文17
新ろだ68
「……というわけですよ」
説明が終わると彼女はむいたみかんを一房、口に放り込んだ。
「なるほど、スキマ妖怪もたまには粋な計らいをするもんだ」
俺もみかんを一房。うん、今年もおいしいんだな。酸味と甘みが絶妙だ。
コタツでみかん。ちょっと早いけど寒いのは寒いのだ。
隣に恋人の鴉天狗。これで体も心もあったかくなるというものだ。
そして説明されたのが『神様連中の里帰りに便乗して外界ツアーをするから帰省するカッポウを
スキマから覗いて、霜月初めの宴会で映像としてたれ流すために手伝いなさい』というもの。
要はイチャイチャ覗きin外界。ただ、惜しむらくは――
「というわけで、○○さんも手伝ってくれますよね?」
「ん、いいよ……」
「あれ? なんか元気ありませんね」
射命丸が不思議な顔をして聞いてきた。
「もしかして、いやでした?」
「うんにゃ。出歯亀根性は射命丸に負けないつもりだよ」
まぁ人の恋路をニヤニヤ眺める。決していい趣味じゃないとは自覚している。
それを生業とする恋人で新聞記者の彼女くらいなものか。そんな事を話せるのは。
「じゃあなんで」
「ほら。なんつーか……俺も行きたかったなぁ、ってさ」
少しだけ笑ってみせる。やっぱりスキマTVの編集ということは帰省旅行には行けない訳で。
他のやつらが羨ましい。少しだけだけど。
「あ、あう、すいません……」
「なぁに、気にするな。俺は文さえいればどこだっていいよ」
肩を抱き寄せてささやく。実際そんなものだ。元居た世界への未練などとっくにない。
「○○さん……んっぅ……」
目元を潤ませて俺を見上げている射命丸が余りにも可愛かったので唇を奪った。ほのかにみかんの味がした。
「さてさて、てことはしばらくスキマにこもるのかね」
準備を進める。一週間分の着替えくらいなものか。あと洗面道具。
うん、旅行じゃないけど旅行みたいだ。スーツケースを閉めて思う。
「○○さ~ん、準備できましたよ~」
玄関口から声が聞こえた。早いな、もう準備万端か。
「おう、こっちもだ~」
さて、行きますか。少女たちの幸せな笑顔と涙、残らずフィルムに残してやる。
にやりと笑ってスーツケースを引っ張りながら外へ向かった。
================================================================================
青年作業中……
ノゾキじゃない! これはドキュメンタリーなんだ!
================================================================================
「……っあ”---!!!」
椅子の背もたれに全体重。ぎしりと音を立て、一緒に背骨がなった。
現在作業中。作業五日目にして貫徹二日目。不思議と眠気がないのが逆に怖い。
射命丸はむこうの部屋でナイスバカップルの盗撮をしています。俺たちは目下いろんなカップルを盗撮して回っている最中だ。
当然俺も撮ってはいるのだが、まったくもってカメラが二人では手が足りなすぎる。
何と言ってもカップルの数が多すぎるんだ! 何だよ! 全員終日自由行動の修学旅行かお前らは!
「そんなことを言っても彼らはただただ幸せに微笑みあうだけなのであった、まる」
ビデオ画面(笑顔でお茶をする吸血鬼カップルが見える)に毒を吐く。くそう、幸せそうな顔しやがって。
当日会場中をニヤニヤ笑いが渦巻くくらいに甘甘編集にしてやる。
しかし、あのケーキ美味しそうだなあ……。
「○○さん、調子はどうですか?」
隣の部屋で作業していた射命丸が話しかけてきた。
「んあ? 最高に最悪だぜ? いや、最悪に最高なのかもしれないが」
カメラから目を離し彼女を見やる。人間にこの不眠レースはきつすぎる。きっと今の俺の顔、ひどいんだろうなあ。
彼女は少し心配そうな、でもうれしそうな顔で話しかけてきた。
「あまり無理はしないでくださいね、これ、差し入れです」
そう言って差出したビンは黄色いラベルに大きくロゴが入っている。
うん、二十四時間戦えますかってか。嫌味かこのやろう! でも差し入れはありがたいのでにやけてしまう。
「文もな。疲れたらちゃんと無理しないで寝るんだぞ」
受け取りながら彼女の顔を見るが、さすがに妖怪でも疲れるみたいだ。
「○○さんに言われたくないです、すごい顔ですよ」
すごい顔ってどんなだ。
「俺はオトコノコだからいいの」
「むう、ずるいです……」
射命丸が抱きついてきた。抱き返してやる。何日ぶりだろう、安心できるこの感触。すごく気持ちいい。
「○○さん、すみません、手伝わせてしまって」
「ん? 俺がやりたいことをやっているだけさ、何も謝ることはない」
抱きしめる力を強くする。
「でも、行きたかったんでしょう?」
「何度も言うけど文と一緒にいれるなら俺はどこだっていいからさ」
俺の胸に顔を押し付けながらむうむう唸る射命丸。でも幸せそうだからやめてあげない。
「しかしまずいな。眠くなってきた……」
「無理しちゃいけませんよ……」
傍らにあったタオルケットを引き寄せて体にかける。片腕にはいとしい彼女。それなら固い床も最高のベッドだ。
「そうだな、じゃあ、休憩しようか」
「そうですね……ふふ、こういうのも久しぶりです」
二人で笑いあう。目を閉じ、彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、眠りの世界へ旅立った。
「あらあら、こっちもこっちで熱いわね」
カメラを回すスキマ妖怪の視線の先にはひとつのタオルケットで眠る、静かな寝息が二人分。
「紫様、起こさなくても……?」
後ろで覗き込みながら赤い顔の九尾の言葉に
「こんな幸せそうに眠っている二人を起こすのなんて不躾が過ぎるわ、クォリティ確保には休憩も必要だしね」
ニヤニヤ笑いで答えるスキマ妖怪。
「あやー……んぐぅ」「○……○……さん……むにゃ」
これもスキマTVのいいネタになる。そんなことは露知らず、お互いの名前なんて寝言で言ってしまったり。
静かに扉が閉まる。
その後眠った二人の代わりに式とその恋人をフル稼動させたり、紫本人の彼氏も参戦したりと、この日のマヨヒガは賑やかだった。
「んん……」
目が覚めた。すごくすがすがしい。ああ、そうだ、射命丸に差し入れもらって一緒に寝ちゃったんだ。
「んう……あ、おはようございます、○○さん……」
射命丸も起きたみたいだった。二人一緒に半身を起こして伸びをした。
「おはよう、文」
言って、腕に巻いた時計を見る。
ここに着てからお日様の光を拝んだ気がしないので時間感覚がまったくないが、時計だけが頼りだ。
ん……十時間近く寝ていたわけか。道理ですっきりしている。
「寝起きがてらにご飯にしましょうか?」
「そうだね、それがいい」
そういって二人で部屋の外へ。廊下を進むと紫さんと彼氏の××さん(客人とか言ってたが
あのべたべたっぷりは恋人のそれだろう)が歩いてきた。
そうか、行けなかったカップルは俺達だけじゃないんだな。仲間が居たことに少し安堵する。
会釈しようすると二人そろって
「「きのうはおたのしみでしたね」」
とか言われた。別に何も疚しいことはしてないのにすごく恥ずかしくなった。
真っ赤な俺たちを満足そうなニヤニヤですれ違う。
まぁ何にしろまずはご飯だ。
「あ、そうや○○」
「はい?」
××さんに話しかけられる。
「仲間ちゃうよ。ワシと紫はもう終わってきたんや」
心を読んだのか表情を読んだのか知らないが、うん、負けないようにしよう。
俺はあふれ出る涙を止められなかった。
「さて、なんだかマンネリになってきたかな」
「ええ、イチャイチャも一通り撮りましたしね」
お茶の時間の会話。今日のお茶菓子は羊羹だった。
現在十七日目。一通りの参加者のイチャイチャは撮った。あとは毎日あれを繰り返すだけだと思うと
胸焼けがしてくる。しかし、自分たちもそうなったかもしれないと考えるとなんともいえない。
「ええ、そうね、じゃあ、あなたたちもちょっと行って来る? あーん、ん、美味しい」
紫さんが××さんと羊羹の食べさせあいをしながら(人目を考えてほしいと思う)そんなことを言う。
「ええ? いいんですか?」
驚いたように射命丸も言う。そりゃそうだ。俺も一月缶詰だと思っていた。
「ええ、ただ、あまり長くはいられないわね、はい、あーん……編集作業もあるし。三日ってところかしら」
三日。短いような長いような、そんな期間だ。
「じゃあ、文、どこに行く?」
隣の射命丸は真っ赤になっていた。紫さんが××さんの指についた羊羹をなめとるのがそんなにアレだったかな。
「えーとですね、……私も○○さんのご両親にお会いしてみたいです」
爆弾発言。いやはや、一言で顔がすごく熱くなるのがわかった。
えーと、これは、そういうことだよな。うん。
「う、うん、いいよ」
「あらあら、これはこれは……」
「青いのう」
ニヤニヤするふたりと真っ赤な二人。今日のマヨヒガはいつもより空気が甘かった。
体が重力から開放される感覚、そして暗転、閃光に目を閉じ、重力が戻る。
目を開けると……別世界。
「というわけで来てみた訳だけれど」
「直通ってのもなんだか情緒がないですね」
「いいことを教えてあげよう。俺の尊敬するかの有名な漢、ストレイト・クーガー氏の言葉に……」
所かわって現在札幌。札幌駅の石作りのわっかの前。スキマを抜けたらここだった。
急に現れて変に思われるかとも思ったが、おそらく意識の境界でもいじったんだろう、
俺たちのことを特に気にはしていないようだった。
射命丸は八雲家のコーディネイトでワンポイントの刺繍が袖と裾に施された黒の木綿のワンピースに同系色のカーディガン。
今日はは一本歯の下駄ではなくブラウンのブーツ。髪の毛はナチュラルなままで頭巾だけなかった。
背中の羽は人間と妖怪の境界をいじってもらったらしい。便利だな。
正直最初に見たときはあまりにきれいだったから言葉を失ったけれど、今では……やっぱり少しどきどきする。
「えと、ここからどうするんですか?」
「ああ、親のところへはいつでも行けるし、ちょっと町を散歩してみようか」
「はい! ……エスコート、お願いしますね?」
彼女の手を取る。指が絡まる。離れないようにとしっかりと握った。
どこから案内しようか。歩きながら長いようで短い三日の使い道に思いを巡らせた。
とりあえずしばらくは買い物の時間になった。
参考にしたい、と売っている新聞を端から買い漁ったり、電気店でデジカメを見たり
(デジタル一眼レフをねだられたけど買えなかった。高すぎる)、雪印パーラーで
ドリームジャンボパフェを二人で食べたり(一万もする。それにしても射命丸、よく入ったな……あれ)。
気づけばもう九時。徒歩で大通りまで歩く。ライトアップされたテレビ塔に射命丸が嘆息を漏らす。
「すごいですね……」
眺めている射命丸の横顔がきれいだったなんて言わなかったけれど、
きれいですね? と同意を求める彼女に、ああ、そうだね、と笑顔で同意した。
そんなこんなで地下鉄、東西線で白石駅まで。外に出ると住宅街を目指す。
「○○さん」
「ん? どうした?」
「あの、この世界ってすごく楽しいですね」
「ああ、便利を追求して娯楽にあふれて、何だってたいてい買える」
「帰りたくは」
「まったく」
ため息ひとつ。彼女を抱きしめる。
「帰るところは文の隣だから。文さえいれば何もいらない。便利だろうが不便だろうが
文がいない世界なんて、俺にはもう考えられないんだよ」
そこまで言うと彼女を離した。射命丸は何も言わなかったが、真っ赤な顔で俯いて、また指を絡めてきた。
そうこうしているうちに自宅が見えてきた。
階段を上り、玄関フードをあけ、インターホンを鳴らす。程なくしてインターホンから声が聞こえた。
「どちらさまですか?」
返事が来たので返す。
「俺だよ」
しばらく無言が続いたと思うと急にインターホンがきれどたどたと走る音が近づいてくると勢いよくドアが開いた。
「まったく、帰ってくるならちゃんと連絡くらいよこしなさい!」
いきなり怒られた。
「まぁとにかく入りな。……その子は?」
母の視線が俺から後ろに控えていた射命丸に向く。射抜くような鋭いメンチだ。
しかしそこは射命丸、すかさずいつもの営業スマイルで
「はじめましてお義母様、射命丸文と申します」
なんて丁寧に挨拶しだした。まてまて、義母は早過ぎないか? とも思ったが面倒なので
「恋人だよー」
と付け加えると射命丸は赤くなってわたわたしてた。
母もびっくりしたようにこちらを見たが、すぐにとりなおし二人とも入るように促した。
居間は昔とだいぶ変わってしまっていた。まあ数年の間だし、変わることもあるか。
「で、急に帰ってきてどうしたんだい? もう帰ってこないって言ったのに」
「いやさ、恋人を紹介するために来たわけだけれど」
うん、当初の目的はこれだったはずだ。しかし、前もって連絡しておくべきだったな。
それを聞いた母親は
「そうかい」
と一言だけ。余りの簡単な言葉に拍子抜けした。
「結婚も考えているのかい?」
具体的な言葉に二人とも真っ赤になった。いや、考えたことはあるし、二人でそんな話もしたことだってある。
でも他人に言われるとやっぱり恥ずかしさの度合いが違うのさ。
「まぁ顔を見ればわかるけどね」
ニヤニヤ顔で言われた。その顔が急に引き締まり、懐から何か板を取り出す。仏壇のほうに振り返り
「あなた、見てますか……? この子がこんな可愛らしい恋人を連れてきましたよ……」
とか呟いていた。って、ちょ、親父……。マジか。
「それはおいといて、交際を認めるとか認めないとか、そんな話はする気はないよ。
自慢じゃないけどアタシも旦那とは駆け落ちでね」
禁煙パイポを咥えた母はそんなことを話し出す。
親父のことはいいのかよ、不憫だな、親父。とりあえず仏壇に手を合わせておいた。
「だからこそ、そこは本人たちの気持ちの問題さ。親のかかわるところじゃない。
そう思うのさ、アタシは」
そんな母が不意に射命丸の手を取った。
「文ちゃん、でいい?」
「は、はい」
母は射命丸とまっすぐ目を見て語りかける。その目はとても真剣だった。
「文ちゃん、こんな、馬鹿でろくでもない、変てこな男だけど、いいのかい?」
「いいえ、○○さんでないといやです」
まっすぐ返す射命丸の言葉が暖かくて、少し恥ずかしくてとてもうれしかった。
「文ちゃん」
「はい」
まだまっすぐに目を見ている。しかしその目はとても優しかった。
「この子のこと、よろしくね」
「はいッ!」
いい返事だった。俺もこれに応えていかないとな。
寝るときになって親からなぜか一部屋でいいだろうと言われた。何を求めているんだこの親は。
でもあっという間に整えられたベッドは二人でも十分寝ることができる広さがあった。
天井を見上げながら今日のことを思い出してみる。
めまぐるしい一日だった。朝方紫さんに外出許可が出て、着替えてすぐに札幌。そこからショッピングやら
なにやら。そして家で親に紹介して、か。
「○○さんのお母様、すごく良い方でしたね」
「そうか……」
子供のころは厳しくもやさしく育ててくれた。親父が出張に行っている間、女手ひとつで俺を育ててくれたんだ。
しかし、俺は何を返せた? 働いて数年で急に失踪。ちょっと帰ってきて「もう会えない」なんて言って。
俺は何をもってあの人に報いればいい? わからない。
難しい顔をしていたのか、社名丸が心配そうにたずねてきた。
「大丈夫ですか? どこか、具合でも悪くしましたか?」
「いいや、あの人にどうやって恩を返したらいいか、考えてたんだよ」
素直に告白する。射命丸は少し考えて、
「そう思えられるなら、余り気にしなくていいと思いますよ」
とだけ言った。そういうものなのか。俺の気持ちの問題なのかもしれないが。
明日本人にも相談してみよう。そう思った。
それっきり、会話は途切れたが、手だけは離さなかった。
ゆっくりと意識が落ちていって安心して眠れた。
天井に隙間が開いてたのを、やっぱり俺たちは知らなかったわけだけれど。
翌日、俺が起きたら射命丸はいなかった。
先に起きたのか? 時計を見ると十時過ぎ。ああ、最近生活リズム狂いっぱなしだな。
とりあえず顔を洗うために階段を下りる。
居間のほうから女二人の声が聞こえてきた。
「わぁ、かわいい!」
「でしょでしょ? こんな可愛かったのに今じゃあれよ、あれ」
「月日って残酷ですねぇ……」
「何やってるんだよ……」
居間では母と射命丸がアルバムを開いて談笑していた。
うん、赤ん坊の写真は恥ずかしいから勘弁してくれ。ああ、そこのスカートはいてる写真は外せって言っただろう!
「○○さん、おはようござ、っく……ぷぷぷ」
「笑うなあああああ!!!」
「あはははははは」
全部見られてた。恥ずかしくて泣き濡れた。
「でも……くくく、スカートはないですよね……」
スカートは物心つく前だから勘弁してくれ。頼むから。
というわけで朝御飯。
「アンタだけなんだから早く食べちゃってね」
「むぐむぐ」
射命丸は散歩に行くといって出ている。俺と母の二人だけだった。
「なあ、母さん」
「なんだい?」
振り向かず、洗い物をしながら返す。なんだか少し、背中が小さく見えた。
「……なんでもない」
「そうかい」
カチャカチャと、洗う音、食べる音だけがする。
気まずいような、心地いいような、不思議な感覚だった。
「ありがとう」
「なんだい、急に」
振り返る。心底驚いたようで、少し顔が赤くなっていた。
「いや、ずっと考えてたんだ、今まで世話になった分、恩返しがしたいって」
思い切って言ってみた。
「恩返しって言っても、一緒にはいられないし」
言いかけたところで
「アンタ、バカ?」
なんか馬鹿にされた。
「親が見返りを求めて子育てするとでも思ってるの? 馬鹿にしないでくれる?」
「でも、何かしてあげたいって」
そこまで言うと母はまた食器洗いを再開させた。
「アンタがそう思ってくれてるだけでアタシは嬉しいよ」
静かにそう言った。
「あんた達子供がやさしいいい子に育ってくれれば、あとは何でもいいのさ」
不思議と涙が出てきた。止まらなかった。
「そう思ってくれるなら、そうだね、孫の顔くらいは見せてくれるんだろう?」
そういうと母は振り返ってにやりと笑ってみせる。
「長生きしてやっから、せいぜい遠くで感謝してな」
「ごめん、ありがと」
それだけしかいえなかった。席を立つ。
「彼女探してくる」
「あいよ、いってらっしゃい」
散歩中の射命丸にすぐに報告したかった。
@
足音が遠ざかっていく。本当に分かりやすい子だ。
「まったく、糞生意気に育ったもんだね……感謝だってさ」
一人ごちる。食べ終わった食器を片付けながら。
また先ほどの板を取り出して呟く。
「いい子に育ってくれたね、○○。あなた、あの子はきっとちゃんとやってくれるよ、だから安心して――」
板から音が鳴った。電気ドリルの音だった。というか着メロだった。
「……はい、あ、あなた? 昨日○○が帰ってきてねぇ……へぇ、不思議な子達がいたものね」
蛇足であるが○○の父親は存命。現在出雲へ出張中である。
仏壇にはペットの遺影が飾られていた。
@
「聞いてなかったけど、○●とか△△は?」
夕食の席で聞いてみた。そういえば弟と妹がいたはずだが。
射命丸は散歩から帰ってくるとやっぱり新聞を大量に買ってきていた。
「ああ、今二人とも就職して出張中よ」
ああ、社会人になったんだ。凄いなあ。
時間の経過を感じさせるところだった。
「アンタは向こうで何をしているんだい?」
「俺は……」
「○○さんには新聞の編集作業を手伝ってもらったり、畑仕事に精を出したりしてますよね」
まぁ、それくらいしかすることがないからな。
「向こうで土地持ちかい、がんばってるねえ」
いや、向こうはそういう概念があまり……言わないほうがいいか。
「ともかく働いてるならいいさ」
「大丈夫です、いざって時は私が養ってあげますから!」
それを言われると男の面目丸つぶれだよ、射命丸さん。
母はそれを聞いて大爆笑してたけれど。
風呂にも入ってあっという間に寝る時間。
また一緒の寝室。そこまで疲れてはいないが、母がいる事を考えるとイチャイチャしにくいな。
「あと一日ですね……」
ぽつりと射命丸がつぶやく。
そうか、明日には帰らないといけないのか。長いようで短いと思っていたが、やっぱり短いな。
あ、お土産買わないと。忘れたら紫さん怖いからなあ。
「楽しかった?」
「ええ、とっても、○○さんのこと、少しは知ることが出来ましたし」
そう言って微笑む射命丸が可愛かった。
「○○さん」
「ん?」
「帰ってからもよろしくお願いしますね」
「ああ、それこそ、末永く」
そう言ってくちづけた。触れるだけの口付け、心の底から幸せな気持ちが溢れてくる。
それから、おやすみ、と言い合って、手を繋いた。
正直キスだけじゃ足りなかったけれど、我慢した。
帰ってからでもできるさ。それに我慢したほうが燃えるしな。
雀の鳴き声で目が覚めた。朝七時半くらい。横を向くと射命丸と目が合った。
「……おはよう、起きてた?」
「おはようございます、ええ、三十分くらいですけど。寝顔、可愛かったですよ」
恥ずかしいから申告しないでください。
そんな話をしているとドアが開いた。
「昨日はお楽しみ」
「そんな事はないから」
「早く孫の顔が」
「バーローwwwww」
そんなうるさくも楽しい朝。だけれど、今日で戻らなければいけない。
本当に長いようで短かった。他のカップルが本気で羨ましくなった。
「と言うわけで今日帰る」
「そう、あわただしいね」
母はあっさり返した。出会い別れには淡白な人だ。
朝御飯の席でいきなり切り出したが、リアクションが薄かった。
「ほら、ポカーンとしてないでさっさと食べないと、二人でいる時間がなくなっちゃうよ」
と急かされた。余計なお世話だと思う。でもご飯は急いで食べた。
「ちゃんとよくかみなさい」
どっちだよ。
「じゃあ、次は家族三人で来なさいよ」
出発することにして、玄関先で言われた。顔が熱くなるからやめて欲しいのだが。
「……努力s」
「分かりました!」
そこ肯定しちゃうんですか射命丸さん。いや、うん。まぁ、いいか。
「それじゃ、文ちゃん、またね~」
母ののんきな声に背中を押され、地下鉄駅へ歩き始めた。射命丸さん、手はそんなに振らなくていいですから。
後ろから見送る声。
「ほんとに次は家族三人にしてきなさいよ~四人でも可~」
大声でなんて事言いやがるあの人は。なぁ? と射命丸を見たらニコニコしてやがる。
ああもう、がんばるしかないか。いろんな意味で。
「○○さんの家、暖かかったですね」
歩きながらそう射命丸に言われた。
「ん、そうか?」
「そうですよ」
「そうか、よかった」
それから会話が途切れ、静かになった。
黙ってはいたけど、繋がった手が暖かかったから、言葉はいらなかったんだと思う。
「さて、お土産を買うわけだが」
とりあえず狸小路に来てみた。そこの一角にある土産物屋を物色する。
とはいっても駅構内に普通に設置されているものも多いわけだが。
「名前が素敵ですよね、これ」
「ああ、これはいいかも。北海道に来ているほかのカップルとかぶりそうな気もするが」
そう言ってチョコサンドクッキーの缶詰を指差す射命丸に同意する。
あとは……何がいいかな。十日くらい保つ物じゃないとなあ。
とりあえず積んであった白い○人を数箱確保。足りんか。もう数箱。
あとは……ああ、このスナック菓子も美味しいんだよな。あと日持ちしそうなハラスや鮭とば、こまいなんかいいかも。
紫さんには地酒でも買っていくか。藍さんにはこの無駄に高い油揚げでいいや。橙には……チョコはまずいよな。夕張メロンゼリー。
「○○さん○○さん」
ニコニコしながら俺の名を呼ぶ彼女の手には名前入り根付が握られていた。
「私の名前が入ってたんですよ、これ」
ああ、たしかに『あやちゃん』だな。楽しそうだ。とりあえずそれも買うことにしよう。
送り先に紫さんに指定された所を記入する。スキマ直通とは、なんとも便利。
勿論根付と八雲家へのお土産は別。
さらに町をぶらぶらする。最後だし思いっきり遊ぶことにした。待ち合わせは二十一時に札幌駅の石の輪の前。
お昼はラーメンにした。むう、やはりしょうゆが好きだ。射命丸は味噌を頼んでいた。
札幌といえば味噌だと本に書いてあったらしい。お互い半分こしてみた。
「しょうゆの方が美味しいって、はい」
「いえ、こちらのほうも、ほら」
半分にするにも器がないので、お互い食べさせあったり。
「確かにしょうゆも美味しいですねちゅるちゅる」
「んだね、味噌も美味しいけどずるずる」
いや、おかしくないよな? 普通やるよな? なんか視線が痛かったけれど。
パチンコ屋の上にあるゲームセンターにも行った。気の抜けた顔のげっ歯類の人形を取るために二人で四苦八苦した。
取れたときの彼女の顔はすごく楽しそうでこちらまで嬉しくなった。
コンビニでまた新聞を一通り。ほぼ毎日朝夕出していると聞くとしきりに感心していた。
休憩がてら少し早めの夕食。ハンバーガーショップに入ってみた。
「これが『はんばーがー』ですね」
「そうだ。作った国で締め出されたらしいぞ」
「難儀な食べ物ですねえ」
ガラス張りの窓際、二人で並んでハンバーガーをぱくつく。
「あ、そのポテトいただき」
「あ、ずるいです、そっちのナゲットもらいますよ」
「ちょ、数の比があわねえよ」
等とサイドメニューの食べあいをしてみたり
「あ、ケチャップついてるよ」
鼻の頭についたケチャップを指で掬い取って舐める。
「あやややや」
とかやってたら行き交う人がじろじろ見てくるからなんか恥ずかしくなった。反省。
================================================================================
閑話休題
~いちゃつくなら目立たないところで。
================================================================================
「ふー、美味しかった」
「身体、暖まりましたねぇ」
すっかり寒くなった夜の街を歩く。時計を見ると二十時。
もう約束の時間が近いが、最後に行きたいことろがある。
そのビルは一際大きく見える。勿論大きいのだけれど、別の意味でも目立つからかもしれない。
「ここですか? うわぁ、すごいですね、アレに乗るんですか?」
「ああ、待ち時間が少ない事を祈るばかりだ」
七階。少し人が並んでいたけれど、待てないレベルではなかった。ありがたい。
順番が来る。二人分のチケットを渡し、乗り込み、向かい合って座るとゴンドラはゆっくりと動き出した。
初めてであろう観覧車に射命丸がはしゃいだ。
「わわ、すごい、上っていきますよ」
「そうだね」
射命丸はしばらく楽しそうに外を眺めていたが、急に少しさびしそうに呟いた。
「はぁ、もうすぐここともお別れですか」
「何、また一緒に来れるようにすればいいさ」
にやりと笑って言ってやる。射命丸はすこし赤くなってうれしそうに、そうですね、と答えた。
「……あ、そっちにいっていいですか?」
「ん」
少しずれると隣に射命丸が入る。
遠く映る夜景にしばし二人見とれた。自然と肩に手が回って、その手に射命丸の手が重なる。
「綺麗ですね……夜景」
「ああ、本当に……」
静かに落ちてゆく光の粒たち。静かに二人だけの時間が過ぎていく。
その光景も頂上に差し掛かった。眼下には光の海が広がって、あとは降りていくだけだ。
「○○さん……」
「ん」
呼ぶ声に彼女と目を合わせる。だんだんと近づいていき、目が閉じる。
唇が触れ、そのまま、深く。
「んっ……」
息の詰るようなキス。
舌を射命丸の歯茎に這わせると、ゆっくりと射命丸の舌が追いついてそのまま濃厚なダンスを踊る。
「ふぅん……んんぅ……ぁふ……」
気持ちが高ぶっていくのを抑えずに濃密に息継ぎを繰り返し、たっぷりとお互いを貪りあう。
「ちゅる……ちゅ……んぁ……っはぁ」
唇がようやく離れる頃にはふたりとも出来上がっていた。
「……我慢できなくなりそうだ」
「……私もです」
――間もなく 地上です、そんなアナウンスのせいで中断せざるを得ず、二人とも真っ赤になってしまう。
降りるときに係員に「お楽しみいただけましたか?」ってニヤニヤ顔で聞かれたから
「次回からスピードを半分にしておけ」と言っておいた。
二十時二十分。札幌駅へ向かい最後の外界歩き。
もう帰る時間はすぐそこだ。
八時五十八分、札幌駅石の輪の前。スキマ妖怪はすでに待っていた。
「お帰りなさい。楽しめた?」
「今日ほど、あと一日休みが欲しかった日はないですよ……」
射命丸が残念そうにそう言った。
「あらあら、凄く楽しんでもらえたみたいでよかったわ」
にこにこするスキマ妖怪。その目がこちらを向く。
「さて、ところで○○、これを機にこっちの世界に戻ってもいいのだけれど?」
半眼流し目の挑発的な質問。なぜ、そんな当たり前の事を聞くのか。
「バカな事を」「ふふ、冗談よ。編集者が足りなくなるもの」
もはや観光地としての外界であり、俺の故郷は幻想郷なのだと、確信できた。
隣にいる彼女のいるあちらの世界こそ、俺の居たい世界だ。
「○○さん、帰りましょう、私達の世界へ」
スキマが開いた。射命丸と手を繋ぎ迷い無く飛び込む。浮遊感、暗闇、閃光。
飛び込んでからマヨヒガへつくまでずっと手は離さなかった。
「おかえりなさ~い!」
「おかえりなさいませ」
「ただいま。藍、橙」
というわけで戻ってきた。おそらく二十日目。あと十一日。先は長い。
「とりあえずお土産です」
橙にメロンゼリー。渡してから、たくさんあるから一日一個だよ、と言ったが
もう既に二つ目を平らげている途中だった。
藍さんに油揚げ(30枚入り)。私の扱いはやっぱりコレなのか、という悲しそうな目と
これはいいものだという食欲に滾った目を同時にしていた。面白かった。是非とも
違いの分かる九尾になってもらいたい。
紫さんに日本酒。地酒と聞いて喜んでくれたのだが、銘柄を見て殴られた。いいじゃん、
美味しいんだよ。『万齢』。
お土産を渡し、疲れたので今日は寝ると言って寝室に戻った。
二人でベッドに腰掛ける。
「明日からまたデスマーチだな……」
「がんばりましょう……」
さっさと着替えて寝ることにした。明日からまた眠れなさそうだから。
「……うーん」
隣の射命丸が寝返りを打つ。
きしり、と音が鳴り、僕の上に覆いかぶさる。
「……文?」
射命丸は目がとろんとして、頬を染めていた。
「ごめんなさい、あの、その…………身体が、その」
赤くなってしまった彼女を抱きしめる。
「ああ、じゃあ、観覧車の続きから?」
「いえ、その……最初から、でお願いします……」
どうやらもう今夜から眠れなさそうだ。
───────────────────────────────────────────────────────────
─
最終更新:2010年05月11日 18:51