源頼光が酒呑童子の首を切り落としたという伝説の残る『童子切安綱』
無礼を働いた茶坊主を逃げ隠れた棚に刃を押し当てただけでまとめて斬ったという『圧切長谷部』
斬った敵兵が川を泳いで向こう岸に逃げたが、斬られた兵が向こう岸で真っ二つになったという『備前長船兼光』
夢に出る小鬼に悩まされていた北条時頼の夢枕に立って錆びた自身を助けて欲しいと訴え、後に時頼が振るい小鬼を斬ったという『鬼丸国綱』
こういった逸話や伝説がついて回る刀や太刀は数多くあるが、今日は『本刀 孤霊(ほんとう これい)』という刀にまつわる伝説を紹介していこう
衣非禄(えぴろく)年間中期ごろ追田(現在のT県A市)の山奥に住む刀鍛冶、時日 鎮烈(じじつ ちんれつ)の下に姫木(ひめき)某を名乗る者からの書状が届いた事に始まる
書状には依頼の他に『私は姫侍である』などの愚にもつかない事が書かれていたが、鎮烈は九十四日と四の刻の後に取りに来いとだけ書いた文を飛脚に預け火床に火を入れた
鎮烈が作業を始めて三十四日の後には何本か刀が打ち終わっていたが、鎮烈はなぜか斬れぬものを真打として作業を続け、斬れるものを影打として白鞘に封じた
丹念な砥ぎや大地に根付き天に登る豆の弦をあしらった鞘の誂えも済んだ九十四日と四の刻のさらに少し後、ひとりの男が鎮烈の家を訪ねてきた
男は姫木某の使いの者だと名乗り刀の引き渡しを求めてきたが、鎮烈はその男に刀を渡してこう言った
─もののためし その刀にて我を切りてみよ(試しにその刀で俺を斬ってみろ)
これで鎮烈が死ねば代金を払わずに済む、試し切りも含め一石二鳥だと男は袈裟で切りかかった
しかし斬られ倒れるはずの鎮烈に痕はまったくなければ手ごたえもない、斬れなくても殴られたのと同じように痕が付くものだがそれもなくただ平然としている
男は斬り薙ぎ払い突きと手を変え繰り出すも鎮烈は全くの無傷だった、これはどういう事だ、まったく斬れないし話が違うと憤る男に鎮烈はこう返した
─この刀 斬るに其の人其の物えらむなり(この刀は斬る人や物を選ぶのだ)
鎮烈は呆気に取られた男が落とした刀を拾い上げると、姫木某が最初に寄こしてきた書状を懐から取り出して盆の上に置いて刃先でそっと撫でた
斬れていないじゃないかと男が嘲笑うと、書状は一切の乱れなくするりするりと斬れ風に流されてゆく、しかし盆には何の傷もない
─虚言ばかり言へる人が本刀 孤霊を使ふとも心なし(虚言ばかり言っている人間が『ほんとこれ』を使っても説得力ががない)
─使ふ資格のあるはさらぬ人 さりとは思はぬか、姫木某殿(使う資格があるのはそうではない人だけ そうとは思わないか、姫木某さん)
男……いや姫木某はぎょっとした顔をして鎮烈を睨んだが、本刀 孤霊を持つ鎮烈に何を出来るでもなく負け惜しみの言葉を吐きながら逃げて行った
帰り際に麓の村で鎮烈の悪口を吹いて回るも、鎮烈の人柄を知る村人には相手にされず法螺吹き呼ばわりされたという
以上が『本刀 孤霊』にまつわる伝説だが、使う人間と向ける人や物によって斬れるか否かが変わるとは『本刀 孤霊』とは不思議なものである
殺傷兵器としての刀という観点では欠陥品と言わざるを得ないものだが、武士のあるべき姿を形にしたような刀としてはまさに究極の逸品と言える
大変残念な事に『本刀 孤霊』の行方は知れずその真偽のほどは確かめようもないのだが、ぜひ手に取って私に武士たる資格があるのか試してみたいものである
最終更新:2020年03月09日 02:12