文20
新ろだ277
「……ふう」
○○さんの家で、二人きりの時間。
一息つくと、私は読み終わった最後の一冊を積み上げた本の山に重ねました。
向かいでちゃぶ台の上の皿からお饅頭を摘んでいた○○さんが、ふと顔を上げこちらを見ています。
「文、読み終わった?俺も一冊読んでいいかな」
「一冊ならいいけど、他のはだめですよ?次の記事を書く時のネタにするかもしれないですから」
やんわりと○○さんを止め、私はさっきまで読んでいた本を手渡します。
「『鶴の恩返し』?懐かしいなあ、国語の教科書とかに載ってたっけ」
ちょっとだけ、○○さんに嘘をつきました。
紅魔館の図書館から借りてきた何冊もの本、実は記事を書くためのものではありません。
『鶴の恩返し』『雪女』『葛の葉狐』etc。
人間の男性と人間ではない女性のカップルが出てくる話、いわゆる異類婚譚ばかりです。
私と○○さんの今後について参考になればと思い借りてきたのですが、
ラインナップを見せて○○さんにそれを気付かれるのも少し照れくさいので、全部は見せないことにします。
結論から言うと、どれもだいたい悲しい別れになってしまうので、あまり役に立ちそうもありませんでしたし。
ちなみに、司書の小悪魔さんは親切に探してくれましたが、終始笑顔で「お熱いですねえ」と言わんばかりの様子でした。
「ねえ、○○さん」
「んー?」
まあ私の○○さんは、覗かないでとか秘密を話さないでとか頼めばちゃんと約束を守ってくれる人ですけど。
と、いたずら心を起こした私は、○○さんをちょっとだけ困らせてみることにしました。
「もしですよ。ある日突然私が正体を現して巨大な鴉とかになってたらどうします?」
異類婚がお別れになる原因って、『正体を見られて』っていうのが多いですよね。
「え、文ってそうなの?」
ふふ、びっくりしてますね○○さん。大丈夫、さすがにそれはないです。
「違いますよー。元鴉ですけど、今はこれが嘘偽りない私の姿です。
だから例えばの話ですよ。まさか逃げ出したりしませんよね?」
と、ここまで言ってふと考えました。
姿こそ近いものがある○○さんと私(人間と大鴉よりは近いでしょう)ですが、
やっぱり○○さんは人間で、私は妖怪なわけです。
本当の姿、という意味での正体なら、そもそも私は持っていません。
でも、ふとしたはずみで○○さんに何か―思いつきませんが―人間と妖怪の決定的な差異を感じられてしまったら。
一人の女性として心の底から○○さんを愛しているのに、それが本性を隠す仮面だと思われてしまったら?
そう思われてしまうような、もはや超えられないような溝が二人の間に出来てしまったら?
……『正体を見られる』ということの意味を、そんな風に考えたら。
―もしかして私は、軽い冗談のつもりで、致命的な質問をしているのでしょうか。
こんな考えに思い至った後で、冗談でも○○さんが、「そうなったら流石にお別れだな」なんて言ったら。
そんな想像を、する、だけで、私は、恐ろしく―
「うん、でもまあ、その鴉は確かに文なんだよな。なら大丈夫なんじゃないかな?」
「……え?」
「いや、でっかい鴉の姿でも、それは文なわけだろ?」
「え、はい」
「たぶん意志の疎通だって出来るだろうし、変わらず俺のこと好きでいてくれるだろうし。
慣れるまであれこれ大変かもしれないけど、俺と文だもの、きっと何とかなるって」
「………………」
そこまで話して、何か恥ずかしいことを言ってしまった、と思ったのか、
○○さんは顔を赤らめ、急に早口になりました。
視線は明後日の方を向いています。
……私は、胸の奥が温かくなったような気がしていました。
「あ、でも別に鴉の方がいいってわけじゃないぞ?
文の腕とか脚とか魅力的だし、抱きしめあうのにも……うわっ」
よそ見をしていた隙をついた私は、
座っていた○○さんのお腹辺りにぎゅっと抱きつき、顔を埋めました。
「えへへ」
「どうしたんだ?いきなり」
優しい声を頭の上に聞きながら、私は○○さんの膝を枕にして、仰向けになります。
「かあかあ!」
巣で餌を待つ子どものように、そのまま、あーん、と口を開ける私。
やれやれ、といった表情の○○さんは、お饅頭を半分に割り、口の中に入れてくれました。
ふふ、ノリがよくて嬉しいです。
「もぐもぐ……かーあ♪」
「いくらなんでも、雛鳥っていうには育ちすぎてないか」
あ、ひどいですねえ。
「○○さんが大好きだから、時々雛鳥みたいに甘えたくなるんですよ。
ね、いいですよね?たまにはいっぱい甘えても」
「たまには?……しょうがないなー」
しょうがないなんて言いつつも、ちょっと嬉しそうに笑っていてくれる○○さん。
何があっても、どんなに遠くまで飛んでも、ここが私の帰ってくる場所だなと思いながら。
その膝に頬を擦りつけながら、私は幸せな温もりをしばし堪能することにしました。
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新ろだ307
「……寒い」
北風が身にしみる。俺はイソップ童話に出てくる旅人よろしくコートの襟元を掻き合わせた。
風さえなければそんなに気温は低くないと思うのだが、冬の冷たい風は体感温度をぐっと下げる。
並んで歩いている文は一応マフラーを巻いているものの、それ以外はいつも通りなので、寒そうなことこの上ない。
「やー、本当に寒いですね」
「そう言う割には平気そうで羨ましいな」
……と言うか、半袖とミニスカートという服装は、見ているこっちの方が寒くなってくるんだが。
「文は長袖とか着ないの?」
「まあ、この格好の方が動きやすいですし。寒くないわけではないんですけどね」
言った側から一際強い風が吹き、文は身を縮める。
「……だったらなおのこと、暖かくした方がいいよ。
俺が見てて寒いだけならともかく、身体壊したりしたら大変だぞ?」
「そうは言っても、新聞記者としては機動力を第一にしたいわけですよ。ですから―」
ぎゅっと腕に抱きついてくる文。
上着ごしに、柔らかい感触が伝わってくる。
さっきあんなに暖かくしろと言ったのに、一瞬薄着も悪くないなと思ってしまった。不覚。
「その分○○さんがあっためてくれれば万事解決ですよ♪」
やれやれ。半分あきれつつ、もう半分では恋人に甘えられる喜びを感じながら、
俺はコートのボタンを外し、片側を開いて見せた。
「……入る?」
「もう……○○さんったら、大好きです」
文は満面の笑みを浮かべて、いそいそと中に入ってくる。
その身体を包み込むようにして、歩き始めた。
服とコートの間をゆっくり満たしていく文の体温が、俺を温めてくれる。
足並みがちゃんと揃うあたり息が合ってるなあ、などと恥ずかしげもなく考えてしまう。
「ああ、あったかいですねえ。今日みたいに風が冷たい日は、こうしてないと凍えちゃいそうです」
「おおげさだなあ……ん?風といえば」
ふと、一つの考えが頭をよぎった。いや、今まで思いつかなかったのが不思議なくらいだ。
「文って、『風を操る程度の能力』が使えるんだよな。冷たい風に吹かれないようにとかできない?」
思いついたことをそのまま口に出して訊いただけだったのだが、文はぴたりと足を止めた。
「あー、えー、風を操る程度の能力はですね」
「うん」
何だか言いよどんでるが、どうしたんだろう。
「こ……故障中です!修理の目処は立ってません!」
そんなことを口走ると、文はしっかりとしがみついてきた。
なんだろう、今の答えは。安物の扇風機じゃあるまいし。
「……ははあ」
何となく読めた。おそらく、文の能力は風除けにも使えるし、今もその気になれば寒さを和らげることができるのだろう。
それをわざわざ使わずにいるのは……俺と密着していたいから、と考えるのは、自惚れじゃないよな?
「そーかー、故障中じゃ仕方ないよな」
棒読み口調でそう言いながら、俺は文をさらにぴったりと抱き寄せた。
「わかってくれれば何よりです。そういうわけなので、冷えてしまわないようにちゃんとくっついててくださいね?」
「うん、りょーかい」
こんなにくっついていると歩調も遅くなるけれど、それはそれで悪くない。
冬の寒空の下、俺と文は景色を楽しみながらのんびりと歩いていった。
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新ろだ315
「はいっ、○○さん。これどうぞ」
「……これ?」
文に呼ばれて差し向かいで座り、改まって何をする気かと思えば、
手渡されたのは謎の物体。
紙で丁寧に包まれたそれは、卵のような形をしている。が、鶏の卵に比べると一回り以上大きい。
卵型の物体、にこにこしながらこちらを見ている文、これは―
(まさか……これは、鴉天狗のタマゴ!?もっと具体的に言えば、文のタマゴ)
いや、文のタマゴというのは誤解を生む表現だ。タマゴを温めると文が生まれてくるみたいに聞こえるじゃないか。
厳密に言えば文が産んだタマゴ、という表現が正しい。うん、きちんと訂正できた。
―なんて、現実逃避してる場合じゃないだろ!落ち着け俺、これは想像するに
『○○さん……私と○○さんのタマゴですよ。二人でがんばって温めましょう。
……どんな赤ちゃんが生まれるか、楽しみですね。ね、あ・な・た(はぁと』
という展開だ。ああ、俺もついに人の(半人半妖の?)親になるのか……
じゃない。もう少し落ち着け俺。
確かに文とは恋人同士だが、温めて雛が孵るタマゴはまだ生まれないはずだ。
何しろまだそこまで進んでいないんだから。
(そこまでよ!……どこまで?)
脳内パッチェさんが反射的につっこみを入れた後、我に返ったように尋ねてきた。
ああもう、それこそそこまでだ。結果につながる原因はまだ発生してないってことだよ。
「あの……○○さん?」
ちょっと遠いところに思考が飛んでいた俺は、名前を呼ばれて我に返った。
少し心配そうに、文は俺の方を見ている。
―はっ、もしや文は……
想像妊娠を経て想像有精卵を生み、それを温めるつもりでいるのでは!?
……何が文をそこまで追い込んだのだろう。兎の目でも覗き込んでしまったのか。
いずれにしても、不用意に刺激すべきじゃない。見たところ他の部分については正気が保たれているようだ。
無事回復できるように、恋人としてしっかり支えてあげたい。いや、支えてあげなければ。
俺はタマゴをそっと床に下ろすと、文の両肩に優しく手を置いた。
「文……とりあえず、俺は何があっても、文の側にいるから。それだけは覚えておいて」
「えっ、は、はい。それはとても嬉しいですけど……○○さん、チョコレートそんなに嬉しかったんですか?」
戸惑った様子の文が、上目遣いに訊いてくる。
「へ?」
チョコ?
「いや、バレンタインデーということで、その、○○さんにチョコをあげたいな、と……」
「あ、うん、ありがとう。いや、ほんとにすごく嬉しいよ」
チョコレートとわかれば、別に何の問題もない。と言うより、素直に嬉しさを感じる。
それにしても、一時は本当に混乱してしまった。
そうだよな、チョコというのは盲点だったけど、いくらなんでも想像力を暴走させすぎた。
慌てて取り繕ったけれど、幸い、文は俺が何を考えていたかは気付かなかったようだ。
「さ、開けてみてください」
「うん」
文に促され、包装を解く。
中から出てきたのは、卵型のチョコレートだった。
「じゃあ、早速」
せっかくもらったのだしと、端からかぶりつこうとする。
「あ、待ってください。―慎重に食べてくださいね?」
「?」
慎重に、とはどういうことだろうか。とりあえず、少しずつかじってみる。
……甘くておいしい。
削り取るように食べていくと、チョコの中から何か固いものが姿を現した。
「これは……」
一部分しか見えていないが、察するにカプセル型の物体。
この構造には見覚えがある……エッグ、ないしQ。
「懐かしいなあ」
「外の世界のお菓子を参考に作ってみたんです。中身はチョコを食べきってからのお楽しみですよ」
もったいないから取っておいて少しずつ食べようかと思ってたけれど、
そういうことなら、一気に食べきるか。
「……ふう」
チョコを食べ終え、口の中がだいぶ甘くなったので、お茶を淹れて二人で飲むことにした。
「ちょっと多かったですかね?」
「いや、まあ外のオリジナルよりは大きかったけど、おいしかったし」
手元に残ったカプセルは、見たところ木製のようだ。
「本当は『ぷらすちっく』だそうですが、さすがにそれは調達できなかったので」
「どれどれ、何が入ってるのかな……」
カプセルを開けると、中に入っていたのは―
「鴉?」
掌に収まるぐらい小さな、木彫りの鴉だった。精巧な造りとは言いがたいけれど、なんだかかわいらしい。
「文献には、カプセルの中に人形が入っているものだと書いてあったので。
カプセルは外部発注ですけど、人形はちゃんと自分で作ったんですよ?」
結構大変だったんですよ、と文は微笑んだ。
手に乗せた鴉の頭を、指先で撫でてみる。すべすべした木の感触が心地よい。
どことなく優しい目をしているように見えるそれは、何となく作った文自身をほうふつさせた。
「ありがとう。お守り代わりに持っておくよ」
「そうしてもらえると嬉しいです。あ、○○さん?」
「何?」
ポケットに鴉をしまい、顔を上げると、文が俺の顔を見ていた。
よく見ると、少し頬が赤い。
「鴉天狗のタマゴは、もうちょっと大きいですからね?」
……あ、ばれてる。
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新ろだ374
「ふう……」
狭い我が家の狭い縁側に腰掛け、俺はため息をついた。
ちょうど一月前、俺は文からチョコレートをもらった。
ただのチョコレートではない。バレンタインの、愛情がこもったチョコレートだ。
そして今日はホワイトデー、バレンタインのお返しを送る日である。
「一応これは用意したが……」
文はあまり飾り物を身に着けないので何か実用性のあるものをと考え、迷った末に髪留めを買ってきた。
小さいけれど綺麗な翡翠をあしらったもので、ちょっとした作業で髪をまとめる時なんかに使えると思う。
「しかしこれだけってのも寂しいよなあ……」
ポケットから取り出した、小さな木彫りの鴉を手の平で転がす。
文がバレンタインにくれたものだが、彼女はこれとチョコレートを一緒に贈ってくれた。
俺も何か、この髪留めと合わせてお返しにするものが欲しいところだ。
「何がいいんだろう……」
お菓子作りも含めて、料理全般は苦手ではないし、折角だから何か手作りのものをあげたい。
文は急ぎの原稿があるとかで、もうしばらくしてから来るとさっき連絡があった。
幸い、と言うには複雑な気持ちだが、何か一品作るぐらいの時間はある。
しかし、オーブンや電化製品のないこの家で作れるものとなると、だいぶ限られてくるのだ。
「なあ、何がいいと思う?……って、聞いても仕方ないか」
遅れるという連絡は、文と同じ赤い眼をした大きな鴉が持ってきてくれた。
急いで飛んできたために少し疲れているらしい鴉は、今俺の隣でおとなしく羽を休めている。
つい話しかけてしまったが……文ならともかく、俺に鴉との意思疎通ができるはずもない。
いったい俺は何をやってるんだろう。
―ほんとに、どうしたものか。
「なあ、何がいいと思う?……って、聞いても仕方ないか」
仕方ない、というのは、彼の言葉が通じないということだろうか。だとしたらそれは間違いであり、いささか失礼な話でもある。
文ほどではないにしろこれでも長いこと生きている身、人語を話せないまでも、理解することぐらいはとうに覚えた。
公私に渡り文を手伝うようになって随分になるが、新聞作りに明け暮れていた彼女が恋をするとは夢にも思わなかった。
しかも相手は、幻想郷の外から来た人間の男だという。
会うたびにのろけ話を聞かされるものだから、いったいどんな男かと思っていたが……
まあなんというか、取り立てて変わったところのないただの人間である。
いったい文はこの男のどこに惚れたのだろうか。皆目見当がつかない。
……とはいえ、今彼は文のために一生懸命考えをめぐらせているようだ。
少し力になってやるのも悪くはあるまい。
さてホワイトデーの贈りものというと、キャンデー・クッキー・マシュマロなどがメジャーなところであるという。
それぞれ意味があるようだが、既に相思相愛であるようなのでまあ気にしなくてよいだろう。
次に、材料の調達や製作時間などを考えると……
翼を広げ、飛び立つ。
帰るのか、などという声が後ろに聞こえるが、山に戻るわけではない。
途中木のうろに隠してあった小銭をくわえ、里に向かう。
駄菓子屋の前に止まると、店主の前に銭を置いた。
「わっ、びっくりした……ん、何だい、あんたお使いなのかい?」
軽く頷いてみせると、菓子泥棒と間違えられないようあくまでも控えめに、目当てのものを嘴でそっと示した。
「ああ、それか。今袋に入れてやるから待ってな……落とすんじゃないよ」
袋をくわえて元来た方へ、大急ぎで飛ぶ。
縁側に戻ると、中身を一つ取り出した。
「あれ、戻ってきたのか。ん、なんだこれ……べっこう飴?」
しげしげと眺めているうちに、彼は伝えたかったことに気付いたらしい。
「そうか、これなら鍋で砂糖を煮詰めて作るだけだから、この家でも作れるな」
じゃあ早速、と調理場の方へ行こうとして、彼はこちらを振り向いた。
「もしかして、俺の言ったことがわかって、アドバイスしてくれた?」
そうだよ、と頷いてやろうかと思ったが、少し照れくさかったので羽繕いをしてごまかした。
「……どっちにしても、ありがとうな」
どういたしまして。まあがんばってくれ。
「○○さんすいません、遅くなって」
日が西に傾き始めた頃。
縁側でのんびりしていると、家の中から声が聞こえてきた。
どうやら、文がやってきたらしい。
「あの、文、これ先月のお返しに……」
「わあ、綺麗ですね!ありがとうございます、すごく嬉しいです」
「それとこれ、ささやかなものだけど」
「あ、べっこう飴ですね。早速一個食べてみていいですか?」
「どうぞどうぞ、そのために作ったんだから」
おそらく文にとっては、何をもらったかよりも誰からもらったかが重要なところなのだろうが、
それでも自分が一枚噛んだイベントが良い雰囲気なのは喜ばしい。
「あの、食べさせてくれませんか?……その、手は使わないでくれると嬉しいかな、なんて」
「ん、わかった。…………んー」
「あむっ……んむ、んー……甘くて、おいしいです……」
……とはいえ、甘くて熱々な雰囲気に居たたまれないのもまた事実。
邪魔者は退散するとしよう。
飴の袋を土産にくわえ、そっと山へ飛び立つことにした。
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新ろだ421
「○○さん、いますか?」
「ああ、今開けるよー」
玄関から愛しい文の声が聞こえてきた。
新聞作りが立て込んでるとかでしばらく(と言っても三日ほどだが)来てなかったから、いつにも増して会えることに心が浮き立つ。
戸を開けて入ってきてもらっても別に問題ないのにそれが待ちきれず、俺は自ら戸を開けに出た。
土間に置いてあったサンダルをつっかけ引き戸を開けると、
「○○さんっ!」
次の瞬間、俺の身体は温かくて柔らかなものに包まれていた。
文が俺を力いっぱい抱きしめている、と一瞬後に気がつく。
「もう、三日も会えなくって寂しかったですよ……」
「……うん、俺も文に会いたかったよ」
押さえ込むように抱きつかれたせいで、俺の頭はちょうど文の胸あたりに押し付けられている。
控えめな膨らみの弾力と、外を飛んできたせいで少し冷えた体温が、顔全体に伝わってくる。
無意識に鼻から吸い込んだ空気には、甘くほのかな文の匂いの他に、インクと紙の匂いが混じっていた。
小学校の頃、図工の時間に版画を作った時こんな匂いがしたな、とぼんやり思い出す。
「ごめんなさい、まだインクのにおいしますよね?」
頭の上から、文のちょっとすまなそうな声が聞こえてくる。
「ちょっとね。でも嫌じゃないよ、文が一所懸命作った新聞の匂いなわけだし」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
腕に力が込められ、身体がより密着する。
胸の内にわだかまっていた不安を追い出すように、文はゆっくりと息をついた。
「……今回は印刷所の日程が詰まってて、急ピッチで作業しなきゃならなくて。
○○さんになかなか会えなくて、すごく寂しかったです…………」
だからこうしてると安心します、と言いながらしがみついてくる文の背中を、俺は優しく撫でてやった。
「ん、これは?」
お茶の支度をして戻ってきた俺は、ちゃぶ台の上に置かれた新聞に目を留めた。
座ってくつろいでいる文の前には、新聞が2部置いてある。
1部は毎度おなじみ文々。新聞だ。活字中毒の俺のために、刷り上った最新号を持ってきてくれたのだろう。
もう1部、気になって尋ねてみた方は、見たことのない新聞だった。
「それはですね、他の天狗が刊行してる新聞です。
次号に載せる企画用にアンケートを頼まれまして」
「どれどれ……」
ざっと目を通してみる。
ゴシップ絡みの内容が多いところは、文々。新聞とそう変わらない。しいて違う点を挙げるなら、弾幕関係の記事が少ないところか。
隅の方に目をやると、それらしい箇所が見つかった。
「これかな?えーと……『次号掲載予定 異種族カップルアンケート』」
「ええ、それです。男女で種族が違うカップルを対象にアンケートを取って、結果をまとめて記事にするとかで」
「ふうん……こんなのが来るってことは、俺と文のことも結構受け入れられてきたのかな?」
天狗の仲間内では俺達の交際はあまりいい目で見られていないと思っていたから、正直こんな話が来るのは意外だった。
「…………そうでもないです」
そう答えた文は、少し困っているような顔だった。
「すぐにどうこうということはないと思いたいですが、はっきり言って印象悪いですね」
「ああ、やっぱりそうなのか……」
外の世界から来た俺はともかく、文に負担をかけているような気がしていたので、ちょっとは状況が改善されたかと期待したんだが。
「――まあ、それはそれとして新聞作る天狗はネタを逃しませんから、こんなアンケートが来たわけです。
多少は好印象を与えられるかもしれませんし、協力しておいて損はないかな、とは思うんですが」
「そうだな。おし、頑張って回答するか」
「……次です、『先に告白したのはどちらからですか』」
「これは女性から、だな」
「ええ、すぐに○○さんも、俺も好きだよって言ってくれましたけどね」
差し向かいで座り、アンケート用紙に回答を書き込んでいく。
文が設問を読み上げ、俺が答えを記入する。共同作業形式だ。
「じゃあ次いきましょう。『二人の種族が逆だったら、何をしたいですか?』」
「……うーん」
なかなか面白い質問だ。
俺が鴉天狗で、文が人間だったら、か……。
「そうだなあ、月並みだけれど、文を抱えて空とか飛んでみたいな」
「あ、それはちょっといいですねえ。……んー、私はですねー」
文はしばらく考え込んでいた。
そりゃまあ、なあ。自分が人間になって妖怪と恋をする、なんていうまわりくどい想像は、そうそうするものでもないだろう。
人間から妖怪になるならともかく、妖怪から人間になるとすれば、できなくなることの方が多そうだし。
「あ、そうだ!二日酔いになって、○○さんに看病されたいです!」
「二日酔い?」
「はい、私天狗だから、二日酔いってなったことないんですよ」
実にうらやましい話だ。確かに文が二日酔いになったのは見たことがない。
酒を飲めばちゃんと酔っ払い、明るくなったり絡んだりするのだが、翌日にはすっかり元気になっている。
「風邪引いた時に看病したりはしたけど、それとは違うのか?」
「あ、わかってませんね○○さん。
お酒に強い天狗の○○さんに合わせたくて、人間の私は頑張って飲んだ末につぶれちゃうわけですよ。で、翌朝二日酔いになるわけです」
出来の悪い生徒に教えを説くように、文は滔々と語る。
「……ず、ずいぶんと細かいシチュエーションだな」
「苦しいのも気持ち悪いのも自業自得なんですけど、
それでも○○さんは温かく私の面倒をみてくれる。そこに愛情を感じるってわけですよ」
なるほどなるほど。
――ん?でもそれって……よく考えたら、文と俺を入れ替えるとほとんど普段の俺じゃないか。
「あー……いつも世話かけて申し訳ない」
「あ、いえ、そ、そういうつもりじゃないんですよ?
一緒に飲んでもらえるのも、翌朝具合の悪い○○さんのお世話するのも、私幸せですよ?」
「うう、せめて天狗並みに飲めればなあ」
「無理はしないでくださいねー?」
そんな細かいところも、抗いがたい種族の差、ではある。
ほんと、絶対俺が先にギブアップすることになるからなあ。
仕方ない。仕方ないが、情けない。ああああ。
「じゃあ最後の質問、いきましょうか」
「――最後はいったいどんなことを訊かれるんだ?」
「えーとですね……『はいかいいえでお答えください。もし生まれ変わっても、相手とカップルになりたいですか?』」
あれ、どんな難問かと思ったけれど意外と簡単じゃないか。〆はシンプルに、ってことなのかな?
「……せーので答えようか」
「そうですね。せーの」
答えは決まってる。
「「はい」」
「……だな」
「……ですよね♪」
文と顔を見合わせ、笑う。自分の答えにためらいはないし、相手が同じ答えを出すことを信じて疑わない。
俺はそうだったし、文もそうであることを表情が物語っていた。
「――あれ、まだ続きがありますよ」
「え、まだなんかあるの?」
続きを読もうとする文の手元を思わず覗き込む。確かに、これで終わりではないらしい。
「『はい、の場合、お互いの種族についてはどのような形で出会いたいか、お答えください』だそうです」
「…………」
「……難しい質問ですね」
順当にいけば、同じ種族になりたい、という答えに落ち着くように思える。
「鴉天狗同士のカップルとか……?」
「団扇をお揃いにするとか、いいかもしれませんね。
あ、でも外の世界の人間に生まれて、○○さんと幼馴染なんてのも心惹かれます」
「いいなあ、毎朝一緒に登校するとか……でも今だって、幸せじゃないってわけではないからなあ」
「そうなんですよねえ」
そう、一方で「同じ種族に」というのは、現在の状況を否定してしまう答えのようでもある。
寿命の差や種族間の隔たりについて今はどうしようもないからまた来世、と諦めてしまうようで、なんだか悔しい気もするのだ。
「……でも」
頬杖をついて考え込んでいた文はそう切り出すと、顔を上げて微笑んだ。
「どんな形で出会っても、○○さんとなら幸せになれる気がします」
その言葉を聞いて、その笑顔を見て、答えが出た。
これ以上考える必要はない、という答えだ。
「そうだな。細かな部分が変わっても、大事なことはあんまり違わないもんな」
「ええ、そうですとも。例えば、こんなこととか」
ちゃぶ台ごしに身を乗り出し、目を閉じる文。
「うん、すごく大事なことだ」
回答用紙の最後に「特にこだわらず」と書き込む。
ペンを置くと、俺は文の唇にキスをした。
もしいつか生まれ変わってまた出会い、また恋人同士になって。
その時もやはりこんな風に、文とキスをすると思う。
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最終更新:2010年05月11日 19:03