永琳7



新ろだ525


 夜も更けてきた永遠亭の調剤室。

「ついに完成したわ。画期的な新薬よ」

 会心の笑みを浮かべてこちらにやってくる永琳。
 我が恋人ながら、不気味な煙を上げる得体の知れない鍋を持って笑っているのを見ると不安がこみ上げる。

「実験台なら他を当たってほしいな」
「あら、つれないわね。私達も含めて、カップルの幸せに貢献する薬なのに」
「……精力剤ならこの間ので懲りたからね」

 あれは大変だった。飲んだら丸三日眠れないほどよく効く精力剤では、かえって使い道がない。
 効き目が切れたところで睡眠不足の反動で倒れて、一日眠り続けたのは記憶に新しい。

「もう、そんなありきたりの薬じゃないのよ?」

 そう言って永琳が自信満々に鍋から取り出したのは、親指の先ほどの大きさの丸薬だった。
 真ん中から赤と青に色が分かれているカラーリングは、あまり身体に良さそうには見えない。
 その割には警戒心を抱かせないのは、普段見慣れた永琳の服と同じ色だからか。

「新型胡蝶夢丸、『胡蝶夢丸リンケージ』よ!」
「りんけーじ?」

 首を傾げる俺に、永琳は誇らしげな顔で説明を始めた。

「効果としては普通の胡蝶夢丸と同じ、飲んで眠ると幸せな夢が見られるの」
「ふむふむ」
「違うのはここから。これを赤と青の部分に分割してそれぞれ別の人が飲むと、二人で夢を共有できるの。
 ある程度共通の幸福として認識できるものがないといけないけれど、カップルで飲む分には問題ないんじゃないかしら」
「それは――すごいな」

 若干ドラ○もんライクな感じがしないでもないが、素直にすごいと思う。
 起きている間の現実では到底実行できないようなことも、夢の中ならできたりする。
 そんな夢の世界を、しかも幸せな夢を二人で満喫できるというのは、素晴らしいことなんじゃないだろうか。

「お気に召したようね。早速使ってみる?」
「うん、試してみようかな。……でも永琳はこれ使えるの?」

 永琳には、基本的に薬が効果をなさない。能力の一環として、ちょっとした薬なら瞬時に分解してしまえるのだ。 

「心配ないわ、実験用に片側だけ濃度を上げてるから。それでも、ちょっと早く効果が切れちゃうかもしれないけれど」

 そう言って永琳は、俺の頬にそっとキスをして悪戯っぽく笑った。

「先に私の部屋で待ってて。薬を持って後から行くわ」




 パジャマに着替えて待っていると、程なく永琳がやってきた。
 手に持ったお盆には、二人分のグラスと胡蝶夢丸リンケージが載っている。

「それじゃ、○○はこっちの方を飲んでね。私はこっち」

 そう言って、永琳は丸薬を二つに割り、赤い方を口に入れた。
 俺も手渡された青い半球を一息に飲みこむ。
 変わった味や香りはしないが、形のせいで飲みにくいそれを、ベッドサイドに置かれたグラスの水で飲み下した。

「どんな夢になるんだろうな」
「両方にとって幸せな夢になるように作ってあるけれど、具体的な内容は眠ってみないとわからないわね」

 布団をめくり、永琳と並んでベッドに入る。

「……ね、腕枕してくれる?」

 寝巻き姿の永琳を抱き寄せると、ふわりと甘い香りがした。
 その香りのせいか、あるいは薬の効果か、すぐに睡魔が襲ってくる。

「……おやすみ、永琳。どんな夢になるか楽しみだね」
「ふふ、そうね。おやすみなさい、○○」






 ………………
 …………
 ……
 ――意識が遠のいていた、のだろうか。
 俺は寝室に入ろうとしていたところだったのを思い出した。
 永琳と俺、二人の寝室だ。最近永琳は、この部屋で過ごす時間が多い。
 一応ノックしておこう。

「……はい、どうぞ」

 ドアを開けて中に入ると、永琳は上半身を起こしてベッドに座っていた。

「ああ、来てくれたのね、○○」

 側に近寄ると、永琳は嬉しそうな、安心したような表情を浮かべた。

「具合はどう?」
「ええ、大丈夫。とても順調よ。……ね、触ってあげて」

 ぽっこりと大きく膨らんだ永琳のお腹にそっと手を置き、優しくさする。
 時折、小さな鼓動のようなものが伝わってきた。
 俺と永琳の間に出来た赤ちゃんは、順調に育っているようだ。
 こうしていると、なんとも言えない温もりと幸せを感じる。

「永琳に似て、利発な子なんだろうなあ。男の子かな、女の子かな?」
「どっちかしら。でもきっと、○○に似て優しい子よ」
「もうすぐだな……動けなくて退屈じゃない?」

 臨月も近くなり、永琳は安静を要するという診断に基づいておとなしくしている。
 ちなみに診断したのは永琳自身だ。今でこそ自己診断ができるくらい落ち着いたけど、最初は慌てるわ嬉し泣きするわで大変だったなあ。

「そんなことないわ。姫もウドンゲもてゐもちょくちょく会いに来てくれるし」

 永琳の両手が包み込むように俺の右手をとり、頬に当てる。

「……それに、こうしてあなたがいてくれるし、ね」
「永琳……」

 空いた左の手で永琳の頭を優しく抱え込む。
 胸を満たす温かさを感じながら、俺の意識はまただんだんと遠のいて――
 ……
 …………
 ………………



 眠りの底から浮かび上がっていく感覚。
 それを感じて初めて、自分が見ていたものが夢だったと気がついた。





「――目が覚めた?○○」

 目を開くと部屋の中は暗く、まだ夜だとわかる。
 眼前には先に目覚めていたらしい永琳の顔があった。

「あんな夢になるとは予想外だったけれど、これなら大成功ね」

 広げた俺の腕に頭を横たえ、一つ布団に包まった永琳は、まぶしいような笑顔で。

「今度ウドンゲが里に行く時に、試しにいくつか持っていってもらいましょうか」

 話す声も楽しげで、だけどその頬には涙の跡があることに気付いてしまって。

「今回は、我ながら画期的な薬ができたわ。次はどんな薬を……」

 なおも話そうとする声をさえぎって、夢の中と同じように永琳を抱き寄せた。
 二人とも、しばらくそのまま何も言わない。

「ごめんね」

 ぽつりと、腕の中で永琳が呟く。

「蓬莱人の私には、あなたの赤ちゃんを身ごもることができないの」

 蓬莱人の肉体は不死と引き換えに子供を作る機能を失っている、というのは聞いたことがあった。
 ありえないことと頭の隅で分かっているから、却ってあんな夢を見てしまったのだろうか。

「いいんだ」

 抱きしめる腕に力がこもる。

「俺には永琳がいるし、永琳には俺がいる。姫だって、鈴仙だって、てゐやイナバの皆だっている。だから、いいんだ」
「ええ……」

 確かに幸せな夢だった。
 でもこれが、慰めでも自分をごまかすのでもない、俺の本心だ。
 パジャマの胸に、じわりと熱がにじむのを感じる。
 小さな子をあやすように背中を撫でてやると、永琳は強くしがみついてきた。

「まだ夜は長いみたいだし、もう少し眠ろうか」
「そうね……○○」
「ん、なに?」
「しっかり、抱いててね」

 言葉は返さずに、柔らかな永琳の身体を全身で包み込む。
 先のことはわからない。けれど命ある限り、もしくは永遠に、このひとを支えていきたいと心から思う。


新ろだ540


「―――……Zzzz」
「あらあら、○○ったらこんな所で寝ていたら風邪ひくわよ?」
「……う」
「?? 寝言?」
「……母さん」
「! ○○……」

 少しだけ寂しそうな○○の寝顔に胸が締め付けられる。
 急に幻想郷に来てしまったのだから、望郷の想いがでてもおかしくない。
 毎日楽しそうな顔しか見せない○○の心の底を、私は見た思いだった。
 ・
 ・
 ・
 ・
「んん……、え…?」
「あら○○、起きたの?」
「ちょっ、え? あれ?」

 俺は永琳に膝枕をされていた。
 慌てて起きようとすると、額に手を当てられて押し止められた。

「もう少しだけ……。ね?」

 何というか、とても優しい微笑みで……。
 すっかり抵抗する気が無くなってしまった。

「……ねぇ、○○」
「なに?」
「もと居た世界のこと……思い出したりする?」

 ――正直、ドキリとした。

 俺は、いきなり幻想郷に来てしまった口で、当然家族などに別れは告げていない。

 母はシングルマザーというやつで、父は俺が生まれて一年も経たない間に亡くなったという。

 以来、母は俺を育てるのに大変な苦労をしてきた。
 だが、そんな苦労など微塵も俺の前では見せなかった。
 ひたすら良き母親であろうとした。

 初めは直ぐに帰る心算だった。幸い帰還の手段はあるというから。
 しかし、時期が悪くてすぐには帰れないため、俺の第一発見者だった永遠亭の面々に世話になることになった。

 しばらくそこで過ごすうちに、俺は永琳に惹かれているのを自覚した。

 普段の凛とした佇まい――
 仕事の最中の真剣な表情――
 時折見せてくれるお茶目な仕種――

 そういったものに、心惹かれていった。
 女性と付き合ったことが無いわけではなかったが、ここまで愛おしく思ったのは初めてだった。

 俺は心底悩んだ。

 そして、最低な事をしていると思いつつも、母と永琳を天秤に掛けたのだ。

 その結果は、今の自分が示すとおり――

「――しないよ。そんな事は全然」

 だから、俺は表面上平然として答えた。
 少しも未練なんて無い。無いと思わなければならない。そうでないなら、俺は何のためにここにいるのか――

 そんな事を思っていると、いきなり永琳から抱きしめられた。
 頭をすっぽり覆ってしまうような感じだ。まるで母親が子どもにする様な。
 照れくさくて、今度こそ引きはがそうとした俺の耳に、永琳が優しい声音で言った。

「○○、実はさっきね……、貴方の寝言を聞いちゃったのよ」
「え……?」
「母さん……って、言ってた」
「?!」

 完全に動揺してしまったと思う。びくりとしてしまったから。
 いけない。抑え込まないと。悟られちゃいけない。


「○○、私は貴方の事が大好き。
 貴方も言ってくれた。愛してる、一緒に歩んでいきたいって。
 だけど、貴方には何か、もとの世界での事がしこりとなって残ってる」

 だけど、もう――

「○○、私たちは共に歩んでいくのよ? 喜びも悲しみも、二人で感じるの。
 ――もとの世界のこと、話してくれない?」

 ――そうだよな、何時までも隠せない
   それに、もう隠したくなかった

「……俺にはさ、母さんがいる」
「ええ」
「父さんは俺が生まれて一年しないうちに亡くなったらしい。
 で、母さんはそれ以来、女手一つで俺を育ててくれた。シングルマザーってやつだね」
「……」

 俺は出来るだけ淡々と話した。

「再婚する気配すらなくてさ、本当に懸命に働いてた。
 でもさ、家では仕事の話とか、疲れとか一切見せなくてさ。いっつも笑ってた」
「……」
「本当に、厳しくも優しい人でさ。温かい人なんだよ」

 本当に、淡々と。

「本当に、こんな年になるまで気づきもしないでさ。あんまり当たり前だったから」
「……」
「それで、俺は思ったんだ。いつか絶対親孝行しよう、楽させてやろうってさ」
「……」
「そう思った頃だったよ。幻想郷に来たのは」

 そうしないと、不味い。

「本当に色々あったけど、そこで俺は永琳と出会った」
「……」
「そして、永琳に惹かれた。本当に愛おしいと思った。一緒に生きていきたいってさ」
「……」

 いろいろ、堪え切れない。

「それで、俺はさ……、結局、自分の都合を優先した」
「○○……」
「俺をここまで育ててくれた母さんを、……見捨てた」
「○○……」
「永琳と生きていきたいがために……、母さんを、捨てた。帰れたのに、帰らなかった」
「○○っ……」
「本当に、恩知らずで、親不幸な、身勝手野郎だよな……」
「○○っ……!」

 ぎゅっと、永琳に抱きしめられた。

「○○は、身勝手なんかじゃないわ。そんな人じゃないのは私が一番知ってる」
「そんな……」
「それなら、なんで泣いているの?」
「え……」

 目元に手をやると、涙の跡があった。いつの間にか泣いていたらしい。

「本当に身勝手な人間っていうのは、それを何とも思わない人間のことよ?
 でも○○は、自分を身勝手と言って、泣いてまでいる。そんな人が身勝手なはずがないでしょう?」
「……」

 母さんは、俺のことをどう思うのだろう?
 こちらで愛おしい人が出来たと聞いたならば。

「私は母親になったことはないから分からないけど、親というものは子どもの幸せを何より願うものでしょう?
 ○○、貴方は今、幸せ?」
「それは勿論」

 これだけは胸を張って言える。
 愛する人と共に歩めるのは、本当に幸せなのだから。

「あなたが幸せなら、貴方のお母様も分かってくれる、なんて無責任な事は言わないわ。
 私が貴方を愛しているのは本当だけど、形はどうあれお母様から貴方を奪ったのは事実なんだもの」
「そんな、永琳のせいじゃないよ! 帰らないって決めたのは俺なんだから」
「だからこそ、よ」
「え?」

 俺はキョトンとしていた。永琳は何が言いたいのだろうかと。

「貴方がそのことに罪の意識を持っているのなら、私も一緒に背負うってことよ。
 言ったでしょう? 喜びも悲しみも、二人一緒にって」
「永琳……。いいのか……?」

 俺はまた涙が溢れそうになっていた。今までの反動だろうか。

「それこそ愚問ね。当たり前でしょう?」
「――ありがとう。俺、本当は心残りだった。
 母さんをほったらかして、自分だけ幸せになってさ……っ。
 だけど、悔やんだら母さんにも永琳にも申し訳ないし、どうにも気持が整理できなくて……!」

 そう言って泣く俺を、永琳は黙って抱きしめてくれた。

 たぶん、俺の母さんへの罪の意識は消えることはないだろう。
 でも、これからは前を向いて歩いて行けると思う。

 だって、俺は一人じゃないんだから。
 隣には、愛すべき女性がいるのだから。



新ろだ788



「ねぇ、○○どうしてあなたは旅行に参加しなかったの?」

永遠亭の縁側でたばこをふかしていると白衣姿の永琳が現れた。

「別に行かなくても問題ないだろ?」

俺が笑いながらそう言い、たばこを吸おうとすると永琳に奪われた。そして永琳はそのたばこを少し見つめた後吸ってむせた。あ、ちょっと可愛いかも。
俺はむせてる彼女からたばこを奪い返すと再び吸い始めた。ようやくむせるのが収まったのか彼女は軽く睨みつける。

「あなたこんなの吸ってるの?早死にするわよ?」
「結構。これが俺の精神安定剤なものでね」

俺がそういうと彼女は深いため息をつきながら俺の横に座る。そして俺の肩にしなだれかかった。

「あなたにだって家族はいるでしょ?顔を出すくらいしなさいよ」

俺は短くなったたばこを消して新しいのに火をつけた。

「なぁ、俺が幻想郷に来た時のこと覚えてるか?」
「えぇ、ひどいけがを負って永遠亭の前で倒れてたわね。・・・それがどうかしたのよ?」
「俺の家族は飛行機事故にあって死んでるよ」
「!?」
「珍しくおやじが家族サービスだ。なんて言って海外旅行の最中でな。エンジントラブルで爆発したんだが俺たちの席がちょうど翼のところでな。爆発で両親も姉貴も逝っちまったよ」
「・・・・・・」
「俺は空いた穴から放り出されてな。気が付いたらここで看病されてたってわけさ」

長い沈黙が場を支配する。俺は軽く笑って茶化そうとしたら永琳に抱きしめられていた。

「辛かったでしょう?苦しかったでしょう?たまには泣いても良いのよ?」
「姉貴本当は仕事だったんだ。なのに俺が有給使って休んじまえよって言わなければ・・・」




永琳は泣きつかれた○○を膝の上に乗せて彼の頭を軽くなでる。その穏やかそうな寝顔に永琳は笑顔になる。

「私知ってたのよ?悪夢にうなされて眠れなくていつもここで暇をつぶしてたこと。だけど今日あなたの心の傷を知れて本当によかったと思うわ。だから今だけはゆっくりおやすみなさい」

永琳は彼の唇にキスをして頭をなで続けた。




余談ではあるが俺はあの日以来永琳と一緒に寝ている。それが幸せに寝れる方法と知ったからだ。








 -------------あとがき--------------
とりあえず謝っておきます。ごめんなさいorz
こんなにシリアスになる予定じゃなかったんだけどなぁ・・・


ちなみに飛行機事故って一番起こりにくいらしいね
まぁ、ゼロではないけど


新ろだ812(ベースは26スレ目>>759>>761)



 ピピピ……ピピピ……

 右腋から発せられる電子音に意識を戻し、手探りで引き抜く。

「39度7分か……畜生め」

 前日とは打って変わった、まるで冬がすぐそこにいるような寒気。
 それだけでも性質が悪いのだが、さらに雨にまで降られ。

「ぶぇっくしょい!」

 この様である。
 幸いにも街中で倒れたこともあり、すぐに永遠亭に運ばれたのが不幸中の幸いか。

「大きなくしゃみね。その調子だとまだ完治には程遠いかしら」

 部屋を仕切るカーテンからひょっこりと顔を出すのはここの凄腕医師兼商売相手。

「あー、永琳先生。まったくもって駄目ですね。
 普段から医療に従事する者のくせにこうもあっさり倒れるとは……面目ない」

 うん、まあ医療関係っていっても薬売りなんだけどね?

「ふふ、人間は脆いから仕方ないわ。ちょっと失礼するわね」

 柔らかい笑みを浮かべた後簡単な触診をされる。
 身体のあちこちを冷えた金属質と、ほのかに暖かい指先が触れていく。

「――うん。当初よりはマシになったみたいね」
「……そいつぁ重畳」

 確かに運び込まれた時よりは幾分か楽になっている。
 先生の薬のおかげって奴だろうか。
 そんな事をぼんやりと考えていると、何かを考え込むような先生の顔が見えた。

「……永琳先生、何か?」
「へっ?……あ、ええと、そのね?」

 かけられた声にひどく驚いた様子を見せる。中々に貴重なワンシーンだ。
 何かを言おうか言うまいか、逡巡した後、彼女はこう言った。

「そろそろ晩御飯の時間なんだけど、食べられそう?」
「あ、はい。昼あんまり食べてなかったんでもうぺこぺこです」

 何か重大な事でも言われるのだろうかと思っていただけに少々拍子抜け。
 確か食堂は病室からそこまで遠くなかったか、と身体を起こそうとするが――

「駄目よ。病人は大人しく寝てないと。……今持ってくるから。ね?」

 ――先生に押さえ込まれてしまった。顔がすぐ近くにあり、最後の言葉あたりに至っては
 吐息を感じれてしまう距離だった。顔は赤面していないだろうかと心配になる。

「はい、おまたせ」

 先ほど彼女が現れたカーテンの陰から一台のカートがすぐに持ってこられる。
 ここまで既に運んでいたということなのだろうか。

「たーんと召し上がれ。……とはいっても御粥なのだけれど」
「今はそれくらいで十分ですよ。重い物なんて食える気がしません」

 他愛ない会話をしながらふと気付いた。
 何故鍋が先生の手元にあるままなのだろうか。
 嫌な予感を確かめるべく、聞いてみることにした。

「――あの、先生?」
「何かしら」
「おかゆ位、自分で食べられます」
「はい、あーん」

 うわあ全くもって聞いちゃいねぇ。
 スプーンを楽しそうに差し出す永琳先生の顔を見ながら、覚悟を決める。

「……あー……むぐ。美味しいです」
「よろしい」
「あの、でも」
「はい、あーん」
「むぐ。……これって恋人とかがやるもんじゃ」

 されるままなのもオトコノコのプライドがアレなので、ちょっとした反撃をしてみた。
 途端に先生の頬に僅かだが朱がさした。――おお、これは、いや中々。

「私相手じゃ不満なのかしら」

 そう言われてしまってはぐうの音も出ない。
 先生のような美人にこんなことをして貰えるなんて。

「いえ、滅相もありません。先生、可愛いですもん」

 僅かだった朱が勢力を増した気がする。

「嬉しいこと言ってくれるのね。
 それじゃあ、はい、あーん」

 ――そっちは続けるんですね。

 結局食べきるまではいあーんは繰り返されることとなった。
 窓際の病室だったので、どこぞの烏天狗が目撃していない事を祈るばかりだ。
 途中で外が一瞬光った気がするが、あれは遠方の雷に違いない。



「普段寝ない時間に寝るというものは中々に苦痛なわけで」

 時刻としては戌の刻がそろそろ終わろうかというあたり。
 普段日付が変わるあたりまで起きている身にとっては、
 早寝というものは中々に億劫でかつしんどい。

「あら、まだ起きてたのね」

 再びカーテンからひょっこり顔を出してくる永琳先生。

「そろそろ寝ようと思ってるんですけどね。どうにも染み付いた習慣って奴が邪魔してくれて」
「あらあら。それじゃあ早く眠れるおまじないでもしてあげようかしら」

 睡眠薬でもくれるのだろうか。これはありがたい。

「そうして貰えると助かります――って先生!?」

 すすす、と俺が横になっているベッドまで近づいてきたかと思うと、
 彼女はいそいそとベッドに潜り込んできた。

「あ、あの、先生?」
「永琳って呼んで欲しいのだけど。何かしら?」
「それでは永琳……さん。どうしてこのような事態になっているのか分かりやすく説明を」

 何か理由があるに違いない。真意を推し量るべく聞いてみる。
 ちなみに心の中では素数のカウントが高速でカウントされている。
 カウントできなくなったら左に感じる柔らかさに負けそうだ。

「心理学的には他者の温もりを感じていると安らいで眠れるの」
「そうなんですか」
「それに……私がそうしたかったから」
「――っ!」

 危ない危ない。カウントが途切れる所だった。
 ええと、次は3133303で、その次は――

「すぅ……すぅ……」
「3140183、3140209……嗚呼、柔らか……いかんいかん。次は――」

 可愛らしい寝息を耳元で受けながら、それでいて理性と死闘を繰り広げつつ。
 結局一睡も出来ないまま、朝を迎えることになったのだった。
 素数のカウントに必死で気付かなかったが、その夜外で光が数度瞬いたらしい。
 という話を病室でイナバ達から聞いた。
 風邪はまだ治っていない。寝不足なんだから当たり前だ。
 今日も永琳さんはにこにこと嬉しそうに御粥を差し出してくる。
 あまり悪い気はしない。






 後日、新聞の一面記事を見た俺と永琳さんが二人で烏天狗に夜襲をかけることになるのだが、
 それはまた別のお話し。



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最終更新:2010年07月30日 23:23