶ月程、宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
 互いに頭を下げあって、俺達の同居生活は始まった。


 今後の方針が無事決まった所で、ずっと疑問に思っていた事を口にしてみる。
「そういやあ、どうしてこっちの世界に迷い込んじゃったの?」
「さっき説明した冬眠する妖怪が、正月の宴会の席で酔っ払って面白半分に私を飛ばしたのよ」
 冬眠してる最中に無理して起きてくるから……と呟く彼女。
 ……そりゃあ、恨みもするわなあ。





――家庭 安定。心の支えとなる。



 翌日、休みという事もあり、近所の大型ショッピングセンターに買い物に来ていた。
 主な目的はてゐの衣服を取り揃える為だ。
 ここは衣料品から食料品まで全て購入できる。
 田舎者としてはとても助かっている。


 まずは主目的であるてゐの洋服を買う為、テナントで入っている大型の衣料品店に来ている。
「どうだー着終わったか?」
 試着室で着替えているてゐに声を掛ける。
「まだよ。今開けたら殺すから」
「へいへい」
 あちらの世界、幻想郷だっけか。幻想郷にはこういった既製品が置かれている服屋は珍しいとの事。
 あちらでの服は、家族による自作か、仕立てによるオーダーメイドが一般的な様だ。
 てゐ曰く、「服なんてそう何着も持つ物ではないのよ」という事で、一つの服を長く着るのが習慣となっているらしい。
 話を聞く限り、幻想郷の生活様式は、現代日本とは異なっている様なので、消費を前提とした構造になっていないという事だろう。


「できたわ。じゃーーん」
 勢い良くカーテンを開けて登場するてゐ。
 初めての外の世界での買い物に興奮している様だ。あれ、別の世界に飛ばされて大変なんじゃなかったっけ?
「どう○○!? 可愛いでしょ!?」
 そんな俺の思考を他所に随分とお楽しみでいらっしゃる。
 てゐは白のニット帽、灰色のパーカーに黒地に胸ロゴ付きのスタジャン、紺の総柄スカートに黒ストッキング、足元は黒のショートブーツと中々な格好をしていた。
 サイズ感も良く、バランスも整っている。
「これ自分で選んだのか?」
「当たり前でしょう。どう?可愛い?」
 試着室の中でくるりと一回転した後、瞳をキラキラさせながら聞いてくる。
 生活文化に違いはあれど、女の子は可愛いものに目がないという事は変わりないらしい。
 何か昨日とキャラが違う様な……
「まあうん……かわいいと思うよ」
 自称妖怪とは言え、見た目は完全に可愛らしい少女だ。
 女子と一緒に服を買いに行くというイベントは、残念ながら今までの人生で経験した事がない。
 冷静に考えたら急に恥ずかしくなり、そっぽを向きながら答えてしまう。
「やっぱり!? じゃあ○○これ全部お買い上げ宜しくね」
「まじでか!? お前これ幾らするんだよ」
「解らないわよ。こちらの通貨の見方知らないし」
「ちょっと待ってろ」
 てゐが着ている商品の値札に手を伸ばす。
「ひゃっ、何よ変態。大声出すわよ?」
「今値段見てんだから静かにしてろ」
 何よもう……と呟く彼女を尻目に、スタジャンの襟に付けられている値札を探り当てる。
「ふぇっ!? ちょっとあんたどこ触って……」
「もう少しだから我慢してろ」
 てゐの背中に手を入れて値札を探す。
 インナー越しとは言え、てゐの背中を弄っている事になる。
 時折声を我慢する様な吐息が聞こえて来るが、気にしては駄目だ。
「ふぁ……いい加減にしな……」
「あった。どれどれ……」
 お値段何と2,980円。コーディネート一式と、さらに肌着を合わせても1万円とちょっとで済んでしまった。
 さすがは安心価格。Je pense que la ou je l'ai achete ?(どこで買ったと思う?)



 会計を済まし、次の店へ。
「へへー」
「あんまりはしゃぐと転ぶぞー」
 先程買った服を早速身に着けながら、上機嫌にくるくると回っている。
 どうやら相当お気に召した様だ。
 知らない土地に飛ばされて消沈しているかと思いきや、こちらでの生活を思いの外楽しめている様だ。
 時刻は13時を回った頃。そろそろ昼食にしようかな。
「○○ーお腹減ったー」
 散々試着して買い物に時間を掛けた本人が文句を仰る。理不尽だ……
「とりあえず飯だな。何が食いたい?」
「おいしいやつ」
「お前は良い性格してるって言われない?」
「? なんのこと?」
「まあいいや。 ファミレスで良いよな」
「おいしければどこでもいいわ。早くしなさい」
 本人曰く、俺よりずっと年上との事だが、その様な威厳は微塵も感じない。
 まあ、こんな風に振り回されるのも悪くないと思ってしまうのも、自分の女性経験の浅さによるものなのだが。
 とりあえず、この傍若無人を笠に着たお嬢様を満足させるべく、足早にファミレスへ向かう事とした。



「こんちわー」
「おーいらっしゃい。っておいその子どうした? 誘拐?」
「失礼だなおい」
 昼食を終えた後、俺達は自宅から歩いて数分の商店街に来ていた。
 本当は先程のショッピングセンターの食品売場で買っても良かったのだが、わざわざ近所の商店街に来たのには理由がある。

 話は昨日の夜に遡る。
 同居生活を行う約束を交わした後、てゐから家事の一切を自分が引き受けるという提案があったのだ。
 昼間仕事で家を空けている俺にとってはありがたい申し出だったのだが、一応居候の身であるてゐに全てを任せるのは抵抗があった。
 絶対に見られてはいけない物もあるしね!
 しかしてゐは頑として家事を承る事を譲らなかった。
 どうやら、ただ庇護を受けるだけというのは性に合わないとの事。
 まあ、こちらとしても頑なに拒否する理由もないので、家電の使い方を一通り教えて家事をして貰う事にしたのだ。
 勿論その日の内に見られたらアウトな物は全て隠しておいた。
 それで、家事の一環として買い物にも行って貰う事にした為、懇意にさせて頂いている近所の商店街へと案内する流れとなった。

「本当に誘拐してないんだな?」
「何度も言ってるじゃないですか。もうここで惣菜買うのやめようかなー」
「汚い奴め……」
「客に向かってその言い草もどうかと思いますよ……」
 会社帰りに寄っては惣菜を買わせて貰っている肉屋のおじさんと軽口を叩き合う。
 この人とは社会人になってからの付き合いになるが、いつの間にかこんな関係になっていた。
 閉店時間ギリギリに行っては惣菜の値引き交渉を行う俺が悪かったのだろうか。
「あなた達いい加減にしなさい。その子怯えてるでしょうが」
「「すいませんでした」」
 肉屋の奥さんが登場、怒られる俺達。
 おじさんもこの方には頭が上がらないらしい。
 そしててゐは俺のコートの裾を掴み、身を隠している。
 一見目の前の喧嘩に怯えている少女然としているが、瞳の濁りを隠せていない。
 こいつは自分の周囲からの印象を即座に判断し、その上で自分にとって都合の良え方を演出している様だ。
 悪魔の様な奴だな。
「んで、この子はどこの子なんだい?」
 おじさんが改まって聞いてくる。
「いやー親戚の子供を預かる事になりまして……」
 とりあえず用意しておいた答えを言っておく。
 すると、
「因幡てゐです。はじめまして」
 声は普段より幼めで、外用の笑顔で挨拶をする。にぱー。
 猛烈な違和感。思わず吹き出しそうになるが、
「いつっ……」
「どうしたの? お兄ちゃん」
 おじさん達からは見えない角度で俺の足を踏みながら、俺に問い掛けるてゐ。
 瞳が雄弁に語っている。笑ったら殺すと。
「な……何でもないよ、てゐ」
 身体の小ささからは考えられない程の力で俺の足の甲を踏み潰す。にぱにぱー。
 こいつなら本当に殺りかねない……
 抑えきれない違和感を無理矢理飲み込み、苦笑いで答える。
 さっさと本題へ移ろう。
「んで、明日っからこの子がちょくちょく買い物に来ると思うから、お二人とも宜しくお願いします」
「宜しくお願いします」
 俺に倣い頭を下げるてゐ。
 この辺の行儀の良さは、自身から滲み出るものか、はたまた計算の上での所作か。
 深く考えるのは止めておこう。
「そっか偉いなーてゐちゃんは。よーし少しおまけしてやろうてゐちゃんに」
 外見の可愛らしさと礼儀正しさに、おじさんは速攻でやられてしまった様だ。
 てゐの口角が尋常でない程吊上がる。ああ……やっぱりこの子悪魔だ。



 その後懇意にさせて頂いている店を幾つか廻り、食材を購入して帰宅する。
「ただいまー」
 いつもの癖で言ってしまう。返事が返ってこない事は解っているはずなのだが。
 少しの間の後、
「おかえりなさい」
 居間から出てきたてゐが返事を返してくれた。
 ああ、荷物多いからてゐに鍵を預けて先に部屋に入って貰っていたんだっけ。
「何よ。呆けちゃって」
 不思議そうな瞳で俺を見つめてくる。
 そうか。てゐは向こうの世界で多くの妖怪と一緒に生活していると言っていた。
 この子にとって、「おかえりなさい」という言葉は日常なんだ。
「何でもないよ」
「変なの」
 今のやりとりで少し嬉しくなってしまった、という事をさとられたくなかったので、
 自分の頬が緩みそうになるのを気合で抑えながら、冷静さを装って答えてやった。





――健康 良好。食生活を見直すが良し。



「ただいまー」
「おかえりなさい」
 仕事を終え帰宅。
 うちのアパートは玄関とキッチンが直結している。
 てゐは夕食を作ってくれていたらしく、すぐに返事を返してくれた。
 てゐが家に居ついて1週間が経つ。
 2日目以降、てゐは家事をしっかりとこなしてくれていた。
 普段の言動からすると、家事のクオリティに疑問を抱く所だが、俺がやるよりもよっぽど上手くこなしてくれるので文句の付け様がない。
「もうちょっと掛かるから、先にお風呂入っちゃいなさい」
 脚立の上に乗りながら、ガスコンロの前で大鍋を振るう。
 てゐは身長が低く、そのままでは調理が難しい為、台所に立つ時は脚立を使用している。
 その後姿は、幼い子供が母親の手伝いをしている様にしか見えない。
 しかし、俺はこの幼女然とした妖怪に完全に胃袋を掴まれているのだ。
 本来なら居候の身であるてゐにそこまでさせるのも気が引けるのだが、手料理のうまさもあってつい好意に甘え続けてしまっている。
「ちょっと聞いてんの?」
 頬を膨らませながら、玄関で突っ立ってる俺を横目で睨む。
 誰かに風呂を急かされる。
 そんな状況に、何だか実家を思い出してしまう。
「母ちゃんかお前は」
 言うつもりはなかったが、ぼろっと出てしまう。
「なっ……」
 てゐの頬が赤く染まる。
 どうした、ガスの炎にやられたのか。
 そんな事を考えていると、眼前が緑色に染まった。
「ちょっ……」
 どうやらバスタオルを投げつけられたらしい。
「あんたの様な図体だけでかい子供を持った覚えはないわ。さっさと入りなさい」
「へーい」
「返事は」
「はーいおかーさん」
 言いながら脱衣所の戸を閉める。
「――っ!!」
 てゐが何か叫んでる様だったが、よく聞こえなかったという事にしておこう。



「「いただきます」」
 てゐとテーブルを向かい合わせて座り、二人とも両手を合わせて、捧げられた命に感謝する。
 今日のメニューは中華メインだ。
 回肉鍋、大根のサラダに、炒めた豆苗とひき肉を載せた冷奴、卵を溶いた中華スープとご飯。
 栄養バランスまで考慮された完璧なメニューと言えよう。
 まずはスープから一口。
「うまいっ!」
 中華料理をメインにすると味の濃い料理が多くなりがちだ。
 しかしこの中華スープは椎茸の出汁を中心に味付けしており、スープの素はそれほど入れていないのだろう。
 疲れた身体に染み渡る、優しい味わいのスープだ。
 あまりのうまさに行儀悪くがっついてしまう。
「そんなに急いで食べるとこぼすわよ」
「いやーあんまりにもうまくて」
「食べながら喋るの止めなさい。行儀悪いったら……」
「ふぉめん」
 注意されてしまったが、やっぱりうますぎて箸が止まらん。
 回肉鍋の野菜の歯応えは絶妙だし、サラダもよく水が切ってあってべちゃべちゃしていない。
 豆苗にしっかり味付けされた冷奴は、出汁醤油を掛けなくてもがしがし食べられる。
 うまい。とてもうまい。
 一人暮らしの時、初めの内は自炊を行っていたが、仕事が忙しくなるに連れて遠のいてしまった。
 誰かが作る料理なんて、それこそ実家に帰った時位にしかありつけない。
 ひたすら無言で食べ続ける。
 てゐの方に目を向ける。
「……何よ」
「うまい」
「っ……黙って食べなさいよ……」
 呆れた様にため息交じりで注意される。
 怒らせたかとも思ったが、うさ耳がぴこぴこ動いていたので機嫌が悪いという訳ではなさそうだった。


 うますぎて茶碗がすぐに空っぽになってしまった。
「いやあうますぎるな! 向こうではいつも料理を作ってたの?」
「まあそれなりにはね。当番制だったから、毎日作ってた訳じゃないわ」
「そういや前に沢山の兎と一緒に住んでるって言ってたな」
「そうよ。まあ主に料理を作っていたのは私と鈴仙と年長組の兎達だったかしら」
「鈴仙? 友達か?」
「上司みたいなものよ。頭が固い所があるけど、基本良い子よ」
「上司に対して随分上から言うのな……」
「上司“みたい”なものだしね。それよか、ご飯おかわりいる?」
 てゐが茶碗を渡す様手を差し向けてくれる。
「いや、そろそろ酒にしよう。てゐも飲むだろ?」
「そうね」
 てゐは頷き、キッチンへと向かっていった。


「「かんぱーい」」
 グラスに注いだビールを一気にあおる。
 喉を炭酸が駆け抜け、爽快感が全身に広がる。
 仕事終わった後のビールは世界で一番うまい飲み物だと思うわ。
「ぅううーうまいー」
 てゐもジョッキを一口で半分以上空け、余韻に浸っている。
 一緒に食事を取る様になって驚いたのは、てゐの酒への強さだった。
 普段向こうの世界では日本酒を常飲しているという彼女。
 健康への気遣いから、深酒はしない様にしているとの事だが、宴会の時は1升を優に空けるという。
 やはり妖怪だと肝臓の強さも違うのだろうか。羨ましい話だ。
「はあーうまい酒にうまい料理。幸せ過ぎるわー」
 てゐが来る前も晩酌は基本毎日していたが、つまみはお惣菜ばかりとなっていた為、食傷気味となっていた。
 ここに来て店で出されてもおかしくない程のうまい料理を、自宅でつまみながら酒が飲めるとは思わなかった。
 てゐと出会えた幸運にニヤニヤしていると、てゐが居心地悪そうにこっちを見ていた。
「何がおかしいのよ」
 どうやら自分の所作が笑われたと勘違いさせてしまったらしい。
「おかしくないよ。ただ、てゐと逢えて良かったなーと思っただけ」
「んっっなっ……」
 てゐの顔全体に朱が差す。
「どうした。もう酔ったのか?」
「……別に、何でもないわ」
 どうしてそう恥ずかしい台詞を真顔で言えるのかしら、と彼女。
 今のやりとりに恥ずかしい所なんてあったかしら。
 考えてみたが、良く解らなかった。





――争事 双方に要因あり。



「はー、今日も寒いねー」
 アパートの階段を降りた所で、あまりの寒さについ声が出てしまう。
 季節は1月も後半。連日降り続く雪はしっかりと積もり、辺りを白く染め上げている。
 今日は週休で、てゐと外へ遊びに行く事にした。
 てゐはまだこの世界を歩き慣れていない為、一人出掛けるのは商店街周辺までとしている。
 本人も特に異論はない様で、今の所文句を言われた事はないが、折角だから色々な所に連れて行ってあげたい。
 この生活には時間制限がある。
 あと1ヶ月の間、何とか楽しい思い出を作ってやらないと。
 車の暖機運転を止め、駐車場でてゐが降りて来るのを待つ。
 寒いから早くして欲しいんだが……
「○○」
「てゐ、寒いから早くふぶぁっ!」
 てゐに声を掛けられ、顔を向け様とした所、顔面に雪球が当たる。
「だはははははは」
 外だというのに人目を憚らず大笑いするてゐ。
 この悪魔め……
「はっはははぶふぉっ!」
 お返しにギュンギュンに握って硬くした雪球を顔面に投げてやった。
 鼻っ柱にクリーンヒットし、後ろへ倒れ込む。
「くぁっははははっ! ざまあないぜへぶしっ」
 再び顔面に衝撃。今度はこっちが背中から地面へ倒れ込む。
 お返しとばかりに投げられた雪球は、恐ろしい程硬く握られていた。当たった後も崩れねえなんて……殺す気なのだろうか。
 くっそ、なんでこんな目に遭わなけりゃならんのだ。
 倒れ込んだまま、ふと、一つの悪戯を思い付く。
 先に手を出して来たのはあっちだ。日々の嫌がらせへの恨みもあるし、ちょっとやってみよう。
 俺は倒れ込んだままピクリとも動かず、てゐの出方を待った。
「ひゃっはははっ……はー、どうよ○○!」
 涙を流す程笑ったてゐが近づいて来るが、全く反応はしない。
 当たり所が悪く、気を失った体を装い続けた。
「○○? ○○……ねえ、返事してよ」
 肩をがたがたと揺さぶるが、俺はされるがままにする。
「ねえ!! あ、ああ、どうしよう……誰か! 誰か居ないの!!」
 がはははは、見事に掛かっておる!
 だが、若干やり過ぎた感があるな……ただでさえ白い肌は血の気が引いて蒼くなり、取り乱し掛けている様に見える。
「ねえ誰か! 居ないの! 助けて……○○が……」
 やばい、本気で信じ込んでる。
 早いとこネタばらししないと……
「てゐ?」
「○○が……え?」
「ごめん、気絶したの、嘘」
 先程とは別の意味合いの涙を流しているてゐは、信じられないものを見る様な目でこちらを見る。
 その瞳が段々と色合いを変える。
 最後には、今まで見た事がない程の怒りの色に染められていた。
「○○……」
「なに?」
「死ね」
「ですよねふぼふぁっっ!」
 雪だるまの頭に使われる程の大きな雪塊を、腹の上に落とされる。
 因果応報という言葉の意味を、身を持って教え込まれる事となった。



 先程の一件で、俺達の間にはかつてない程の気まずい空気が流れた。
 この後ゲーセンで遊ぶ予定だったのだが、てゐの様子を見ているとそんな気分ではなさそうだ。
 一応買い物もあったので、ショッピングセンターに来ている。
 しかしあの後互いに一言も交わしていない。
 特にどこへ行くかの相談もなく、ぶらぶらと歩いている。
 俺の後ろに2歩程の間隔を空けて歩くてゐ。
 たった2歩程の距離が、今は果てしなく遠く感じられた。


 何でこんな事になったんだ……
 原因はどう考えても俺の悪戯のせいだろう。
 悪戯の内容自体は非常に下らないものだったが、てゐが予想以上に反応してしまった所が誤算だった。
 よくよく考えれば、てゐは別の世界から来ているのだ。
 右も左も解らない場所で、もし自分が世話になっている相手に何かあれば、取り乱しもするだろう。
 てゐと生活を始めてもうすぐ一月になる。
 あまりにも自然に、楽しく日々を過ごしているが、あいつは非常に微妙な立ち位置にいるのだ。
 その事忘れて、配慮が欠けてしまった。
 もう二度と繰り返さない様に、この苦しさを心に刻み付ける。
 さて……とりあえずはどうやっててゐに謝ろうか。
 どうしようか考えながら歩いていると、当初の目的地であったゲーセンに着いてしまった。
 やべえ、何も考えずに歩いてた。
 こんな空気だとお互い遊ぶって気分じゃないだろう。
 入り口に立ちながらどうしたもんかと考えていると、
 不意に左の掌が包まれる感触を覚えた。
 隣を見るとてゐが俺の左手を両手で包んでいる。
 しかし、顔はあさって方向を向いており、俺を見ていない。
「……」
「……」
 ああ、やっちまった。
 てゐが先に仕掛けたとはいえ、悪いのは俺の方だ。
 仲直りの切っ掛けを作るってのは多大な心労が掛かる。
 そいつをてゐは引っ被ってくれた。
 ここまでしてくれたんだ。
 このチャンスを活かさない訳にはいかない。
 俺はてゐの手を握りながらしゃがみ込み、視線を合わせる。
「ごめん。今後、ああいった類の冗談は二度としない」
 相手の瞳を見つめながら、しっかり言葉にして謝る。
「本気で心配……したんだから」
 恥ずかしそうに、合わせた瞳を逸らせながら抗議するてゐ。
「ごめん」
「ふん……まあいいわ」
 どうやら、誠意は伝わった様だ。


 仲直りできたは良いが、この後どうするか、全く考えていない。
 何か言葉を探していると、
「さて、せっかく来たんだから、少し遊んで行きましょう?」
 てゐが微妙な雰囲気を払拭する様に、明るく声を掛けてくれた。
「解った。もし俺に勝てたらお前の好きな菓子何でも買ってやる」
「ホント!? じゃあバケツサイズのアイスがいいなあ……」
「冷凍庫に入らないから、それはやめてくれ……」
 普段は子供っぽい癖に、こういう所で気を利かせて来るのだから油断できない。
 男としては色々リードしてやりたい所なのだが、中々うまくいかないものだ。
 少し、悔しかった。



 ゲーセンでしこたま遊んだ後、ショッピングセンター内をうろついていた。
 ちなみにゲーセンでの勝負は5対4で俺の辛勝となった。
 レースゲームやガンシューティングゲーム等の筐体系ゲームは俺が有利だったが、
 エアホッケー、フリースロー等の身体を使うゲームに関しては彼女の圧勝だった。
 妖怪の面目躍如という所か、身体能力は普通の人間と比較にならない程優れている。理不尽だ。
 プレイ中、終始彼女は笑って、はしゃいで、楽しんでくれていた様だ。
 そろそろ夕食の食材を買って帰ろうか、と思っていた矢先、視界に携帯ショップの看板が入ってきた。
「てゐ」
 俺より2、3歩前を行く彼女に声を掛ける。
「どうしたの」
「お前、携帯持っとくか?」
 俺の自宅には固定電話がない。
 独り暮らしだし、家も空けている事が多いので必要ない為だ。
 よって、てゐは俺との通信手段は持っていない事となる。
 何かあった時の事を考えて、必要かと思ったのだが、
「いらないわ」
 俺の方を向かず、あっさりと答えるてゐ。
「あって困る事はないと思うけど」
 もう少し粘ってみる。
 すると彼女は
「だって」
 言葉にするのを躊躇うかの様に少し間を空けて、
「あともう少しで、この世界を離れるのだから」
 俺が今、一番目を背けたい現実を、目の前に突き付けた。


 3月まで後1ヶ月程。
 この生活が終われば、俺達二人は二度と会う事はない。
 どうして俺はここに来ててゐに携帯を渡したがったのだろうか。
 多分、二人の間に、離れた後も繋がる何かが欲しかったのだろう。
 定められた別離。
 それまでに残された時間はあと僅か。
 別れの瞬間、俺は笑って送り出してやれるのだろうか。





――仕事 難あり。しかし災い転じて福と為す。



 窓の外から猛烈な風音が聞こえてくる。
 本日未明から明日の明け方に掛けて、俺の住んでいる地方は発達した低気圧に包まれて、猛吹雪の予報となっていた。
 時刻は午前5時頃。
 幸い風は強いが、まだ雪は乗っていない。
 今日は早めに出社して、事務所の雪害に備えないと。
「どうしたの」
 キッチンで上司と出社時刻について電話で話していた所に、てゐが眠そうな眼を擦りながら近づいて来た。
 どうやら話し声で起こしてしまったらしい。
 上司との電話を終え、てゐに状況を説明する。
「今日は猛吹雪になるらしいから、早めに出社する」
「いつ出るの?」
「もうすぐには」
「朝ご飯食べたの?」
「いや」
「ちゃんと食べた方が良いわ。力入らないわよ」
「そうしたいのもやまやまなんだが……」
 冷蔵庫を開けてみても、すぐに食べられそうな物はない。
 てゐも冷蔵庫の中を覗き込み、幾つか食材を取り出す。
「10分待ってて。その間に準備でもしてなさい」
「大丈夫だよ。てゐは寝てなって」
「良いから。早くしなさい」
 眠気がまだ残っている為か、不機嫌そうな瞳でこちらを見る。
 有無を言わさないてゐの態度に、渋々ではあるが出社準備を急ぐ事にした。


「いただきます」
「どうぞー」
 てゐが作ってくれたのは解凍したご飯で握ってくれたお握りとソテーしたベーコン、レタスの葉を千切ったサラダだ。
 お握りの具は鮭フレークと昆布。冷凍されていたご飯でも絶妙な握り加減によってご飯はほろほろと解け、良質な食感を出している。
「うまい」
「……」
「うまいよーてゐー」
「解ったから早く食べなさい」
 キッチンで何か作業をしているてゐに向かって、ご飯のおいしさを伝えたら怒られてしまった。
 やっぱり機嫌悪いのか。
 朝早く起こしてしまった挙句飯も用意させてしまって……申し訳ない限りだ。
 時間もないのでちゃっちゃと済ます。
 味わわずに食べるのは勿体ない程のうまさ。
 今度時間ある時に改めて同じ物を作って貰う事としよう。


「ごちそうさまでした」
 食べ終えた食器をキッチンへと下げる。
「はい。お弁当」
 キッチンには大きな包みを持ったてゐが立っていた。
「作ってくれたの?」
「本格的に吹雪いたらご飯食べに行けないでしょ」
 確かに……店によっては早く閉める所も出てくるかも知れない。
「サンドイッチよ。沢山作ったから、会社の人と一緒に食べなさい」
 そこまで気を配ってくれるなんて……
「てゐ、お前いい嫁さんになるよ」
「んなっ……頭の悪い事言ってないでさっさと出なさい」
 てゐは持っていた包みを俺に押し付ける。
 まだ食器持ってるから!落としちゃうから!
 食器をシンクへと置き、包みを受け取って玄関へ。
 ゴム長を履き、履き口をしっかり絞って外へ出ようとした所、
「○○」
「どうした」
 振り向き様、てゐの両手が俺の右手を包んだ。
「どうかしたか?」
「……」
 てゐは何も言わずに俺の両手を握り、瞳を閉じている。
 その状態が数秒間続いた後、俺の手は離された。
「おまじないよ」
「おまじない?」
「そ。あんたが無事に帰って来れます様にってね」
「そっか。ありがとな」
 反射的に右手で頭を撫ぜてしまう
「ふぁっ」
 嫌がってすぐに振り払われるかと思ったが、大人しく受けてくれる様だった。
 わしわしと乱暴に撫ぜた後は、慈しむ様にゆっくりと。
「……」
 てゐは俯いてされるがままになっていた。
 髪に隠れて表情は見えないが、なんとなく、嫌がってはいない事は解った。
 なんか……可愛いな、こいつ。
「おっと、そろそろ時間だから行って来るわ」
 時間もないので手を離す。
 その瞬間、てゐが俺の事を上目使いで見上げたのは、名残惜しさから来るものだったのだろうか。
 そうだったら嬉しいと思う。
「うん。行ってらっしゃい」
 てゐの見送りを受けながら、俺は暴風が唸る外へと足を踏み出した。



「まったく……酷い目にあった」
 時刻は午後11時。現在は雪、風共に落ち着いている。
 早朝は暴風のみであったが程なくして雪が加わり、視界を遮る暴風雪となった。
 会社に着いた俺は、外に出ている備品を片付け等の暴風雪対策を行った。
 日中に掛けて風、雪共に強まり、一時外に出られない状態になっていた。
 てゐに弁当を包んで貰ってなかったら、出社した社員一同飯抜きという事態になっていただろう。
 会社の人達にも、一応従姉妹設定で説明しておいた。
 今度連れて来いとの事だが、間違いなく嫌な予感しかしないので、曖昧に頷いておいた。
 こんな天気だとひたすら敷地内の雪かきに忙殺される。
 交代で行い続ける事で、なんとか雪で埋まるという事は避けられたが、問題は帰りの道にあった。
 目の前で事故が発生した。
 片側3車線の道路を走行中、街路樹が暴風に煽られて倒れてきたのだ。
 幸い右端を走行していた為、巻き込まれる事はなかったが、もし別の車線を走っていたら無事ではすまなかっただろう。
 ほかの車両が衝突している様子もない。
 これもてゐのおまじないのお陰なのか。
 ただ、事故の影響もあって道路は封鎖、周辺一帯は大渋滞となった。 
 いつまで経っても動かない車の列に巻き込まれ、帰りはいつもより数時間も遅れる事になってしまった。


 外からアパートの外観を眺める。
 自分達の部屋に灯りは点いていなかった。
 もう寝てしまったのだろうか。
 駐車場に車を止めて、急いで階段を登る。
 部屋へと続く廊下にもしたたか雪が進入していたが、自宅の前はそれ程積もっていなかった。
 あいつ、雪かきしてくれていたのか。
 同居人の気遣いを嬉しく思いながら、玄関の扉の鍵を開け、そっと中へと入る。
 部屋の中はしんと静まり返っている。
 居間の方も灯りは点いていない。
 暗くて良く見えないが、キッチンと今を仕切る引き戸は開いている様だ。
「ただいまー。てゐ? 居るのか?」
 てゐの姿が見えない。
 居間に居るのだろうか。
 部屋へと上がる為、靴を脱ごうとした瞬間、
 腹に衝撃を受けて、後ろへ倒れ込んだ。
 金属製のドアが背中に強か当たる。いてぇ……
 衝撃の原因を確認しようと腹の辺りに手をやると、

 てゐが俺の腹にしがみ付いていた。

「……」
「てゐ! どうした返事しないから心配したぞ」
 黙りこくるてゐに、努めて明るく声を掛ける。
「……」
 しかし反応は芳しくない。
 どうした。まさか体調崩した? それとも雪かきの時に怪我でもしたか。
「てゐ? どうした。体調悪いのか」
「……」
 何も答えない。
 二人とも声を出さず、ただてゐが俺の腹にしがみ付いている状態が続く。
 やがて、
「……っ」
「てゐ?」
「……くぁ……っく」
「泣いてるのか?」
 腹に顔を押し付けながら、首をぶんぶんと振る。
 否定しているつもりなのだろうか。
「ばか……」
「何だ?」
 腹に顔を埋めている為、何を言っているのか聞き取りづらい。
「ばか……帰ってくるのが遅い……電気は止まるし、何なのよ……」
「痛って」
 ぼすぼす、と腹に頭突きをする。
「心配したんだから……」
「……」
 ぽつりぽつり、と言葉を紡ぐ。
「連絡もできないし、いつまで経っても帰ってこないし」
「……」
「もう、帰ってこないんじゃないかって思うと、どうにかなっちゃいそうで……」
 身体を少し離し、涙を浮かべた両目で俺を見上げてくる。
 それでも、両腕は離すまいと俺の腰に回されている。

 ああ、だめだ、こいつ、かわいすぎる。

 俺は腰を屈め、てゐを胸の中に掻き抱いた。
「くぁっ」
 てゐの背中に両腕を回し、きつく抱きしめる。
「いたいよ、○○……」
 身を捩りながら抗議してくる。
 だが、抵抗は弱々しく本気で抜け出そうとしていないのは明らかだ。
「てゐ。ごめん。心配掛けて」
 まずは心配を掛けた事を謝らなければならない。
「……」
 胸の中で頷く様に首を動かそうとするが、きつく抱きしめている為か思う様に動かせていない。
「お前のおまじないのお陰で無事に帰って来れたよ。ありがとうな」
「……ぅ」
「あと、俺はお前を絶対に見捨てたりしない。大丈夫だ」
 てゐの後頭部に右手をやり、ゆっくりと、安心させる様に撫ぜ回す。
「ぅあ、ぁああぁああーーーーーっ!!」
 てゐは俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。


「落ち着いたか?」
「……くっ……すん」
 泣き声は少し前に収まった。
 しかしまだ両腕は俺の背中に回されており、離す気配はない。
「意外と甘えん坊さんなんだな」
「うるさい」
 いつもなら鉄拳の一つでも飛んで来そうな事を言っても、今日は許してくれるみたいだ。
 そんな普段と違う様子に、心配を掛けてしまったのだと改めて感じてしまう。
 俺は両手をてゐの頭に持って行き、胸から離す。
 改めててゐの顔を見る。
 暗闇に目がなれてきた事もあり、赤い瞳が泣き腫らした事で更に赤くなっている事に気が付く。
「ごめんな」
「もういい……」
 互いに瞳を覗き込みながら言葉を交わす。
 それにしても……近い。
 鼻と鼻が触れそうな程の近さ。
 瞬きする度にばさばさと揺れる長い睫毛、真紅に染まった瞳、真っ直ぐに伸びた鼻梁、水饅頭の様に柔らかそうな唇。
 その全てが、今触れられる距離にある。
 てゐの方も気が付いた様だ。
 離れるか、と思いきや、瞳を閉じて徐々に近づいてくる。
 これは……そういう雰囲気という奴なのか。
 女性の心の機微に乏しい俺ですら、理解できる程、簡単な答え。
 自身の心に後戻りのできない何かが生じるのを感じながら、てゐの唇へと近づいていく。
 二人の影が重なる瞬間、

「「あ」」

 とても素敵なタイミングで、電気が復旧した。
 どうすんだこの空気……
 後にも先にも進めないでいる俺に、羞恥心が臨界を超えたてゐによる全力のヘッドバッドが鼻柱に決まった所でお開きとなった。



「てゐ?」
「……」
「てゐー?」
「……」
「てゐさーん?」
「黙って食べろ」
「はいすいませんでした」
 風呂に入って暖まった後、遅い夕食を頂く。
 てゐは俺の帰りをわざわざ待ってくれていた様で、一緒に夕食を取っている。
 あの後何度か声を掛けてみたものの、全然反応してくれない。
 恥ずかしがっているのかしら。可愛い奴め。
「何か変な事考えてるでしょ?」
「考えてないっす……」
「あんた顔に出てるのよ。ニヤニヤしちゃって……」
 わっかり易いんだから、とため息と共に呟く。
 そんなに顔に出てるのか。
 言われっぱなしも腹が立つので、ちょっと表情をなくしてみよう。
「くふっ、何その顔?」
 無表情を笑われるなんて……普段俺は一体どんな表情をしているんだ……
 今度一日中鏡の前に立って観察してみるとしよう。


「てゐ?」
「……何よ」
 お姫様のご機嫌も、時間と共に平行へと傾いて来ている様で、今度はすんなり返事を返してくれた。
「改めてなんだけど、一人にしてごめん。そんで、飯も待っててくれてありがとう」
 今の素直な気持ちを伝える。
 俺の言葉を受けて、少し恥ずかしそうに耳を揺すらせた後、
「携帯……」
「何?」
「だから、携帯電話」
「携帯がどうかしたの?」
「今日みたいに帰りが遅くなりそうだったら、ご飯作るタイミングとかわかんないし……」
 顔を俯かせ、瞳を逸らせながら、回りくどい表現で携帯電話を買ってくれとねだってくる。
 素直じゃないなあ。
「まった変な事考えてるでしょ!」
「考えてないよー」
「ムカつくわ! 何かその言い方とってもムカつくわ!!」
「なんだそりゃ……まあ、明日休みだから買いに行くか?」
「……うん」
 今度は素直に頷く。笑顔で。
 その姿を見て、俺は自身の心に生じた想いが揺ぎないものである事を確信してしまった。



 今日は色々あり過ぎて疲れた。
 酒も飲まずに早々に床に着く事にする。
 てゐも異論はない様で、寝る為の準備をしている。
 居間に置いてあるテーブルを動かし、布団を敷く。
 横向きに寝転がり、毛布と掛け布団を首元まで引き上げると、脳が痺れる程の眠さが襲ってきた。
 明日は携帯を買いに行かないとなあ。
 色々な思考が浮かんで来てはしぼむ様に消えていく。
 意識が朦朧としてきた。
 部屋の明かりが消される。
 少し寒いな。
 ほぼ一日中雪かきで外に出ていた為か、今更になって全身に悪寒が生じてきた。
 もう一枚布団を出そうか迷っていた所で、背中に暖かいものが張り付いてくる。
 ああ、これなら良く眠れそうだ。
「おやすみなさい」
 少し離れたベッドで寝ているはずのてゐの声が耳許から聞こえてきた所で、俺の意識は完全に途絶えた。





――交渉 遠からず来る。



 キンコーン
『今日何時に帰ってくる?』
『19時には家着く』
『わかった。あと、ドレッシングが切れそうだから帰りに買ってきて。胡麻ね。コンビニで買ったら殺すから( ・ω・)@』
『はいはいわかったよー』
『はいは1回!』
『はーい』

 キンコーン
『○○」
『どうした? 何かあったか?』
『なんでもなーい』
『なんだよ! 仕事中は勘弁してくれ……』

 キンコーン
『○○お醤油取って』
「……流石に食事中は行儀悪いぞ」
「ごめんなさい」
 携帯電話を買って数日、てゐはずっとこの調子である。
 幻想郷においては、未だ電子機器の分野は発達しておらず、手軽な連絡手段は存在しないという。
 珍しさもあってか、おもちゃを買い与えられた子供の様に四六時中弄っている。
「そんなに珍しいか」
「珍しいわよ。これがあれば薬の配達も効率良くできるのになー」
「ふうん」
「あんただって携帯買って貰った直後はこんな感じだったんじゃない?」
 てゐは携帯電話を折り畳み、食事を再開する。
「まあ確かに…」
 高校生になってすぐの頃に買い与えられたが、こんな感じだったのだろうか。
 まあ、それも一時的なものだ。
 すぐに当たり前になって、必要最低限の事しかしなくなるだろう。
「そういう事よ。あんただって」
 言いながらてゐは、自身の体を少し浮かす。
「今空を飛べる様になったら一日中飛んでるでしょう?」
 したり顔で言ってきた。少しムカつく。
 確かに空を飛べるとしたら一日中飛んでいたい。一日所か、一週間は無駄に飛び続けられる自信がある。
「私達にとって空を飛ぶ事は日常だからね。必要な時以外飛んだりしないわ」
「なるほどねえ」
「絶対わかってないでしょ。というより、空を飛べたら良いなーって事に心奪われている感じかしら」
「なぜわかった」
「顔に書いてあるわよ」
 相変わらず顔に出易いらしい。
 矯正しようと頑張ってはみたが、もう諦めた方が良さそうだ。
 俺が悪いというより、てゐが人の考えを見抜くのに長けているだけなんじゃないかと最近思う。
「まあ、あんたも幻想郷に来てしばらくしたら飛べる様になるかもねー」
「ふうん」
 俺も幻想郷に行けば空を飛べる可能性があるらしい。
 人間が空を飛ぶ為には、幻想郷へと出向き力を付けるか、頭に取り付ける竹とんぼが開発されるのを待つか、どちらが現実的なのだろうか。
 両方とも荒唐無稽な話ではあるが、目の前に空を飛んでいる存在がいる分、前者の方が現実的に思えてくるのが恐ろしい。
 今だったら机の引き出しが異空間に繋がっていても驚かない自信があるわ……
「それよか、その携帯プリペイド式だから無駄使いするなよ? 肝心な時に使えなくなっても知らんからな」
 キンコーン
『はーい』
 返事は携帯に返ってくる。てゐの方に顔を向けると、嬉しそうな笑み。
 そんな顔されたら強く言えんだろうが……
 しばらく携帯ブームは続きそうな気配だった。



「そういえば」
 鞄の中から包みを取り出す。
「お隣さんが引っ越してきたんだって。家に入る前に廊下で会ったんだ。これご挨拶にって」
 てゐに包みを渡す。
 ふーんと呟きながら包みを剥がす。
 中身はよくある感じの菓子折りの様だ。
 箱から紙を取り出し、内容を見た瞬間、
 てゐの眉がほんの一瞬だけ、しかめられた様に見えた。
「隣に越してきた人って、どんな格好してた?」
「あの服を何て表現したものやら……とりあえず、綺麗な金髪の人だったよ。外人さんかなあ」
 てゐは無表情で紙の内容を注視している。
「どうかしたのか?」
「なんでもないわ。頂きましょう?」
 紙を閉じ、箱の中に戻す。
 お菓子を頂いているうちに、その紙はいつの間にか姿を消していた。





――願望 叶わず。



 最近てゐの様子がおかしい。
 数日前までひっきりなしに送られて来ていたメールも、今や必要最低限となっている。
 本人に聞いてみた所、「飽きた」の3文字で返された。
 まあ元々喜怒哀楽が激しく、飽きっぽい印象もあった為、そんなもんかと思っていたが、携帯ブームの突然の終了以外にも気になる点が幾つか出てきた。
 話しかけても上の空の事が多かったり、何かを考え込む表情を見せる様になったり、酒量が減ったり。
 一つ一つは大した事ではないが、こうまで重なると何かあったのではないかと勘ぐってしまう。
 体調が悪いのか、それとも……
 それとなく聞いても、何でもないとはぐらかされてしまう。
 取り越し苦労で済んでくれるのであれば、こちらも安心できるのだが。


 仕事の帰り、頼まれていたものを買いにコンビニに行く。
 2リットルペットボトルの烏龍茶が切れてしまった為、帰りに買ってきて欲しいと頼まれたのだ。
 普段ならコンビニでものを買うと良い顔をされないのだが、今日に限ってはお許しを得られている。
 ご飯がもうすぐできるので、どこでも良いから早く買って帰って来いとの事。
 同居をし始めてもうすぐ2ヶ月。最早財布の紐も握られている状態である。
 早々に買い物をして帰ろう。
 今日のご飯は何かなあ。
 烏龍茶を2本購入し、店を出ようとした所で、生洋菓子を陳列している棚が目に入る。
 そういえばあいつ、洋菓子好きだったな。
 以前、懇意にさせて頂いている肉屋さんの奥様にケーキを頂いた事があった。
 幻想郷において洋菓子は珍しい様で、滅多に食べられないという。
 あの時のてゐの興奮っぷりは、一緒に生活して初めて見るものだった。
 たとえ永い時を生きていようと、いつまで経っても女の子は甘いものが好きな様だ。
 買っていったら元気になってくれるだろうか。
 これで元気を出してくれれば良いし、もし俺の思い違いだったとしても喜んではくれるだろう。
 いつも世話になってるから、少しは労わないとな。
 生憎ケーキはなかったので、シュークリームを2つレジへ持って行く。
 好物をあげて元気を出そうとする手段はいささか短絡的かとも思ったが、てゐの喜ぶ姿を想像する内にどうでもよくなっていた。



「ただいまー」
「おかえりなさーい」
 玄関の扉を開けると、室内の暖かい空気とてゐの声が迎えてくれる。
「ほら、おみやげ」
「? どうしたの急に」
 夕飯の調理をしながら、首だけ俺の方を向けてくる。
 身長がえらく低いので、料理をする時は相変わらず脚立の上だ。
「まーなんとなくな」
「ふーん。で、何買ってきたの?」
「ほれ」
 靴を脱ぎ、調理中のてゐに近づき袋を渡す。
「どれどれ、あ、シュークリームじゃん」
 顔がわっかり易い程の喜色に彩られる。
 火を止めて脚立から降り、袋からパッケージを取り出す。
「ねえ、今食べて良い?」
「いや駄目だろ普通に……飯食えなくなるぞ」
「子共じゃないんだから食べられるわよ……」
 まあ喜んでくれたみたいで何よりだ。
 今日は表情も明るく、こころなしか血色も良い気がする。
 やっぱり、思い過ごしだったんだ。
 自分の心に引っかかる何かを握り潰し、その考えが正しいものである事を願った。



「いただきます」
「いただきます」
 今日の献立はオムライス、シーザーサラダ、ポトフの3品だ。
 ポトフには乱切りされた人参が大量に入り、てゐの好みの仕様となっている。
 ちなみにオムライスは俺の好物だ。
 その事を話した時はおこちゃま舌と馬鹿にされたものだ。
 好きなものを言っただけで罵倒されるなんて……理不尽な世の中だよな。
 それでも何度となくリクエストして作って貰っている内に、いつのまにかてゐの得意料理の1つとなっていた。
「お、オムライスだ! あれ、作ってってお願いしてたっけ?」
「してないわ。何となく作りたい気分だったの」
「ふーん」
 まあ食卓に好物が並ぶのは嬉しいし、良いか。
 早速一口目を頂こうとした所で、
「そういえば」

「私、今日の0時に幻想郷へ帰る事になったから」

 まるで子供が親に今日あった出来事を話すぐらいの軽さで、俺が一番恐れていた事態を告げた。

 可能性は十分にあった。
 ただ、直視するのが恐くて目を背けていただけ。
 最悪の想定は現実となった。
 元より3月には帰ると言っていたし、俺にも伝えられている。
 この数日の間に、元の世界に帰る算段が付いたのだろうか。
 そう考えれば、態度が変化した事も説明できる。
 であるならば、てゐはなぜそんな大事な事を簡単に告げた上に、普通に飯を食っているのか。
「どうしたの○○。食べないの?」
 食欲なんて一瞬で失せた。
 飯なんか食ってる場合じゃないだろ。
 お前、後数時間でここを離れるんだぞ?
 何で教えてくれなかったんだ?
 お前にとって俺は、別れを惜しむ必要がない程の存在だったのか?
 数日間様子が変だったのは、この世界は居心地が良くて離れ難かったからじゃないのか?
 てゐと過ごした日々が脳裏に過ぎる。
 お前……俺の事、憎からず思っていたんじゃないのか?
 俺は……
 様々な考えが浮かんでは消えていく。
「お前……どうして」
 ひり付いて上手く動かない喉を強引に引き剥がし、言葉を紡ぐ。
「どうしてって、初めに3月頃向こうに帰るって言ったでしょ?」
 そんな事は解っている。
 そうじゃなくて……
「そんな大事な事を、どうして当日に言うんだよ?」
 てゐはオムライスをうまそうに食べながら、
「大事って……別に私が向こうの世界に帰るだけでしょ? あなたは元の生活に戻るだけで、殆ど影響ないじゃない」
「なっ……」
 こいつは何を言っているんだ。
 2ヶ月間生活を共にした同居人が突然居なくなるんだぞ?
 恐ろしく冷酷な発言をした事に気が付いていないのか、本人は平然と飯を食い続けている。
 こいつにとって、俺という存在は特別なものではないのかもしれない。
 でも……それでも俺にとって、こいつはもう代えの利かない存在であり、こいつとの生活がこれからも続く事を望んでいる。
 できるのであれば、死ぬまでずっと。
 それがたとえ、こいつが長い年月大切にしてきた人達と離れ離れになる事になっても。
 吐き気がする程の自己中心的思考。
 それでも、今ここで言わなければ、俺は一生後悔する。
「てゐ」
「何?」
 オムライスを食べ終えたてゐは、ポトフに入っている人参に齧り付いている。
 人が一大決心をしている時にうまそうに飯食いやがって……
 憤り、恐怖、後ろめたさ、希望、様々な感情がない交ぜになる中で、俺は、
「お前の事が好きだ。俺と、この世界で一緒に暮らしてほしい」
 自分の思いの丈を、言葉にしてぶつけた。
 その言葉に対し、

「……は?」

 てゐの反応は、酷く冷やかなものだった。

「何言ってるの、あんた」
 てゐは俺の言葉を聞いても食べる手を止めなかった。
 その様子は、世間話をしている時と大差ない。
「私は幻想郷に帰らなきゃいけないの。初めに説明したわよね」
 表情は乏しく、視線は皿に向けられ、俺の姿が視界に入っているかどうかも怪しい。
「あんたが私を好ましく思うのは勝手だけど、この世界に留めようとするのは勘弁して欲しいわね」
 私もそんなに暇じゃないのよ、とため息交じりに呟く。
「そもそも、人間と妖怪じゃ生きる年月が違う。あんたも長く生きた所で、あと80年位でしょ」
「自分が本来存在しない世界であんたが死んだ後、私はどうやって生きて行けばいいのかしら?」
「私が抱えてる事情も汲まずに、自分の都合だけ要求してくるなんて、あんたって随分自己中心的で無責任な人なのね」
 矢継ぎ早に繰り出される否定の言葉の応酬に、俺は何も言う事ができない。
 てゐの言う事は、全て正論だ。
 だが、それでも俺は諦められない。
「じゃあ、俺も幻想郷に行く」
 てゐがこちらの世界で生きられないのであれば、俺が向こうの世界で生きる。
 僅かな希望を持っててゐに視線を向ける。
 てゐは持っていたスプーンを置いて、深くため息をついた。
 お互い、言葉を発さない。
 てゐは顔を俯けており、前髪に隠れて表情は見えない。
 耳が痛くなる程の静寂。
 時間の感覚はとうになくなっている。
 無限に続くかとも思われた沈黙は、てゐが顔を上げた事によって破られた。
 前髪の隙間から見えたその瞳には、一切の感情が浮かんでいない。
「話にならないわね」
 てゐはテーブルに置いてあった携帯電話を持ち、ラックに掛けてあったスタジャンを羽織る。
 てゐが来てすぐに買い与えた黒のスタジャン。
 他にも何着かアウターを買い与えたが、特にこれがお気に入りの様で、出掛ける時は何時も羽織っていた。
 未だテーブルから動く事のできない俺の横をすり抜けて、キッチンに続く引き戸を開ける。
 このまますぐに出る気なのか。
 そう思った途端、体が動いていた。
 立ち上がり、てゐの左手を掴む。
 そういえば、俺から手を繋ぐのはこれが初めてだな。
 そんな事に思考を囚われた矢先に、視界が大きく揺らぎ、背中に衝撃が走る。
 てゐが勢い良く左手を振り解き、バランスを崩した俺は、背中からベッドに衝突していた。
 てゐはそのまま無言で玄関へと向かい扉を開ける。
 俺は、その姿を呆然と見つめ続ける事しかできなかった。



 静まり返る部屋。
 いつもこれくらいの時間には、2人で酒を飲みながら下らない話をしたり、テレビを見たり、ゲームしたりしてたな。
 そんな状況は、今後二度と訪れない。
 てゐが居なくなってしまったから。
 どこで失敗した。
 というより、初めからこうなる事は解っていたのだから、失敗も何もない。
 唯一つ反省する所があるのならば、俺自身の感情だろう。
 深入りし過ぎた。
 離れ離れになると解っていたのだから、もう少し距離を取って接すれば良かったんだ。
「あーあ」
 残ったのはてゐの為に買い与えた服と、せがまれて買った調理器具、調味料。
 あと、俺の携帯に入っている写真。
 携帯を操作して写真を開こうとしたが、どうしても最後の操作ができない。
 恐らく、見た瞬間子供の様に泣いてしまうだろうから。
 今日は色々あって疲れた。
 そんな事を考えた瞬間に、自分の腹が盛大に鳴り響く。
 どんなに悲しい事があっても、人間は空腹に耐えられないらしい。
 折角作って貰ったんだから、飯食わないと。
 痛む背中をさすりながら、もそもそとテーブルの前に移動、冷めたオムライスを一口頬張る。
 ……まず。
 何だこれ!? ケチャップの味で少し塩気があるが、それ以上に甘すぎる。
 材料を炒める時に、塩の代わりに砂糖をぶちまけた様な甘さだ。
 最後の最後まで嫌がらせとは……恐れ入る。
 しかしあいつはオムライスをうまそうに完食していた。
 自分のだけ普通に作ったのだろうか。
 悪戯一つに手間を掛けたものだ。
 俺への嫌がらせの為に、わざわざ2回に分けてオムライスを作るてゐの姿を想像して、少し可笑しくなって笑ってしまった。
 勿体ないから、オムライス含め全ての料理をその日の内に頂いた。


「これからどうしよう」
 追い駆けるにしても、てゐが出て行って結構な時間が経っている。
 0時に向こうへ帰るという事だから、移動は尋常な手段ではないだろう。
 そもそも、追い駆ける気力があるのならば、部屋を出て行った瞬間に体が動いていたはずだ。
 結局、俺の想いなんてそんなもんだったんだろうか。
 吹雪の夜に、あいつの弱い部分を見て、一方的な保護欲に駆られただけ。
 可愛いあいつに頼られる俺はすごい。俺を頼りにするあいつは、俺の事が好きに違いない。
 俺の心の底にあった、そんな浅はかな想いに、恐らく気付いていたのだろう。
 だからあいつは、俺の歪んだ想いを打ち砕き、関係を断ち切る為、帰る直前になって期日を告げ、俺の前から去っていった。
 そう考えれば、全て説明が付く
 全て、俺自身が招いた事態だ。
 何の言い訳もできない。
 あいつの言っていた通りだ。
 自己中心的で無責任。
 あいつの感情とか、抱えている事情とか、何も慮らず、自分の都合のみを押し付けたから、俺達の関係は崩壊した。
 初めの内は笑って送り出してやる予定だったんだけどな……
 頭の中が自己嫌悪で埋め尽くされ、座っているのも辛くなり、その場で横になる。
 もう寝てしまおうか。
 そう思った矢先、目の前の小物収納箱に入っているおみくじが目に入った。
 初詣から帰って来て、その後どっかに置いたまま失くしてしまっていたはずだったが、数日前てゐが掃除した時に見つけてくれたんだっけか。
 そういえば、こいつを引いた直後に、あいつと出会ったんだよな。
 這いずる様にして箱に近づき、おみくじを手に取る。
 大吉と書かれたそのおみくじには、項目別に運勢が書かれていた。
「願望、叶わず。か」
 まさに今の俺にあつらえた様な状況だ。
 もしかしたら、あの瞬間に俺の未来は決まっていたのかもしれない。
 こいつを見ていると色々思い出してしまいそうだ。
 てゐには縁起物だから大切にしろと言われたが、さっさと捨てる事で気持ちを切り替える切っ掛けとしよう。
 おみくじを両手で持ち、一思いに破ろうとした所で、
「――本当にいいのかしら?」
 ここに居るはずのない、女性の声が聞こえた。
 慌てて立ち上がると、そこには、
「お隣……さん?」
「こんばんわ。ご機嫌いかがかしら?」
 数日前に引っ越してきたというお隣さんが、何もない空間から半身だけを覗かせて、笑顔で手を振っていた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 紫の導きによって、2ヶ月振りに幻想郷への帰還を果たす。
 元はと言えば全てこいつが原因である。
 事が落ち着いたら、慰謝料でも何でもふんだくってやらないと……
 霊夢に深夜に押しかけたお詫びをした後、すぐに永遠亭に向けて飛び立つ。
 こちらに戻る少し前に、大量の力を使う機会があった為、若干飛行が不安定になっていた。
 それでも今出せる最大の速度で進み、迷いの竹林を抜けて、永遠亭へと降り立つ。
 雪が舞い散るしんとした空気の中、2ヶ月振りとなる我が家の敷居を跨ぐ。
 玄関には誰も居ない。
 そりゃあ深夜に差し掛かる時間ともなれば、皆寝ていてもおかしくない。
 起こさない様、そっと靴を脱いだ所で、廊下の方から声を掛けられる。
「どなたですか?」
 鈴仙の声だ。
 名の通りの鈴を転がした様な声を聞いて、幻想郷へ帰ってきたという事が改めて実感できた。
「……てゐ!?」
「鈴仙、ひさしぶぐふぁ」
 私の姿を見るや否や、猛然と突っ込んできて抱きしめられた。
 あまりに強い締め付けに、息が苦しくなってくる。
 後頭部に暖かい感触。
 鈴仙、泣いてくれてるんだ。
「ひっぐ……心配……したんだからぁ」
「いやー出て行く事になったの私のせいじゃないし……」
「わかってるわよぉ……でも……無事で良かった……」
 ますます締め付けが強くなる。
 だけど、どんなに苦しくなっても、この腕を振り解こう、という気は起きなかった。
 鈴仙の背中に手を回す。
 ああ、私の事を、こんなにも心配してくれる人がいるんだ。

「ただいま、鈴仙」
「おかえり、てゐ」

 子供の様に大声で泣きじゃくる鈴仙の声に、永遠亭の住人達が集まって来た。
 皆一様にほっとした顔で出迎えてくれる。
 帰って来て良かった。
 今は、心の底からそう思えた。



 翌日、永遠亭首脳陣に改めて帰還の報告をする。
 姫様は私が不在になったせいで仕事が滞っている事を、鷹揚に許してくれた。
 お師匠様は私の体調を気遣い、少しの間休む様にと薦めてくれた。
 しかし、今の永遠亭の状況は芳しくない。
 永遠亭は永夜異変の後、竹林の外との接触を解禁した。
 お師匠様が作る薬を試しに販売した所、高い効能が評判を呼び、たちどころに需要が発生したのだ。
 現在私を筆頭とした地上兎が、薬を持って各地の顧客を尋ねて販売する形式で商売を行っている。
 基本的に地上兎は私の指示を受けて行動をする。
 よって、私が不在となると仕事に大きな支障が出るという事だ。
 ありがたい事に鈴仙が私の不在の穴を埋めようと奔走してくれたが、製薬の仕事も同時に行っていた為、どうしても全てを監督する事ができなかった様だ。
 頭目を失った不安感から、年少組の中には体調不良を訴える者も出てきているという。
 疲れが全くないと言えば嘘になるが、この状況ではおちおち休んでもいられないだろう。
 まずは、私が不在になった事で発生した諸々の問題に対処しなければ。
 配達遅延地域への早期配達、苦情への対応、新規顧客の開拓再開。
 やるべき事は山の様にある。
「2ヶ月サボった分、気合入れていきますか」
 気を抜くと、自身の心に渦巻く何かに身を灼かれそうになる。
 私は目の前の仕事へと取り掛かり、強引に意識を逸らした。



 幻想郷に戻ってから1週間が過ぎた。
 仕事は未だ多く残っており、まだまだ予断を許さない状況だ。
 朝から配達に同行し、ご迷惑をお掛けしてしまった顧客に対してお詫びを行う日々が続いている。
 全て回りきるまで、後1週間は掛かると思う。
 意外だったのが、顧客の方々の反応だ。
 苦情が寄せられた顧客から優先して対応を行ったが、事情を説明すると寧ろ心配される事が多くあった。
 竹林の外と交流を始めてまだ日は浅いが、自分達の仕事が多くの人妖に受け入れられているという事なのだろうか。
 功績が認められた様で、少し嬉しくなる。
 自分達の事を頼りにしてくれている存在を確かめる事で、その期待に応えていかなければならないと改めて決意する事ができた。



 今日は妖怪の山に薬を調達する為に出向いている。
 山の入り口をうろついていた白狼天狗に入山する事を伝え、山道を進む。
 3月に入ったとは言え、山中は降雪が続いている。
 雪に足を捕られて転ばない様、注意しながら登っていると、
「おや、あなたが直接配達に来るなんて珍しいわね」
 山の中腹辺りで、鴉天狗に遭遇した。
 話が長くなりそうなので、荷物を持たせた地上兎を先行させる。
「どういった風の吹き回しかしら」
「お礼参りに決まっているでしょう。妖怪の山の方々にも迷惑をお掛けした様だしね」
 関わると碌な事がない妖怪として名高い彼女も、妖怪の山の中では一人の構成員でしかない。
 いつもの慇懃無礼な対応はなりを潜めている。
 本来であれば関わりたくない所ではあるが、こちらの都合で迷惑を掛けたのは事実だ。
 一応謝っておこう。
「この度はこちらの都合で配達を滞らせる事態となり、大変申し訳ございませんでした。」
 外用の面、声で謝罪をする。
 こちらが真面目に謝罪をするものだから虚を突かれたのだろうか。
 文が口をだらしなく開け、呆けている。
「ぷ……ぶぁっふぁっふぁ!!」
 と思いきや、いきなり大声で笑い始めやがった。
 こちらの誠心誠意の謝罪を何だと思っているんだ。
「いやー貴方もそんなを顔するのね」
 相当面白かったのか、目尻を薬指で拭いながら揶揄してくる。
 こいつに真面目に対応するのは今後一切止めよう。
 そう心に誓った。
「でも、無事に帰って来られた様で良かったわ。一応、心配したのよ」
 あれだけ笑われた後にそんな事を言われてねえ。
「まあ、八雲紫を囃し立てた面々に、私も入ってたし……」
 あんたが飛ばされる原因の一員だったのか。
「責任を感じる所もあったから、一応私も博麗の巫女に頼んで外の世界を捜索したのよ?」
 結局、成果はなかったけどねーと呟く彼女。
 外の世界は一度出ると簡単には戻って来られない。
 使える力にも制限が掛かってしまう為、危険も伴う。
 成果がなかったとは言え、それらを承知の上で捜索を買って出てくれたという事が、少し嬉しかった。
「ありがとう。あんたが責任を感じて行動してくれただけでもありがたいわ」
「いいえ。宴会の席での不手際含めて申し訳なかったわ。改めて、謝罪させて頂くわ」
 お互いが頭を下げあう状況。
 まさかこの妖怪とこんなやりとりをする日が来るなんて思わなかったわ……
「それにしても……」
 今まで凛然としていた文の瞳に、怪しい光が灯る。
「しばらく見ない間に随分と雰囲気が変わりましたね!? 外の世界で何かあったんですか?」
 表情と口調が突如として変わる。
 爛々と輝く瞳は「何かあったんだろ早く聞かせろよ」と訴えている。
「……何もなかったわよ」
「まったまたぁ。今の一瞬の間は何だったんですか? 早く言っちゃった方が楽になりますよー?」
 ニヤニヤしながら私の周りをまとわり付いてくる。
 めんどくさい……
「言えるか! 仕事中だから邪魔すんな!」
「何かあったのは認めるんですね!?」
「知るか! もう行くわよ」
「今度永遠亭で貴方の帰還祝いがあるんですよね? 参加させて頂きますから、その時詳しく聞かせて下さいねー?」
 無視して山登りを再開する私の背に向かって大声で叫んでいる。
 あの天狗を少し見直した数分前の私を殴り飛ばしてやりたい。
 今後一切あの妖怪に対して真面目に応対するのは止めようと、改めて心に誓った。



 鴉天狗とのやりとりの後、妖怪の山の担当者へと会い、改めて謝罪を行った。
 先方もスキマ妖怪の悪行は耳に届いていた様で、寛容に対応して頂けたのが幸いだった。
 今後とも懇意にして頂けるという言葉を頂いて下山、帰路に着く事となった。


「ただいま」
 台車を納屋へとしまい、屋敷の門戸を潜る。
 伴っていた地上兎達は先に戻る様命じている。
 今頃仕事の疲れを癒す為に、風呂に入っている頃だろう。
 私も休憩を兼ねてお風呂に入って、早く仕事に戻らないと。
 考え事をしながら風呂場へと続く長い廊下を歩いていた所で、鈴仙と鉢合わせる。
「おかえりなさい。お風呂沸いているわよ」
「ただいま鈴仙。早速頂いてくるわ」
 帰りを伝えながら、歩調を緩めず風呂へと急ぐ。
 鈴仙の横を通る瞬間、
「ちょっと待って」
 声を掛けられ、鈴仙の方へと顔を向ける。
 そのまま両手で頬を包まれ、顔をまじまじと覗かれる。
「顔色悪いわよ? 何かあったの?」
 段々と顔を近づけてくる鈴仙。
 近いって……
 幻想郷に帰って来てからこっち、この子はやたらと私の事を心配する様になっていた。
 私が外の世界に飛ばされた宴会の席で、隣に座っていたのが彼女だった。
 名目上は私の上役にあたるという事もあって、責任でも感じているのかしら。
 元々上からものを言う所があり、苦手としていたのだが、最近はそういった様子も見られない。
 花が咲き乱れた異変を境に、彼女の態度が変わった気がする。
 真相を聞いた事はないが、まあ取っ付き易くなったなあ程度にしか思っていなかった。
 しかし今回私が外の世界から帰って来た後の彼女の態度と言ったら、少し度が過ぎていると言わざるを得ない。
 朝は必ず起こしに来るし、家事は私の分も引き受けてくれるし。
 お師匠様の話によれば、ご飯も自分が食べさせるなどと言っていた様だ。
 流石にそれはまずいだろうと判断した様で、お師匠様の方から禁止を言い渡してくれたそうだ。
 過保護過ぎるだろ……私は子供か。
 今日もそんな調子で私の心配をしているのだろうか。
「最近遅くまで仕事をしているみたいだけど、ちゃんと休んでいるの?」
「大丈夫よ。ちゃんと寝ているわ」
 嘘だ。最近殆ど寝られていない。
 意識を失う寸前まで仕事を続け、布団に入って一瞬目を閉じたと思ったら鈴仙に起こされている。
 この1週間、そんな生活を繰り返していた。
「……」
 無言で私の瞳を覗き込む。
 鈴仙の瞳は「何かあったの?」と言外に問うている様に見えた。
「……」
 だけど、話す事はできない。
 今、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ。
「……そう。解ったわ。私に何か手伝える事があったら言ってね?」
「そうね。ありがとう」
 鈴仙は私が碌に寝ていない事に気が付いているのだろう。
 私が仕事に没頭する事にも、何か理由があると察している。
 そして、その理由を話したくないという事も。
 聡い子だ。
 私は鈴仙の好意に甘える。
 今ここで、外の世界の事を話してしまったら、ひとつの思考に囚われて仕事が手に付かなくなってしまう。
 それでは、私が嘘を付いてまで帰って来た意味が、なくなってしまう。
 ○○の思いを踏みにじってまで帰って来た意味が、なくなってしまう。
 駄目だ。考えるのは止めよう。
 今考えるべき事は、永遠亭の事業再建についてだけだ。
 心配そうな視線を寄越す鈴仙を振り切り、私は風呂場へと急いだ。



 永遠亭での生活を再開して、気付けばもう2週間が経過していた
「これで……一段落かしら」
 今日も挨拶回りを終えて帰宅する。
 2週間に渡る突貫作業の甲斐もあって、全顧客への挨拶回り及び苦情処理は全て終了した。
 帳簿に関しても、不在だった2ヶ月間の分を再度確認、不備なく記帳は終了している。
 顧客の新規開拓も無事再開、各地から希望者が集まっている様だ。
 これで、急を要する対応は全て終了したと言えるだろう。


「ぐぁぁあっっつっかれたあぁぁ」
 部屋に帰るなり大きな欠伸をしながら畳の上に転がり込む。
 体が鉛の様に重く、手足を動かすのですら億劫な状態だ。
 流石に疲れたなあ……
 2週間に渡る激務を振り返り、よくもまあこなせたもんだと自分でも思う。
 そういえば○○も仕事から帰って来た時、疲れたーってよく言ってたなあ。
 仕事が片付いた高揚感もあって、ついそんな事を考えてしまった。
 ○○は今、どうしているかなあ。
 一度頭の中を占拠してしまえば、もう思考を止める事ができない。
 去り際に私への思いを打ち明けてくれた○○。
 私は、その思いに応える事なく外の世界を去った。
 だって、しょうがないじゃない。
 私には私の生活があって、頼りにしてくれている人が居る。
 ○○には○○の生活があったんだ。
 家族、友人、恋人……は居ないはずだけど、大切な人達が居たんだ。
 別れ際、○○は幻想郷に来てでも一緒に居たいと言ってくれた。
 でも、それは一時の気の迷いだ。
 幻想郷に受入れられれば、外の世界へ帰る事は容易ではない。
 それを知った時、彼は間違いなく後悔するだろう。
 ○○はまだ若い。自分の人生の可能性を、こんな所で狭める必要はないのだ。
 今まで考えない様にしていた事が、ぐるぐると頭の中を廻っていく。
 だめだ。これ以上は考えない方が良い。
 どうにかして思考を切り替え様と試みる。
 部屋の外から地上兎達の楽しそうな声が聞こえてくる。
 どうやらそろそろ夕食の時間の様だ。
 今日は久し振りに酒を呑もう。
 頭が働くなる程呑めば、余計な事を考えずに済むはずだ。
 居間へと移動する為に立ち上がる。
 その時、長押に衣文掛けで吊るされたスタジャンが目に入った。
 ああ、そういえばもって帰ってきちゃったんだっけ。
 ○○の部屋を出る時に、いつもの様な出掛けるを支度をしてしまったのを思い出す。
 なんとなく、掛けられたスタジャンを手に取り、羽織ってみる。
 ○○が最初に買ってくれた、思い入れのある一品。
 その後も色々買ってくれたけど、これが一番のお気に入りだった。
 ○○が、恥ずかしそうにそっぽ向きながら、かわいいって言ってくれた。
 その頃の情景を思い浮かべると、ついつい頬が緩んでしまう。
 もう随分と昔の様に感じてしまう思い出に浸っていると、

 キンコーン

 聞き慣れた音が、耳に届いてきた。

「うそっ……」
 ポケットの中を確かめる。
 それは、こちらも向こうから持ってきてしまっていた携帯電話。
 音の発生源はこれ以外に考えられない。
 以前○○に携帯電話の仕組みを聞いた事があった。
 内容は難しくて殆ど理解できなかったが、電波というものが外の世界には張り巡らされており、それを介して文字や声をやりとりしているとの事だった。
 つまり、幻想郷においては使えるはずがないという事。
 今の音は、メールの着信音だ。
 ありえない。
 幻想郷に居る限り、メールが届くはずがないのだ。
 恐る恐る携帯電話を開く。
 そこには、

 新着 From:○○

 ○○からのメールが届いていると表示されていた。
 内容は……私への恨み言だろうか。
 帰る日付を当日まで隠した上に、後足で砂を掛けて飛び出したんだ。
 何を言われても文句は言えないだろう。
 でも……それでも、内容が見たい。
 最後に○○が、私に何を伝えてくれ様としたのかを確かめたかった。
 震える指で、決定ボタンへと手を掛ける。
 押下した瞬間、

 電池残量がなくなりました。充電して下さい。

「え!? そんな……」
 画面には電池切れを伝える文字が躍り、一切の操作を受け付けなくなる。
「どうにかならないの? ねえ!」
 電源ボタンを長押ししても、起動画面で充電を促すのみ。
 やがて、起動すらしなくなった。
「ひっ……っくぁ……ああ……」
 ○○からの最後のメールは、永遠に見られなくなってしまった。

 この瞬間、私を支えていた大切な何かが、音を立てて崩れ去った。

 視界が涙でぼやける。
 ○○の事を思い出す。
 初めて出会った時の事、一緒に買い物に行った事、一緒にご飯を食べた事。
 一緒に遊んだ事、喧嘩した事、すぐに仲直りできた事。
 そして……独りで寂しくなった私を、優しく受け止めてくれた事。
 ついこの間まで確かに存在した幸せを、私が、壊した。
 忙しさに身を置く事で蓋をしていた仄暗い思考がどろりと溢れ出し、意識を満たしていく。
 さっきはよくも自分にとって都合の良い言い訳を並べたものだ。
 全ては○○の事を考えて選択したなんて、嗤える程都合が良い。
 本当は、○○に嫌われるのを恐れていただけだ。
 ○○を幻想郷に連れて来る選択肢を思い付かなかった訳ではない。
 しかし、もし幻想郷に連れて来た後、一緒に時を過ごす中で、私の事を嫌いになってしまったら。
 その時には彼は幻想に取り込まれ、元の世界へと帰る事はできなくなっているだろう。
 私は、そんな彼を前にして何をしてやれるのだろうか。
 外に返してあげる事もできない。
 ただ、人生を滅茶苦茶にされた原因として、恨みの対象となるのが関の山だ。
 そんな事になる位なら、いっそこの場で袂を分かった方がいい。
 これから先、自己嫌悪に苛まれて生きていく位なら、そっちの方がよっぽどましだ。
 相手の気持ちを信じられず、自分の責任を取る事を回避した、臆病者の末路。
 ○○に吐き捨てた罵詈雑言を、全て自分に言ってやりたくなる。
 なんて自己中心的で、無責任なんだろうか。

 私は、我が身の可愛さに、○○の心を、踏みにじった。

「……!!」
 強烈な吐き気に苛まれ、便所へと急ぐ。
「っ……ひぐっ……」
 汚物にまみれながら咽び泣く姿は、惰弱な兎には良くお似合いだと思った。
 今日もほとんど物を口に入れていなかったが、空っぽの胃は罰を与える様に痙攣を繰り返す。
 全てを出し終えた後、洗面台で口をゆすぎ、幽鬼の様な足取りで部屋へと戻る。
 とても夕食を食べられる様な状態ではない。
 鈴仙が部屋の様子を見に来た際心配しない様に、できるだけいつもと同じく見える様布団を敷く。
 今日はもう何も考えたくない。
 自らの罪から逃げる様に、私は思考を投げ出して眠りについた。



「……んっ」
 額に冷たさを感じて意識が覚醒する。
 あれ、今何時だろう。
 置き抜けの働かない頭を無理矢理回転させ、状況を思い出す。
 確か、仕事が終わって部屋で休んでいたら気分が悪くなって寝たんだっけ。
 すっかりと日は落ち、部屋の中はランプの灯りのみで照らされている。
「てゐ、起きたの?」
 そばから優しげな声音が聞こえてくる。
 枕元には手拭いを持った鈴仙が座っていた。
 先程感じた冷たさは、鈴仙が水で湿らせた手拭で額の汗を拭ってくれた時のものだろう。
「鈴仙……どうして」
「中々居間に来ないから心配して見に来たのよ。そうしたら、布団の上で苦しそうにしてたから……」
 どうやら、布団を敷いたは良いがそのまま倒れ込んた所で意識を失ってしまったらしい。
 失敗したなあ……
 また余計な心配を掛けてしまった様だ。
「体調は大丈夫?」
「ええ。さっきよりかはましになったわ。ありがとう」
 弱っているせいか、普段ならまず出てこないであろう礼の言葉が口をついて出てしまった。
 鈴仙は驚いた様な顔をしている。失礼な子だ。
「師匠が過労だって言ってたわよ。寝ないでずっと働いてたんだもん、そりゃ倒れもするわ……」
 疲労が溜まっていた状態であれこれ考えてしまった事が体調不良の原因だろう。
 自分の弱さに直面して倒れるなんて……いよいよ笑えない。
「ねえ、外の世界で何かあったの?」
 なんとなく察してはいたのだろうが、直接聞かれるのは初めてだ。
 話す事は躊躇われたが、これ以上心配を掛ける訳にはいかないか。
 それに、誰かに自分の罪を罰してほしかった。
 こんな重い話を聞かされる鈴仙は、さぞ迷惑に違いない。
 それでも、私は自分が楽になりたいという自己中心的な欲求に従い、外の世界での出来事を話し始めた。



 全てを語り終えた後、二人の間には長い長い沈黙が訪れた。
 途中当時の感情を思い出してしまい、取り留めのない内容になってしまったが、それでも鈴仙は遮る事なく聞いてくれた。
 優しい子だ。
 語り終えてからしばらくの沈黙を経て、鈴仙が口を開く。
「てゐ?」
 名前を呼ばれただけなのに、両肩が一瞬竦む様に動いてしまった。
 ああ、鈴仙がどんな反応をするのか恐いんだ。
 自分の醜さを凝縮した様な話だ。
 相手が引いてしまうという事も十分に考えられる。
 せっかくうまくいっていた鈴仙との仲も、これを機に後退してしまうかもしれない。
 やっぱり、話さない方が良かったな。
「……何?」
 私は諦めと共に、返事を搾り出した。
「てゐは……その人の事、今も想い続けているの?」
 言葉を選ぶ様に、ゆっくりと喋り掛けてくれる。
 改めて、○○の事を考えてみる。
 胸の中に湧き出でる感情は、罪悪感と後悔。
 でもその中心を流れるのは、暖かくて、わくわくする様で、少し切ない何かだ。
「私は、○○が好きなんだ」
 一筋の涙と共に、自然と口を付いて出た言葉。
 ○○の事を考えただけで、私の感情は千々に乱される。
 嬉しくて、腹立たしくて、切なくて、楽しい。
 もう誤魔化す事はできない。
「散々偉そうな事言って、いざ離れたらやっぱり好きでしたなんて……本当に最低だわ」
 自嘲を込めて呟く。
 鈴仙はどう思っただろうか。
 私をちゃんと断罪してくれるのか。
 鈴仙の顔が見られない。
 顔を俯け、お腹の前で組んだ手を見る。
 そこに、そっと、鈴仙の手が添えられる。
 思わず顔を上げると、鈴仙が私の顔を覗き込んでいた。
「違うよ」
 泣く様な、笑う様な顔で、
「てゐは、本当にその人が大事だったの」
 優しく包み込む様な声音で、私を肯定した。
「違うっ!」
「違わないよ」
 違う。違うの。私は自分の事しか考えていなかった。
 ○○に嫌われて生き続ける位なら、と何も言わずに飛び出して、関係を絶った。
 自らの心の安寧を守る為、○○の心を踏みにじったんだ
 だから私は、嘘を吐いて、○○の想いから逃げ出した。
 だから……
「っ……」
「大丈夫。大丈夫だよ」
 身体がふわりと包まれる感触。
 鈴仙に抱きしめられている。
「あなたは彼の事を大事にしたかっただけ」
 背中をさすりながら、染み込ませる様に語り掛ける。
「ただ、肝心な所で臆病になってしまっただけ」
 彼女の心音が聞こえる。
「だから、次に会った時、自分の気持ちを素直に伝えれば大丈夫だよ」
「……次なんてあるかどうかわかんないじゃん」
 思わず八つ当たりしてしまう。
「あるよ……必ずある」
 なんだそりゃ……
 何の根拠もない、暢気な発言。
 少し前までは自らが犯した罪に苛まれていた為か、余裕のない言動が目に付いていた鈴仙。
 しかし、幻想郷での様々な経験を経て、精神的にも成長している様だ。
「もし嫌われちゃってても大丈夫。私が傍にいるから」
「んなっ……」
 直接的な言葉で好意をぶつけられ、頬の辺りが熱くなってくる。
 何か……うじうじ考えているのがあほらしくなってきた……
「ありがとう鈴仙。少し、元気でた」
「そう」
 そういって彼女はにっこりと笑う。
 相手を安心させるその笑みは、私の頭を悩ませる元凶となっているあの人と、とても良く似ていた。



 翌日、改めてお師匠様に診療して貰う事となった。
 特に問題はないが大事を取って今日は休む様命じられた。
 久し振りの休日。
 年少組に混ざって遊んだり、鈴仙をからかったり、昼間から酒を飲んでみたり。
 外の世界に迷い込む前と同じ様な休日を楽しむ事ができた。
 一段落して、今は自室から続く縁側で体を休めている。
 今日は雲ひとつない快晴で気温も高く、木戸を開け放っていても心地が良い位だ。
 辺りは夜の帳に包まれて、遠くからは誰かの話し声が聞こえる。
 どうやら今日は私の帰還祝いが催される様で、各地から人妖が集まって来るそうだ。
 私が仕事に集中していた為、開催が伸び伸びになってしまったらしい。
 自分が宴会の中心になる事に恥ずかしさを覚えるが、皆と久し振りに顔を合わせられるのは素直に嬉しい。
 こうやって、少しずつでも良いから、以前の自分を取り戻していこう。
 それで、いつか自分の罪と正面から向き合える様になったら、○○に謝りに行こう。
 空に浮かぶ満月を見上げながら、改めて決意する。
 周りの騒がしさが次第と大きくなる。
 結構な人数が、もう会場へと集まっている様だ。
 私もそろそろ行こうかと思っていた矢先、誰かが言い争っている声が聞こえてくる。
 なんだろう、と玄関の方へ顔を向けると、

「てゐ」

 断腸の思いで別れを告げた想い人が、目の前に立っていた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「お隣……さん?」
「こんばんわ。ご機嫌いかがかしら?」

 数日前に引っ越してきたというお隣さんが、何もない空間から半身だけを覗かせて、笑顔で手を振っていた。
 見えるのは上半身だけ。下肢は空間に入った切れ目を境に見えなくなっている。
 眼前の光景に理解が追い付かず、頭が痛くなってくる。
 まだ空を飛んでいる方がまだ現実感がある気がするな……
「あの……何かご用でしょうか……」
 得体の知れない不気味さに、うまく声が出ない。
 お隣さんは空間の隙間を乗り越えて、俺の部屋へと降り立つ。
 っていうか土足のまま上がりましたよこの人。
 やっぱり外人さんなんだろうか……
 そんな俺の思考に全く気が付いていないのか、お隣さんは平然と本題に入る。
「あの兎に随分入れ込んでいるみたいね」
 どうやら俺とてゐの事を知っている様だ。
 この人がてゐの言っていた幻想郷側の使者という事で間違いないだろう。
「知ってるんですか……まあ、振られちゃいましたけどね」
 自嘲する様に呟く。
 そんな俺を含む様な笑みを浮かべながら見据えるお隣さん。
「んで、何か用ですか? ご存知の通り失恋したばっかなので気落ちしてるんです」
 手酷く振られた直後という事もあり、受け答えが雑になってしまう。
「ごめんなさい。あなたを笑いに来たわけじゃないのよ」
 そう言って少し頭を下げて謝罪する。
「あなた、あの兎の事はどう思っているのかしら?」
「知ってるんでしょう? 好きでしたけど振られちゃったんです。傷口抉りに来ただけなら帰って頂けませんかね……」
「そうじゃなくて、振られてなお、どう思っているのかを聞きたいのよ」
 人を喰った様とでも言うべきか、何か面白がっている様に笑いながら問い掛けてくる。


 今どう思っているか、ねえ。
 申し訳なさと、自己嫌悪しか浮かんで来ない。
 俺が深入りし過ぎなければ、てゐももう少し気分良く故郷へと帰れたはずだ。
「てゐには申し訳ないと思っています。最後の最後にあんな感じになっちゃって……」
 俺の返答を聞いて、お隣さんは深いため息を吐く。
「女々しいわね……あの兎はこの男のどこに惹かれたのかしら……」
 ぼそぼそと何か呟いている。内容は聞き取れないが、トーンからして何か失礼な事を言っているのだろう。
 この人本当に何しに来たんだ……
「いい? 今でもあの兎の事を想っているのか完全に諦めたのか。はっきりしなさい」
「そりゃあ、まだ……好きに決まってるじゃないですか」
 若干イラついた感じで問いただされたので、こちらも腹が立ち、つい乱暴な口調で答えてしまう。
「よろしい。ではあなたにチャンスを与えましょう」
 獲物が罠に掛かった時の様な底意地の悪い笑みを浮かべながら、こちらへと近づいてくる。
 なんだか……返答を間違ってしまった様な気がする。
「2週間後の0時に、あなたが兎を拾った神社で待っているわ」
「んなっ……」
「来るかどうかはあなたの判断に任せるわ」
 この人はどうやら俺を向こうの世界へと連れて行ってくれる、という事を言っている様だ。
 そして、その判断は俺に任せるとも言っている。
 この世界に留まり、燻った思いを抱えながら安寧と共に暮らすか。
 向こうの世界へと渡り、改めて思いを打ち明けるか。
 幻想郷へ行けたとしても、てゐが俺の手を取ってくれるかは未知数。
 もし一緒に歩めないと言われたら、俺は知らない世界で孤独に暮らす事となる。
 俺にとっててゐの存在が、人生を賭す程であるかどうかを試している様だ。
 なんという意地の悪さ。
 恐らくこの人がてゐをこちらの世界に飛ばした張本人なのだろう。
 てゐがぞんざいに扱っていたのも頷ける。


「私の話はそれだけだわ。存分に考えなさい」
 そう言い放って、俺に背を向ける。
 先程の隙間が目の前に現れ、そちらに向かってゆっくりと歩く。
 隙間に足を踏み入れる直前、
「そうそう。あなたが先程破り捨て様としたおみくじ、あれは兎の置き土産よ」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りよ。あれはあなたの願いを叶える為に残されたものだわ」
「でも、願いは叶わないって……」
「ただ待っているだけでは願いは叶わないわ。最後の必要になるのは、本人の意思よ」
 俺の反応を待たずに、お隣さんは隙間の中へと消えていった。
 最後まで靴脱がなかったな……
 手に持ったおみくじを改めて見る。
 これが、てゐとの最初の繋がり。
 こいつを見ながら拝殿へと歩いていた所で、てゐを発見した。
 このおみくじ、がてゐと俺を引き合わせてくれたのか。
 待人、俺はてゐと出会う事ができた。
 家庭、てゐのお陰で幸せな日々を過ごす事ができた。
 健康、てゐの手料理のお陰で、健康的な生活を送る事ができた。
 争事、俺の軽率な行動が原因で喧嘩したけど、仲直りできた時の嬉さを知る事ができた。
 仕事、吹雪の日大変な目にあったけど、てゐの事を愛しいと想う切っ掛けになった。
 ここに書いてある運勢の全てが、俺にとっての幸せを現していたんだ。
 文句の付け様のないくらいの大吉。
 そして、叶わないと記された願望。
 お隣さんが言っていたのはここの事か。
 最後に必要なのは、本人の意思。
 俺は、願望の項目に言葉を書き足す。

 これが、俺の、意思だ。





――願望 叶わず。ならば、自らの手で勝ち得るまで。



「てゐ」
「○○……」
 約半月振りとなる再会。
 久し振りに会ったてゐは、一緒に暮らしていた頃と比べて、幾分やつれている様に見えた。
 自身の身を削って、為すべき事を果たしたんだろう。
 素直に、凄いと思えた。
「待ちなさい!」
 屋敷の入り口で突っ掛かって来た兎の子が追い駆けて来る。
 綺麗な薄紫色の髪に、高校の制服の様な服装。
 この子がてゐから聞いていた鈴仙さんで間違いないだろう。
「いきなりてゐに会わせてくれって……あなた何者なの!?」
 軒先で鈴仙さんと話をしていた途中、てゐの姿を見つけてしまったのでつい飛び出してしまった。
 そりゃあ怪しまれても仕方がないよな……
「どうしたー修羅場かー?」
「止めなさいよみっともない。それに、これから面白くなりそうなんだから黙ってて」
「ウドンゲ? 何の騒ぎかしら?」
「来たわね。いい暇潰しになるかしら」
 屋敷から黒白の少女と幻想郷に来た時にお世話になった靈夢さん、黒いナース服を着た女性と十二単を纏った少女がぞろぞろと出てくる。
 頭から兎の耳を生やした子供達も集まって、俺とてゐを中心に辺りは人が溢れ返っていた。
 うわあ、こんな状況で言わなきゃならんのか……
 てゐの赤い瞳は、瞼が限界まで開かれ、呆然としている。
 俺の後ろにいる鈴仙さんは、俺の事を警戒している様で、剣呑な視線を向け続けている。
 程なくして実力行使に出てきそうな雰囲気だ。
 このままだと状況は悪くなる一方。
 言うなら今だ。
 覚悟を決めよう。
 俺は息を大きく吸い、腹の底に力を込める。
「てゐ!!」
「っ!」
 てゐの全身が大きく跳ねる。

「俺は! お前の事が! 好きだーーーーーーー!!」

 俺の全身全霊の叫びが、竹林に木霊した。


 俺達の周りを囲んでいた少女達は、一様に驚いた表情のまま静止している。
 告白されているてゐ自身も、何が起こっているのかうまく飲み込めていない様だ。
 時が止まる、というのはこういう事を言うんだろうな。
 頭の片隅でそんな事が思い浮かんだ。


「あ、あんた、いきなり現れて何言ってんのよーーーーーー!」
 意識を取り戻したてゐが、俺に負けない声量で叫び返してくる。
 意外と元気そうだな……
 まあ、大切な家族の為に務めを果たしたんだ。
 疲れこそすれ、心が沈む様な事はないだろう。
 だったら、手加減せずに想いを伝えるまでだ!

「向こうには大切な人達が居たし、心残りも沢山あったけど、やっぱり、お前が居ないと駄目なんだ!!」
「俺が一番やりたい事は、お前と一緒じゃなきゃ叶えられない!! だから、ずっと俺の傍に居てくれ!!」

 てゐとの距離は5メートル程しか離れていないのに、俺は必要以上に大声で叫んでいた。
 それは自らの不安を消し去るための虚勢か、それとも迸る想いが自然と勢い付いている為か。
 どちらかは分からないが、ひとつ大きな問題があった。

「「「「「キャァァァァァァァァァァァァァッ!!!」」」」」

 周囲のギャラリーの皆様に丸聞こえという事で、辺りは黄色い怒号に包まれていた。
「聞きました!? 永遠亭に現れた変態男!! 地上兎の長をたぶらかす!? 明日の一面はこれに決定ですね!」
「宴会も始まっていないのに余興を始めるとは、中々粋な事するねえ」
「違いますから! あの男が勝手にやってるだけですから!!」
 熱心にメモを取る黒い羽の生えた少女と、逞しい角を頭に生やしたちびっ子が好き勝手な事を言って盛り上がっている。
 鈴仙さんが頑張って説明している様だが、全く聞いていない様子だった。


 想いを伝え、てゐの反応を伺う。
 てゐは全身をわなわなと震わせていた。
「ふざっけるんじゃないわよ!!」
 やべえめっちゃ怒ってる。
「あんたねえ……もう向こうの世界には簡単に帰れないのよ!? 家族は? 友達は?」
「別れを告げてきた。ちゃんと本当の事を言ったよ」
「そんな荒唐無稽な話、誰も信じるはずないじゃない!」
「最初は聞いてくれなかったよ。でも、真剣に話し続けたら、最後は皆納得してくれた」
「そんな……誰も反対しなかったの?」
「最後は応援してくれたよ。好きな女を追い駆ける為に、異世界でも何でも言って来いって」
「そんなのって……もう会えなくなるかも知れないのに……」
「まあてゐも外の世界に出られたし、俺もこうして幻想郷に来られたし。機会があれば、会いに行く位なら何とかなるんじゃないかな?」
「何よ……それ……」
 てゐは顔を俯けて体を震わせている。
「それじゃあ、私があんたを傷つけてまで帰ってきた意味って、何だったのよ……」
 再び顔を上げたてゐの瞳からは、大粒の涙が溢れていた。
「幻想郷に帰る日を告げられてから、私がどんな思いで過ごしてたと思ってんのよ!
 自分の立場とか、想いとか、あんたが大事にしているものとか、将来とか色々考えて……悩んで……結局、全部無駄になっちゃったじゃない!!」
 怒り、悲しみ、てゐの瞳から様々な感情が涙と共に溢れ出る。
「当日だって、感情出さない様にずっっっと我慢してたんだから! 最後にあんたの好きなもの作ってあげようと思ったのに調味料入れ間違えるし!
 何よあのオムライス!? 不味過ぎるわよ!!」
 あ、やっぱあれ失敗してたんだ。よく表情一つ変えずに食えたな。
 ていうか、それは俺が原因じゃないだろ……
「あれだけ馬鹿にされても追い駆けてくるなんて……ほんっっっっっとあんた救い様のない馬鹿ね!! あー何かもう我慢してるのが馬鹿らしくなってきた……」
 容赦なく馬鹿馬鹿と連呼される。
 てゐの告白に呼応されるかの様にギャラリーはますます盛り上がりを見せている。
 あれー何か思っていた展開と違う様な……
 なんかこう……「好きだ! 私もよ! 抱きっ!」って感じになると思ってたのに……
 てゐの顔を改めて見る。
 息は荒く頬は紅潮しているが、瞳の奥は禍々しい光を湛えていた。
 見覚えがある表情。
 何か、嫌な予感が、するなー。
 背中に尋常じゃない量の汗が伝う。
 てゐの口角が限界まで上がり、歯をむき出して笑う。
 これは……最高の嫌がらせを思いついた時の表情!?

「あんた私の事を好きだって言ったわね? 笑わせないでよ。私の方が、あんたの事何っっ倍も好きなんだからっ!!」

 再び、時が止まる。
 俺の渾身のストレートに合わせた、捨て身のクロスカウンター。
 自分の身を犠牲にしてまで、俺を追い詰めるつもりか。
 こんな状況であってして、どこまでもてゐはてゐらしくあった。
 しかし、ただでさえ炎上している状況にガソリンぶち撒けたんだ……どうなっても知らんぞ……

 たっぷり5秒は経過したあと、再び時が動き出す。

「「「「「ウオォォォォォォォォォォォォォッ!!!」」」」」

 淑女達の声とは到底思えない程の雄々しい怒声が、満月の夜に響き渡った。

「最初にあんたが家に居ないかって言ってくれた時、私がどれだけ救われたと思ってるの!?
 誰も知らない、何も解らない世界で、自分を守ってくれる存在がどれだけ心強いかあんたには解らないでしょう!?」
「あんたが恥ずかしがりながら似合ってるって言ってくれた洋服、本当に気に入ってたんだから!
 あんた気が付いてないと思うけど、私があの一式を着てる時いつも気持ち悪いくらいニヤニヤしてるあんたが輪を掛けてニヤついていたのよ!
 もうあんたの前じゃそれ以外の服着られないじゃない! ほんっとわっかりやすいんだから!!」
「私が作る料理全部おいしいおいしいって言ってくれて……馬鹿みたいに嬉しそうな顔して……
 あんな顔されたら、こっちだって作って良かったって、また沢山作ってあげたいって思うに決まってるじゃない! この馬鹿!!」
「あんたの悪戯が原因で喧嘩した時、私がどれだけ不安だったか解らないでしょう!?
 あのまま放り出されて一人になっちゃうんじゃないかって、本気で思ったんだから!!」
「吹雪の夜、あんたがいつまで経っても帰って来ないから、このまま永遠に帰って来ないんじゃないかと思ったわ。
 だから、無事な姿を見た時は、本当に……本当にっ……」

 捲くし立てるだけ捲くし立てたと思ったら、今度は涙声になりながら想いを搾り出すてゐさん。
 ええっと……とりあえず、あいつ俺の事好きって事だよな……
 いまいち確信は持てないが、とりあえず一歩近づいてみる。
「近づかないでよこの変態ッ!!」
 あれー?
「知ってるのよこの変態ッ!! 吹雪の夜にキスし損ねて以降、寝てる私の唇を奪おうと覆い被さって来てたのをっ!」
「それ言っちゃ駄目なヤツだろうがーーーーーーッ!! っていうか何でお前それ知ってんだよっ!!?」
「起きてたからに決まってるでしょうがこのヘタレッ!! わざわざ仰向けに寝て、キスし易い様にしておいたのになんで気が付かないのよ!!」
「知るかっ!! ていうかお前される気満々だったんだなこのウサビッ○がっ!!」
「そんなのまだまだ序の口よ!! 私はあんたが寝てる時頬や額にキスしたり、耳をはむはむしたりしてたんだからっ!!」
「んなっ!? 朝起きた時やけに耳がカピカピしてたのはそういう……」
「真顔でそんな事言うんじゃないわよーーーーーー馬鹿ーーーーーーーッ!!
「お前が言わせた様なもんだろうがーーーーーーーー!!」


「キャー凄いわよあのイナバ。自分がどれだけ恥ずかしい事言っているのか、気が付いていないわ」
「姫、年甲斐もなくきゃーなんて声上げないで下さい」
「ハハッ、永琳に比べたら私なんてぐはぁっ!」
 場外乱闘が発生している様だが、こっちは今それ所ではない。


「あんたが私を意識し始めたのは吹雪の夜以降でしょ?  甘いわね。私はあんたと暮らし始めた頃から意識してたわ!」
「お前それ自分がチョロいって事宣言してる様なもんだぞ……だが、お前を好きな気持ちが負けるとは思わん!」
「じゃあ私の好きな所挙げてみなさいよ!」
「小さくて可愛い所だろ、体温高くて触れると温かい所だろ……」
「助けて! 変態が近づいて来るわ!」
「黙って聞け! 料理がすげえうまい所だろ、体の調子も配慮してくれる所だろ……」
「んむっ……」
「急にマジで恥ずかしがるな! こっちも恥ずかしくなってくるだろうが!」
「……続けて」
「おぅ……人の嫌がる事ばっかりして、でも意外と真面目で、気遣いもできて世話好きで、あとは、笑うとめちゃくちゃ可愛い所だ!
 めんどくさい所も全部含めて、俺はお前の事が好きなんだよーーーーーっ!」
 一息に言い切って、ぜえぜえと肩で息をする。
 とりあえず思い付いた事は言ってやった。
「しょ……所詮はそんな所かしら。具体性に欠けるし、ま、まだまだね」
 肩をぶるぶると震わせ、顔面が今に融け落ちそうな程蕩けた表情で言われても、何の説得力もないぞ。
「じゃあ今度は私があんたのどこが好きなのか説明してあげるわ」
 言ってくれと頼んでいないが、顔に極太の筆文字で「言わせろ」と書いてある様な表情だったので、黙って頷いた。
「まずは容姿ね。特徴を挙げるのが難しい程の無個性振りだけど、感情がすぐに顔に出る所が好きよ。特に笑った顔が素敵だわ!」
「……」
「あと、何と言っても困っている人を放り出せないその甘さよね。得体の知れない妖怪を拾ってその日に保護しようなんてどうかしてるわ。
 でも、そんな優しさが愛おしい。」
「……」
「あとあと、少し弱みを見せるとすぐ傾倒する与し易さも魅力ね。私が辛くなった時に抱きしめて傍に居るって言ってくれて、
 私はあんたと一生を共にしたいと思ったわ」
 あとあとあと、とてゐは淀みなく俺の好きな所を語り続ける。
 前半必ず落としてくる所がなんともあいつらしいが、面と向かって言われるとかなり恥ずかしいな……
 だけど、そんな言葉達を聞いているだけで、我慢ができなくなってくる。


 また一歩、てゐへと近づく。
「寄らないでよ!」
「うるせえ! 好きなんだから近づきたいんだよ!」
「私の方が好きだもん!」
 また一歩、
「あんた、私にメールで恨み言寄越したでしょ!?」
「ええっ!? 届いてたのかよ!? ていうか、あの内容のどこが恨み言なんだよ!」
「電池切れちゃって見られなかったのよ!」
「やっぱりガラケーとはいえ2週間は持たなかったか……」
 また、一歩、
「しょうがねえなあ……ほれ」
「文字が小さすぎて見えない!」
「じゃあ読むぞー。」

「今でもお前の事が好きだ。お前の故郷で、俺を待っていて欲しい」

「……遅いっ!」

 二人の距離がゼロになる。

 最後の一歩はてゐから踏み出された。

 ああ、久し振りだな、この感覚。
 世界で一番、安心する場所。
 何よりも愛おしい存在が今、俺の腕の中に居る。

「2週間も待たせて……ほんっと気が利かないんだから……」
「仕事辞めんのって時間掛かるんだよ。本当は1ヶ月必要な所を無理矢理2週間にしたんだ。勘弁してくれ」
「うるさい」
「はいはい」
「はいは1回」
「はいよ」
「ん……もっと、ぎゅって、しなさいよ……」

 更に力を込めて抱きしめる。

「○○……」
「なんだ?」
「お礼、言ってなかった」
「なんの?」
「2ヶ月の間、家に居させてくれてありがとう」
「今更だな」
「ごめん……本当は、別れ際に言わなきゃいけなかった……」
「良いんだ。これからは、ずっと一緒だ」
「……うん」

 少しの間、抱きしめたままの体勢で。
 その間に、改めて覚悟を決める。

「てゐ」
「何?」
 少し体を離して、真正面で向かい合う。
「お前の事を愛している。俺と、結婚して欲しい」
「こんな嘘ばっかり吐いて、可愛げの欠片もない私でいいの?」
「俺にとっては世界で一番可愛いんだが」
「馬鹿……真面目に答えてよ……」
「俺は、お前と一緒に居たい」
「……後悔しても、知らないんだから!」
 涙を浮かべながら、満面の笑みで答えてくれる。
 そのまま顔を近づける。
 てゐは瞳を閉じ、顔を上向けてじっとしてくれている。
 今度は何にも邪魔されない。
 俺達は初めて、唇を重ね合わせた。



「……えーと、そろそろいいでしょうか……」

 慌てて唇を離し、声の方向に振り向く俺達。
 そこには、額に青筋を立て、右手をサムズアップした笑顔の鈴仙さんが仁王立ちしていた。
 ちょっと、屋敷まで行って来る……



 それからの事は、あまりにも混沌としていた為か、所々記憶が抜け落ちている。
 とりあえず永遠亭の首脳陣に改めてご挨拶をして、てゐとの結婚の許しを請うた。
 左目に青タンを作った輝夜さんは、けらけら笑いながら俺達の結婚を祝福してくれた。
 永琳さんも続いて祝福してくれた。あと、右手が尋常でない程腫れていた。
 鈴仙さんは終始納得のいっていない表情だったが、話しをしている間、片時も俺の傍から離れないてゐを見て根負けした様だ。
 わっかりやすい膨れっ面で、「てゐの事泣かせたら、撃ち抜くから」と言い残し去って行ってしまった。
 どこをどう撃ち抜かれるのか想像したくないが、まあその心配はないだろう。
 俺はてゐを二度と離すつもりはない。
 挨拶が無事終わった所で、宴会へと強制参加させられた。
 外来人が珍しいという事と、先程の騒動も相まって、俺達は質問攻めにあった。
 まあ飲ませられる事飲ませられる事。
 あまりに混迷した状況にてゐがブチ切れ、俺達は途中で抜ける事となった。
 すまん、ありがとうてゐ。俺にはあの人達を止める力がなかった……
 幻想郷では頑張れば空を飛べる程の力を付けられるらしいから、俺も頑張って強くなろう。



 俺達はてゐの寝室から続く縁側に腰掛け、二人だけで呑み直していた。
 俺の部屋で別れを告げられた直後は、こうしてまた一緒に酒を呑む事も、もう二度とないだろうと思っていた。
 それが今、こうして杯を酌み交わしている。
 素直に、嬉しかった。
 告白した後傍を離れようとしなかったてゐも、今は落ち着いたのか、俺の隣に体ひとつ分空けて座っている。
 その瞳は落ち着きなく動き、視線を彷徨わせている。
 あれだな、さっきの事思い出したんだな……
 公衆の面前で自分の想いをぶちまけたんだ。
 しかも、言わなくてもいい事まで。
 そりゃあ恥ずかしくもなるよな。
 床をゴロゴロと転げ回らないだけ、堪え性があるってもんだ。
 遠くから聞こえるのは、主役達を欠いてなお盛り上がる宴会の喧騒。
 新参者で尚且つ大衆の面前での求婚という離れ業をやったお陰で、先程は玩具にされてしまったが、参加している方達は基本気の良い方ばかりだった。
 今度改めてお話したいものだ。
 今回の件で色々お世話になった紫さんにもお礼を言わせて頂いた。
 本人は「罪滅ぼしという面もあったしね」と苦笑いしながら応えてくれた。
 一応てゐを飛ばした事を反省しているみたいだ。
 まあ紫さんがてゐを飛ばしてくれなかったら、俺は今ここに居る事はなかったと考えると、飛ばされた本人には悪いがありがたいと思わずにはいられない。
 こちらも今度、改めてお礼を言わないとな。
 そうこう考えているうちに、てゐも落ち着きを取り戻した様だ。


「ねえ」
「なんだ?」
「携帯電話って、幻想郷じゃ使えないんじゃなかったの?」
「そのはずだけど……どうして?」
「さっきも言ったけど、昨日あんたからメールが届いたの。見ようとした瞬間に電池切れちゃったけど……」
 外の世界から出発する時に、駄目元で送ったてゐへのメール。
 すっかり届いていないものだとばかり思っていたんだが。
 幻想郷には電波は届いていないはず。
 よって、メールが届くはずはない。
 幻想郷と外の世界が繋がれば……あ、
「紫さんが俺をこっちに連れてきてくれる時に、一瞬電波が通ったとか?」
「都合の良い話ね……」
「だよなあ……でもまあ俺はそんな都合の良い展開に導かれて、こっちまで来ちまったんだが……」
 懐からおみくじを取り出す。
 こいつが俺を、ここに連れて来てくれた様なもんだ。
「あ、それ私が力を封印した触媒じゃない」
「えっ? どういう事?」
「そのままの意味よ。あんたが私と離れても幸せに暮らしていける様に、ありったけの力をそのおみくじに込めたのよ」
「へえ。じゃあこいつのお陰でメールが届いたのかもしれないな」
「なによそれ。せっかくの幸運をこんな所に使うなんて、勿体ないわね」
「馬鹿言うな。今この瞬間が俺にとって最高の幸せなんだから、これ以外に使い道なんてありえない。」
「こんなので満足なの?」
 挑発する様な笑みを向けるてゐ。
 体の位置をずらし、俺の隣にぴたりと横付けてくる。
「今の幸せが可愛く思える程、これから私がもっともっと幸せにしてあげる」
 妖しげな笑みから一転、今度は満面の笑みで、

「だから、あんたは私の事、もっともっともっと、幸せにしてね?」


避難所>>173-174


今年は卯年と言う事で、てゐちゃんをだっこしたり頭を撫でてあげたい
「こう見えてあんたより長く生きてるんだから子ども扱いしないでよ」って不機嫌そうな顔するけどぎゅっとして好きだからこうしてるんだよってささやきたい

174:2023/01/20(金) 23:51:09 ID:jTg.QNdc

173
「……こう見えてあんたより長く生きてるんだよ」
 さっきと同じことをもう一度呟くてゐちゃん
 さっきと違い 困ったような呆れたような それでいて嬉しそうな声で


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最終更新:2024年07月25日 23:58