文13
うpろだ1426
「あれ、○○さん何読んでるんですか?」
壁によりかかって本を読んでいた俺に、文が尋ねてくる。
「ん?いや、暇つぶしにと思って紅魔館から借りてきたんだけど」
タイトルは『あなたの猫度チェック!』。
なんとなく目についたので手に取ったが、こうして読んでいると、女の子が数人で集まって読む本のような気がする。
俺が読むと、似合わないこと甚だしいと思うのは、被害妄想だろうか。
「どれどれ……なるほど、当てはまる項目が多いほど猫っぽいということになるわけですね。あれ、96点満点?」
「うん、なんか100点満点じゃないらしい。理由を訊いたら何だか色々話してたけど」
パチュリーさんの説明は、丁寧と言えば丁寧だが複雑で分かりにくいことが多い。
「まあ、猫っぽいかどうかはともかくとして」
「え、なんですか○○さん、私をじっと見たりして」
訝しげな様子を見せながらも、何だか嬉しそうな文。
ちょっとかわいい。
「文ってさ、鴉天狗なんだよな?天狗はわかるけど、鴉っぽいところ、あんまりないよな」
一瞬面食らったような顔をしていた文は、複雑な表情になった。
あれ、何か悪いこと言ったかな?
「えーと、○○さん?まずですね、その、『天狗はわかる』というのはあれですか、強きにへつらい弱きに強気、という……」
「いや、別にそんなんじゃないよ。帽子とか団扇とか下駄とか、小さい頃に本で見たのと一緒だなと思ったからさ」
慌てて否定する。場面や相手に応じて口調を切り替えるのは知ってるが、そんな印象は持っていない。
しかし、幻想郷の一般的な天狗のイメージってそんななのか。
「……そうですか。ちょっと安心しました」
文はほっとしたような顔で微笑んだ。
「まあ、天狗の文化というか種族ぐるみの習性というか、あながち間違いではないんですけどね」
「そうなのか?」
外の世界で言うところの『NOと言えない日本人』みたいなものか。
「とはいえ流石に、恋人に面と向かって言われるのはあまり嬉しくないですから……さて」
そこまで言うと、不自然なまでの笑顔が浮かぶ。あれは……ちょっと怒っているな。
やっぱり何か悪いこと言ったんだろうか。
「『鴉っぽくない』とはどういうことですか?」
ああ、怒ってる。いつのまにか広がっていた羽がばさばさと揺れている。
「この黒髪とか、黒い羽とか、結構誇らしかったりするんですよ?」
「いや、うん、特に深い考えがあったわけじゃないんだけど、何となく俺の中にある鴉のイメージと文が重ならなくて」
「そもそも、○○さんの鴉のイメージってどんななんですか?」
「えーと」
俺が悩んでいる間に文は少し落ち着いたらしく、ため息をつきながら俺の横に並んで座った。
「じゃあ、○○さんの持ってる鴉のイメージを挙げていって、私に当てはまるかどうかやってみましょう。
鴉天狗の本領を見せてあげますよ」
「鴉度チェックってわけか。よし、まずは―」
1.ごみ捨て場を荒らす
「いきなりなんですかそれは!」
「外の世界だとそうなんだって!」
よく考えたら、外にいた頃鴉を見たのって、だいたいごみ捨て場とかなんだよな。
「ネタを漁ることはあってもごみを漁ったりはしません。はい、次!」
2.光り物が好き
「これは?」
「光り物、ですか。うーん」
ガラスや金属片などを巣に集めたりする、というのは聞いたことがあった。
それはないとしても、アクセサリーなどを指して光り物と呼ぶことがある。
文がそういったものを付けているところは見たことがないけれど、やっぱり好きなんだろうか。
「これもないですねえ。特に集めたり、身に付けたりするのが好きなわけではありませんし」
「じゃあ次いこうか」
3.においが強い
「ちゃんといつも清潔にしてます!」
「いや、文がそうだって言うんじゃなくて、鴉はそういうものだってどこかで」
まあ、これはないな。
…………でも一応。
「ひゃっ!?」
文をぎゅっと抱き寄せて、大きく息を吸い込む。
密着した文の髪や身体からは、良い匂いがした。嗅ぎなれた、でも飽きることのない、どことなく幸せな気持ちになれる匂い。
「もう、今更確認することでもないじゃないですか」
「うん、でもこうしてると何だか幸せで」
「……そうですね。私も、同感です」
しばらくお互いを抱きしめたまま、深呼吸した。
4.鴉の行水
清潔に、というところで思い出した。
風呂に入る時間が短いことを鴉の行水と言うけれど。
「これは当てはまるんじゃないか?」
「あー。そうかもしれません。でも適当に済ませてるわけじゃないんですよ?」」
そういえば一度長湯して、のぼせたことがあったような。
あの時は大変だったなあ。すっかり茹だって倒れた文を、一生懸命扇いだ覚えがある。
「で、○○さん、次は?」
「ごめん、もうネタがない」
何となく文と重ならなかった、というだけで、そもそも鴉についてそんなにたくさんの具体的な知識があるわけではなかった。
少ないことに加えてさほど良いイメージがなく、さらには重ねる相手が愛しい文とあっては、重ならないのも無理はない……か?
「では、私が○○さんにもう一つ、鴉について大事なことを教えましょう」
そう言った文は、いつの間にか俺の正面に回っていた。
「鴉はですね」
そのまま、にじり寄ってくる文。顔が近づく。
「ただ一羽の相手を決めたら、ずっとその相手と添い続けるんですよ」
しなだれかかってきた文の唇と、俺の唇が重なった。
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うpろだ1433
きょうは文と里の神社の祭りに行く予定だったが、ちょっと遅れてるかな?
「おまたせしましたっ」
「ぉひょっ」
いきなり後ろから声をかけられ肩を叩かれて変な声を出してしまった。
「? どうかしましたか?」
「ああ、いやなんでもない。それより、ふむ……」
声の主はやはり文だったが、その格好はいつもと全く異なっていた。
いつものミニスカ山伏スタイル(正式名称は分からないので頭の中でそう呼んでいる)
ではなく、山吹色の浴衣姿に同じ柄の巾着、ヤツデの団扇。今日は頭巾はしていない。
そういえば、文花帳も持っていないぞ!?
「オフですからね。どうですか? どこか、変じゃないですか?」
「ああ、全然変じゃないぞ。凄くかわいい」
「えへへ、じゃあ行きましょっ」
照れたような笑顔を浮かべ、彼女が僕の手をとり、祭りの喧騒へ向かって歩き出す。
つられて僕も歩き出し、彼女の手をぎゅ、と握り返した。あれ?
「お、羽根は?」
「あれは消してますよ。浴衣着るとき邪魔じゃないですか」
ああ、消せるんだ。便利だな。
金魚の場合
「お、兄ちゃん金魚どうだい?」
「お、やってるんだ」
明るいの照明の中、子供達が楽しそうに泳ぎ回る金魚と格闘していた。
「男ならカワイイ彼女にいいとこ見せてやりな!」
「「ぶっ!」」
二人同時に噴出した。
「やるか」
「私もやります~」
「おお、お二人さんがんばれよッ!」
~青年・少女魚掬中
ぼろっという感覚とともに逃げられた。椀の中には金魚が二匹。
「はい終了~」
「ぐう」
「ははは、でも若いのにうまいもんだな」
「まぁ、二匹釣れたし、あy……」
しゅばっ
椀にはこぼれんばかりの金魚盛り。
しゅばっ
というか、既に二杯目も半分以上。
しゅばっ
いまだ掬い紙に水滴は――ない。
「……あ、文?」
「ちょっと待っててください今良いところなので」
びっ
でかい出目金が水面から跳ねるように椀の中へ。
顔面蒼白の親父さんが土下座して謝るまで3秒とかからなかった。
露店
「……というわけで向こうではくじという奈の詐欺が横行しているわけさ」
「裏側から粗品を……子供の夢をぶち壊して……許せませんね……あ」
文が足を止める。そこは色とりどりの金属細工の露店。
「いらっしゃい」
「へぇ、アクセサリーか」
「かわいいのが色々ありますね~」
こうやってアクセサリーに目を奪われている横顔は可愛らしい年相応の女の子なんだよなぁ。
そんなことを夢想していると
「○○さんっ」
ちりん
文の声で現実に戻される。
「ん? どうしt……なるほど」
「似合ってますか?」
そこにはかわいい鈴のついた髪飾りがよく似合う女の子がいた。
「いいね、それいくら?」
いいものは高いというけれど、お祭りの露店は往々にしてボッタが多い。
それを分かってはいる。だから自分はそういうものに引っかからないとは思っていたが
「うん、値切れたからまだましだろう」
「高かったですねぇ」
まぁ、かなり吹っかけられたのだが、交渉に交渉を重ね、大体初期提示価格の4割程度で買えた。
余裕をもって持ってきておいてよかった……。
まぁ、文が喜んでいるなら、それはいいことなのだ。
りんごあめ
「おお、りんごあめだ」
「ええ、りんごあめですね」
屋台には色鮮やかな林檎が飴でコーティングされ、きらきらと宝石のように光っている。
「おっちゃん一個~」
「あいよ」
お金を渡し、一本受け取る。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます」
文に渡す。やはり甘いものは女の子が持ってはじめて完成するな。
「美味しいですよ~」
「それは僥倖、買った甲斐があったというものさ」
りんごあめ片手にほこほこ顔の文を見ながら満足げに頷く。
「ううむ、そんなに美味いのか。もう一本買えばよかった……」
「あ、それでしたらどうぞ?」
食べかけのりんごあめを出され、一口もらう。
がりっ
飴は舐めるものじゃない。噛む物だ。
「ん。美味いな(こりこり)」
「あー!」
びっくりしたような声。凄くショックを受けたようだ。
「そんなに食べるなんて思ってなかったですよー」
「返すかい?」
ずずいっ、と顔を文に近づける。真っ赤な文の顔が近くなる。
「うぅ……仲良くぺろぺろしたかったのにぃ……」
いや、射命丸さんそれはそれで危険な感じになってますよ?
とりあえずしばらく文の機嫌が治るまで四苦八苦した。
たこやき
まだ機嫌が直らないのでとりあえず何か買ってみることにする。
「おっちゃんたこ焼き~」
「おうさ」
とりあえず人気のない境内に腰掛ける。お祭りの屋台の裏ってなぜかひっそりとしているんだよなあ。
とりあえず買ってきたものを開く。大玉のたこ焼きは食べ応えがありそうだ。
「おお~大きいですね」
「うむ、食べるか」
一つ爪楊枝で持ち上げ、
「ふー……ふー……」
熱いので冷ます。とはいってもこういうのって大抵中身が熱いんだけどな。
「ほれ、あーん、てしてみ?あーん、て」
「や、その、えっと、一人で食べられますし」
「あーん、って」
「……あーん」
ぱくっ
おずおずと目を閉じて口を開いた文を差し置いてなぜかたこ焼きは僕の口へ。
「……へ?」
「もむもむ、んー」
たこ焼きは程よい熱さだった。やけどの心配はなさそうだ。ということで
「何やってんっ!? ……ッ!? ~~$&%’!?!?」
頭を抑え、唐突に唇を重ねる。まさに「ズッキュゥゥ~~ン!!!」とでも効果音が鳴りそうな。
目を白黒させる文の舌を追いかけ、絡め獲り、咀嚼したたこ焼きを送り込む。
(注意:気管に入ると碌な事にならないからよい人間は真似しないように。人外なら可)
「んむ!? ん~~ッ!? …………んふ…………んぅ…………ん……」
その舌が僕を非難するように絡まってきた。しかしそれも束の間、舌は互いを求め合い、
その咥内を味わいあった。気づいたら、口の中のたこ焼きは綺麗になくなっていた。
「っはぁ」
どちらからともなく離れる。銀の橋が一瞬架かってすぐ切れた。
あ、やっぱり文怒ってる。ジト目で真っ赤になって無言の非難を送ってきてる。
後悔も反省もしていないけれど。
「美味しかった?」
「ッ!! わ、わかんなかったですよ! 急に、でしたし……」
と、怒ったような、困ったような、笑っているような、微妙な表情を浮かべる文。
「そか。じゃあ、もう一個食うか?」
「……今度はちゃんと、食べさせてくださいね?」
潤んだ目でそんな事いわないでください。
そして僕はたこ焼きをもう一度口に含み――
ちりん
再度、髪飾りが涼しげな音を響かせた。
(省略されました。続きを読むにはスキマ妖怪にでもお願いしてください)
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うpろだ1443
/
とある人里の、とある平凡な縁側にて。
/
「……名前で呼んで欲しい、って?」
「そ、そういうわけじゃないですけど……ちょっと気になって」
「名前で呼んで欲しいのか?」
「あ、あのですね? す、好きな人には名前で呼んで欲しい――あうぅ」
「名前か。名前。うーん、なんか照れくさいんだよなぁ」
「む、無理しなくても、いいんですよ?」
「射命丸…………文、だよな」
「ありきたりですよね」
「可愛い名前じゃないか」
「え?」
「あやや」
「……それでも良いですけど、やっぱりちゃんと呼んで欲しいです」
「我がままだなぁ」
「あなたにだけは、我がままになりたいな……」
「うぐぅ。とんでもなく嬉しいことを」
「ご、ごめんなさい」
「じゃあ……文」
「……」
「だ、ダメか?」
「いいえ、すごく良かったです。えへへ」
「でもなぁ、なんか慣れないんだよな。半端なく照れるしさ」
「無理しなくてもいい、と言いましたよ?」
「そうだったな」
「ねぇ……○○さん」
「ん? なんだ、改まって?」
「我がままついでに、もうひとつ我がままを言います」
「ふむ?」
「えーっと、その……き、き……」
「木?」
「……キス……しましょう……」
「――なっ!?」
「そ、その、ヘンな意味じゃなくて!」
「いやいやいや、驚いたぞ」
「わわっ私たち、恋人同士なんですよね!?」
「もちろん、そうだけど……そういえば、二人きりでデートとか、したことないな。すまん」
「それは、お互い忙しいですから、仕方ないですよ」
「それで?」
「恋人なんですから、その……キス、するものなんですよね?」
「いや、その、別にするってもんでも」
「どんなものなのか……してみたい、かな」
「うん? もしかして……」
「言われる前に白状しちゃいます。ええ、経験ないです」
「まいったな。おれだって経験豊富なわけじゃないぞ。でも、どうして突然しようって思ったんだ?」
「呼んでくれたから、名前で。あなたに『文』って呼ばれたとき、毛布に包まれているような、すごく温かい気持ちになったんです。そうしたら、ああ、キスしたいなって、ふと思ったんです」
「そっか、光栄だな」
「どうして」
「おれを近づけても良い、おれに触れさせても良いって、そう思ってくれてるってことだから」
「お互いさまなんじゃないですか?」
「かもな――さて、するか」
「うううぅ、改めて向き直られると、やっぱり怖いかも」
「大丈夫だって、ビリっときたりしないから……多分」
「ほんとうに?」
「か、軽く、触れるだけだからな。いきなり思いっきりはしないぞ!?」
「そんな加減もあるんですか?」
「ある……らしいぞ。おれだってそこまでは経験ないしな。未知の領域だ」
「あやややや、やっぱり初めては普通で良いです」
「だよなぁ。じゃ、いくぞ」
「ええ……怖いですけど……優しく、ね?」
「あのな、えっちするわけじゃないんだから」
「○○さんのばかっ」
「すまんすまん、ほら」
文の頬に、かるく手を添える。
「ん、○○さんの手、暖かいですね」
「ちょっとは力みが取れたか?」
「だいじょうぶ……ですよ」
優しく、唇が触れる。
それだけのキス。
「……終わったぞ」
「い、今ので終わりですか?」
「物足りなかった?」
「なんか、不思議ですね。ふわってして、柔らかくて、力が抜けちゃいそう」
「そ、そんなもんだよ」
「……ふふふ……」
「なーに笑ってるんだよ」
「あなたも、かなりにやけてますよ」
「やっぱ、そうか?」
「……はじめて、だったんですよ?」
「あぁ……貰っちまったな?」
「ふぁーすときす、です。……えへへ」
「もう一回、やってみるか」
「……こ、今度は私から」
「わかったって」
二度目のキスは、さっきよりも少しだけ積極的に。
「……んぅ……ふあぁ。なんでしょうね、やっぱり不思議な感じ」
「おれはものっそい照れくさいぞ」
「わ、私も恥ずかしくって、嬉しくて、胸の奥が暖かくなって、そして気持ち良いです」
「いつでも、していいんだぞ、文」
「あやや……でも、遠慮しておきます」
「えー」
「それは、ふたりだけのときに」
ちろっと舌を出して、ウインクしてみせた文は、とびっきり可愛くて。
おれはもう一度、この娘の唇を奪ってしまうのだった。
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うpろだ1444
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取り留めのない会話が、ふとしたはずみで途切れることがある。
熱が下がらずにまだ赤い顔をした彼は、頭の後ろで腕を組み、なにごとか考え始めてしまったようだ。
つかのまの沈黙が訪れる。
それは他愛ないお喋りのなかに、ぽっかりと口を開けている静けさ。
心の内側を省みることができるひととき。
そんな時間がわたしは好きだった。
手を伸ばせば触れることのできる距離。
言葉を用いなくとも、お互いの存在を感じあっている。
同じ場所、同じ時間を共有できるいまが、素直に嬉しいと思う。
彼にかるく抱きしめられたときのような、こそばゆくも心地よい感覚が、わたしの心のいちばん奥を満たしていくのだ。
ぽかぽか陽気は、いつまでも続きそうだった。
雲ひとつない青空が広がっている。
でも、空の青は冬の澄みわたる色とは違っていて、薄絹で覆ったかのような白にぼやけていた。
空だけではない。
ここから見える風景はぜんぶ同じ。
人間の里も、魔法の森も、すこし遠くに見える妖怪の山も。
目を閉じると、天日干ししたあとの毛布みたいな微風が頬をくすぐっていく。
開け放った障子から入り込んで来たのだろう。
風邪っぴきがいる我が家だが、風邪を引いた本人が外の空気を吸いたいと言っていたのだ。
気にすることはない。
わたしたちのいる居間を通り過ぎた旅人は、庭を抜けて、未だ蕾のままの梢を微かに揺らす。
旅の行き先は誰にもわからない。
人間のように大地に縛りつけられることなく、遥か遠くまで往けるのだ。
もしかすると、幻想郷の結界にすら、彼らを留めることはできないのかもしれない。
ゆっくりと降りてくる陽光は、大気を通り過ぎるときに遠慮でもしたのか、すこし霞んでいるようにも見えた。
季節は、確実に、一歩一歩まちがいなく進んでいるんだな。
きのう眺めた風景と、きょう眺めている風景とでは、まったく異なっているように感じる。
あしたもあさっても、きっと、ずっと、変化し続けていくのだろう。
「文」
とつぜん呼ばれて驚く。
深く沈んでいた意識を引っ張り出すには、すこし時間がかかるから。
「文――」
「どうしました?」
「いや、しばらく黙ってるから、寝てるのかと思って」
「寝てませんよ……すこし考え事をしていただけです」
「そうか」
と、そこで彼は咳き込んだ。
あまり外気に晒されているのも、病床には良くないだろう。
「障子はそろそろ閉めちゃいますね」
「ああ、頼むよ」
「それじゃあ、ついでに昼餉もいただきましょう。食欲はありますか?」
「大丈夫、これでもおれは病気のときも良く食べるって言われてたんだ」
「……似たようなこと言って、思いっきり風邪引いたのは、どこの誰でしたっけ?」
「げほげほ」
「わざとらしい咳で誤魔化さないこと」
/
竈に火を熾しながら、何をつくろうかと思案する。
やはり胃に優しいものが良いでしょうか。
ごそごそ、と、貯蔵庫のなかから目ぼしいものを漁る。
鶏の卵がどこかにあったはず。栄養をつけるのには、それが一番かな。
そこ、同族食うなとか言わない。鶏は敵です。
「お粥でもいいですか?」
布団に入ったまま、昔に刊行した『文々。新聞』を読んでいる彼に声を掛ける。
ちら、とこちらを見た彼は、「ああ、いいよ」と言った後、言葉を接いで、
「まあ、文が作ってくれるなら、何だって構わないけどね」
だそうだ。
確かに、好き嫌いがあまりないのか、何でも美味しそうに食べてくれますけど。
たまには我が侭言って欲しい、と思うこともあります。
普段のわたしが、我が侭いっぱい言っているんですから、こういうときくらい、ね。
そんなことを彼に伝えてみる。
「わかった。それじゃあ頼みたいことがある」
「なんですか?」
「アレだ、こういうときの定番だろ。お粥を『あーん』してもらうのって」
「え……えー!?」
「えーって何だよ。嫌そうだし、ならいいよ」
「い、いえ、ちょっとびっくりしただけです。拗ねないで下さい!」
わたしが焦って言葉を返すと、彼は待ってましたとばかりにニヤリと笑む。
むぅ、謀られた。
「ふっふっふ。そーかそーか、楽しみにして待ってるよ」
「うわ、何その、すっごい嬉しそうな顔は」
「いいじゃないか、漢の夢なんだから『あーん』ってのは」
「その思想、良くわかりません。これは要取材ですかね」
「博麗さんとこの彼とか、稗田家の居候さんとか、紅魔館の従者さんとか、ああ最近だと、霧雨さんちのツンデレ君とか……いまなら取材対象はいっぱいいるしな」
「そうですね。幻想郷も春爛漫と言ったところでしょうか」
のんびりと会話しながらも、料理――という割には質素だが――を作る手は止めない。
兼業主婦は速度と手際が命なのだ。
余っていた大根の葉っぱから味噌汁を、取ったばかりの明日葉でお浸しを。
ん、味噌汁の味良し。明日葉の湯で加減良し。
あとは卵をお粥のなかに溶かし込んで、と……よーし、完成完成。
/
万年床から起きだそうとした彼を押しとどめ、布団を被ったままでいてもらう。
身体を起こしただけでふらふらしているのだから、まだ調子は悪そうだ。
顔もまだ火照っている。
おでこ同士で熱を確かめようとすると、「恥ずかしいから」って逃げられた。
どうしてくれようか。
彼の背を支えるようにして、隣にちょこんと座る。
こうやって並ぶと、身長の差がはっきりわかってしまうな。
文の頭は撫でるのに丁度良い位置にある――と、何度言われたことか。
嫌いじゃないですけどね。
ちいさなちゃぶ台を引っ張り出してきたので、そこにお粥の土鍋なんかを置いておく。
鍋の蓋を開けると、あたたかな湯気とともに、ふわりと焚けた米の匂いが漂う。
「ん――すごく美味しそう」
「そうですか、それは良かった」
「それじゃあ早速、あーんしてくれ」
「ふふふ、く・ち・う・つ・し、でもいいんですよ」
「ちょっ、そりゃ嬉しいけど、駄目」
「どうしてですか」
「風邪。うつっちゃうだろ」
「そう、思います?」
このときのわたしの目は、シャッターチャンスを見逃さない新聞記者の目だった、って後日談で言われました。
狙っていたというか、いざというときのために蓄えていた知識というか、なんですけどね。
「永琳さんから聞きました。天狗の引く風邪と人間の引く風邪とは、別の種類のものなんだそうですよ」
「ほ、ホントかよ、それ」
「嘘だと思うのなら、実際にやって試してみればいいじゃないですか」
「……今日は妙に積極的だな、文」
「こんなときくらい、好きな人に尽くしてもいいでしょう。変……かな?」
「いや、まさか。可愛いよ」
目を細めてこちらを覗き込む彼に、わたしも微笑みかける。
木の匙に掬ったお粥を、ゆっくりとした動作で口に含む。
冷まし方が足らなかったのか、まだすこし熱い。
だけど、いまはそんなこと気にならない。
彼の胸のあたりに手を掛けた。
身長差があるから、服を掴んで背伸びしないと届かないのだ。
彼の顔が間近にある。
さすがに照れたような表情をしていた。
わたしもきっと真っ赤だし、間抜けな顔になってるだろう。
潤んだ目をこれ以上見せたくなかったから、わたしは目を閉じた。
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最終更新:2010年05月11日 18:41