映姫6
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8スレ目 >>192
おや、天狗の記者さんが俺に何の用事だい?
俺はただの一人間、記者さんが望むようなネタはないぜ。
―――何を言っているんですか、貴方と閻魔の仲は仲間内で有名ですよ。
さいですか。天狗ってのはホント噂に敏感だねぇ。
ま、いいや。それで何が聞きたいんだい?
―――そうですね、何故閻魔と人間が付き合うことになったのかその理由と過程を。
理由は俺は知らんぞ、本人に聞いたらどうだ?
ん? 俺か……俺の理由はただ一つ、 惚 れ た か ら だ ! それ以外の理由が必要かい?
……こほん。取り合えず過程だったら話せるとは思うがね……まあ、なんだ。
だとすれば、まず俺がここに来た状況から話さないとならない。
俺は休日中に仲間と遊んでたら、こっちに迷い込んだ。
そして人間の里で上白沢さんに保護されて幻想郷ライフを送ることになったわけだ。
といっても、最初のうちは散歩してぶらぶらしてただけだった訳だが。
―――それは良く知ってます。普通とは違う格好の外の人間が来たと言う話は、割と話題になりましたから。
あっそ、じゃあ別にいいかな。
んで、俺は散歩中に泥棒と間違えられるというハプニングに遭遇した。
―――彼女との出会いはその時だと?
そう、そうだ記者さん。
俺が彼女に出会ったのは、幻想郷に来てから3週間ぐらいしたあの日だ。
あの時は、まだ俺は幻想郷に馴染めてなくてな…そうだよ、何せ見つかった状況が状況だ。
ついてなかったって今なら笑えるさ。ん? 幻想郷に来たことはどうかだって?
最初は災難だと思ったさ。俺は外の人間だし、家族も仕事もあった。
でも、今はそれでいいと思ってる。
だってさ、彼女に出会えたんだから。それは俺の人生の中で最高の幸運だと思ってるぜ。
えっとだな、その時は……
それは、彼が幻想郷に迷い込んでから三週間が経ったある日のことだった。
人里のど真ん中、商店が並ぶ市の隅に人だかりが出来ていた。
その中心では、青年と中年男性が言い争いをしているらしい。
脇に立っている女性が場を治めようとしているが、中年男性は青年を非難することを止めようとしない。
逆に周囲の観衆を扇動し、青年の糾弾が行われている始末だ。
「じゃあこの袋は何だ!」
「そいつが置いてった奴だって言ってんだろ!」
青年は必死に反論するが、数の暴力の前にはそれはむなしい抵抗でしかなかった。
観衆の彼を見る眼がだんだんと悪くなってゆく。
何故この様な事になったのだろうか。それを知るには、凡そ20分ほど時間をさかのぼらなければならない。
彼は散歩中に無人の店からでかい袋を持っていた男を発見し、不審に思って声をかけた。
すると男は袋を放り出して逃走、袋の処置に困った彼は、袋の中身を戻そうと思ったところを店主に発見された。
それが泥棒に誤認され、現在に至る。
そう、彼は無実の罪を着せられて糾弾されていたのだ。
さらに運の悪いことに、彼はここに来てから日が浅く、人々からの信頼をまだ得ていない。
それがこの糾弾集会を引き起こす原因となってしまった。
この中年男性は、彼を信用していない筆頭だからさらに性質が悪い。
「困ったな……私としてはお前を信じているのだが、証拠がないとどうしようも出来ない」
「さいですか」
一番の頼りであった女性、上白沢慧音もこの状況ではどうすることも出来ない。
一切の後ろ盾がない彼は、絶望とも言える状態で彼らの不当な非難を浴びつづけていた。
このままでは彼に何かしらの制裁が及ぶのは確定である。
彼が神も仏もこの世に居ないのか、と半ば絶望した瞬間、突如として誰かがその輪の中に入ってきた。
「お待ちなさい」
凛としたその声に反応するかのように、人々のざわめきが大きくなる。
青年ははっとしてあたりを見回すが、声の主の姿を見ることは出来ない。
人々も誰だ誰だと言う様子であったが、直後人々はまるでモーゼの十戒のように分かれて1つの道を作り出した。
そしてついに、闖入者は青年の前にその姿を見せたのだ。
「その審判、私が預かりましょう」
とても慈悲深い目をした緑の髪の少女、それが彼女の第一印象だった。
その姿を見た人々はどよめき、慧音も驚きを隠せないで居る。
だが、幻想郷に来て日が浅い青年には彼女が誰で、どういう種族なのかわからなかった。
そんな彼をよそに、少女は一瞬で場の空気を支配し、高らかに宣言する。
「浄玻璃審判。過去の行いを見つめよ!」
少女は誰に言われるでもなく青年の前に出ると、手鏡を彼にかざした。
それがどのような道具であるか彼に知る由もないのだが、しかしそれが己の無実を証明してくれるということだけは、頭のどこかで理解していた。
鏡に映し出される己の姿。だがそれは、今現在の彼ではなく、20分ほど前の姿。すなわち、泥棒を追い払っているまさにその状態を映し出していたのだ。
そして少女は満足したかのような笑みを浮かべて振り返り、人々に宣言した。
「この者無罪、以上閉廷!」
それが幕引きだった。
糾弾集会も、彼を非難する声も、全てが終わった。
そして彼は理解した。自分はこの少女に助けられたのだと。
なんて礼を言ったら分からない。だが、何か何か言わねばならないと思って彼は彼女に話し掛けた。
「あの、ありがとうございます。助かりました」
「礼には及びません。これが私の仕事ですから」
彼女はそう言って、彼の前に立った。
小さいな。それが第二の感想。彼と比べれば、彼女はとても小さい。背が低い。
だから見下ろす形になってしまったのだが、彼女はそれを意に介す様子はない。
じっと自分を見つめるその瞳をじっと見ていると、まるで心の中すら見られているような気分になってきた。
そして、彼女は突然話し始めた。
「自己紹介をしていませんね……はじめまして、私は四季映姫・ヤマザナドゥと言います」
軽くお辞儀をして挨拶する彼女に、彼は慌てて言葉を返そうとする。
しかし、意識が飽和状態に近いためうまく言葉を返すことができなかった。
「あ、ああ……自分は○○と言います。その、はじめまして」
やってしまった。彼はそう思った。
あまりにも下手な己の対応を呪いたくなるくらいの失態だった。
だが、彼女はそれを気にする様子もなく何かを話そうとしたが、何かに気づいたのかはっとして言葉を止める。
「あら、いけない。もうこんな時間ですか……御免なさい、今日は貴方に用事があって来たのに、何も話せませんでした」
彼女が頭を下げて謝るのを見て、飽和状態に近い彼の思考はオーバーフローを起こし始めていた。
辛うじて言葉を搾り出すが、それは余りにもガチガチなものであった。
「え、ああ・・・俺に、用事ですか」
「そうですよ。でも、貴方を探すのに予想以上に時間がかかってしまって……今度はちゃんとお話したいものです。では、これで」
彼女は一礼すると、人里を離れ遥か遠くへと飛んでいった。
僅か数分でその姿が見えなくなったが、彼は彼女が消えた方向をずっと眺めている。
去り際に見せた残念そうな表情が、彼の脳裏に刻まれた。
……こんな感じだな。
今でも当時のことはよく覚えているよ。
―――彼女は何故あなたを助けたのでしょうか?
さあねぇ、そればかりは本人に聞いてみないと分からないな。
そうそう、あのあと上白沢さんに話を聞いたんだ。彼女のことについて、さ。
返ってきた答えはこんなだぜ?
「お前実は極悪人なのか?」
そりゃないよって思ったさ。俺は清く正しく生きてきたって自負があったしな。
ま、それは杞憂だったわけだがね。ハハ、何時来るかビクビクしてたもんさ、当時はな。
―――なるほど。
今のはまだ序章、俺達が初めて出会った時の話さ。
次は、俺と彼女がやっと普通に会えた時の話だが……そうだな、これを飲んでからにしようか。
心配しなさんな、酒は逃げるかも知れんが俺は逃げも隠れもしないぜ。
というわけで夜雀さん、一杯くれ。
天狗さんもどうだい、まずは一杯やらないか? 酒が進めばもっといい話しも聞けるかも知れんぜ。
~青年飲酒中~
―――そろそろよろしいですか?
ん? ああ、分かった。あれはその日から一週間後だったな。
いやあ、その一週間は怖かったぞ。たとえて言うなら、何時リストラされるか分からない窓際社員……何、よく分からない?
んー……そうだな、まあ分からなければそれでいいよ。
ここは重要なところじゃないし、な。もう話してもいいかな?
―――どうぞ。
あー、あの時は本当にネガティブでな……
霧の湖のほとり。妖怪がよく出没すると言われるそこに、青年は一人でいた。
岸に座り込んで湖に石を放り投げてはため息をつく。
一つ投げ、二つ投げ、それを何度も繰り返しては顔を膝の上にうずめている。
余りの陰気ぶりに影響されたのか、少し離れた場所では湖に住む氷精が気だるげに氷の上に寝そべっていた。
「……はぁ」
深い溜息を1つ。
彼の気力は溜息のたびに低下し、今ではマイナスにまでなっているのではないかと思えるくらいに負のオーラが発せられている。
このような状態になったのは理由がある。慧音からある話を聞いたためだ。
他の要因も在るにはあるだろうが、殆どの原因はそれしか考えられない。
その話の内容とは……
……四季映姫・ヤマザナドゥは閻魔だ。
……彼女が生きている人間に用事があるときは、大抵そいつは犯罪者で、今のままだと地獄行きが確定の奴だ。
そう、彼女の正体とその行動理念である。
話がある、ということは説教されるということだろう。とすると、彼は重罪人ということになってしまう。
だが、彼は己が清く正しく生きてきたという自負があった。
それ故に深く悩み、その結果モチベーションが低下して湖畔でこのように溜息ばかりをついていたのだった。
「……ふぅ」
悩めば悩むほど溜息が出てくる。
なんと言う悪循環か。彼はそれを理解していたが、悩むことを止めようとはしなかった。
何が悪かったのだろうか。己の落ち度を必死に探そうとしているのだ。
「はぁぁぁ……」
今までで一番深い溜息をついて、彼はごろんと寝転がった。
何故ここまで悩む必要があるのか、自分自身でも分からない。
地獄に落ちるのが嫌だから? いや、もっと別の理由があるのかもしれない。
ではそれは何か? 答えは出てきそうになかった。
今では溜息が静かな湖畔における唯一の雑音と化し、それ以外の音が耳に入らなくなってくる。
さらにそうすること数十分。もはや溜息の数を数えることすら億劫になった。
「ホント、やだねぇ……」
悩みつづける自分に、そして先ほどから長く感じる時間に嫌気を感じたとき、急に後ろから声をかけられた。
「何が嫌なのですか?」
「!?!?!?」
聞き覚えのある声に、彼は慌てて飛び起きる。
そして振り返ると、そこには一週間前に見た彼女、つまり四季映姫・ヤマザナドゥの姿が。
突然の来訪に戸惑いを隠せず、うまく言葉が出せない青年に、彼女は微笑みながら声をかけた。
「隣、よろしいですか?」
青年は辛うじて「どうぞ」と言うと、彼女は彼の横に座る。
何を言ったらいいのか分からない。そのまま言葉もなく過ごす事数分、彼は意を決して口を開いた。
「あ、あの」
「何でしょうか?」
にっこりと微笑み、彼女は彼の顔を見た。
この人は自分が今から何を言うか分かっているのではないだろうか。
そんなことを思いつつも、彼は言葉を口にした。
「俺、何か悪い事したんですか?」
ガチガチになりつつも、何とかそれだけは搾り出すことが出来た。
すると、彼女はやや呆れながらも、優しく話し掛けた。
「先ほどから元気がないように思えましたが、なるほど……そのようなことで悩んでいたんですね」
「はぁ」
気の抜けた返事だ。彼は自分の対応の下手さを嫌悪した。
しかし、彼女は「心配しなくてもいい」と言わんばかりに微笑み、遠くを見ながら言葉を続ける。
「逆です。貴方は裁判を受けても間違いなく転生が出来る人間ですよ……今日私は説教しに来たのではなく、お礼を言いに来たのです」
「お礼ですか? 俺、貴女に礼を言われるようなことは何も……」
彼女と会うのは2回目だし、1回目なんて助けられただけだ。
そんな自分に、閻魔様が何故お礼を言うのだろうか。
考えてみるが、その回答を得ることは彼には出来ない。
「いいえ、私ではありません。私の友達です」
「友達……ですか」
友達。閻魔の友達。
頭の中から持てる知識と記憶を総動員して思い出そうとするが、やはり駄目だった。
閻魔の友人といわれても、思いつくものは何もない。
「貴方の生家の裏の山に、朽ちた地蔵がありましたね」
その言葉をキーワードに、彼は己の記憶をサルベージする。
実家の裏山、その中にある古い道、誰も通らぬ忘れられた場所。
その片隅に置かれた、苔むして朽ちた地蔵。
そして思い出した。彼が7つの時に裏山に入って見つけたあの地蔵。
誰にも思い出されずに朽ちたその地蔵が可哀想に思えて、当時の彼は親に内緒で地蔵の掃除をしたことを。
食べ物をこっそりお供えして、水もあげた。
つい最近まで、月2回山に入ってはそれを繰り返していたことを完全に思い出した。
「貴方は誰に言われるまでもなく、その地蔵を助けました」
「は、はぁ」
今まで見た事もないような微笑に魅せられ、うまく言葉が出てこない。
「そして、貴方はその地蔵だけでなく、地獄の亡者すら救ったのです。貴方に感謝している霊もいます」
「そんな……俺はただ……」
まさか地蔵一体を綺麗にしてお供え物を供えただけで、そこまでの事になっているとは。
彼は自分のやったことのスケールの大きさに、驚きを隠せないでいた。
まさか地獄の方まで話が進んでいるなんて、普通の人間である彼には想像すら出来ない。
「実は彼女は私の古い友人でして。貴方が来なくなったのを心配して、私に相談しに来たのですよ」
「……そうだったんですか。お地蔵様って義理堅いんですね」
彼女の話を聞きながら、彼は自らの運命の数奇さを感じていた。
家の裏山の地蔵、幻想郷の閻魔、そして幻想郷に迷い込んだ自分。
余りにも出来すぎた話だ。まるで、脚本が完成した演劇のような。
そう思っていると、彼女は少し間を置いて口を開く。
「ええ、地蔵は受けた恩を忘れませんから」
同時に見せる、まるで全てを包み込むような微笑み。
彼はそれに見とれ、呼吸をすることすら忘れてしまう。
そして理解した。己の胸の内に湧き上がる、今までにない感覚を。
……彼女に惚れた。
顔面が熱くなる。今どんな顔をしているのか、想像したくもない。
そんな彼をよそに、彼女は背後から包みを取り出した。
「彼女の代理として、貴方に礼を言いましょう。ありがとう、これは彼女からのお礼です。そしてこれは私からの……」
彼女はそういって包みを青年に渡すと、彼のそばへと距離を寄せる。
何をするつもりだろうと彼は思ったが、次の瞬間頬にやわらかいナニカが触れた事を感じ、思考が停止してしまう。
瞬時に断線寸前になった脳神経を根性でつなぎ合わせて、彼は現状を把握しようとした。
隣には、頬をほんのり紅く染めた彼女の顔。
そして、頬に感じたやわらかいモノ……答えが出るのは非常に簡単だった。
「え、ええ、閻魔様!?」
あまりの事態に、彼はは首から下を動かすこともを忘れてしまう。
体はそのまま、首から上だけが忙しなく動くその姿は、傍目から見ればものすごくシュールであった。
彼女は悔悟の棒で口元を隠しながらも、言葉を発した。
「言葉だけでなく私も何かを渡すべきだと思いましたが、彼岸には貴方が喜びそうなものがありませんでしたから……その、このようなものを」
その言葉はあまりにも初々しくて、とても可愛らしくて、愛らしかった。
青年も閻魔も顔を真っ赤にしたまま、そのあと暫くの間湖を眺めつづけていた。
―――いきなりキスとは閻魔様も積極的ですね。
それを言うなよ、俺も惚れたんだぜ。
だってさ、可愛かったんだからよ。
ん? そのあとはどうしたって?
ああ、特に何もなかったよ。日が落ち始めて、俺は人里に。彼女は彼岸に帰ったさ。
つまらない? おいおい、俺を何だと思ってんだよ。
―――今だから言うけどさ、実は四季様ってさ、あんたに会う前からあんたに興味を持ってたよ。
へえ、そうだったのかい小町さん。
―――地蔵様の話を聞きながら、あんたのことを何度も質問する姿はほんと初々しくてねえ……例えば「その方はどのような物が好きなのでしょうか」とかさ。
俺はそんなに魅力的な男じゃないと思うけどねぇ、まあ閻魔様を陥落させるくらいの魅力は持っていたかな。はっはっは!
おっともう一杯。ふふ、まだ俺の話は続くぜ。
これで終わりの訳無いだろう? っと、サンキューサンキュー。
次の話も一杯飲んでからだ。まだ夜は長い……そこの兄ちゃんらも俺らと一緒に飲もうぜ。
―――次の話はどのようなもので?
あー、俺が無縁塚に行ったときの話だ。
あそこで小町さんとも遭遇したなぁ、自殺志願者に間違えられてさ。
ホントひどいぜ。俺ぁ自殺なんて考えたこともないのにさ。
―――仕方がないさ、あそこは自殺志願者がおおいからね。あたいも仕事が増えるのが嫌だから目を光らせてるんだ。
そんなことばっかしてると映姫に怒られるぜ?
ま、いいや。兎に角俺は無縁塚に行ったわけだよ。えーっと、目的は珍しいもの探しだったな。
……途中で妖怪に遭遇しなかったのは幸運だねぇ。
「此処が無縁塚か、陰気だね」
遠征装備に身を包んだ彼は、人里をかなり離れたところにある無縁塚にきていた。
遠征装備とは幻想郷に迷い込んだときの格好である。つまり、外の世界の衣服だ。
幻想郷の服装に比べると、遠出するのに優れている。
彼はつい先日読んだ本で、ここ無縁塚に紫色の桜がある事を知り、それ確かめるべく此処にやってきた。
百聞は一見にしかず。やはり本で見るよりも、実際にこの目で見たほうがいい。
「外の道具がいくつか落ちてるな……これは廃タイヤ。これは……冷蔵庫? 粗大ゴミの不法投棄現場か此処は」
外の世界に極めて近いと言うこの場所は、よく外の世界のものが落ちていると言う。
今となっては懐かしい代物を物色しつつ、彼はどんどん奥へと進んだ。
拾ったものは、少し錆びたサバイバルナイフ一本、マンガ雑誌数冊、バイク用のヘルメット。
「香霖堂に持っていけば少しは金になるな」
こういう外の世界のものを拾っては分別し、香霖堂に持っていくことは彼の日課だった。
幻想郷といえども、生きるにはお金が必要なのである。
耕作は性に合わないと考えていた彼は、このようにして暮らしていたのだ。
「よし、これくらいにしておこうか」
ある程度の物色が済むと、彼は無縁塚の奥へと向かい、目的のものを発見した。
妖怪桜である、紫の桜だ。
本来なら薄いピンク色である花びらは、此処にある桜だけ紫色である。
「おお、これが噂の紫の桜か。これは不気味だぜ」
彼は素直な感想を口にしていた。やはり桜は、普通の色のほうがいい。
そんなことを思いつつ、彼は近くの石の上に腰を下ろして鞄の中に手を入れた。
「念願のポラロイドカメラだ! 記念撮影といくか」
鞄の中からポラロイドカメラを取り出すと、紫の桜へ向けてシャッターを押す。
フラッシュが薄暗いこの場所を、僅かだが照らす。
それから少し待つと、カメラからフィルムが吐き出されてきた。
写し出された桜には、なにやら顔や手のようなものが写っている。典型的な心霊写真だ。
「うむ、いいね。だが心霊写真になると言う話は本当だったか」
心霊写真と化したそれを眺めつつ、彼は今が正午あたりであることに気がついた。
空腹を感じ始め、弁当を食べようかとかばんの中に手を入れる。
その瞬間、遥か遠くのほうからすさまじい剣幕で誰かがやってくるのを認識した。
「待ちな!!」
せっかくの昼食の時間を邪魔された彼は、ものすごい不機嫌な表情で闖入者へと視線を向けた。
やってきたのは赤毛の、割と背が高めで胸も大きい女性。
手にはなんかくねくねした鎌。話に聞いたことがあるが、俗に言う死神なのだろうか。
「自殺なんてさせないよ。そんなことしても、同じ苦しみを延々と味わうだけだ」
「何を勘違いしてるか知らないけれど、俺は自殺する気はこれっぽっちもないぞ」
超が付くほどの勘違いが理由で昼食を邪魔された彼は、人生で一番恨みを込めた視線を向ける。
だが、女性はそんなことなど意に介さず、彼が自殺するという前提で話を進めていた。
「いーや、自殺する奴に限って自殺しないと言うからね!」
「自殺しない奴もそういうがな」
話が通じない。
彼は即座にそう判断した。
ならば答えは1つだけ、此処に残るのは得策ではない。
荷物をまとめて撤収しようとした彼だったが、それは予想外の人物によって妨げられた。
「何遊んでるんですか小町!」
「きゃん!」
何処からともなく響く、目の前の女性を叱り付ける声。それには聞き覚えがある。
自分の記憶をサルベージした結果、彼はある結論に達した。
「閻魔様!?」
彼の言葉に反応するように閻魔様、すなわち四季映姫・ヤマザナドゥがその姿をあらわす。
格好は以前と変わらず、しかし今は少し怒っているらしい。
原因はどう見ても、目の前で正座している女性……名前は小町と言うようだ……である。
「貴方は……2週間ぶりでしょうか。元気にしていましたか?」
「ええ、おかげ様で」
彼は映姫の言葉に、以前よりもはっきりとした口調で答えた。
3度目になれば少しは慣れている、ということだろう。
「まったく、小町ったら無縁塚に誰かが踏み入れただけで勘違いするんだから」
「はぁ」
叱られた時からずっと正座している小町を一瞥すると、彼女は軽く咳払いした。
そして、少し考えるような仕草をすると、彼女は口を開いた。
「まあ、お昼時ですし少し休憩にしましょう。私もお腹がすきましたし……小町も、どうですか?」
「はい!」
休憩だと聞いた瞬間に飛び跳ねて喜びをあらわにする小町に二人して苦笑しつつ、彼は鞄の中からおにぎりを出した。
中身は梅干。飲み物は冷たい麦茶である。
すっかり和食派と化した彼の、これが基本的な携帯食だった。
しかし、なんとも居づらいものだ。彼はそう思った。
何故なら、彼女は地獄の閻魔様。人間とはかけ離れたくらい高貴な存在である。しかも可愛い。
そんな人物と暢気に食事することが、果たして1人間に出来るだろうか?
故に、彼は1つだけ質問しようと思い、それを実行に移した。
「あの、閻魔様」
「映姫、です」
だが、彼女の予想外の突然の言葉に、彼は呆気に取られてしまった。
その言葉を理解するには、彼は余りにも経験がなさ過ぎたのだ。
「は……?」
「ですから、閻魔なんて役職名ではなく、名前で呼んでください」
一瞬思考が飽和してしまうが、彼は直ぐに状況を理解しようと試みた。
結果、彼は彼女が言いたいことを理解することに成功した。
つまり彼女は、自分に名前で呼んでほしいのだ。
非常に畏れ多い行為では在るのだが、彼女の希望を無碍には出来ない。
だから彼は、勇気を振り絞って彼女の名前を呼んだ。
「映姫……さん」
しかし、彼女はそれでは満足していないらしい。
「呼び捨てでも構いません。そこまで堅苦しくする必要はないのですよ?」
「は、はぁ……じ、じゃあ、映姫」
女性を呼び捨てするなんて初めての経験に、彼はまたガチガチに固まってしまう。
それでも辛うじて名前を呼ぶと、彼女はとても喜び、両手を合わせて頷いた。
「はい、なんですか?」
ここに来て、ようやく彼は自分の疑問をぶつける機会を得たのだ。
まだ緊張は抜けきれてないが、それでも彼は言葉を口にすることが出来た。
「……えっと、その。俺が一緒に食事して良いんですか?」
彼の質問は予想どおりだったのか、それとも既に通った道だったのか、彼女はにっこりと微笑み、それに答えた。
「それは愚問です。私が食べよう、と言っているのです。ですからあまり肩に力を入れないように。それが今の貴方に出来る善行よ」
「は、はぁ」
彼女の言葉に答えた後、彼は自分の対応の下手さを再び恨んだ。
歯切れが悪すぎる。これでは駄目だと思ったが、二人の様子を見ていた小町は、何かを察したかのように割って入った。
「……おや、これはもしかして四季様あれですk」
「小町は黙ってなさい!」
「きゃん!」
が、それが映姫のお気に召さなかったのだろう。
彼女は脳天に一撃をもらい、可愛らしい悲鳴をあげるとその場に突っ伏した。
しかし余り間をおかずに持ち直すと、頭をさすりつつ彼の方向を向いた。
「いたたたた……ああ、さっきは悪かったね。あたいは小野塚小町。三途の川渡しさ!」
「どうも、俺は○○です。見てのとおりのただの人間ですよ」
少し遅めの自己紹介であったが、彼は多少の余裕を持ってそれに答えた。
彼はそんな小町を見て、随分と蓮っ葉なしゃべり方をする人だな、という感想を抱く。
すると彼女は、急に彼の肩に手を回すと、身を乗り出して彼の耳元に口を近づけた。
そして、本当に小さな声で耳打ちをする。
「アンタのことは知ってるよ、四季様直々に御礼をしてもらったそうじゃないか」
「いや、そんな……」
「お礼」の内容を思い出し、彼は顔がカーっと熱くなるを自覚した。
今どんな顔をしているのか、鏡を見なくても分かりそうなぐらいに顔が熱い。
勿論小町はそれを見逃すはずがない。ニヤリと笑うと俺から離れて言った。
「何顔を赤くしてるんだい。ははぁ、さては……」
「小町は調子に乗らない!」
「きゃん!」
しかし、それが災いし、再び脳天に一撃を受けて小町は再度突っ伏す羽目になった。
懲りない人だと彼は思ったが、その光景は余りにも暢気で、それでいて愉快に感じられる。
心のそこから面白いと思った。だから、こみ上げてくるそれを止めることはしなかった。
「あははははは!」
その時、彼は幻想郷に来てから初めて、大声をあげて笑った。
今までの間、幻想郷の住民との軋轢や、妖怪への怯え、帰郷の念が混ざり混ざって笑うことなんか殆どなかったのだ。
それが、今じゃ閻魔と死神の掛け合いを見て笑っている。
おかしなものだと思った。人間よりも、人間以外と居る方が落ち着くなんて。
そう思ってると、二人が揃って自分を見ていることに彼は気づく。
「……おや、いい顔で笑えるじゃないか。最初見たときは陰気な感じがしたんだけどねえ」
「そうですね……私も最初貴方を見たときは、何か思いつめてるように感じましたね」
二人はそう言って、彼の笑顔の感想を言った。
しかし、二人には悪気は無いのだろうが、あまりにもネガティブな自分の評価に笑い声のトーンが下がることを抑えることは出来なかった。
ついでに顔もうつむき加減になる。
「はははははは……」
それを見た二人は、大慌てでフォローに入ろうとした。
しかし、よっぽど慌てているのか、二人のフォローはどこか外れている。
「い、いやでも死神の間では見た目暗そうでも実はポジティブな人間は多いってもっぱらの評判で……」
「そ、そうですそうです! 見た目が暗くとも心はバーニングサンでハートフルな……ああっ、私は何を言っているのでしょうか!」
彼は思った。閻魔に死神がたった一人の男の機嫌を損ねたと判断しただけで此処まで狼狽するなんて。
だが、それがとても可笑しかった。
「まったくもう、小町が余計なことを言うから……」
「そりゃないですよ四季様、四季様だって言ったじゃないですか」
なんと微笑ましい光景なのだろうか。
知らぬうちに頬が緩んでいく。
そして彼は、また二人をからかおうと思った。
「どーせ俺は根暗ですよー、根暗人間ですよー」
わざとらしくいじけているような感じで、地面に「の」の字を描く。
傍から見れば演技だと言うことは丸分かりなのだが、映姫はもう必死になって大慌てでフォローし始めた。
「い、いえ貴方は決してそんなものではなく、もっと素敵な……って小町何笑ってるんですか!」
それが面白かったのか、小町は大声をあげて笑った。
彼も顔を上げて、それを肯定する。
「あはははは! 四季様可愛い! あんたも幸運だねえ、こんな可愛い四季様を見れるなんて」
「そうっすね、映姫はすごい可愛いですよね!」
今までの反動なのか、彼のテンションは今までにないほどあがっていた。
言うなれば、「俺は最初からクライマックスだぜ」だろう。
先ほどまでの緊張は遥か彼岸へ消えたのか、彼の口調も完全に砕けていた。
ちょっとやりすぎたかな? 彼はそんなことを思ったが、ふと映姫の顔を見れば、どんどん赤くなってゆくのがわかった。
「か、可愛いなんて……」
どうやら彼女は、可愛いといわれることになれていないらしい。
それがまた可愛く、そして何よりも愛しく感じられる。
「可愛いっすよ、今のもグッド! こんな可愛い閻魔様に裁かれるんだったら俺本望!」
そう言って彼は、映姫を後ろからぎゅっと抱きしめた。
テンションが上がりすぎで何をしているのかという自覚もあまりない。
「きゃ! な、何を……」
彼のの突然の凶行、もとい行動に驚いた彼女ははっとして彼の顔を見上げた。
その頬がほんのり赤く染まって見えるのは、彼の気のせいではないはずである。
しかし、自分を見るその瞳をじっと見ているうちに、急に彼は罪悪感がこみ上げてくるのを感じた。
何故急にそんなことを感じたのか、彼には分からない。
「……うっ」
今まで緩んでいた頬は急に締まり、彼女を見る目つきも険しくなる。
急に外の世界から此処に迷い込み、ここで暮らしつづけることが、何故か悪いことのように思えた。
何故だろうか。彼女が閻魔であることが関係しているのかもしれない。
だから彼は、今此処で全部吐き出そうと思った。
本心を。偽り無き真実を。
彼女なら、多分聞いてくれるだろうから。
「……俺、このまま幻想郷に住んでていいのかな。住民とうまくやっていけてないし、外には親も、いるし……」
静かに、だけど決して偽らずに本心を話す。
彼の突然の懺悔に近い告白に彼女は少し驚いたようだったが、眼を閉じて静かに話を聞いていた。
小町はもっと驚いたようだったが、彼女に全てを委ね様と思ったのか、何も言わない。
「でも、外の世界に帰るのが怖いんだ。外に俺の居場所がもう無いかも知れない……でも親のことは心配で……だけど……」
それは、幻想郷に来てからずっと思いつづけていた事。
妖怪を恐れて人里に住み着き、己の性格ゆえに人々と上手く馴染めない彼の、心の叫び。
「幻想郷にも居場所がなくて、外にも居場所がないなら・・・・・・俺は、俺はどうすればいいんだ!」
彼は悩んでいた。
外の世界の両親のことを思えば、外に帰りたいと思うようになる。
だが、既に帰る機会は失われていた。
一月以上も行方不明になっている現状、自分の居場所はもう何処にもないかもしれないという恐怖があった。
そんな状態で帰っても、逆に両親の負担を増やすかもしれない。
だが、だからといって幻想郷に残るのも辛かった。
己の性格ゆえに要らぬ事を口走り、トラブルを招いたことは一度や二度ではない。
映姫と始めて会ったときのあの糾弾集会も、元はと言えば己の言動が根本的原因ではないのか。
「どうすりゃ……いいんだよ……」
最後には彼は泣いていた。
まるで母親に泣き付く子供のように、声を上げて泣いていた。
映姫はそんな彼を優しく抱くと、その耳元で小さく、しかし深い慈悲を込めて語り掛ける。
「ご両親を心配する気持ちは誰もが持ちます。しかし、巣立ちはいつかは訪れるのです。
ですが心配は要りません。例え無言の別れであっても、もしも貴方を信じているのならば貴方のご両親はきっと、貴方の無事を確信するでしょう」
いまだ泣き続ける彼の髪を撫でながら、まるで聖母のように彼女はやさしく、言葉を続けた。
「そして貴方は今、暗闇の中に居ます。何処へ向かえばいいのか、どちらが正しいのか分からないでしょう。
でも、安心なさい。明けぬ夜は在りません、たとえどのような事が起きようと、夜明けという結末がやってくるのは決められたことなのです」
彼は泣き続ける。心の全てを洗い流すかのように。
「外の世界には素晴らしい諺があります。信じるものは救われる……あなたも、自分を信じなさい。
そうすれば、そう遠くない未来、貴方は報われるでしょう」
全てを包み込む優しさの持ち主。
それが彼女、四季映姫・ヤマザナドゥだ。
幻想郷では説教魔として妖怪から恐れられ、また一部の人間からも煙たがられる彼女であるが、彼女の行動理念は常に慈愛である。
それが説教という形で表に出ているため勘違いされているが、小町はそのことを誰よりも良く知っていた。
何故なら、彼女は映姫をずっと昔から見ていたのだから。
だから何も言わず、二人の姿を少し遠くから見ていた。
「人間ってのは難儀なものだねぇ」
今だ泣き続ける青年の姿を見ながら、小町は誰にも聞こえないようにつぶやいた。
―――閻魔様らしい話ですね。
―――四季様は人生相談も受け付けてるんだよ。
えーい人が話してる最中に割り込むな二人とも。
まったく……でもあの時映姫の言葉がなかったら、多分今ごろ別の人生を歩んでたんだろうな。
ほんと、彼女は優しいよ。その優しさに救われたんだ、俺は。
―――所で話の続きは?
お前さん自分で折って何いっとるか。
仕方ないな、ほれ続きを話すぞ……といっても、無縁塚の話はあまり残ってないがな。
あれから数分、泣けるだけ泣いた彼は、少し赤くなった眼をこすりながらも映姫に礼をいい、昼食を再開していた。
心の中にたまっていたものを全て吐き出し、洗い流したためか、今の彼の表情はとても晴れ晴れしく見える。
そんな彼の様子を見た小町は、腕を組みながら満足そうにしていた。
「うんうん、人間前向きが一番だよ。今のアンタ、本当にいい顔だね。惚れちまいそうに……」
「小町!」
「冗談、冗談ですよ四季様。でも、今のアンタはホント美男子だよ。あたいが保障するって、あははは!」
小町は豪快に笑いながら、彼の肩を叩いた。
彼は苦笑しながらも、素直にそれがうれしく思えている。
本当にそれがうれしかった。素直に喜べることが、とても。
「そうだ、いい記念だし……撮影しよう」
彼はそう言って、鞄の中からポラロイドカメラを取り出す。
フィルムの数を確認すると、3枚は取れることが確実であることが分かった。
丁度いい。そう思った彼は、二人に軽く説明するとカメラのタイマーを起動させる。
「よし」
そして石の上にセットし、急いで二人の下へと走った。
数秒後、フラッシュと共にシャッターが下り、それからしばらくの後にフィルムが吐き出されてくる。
それを繰り返すことさらに2回。彼は写真を二人に分けて皆で見ることにした。
中央に映姫、右に青年、左に小町が並んでおり、背後には紫桜が写っている。
映姫は嬉しそうに写真を眺めているが、その一方で小町は、深刻な表情で写真を見ていた。
「アンタ、気をつけたほうがいい。そう遠くないうちに良くないことが起こるよ」
それは、彼女の精一杯の忠告だったのだろう。
だが、すっかり気分を良くしていた彼は、それを深く気にとめることはしなかった。
―――それがその写真ですか?
おう、俺の宝物さ。真ん中が映姫、右が俺で左が小町だな。
いやしかし、いきなり名前で呼んでいいって言われたときは驚いたよな。
何でだろ、今考えるとホント謎だ。
―――そりゃあれだよ、好きな人には名前で呼んでほしいだろうよ。四季様ったら少女してる~♪
ああ、そうだ。もう一個思い出したぞ。
あの時小町さんは何で俺にあんな忠告をしたんだ?
―――ここを見なよ、薄いけど手がね、あんたの足首を掴んでたんだ。死者が生者を引きずり込もうとしてるんだよ。
うへえ、そうだったのか。
しかもこっちの足かぁ……なるほど、納得。
―――ところで無縁塚に行ったのはその時だけなんですか?
いや、その後も何度か足を運んだぜ。
その度に三人で昼食をとったなぁ、いやあ回数を重ねるたびに映姫にあうのが楽しみで楽しみで。
ホントもう、至福の時間ってやつ? あははははは!
―――閻魔と会うのを楽しみにする生者は貴方ぐらいなものですよ。
おいおい、ひどい言い方だなぁ。
そんな事ばっか言ってると映姫が拗ねちまうぜ……っと、酒が切れたな。
もう一杯くれぇー
~青年飲酒中~
―――よろしいですか?
おうよ。次の話はな、ふふふ……俺の人生の最大の危機だ。
あの時は冗談抜きで死ぬかと思った。三途の川の岸にいたしな。
小町さんを見たときは冗談抜きで「死んだ」って思った。
―――あの時はホント驚いたよ。何せ行方不明になったって聞いたお前さんが川岸に居てこっちにやってくるんだもん。
でも映姫のおかげで助かった。
いや、映姫だけじゃないか……永遠亭の人の協力もあったな。
そのときの事は本当に昨日の事のように覚えてるぜ。
―――あの、本題のほうに。
おお、悪いね。
あの時は山に入って迷子の子供を捜してたんだ。
山といっても妖怪の山じゃない。そんなところに入ったら一発でお陀仏だからな。
そこで……
道無き道を山刀で切り開き、彼は先へと進んでいた。
こういう時に遠征装備は役に立つ。彼はそう考えながら、山刀を振るう。
ここは人里から結構離れた所にある山。
妖怪たちが暮らす妖怪の山とは違い、妖怪の出現頻度は低い。
それ故に子供たちがたまに遊び場としているのだが、妖怪が出ることには変わりがないので大人が結構目を光らせている場所だった。
彼はそこに遊びに行って帰ってこないと言う子供を捜しに、山狩りに参加していた。
「居たかー?」
「居ない!」
山狩りに参加している幻想郷の男衆の声が遠くに聞こえる。
どうやら彼は集団から離れつつあるらしい。
しかし、道は前に進むことしかできそうに無いので前進を続けた。
前に、前に。
邪魔をする蔦、微妙な高さの若い木。自然と言う名の壁が憎たらしく思えてくる。
「くそ、まったく何処に居るんだか」
少し腰をおろして、彼は呼吸を整えた。
天気もだいぶ下り坂だ。龍神の像の天気予報によれば、今日は雨であるという。
早いところ見つけないと、雨が降り出してしまう。それが彼らを焦らせる。
そして彼は暫く進んでいくと、少しばかり開けた場所に出た。
ここからなら幻想郷の風景が一望できそうだった。がしかし、それを楽しんでいる暇は彼にはあまり無い。
彼は足早にそこを通り抜けようとしたが、それが良くなかった。
「な、何ィ!?」
次の瞬間、足元が急に崖になってしまい、彼はそのまま滑落してしまった。
岩肌に打ち付けられ、足のほうから鈍い音も聞こえる。
最後に激しい衝撃を受けて、彼の意識は完全に飛んでしまった。
―――ところで何で落ちたんですか?
妖精の仕業だったさ。勿論完治した後に執念で探し出して報復したがな。
―――そうですか。
寒さで意識が覚醒する。
どうやら雨が降っているらしい。体はびしょぬれで、すっかり冷え切っていた。
手が震えて止まらない。これは相当危険である。
彼は雨宿りが出来そうな場所を探すために痛む体を無理やり動かそうとするが、足が全然動かなかった。
どうやら折れてしまったようだ。やむなく近くに落ちていた木の枝を添え木にしようとしたが、今度は手が震えて上手く結べない。
このままでは時間が過ぎるだけだと判断した彼は、足を引きずりながら山の奥へと進んだ。
どうやらここは、かつては道だった場所らしい。おかげで移動するのにもそんなに苦労はしなかった。
しばらく進むと小さな祠が見えてきた。あそこなら雨をしのげそうだと思い、彼は速度を少しだけ上げる。
「あぁ……」
だが、そこには先客がいた。
行方不明になった子供だ。怪我をしているらしく、服が血で汚れている。
「大丈夫……か?」
声をかけるが、反応はない。どうやらかなり消耗しているようだ。
脈を確認すると、かすかだが反応はある。
生きていることに安堵するが、今度は別の問題が発生することに彼は気づいた。
自分にはこの子を無事に送り届けることは出来そうにないと言う事だ。
足の骨が折れて、打撲傷多数。他のところもやられているかもしれない。
これは本当に時間との戦いになりそうだと彼は思った。
自分か子供が先にくたばるか、助けがくるか、どっちが早いか……それは究極の耐久レースだった。
「おい、大丈夫か!」
覚悟を決めたその時だった、待望の言葉が聞こえてきたのは。
何処に居るか周囲を見回して探すと、眼前に箒にまたがって空飛ぶ魔女の姿。
魔理沙だ。どうやら自分たちを捜索していたらしい。雨合羽のようなものを羽織っている。
なんと言う幸運だろうと思ったが、しかし同時にとある問題に気づいてしまう。
「見てのとおり……大丈夫……だ」
魔理沙の問いかけに応じるが、声は弱々しい。
顔色も相当危険なことになっているようで、魔理沙が息を呑むのがよくわかった。
「そうか。そこにももう一人居るのか?」
「ああ……子供だ。すっかり衰弱してる……」
彼は頭を縦に振って祠の中を指差す。
祠の中の子供は、だいぶ危険な状態かもしれない。
だから彼は意を決して、魔理沙に言った。
「だから……この子を先に下山させてくれ……俺は大丈夫だ、その状態じゃ……箒に二人も乗せられない……だろ?」
恐らく誰かが「子供の捜索」を霧雨魔法店に頼みに行ったんだろうと彼は推測した。
魔理沙の箒には「一人分の」救助スペースがセットされていた。
だから、誰かを乗せればそれで満員。重量オーバーだというのは、見ただけでも分かる。
「直ぐ戻ってくるから、そこで待ってろ!」
魔理沙がものすごい勢いで人里へ向かって飛んでゆく。
あれなら10分もあればここに戻ってくるだろう。
しかし、もう彼の体力は限界だった。どんどんまぶたが重くなる。
手に力が入らない。足も駄目だ。
「ぁあ……」
それから3分後、座ることすら困難になってきた。
体からあらゆる力が抜けて、まるで糸が切れた操り人形のように地面に倒れ込む。
泥の中に倒れこんだ彼の眼前に、祠の中にあったお地蔵様が飛び込んできた。
苔むして、朽ち果てたお地蔵様。
「なあお地蔵様……あの子……助かるかな……?」
地蔵に手を伸ばそうとするが、それは叶うことなく彼の意識は闇の中に落ちた。
その直後、地蔵が僅かに動いたことを彼は知らない。
目が覚めるとそこは石が敷き詰められた場所だった。
眼前には長い、そして広い川が広がっている。
どうしてここに居るのかと彼は思ったが、言葉を発することはできなかった。
何故か? そう思ったが、その答えが出てくることはなさそうだ。
「アンタ……四季様の……どうしてこんなところに!? いけない、アンタはまだ渡せないよ。だからこっちへ来るんじゃない!」
彼の姿を見た小町は彼を必死に制止する。
だが、彼の足は前に進むことを止めようとはしなかった。
そのとき彼は理解した。自分はは死んだのだと。
魔理沙は間に合わなかったと言うことだろう。だが、あの子供の姿がないということは、あの子は助かったらしい。
その事実だけが、彼を安心させる。
「こっちに来るな!」
小町は「距離を操る程度の能力」を駆使し、彼を岸から遠ざけようとする。
しかし、それよりも早く彼は距離を詰めていた。
彼女は理解してしまう。もう手遅れだったと。
そして、彼はそのまままっすぐに川に停泊してある船に向かおうとし……
「四季、様……!」
とても優しく、暖かい腕に抱きとめられた記憶を最後に、意識が再び途絶えた。
次に目が覚めると、彼の視界に飛び込んできたのは見知らぬ天井だった。
どうやら、ここはどこかの家のようだ。
先ほどと違い、足が勝手に進んだりしないところを見るに、どうやら生きているらしい。
「ここは……」
布団から飛び起きて周囲を見る。
ここは人里にある家ではないらしい。建築物の様式が全く違う。
さらに、やけに古臭い感じであった。此処は何処だろうか?
「永遠亭へようこそ。もう大丈夫、一時はどうなるかと思ったけど無事で何よりだわ」
声のしたほうに振り向くと、紺と赤の服を着た女性、八意永琳と、白兎の群れが居た。
そして思い出した、此処は幻想郷の中で一番の治療施設である永遠亭だと。
自分はどうやら、永遠亭に担ぎこまれて治療を受けていたようだ。
そして死の淵から蘇ったということを理解し、同時に湧き上がる疑問を口にする。
「誰がここまで?」
それは当然の疑問だった。
魔理沙が間に合ったとは思えない。それを踏まえた上で考えても、あれから間に合う人物が居たとも思えない。
高速さでなら天狗である射命丸文くらいしか思いつかないが、それはないだろうと彼は思った。
何故なら天狗は妖怪であり、人を救うなんて事は余りしないはずだったのだから。
そんなことを考えていると、突然襖が開いて誰かが部屋に入ってきたらしい。
「無事だったかい、良かった良かった」
そう言って入ってきたのは、先ほど自分を止めようとした小町。
そして……
「無事でよかった……本当に」
今にも泣き出しそうな顔の映姫だった。
その背後には、一体のお地蔵様の姿が見える。
「感謝しなよ○○、四季様はお前さんのことをこのお地蔵様から聞いて、即座に飛んでいったんだ。そりゃもう、幻想郷最速と言っても過言ではないスピードでさ」
小町の言葉と、お地蔵様の姿を見て、彼は全てを理解した。
自分が倒れたのを眼前で目撃したあのお地蔵様は、即座に映姫にそのことを知らせたのだ。
そして、それを知った映姫は全速力で自分を永遠亭に運び、抜け出た魂を追って三途の川までやってきた。
あの時点ではまだ自分はギリギリのところでグレーだったのだろう、それを「白黒つける程度の能力」で白にして、魂を体に戻したとすれば……
あの、包み込む感覚すら説明が付くし、すべて納得がいく。
「………」
彼女の小さな体が震えているのがよく分かる。
彼女は今、どんな思いで居るのだろうか。ただの人間でしかない彼には、それを知ることは出来ない。
ただ、申し訳ない気持ちで何も言えなくなってしまう。
「どうやら私たちはお邪魔のようね。皆、あっちの患者見に行くわよ」
「ウサー」
二人の間に流れる空気を察したのか、永琳らは部屋を出る
「あたいも、邪魔しちゃ馬にけられて地獄に落とされちまうよ。お地蔵様もいこうか」
小町も、そして地蔵も部屋から出てゆく。
そして青年と映姫は、二人っきりになった。
しばしの沈黙。
無言の抗議。
一体どれほどの時間が流れたのだろうか、彼女はようやく声を震わせながらも口を開いた。
「本当は……あんなことしちゃいけないんです……魂を、連れ戻すなんて……貴方の魂は、肉体との繋がりがもう切れてて……」
「……」
彼は何も言えない。
言える筈がなかった。
死が確定していた自分を、死者を裁くはずの閻魔が、四季映姫・ヤマザナドゥが規則を破ってまで連れ戻してきた事実を知って、何も言える筈がないのだ。
そして、彼女はいきなり彼に抱きついた。
「でも、貴方の……貴方の事を聞いたら、居ても立っても居られなくて……」
胸の中で感情を吐露する彼女の姿は、閻魔のものではなく四季映姫という一人の女の子でしかなかった。
彼はそんな彼女の帽子をそっと外し、頭を撫でながら彼女の叫びを聞く。
いつかそうしてくれた彼女のように、その叫びを聞く。
そうすることぐらいしか彼にはできない。
何故ならば、彼は閻魔ではないし、聖人でもない只の人間なのだから。
本来なら気の利いた台詞を言うべきなのだろうと思ったが、そういうのは出来そうにないと思った。
「私……ッ私……ッ!」
「……」
「貴方のことが……貴方のことが……好きなんです!」
しかし、そんな彼でも彼女の気持ちは十分に理解できた。
だから自分も答えよう、自分に出来るのは、それくらいしか無いのだから。
此処まで言われて、何も言わないんだったら男じゃない。
そして彼は静かに、でも確実に聞こえるように彼女の耳元で話した。
「俺も、好きだ。君みたいな優しい女性にこんな事言われるなんて、俺は幸せ者だな」
「本当……ですか?」
彼女は驚き、彼の顔を見上げる。
出来る限りの笑顔を見せて、彼は言葉を続けた。
「本当だとも。映姫に嘘はつけないよ、それに俺は嘘をつくのは嫌いだし、つこうとしても直ぐばれる」
「私……こんなに……背も低くて、胸も大きくなくて、説教くさくて、それに……」
「ストップ、それ以上言うのは止めるんだ。背が低い? むしろそいつはジャスティスだ。胸も大きくない? それは決定的要素じゃない。
説教くさい? それは君の優しささ。俺はそんな、君の優しさに惚れたんだ」
我ながらなんともくさい言葉が出てくるものだと、思わず苦笑してしまいそうになる。
そんな自分の台詞にむず痒さを覚えつつ、彼は映姫を抱きしめた。
そして、もう一度耳元で、ゆっくりと、しかし確かな声で言った。
「好きだ、映姫。とても大好きだ。愛してる」
―――クサいですね。
―――ああクサいね。
皆まで言うな。俺だってクサいと思ったわ!
まあ、あれだ……兎に角、俺と映姫はそのまま熱いベーゼをだな……
―――何を話しているのですか?
うおっ、映姫。仕事は終わったのか?
今この天狗さんに俺と映姫のラブロマンスを語っているところだぜ。
永遠亭のところだから……今からクライマックスにないだいいだいいいだい永谷園アタックやめて永谷園アタック。
―――は、破廉恥な話は止めなさい!!
やれやれ、仕方ないなぁ。
すまんな記者さん、最後の部分は端折る事になるわ。
だからまあ、さっきのところで〆てくれ。
さてと、俺のお話はここまで! さ、皆も何か話したいことがあればこの記者さんに話したらどうだ?
武勇伝、ラブロマンス、研究論文なんでもいいぜ。面白ければ新聞記事に載るかも知れんしなぁ。
俺は映姫といっしょに夜のお散歩と行くかァ。夜雀さんごちそーさん、これ代金ね。
子の刻の幻想郷。
人間の時間から妖怪の時間になり、夜道を歩く人の姿は一切ない。
しかし、今日ばかりは少し勝手が違うようだ。
「……決めた、俺人間辞める」
夜道を歩く二つの影、その内の片割れである青年は、隣の少女に突然と宣言した。
「いきなりどうしたのですか?」
彼の行き成りの宣言にもあまり動じず、少女は青年に聞き返した。
青年は月を眺めながら、己の考えを打ち明ける。
「君を待つだけなのはもう飽きた。今度は俺から映姫のところに行くのさ。
人間だと無理かもしれないが、人間以外なら……そうだなァ、例えば死神とかそういうのなら彼岸へいけるだろ?」
彼の言葉に、少女は少しばかり考え込んで答えた。
「無理、とは言いません。前例も在りますし……でも、困難であることは確かです」
その回答に満足したのか、彼は満面の笑みを浮かべて少女を見る。
目には一切の迷いは無く、確かな決意しか見えない。
「大丈夫さ、君が言ったように可能性はゼロじゃない。
それに、信じるものは救われる……だろ? 俺は、俺を信じてる。そして君を信じてる。
だから君も俺を信じてくれ。俺は絶対に死ぬ以外の手段で君のところへ行く」
彼らしいと少女は思った。
これは彼なりの優しさなのだろう、人間と閻魔はあまりにも存在がかけ離れすぎている。
彼はそれを承知で、少しでも距離を縮めるべく高みへ到達しようとしているのだ。
それは彼女の立場を考えた上の結論だった。だから彼には迷いが無い。
「ふふっ、そうですね。では此処で1つ……コホン、私のところ絶対にやってくること。それが貴方に出来る善行です」
「ああ、分かったよ。約束だ、俺は嘘はつかないからな」
人間と閻魔、あまりにも離れすぎた二人。
だがこの瞬間、二人の距離は、ほんの少しだけだが縮まったのだ。
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最終更新:2010年05月11日 14:47