追田(ついた)の地には古くから落事(おちごと)と呼ばれるものが存在した
由来は現在のT県A市を中心とする日江洲奧二代目藩主、酒井其後出聞公にある事、落事と書かれる以前は王治事と書かれていた事も近年の研究で分かっている
其後出聞公が第二の拠点とした追田の地には、たびたび出所も意図も内容もわからぬ引き札が一部の者の間に出回る事件が起きていた
内容は一見出鱈目で無価値なものだが、読み解く事で各種普請(公共事業)の予定や落札価格、発布・改定される令(新法律や法改正)といった藩政の根幹部を示す内容になったのだ
時折仮装した女の描かれた浮世絵に来紅をつけるだけの無価値なものも出回ったが、解読法を知る其後出聞公に近しい者にとっては値千金のものだったという
現在で言う癒着や収賄を目的としたものであり、宴席に其後出聞公自らが姿を現し称賛や礼賛を求めていたという記録も残っている
この王治事は決して表沙汰には出来ぬ、其後出聞公の悪政の象徴と評さざるを得ないものだろう
しかしこの王治事も里見幕府将軍治紀の耳に入る時が来た、内々に咎めを受けた程度で済んだものの一時を境に出回る事は減っている
だが其後出聞公以上に追田の地で引き札を出回らせる事を好む者がいた、其後出聞公の娘である酒井馬目姫である
その内容は滑稽無糖で出鱈目なものだらけであり、単に目立ちたいがためにばらまかれた引き札を相手にする者はいなくなった
こうして王治事は落事に転じ、現在のT県A市周辺では『取り合う価値もない出鱈目』といった意味の方言として使われている
最終更新:2020年03月09日 18:25