小町6
新ろだ720
「……何事?」
男は、呆然と呟いた。
その一言は、やはり目の前の光景に向けられたものだろう。
視界いっぱいに広がるのは、白。
きらめく白銀。
穢れ無き純白。
彼を威圧する様に存在するそれは、この場に相応しい圧倒的な数の幽霊――――
ではなく、砂糖だった。
どういうことだ、と男は首をかしげた。
この男、惚れた女性への恋慕の情で死神にまでなりつめた
――実際には、上司である閻魔に頼み込んでゴリ押したと言うほうが正しい――
のであるが、この彼岸が砂糖で埋め尽くされるのは、彼の浅く短い経験からも初めてのことだった。
風に伴って流れる、胸焼けするほどの甘い匂いは、それを砂糖であると確定させるには充分な証拠だ。
普段ならば、未だ運ばれていない幽霊がたむろしているこの彼岸であるが、
目の前にあるのは山の様に積まれた砂糖。
綺麗に三角形を形作っているそれは芸術にすら見えなくもないが、正直通行の邪魔である。
彼岸に積まれていると言うことは、四季様のところに運んだ方がいいのだろうか?
それ以前に、砂糖に死ぬとかあるのだろうか?
単なるいたずらだろうか?
しかし、いたずらにしては手が込みすぎている。
砂糖は結構な貴重品であるし、人数が居たとしても、こちらもいたずらを好む妖精などの妨害を受けながら彼岸まで砂糖を運ぶのは手間がかかる。
そもそも、いたずらにしてはインパクトが薄い。
人を驚かせるにしたら、虫やら何やら、そう言ったものを仕掛けるべきだとは思うが、
砂糖を積む程度では、せいぜい驚くと言うより違和感に立ち止まるぐらいの効果しか見込めない。
ならばどうして彼岸に砂糖を?
男が思考のループにはまる中、彼に近づく影が一つ。
考察を切り上げて見上げると、その影は人間のものであるのがわかった。
紅葉の様に色づいた朱色の髪を両端で二つに束ね、手には仰々しい巨大な鎌。
男を見つめる目には、鮮やかな赤を宿している。
一目に見て抱く感想は、死神。
可愛らしい顔立ちに対して、赤に彩られた風貌と大鎌が、それ以外の全てを塗りつぶすように存在している。
「ここにいたのか、探したよ」
声と共に、浮力を操って着地。
「小町か」
女性――――小町の姿を認めると、男は顔を綻ばせる。
そう、目の前の死神、
小野塚 小町こそが、彼が慕う女性だった。
「どうしたんだ? 今は仕事の真っ最中じゃ……」
小町が飛んできたのは、確か人里の方だったはずだ。
最近は仕事をサボタージュすることも少なくなった、と上司が嬉しそうに語っていたから、
今日も真面目に職務に励んでいるだろう、と男は思っていたらしい。
「仕事なんてやってられないよ。こんな状況じゃあ」
言いながら、小町はうず高く積まれた砂糖を指差した。
「たまたまお前さんよりも早く来たときには、もうこんな状況だったからねぇ……
幽霊なんか全然いやしないし、砂糖しかないし、また異変か何か起こったと思って見に行ったら――――」
そこで一旦言葉を区切り、小町は深々と嘆息して、
「そこら中で男女がイチャイチャイチャイチャしてて、さぁ……」
居づらいし、口の中はベタベタするし、服からも甘い匂いがするし、
逃げるように帰ってきたんだよ、と小町は続けた。
話から察するに、恐らく人里で大量生産された砂糖が行き場をなくし、この彼岸にまで流れ込んできたのだろう。
中睦まじいのはいいことであるが、仕事に差し支えるのでやめて頂きたいところではある。
どうしたものか、と男はもう一度首をかしげた。
砂糖を生産している連中――異変の首謀者、と言ってもいいのだろうか――は生憎と人間であるらしく、妖怪の様にボコって終わり、ともいかないらしい。
その上、普段ならば異変を解決する博麗の巫女や、白黒の魔法使いもまた、砂糖を作る側に回っていると言うからさぁ大変。
「……どうしたもんか」
「どうしようもないよ。気長に待つしかないさ」
まさか三途の川が砂糖水になる程とは思わなかったよ、とぼやいて、小町は呆れ顔を見せる。
せっかく湧き出た労働意欲を無駄にするのは、精神的によろしくないようだ。
表情からそれを読み取ったのか、男は笑顔で小町に問う。
「それじゃあ、今日はどうしようか」
「どうするもこうするも――――」
言って、小町は男の顎に手を添える。
え、と言う彼の呟きごと、小町は男に口付けた。
「あたいも、中てられちゃったみたいでさ」
ふふ、と笑って、小町は男の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
体に押し付けられるふくよかな双丘の感触に、男が顔を赤らめると同時、
「今日は一日中、砂糖を作ってようじゃないか」
その言葉と共に。
二人はもう一度、唇を重ねた。
霊が来なくて暇を持て余していた閻魔の元に、死神二名謹製の砂糖が送りつけられるのは、また別の話。
新ろだ722(新ろだ720の続き)
「……何事?」
またも、男は呆然と呟いた。
その一言は、やはり目の前の人物に向けられたものだろう。
紅葉の様に色づいた朱色の髪を両端で二つに束ね、手には仰々しい巨大な鎌。
男を見つめる目には、鮮やかな赤を宿している。
一目に見て抱く感想は、死神。
可愛らしい顔立ちに対して、赤に彩られた風貌と大鎌が、それ以外の全てを塗りつぶすように存在している。
男の目の前に居るのは、彼が慕う幻想郷の死神――――小野塚 小町、なのだが。
「見ればわかるだろう?」
そう言って、‘いつも通り’の人懐こい笑みを向ける小町。
左手は、‘いつも通り’『死神』と言う存在を表すような大鎌を持ち、
右手は、‘いつもと違って’膨らみ、緩やかな曲線を描くお腹に添えられていた。
「出来ちゃったんだよ」
もう一度、輝かしいほどの笑顔を男に向ける小町。
「……うそん」
あんぐりと開いた口から漏れる、やや情けの無い声。
同時に彼の頭の中を高速で駆け巡る、無数の言葉。
『責任』、『子供』、『結婚』、『祝儀』、『挙式』、『育児』……
確かに、小町のことは真摯に愛している。
この職に就くために努力したのも、霊がいなくなるぐらいに労働に励んでいるのも、それらは全て、彼女への愛故に。
しかし、少しばかり前に共同で仕事に出たときは、まだお腹も目立っていなかったと言うのに。
人間と死神では体のつくりでも違うのか。
しかし、いつの間にか、彼は立派なパパとなってしまった。
もはや話も上の空で、彼は考える。
そう言えば、幻想郷は今ベビーブームである――――と、カラス天狗の新聞で大々的に報じてあった。
砂糖異変の次は子供異変ってか、おめでてーな。
でも、死神一家として親子三人で暮らすのもいいかもしれない。
愛しい妻と、可愛らしい子供と、家族揃って同じ職に就くのだ。
子供を働かせていいものか、とも思うが。
「うふ、うふふふふ……」
「……大丈夫かい?」
心配そうに、小町は男の顔を覗き込む。
ああいや大丈夫、俺いいパパになるよ、幸せな家庭を築こう、うふふふふ。
彼は――死神だと言うのに――口から魂を吐き出しつつ、そう返答する。
そうかい、と若干気圧されながらも、小町はひきつった笑みを浮かべて。
それから、まるで独白するようにぽつりぽつりとこぼしはじめた。
「あたいはさ、死神だから……命を授かることなんて、無いと思ってた」
それだってのに、今はこうさ、と小町は続けた。
そう。
小野塚 小町は、死神なのだ。
命を刈り取る、破壊そのものとも言える存在。
不幸を、終末を、離散を表す、異端の神。
その死神が、幸福の象徴である、子を宿しているのだ。
死に行く命の中、生まれる命。
それは、彼にとっても、彼女にとっても、まさしく愛の結晶なのだろう。
「あたいは、嬉しいよ」
「……小町」
柔らかい、母親の様な――いや、本当に母親の笑顔を見せる小町。
それを見て、男はようやく思い至った。
「……ありがとう、小町」
「どうしたのさ、急に」
死神になったことに、後悔はしていない。
彼女のそばにいることが、彼にとって一番幸せだった。
しかし、夫婦になっても、死神同士で子供が出来るかどうかと問われれば、彼ははっきりと答えることは出来ない。
けれど、目の前に生き証人――死神だけれど――がいるのだから、そう言うことなのだろう。
子を育てていくことが彼女の望みならば、彼はそれを叶えたいと思っている。
だからこそ、感謝の言葉。
今まで共に歩んできてくれたことに対しての。
そして、これからも共に歩いてくれることに対しての。
「よし、それじゃあ四季様に産休を届け出ないとな」
「え゛?」
男の発言に、思わず不適な声を上げる小町。
「どうしたんだ?」
「い、いや、大丈夫だよ、うん、わざわざ休み取らなくても。
そんな重労働でもないし」
急にしどろもどろになる小町。
目を泳がせるその様子を、男は疑問に思ったのか、
「おいおい、船頭の仕事が楽なわけないだろ。
心配しなくても、小町の分まで俺が頑張るからさ」
お腹の子に障ったら大変だろう?
そう言って、どことなく嬉しそうに小町の手を取り、裁判所――――上司の仕事場に向けて一歩踏み出す。
「ああ、ほらほら、お前さんまだ仕事があるだろう? 一人で行くからさ」
「そんな大した量じゃないって。
それに、こう言うのは夫婦で行くべきじゃないか?」
もう両親になるのだから、と無駄な責任感を発揮する男に、冷や汗をたらす小町。
何やら焦った様子の彼女に、はてと彼は首をかしげる。
二人で行ってはまずいことでもあるのだろうか?
「ほんと大丈夫だって、ね?」
「……そうか? ならいいんだけど、さ」
未だ納得がいっていないのか、渋々と言った様子で引き下がる。
思わず、小町は安堵の溜め息をつく。
「それじゃ、触らせてもらっていいか?」
「え、ああ、うん」
安心感からか、咄嗟に返事をする小町。
やはり、愛する女性との子供が出来たのが嬉しかったのか、やった、と小さく呟いて、男は優しく腹部に手を当てた。
――――ひやり。
「………………?」
冷たい。氷ほどではないけれど、ひんやり、と言う言葉がぴったりと当てはまるような生ぬるさがある。
少なくとも、温かい、とは言えない。
確かめるように、もう一度触ってみる。
――――ひやり。
まさか、と呟いて、男は押しつぶすようにお腹を押した。
すると、まるで這い出るように、小町の服の中から霊魂が姿を現した。
「あ」
タンポポの綿毛の様に所在なさげにふよふよと浮遊していたかと思うと、霊は自ら船に乗り込んだ。あらやだ礼儀正しい。
小町の口から漏れた「あ」とは、恐らくそう言う意味だろう。
見れば、ものの見事にいつも通りな小町の姿がそこにあった。
と言うか、冷たい霊をよく服の中に入れられていたものだ。
そこは純粋な感嘆に値する、が。
「……小町」
「あ、あはは、はは……」
苦笑いをこぼして、じりじりと後ずさる。
男は無表情で、一歩一歩踏みしめるように追い詰める。
「あ~……その、騙して悪かったね」
「……何がしたかったんだ、一体」
素直に謝った小町の言動に何かを感じ取ったのか、男は嘆息一つと共に小町に問う。
すると、小町は気まずそうに視線を逸らしつつ、
「その……流れに乗ってみた、って言うか」
前回の砂糖異変もそうだが、何やら流されやすくなっているのかもしれない、と小町は呟くように繋いで、
「けど、お前さんとの子供が欲しいってのは嘘じゃない」
視線を滑らせて、男の目を見据えてそう告げた。
「あたいも、お前さんも、死神だからさ。
子供が出来るかどうか、わからないじゃないか」
そこにあのベビーブームの噂が舞い込んできて、驚かせようとああ言う行動をしたのか、と男は考える。
「だから気分だけでも、って――――」
「……小町」
言葉を遮って、ぎゅっと抱き寄せる。
それに含まれた意味は、謝罪なのか、感謝なのか。
突然の動きに、小町は驚きの声を漏らしたが、すぐに男に体を預ける。
しばらくの間、二人は抱き合っていた。
――――律儀にも、隣で待機している霊を他所に。
それから、しばらくして。
「今日はこれぐらいね」
言葉と共に背をのばし、小さく唸るのは、死神二名の上司、
四季映姫・ヤマザナドゥ。
幻想郷を担当する閻魔であり、至って普通の女の子であるその外見には似合わぬ力を持つ。
この幻想郷では、それもまた至って普通のことなのだが。
その閻魔と言う肩書き通り、死者を裁くのが彼女の仕事だ。
と言っても、一日中霊の相手をしているわけではない。
仕事の終わりだって、もちろんある。今日の分のノルマは、もうこなした、と言うわけだ。
「おや、四季様」
声に、映姫は振り返る。
そこに居たのは、新任の死神の一人だった。
生前はこちらもまた至って普通の人間だったのだが、その後まさしく死ぬ気で映姫に頼み込み、
努力の末に死神となった男。
彼の実直さや、誠実さは映姫も好むところであり、
彼のおかげで仕事の効率も上がり、小町も仕事をサボタージュすることは少なくなった(なくなったわけではない様だ)。
「何かあった?」
「はい、四季様に頼みたいことがありまして」
映姫の問いに、彼は他人に聞かれないよう出来る限り彼女に近づいて、耳打ちするように続ける。
「――――の白黒を着けて頂きたいのです」
「なるほど」
仲睦まじいのはいいことね、と映姫は笑顔を見せて、力の行使に集中するためか、両の目を閉じる。
十秒程度経ってから、映姫はゆっくりと口を開いた。
「……白、です」
「それでは!」
「ええ。あなたの思ったとおりに」
映姫の言に、彼は顔を綻ばせ、全身から喜びのオーラを醸し出す。
流石に、上司の前で騒いだりするのははばかられたようだ。
「ふふ、吉報を待っていますよ」
「はい!」
それではお先に、とだけ残して、彼は凄まじい速度で通路を走り抜け、姿を消した。
廊下は走るなと教えたはずですが、と映姫は小さく嘆息をこぼして、
「善行をした後は気持ちがいいけれど……
口の中が甘くて仕方がないわ。コーヒーでももらいに行こうかしら」
そう言って、映姫もまた、仕事場を後にした。
その後、『親子連れの死神がいる』と言う噂が幻想郷に立ったが――――真偽の程は、いかに。
新ろだ801
「外界旅行……ですか?」
「ええ。もう神無月だし」
ようやく今日の仕事が終わった、と一息ついていた死神――――小野塚 小町に持ちかけられたのは、‘外’へ旅行に行ってはどうか、と言う提案だった。
外界旅行。
境界を操るスキマ妖怪の力を借り、この幻想郷と外を隔てる博麗大結界の壁を超え、少しばかりの間滞在する、と言う計画。
条件として、外の世界に造詣が深い者が同行する必要があるらしい。
「四季様、コーヒーですよ……おお、小町もいたのか。
俺の分飲んでてくれ、今淹れてくる」
噂をすれば影が差したか、新任の死神の一人がトレーにコーヒーカップを載せて現れた。
この死神、幻想郷でもう何年と暮らしているが、出身は外の世界である。
ひょんなことから迷い込んできたらしいが、本人は来れて良かった、と喜んでいるようだ。
やはり、生涯の伴侶に出会えたことがその理由なのだろう。
「おや、丁度いい所に」
「はい? 何かあったんですか?」
四季の言に、事情を飲み込めていないのか、彼は頭上にクエスチョンマークを浮かべている。
それを見て、小町はふと思い出した。
そう言えば、彼が死神になったのはごく最近のことだ。
彼がこの幻想郷で過ごし随分と経ったが、彼が転職(?)してまだ一年と経っていないのだ。
その上主に外界での旅をするのは神だと言うから、ただの人間だった彼が旅行のことを知らなくても、おかしくはないのかもしれない。
小町が思い返している間、既に映姫は説明を終えたのか、彼はトレーを机に置いて、顎に手を添えながら、
「外界旅行……ですか?」
同じ死神同士だからなのか、先の小町と同じ反応を返す。
それに、映姫もまたええ、と答え、
「たまには、夫婦水入らずと言うのもいいじゃない?
それに、最近は仕事の方も順調だし、正当な労働には正当な対価を、ね?」
言いながら、小町の方へ視線を滑らせる。
彼が死神になってから、仕事の効率はぐんと良くなった。
人手が増えたことももちろんあるが、一番の理由として挙げられるのは、
小町が『休憩』と称してサボタージュをする回数が減ったことだろう。
以前は業務に障害が出たり、一日に運ばれてくる霊の数に波があったりと様々な問題があったが、それも改善され、流れも大分スムーズになった。
これもまた、彼のおかげだろう、と小町は思う。
彼が居たからこそ、誰かを思い、誰かのために働くことは喜ばしいと、彼女は理解できたのだ。
さて、と映姫は咳払いを一つ。
「あなた達はきちんと働いているのですから、しっかりとお休みを取ってください。
労働をするのは良いことですが、働きすぎは良くありません」
「ですが、その間霊たちは――――」
食い下がる男に、映姫は僅かばかりに表情を渋くして、
「なら言い方を替えましょう。『休みなさい』。
上司の命令ですよ?」
それは職権乱用じゃ?
と言うかいざとなったら能力を使う、って言ってますけどそれ完全に脅迫ですよね?
色々と考えた末、彼は判断を委ねるように小町を見やる。
すると、小町は小さく体を震わせながら、
「あたい、こんなこと初めて言われたよ……」
「……小町」
長い付き合いだ、今までどんな勤務態度を取っていたかは想像に難くない。
感動に打ち震える小町を視界から外して、彼は映姫に向かい、
「……行かせて頂きます」
「ええ。行ってらっしゃい」
さわやかな笑顔を見せる映姫に、彼はつられたように小さく笑う。
考えてみれば、愛する女性と旅行に行けて、嬉しくないはずがない。
せっかくだし、精一杯楽しむとしよう、と男は思考を切り上げると、
「……とりあえず、準備をすませないとな」
横で固まっている小町の手をとり、そのままずるずると引きずっていった。
「はー……やっぱり、外の世界ってのは凄いもんだねぇ」
言いながら、小町は流れ行く景色を窓から眺めている。
新幹線が向かう先は、彼の生まれ故郷。
やはり、外は幻想郷と比べて格段に科学技術が発達している。
電気が通り、水道が整っており、交通手段は豊富で、どこでも電話をしたり、音楽を聴いたり出来るものを作ったりするのだから、人間と言うのはやはり凄い。
「自由に飛べないのは不便だけど、こんな早く移動できるのは便利なもんだ」
もの珍し気に、車内を見渡す小町。
その様子がどこか微笑ましく、その上とても可愛らしくて、彼は思わず頬を緩ませる。
が、やはり人目が気になるのか、すぐに表情を正した。
……つもりなのだろうが、正せてない。まるで犬の様に『嬉しいオーラ』を振りまいているが、小町は触れないでおこう、と決断した。
「しかし、俺はこっち側で生まれたって言うのに、違和感を感じるのは何でだろうな」
「幻想郷に染まったのさ、お前さんも」
言って、小さく笑う小町。
違いない、と彼もまた笑う。
「お前さんの故郷、か。どんなところなのかねぇ」
「特に何がある、ってわけじゃないけど……でも、思い出深いとこさ」
今は死神になったとは言え、彼も人の子。
育ててくれた両親がいれば、共に育ってきた友人も居る。
過去を振り返り、昔を懐かしむように、彼は瞳を閉じた。
そんな彼を目にして、小町は僅かに表情を翳らせる。
「……戻りたくなった、かい?」
「どうしたんだ?」
呟くような声量のそれに、彼は問い返す。
「一度帰ったら、郷愁の念が沸くかもしれないだろう?
やっぱりこっちに残りたい、なんて言われたら、さ」
「……あのな」
思わず、対面に座る小町を抱き寄せる。
彼女の軽い体は簡単に引っ張られて、彼の腕の中に収まった。
「俺は、お前の隣にいるために死神になったんだ。
天の果てでも、地獄の底でも、お前が嫌だって言ってもずっと隣にいてやる。
例え俺の故郷に戻ってきても、お前が居なきゃ何の価値も無い」
俺の居場所は、お前の隣なんだからな、と彼は続ける。
すると、小町は不安に染まった表情から、いつも通りの人懐こい笑顔の花を咲かせて、
「なら、あたいの居場所もお前さんの隣だ。
嬉しい時も、悲しい時も、あたいはお前さんの傍にいる」
あたいもお前さんも死神なんだ、死んだって離したりしないよ、と小町は続ける。
すると、彼もまた、心からの笑顔を見せて、
「今、伝えたいことがあるんだ」
「奇遇だね、あたいもだ」
二人して考えたわけでもないのに、同じことを思っていて、
「「ありがとう、これからもよろしく」」
同じことを言って、同じことで、同じように笑っていた。
隣の席にいた乗客が砂糖の山に埋もれていることに二人が気づくのは、しばらく後のこと。
窒息しかけていたためか、魂が出かかっていたと言う事実は、死神二名だけの秘密。
新ろだ804
「お前さん、今日誕生日だったのかい?」
「自分でもすっかり忘れてたよ」
本日の業務も滞りなく終了し、さぁ家に帰ろうと言うタイミングで切り出された突然の告白に、小野塚 小町はひどく驚いた様子を見せた。
その理由は、彼女の傍らに立つ彼が死神になって大分経つが、彼の誕生日について聞いたのはこれが初めてだったからだ。
誕生日なんて、一度忘れてしまえば何かきっかけがない限りずっと思い出さないものだ。
寿命の短い人間でそうなのだから、長い生を謳歌している妖怪や、その他大勢にとってはより『どうでもいい』ことに分類されてしまうのだろう。
そんな訳で、彼もまた誕生日を特別意識してはいなかった――そもそも自身の誕生日を忘れていた――のだが。
今から数時間程前、彼の上司の放った何気ない一言で、彼はようやく思い出したのだ。
そして、たまたま口を開いたと同時に出てきた話題が、自身の誕生日について、と言うものだった。
「そりゃあめでたいことじゃないか。今から祝わないとね」
「随分と突然だなぁ」
もうすぐ今日と言う日も終わってしまうと言うのに、小町はこれからの段取りをどうするか、考えをめぐらせている様子。
魂――――死人を運ぶのが仕事だと言うのに、自身の誕生日を祝ってくれようとしている彼女がどこかおかしくて、けれどとても愛おしくて、彼は笑みを見せた。
それから、しばらくして。
彼の目に入ったのは、卓の上に所狭しと並ぶ、酒類や食べ物だった。
中でも一際目に付くのは一本の酒瓶で、>>673と銘打たれているそれは、圧倒的なまでの高級感を放っている。
「こんなもんでどうだい?」
「何……だと……?」
自身の持つ力――――距離を操る能力を用い、あれから十分と経たぬうちに小町は買出しを済ませ、死神の身体能力をフルに使い、全ての準備を整えた。
彼女の姿がブレたかと思うと、一瞬で数十メートルも移動したりするその光景は、彼にとっては何の異変だと目を疑うようなものだった。
「嘘……だろ……?」
普段力を抜いて生きている――死神だが――彼女のイメージと、先の一連の行動は大きく食い違っていたようで、彼は終始呆然としていた。
「な……何したテメェ!?」
「瞬歩」
「……な……何だよそれ……!?」
それから、しばらくして。
ごく自然な流れで酒盛りとなり、そう言えば、と前置きして、彼は話を切り出した。
「そう言えば、小町の誕生日はいつなんだ?」
「あたい? そう言えば、いつだったかな……?」
はて、と首を傾げる小町。
過去の記憶を振り返っているようだが、どうにも彼女も忘れているようで、その表情も、疑問も晴れることはなさそうだ。
それなら、と彼は少しばかり嬉しそうに、
「一緒に祝うのはどうだ?
二人で祝って、二人で祝われて、二人で喜び合う、と」
「そりゃあいい」
くつくつと笑う彼につられた様に、小町もまた小さく笑う。
それから、二人は酒の入ったそれを手にとって、
「「二人が生まれて、出合ったことに」」
死神だと言うのに、互いの生を祝いあい、喜び合い、
「「乾杯」」
心底楽しそうに、笑っていた。
その夜、彼の家の灯りが消えることはなかったとか。
新ろだ833
「ポッキーの日?」
「ちょいと耳にしたんだ。外じゃそう言うらしいじゃないか」
11月11日。
どこで聞いたのか、小野塚 小町は、やけに嬉しそうな顔で洋菓子の入った箱を掲げていた。
1が四つ並ぶ様がポッキーに見えるから、と言う理由で、‘向こう’でも大々的に宣伝されていたのは、彼の記憶にも新しい。
「何で持ってるんだ? こっちに来るには、まだ早いような気がするが」
「いや、‘外’で買ってきたもんさ。この前の旅行の時に、ね」
そう言えば、と彼はようやく思い至った。
先月の外界旅行の際、小町は何やら買い物をしていた。
何を買ったのかと聞いてものらりくらりと返事を濁すものだから、何か事情があるものだろうと思っていたが。
「いや、溶かさずに保存しとくのは大変だったよ。
幽霊の手も借りて、何とかもたせたけどね」
「……あの中に突っ込んだのか」
確かに、人魂は非常に冷たい。
素手で触れば凍傷を追いかねないほどの冷気を身にまとっているが、まさかそれを冷蔵庫代わりに使うとは、思いもしなかった。
と言うか、入れられる側も入れられる側でいいのか。
さて、と小町は一息をついて、袋の封を開けると、ポッキーの片方を銜えて、
「ほれ」
「いや、『ほれ』って」
「何だい、せっかくの機会なんだし、やるべきだろう?」
お菓子を銜えながら推してくる小町に、ついに彼も折れたか、
「……ん」
やや緊張した面持ちで、小町の銜える側とは反対の方を口に含んだ。
(……近い)
ポッキー一つ分、有ったところでせいぜい十数センチ。
それだけしかない距離に、彼女の顔があることに、彼は内心ひどく狼狽していた。
彼女と共に過ごして随分と経つが、話をすることも、触れ合うことも、未だ慣れることはない。
いやむしろ、慣れ、飽きないほうがいいのかもしれないが、彼はとりあえずうるさい位跳ねる自身の心臓をどうにかしてほしい、と思った。
◆
一度銜えてしまえば、ゲームは始まる。
相手との距離を測りつつ、表情や視線などの手段を駆使し、どれだけ粘るかが勝負。
――――なのだが。
気づけば、彼と小町の唇は触れ合っていた。
「んんっ!?」
何故、と思う暇もなく、脳に流れ込む情報。
暖かい体温と、甘いチョコレートの香り。
口内で踊る舌と、意図せずとも漏れる声。
時間にして十秒程度経ってから、小町はゆっくりと唇を離した。
距離を操ったのか、と、彼はようやく悟った。
二人の間の距離を瞬時にゼロにすれば、接触するのも当たり前のことだ。
「さて」
一度間を置いてから大きく息をつくと、小町はもう一本、ポッキーを袋から取り出して、
「まだ余ってるんだけどなあ……腐らせるには勿体ないねぇ?」
ニヤニヤと笑いながら、手に持ったそれで円を描くように回す。
随分と遠まわしだが、彼女の言いたいことは、彼にも理解できた。
こちらを見やる小町に、彼は観念したように、
「……もう一回やろうじゃないか。今度は勝負だ」
「いいねいいね、負けたらどうするんだい?」
「俺からキスするさ。俺が勝ったら、小町から」
「よし、それじゃ……」
小町は、二本目のポッキーを口に銜えた。
ちなみに、勝負は引き分けとなったそうな。
何故って、二人とも途中で離さないんだから、勝敗なんて決めようがない。
新ろだ990
「オッス、小町」
いつもと変わらない川岸に、今日も奴はやってきた。
その場に似合わぬ陽気さをその手に。
「あんたか。また来たのかい?」
「"いつでも来て下さいね"なんて言われちゃあな。
美人と美女と美少女とイイ女の誘いは断らないようにしているもんで」
……軽口も、相変わらず。
「あまり違いがないような気がするのはきっとあたいだけじゃないね」
「ばっかお前、天と地ほど違いがあらー!」
思ったままの事を口にしてみると、案の定を抗議された。
このままにしておくと、また訳の分からない講釈をし始めかねない。
――いや、こいつならやるね、絶対。
あたいはそうなる前に、話を切り替え、気になっていた事を尋ねてみることにした。
「はいはい、無駄話はまた今度ね。
それにしても、今日はいつになく早いね?」
時計なんて洒落たものはここにはないけれど、
多分、いつもこいつがここにくるよりは……大体二刻は早い気がする。
「ああ、ちょっと仕事が長引いてな?」
「うん、それで?」
「仕事明けでそのまま来た」
「つまりは寝ていないと……」
「愚問だな」
呆れを含んだあたいの確認に、得意げに頷かれた。
やっぱり馬鹿だ、コイツ。
「それじゃ、いつもの――」
「あ、ちょい待ち」
いつもの様に、映姫様の元まで送り届けようとしたのだけれど、
掴もうとした腕を引っ込められてしまった。
少し、惜しい気もする。
「……どうかしたのかい?」
あたいが尋ねると、○○は僅かに視線を彷徨わせた。
「さすがにお前達と遊ぶのに、徹夜明けじゃまずもたない。そこでだな」
「今日は帰るかい?映姫様にはあたいから連絡して――」
「そうじゃない。その……ちょっと寝させてくれ」
「……こんな砂利の上でかい?」
こいつは馬鹿じゃなかった。間抜けだった。酔狂にも程があるね。
「ああもう、それも違う!
お前の船で寝させてくれって言ってるんだ」
訂正。こいつは大馬鹿か大物かのどっちかだったよ。
「……本気かい?これは仮にも死者を運ぶ仕事道具なんだけど」
「別に"生者が乗ってはいけません"なんてルールはないんだろ?」
言外にやめておけ、というニュアンスを混ぜてみたけれど、
どうやらこいつには通用しないようだった。ほんと、口の減らない男だ。
「確かに、そんなルールはない、けど、さ。本当にいいんだね?」
「おう、俺は寝る。お前は四時間かけて俺を運ぶ。OK?」
「……今回だけだからね」
「恩に着る」
安請け合いしたのはいいけれど。
妙に納得がいかない気がする。
不適切。
死者の船に生者が乗っていることも、
あたいとこいつが二人きりでいることも。
船に乗り込むなり、縁に身を寄せ、すぐに寝息を立て始めてしまった○○。
よく寝ているのか、身動きも殆どしない。
「いい気なもんだねぇ、まったく」
櫂を繰りながらため息をつく。
"黙っていればそこそこいけているのに"とは、あたいと映姫様の共通の認識だったりする。
もちろんこいつの前でそんなことはおくびにもださないけどね。
こいつが黙っているのは寝ている時くらいのもので、つまり普段は黙っていないことがない。
もう少し静かになってくれれば、もっと――
「ん……ぅ……」
軽く寝返りを打った○○の声を聞いて我に返る。
「……何考えてるんだよ」
別に恋仲でもないのに。
あたいじゃない。こいつが好きなのは、きっと映姫様。
あの鬼上司を楽しそうにからかうこいつと、
怒りながらもどこか嬉しそうな映姫様と。
どこかの朴念仁でもなければ、映姫様が○○を好いているのは一目瞭然だった。
だから。
だから、あたいからは。私からは、必要以上に関わりを持たないと決めたっていうのに。
だというのに、こいつときたら。
「お構いなしすぎるんだよ、まったくさ」
こっちは諦めようとしてるってのに、ずけずけと好き勝手に踏み込んでくる。
ほら、今だってこんなに無防備に寝顔をさらして。
――魔がさしちまうじゃないか。
「これくらい……いいですよね、映姫様」
彼の傍らに座り込み、身を預ける。
暖を取るのとはまた違う、柔らかな温もりを感じた。
どれくらいそうしていたかは分からない。
そろそろ映姫様の所にでも送ってやろうと思って、
立ち上がりかけたその時
「もういいのか」
「きゃん!?」
今ので寿命が五十は縮んだって思えるくらい、心臓が跳ね上がった。
「おい、落ちるぞ――ほれ」
何かに引っ張られる感触。
「な、あえ、あ……」
頭が真っ白になって、言葉が出てきてくれない。
「ほら、落ち着け。一緒に深呼吸でもしよう。
さあ、アーン、ドゥー、トロヮー」
そうだ、こういう時は深呼吸だ。
「あーん、どぅー……って、何やらせんのさ!」
途中で我に返る。あれ、なんであたいはこいつの腕の中に――
「……飛び上がるのは構わないんだが、バランスを崩すとはらしくないな、小町。
なんかあったのか?」
だめ、顔が近い。落ち着け、あたい。喋るんだ。
「――何もないよ。離しとくれ」
「んん……美人と美女と美少女とイイ女のお願いは断らないようにしている俺だが、
今回ばっかりは聞いてやれないな」
「離せっていってるじゃないか」
「嫌だね。今のお前は何だか――いや、うん。そのツラじゃだめだ。だから断る」
「……ふん」
せめて目を合わせなくて済むように、顔を逸らす。
「何があったかは知らないが」
あたいを腕に抱えたまま、○○は話を続ける。
「――その、なんだ。俺でよければいつでも相談に乗るから、さ」
あんたが悩みの種だってのに。……言えるわけないよ。
「だからそんな顔は止せ。な?」
「何のことだかね。さっきのは……お前さんを、ちょっと困らせようとしただけさ。
悪戯だよ、悪戯」
「……、そうか。ならそういう事にしておこう」
苦しすぎる言い訳に、○○はまだ何か言いたそうにしていたけれど、やがて頷いてくれた。
「そういう事にしておいておくれ。それじゃ、行こうか?」
「ん」
○○の腕を解いて立ち上がる。
彼はいつもと違い、あたいの手を握ってきた。
ほんのちょっとだけ、握り返す。
「それじゃ、頼むよ」
「――はいよ」
「おっす、ちびっこ。元気してたか」
「私の、名前は!四季映姫・ヤマザナドゥです!いい加減に覚えてください」
「シャバダバドゥ?」
「ヤマザナドゥです!」
○○は映姫様の所へ辿り着くと、もういつもの感じに戻っていた。
あたいはというと、さっきまで握られていた手の暖かさに、
まだ少しどきどきしていたりした。情けないね。
「……いやでも結局、小さいのは事実だろ……」
「――裁きますよ?」
おっと、いけない、止めないと。
映姫様が杓を構えてるや。
「映姫様、落ち着いて。こいつはただの人間ですよ」
「わ、わかっています!」
「ほら、小町のほうが大人じゃないか。せめてこれくらいにはならないとなー?」
それだけ言うと、○○は脱兎のごとく走り出した。……元気だねぇ。
「人間ではありますが――ですが、少しお灸を据える必要のある人間のようですね」
ああ、これはもう駄目だ、止められない。
「程々にしてくださいね。魂増やされてもあたいが面倒になるだけですから」
「分かっています。……あ、それから、小町」
「はい?」
○○を追いかけるフォームを取っていた映姫様は、こちらを見ずに、ぽつりと呟いた。
「私、負けませんから」
「へっ?」
「それだけです。こらー、○○、待ちなさーい!」
あたいがその言葉を理解するよりも早く、映姫様は飛び立っていってしまった。
「負けないって、もしかして――いや、まさか」
○○が好きなのは……そんなの有り得ないと思う反面、
そうであって欲しいと思う自分もやっぱりいたりして。
なんだ、結局諦めきれていなかった。
「仕方ないねぇ……おーい、二人とも、落ち着きなってばー」
一度は諦めようとしたモノに近づくべく、
あたいはとりあえず二人を追いかけることから始めることにした。
最終更新:2010年08月06日 21:47