小町5



新ろだ72


 夜。
 ここのところ急に冷え込んできて、家の中でも上着が手放せなくなってしまった。
 少しでも温まろうと、まだ寝るわけでもないのに横になって布団にくるまる。

「うー…寒い…」

 しかしながら寝転がった状態で何かするのは難しい。
 寝転がって本を読むなんて光景は良く見る気がするが、実際にやってみると腕が痛んでそれどころではない。
 さてどう宵の時間を潰すか、と思案を巡らせていると、不意に家の扉が開く音がした。

「おーっす○○~今からあたいの家でちょいと飲まない?」

 突然の来訪に、そういえば鍵を閉めてなかったな、と思いつつも応対する。

「んー…そうだなー、寒いし飲んで温まるのも丁度いいかもな」
「そうこなくっちゃ!それじゃあたいは先に戻ってるからね」
「はいよー」

 この死神、小野塚小町とはかなり親しい関係にある。
 何故なら、俺の家から小町の家までは歩いて1分とかからない距離にあるのだ。
 そして、近所付き合いをしていくうちに意気投合してしまったというわけだ。

 …普通ならめくるめくラブストーリーが展開しそうなシチュエーションだ。
 確かに小町はえらい美人だと思うし、気も合うし、その……スタイルもかなり良い。
 だが気が合いすぎる所為か、一緒に過ごす時間が楽しすぎて、今のままでもいいかというような妥協をしてしまうのだ。
 それに小町の方もそういう感情は抱いていないように見える。
 …まあ、そういうことを考えているのすら自意識過剰だ。嫌になる。

 そうこう考えているうちに小町の家に着く。
 中では、待ちきれなかったのか、もう既に一人酒宴を始めているようだ。

「○○遅いよー、ささ、駆けつけ三杯……」
「お前は家と家との距離を操ってるんだろうが」
「にっひっひ、○○は三杯で出来あがっちゃうからね~、こうした方が都合が良いのさ」

 そう言いながら酒を注いでくる。
 まあいつも通りだな――と思いつつ、ぐいっと飲んだ。




 まだ酒の残っている杯や徳利、おつまみの皿などが散らかっている部屋の中で、
 あたいは酔い潰れ、○○はすっかり寝てしまった。
 子の刻も過ぎたようで、あたりはすっかり暗くなっている。

 思い返せばもう一年くらいはこんな付き合いが続いているだろうか。
 ○○との酒の席は正直楽しい、楽しすぎる。
 仕事柄あたいは話すことが好きで、酒が入るとさらに口が弾んでしまう。
 対して○○は本当に聞き上手というか何というか……
 今のあたいにゃ欠かせない親友になったねえ――

 親友といえば、前に○○の話を霊夢にしたところ、

「え? 何? あんたら付き合ってるの?」

 と言われたことがある。
 いや、休日に一緒に買い物をしただけなんだけどねえ……

 そういえば魔理沙にも言われたっけ。

「霊夢、こいつと○○はそこらでは有名なバカップルだ。音速が遅いぜ」

 いや、ウチで一緒に飲んでいたら杯が一杯割れちまったんで、二人で使い回しただけなんだけどねえ……
 確かに最初はちょっと恥ずかしかったかもしれないが。

 ん、妖夢にも言われたかな?

「そそ、それは友人同士でするコトじゃありませんッ!!」

 なんて、顔を真っ赤にしてたねえ。
 いや、酔い潰れた後はちょくちょく泊まったり泊まらせてもらうってだけなんだけどねえ……
 だってほら、家が近いだろ?

 確かに、友人やら親友って表現に違和感はあるかもしれない。
 ○○から教えてもらったが、外の世界には"友達以上、恋人未満"なんて表現があるらしい。
 なるほど、的を射ている。

 でも、恋人未満か……あながちそうとも―――



「小町、起きていますか?こんな夜中に悪いのですが」



「あ、え!?」

 突然扉の向こうから四季様の声がしたので体が跳ね上がるほど驚いた。
 急激に脳が覚醒していく。

 ――今の状況を見られてはマズい――

 四季様に話せば生活態度がなってないだの、不純な異性交遊がどうので説教されるに違いない。
 そう思って今まで隠しておいたのに――!

「明日の仕事に急に変更があったから一応連絡を入れに来たんだけど……どうしたの?」
「い、いや、何でもないですよ!?ここらの夜は物騒なもんで……えへへ」

 扉をわずかに開けて話す。明らかに不審だ。

「とりあえずちょっと入り組んだ話になるから入れてくれる?」

 難題です。どこぞのお姫様の難題より難題です……

「あ、いや、ほら、ウチ今凄い散らかってますし!」
「…今更そんなことを気にする間柄でもないでしょう。前に連絡回した時にも入ったじゃない」

 無論断る理由がない。
 今している弁明は、アキレスと亀のようなものだ。
 実際は、亀はいくら頑張っても最終的にはアキレスに抜かれてしまうのだ。
 ああ、あのパラドックスが本当だったら、今から起こる惨劇は回避できたろうに――!

 あっさり扉は開かれ、また同時にアキレスは欽ちゃん走りで亀を抜き去り、世界記録を樹立した――



「きゃん!」



「……小町、これはどういうことです?」

 四季様が音の震えた丁寧語を話している。軽く叩かれた頭が少し痛む。ああ、あたいはもうダメだよ○○……

「まったく、やはりあの噂は本当だったんですね……」
「え、噂?」
「貴女が、この男性――○○さんとお付き合いしているという噂です」

 脳裏に紅白や黒白の顔が浮かんでくる。ち、違うって言ったのに……

「貴女自身はそれを否定したがっているようですが……どこからどうみてもカップル……というか……夫婦……というか……」
「え、え!?」

 四季様が赤くなりながらもにょもにょと喋りだすものだから何故かこちらまで恥ずかしくなってしまう。
 ○○と恋人……夫婦……

「い、いや…だって、○○も別にあたいにはそういう感情抱いてないみたいd『甘い!』 え?」



「……本当にそうか、ちょっと試してみませんか?」





 鈴虫の鳴き声で不意に目が覚めた。
 ……いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
 毎度の事とはいえ、女性の家に泊まるってのは悪い気もするよなぁ…

 暖かいと思ったら毛布がかけられていた。
 うーん、心遣い感謝、ぬくぬく。

「……あれ、小町は?」

 きょろきょろとあたりを見渡してみるものの、何処にも姿が無い。
 お手洗いとかだろうか?

「ま、いっか」

 今は睡魔やら温もりやらが勝っている。大人しく毛布に潜りこませてもら……
 も……ら……

「こ、小町!?」
「あ……○○……起きたのかい?」

 小町も今俺が叫ぶまで眠りこけていたらしく、目をこすりながら暢気にそんなことを言う。
 こちらはと言えば言葉を発することができず、口をパクパクさせていた。
 だって、同じ毛布の中で息がかかりそうなくらい顔が近いんだもの!

「いや小町! なにこれ!」

 錯乱気味に叫ぶ。

「ふふ、○○は初心だねえ。一緒に寝てるだけじゃないか」
「いや……だってこんな……」

 自分でも紅潮しているのが手にとるように分かる。顔で茶を沸かせそうだ。
 小町も平気そうな顔をしながら、視線は合わさないし、やはりこちらも頬が上気しているのがわかる。
 心臓はこの空気の中で、時間を増すほどに鼓動を大きくし、速めている。

 ――間近で見ると、小町は本当に整った顔立ちをしている。普段の精悍さも滲み出ているが、何と艶やかなことだろう。
 ――間近で見ると、○○は本当に男らしい顔だ。それでいて普段の優しさが滲み出ていて、何と雄々しいことだろう。

 うっかり小町の顔をまじまじと見つめてしまい、また小町もこちらを見ていたせいか、数秒間目が合いっぱなしだった。
 普段は気恥ずかしくて、あまり目を合わせたことがなかった。
 …もしかして、こういう感情から本能的に逃げていたのかもしれない。今のままでいい、と。
 今の関係が崩れるのが怖かったのだろう、ずっとこうして過ごしていたかったんだ。
 でも、

 ――俺は小町のことが好きなのかもしれない。
 ――あたいは○○のことが好きなのかもしれない。

 ほどなくして、どちらともなく口を開いた。



「「あの……ッ!」」



「く……くくッ」
「ふふ……あはは」

 あまりにもピッタリハモってしまったので、笑いが零れた。
 同時に、異常なほどの緊張感もほぐれたようだ。
 今なら、話せるかもしれない、俺は――

「あたいは、○○のこと好きだよ」
「……ッ」

 出鼻を挫かれて言葉に詰まり、再び紅潮する。
 そんな俺を見て、小町はしてやったり、という表情を見せた。
 ……ちくしょう、可愛いな。ここは俺も誠意を見せてやらねばなるまい。

 と、息まいたものの、いざ実行に移すとなると緊張する。無論、こういう経験は初めてだ。
 小町も何かを期待するかのように胸の前で手を合わせ、ぎゅうっと握っている。

 一度切れた緊張が甦ってきた。

 破裂しそうな鼓動をよそに、静かに腕を伸ばす。
 まるで禁忌に触れるかのように、ゆっくり、ゆっくりと。

 背中に回るくらいまで腕を伸ばしたところで、そっと抱き寄せる。
 小町も一瞬ぴくりと体を震わせるが、少し経って不安も無くなったのか、体をこちらに預けてくる。

 幻想郷の女性の中では小町は比較的背が高いが、やはり男女の体格差を感じる。
 抱きしめてみると、普段の精悍なイメージが霧散するような柔らかさだ。

 そして、今、まさに密着。
 この状況でドキドキしない男子など居ようか。いや、居まい。

「……○○、凄くドキドキしてるね……」
「あ、当たり前だろ……こんなこと初めてだし……。小町だってドキドキしてるじゃないか」
「う、うん……」

 言って気づいたが小町の、その……胸も、鼓動が伝わるほどに密着している。
 扇情をもよおすほどの余裕は無いが、それがさらに俺の鼓動を加速させていた。

 それにしても、暖かい。今日の乾燥した寒さが嘘のようだ。
 確かに緊張はするけど、同時にこの暖かさに安心する。
 人肌を感じるって、こういうことなんだな……。

 ふと、小町がこちらを見上げてきた。
 ねだるような上目遣いが再び鼓動を速める。い、今俺は凄いものを見ているのかもしれない……

 小町がゆっくり目を瞑る。顔は耳まで赤くなっていた。
 これはつまり、アレだ。恋愛経験のない俺でも十分に伝わった。

「その……いいのか?」
「うん……あたいも…その…初めてだから……」

 なんと!
 この世界にはまだ穢れなき淑女が存在した!

 しかし、向こうもファーストキスだということを考えると責任は重大だ。
 やり方も良くわからないが、とにかくやってみるしかない。

 小町の唇に目をやると、顔が紅潮している所為もあるのか、うっすらと紅くなっており、
 程よく湿っていて艶やかで、およそこの世のものとは思えない美しさだった。
 そんな誰も踏み入れたことのないサンクチュアリを、今まさに侵そうというのだ。

 腕を伸ばす時と同様、ゆっくりと顔を近づける。
 お互いの息が顔にかかる。それすらも恥ずかしいことこの上ない。
 あと数センチという距離の中で、二人の緊張は頂点を極めているようだった。

「んっ……」

 静かに唇と唇が重なる。まだ本当にただ触れただけだ。
 そこから、池に波を立てずに石を沈めるような速度で、ゆっくりとお互いの唇を押し付けていく。
 人肌と同様に、唇もまた温かい。

「ぷぁっ……ん……はぁっ」

 一度だけでは飽き足らず、くっついては離れ、くっついては離れを繰り返し、
 お互いの存在を確かめあうかのように強く抱きしめあい、接吻する。
 時たま唇を糸が繋ぎ、月明かりに照らされ銀色に輝いていた。

 ひとしきり唇を押し付けるだけの接吻が終わり、一息つく。

「えへへ……○○…、その、やっちゃったねえ……」
「あ、ああ……」

 無我夢中で求め合ってしまったが、ふと落ち着いてみるとかなり恥ずかしい。
 毛布をマント代わりに空を飛んで逃げたいところだ。

(……そういえば、さっきは出鼻を挫かれたな)

 急に悪戯心が湧いてくる。長い接吻が終わって弛みきっている小町を抱き寄せ、唇を啄んだ。

「んむっ!?ま、○○!?」

 さっきは恥ずかしくてできなかったが、口付けたまま、ゆっくりと舌を這わせる。
 小町も最初は驚いていたようだったが、たどたどしく舌を絡めてくる。
 互いに唾液を交換しあうように口内を舐った後、ゆっくりと唇を離す。



「……俺だって、小町のことが"大"好きだぞ」



 不意を突かれ、小町の顔が足の先から頭のてっぺんに至るまで赤くなっていた。しめしめ。

「……絶対に幸せにしとくれよ?」
「……あ、うん…絶対に幸せにするさ」



 しばらくお互いにポーとしていたが、ダブルクォーテーションに気づくと、はっとして糸が切れたように叫びだした。

「あ、あたいはもっと大好きだよ!」
「いやいや、俺の方が大好きだ!!」
「あたいの方が○○の百倍好き!!!」
「何ィ!?俺の方が小町の一億万倍好きだ!!!!」
「一億万!?でもあたいはおっくせんm…」
         ・
         ・
         ・




「どうやら、無事に事が進んだみたいね」

 秋の虫たちの鳴き声と共に人と死神のバカップルらしい叫び声が夜空に響く。
 聞いているこちらが赤面するほどの、爽やかな暴走っぷりだ。

 二人とも、大人で子供だった。
 まるで子供が魅かれあうように付き合いを始めた二人だったが、大人の理性でお互いにそれを押さえ込んでしまっていたのだ。
 しかしながら二人とも――特に小町はまるで隠しきれていなかった。

「残業が無くなる程頑張るなんて、おかしいと思ったのよ……」

 小町の仕事の成果が増えた時期と、○○が外の世界から幻想郷に流れてきた時期はすぐに結びついた。
 小町から直接話を聞かずとも、二人の付き合いが深いであろうことは明白だったのだ。
 ――よもや二人ともがあそこまで暢気に構えているとは思わなかったが。

「そういえば、仕事のこと言い忘れてたわね。まあ、その分増える仕事はきっちり小町に精算してもらおうかしら」

 私も、そろそろ帰路に着こう。

 少し歩くと、まるで冷蔵庫に入ったかのような寒さが襲ってきた。

(寒いというよりは…あの家周辺が驚くほど暖かくなっていたようですね…)

 愛は地球を救う、ではないが、いつか氷河期が再び訪れても人類は滅亡しない気がしてきた。
 いつか私もあのような暖かさを手に入れたいものd…



「じゃあ俺は一恒河沙倍好きだーーーー!!!」



……大人で子供、我ながら的を射た言葉だったように思う。

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新ろだ257


地獄の沙汰も管理職。
それを知ったのが、初めてここに来た時のこと。
不慮の事故で彼岸行きになった俺は、天国に行ける程善人ではなく、地獄に墜ちる程悪人ではなかったらしい。
閻魔、四季映姫様の下した判決は、しばらくの間是非曲直庁に勤め、生前の業を清算しろということだった。
分かりやすくいえば、しばらく閻魔様の元で働けということらしい。仕事は主にデスクワーク。
確認が終わった書類に「承認」の印を押したり、罪人の判決を別の書類に転写したり、要するに事務処理作業。事後報告の処理。
上司のエリートさん達が間違いを犯すわけもなく、かわりに機械にまかせた方が、効率がいいのではないかという仕事である。
「そうはいきません。これはあなたの贖罪なのですから、それでは意味がない。
決してそのような技術がないわけではありません。断じて」
……さいですか。
別に仕事はきついわけではない。
それどころか、楽すぎる。
死者など一日に多くてもせいぜい五、六人。
十人以上などまずこない。
一日に十ほどの判と罪状の書名。それだけで一日座り通しなのだ。
詰まるところ、退屈なのである。
それだけでなく、最近は悩みのタネがもう一つできた。
「よお、引きこもりの○○。まだここにいたのか」
「大きなお世話だよ、サボタージュ小町。お前こそとっくにクビになったと思ったんだが」
「馬鹿言うんじゃないよ。あたいだってやるときゃやるんだ」
「昼寝が見つかったときだけ、な。今夜は寝なくて済むんじゃないか?」
「あたいは身体を使うからね。あんたこそ座りっぱじゃ、立つものも立たなくなってんじゃないかい?」
「少しはその蓮っ葉な言い回しをあらためたらどうだ? いざってときは女の子ぶるくせに」
「そんなことは、その生っ白い身体をどうにかしてから言うんだね」
「ふん。これ以上お前に構ってる暇はないんだよ。さっさと昼寝に戻りな」
「ここで一番暇なのはあんただろう○○。あたいだって忙しいんだ。あまり無駄口を叩かないで欲しいね」
「ああ、いけいけ、いっちまえ。せいせいするよ。サボり魔」
「二度とあたいに話し掛けんじゃないよ。グズ職員」
三途の川の橋渡し、死神の小野塚小町。
どうも俺が気に入らないらしく、会えば喧嘩を吹っ掛けて来る。
ただでさえ退屈でいらいらしているところに、さらに絡んでくるのだからたまらない。
おかげで会えば口喧嘩ばかりなのだ。まったく、黙っていれば可愛いと思うのに、何でああなのかね・・・
まあ、話し相手がいるのはありがたいことだけどさ。
閑話休題。ともかく、そんなこんなで毎日を過ごし、一ヶ月ばかりがすぎた頃、俺は閻魔の映姫様に呼ばれた。
何の用なのか首をかしげながら映姫様の私室を訪れる。
映姫様はそのちんまい体に不釣り合いな威厳をたたえて、机の前に立っていた。
「どうですか○○。仕事にも慣れてきたころでしょうか?」
穏やかな、しかし感情を見せない口調で話しかけてくる。
「まあ、おかげさまで」
「そうですか・・・」
いったい何のつもりなのだろう。
「さて、今日呼んだのは他でもありません。あなたの今後についての話です」
そういえば、ここで働くのは一時的なものだったな。ということは、審判のときということか。
居住まいをただすと、俺の意思をくみ取ったのか、頷く映姫様。
両目をつぶり、見えない何かを見るようにして、話し始めた。
「・・・あなたは受けた恩は必ず返そうとする義理堅さを持っている。それは非常に好ましいことです」
「それじゃあ・・・」
口を挟みかけると、目を開いてそれを制される。
「しかし、あなたは敵意に関しても敏感です。いえ、過敏といえる。敵や部外者は積極的にを排除しようとする傾向があります。
相手が純粋な敵意を抱いているならそれは仕方ないことでしょう。しかしあなたには敵意しか見えていない」
感情のこもらない声で淡々と語る映姫様。
「そう、あなたは少し愚直すぎる。あなたは誰かを傷つけていることに気付いていない。このまま生まれ変われば、同じことを繰り返すでしょう」
「そんな・・・」
「身に覚えがない? 当然のことです。その者はあなたの知らないところで胸を痛めているのですから。今のままでは、あなたを転生させるわけにはいきません」
…俺が知らないうちに誰かを傷付けてる? ・・・無茶苦茶だ。そんなこと言ったら、みんながそうじゃないか。
「わからないでしょう。だからこそあなたに猶予を与えたのですから。ですが、それもそろそろ終わりです。これ以上ここに死者の魂を置くわけにいきません」
「・・・それは」
「あと十日ほど待ちます。それまでに意味を理解できなければ、あなたは輪廻の輪を外れ、その魂は消滅することになります」
「・・・」
「私の言葉の意味を理解する。それがあなたにできる善行です」
話は終わりとばかりに背を向ける映姫様。それ以上はいくら尋ねても答えは返ってこなかった。
それからずっと考え続けたが、答えは出ないままだった。
だってそうだろう。恩には恩を、仇には仇を。
それが何であれ、もらったものは返すのが普通のはずだ。
敵は排除しなければやっていけない。だとしたら・・・
堂々巡りのまま、約束の期限まであと一日。今日が最後のチャンスだが、相変わらずにわからない。
このままでは、俺は・・・。
「・・・○○」
そんなときに声をかけてきたのは、小町だった。
「なんだよ」
「あのさ・・・」
「いい気味だろ? お前の嫌いなやつは、もうすぐいなくなる。ざまあないな」
「・・・」
「変な気使うんじゃねえよ。閻魔様に嫌われて、俺はもうすぐ消えるんだと」
うつむいたままの小町の表情は、知ることができない。
「ほら、笑えよ。もうすぐ消えちまう哀れな野郎をさ。笑えばいいだろ」
「・・・この、馬鹿野郎!」
気がつけば頬に痛みが走っていた。顔をあげて目の前の小町を見てから初めて頬を張られたんだと理解する。
「こんなこと、笑えるわけないだろ。あたいがあんたのことを、笑うわけないだろ!」
目に涙を湛えて叫ぶ小町。
「そりゃ、あたいはこんな女だし、可愛げはないし、素直になれないとこだってあるさ。でも、あたいはあんたのことが嫌いなわけじゃない。
むしろ好きさ、あんたのことが大好きさ。・・・だけど、どう接したらいいかわからなくて」
「・・・小町」
「映姫様に言われたこと、悪いとは思ったけど聞いちまったんだ。・・・気付いておくれよ。態度だけであたいのことを見ないでおくれよ」
…俺は噛み付いてくる相手を噛み返していた。それが敵意だと勝手に判断して。・・・でも。
「消えないでくれよ、○○。あんたがいなくなったら、あたい・・・」
肩を震わせる小町を思わず抱きしめる。
「○○!?」
「悪かった。いままで小町は俺のことを嫌ってたと思い込んでた。でも違ったんだな」
「うん!」
…映姫様が言ってたのは、こういうことか。
上っ面だけで相手を決めつけることは、その人の内面をみないということ。それは、相手を傷つけることになると。
「小町、ごめんな。俺もお前のことが好きだ」
「○○」
「そこまでです。場所をわきまえなさい」
「映姫さま!」
いつの間にいたのか、映姫様が目の前にたたずんでいた。
「さて、○○。遅くなりましたが、ようやく私の言葉を理解したようですね」
「はい」
そう。確かに俺は愚直すぎた。その意味が今ならわかる。
「これで貴方を、輪廻の輪に送り返すことができます」
「それじゃあ・・・」
と、言いかけて気づいた。それはつまり、小町とも別れるということ。
ふと小町を見れば、泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「・・・小町」
そうして、しばらく俺を見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「・・・はっ。何を血迷ってたのかね、あたいは」
「こま・・・」
「せいせいするよ。お前みたいなやつはさっさと行っちまいな。もう二度とこんなところに来るんじゃないよ」
「・・・」
そんな顔をしてそんなことを言われたら、泣き言も言えないじゃないか。
「ああ、さよならだな小町。もう会うこともないだろうさ」
ようやくそれだけを言い返し、映姫様に向き直る。
「・・・お願いします」
すすり泣く声を背中に聞きながら、それだけを口にした。
「では○○、貴方を転生させます」
泣き声はいよいよ強くなる。・・・馬鹿、死神が人間のために泣くなよ、みっともない。
「・・・と、言いたいところですが」
唐突に映姫様が俺を見据える。
「貴方は大きな業を背負った。死神に魅入られてしまうなどと。このまま現世に戻っても、貴方はすぐに還ってくるでしょう。
…そう、貴方はここに深入りしすぎる。早くして死ぬことも、長く生きることと同様に罪なのです」
尺を俺の方へ向け、説教を始める映姫様。
「よって、貴方を現世に戻すわけにはいかない」
…それって
「映姫さま!?」
「小町、貴女が彼を想う限り、彼は転生できないのでそのつもりで」
それだけ言うと、映姫様は去っていった。呆然としている俺たちを残して。
思わず顔を見合わせる。
「・・・ははは、参ったね全く」
先に沈黙を破ったのは、小町だった。
「ようやくさよならできると思ったのにさ」
出てきたのは憎まれ口だが、そのくらいなら俺でも分かる。
「誰のせいだよ、まったく。このままじゃ、ずっとここにいる羽目になりそうじゃないか」
「ざまあないね。永遠にここにいろってもんさ」
「気に入らない奴が、入り浸ることになるが?」
「会うたびに文句垂れてやるさ。覚悟するんだね」
相変わらずの言い合いの応酬。だけど嫌な感じはしない。
彼女のほんとの気持ちを知っているのだから。
これから先、ずっとこんな関係を続けていけるのだとしたら、ここにいるのも悪くない。
軽口を挟みながら、次はどんな風に言い返してやろうか考えていた。


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新ろだ280


 本日快晴也。
 今日も今日とて絶好のサボり日和である。
 幻想郷をブラつくことも一度は思いついた小町だったが、
 今日は顔見知りがいる川沿いを散歩と洒落込む事にした。
 毎度のように同じルートでは、そのうち上司であるあの閻魔に、
 すぐにバレてしまうであろうという結論に至ったからである。

 小道を進むこと十数分、でんと突出した岩場の上に
 ここ数年来の世間話の相手の背中を見つける。

 初めて見たときとさして変わらぬ風貌のまま、
 岩場からはいつものように釣り糸がぷらんと下がっていた。

「○○、今日も相変わらず釣りかい?
 精が出るね……っと、おや」
 背中に声をかけながら近寄ってみたところで、
 反応がないことに気づく。
 隣にしゃがんで顔を覗きこみ、
 沈黙している理由を理解した。
「……」
 寝ている、完璧に寝ている。
 釣り糸に反応が無いところを見ると、既に餌は取られた後のようである。
「何もこんな所で寝なくても……」
 比較的人里に近い川とは言え、そこそこに距離はある。
 妖怪が襲ってきても不思議ではないのだけれど。
「……ま、それがこいつがこいつである所さね。さて、と」
 左右をきょろきょろと見渡し、誰もいないことを確認する小町。
「誰も、いないね」
 誰にでもなく一人頷くと、改めて○○の隣に座り込む。
「暫く肩、借りるよ……」
 傍らの男にしなだれるように体を預ける。
 いつまで経っても自分の気持ちに気づかない、
 釣り好きの朴念仁へのささやかな復讐として。
 彼が起きたときの顔と、反応を色々と想像をしながら、
 小町もまた、緩やかに眠りに落ちていった。


新ろだ514


 ここ最近、幻想郷ではラジオが流行っている。最初は聴き手の数が少なかったのだが、河城にとりラジオたる存在で、一気に知名度が広がっていった。
 ほぼ毎日やっているというのもデカかったし、河城にとり本人がラジオを大量に、それも安く売ってくれる。暇な人が多い幻想郷にとって、新しい
娯楽というものは大金をはたいてでも貰いたいモノだった。

 最初はほうほうどれどれとラジオを聴いてみたものだが、これが意外と面白い。語り手こと河城にとりが河童事情をあっけらかんと語って
 くれるし、外の世界から流れてきたらしい音楽も流してくれる。これはいいねえと受け入れられるものから、なんじゃこりゃな音楽まで、外の世界は
想像以上に広いようだ。
 そして何より、河城にとりラジオの「人生相談コーナー」は聞き逃すわけにはいかない。幻想郷の住民が手紙を出して、それを読み上げては
にとりが解決策を導き出してくれるという、そんなコーナーだ。
 お堅いイメージがあるが、意外とそんなことはない。他人の悩みってこんなんなのかと興味を抱くし、にとりの口調もあいまって、決して
暗いものではなくなっている。聴き手も河城にとりラジオの空気を読んでか、そんなに重たい内容を突きつけることはなかったりするのだ。
 例えば、値切りが出来ないとか、本を盗る奴をクリエイティブに追い払いたいとか、「幻想郷最強はだれでしょう!?」とクイズコーナーと間違えている奴が
いるとか、新聞代を払わせる方法を教えてくださいとか、こんなことばっかりだ。これでは、空気が重くなるはずもない。
「河城にとりラジオも既に終盤、次は人生相談コーナーに入ってみましょう」
 これだこれだとにんまりする。勿論他のコーナーも面白いのだが、やはりこのコーナーが一番だ。
「それではこの手紙を選んでみましょう、はいっ! ――えーっと、ラジオネーム、サークルサークルさん!」
 変わった名前だなあと、少しばかり思う。ラジオネームなんて、誰もが奇妙奇天烈だったりするが。
「えーっと。『いつもラジオを楽しく聴かせて貰っています』ありがとうありがとう」
 ということは、空気を読んだ投稿なのかと思う。
「では、『恋愛相談です。僕は、とある人に恋をしています』」
 ほほう、やるね。得意げに頷いてしまう。
「『とある場所で出会い、少しばかり会話したのですが、その付き合いやすい口調、そして自由奔放な雰囲気から、僕は少しばかりドキっと
してしまいました。少しばかり緊張してしまいましたが、その人は僕とよく会話してくれました』」
 ふうん、と鼻息を漏らす。
「『性格も素晴らしいことながら、外見も物凄く魅惑的なのです。あれこそ大人の女性というべきもので、意識するたびに目を逸らしてしまう
ことが多いのです。お姉さんとは、あの人のことを指すのだなと実感しました』」
 ほうほう、やるねえ。
 あまり色沙汰が見られない幻想郷からすれば、こうした悩みは真剣な意味でも、娯楽的な意味でも興味深いものがある。
「『話しやすく、しかも魅力的なのです。あの人と知り合って数日後、僕は決意しました。告白してやろうと』ほうほう、なるほど」
 へえ、そうなのか。となると、何が壁になって投稿したのだろう。
「『ここまでは良かったのですが、僕はあることに気づきました。そうです、僕とあの人は、寿命が違うのです』」
 それはある。幻想郷は人外が所狭しと歩き回っているから、そうした問題にブチ当たっても何ら不思議ではないだろい」
「『僕などが告白していいものか、正直悩んでいるのです――だからにとりさん、力を貸してください。
あなたがダメと言えば諦めますし、行け、と言えば行きます』」
 相手が神でサークルサークルは人間。これは分が悪いかもしれないが、何だかんだいってロマンチックだ。ぜひとも応援したい。
「なるほど、それで投稿してきたのですね。分かりました、私の頭脳から判断するに――おや? 追加文?」
 なんじゃらほいと、耳を傾ける。

「『書き忘れていましたので、ここで追加させてください。相手は死神で、波のような鎌をいつも持っています」

 ―――。
「ははあ、なるほど。うん、いける、絶対いけると思いますよ。その人は、種族なんか決して気にしないと思う。それに、幻想郷は種族の差であーだこーだ
言うような世界じゃないしですしね。だから頑張れ、若人よ!」


 次の日になり、ラジオに火をつける。目的は勿論、河城にとりラジオだ。
 溜息をつきながら椅子に座り、今日も今日とてラジオに耳を傾ける――せっかく悩みを聞いてくれたのに、今日は激務で告白することが
出来なかった。小野塚小町自体、自由奔放に移動するものだから、捕まえるのが難しい。
「――それでは、終盤となって人生相談コーナーです。今日は――お、これいいですね、これ。では、読み上げます」
 今日はどんな人が、どんな悩みを持ち抱えているのか。いつもながらに興味深い。

「ラジオネーム、六文銭さんから。『今晩は、いつもラジオを楽しく視聴させてもらっています。恋愛相談をしたいのですが、よろしいでしょうか?
実は私は神、死神なのですが、とある人間に恋をしているのです。その人は気さくに私に話しかけてくれる上に、外の世界のことを色々と
教えてくれます。私の正体を明かしても『そうだったんだ』の一言で済ませ、いつものように笑ってくれたのです。そんな彼に、私は恋をしました。
いつでもバッチこいといった感じなのですが、そろそろ受身はやめようと思っています。つまりは、告白する予定です。ですからどうか、背中を
押すような形で励ましてください。お願いします――』」


新ろだ588


 恋をしたらデートの一つや二つ、したくなるのが人情というものだ。
 それは妖怪も変わらないだろうし、死神だって例外ではないだろう。その為に、小野塚小町はここまで働いてきたのだが、
「ダメです」
「はい?」
 死刑宣告だった。
 死神が現世に足を踏み入れるには、一旦三途の川を越えなければならない。その為に船に乗ろうとしたのだが、
「ダメです。あなたには仕事が残っています」
「ええ? ちゃんと仕事していましたでしょう? この日のためにあたいは、あたいは」
「ええ、『平均的に』仕事はしていましたね。ですがそれ以上でもそれ以下でもありません、サボっていた分の仕事は残っていますよ?」
 脳味噌からつま先まで、すっと冷たくなっていく。
 理性が全てを納得させようとするのだが、それが出来ないのも人情というものだ。
「ですから、残業をする勢いで仕事をして、全てを片付けた後でデートなさい。苦労した後の恋愛というもの格別でしょう?」
 ただただぽかんと、口を開けることしか出来ない。
 この日のために毎日毎日働いて、小さなミスも許さず、映姫に納得して貰う為にここまできたのだ。
 けして映姫は間違ったことは言わない。嘘を言おうとしても、映姫そのものの人間性がそれをさせないだろう。公平の象徴が告げる言葉だから
こそ、小町の心臓が物理的にも、精神的に締め付けられる。
「確かに格別かもしれません。ですが、今日、今日のお昼が○○にも、あたいにも都合が」
「ダメです。仕事があります」
「残業します!」
「ダメです。妥協してしまったら他の死神に何と言えばいいのか」
 小町が小さく声を漏らす。映姫は進んで残業、苦労、その他もろもろを背負うような超人だ。理不尽ではない、という空気がこれでもかと
伝わってくる。
 だが、
「確かに、あたいは悪いかもしれない。だからこそ、その分だけあたいは頑張ります! どこまでも!」
「その言葉は信じます。ですがまずは、一仕事をしてください」
 船は目前、されど構えるようにして映姫が突っ立っている。
 映姫は口だけでなく、実力もある実力者だ。生半可な覚悟でいったらレーザーで焼かれることは明白である。格闘戦にも優れているらしく、映姫の
卒塔婆に殴られれば結構痛い。もう慣れてしまったが。
「分かりました」
「分かってくださりましたか」
 こくりと、映姫が小さく頷く。
「ではその前に、三途の川を掬いにいってきます。あそこの水はおいしいんですよ」
「そうなのですか」
「はい、それでは」
 そういうわけで、
 小野塚小町は映姫の横を通り過ぎ、
「――させるかぁぁぁッ!!!」
 ようとしたが失敗した。見破られた、劇画と化した映姫に立ちはだかれ、瞬く間に両手を捕まれる。閻魔ということか、物凄い握力だった。
「お願いしますそこをどいてください!!」
「ダメ! よくも騙してくれましたね、よりにもよってこの私に!!」
 満月状態であるかのように、映姫は話にならない状態と化してしまっている。
 原因は恐らく、映姫に嘘をついたこと、一時でも小町のスピーチが[成功]してしまったことだろう。嘘に気づけなかった己の不明もそうだが、何より
小町に騙された、これが大きい。
「お願いします! どうか、お許しを!」
「ダメダメダメ! 仕事なさい!」
「情けを!」
「閻魔に変更はない!」
「感情的になる閻魔なんて!」
「嘘をついたら舌をヘルアンドヘヴンは知ってるでしょうがぁ!」
 押されたり、逆に押したりと、中々どうして拮抗している。確かに交渉面においては勝ち目はミジンコもないだろうが、近接ともなると割りと勝負になる
ようだった。見た目が女の子であるし、当たり前といえば当たり前だ。
「○○が待っているんです!」
「恋? いいですね。恋をジャマする私は悪党ですか!? ふん! 悔しくない!」
 手が震え、両足が振動し、映姫の声が揺れている。
「――悔しいんですか?」
「――同情しないでよ!」
 何て面倒くさいことになってしまったのだろうと、小町の脳味噌は思った。
「どいてくだされば残業をする特典つき!」
「上から目線じゃないですか、それ!」
「疲れた映姫様の肩たたき!」
「いらない!」
「実は、映姫様に関心を持っている男性がいまして」
「えっ!?」
「今だぁぁ!!」
 映姫の力が緩んだ瞬間、見逃さない。小町はすかさず映姫の手を振りほどき、バーティカルターンを駆使して映姫の側面を取る。後は八歩ほど走れば
ゴールは目前である。
「小町ぃぃぃ!!!」
 すかさず映姫は船側にダッシュし、小町の前方めがけバーティカルターンを繰り出す。小町が「バカな!」と叫ぶ一方、映姫は「バカめ!」と若干笑っていた。
 しくじった、可能性を考慮していなかった。小町が出来るのならば、映姫も出来るであろう、という当たり前の推測がなされていなかった。
「観念なさい!」
 そうして手首を握られ、瞬間、地面がまっ逆さまになる。スカイハイ・ブルーバード、今の自分ならば空のかけらを掴むことも可能だっただろう。映姫に手首を
拘束されていなければ。
 そうして映姫の姿が一瞬確認できれば、背中から激痛と激震がブチ込まれた。一本背負いが見事に決まった、やられた、もう抵抗する気も起きない。
 流石は、閻魔大王様だった。
「観念しました」
「よろしい」
「許してください」
「仕事をしたら許します」
「デートの許可をください」
「めっ」
「めっ、て――」
 小町の両目が細くなる。映姫は「何か文句あるんか」とばかりに睨みつけてきたので、特に突っ込みは入れない。
「とにかく、遅れを取り戻せばデートは許可します。はあ、幸せ者ですね、あなたは」
「でしょう?」
 手首を離せば、映姫は「私も頑張ろうかなぁ……」と、そのまま立ち去っていってしまった。
 映姫はもういない。しかし、ここまでされたのならば仕事をするしかない。何だかんだいって、これは自業自得による痛みだ。
「しょうがない、○○、ごめんね」
 三途の川の向こう側に頭を下げれば、小町は溜息混じりで職場に帰っていく。サボリ癖を直さなきゃなぁとか、十分後には忘れているような思考を抱えながら。


 次の日になって、映姫から「ん」とメモを渡された。一体なんじゃらほいと小町がメモを開いてみれば、

『小野塚小町さんへ。お仕事、いつもお疲れ様です。仕事が物凄く忙しくなってしまい、今日のデートはキャンセルということになったらしいですね。
ですが、小町さんの仕事は生と死に関わることです。その重要性は理解しています。そして、その仕事に対して真面目な価値観を持っている
小町さんだからこそ、僕は小町さんのことが好きになったのです。
自分のことは気にしないでください。そしていつか、時間を作ってデートしましょう。僕はいつでも、あなたを待っています』

 間。

「これっ、てぇ?」
「そうですよ、そうですよー、優しい上司アピールがしたかったので、つい伝言をいただきにきました」
 沈黙、
「映姫様」
「なんですか」
「あたいッ! 頑張りますッ! 残業して、遅れを取り戻して、ちゃんと清く正しいデートをしようと思います!」
 ビシッと敬礼を決める。映姫は脱力したように溜息をつくも、
「それでいいのです。善行を行えば、遊ぶことは認められるのです」
 よっしゃーやるぞー。小町は映姫に深く頭を下げて、ガニ股で職場にハシゴしていく。
 今度はこっそりではなく、堂々と。自業自得ではなく、一陽来復の精神でいこう――ちょっと違うか。

 ○○、本当にありがとう。あたいももっとしっかりして、いい女になるからね。


「はあ、幸せ者ですね、あなたは」


最終更新:2010年06月24日 20:40