妹紅6
新ろだ282
「けーねおねえちゃんどこぉ…」
一人の少年が薄暗い竹林を彷徨っていた。
名を○○と言い、歳は十にも満たず外の世界から神隠しに遭いこの幻想郷に迷い込んだのであった。
幸い妖怪に襲われる前に里の住人に助けられ上白沢慧音が引き取り共に過ごすに至った。
少年にとってこの世界は全ての事が新鮮でよく村の外で遊ぶようになり、慧音には暗くなるまでには絶対帰るようにと
念を押されていたがこの好奇心旺盛で多感な少年期には中々難しい注文であった。
友達と遊んでいたらいつの間にか逸れてしまい、さまよい歩く内に日が暮れてしまった。
瞳には大粒の涙を貯め、泣きだす寸前だった○○の後ろで何か物音がし、それに驚いた○○は腰を抜かしへたり込んで身動きが取れなくなってしまった。
「ん?何だ、○○じゃないか。こんな所で何してるんだ?」
「…も、もこーおねーちゃん?う、うわぁぁぁぁ~ん!」
見知った顔を見て安心したのか、○○は極限にまで伸ばされた緊張の糸が切れ泣き出してしまった。
一体何のことか分からなかった妹紅は取り合えず泣きじゃくる○○をあやし、おぶって慧音の家まで連れて行くことにした。
妹紅は帰りの道中さまざまな話を聞かせ、○○はその話に表情をコロコロと変えていたが途中で寝息へと変わっていた。
遊び疲れと泣き疲れたのが両方一気に押し寄せて眠りの世界へと誘っていたのであった。
「ほら○○、家に着いたぞ。で、こわ~い奴のお出ましだ」
妹紅の声で目覚めると慧音が目の前に佇んでいた。
表情からご立腹であることは幼少の○○でも容易に想像がついた。
「○○!」
「ご、御免なさい…けーねおねえちゃん!」
「まぁまぁ慧音、男の子はこれくらい元気じゃないと」
「妹紅、あまり○○を甘やかさないでくれ。今回はお前が見つけてくれたから良かったが
妖怪にでも喰われてからじゃ遅いんだぞ」
「○○だって怖い目にあったんだ。大丈夫だな○○」
そう言い妹紅は○○の頭を優しく撫でた。
「まったく…この子には甘いな」
口ではそう言うが心底心配していた慧音は○○を優しく慈しむように抱きしめてあげた。
「もこーおねえちゃんありがとう!そうだ!僕ね、大きくなったらおねえちゃんとけっこんする!」
「なっ!!!」
「だそうだ妹紅、良かったな。嫁の貰い手が出来たぞ」
腹を抱えて笑う慧音とキョトンとする○○に妹紅は顔を真っ赤にし
「○○、あのな?嬉しいけどお前と結婚する慧音が私のお義母さんになるからな。それで…」
「私は○○の母親じゃない!保護者だ!」
慧音の頭突きが見事に決まりその場に崩れる妹紅に駆け寄り○○は必死に呼びかけたが
妹紅の意識は途切れていった…
○○は慧音や妹紅、里の人達から愛情を受けすくすくと成長していった。
「昔はもっと可愛げがあったのにな…」
「ん?何か言ったか?」
「いーや、何も」
時は流れ○○は青年になっていた。
「ちょっと昔の事を思い出したんだよ」
「昔ねぇ…」
妹紅の淹れた茶を啜り○○は寝転がった。
「お前さ、わざわざ人の家に来て茶啜って寝てるだけって暇人だな」
「いいだろ別に、今日は仕事が休みなんだよ」
「しかし、○○が薬師ねぇ…」
○○は数年前永遠亭の八意永琳に頼み込んで住み込みで弟子にしてもらっていた。
「よくあの薬師を説得出来たね」
「まぁ…な」
「ふぅん」
歯切れが悪かったが元々○○はそういう所があったので妹紅はさして気に止めなかった。
「そういえば独り立ちしたからってたまには慧音に会いに来てあげなよ。
寂しがってたよ」
「ちゃんと会いに帰ってるよ。ご馳走さん」
○○は残ったお茶を飲み干し、湯飲みを水場に置き土間から降り際に妹紅に告げた。
少し散歩しようか、と。
「ねえ○○、私と初めて会った時の事覚えてる?」
「初めて会った時って言うと…何だっけ?」
二人は竹林を当ても無く彷徨っていた。
「覚えてない?慧音が○○の手を引いて私の目の前に現れてさ」
「あ~…妹紅が何か言って頭突き喰らってたな」
「そうそう、ついに慧音も一児のお母さんか、ってね。何も頭突きしないでもさ」
「そういうお年頃だったんだろうさ、慧音は」
その時○○は妹紅の事をちょっと怖いと思ったが何てことはなかった。
妹紅は面倒見が良く、○○とすぐ打ち解ける事が出来た。○○にとって妹紅はもう一人の保護者と言っても過言ではなかった。
「でも何だかんだ言って慧音は親馬鹿さ。○○の事となると周りが見えなくなるし
寺子屋で一番になった時は上機嫌で暴れまわってたし」
「止めてくれ、アレは恥ずかし過ぎ」
寺子屋一の秀才になった時慧音は親しき人達を集め宴会を催したがその時の
あまりのはっちゃけ振りは未だに目に焼きついて離れなかった。
「そんだけ愛されてたのに自分の下から離れてあんな怪しい連中の所に行ってるんじゃ、親の心子知らずだね」
「師匠は確かに性格がちょっとアレだけど間違いなく天才さ、怪しさで言ったら妹紅もいい勝負だな」
「あ~あ昔の○○は素直で優しくて可愛げがあったのに、今じゃ夜遊びもするし慧音はどこで教育を間違えたんだか」
「後天的、周りの影響だな」
「里の友達か?確かに悪ガキが多かったからな」
「もっと身近で影響力のある奴だよ」
「じゃあ不良中年達だな」
「…はいはい。自分で言ってりゃ世話無いな」
こんな風に昔の話に華を咲かせ二人は一緒に歩いて行った。
しかしこの好ましい時間もいずれは終わりが来る。○○と妹紅とでは時間の進み方がまるで違う。
妹紅は不老不死、いずれ別れの時が来る。親しい人達との別れは辛い、独りでいる事の方がまだ心は楽だ。
いくら不老不死でも精神は人間のままで肉体的な死よりも精神的なショックの方が妹紅には辛かった。
だから大概の人とはある程度距離を置いてきたのだ。にもかかわらず○○はいつの間にかもっとも近い存在になっていた。
限られているからこそ今という時を大事にしたかった。二人の時間を。
「なあ妹紅、お前の望みは何だ?姫様への復讐か?それとも…普通の人間に戻って死ぬことか?」
「いきなり何だ…よ?」
○○の表情は何時にも増して真剣で、妹紅は一瞬胸が高鳴った。
「教えてくれ」
「ん~…輝夜との事は難しいな。まだ憎いかって言われりゃこんな体にしたから憎いけどさ
今まで散々殺しあって互いに暇潰ししてそれなりに楽しかったし。それに普通の人間に戻るのは…無理だよ」
「そうか…」
妹紅の声のトーンが一気に下がった。顔を伏せているが妹紅は悲しい表情をしているのだろうと○○は思った。
ふいに○○は妹紅を後ろから抱き締めた。
「こ、こら○○!ふざけるのもいい加減に…」
「妹紅、俺はお前が好きだ」
不意に耳元で妹紅は囁かれ、見る見るうちに顔が真っ赤になった。
妹紅は何か言おうとしていたがまるで言葉に出来ず、抵抗することも止め大人しくなった。
「このまま聞いてくれ。俺にとって妹紅は姉であり母であり…女性なんだ。
妹紅は強くていつも妖怪から俺を守ってくれた。そのお前が一度だけ幼い俺の前で泣いたことがあったんだ。
ただ一言辛い、と」
「っ――」
「俺はそんなお前を見たくないんだ。いつだって不適に笑って自信に溢れてるカッコイイお前が好きなんだ。
今…俺は師匠の下で蓬莱人から普通の人間に戻る薬を研究している」
「無理だよ…そんなの出来っこない」
「ああ、"人間の寿命"じゃ絶対無理だ」
「人間のって…」
「はっきり言ってこれは俺の勝手な想像でお前にとって大きなお世話かも知れない。
でも妹紅が望み、迷惑じゃなかったら…お前の肝を俺にくれ」
妹紅は絶句した。蓬莱人の肝を食べれば新たな蓬莱人が誕生する。
抱き締められた状態で○○の表情を窺ったがその瞳には揺ぎ無い決意が読み取れた。
「数百年数千年かけてでも俺がお前を元に戻してやる」
「そんなの前例がないし…」
「前例がないならこれから俺が作る」
「でも私なんかの為に○○の人生をぶち壊しになんか出来ない!ほら、一時の気の迷いかもしれないし。ね?」
妹紅の瞳からは大粒の涙がこぼれ出した。
「俺だって一時の感情かもって思った。でも今まで頑張って来た。それは紛れもなく妹紅と一緒に同じ時間を過ごし共に死ぬ、その為だ。
その気持ちに嘘偽りはない。だからさ、一緒に苦労しよう。妹紅」
慧音に教えを乞い知識を授かり鍛錬を積み体を鍛え日が沈むころに紅魔館の図書館で夜遅くまで知識を貪欲に吸収する。
そして今は月の頭脳の弟子となった。それら全てはたった一つの事に集約されていたのであった。
「私だって……本当は○○と一緒にいたい…でもそれは…夢なんだ、無理なんだって…諦めた」
涙で顔はボロボロになり言葉もやっとのことで紡ぎ出している状態であった。
そんな妹紅が愛おしくなり○○はもっと強く抱き締めた。
「夢で終わるかどうかは妹紅次第だ。俺は腹を決めた、妹紅は?」
「…じゃあもう一回好きって言ってキスして」
「何度でも言ってやる。好きだ妹紅」
そう言い○○は妹紅に優しく口付けをした。
それはただの触れ合うだけの幼稚なキスであったが、今の二人にはそれで充分に満たされた。
「○○、ちょっと後ろ向いてて。恥ずかしいから」
妹紅は○○が後ろを向くのを確認するとおもむろにシャツを脱ぎだした。
そして自分で自分のの腹部を掻っ捌いた。
「ぐっ!…がはっ!」
いくら蓬莱人で死なないとはいえ激痛は伴う。傷が再生しないように妹紅は痛みに絶えながら急いで肝を
取り出した。そしてまだ生暖かく血が滴る肝を○○に手渡した。
「ハハ…結構痛いね」
そして妹紅は無理に笑顔を作ったがその場に座りこんだ。
「次は俺の番か…」
覚悟を決め一口それを含むが○○は強烈な吐き気に襲われた。
血抜きなどを一切行っていない生の肝なのだから血と鉄の味でとても食べれたものではなかった。
しかし○○は時間をかけて何度も吐き出しそうになりながらも肝を貪った。
完全に肝を食べ切った時には少し日が傾き始め、○○はぐったりとした表情で妹紅の隣に腰を下ろした。
「これで、俺も蓬莱人の仲間入りか…実感ないけどな」
「歓迎していいのか微妙だけどね」
妹紅は嬉しいという感情よりも後悔の念の方が大きかった。
自分のせいで○○は幼くして信念を固めてしまい、他にあったかもしれない道を閉ざしてしまった。
無意識に妹紅は謝罪の言葉を吐いた。
「○○…ごめん」
「何度も言わせるなよ、俺が決めたんだ」
「そうだね…でもごめん」
このままでは拉致が明かなそうなので○○は話題を変えた。
「でもまぁ、レバーは嫌いじゃなかったんだけどこれはきっついな」
「すっごい匂いだね」
「ああ、…今更だけどレバーの炒め物とかにすれば良かったかな?」
「馬鹿、そんな軽口叩ければ大丈夫だね」
「妹紅の方は?」
「しばらくしたら元通りになるさ」
傷口が痛々しいが先程より妹紅の表情は幾分か楽そうであった。
「ハハ、俺もお前”も紅”に染まったな」
二人とも血だらけでその血が少し酸化し始め深い紅色になっていた。
「うん…一緒だね」
○○は妹紅の肩を抱き寄せたが妹紅は驚き頬を染めたままどこか所在無さげであった。
「どうした?」
「その…こういった経験ないから甘え方が分からない」
望まれない子供として生まれ、決して恵まれた子供時代を送れなかったが為に誰かに甘えることは出来ず
蓬莱人になってからも誰にも甘えることは出来なかった。
「可愛いね、お前」
「こんな事するのは○○だけだから…
「ホント可愛いね、お前。でもそろそろ着替えないか?血の匂いってヤツは長時間嗅いでいると嫌になってくるからな。それに慧音に報告しないと」
「そうだね」
その提案に妹紅も頷きそれぞれ着替え慧音の家へと向かった。
「なるほど、ついに妹紅に打ち明けたか」
「ああ」
慧音は一口飲んだお茶を卓袱台に置きじっと二人を見つめた。
○○と妹紅が二人揃って訪ねて来た時の雰囲気と表情から慧音は薄々感づいてはいた。
昔、まだまだ子供だと思っていた○○から聞かされた夢物語が本当に始まろうとしている、慧音にとっては
それは複雑な心境であった。
我が子同然に育ててきた○○が言わば人間を止め、答えがあるかどうかも分からない道を往く。
他に道は幾らでもあるだろうがわざわざ難儀な道を選んだ○○に慧音は心底心配であった。
だが子供が決めた事を応援するのもまた親の役割の一つであった。
「慧音、私は…」
妹紅が申し訳なさそうに口を開いたが慧音はそれを制止した。
「妹紅、○○は頑固で融通が利かず不器用な生き方しか出来ない。それに一つの事に没頭すると周りが見えなくなり自分の事も疎かになるような
まるで駄目な男だが根は良い奴だ。どうか見捨てないでやってくれ」
「分かった」
「オイ…」
自分が褒められているのか貶されているのか微妙で、もっと良い評価が欲しかった○○であった。
「○○」
「な、何だよ?」
○○は昔から慧音の説教が嫌いで、気付いたら説教されそうな雰囲気を読み取る程度の能力を手に入れたのであった。
そして今まさにソレを感知し身構えた。
「妹紅を絶対幸せにするんだぞ。もし泣かせるような事があったら神に変わって私が天罰を下すぞ?」
「善処します…」
「そうしてくれ。で、これからどうするんだ?」
「まずは永遠亭から妹紅の家に引っ越すよ。幸い竹林から永遠亭は近いから助かるよ」
「一人で暮らすには広かったから二人で暮らすには困らないしね」
「人里離れてるから思いっきりイチャイチャ出来るしな」
「○、○○!」
二人からは早くもバカップルオーラが発せられていた。
「…で、式は挙げるのか?」
その場に居た堪れなくなった慧音は話題を振ってそのオーラを払拭しようと試みた。
「いや、今は恋人って関係を楽しむよ。式はその後に、紅白の貧乏巫女の神社ででも挙げるさ」
「そうだな、二人にはそれが丁度いいな。だがまぁ…程々にな、色々と」
○○は慧音の好物の羊羹を土産として持ってきたのであったがまったく手をつけていない事に気が付いた。
「食べないのか?好きだろ?その羊羹」
「好きだがな、今のお前達を見ていたら甘いものはいらないよ。ご馳走様」
そういってお茶を啜る慧音に妹紅は頭上に疑問符を浮べていた。
「慧音」
しばし雑談をしていた時急に○○は姿勢を正し、慧音の方へと体を向けた。
「この幻想郷に迷い込んで里の人たちに拾われ慧音に出会い、そして俺を育ててくれた。
迷惑も掛けてきたし俺の我侭に付き合せてた事、本当にすまないと思う。…そしてありがとう」
「珍しいこともあるもんだな。お前からそんな言葉を聞けるなんて」
「こんな時じゃなきゃ言えないさ。心から感謝してる」
「そう思うならたまには孝行をしろ。馬鹿」
慧音は目頭が熱くなり泣き出しそうになったのを必死で堪え笑顔を作った。
「ああ、時間ならたんまりあるからな。覚悟してろよ……母さん?」
「…っ。全く…この、馬鹿、息子が…っ。期待、しているぞ?」
仲睦まじく竹林の方へと去る二人に慧音は手を振り見送った。
「はぁ……子を送り出す親の心境か、こんなにも辛いものなのだな」
「そう思うのなら私の元に居て!って引き止めればよかったのに」
ズイっとスキマから八雲紫が慧音の前に突然現れた。
「そんな事出来るわけがないだろう。○○を嗾けた張本人が何を言う。それに盗み見とは趣味が悪いな」
「あら、人聞きが悪い。数年前私を訪ねてきた少年に可能性を教えただけよ?そう、暗闇に光を射す方法をね」
紫は口元を扇子で隠しながら笑みを浮べ、その仕草が胡散臭さを一層引き立てた。
「あのバカにはその小さな光があまりにも眩し過ぎてそれしか見えなくなってしまった」
愚直な性格、○○の長所であり短所
「私はそういうバカは嫌いじゃないわよ。それに針みたいな小さな光でも深い闇を貫くことは出来るわ」
「そうあって欲しいものだ」
「大変ね、お母さんは」
「フン…放っておけ」
―せめて○○と妹紅に死が訪れるまで幸多からん事を―
「あのね○○、私もう一個夢が出来たんだ」
二人は竹林への道を歩いていた。
これから気の長い時を二人で過ごすであろう竹林へと。
「ん?何だ?」
「私と○○の子供をたっくさん産んで輝夜に見せつけてこう言ってやるんだ。
どうだ羨ましいだろって。そして奴の悔しがる顔を見て笑ってやるんだ」
「素敵な夢だな…。でもそれには俺の協力も必要不可欠な訳だな」
「うん…ちょっと恥ずかしいかも」
頬を紅く染め上目遣い…凛々しい妹紅も良いが可愛い妹紅もヤバイ。○○の妹紅メモに新たな項目が追加された瞬間であった。
「でも私慧音みたいに胸大きくないから大丈夫かな?」
「妹紅は人間に戻れば成長期だから大丈夫だろ。なんなら俺が手伝ってやってもいいけど?」
「○○って人の胸大きく出来るの?ハッ!まさか慧音の胸を大きくしたのは○○か」
「いや…その…今の言葉は気にするな」
「?」
どうやらそういった知識に妹紅は疎いようで、そんな初心な所に○○は妹紅の可愛さを再確認したのであった。
危うくその場で妹紅を押し倒しそうになったが、場所が場所でムードの欠片もなかったので○○はグッと堪えた。
「何一人で楽しそうにしてんのさ、それよりほら」
一人悶々としている○○に妹紅は手を差し出した。
「これから忙しくなるんだろ?」
「そうだな…まずは永遠亭から俺の荷物を妹紅の家に運ばないと」
「私達の、だろ?これからは」
「ああ、そうだったな」
そして差し出された妹紅の手を○○はしっかりと力強く握り締めた。
願わくばこの手を離す時は死が二人を分かつ時であることを…
新ろだ436
表では子供達が走り回り、眠っていた動物達もちらほらと姿を見せ始めていた。誰もが春の訪れを感じるそんな日。
里の中のとある一軒、ここは○○という青年の家である。
普段なら仕事に行く為に出てくる時間なのだが、今小屋の前からは誰も出てくる気配が無い。
それもその筈、彼は風邪をこじらせ仕事どころでは無いのだ。
この男数日前から熱っぽさを感じていたが、ただ調子が悪いという事で片付けていた。
それが間違いであったという事実に彼が気付くのに時間はかからなかった。
あっという間に体の調子を損ない、必要な時以外は布団の中で過ごすハメになってしまったのだ。
「ああ…くそ、熱が下がる気配が無い…。薬合ってないんじゃないのか」
誰に聞かせる訳でも無く天井を見つめそう呟いた。
それ以上独り言を言う力も無いのか、そう言ったきり彼は眠りの中へと落ちていった。
あれからどれくらい経ったのだろうか。彼は誰かが自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。
少し休んでいたとはいえ玄関まで出て応対する力など出せるはずも無い。
今自分を呼んでいる人物には悪いが、このままやり過ごさせてもらおう。彼はそう決めた。
誰も出てこないと分かると声は次第に無くなっていった。
次に聞こえてきたのは声では無く、誰かが扉を開け家へと入ってくる音であった。
強盗の類であれば、健康体であっても太刀打ち出来るかは分からない。この状態なら尚更である。
そして部屋に飛び込んできた人物、それは大きなリボンに腰まであろうかという長い髪をたなびかせた女性であった。
飛び込んできた女性、彼女の名前は藤原妹紅。
里で寺子屋を教えている上白沢慧音の知り合いであるようで
彼自身も何度か顔を合わせて話を交えたこともあり、知らない仲でも無いのである。
「あれだけ呼んでるんだから返事くらいはしてくれてもいいんじゃない?」
「してはやりたかったが、こんな調子じゃちょっとな」
「あぁやっぱり慧音の不安が当たってたか」
寝込んでいる彼を目の当たりにして、彼女は少し溜息をついた。
「慧音が俺の心配してくれてるの?ありがたいなぁ。病気になった甲斐があったよ」
「ふざけない。で快復の兆しは見えてきてるの?」
「薬は飲んでるんだが、一向に治らなくてね」
「飲んでるだけじゃすぐには良くならないよ。…風邪引いてからまともな物食べてないでしょ」
「え、ああ、確かに寝てる事だけで精一杯だったからそんなに食べてないかな」
「だと思ったよ。はいこれ」
そう言い彼女は布団の上に少し大きめの風呂敷を置いた。
「慧音からの差し入れ、中身はお粥だけどもね」
風呂敷を開けると中には蓮華とふたの付いた丼が入っていた。
「ほら食べさせてあげるよ、口開けて」
「いや恥ずかしいからお前が帰った後でゆっくり食べさせてもらうよ」
「誰も見てないんだから別に良いじゃない。ほら、あーん」
少し抵抗していた○○であったが、おずおずと粥の入った蓮華を口にした。
「どう?美味しい?」
「…美味しいよ。ここ二日で口にした中で一番美味しい」
「慧音が作ったんだから当然だね。ほらもう一口」
二度目ともなると恥ずかしさは消え彼はすんなり口に入れていた。
何度か粥を口に入れるともうお腹は膨れていた。
「しかし食事だけとは言え面倒見てもらって悪いな」
「良いよ、慧音の頼みだし。それに…」
「それに…?」
「い、いや私自身も暇だったし丁度良いかななんて思ってたんだ。うん。」
「理由は何だって良いさ。助けてもらたったんだし、何かお礼をしないとな」
「いらない。見返りが欲しくてやった訳じゃないよ」
「それじゃ俺の気が済まないんだ。出来る範囲で礼をさせてはくれないか?」
「なら、もしも私が病気にかかったりしたら○○にした事を私にもして欲しい。これじゃダメかな」
「そんな事で良いのか?…分かったいつになるか分からないけど約束する」
「本当に?絶対に約束だよ」
「そんなに念押しするなって、嘘はつかない性分だから安心してくれ」
と、何だか腹も膨れたし、また眠くなって来たな。」
「寝付くまでは傍にいるよ、何が起こるか分からないでしょ?」
「流石にそこまでは望んでないけれども…」
「良いじゃない、私がしてあげたいと思ってるんだから。問題は無いでしょ」
「それもそうかな…それじゃお休み妹紅」
「お休みなさい、○○」
目を閉じて眠りに落ちていく彼を見つめながら妹紅は静かに微笑んでいた。
最終更新:2011年03月27日 22:02