追田の地の特産品に「剃菜(それな)」という野菜がある
水害が多く稲作に適さないこの地において、根を深く張るため流されにくく、かつ痩せた土地でもよく育つ剃菜は重要な食物であった
また剃菜は細根にむかごのような小さい芋を鈴生りにつけることから、この地においては米食に代わる主食となっていた
剃菜栽培の歴史は大変に古く、馬路麗州(まじれす)ニコラ塚古墳内部の壁画にも剃菜の収穫をする農民の姿が描かれていることから
奈良時代中期には既に栽培法が確立されていたというのが研究者たちの見解である
主食ともなる食物であるためか、剃菜に関する諺や故事も数多く存在するが、最も有名なのは高僧豆忠(まめちゅう)の逸話であろう
かの弘法大師が弟子 醍逗(だいず)に学び真言宗を修めた高野の高僧豆忠が追田の地のとある庄屋の屋敷にて執り行われる催事に招かれた際の出来事である
仏門一筋、寡黙を地で行く生真面目な人柄で人々の信頼をあつめる豆忠であったが、催事の後の会食にて供された剃菜の料理を見た途端、うれしさのあまり
思わず「それな」と声をあげてしまった
厳格な僧侶であっても、これを前にしては喜びを抑えきれなくなって思わず声をあげてしまう程に美味であるという、剃菜の美味さを示す逸話である
これが転じて、追田の地において、自分にとって望ましい物品あるいは言葉などが呈されたときに「それな」と返す風習が生まれ、今日まで受け継がれているのである
最終更新:2020年03月09日 02:17