文8
初めてのチュウ 文攻 前編(10スレ目>>639)
「ふー……」
その日……○○はベッドにうつ伏せに寝そべって本を読んでいた。
その手の中にある本は、紅い色の表紙に簡素な黒い文字で「阿求正伝」とだけ記されている。
「なかなか面白い本だな……」
数日前までは、香霖堂という幻想郷の何でも屋の倉庫で埃を被っていた本。
暇潰し用に、その店の店主から格安で仕入れた一冊を○○は時も忘れ読みふけっていた。
ふと、咽の渇きを感じた○○は本を左手で抑えながら、右手をベッドの脇に巡らせる。
○○の右手の先には、木製の粗末な椅子があり、その上には紅茶の入ったティーカップが。
一瞬だけ、活字の羅列から目を離し、ちら、とカップに目を向ける。
カップを手に取り、紅茶をこぼさぬよう、ゆっくりと口元に運び一口啜った。
その視線は再び本の内容に注がれており、今度は脇目もふらずカップを椅子の上に戻す。
――――!!
「ん…?」
――――!?
「なんだ?」
……――――……!!
○○の耳に、外からの物音……そして――――ほとんど聞こえないが――――誰かの声のような音が届く。
(何かあったのか?)
本に栞を挟んで無造作に枕の横にひょいと放り投げた。
そのまま身体をベッドの上で回転させ、仰向けになる。
そして、両足を垂直に高く掲げ……勢いよく振り降ろし、その反動で起き上がった。
ベッドのすぐ傍にある室内履きを履いて、扉の方向にゆっくりと歩いて行く。
獣が罠にかかったのだろうか、と○○はほくそ笑んだ。
そして、かかった獲物についてあれこれ考えを巡らせる。
―――両手両足は唐揚げか?―――いや、胸肉カレーってのもいいかな?―――腿肉をスライスして刺身ってのも悪くない―――
そこまで考えて ふと我に返り、何をバカなことを考えているんだ……と薄く笑う。
「……獲らぬ狸の皮算用はよくないよなぁ」
全くもってその通りと言えよう。
そもそも、まだ獣が罠にかかったとも決まってはいないのに、今夜の夕食はどうするか考えるのは尚早というものである。
扉の前に立った○○は履物を室内履きから外行きの運動靴に履き替えた。
この後一戦やらかす場合、室内履きでは動きが鈍り不利になるためだ。
そして、扉のすぐ横に立て掛けてあった全長50cm程度の鉈を右手に持つ。
やや錆び付いてはいるものの、その重厚さと鋭く光る刃は……コレでいい、と○○は小さく頷いた。
先程まで だらしない恰好で本を読んでいた時の弛緩した表情は、今の○○の顔のどこにも見受けられない。
そして、○○は鉈を胸の高さで構えたまま、ドアノブに手をかけゆっくりと、押していった。
ギィィィ―――……
嫌な音をたててドアがゆっくりと開いていく。
○○の視界にニ本のしなやかで奇麗な脚が見えた。
「あ、いたいた!」
そして、○○がそのまま上を見上げると 一人の少女が 地上から2mくらいの高さに浮かんでいた。
黒い翼を羽ばたかせ宙に浮かび、右手にペンを、左手にメモ帳を携える天狗の少女。
彼女の姿を確認するや否や、○○は構えていた鉈を下ろし、肩を落とす。
「またお前か……」
唸るように、そして絞り出すように呻く○○の声には、客を出迎えるという親愛の情は一切無い。
むしろ面倒な客が来たという、嫌悪の声色しかなかった。
そんな○○の心情などどこ吹く風と言わんばかりに、天狗の少女はあらん限りの声を張り上げて――――
「お願いします!! 取材に協力してくだ ―――― 」
「帰れー!!」
あたかも示し合わせたかのように、二人の叫びは寸分違わぬタイミングで同時に発せられる。
その叫び声は、鬱蒼と生い茂る緑の草木に覆われた森に響き渡り……叫び声に驚いた鳥が十数羽、近辺の木々からバサバサと飛んで逃げていった。
半年ほど前、○○は旅行中に道に迷い 散々彷徨った末にこの幻想郷に迷い込んだ。
当初は、災難の連続であり――――まず、乾き。
続いて空腹。
どこにもない安住の住処。
身の安全を守る武装の不足。
何もかもが足りなかったが……最近では、彼の生活はかなり安定してきていた。
この付近には、きれいな泉があったことと、かなり良質の山菜が取れるのが ○○にとって最たる幸運だったと言えよう。
物々交換を繰り返し、ある程度質素ながらも まともな生活を送ることはできるようになっていた。
それ以外にも、野菜は自給自足、肉は動物を罠にかけて得ている。
また、迷い込んだ3日程後に空き家を発見することができたのも幸運の一つであった。
数ヶ月かけてそこを修理し、自宅へと変えて今は悠々と暮らしている。
そして、家の周囲は香霖堂で仕込んだ罠を幾重にも張り巡らせており、妖魔の活動時間である夜中は家から出なければ問題は無い。
この周囲には民家がなく、煩わしい人づきあいなどに○○が心を悩まされることはない。
自然に満ち、穏やかで緩やかな日々。
他人に気兼ねせずに生活を送れる幻想郷ライフを○○は満喫しきっていた。
そう、この妙な新聞記者が現れるまでは○○の幻想郷ライフは本当に順風満帆だった。
「幻想郷の皆があなたのことを知りたがっているんですよ!!」
「やかましい! ただでさえ、お前の新聞のおかげで興味本位で家に押しかけてくる 面倒臭い奴らが激増してるってのに!!」
この新聞記者がどこから○○のことを聞きつけたのか、彼は知らない。
だが、
射命丸 文と名乗る この天狗の新聞記者が『幻想郷のニューカマー』というタイトルで、この世界にとっての異邦人たる○○のことを新聞の記事にしたのが、彼にとっての災難の始まりだったと言えよう。
今や彼の安住の住処は、文をはじめ、黒白の泥棒魔女、幼女のような鬼のストーカーといった面々が頻繁に襲撃するようになってしまっていた。
「そんなつれないことを言わずに! 10分でいいので取材に協力してください!!」
「断る!」
「お願いです!」
「イヤだ!」
「なんでダメなんですか!? せめてそれだけでも――――」
「うるさい! とっとと帰れ!」
○○は吐き捨てるように言い残し、文に背を向けた。
そして、そのまま憤りも露に玄関のドアノブを乱暴に掴む。
「……わかりました、明日もまた来ます……」
文が、ひどく気落ちした声とともに肩を落とした。
だが、気落ちしたのは文だけでは無かった。
明日も来るのかよ……と、○○もドアノブを左手で掴んだまま、肩を落としてげんなりする。
「来るなっての……ああ、それと――――」
「取材に協力してくれるんですか!?」
文が翼を翻しながら空中から降りてくる。
右手にペン、左手にメモ帳を持って、○○の発言を一言一句も書き洩らすものか、と。
その姿勢は記者としては素晴らしい姿勢であろう。
ただ、○○にとっては面倒この上極まりない姿勢でしかなかったが。
「取材に協力してくれる」という文に都合のよい解釈を○○は聞き流し……というよりも完全に無視し、文に背を向けたままぶっきらぼうに言った。
「……最近、お前も含め不作法な客が増えたんでな、家の周囲の到る所に罠を張っているから気をつけ――――」
○○の家の周囲は彼の言葉通り、到る所に罠が張り紛らされている。
そして、同時に 人間が罠にかからないように簡単な有棘鉄線で囲まれていた。
罠はその有棘鉄線の内部のみに展開されており、『この先、罠多数』という看板も有棘鉄線の一部に掛けられている。
それでも侵入してくる理性を持たない獣や妖怪は……罠にかかり○○の血肉になるという寸法だ。
しかし、文は大抵 空から飛んで来るので、この周囲は罠だらけという知らない可能性があった。
だから、○○は念のためにそのことを教えようとしたのだ。
ただ、それは文のためを思ってのことでは決してない。
彼女が罠にかかった後、同じ場所に罠を再設置するのが面倒なだけという意識しか、○○は持っていなかった。
―――― カチ……
『え? 』
文の間抜けな声が響くのと、○○が幾分引き攣った声をあげて振り返るのは、先程の叫びと同じく またもや同時だった。
血の気を引かせ、振り返った○○の目の前には、呆けたまま地面に立っている文の姿が。
彼女の視線は、自身の足元に注がれている。妙なスイッチ音が自らの足元から聞こえたからだろう。
○○の背筋が瞬時に冷え、ドアの前に自ら仕掛けた罠を思い出す――――
―――― このアホウ…!
気付いた時には○○の体は動いていた。
未だ足元を見つめたままの彼女の元に走る。
走る、走る、ひたすら走る。
距離はほんの5メートル前後。
だが、罠が発動するまでの時間を考えると、たったそれっぽっちの距離はあまりにも遠すぎた。
―――― 間にあわねぇ…っ!!
○○の目には、全てがスローモーションに映っていた。
彼女からの距離3m程度の地点で、勢いをつけて跳ぶ。
そして、自分の全体重と慣性の法則を味方につけ、全力で彼女を突き飛ばした。
「きゃ…っ!」
彼女が驚いたまま視線を○○に向ける。
その視線を受けたまま、○○は、ああもう このバカ天狗が……と心の中で毒づいた。
そのまま、彼は目を閉じて
そして――――
ドッゴオオオオオオオオオオオン!!
耳をつんざくような大音響が周囲に響き渡った。
「……い……いたたた……」
周囲に爆発音が響き渡った後、文はもうもうと漂う煙の中で我に返った。
ツンと鼻に障る火薬の匂いに顔をしかめ、リスやネズミのような小動物のように、きょろきょろと頭を巡らせる。
「もう、痛いなぁ……何するんですか! ○○さん!!」
痛いと口にはしているが、彼女の健康的な血色の良い肌には傷一つない。
強いて言えば、○○に突き飛ばされたために尻餅ついただけだろうか。
黒色のスカートについた土を両手で叩き落としながら、ゆっくりと立ち上がる。
文自身も何が起こったのか理解しきれてはいなかった。
彼女が覚えていたのは、自身が何かを踏んだことと、○○に突き飛ばされたこと。
そして、その後の鼓膜を引き裂くかのような派手な爆音だけだった。
しかし、爆音から十数秒経った今も、もうもうと漂う煙に360度すべての視界を奪われ何も見えない。
「○○さん?」
しかし、○○からの返事はない。
もう一度、呼び掛けるが、結果は変わらない。
「邪魔だなぁ……この煙」
未だ晴れぬ砂埃と煙幕に、いい加減焦れてきた分はそう呟き、背中に収めていた黒い宝石のように艶やかに輝く翼を大きく広げる。
そして、その華奢な身体を少しだけ仰け反らせて――――
「ていっ!」
びゅうううっ!
――――勢いよく、翼を一振りした。
彼女の両翼は突風を生み、突風は文の視界を覆う煙と砂埃を一瞬で吹き飛ばす。
だが次の瞬間、文は目の前に広がる光景に息を飲み愕然とした。
「――――ッ! ○○さんっ!!」
「ぅ………」
煙幕と砂埃に隠されていたものは、全身を己の血で染め 力なく横たわる○○の姿だった。
文は○○に駆け寄り、自分の服が血で汚れるのも厭わず○○を抱え起こす。
「だ、大丈夫ですか!?」
「がふ……ッ!」
鮮やかな紅い血と胃液が混ざった液体を吐き散らす○○。
それを目の当たりにして文は更に血の気を引かせ、○○はなおも苦痛に身をよじらせる。
「ぐぅ……ぁ…!」
文は持っていた手拭いを左腕上腕部の一番大きな傷口に押し当て、そこからだらだらと溢れ出る血液を止めようとした。
しかし、手拭いは一つなのに対し、傷口は両手の指では数え切れないほどだ。
多勢に無勢とでも言おうか、あまりに傷が多すぎるため手に負えない。
しかも、手拭いを押し当てた傷の出血はわずかに和らぐものの、それはあくまで『僅かに和らいでいる』だけでしかない。
文の気に入りだった手拭いは、今や完全に鮮やかな赤に染まっているが、それでも血液の流出は止まらない。
「ぅ……」
○○が力無く呻き、その身体から力が抜ける。
失血のために意識を失ったのだろう。
事が此処に至っては、もはや自分だけではどうすることもできないと文は判断した。
「急がなきゃ……!」
幻想郷 最速少女の目に――――なんがなんでも死なせるものか――――と強い光が宿る。
バサァ……ッ!
○○の身体を胸に抱え黒翼を翻す。
その羽ばたきによって砂煙が文の周囲に立つとともに、彼女の体が宙に浮かびあがった。
彼女自身の最強の武器を持って、文は疾風の如く 迅雷の如く飛ぶ。
最短最速で永遠亭に住まう、天才薬師のところへ――――
「………ん……」
薄暗い中、○○の目がゆっくりと開いていく。
ぼんやりと視線を惑わせると、ベッドの横に椅子があり、その上に天狗の少女がちょこんと座っていた。
「良かった……目が覚めたんですね……」
「ここは……俺の家?」
そう言いながら身体を起こそうとした瞬間、○○の前身に鋭い痛みが走った。
「うぐ……!」
「あああああ、まだ起き上がらないでください! 重傷なんですから!」
慌てて文が、ゆっくりとベッドに横たわらせる。
その時点になって、○○は自分の全身の到る所に包帯が巻かれていることに気づいた。
「あなたは あれから丸二昼夜眠っていたんですよ?医者の見立てでは、全治二ヶ月だそうです」
「二昼夜って……? 医者? 全治?」
「あ……ごめんなさい。あなたは地雷を踏んだ私を助けたかわりに、爆風をもろに浴びてしまわれたんですよ」
でも、命にかかわるような傷じゃなかったみたいです……と文が付け加える。
文の言葉で、○○はようやく自分に何が起こったのかを思い出した。
けれども、○○は、自分が今生きているということをにわかには信じることができなかった。
「い、いや医者って……地雷踏んだんだぞ? 即死じゃないにしても、助かるはずが――――」
言いながら、まさか自分はすでに死んでしまって幽霊としてこの世界に残っているのかとも考えた。
普通ならば馬鹿げた考えだが、この幻想郷に限ればあり得る話だ。
「幻想郷最高の医者に連れていきましたから」
ビシッと力強く親指を立て、ウインクのおまけまで付ける 文の素敵な笑顔が眩しかった。
答えになっているようで答えになっていないが、その姿はひどく頼もしいと言わざるを得ないだろう。
「それにしたって、医者に行くまでに助かるはずが――――」
「幻想郷最速ですから、私!」
頭に幻想郷がつくと、とたんに何が起こっても信じ切れてしまうのは、仕方のないことと言えば仕方のないことなのかもしれなかった。
なにしろ、○○がこの世界に迷い込んてから信じられない物を見た回数を数えるならば、その数は優に百を軽く超えるからだ。
一切の常識が通じない世界に半ば眩暈がしながら、その反面 ○○は妙に落ち着いてきていた。
そもそも、人間が地雷の直撃を食らって生きていられるはずがない。
また地雷という物は大抵は踏んだらすぐに爆発するものだ。でなければ武器としての意味がない。
以上の考察により、○○が出した結論は――――
(あの地雷、使用期限を相当派手に超えてたんだろうなぁ……)
――――である。
「……ちなみに、医者までどのくらい時間かかったんだ?」
「ん~……1分切るか切らないかというくらいですね」
また新たに判明した この世界の非常識さに半ば呆れつつ、半ばやけくそ気味に問いかける。
「……ここから、その医者までの距離は?」
「ん~……割と近いですよ? 20キロくらいです。」
「……ありえねぇ」
○○は唸りながら頭を抱えた。
文が○○を抱えたまま叩きだした速度は、ほぼ音速に近い。
つくづく、この世界は人外魔境だということを思い知らされていた。
「全くですよ……これでも、10年前くらい前までは30秒切ってたんですよ?
久し振りに本気で飛ばしたとはいえ、ずいぶんと鈍ったものです。」
「………」
―――― 全くどいつもこいつも物理法則無視しやがって……
「……実はここだけの話、最近運動不足で 脇腹とか危ないんですよねぇ」
などど、○○が聞いてもいないことまでベラベラと喋りだす。
「……10年前より遅かったのは、俺を抱えてたからじゃないのか?」
「あ、そうですね……って、いやいやいや! 安心させないでください!!
脇腹は、本当に切実な問題なんですよ!? 油断してたら、ひどい有様になっちゃうじゃないですか!!」
「そ、そうか……」
彼女の脇腹に対する危機感の発散に若干気圧されながら、○○は引き攣った呆れ顔で相槌を打つしかなかった。
なお、文の脇腹は全く危険では無いことも、心の中で付け加えておく。
兎にも、角にも――――
「……ありがとう」
重傷を負った自分が、目の前に天狗の少女に助けられたのは事実であった。
だから、そのことに関しては正直に感謝の意を示さなければならなかった。
「…………」
「どうした?」
「い、いえ……素直にお礼言われるとは思ってもみなかったので……」
○○からの不意の感謝にドギマギする文を傍目に、○○はその視線と肩を落として考える。
(まあ、助かったわけだが、全治二ヶ月か……どっち道、終わりだな……)
いかに生活が安定したとはいえ、○○の生活はまだまだ安心出来うるものでは無かった。
毎日山菜を取りに行かなければ、そして、その山菜と物々交換をしに行かなければ……食糧や生活必需品は手に入らない。
1日でも働くのをやめれば生活すること行くことができないのだ。
今のままでは食料は二ヶ月どころか、相当に切りつめても せいぜい半月しか持たないのだ。
それ以上の問題は水だった。
今現在、○○は近くの川から汲んできた水を濾過して飲み水を得ている。
しかし、今の体ではもう自力で汲み行くことなど叶わない。
そして、肝心の水の残量は、これまた切りつめても2~3日で尽きてしまうはずだった。
「………」
傷を負った自分を救いだしてくれた文には申し訳ないが、○○は素直に喜べるほど楽天家では無かった。
むしろ、爆発に巻き込まれ、死んでいったほうが楽だったかもしれない。
あのまま意識を失って逝っておけば、空腹や渇きに苦しまずに死ねたからだ。
「あ、お腹減りました? 」
「……」
呑気そうな文の声に、青年は内心ため息をつく。
彼女の言葉どおり、空腹はあるものの それどころでは無いというのに――――
そう思い、視線を彼女に巡らせる。
「ん?」
ふと、彼女の背後――――玄関の脇に何かが詰められた唐草模様の風呂敷が目に入った。
少なくとも、2日前まではあのような荷物は無かったことは○○は記憶している。
ならば、あの荷物は それ以降にここに入った人間が持ち込んだものであるはずなので――――
「なあ、なんだあれ?」
と、○○は文に尋ねる。
「私の生活必需品一式です」
「……なんで?」
「あなたの怪我が治るまで私が看病するからです」
「は?」
「記者は受けた恩は忘れないのです!」
「……」
義理堅い女だ、と○○は素直に感心するしかなかった。
そもそも、彼女を助けたのはあくまで○○の自由意思であり、別にそのことに関して文は負い目を持つ必要はないと彼は考えている。
正直、助けたこと自体認めたくもなかったという意識はあったが、今まで邪険にしていただけの相手に少し申し訳なくも思う。
「えっと……やっぱり迷惑ですか?」
「迷惑なもんか……ありがとう」
兎にも角にも……体は無事ではないが、命だけは助かったことは違いなかった。
そして、今後二ヶ月の療養生活もおそらくは死ぬことはない。
そのことに関して素直に喜ぶべきだと青年は考えていた。
○○は、微笑みながら文の目を見つめながらそう言った。
「どういたしまして。あ、そうだ……お腹減っているでしょう?」
「あ、ああ……」
「少し、冷めてしまいましたけど……」
そう言って、文はトレーに乗せられた食事をベッドの脇に置く。
トレーの上には、肉じゃがと白米、そして山菜の天ぷらが乗っていた。
文は右手に箸を持ち、器用に肉を挟む。
そして、左手を箸の下に添え○○に差し出した。
「はい、あーん」
「……じ、自分で食べる」
○○は、視線をやや明後日の方向に向け頬を赤く染めた。
若干ストイックぶってはいても、○○も妙齢の男性。
恋人同士がするようなこのようなシチュエーションに胸を高鳴らせないわけがない。
「だめですよ! 怪我人は大人しくしてなきゃ!」
「う……」
文の言葉は正論だった。
そもそも、○○は自身の体すらまともに動かせなかい。
結局のところ、文に食べさせてもらうしか食事を取る方法はなかったのだ。
「………あ、あーん……」
おずおずと○○は口を開く。
その顔は羞恥で赤く染まっていた。
そして、○○の口が文の箸に挟まれた肉を今まさに捕えようとした瞬間――――
ぱくっ!
文は箸で摘んだ肉を自分の口に放り込んだ。
「……オイ」
とたん○○は不機嫌になり――――何遊んでんだ――――と睨む。
対する文に、悪びれた表情は一切ない。
悪戯っぽい視線を向けつつ、口に含んだ肉を咀嚼する。
しかし、○○は、文のその表情に何か危険な物を感じ取った。
文が、○○に少女らしいあどけなさの残る奇麗な顔を寄せる。
「え? おい、ちょっと何を――――」
それを見て、今更ながらに 文がとても美しい顔立ちであることに気づく。
端正に整った顔に、血色のよい肌、僅かに長い睫に、更々と手触りが良さそうな黒く輝く髪。
ドギマギする○○の気持ちを知ってか知らずか、文は更に顔をよせて――――
「ん……」
「―――――……ッ!?!?!?」
文は、○○の唇を己の柔らかく瑞々しい唇でしっかりと塞いだ。
そして、噛み砕いた肉を○○の口の中に流しこむ。
○○はほとんど動かない身体を何とかよじらせて文の唇を振りもぎろうとする。
けれども、いつの間にか頭に文の両手が回され、引き剥がすことができない。
それ以前に、僅かにでも身体を動かすたびに苦痛が全身を襲うため、動くことができない。
ならばせめて、と舌を使い流れ込んでくる肉を押し戻すが、それすらも文の舌によって阻止される。
僅かに上気した文の熱い吐息を顔に感じる。
謀らずとも、その時 体が酸素を欲し、○○は大きく息を吸い込んだ。
ほのかに甘い文の髪の匂いを感じるとともに、○○の脳に綿菓子のような甘い霞がかかる。
(か……身体…が……)
さらに10秒も経つ頃には、○○の全身は弛緩剤を打たれたように麻痺してしまい、抵抗することすら叶わなくなってしまった。
最後まで抵抗を続けていた己の舌も、甘い口移しに痺れてしまいあっさりと陥落させられる。
そうなると、あとはもう文の為すがままに噛み砕かれた肉を受け入れるしかない。
けれども、文の攻撃はまだ終わらなかった。
今度は、抵抗の逆襲と言わんばかりに文の舌が○○の口腔内を蹂躙していく。
否、噛み砕かれた肉が 文の舌によって奥へ追いやられていく。
○○が肉を飲み込むまで、文はその唇を離さないつもりなのだろう。
「んぐ……っ」
○○は、耐えきれずに肉を飲み込む。
「っぷは……」
○○が肉を飲み込むのを確認した後、文はようやくその唇を離した。
○○と文の唇の間に、一瞬だけ銀色のアーチができ、そして消えてゆく。
「どうですか?」
「はぁ…っ……はぁ…!」
文は全く普段通りのスタンスで問いかける。
対する○○は もはやまともな言葉を発する事が叶わないほどに平常心を失いきっていた。
(なんなんだこの女は 行動自体がまるでびっくり箱そのもの――――って言うかなんでわざわざ口移しで喰わせてるんだ? なんでなんでなんで――――? )
意味のない言葉だけがグルグルと頭の中の迷路を惑い、そして消えていく。
「言い忘れましたけれど、顎の骨にもヒビが入ってるみたいですから、我慢してくださいね~」
「え?」
全身苦痛だらけなので気づかなかったが、言われてみれば顎に僅かな痛みを感じる。
「じゃ、もう一丁♪」
「~~~~~~ッ!?!?!?」
声にならない悲鳴を上げながらも、○○は僅かに体をのたうたせることしかできなかった。
なお、その悲鳴が僅かに喜色を孕んでいたことは○○しか知らない。
『初めてのチュウ 文攻 前編』end
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初めてのチュウ 文攻 後編(うpろだ545)
あれから数日後……
文に看病される生活の中、○○は文の人となりが少しずつ理解できていた。
目的のためなら手段を選ばない女と思っていたが、実は面倒見がよかったことに気付いていた。
あまりの献身的な介護に、○○が羞恥を催すこともしばしばある。
「ちょっと、待っててくださいね~!」
そして、今日は包帯を取り換える予定だった。
けれど、文は風呂場の脱衣所に引っ込んだまま、何事かゴソゴソとやっている。
包帯や薬を準備するにしても、それほど準備に手間はかからないはずだ。
「というか、何やってんのさ?」
「うふふふふ……秘密ですよ! あと少し、待っててください」
こういうときの文は、何かよからぬことを企んでいる。
(……今度は何だ、何が出るんだ?)
しかし、そのような自身もまたもや斜め上に裏切られることになる。
脱衣所から、文が飛び出てきた。
「じゃーん!」
「………………」
「あれ、どうしました、○○さん? 反応薄いですよ~?」
正直、彼女自身には何の問題も無かった。
いつもの健康的で空気を読まない彼女そのものだ。
では、何が問題かというと……彼女が身にまとっている服だ。
それは、文が普段身につけている白と黒を基調とした服と天狗の帽子ではない。
看護師の服――――所謂、ナース服に身を包んだ文がそこにいた。
○○が固まったのも無理はなかった。
「………………」
「えっと……どうしたんですか、夜雀がeasy弾幕喰らったような顔して?」
「例えがよくわからないんだが、それは鳩が豆鉄砲食らったって意味でいいんだな? まず質問だ……なんで看護師の服を?」
「ええ、今度外の世界の衣装特集をやろうかなーと思いまして……今、幻想郷中が外の世界ブームになっていますし」
おそらくはその火付け役は自分だということに気づき、○○は半ば呆れ気味に黙り込む。
「………」
「それに男の人って、こういうのが好きだとスキマ妖怪が言っていたのですが……ひょっとして似合わないですか?」
「誰だよ、そのスキマ妖怪って……」
「いいじゃないですか、そんなこと。それで、どうです? 似合いますか?」
「う……」
小さく唸り、青年は文の姿を再び見据えた。
白衣に黒い髪と翼がひどく映える。
よく、ナースのことを白衣の天使というが、翼が黒いためこれでは白衣の悪魔にしか見えない。
けれど、白衣の悪魔というのもそれはそれでそそられるものがあり、どこかインモラルな魅力に溢れていた。
しかも彼女が身に纏っているナース服は、比較的薄手で あまり質の良くない布が使われている。
おそらくは、恋人同士がそういう嗜好で楽しむために作られたものなのだろう。
つまり、スカートが短いため太腿が半分以上見えていて、生地が薄いために胸の形そのものが丸見えなのだ。
今の彼女の姿を10人の男に聞いたら、おそらくは15人が「俺も看護してもらいてぇ!」と言わしめるほどに艶っぽい。
そして、「何見とれてるのよ!」と耳をつねられる15人の連れあいも容易に想像ができる。
……まあ、何が言いたいかというと、○○は文のナース服姿に完全に心を奪われてしまっていた。
「どうですか、この恰好?」
「い、いや……目の保養にはなるけど」
文の問いに対し、○○はしどろもどろになりながら口ごもる。
そのうち、文はベッドの上に片膝をかけてにじり寄ってきた。
「ねぇ、どうなんですか?」
「……な、なんで近寄ってくるのかな、キミは?」
ず い っ
ず ざ っ
文がさらに近づき、○○はベッドの上で後ずさる。
ず い ず い っ
ず ざ ざ っ
さらに、後ずさる。
ず い ず い ず い っ
ず ざ ……どんっ!
○○の背が壁に当たり、完全に追い詰められてしまっていた。
「こういう恰好の私、どう思われますか?」
「どうって、その……」
○○は文に視線を向けることができない。
しかも、文はその理由をわかった上でやっている。
それだけになおタチが悪い。
「その?」
「ええとだな……なんて言うか……」
「男なら、はっきり言ってくださいよ~」
「ぐ……」
好きな子を苛めて喜ぶ少年のような表情で文は青年に詰め寄る。
○○はそれに耐えられず、とうとう陥落してしまう。
「……かわいいよ」
ボソッと呟くように○○は呟いた。
けれど、白衣の悪魔がそんな程度で許すはずもなく――――
「聞こえませんよ~、もっと大きい声で言ってください~」
「……っ、言えばいいんだろ、言えば! チクショウかわいいよ! 信じたくないし言いたくもないけど思わずドキッしたくらいにな!
これで満足か、このサドガラス!?」
「………」
「な、なんで押し黙るんだ?」
「……よかった」
とても安堵した表情で、頬を赤く染めながら笑顔を返してくる。
その笑顔は、○○のの心を揺るがすには十分過ぎるものであった
――――こ、こいつ……なんでそんなかわいいこと言うかな……!?
○○は、照れ隠し代わりにそっぽを向く。
そして、そばに置いてあった水を飲んだ。
「じゃあ、包帯取って体拭きますね。服脱がしますよ?」
「ぶふぅぅ―――――――ッ!!」
水を呑みこんだとたん、○○は文の言葉に盛大に噴き出す……文に向かって。
「やん……もう、ビショビショになっちゃったじゃないですか」
「ご、ごめん……」
謝りつつも、文の姿を見て○○は絶句した。
薄いナース服が、水を吸って……身体にピッタリ張り付いて……胸が……
そんな文の姿に、○○はさらに顔を赤面させる。
「いいです、許してあげますよ。じゃあ、脱がしますね」
「ちょ……やめ、脱がすな文!」
「あっ…」
「な、なんだ? どうした?」
「……初めて名前で呼んでくれましたね」
「え?」
「今までずっと天狗女とか、射命丸とか、カラスだったのに」
言われてみれば、名前で呼んだのは初めてなのかもしれない。
「うふふふふふ……嬉しいから、やっぱり私が拭いてあげます!」
「だからやめろって文! 自分で脱ぐ!! いや、自分で拭く!!」
「だめですよ! 怪我人は大人しくしてなきゃ!」
どこかで聞いたような台詞だ、と文の言葉に既視感を感じる。
「うわぁぁ―――――!」
○○の家の中に、悲鳴が響き渡る。
その悲鳴も、やはりどこか喜びの色を孕んでいたことは○○しか知らない。
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最終更新:2010年05月11日 18:03