かつて日本の一部の地域では、『まず主が恵まれることで周りも恵まれる』という考えによって徴税がなされていた。
恵主恵周税(えしゅ・えしゅうぜい)である。
ゆえに領主はまず己を飾りたて周囲に誇示することを優先し、農民に重税や苦難を課す。
農民は追って田を開かねば税を納めることかなわず、ますます疲弊していくが、領主に不平を言うことも許されない。
文句というか、意見を言おうものならば、まず同じ村民に袋叩きにされてしまうためである。
こうして、村民同士相互に監視をさせ疑心暗鬼の不安を生じ、領主自らの手を汚さず管理する手法を不安練(ふあんねる)と呼ぶ。
これぞ恵主恵周税のもたらす追田(ついた)の悪循環である。

こうした悪法により潤っていたのが、氷女姫(ひめき)という女である。
人心を解さぬ氷のような女という意味であり、本当の名は誰も知らない。どこから来たのかも誰も知らない。
この辺りの国の境を治める領主、境守(さかいのかみ)に取り入り、村人が気づいた時には後女として常に境守に付き従っていた。
その顔はまるで豆に貼り付けられたようにつるりとしており、およそ人とは思えぬ顔立ちであったが、村人は口には出さず褒めそやした。
しかしいつしか領主の境守は姿を表さぬようになり、政は氷女姫が取り仕切るようになっていた。
表に出るようになった氷女姫はより美しく、よりきらびやかにと村人に苦難を課し、彼らは日々来たる苦難(来苦)に怯える。
もはや村ごと食いつぶされることは明らかでありながらも、やはり誰も声を上げようとはしなかった。
そんな折、日の暮れかけたこの村に旅の僧が訪れた。

僧は何もいらぬ、泊めてさえくれればよいと言ったが、村人たちは快く迎え入れ、貧しいながらも温かなもてなしを施した。
しかし彼らのあまりのみすぼらしいなりに、何かあるのではないかと事情を尋ねると、村人はぼろぼろと涙を流して氷女姫の行いを語った。
僧は妖退治の行脚僧であった。その女は妖に相違ない、私に見定めさせてくれと申し出るも、
村人は震え上がり、とても恐ろしくそのようなことはできない、何もせずにこの村を立ち去ってくれと頭を下げた。
「私たち僧の言葉に『近窮悔永』(きんきゅうくえい)――という言葉がある」
「それは,どのような意味でございましょう。」
「目先の窮状に生を縛られて、永遠に悔やみ続けることになるという意味だ」
「我らはあなた様のように村を捨て自由に生きる術も知りませぬ。この村で永遠に悔やみ続けることでありましょう」
「しかしな、この言葉は一部でしかないのだ。正しくは『世克(よこく)・近仇悔永』、すなわちこの世は近仇悔永に打ち克つことで成り立っているのだ」
はっと悟った村人に、僧は言葉を続けた。
「お主たちは死んでおらぬだけだ。心が生きておらぬ」と必死に論じ、経を唱える。
命論経歌、五里開――命を懸けて論ずれば経は五里(一里=約400m)の心を開く。
その教え通り、勇気を奮い立たせ心を取り戻した村人は各々武器を手に取り、氷女姫の潜む境守の屋敷へと向かった。

いよいよ屋敷に躍り込むと、人の気配はまるでない。庭を抜けようとすると、不可思議にぽっかりと深い穴が開いている。
これこそ氷女姫の隠れ住む場所ではないかと覗こうとすると、地鳴りと共に土がせり上がってきた。
地よりせり上がってきた影は、人々に大砲を向けて仰け反ると奇声を上げる。
やはり妖の類かと慄いた彼らが目にしたのは、変わり果てた境守の姿であった。
屋敷の地下に構えられていたのは座敷牢の一種、囲い堕牢(かこいだろう)。
牢に囚われ、氷女姫にそそのかされた境守が己の欲望の赴くまま動く傀儡へと堕ちていたことはすぐに分かった。
「国央境、聡し」(こくおうさかいさとし=境守はこの国の中心と呼んでもよいほど聡明である)
とまで呼ばれた境守も、こうなっては言葉も通じない。
隠し持っていた大砲すら民に向け、命を奪わんとするその姿に、ためらっていた村人も目を覚ました。

「民に恵み非ず。我らは貴様らの言いなりになる走奴ではないと悟った。覚悟せよ」
これまでの評価が一変、一丸となり敵を討たんと怒る民の、英雄の如き姿を描いた絵こそ、
現存する『大討図・恵非走奴悟』(ひろうず・えぴそうどご)である。

もはや止まらぬ怒りの群れは境守をまたたく間に打ち倒し、屋敷の奥へと突き進む。
最奥の部屋の襖を蹴破ると、人の形でありながらやはり生気のない顔の女がけたけたと笑って出迎えた。
「氷女姫、我らもはや我慢ならぬ。この村を出てゆくかここで討ち倒されるか選べ」
初めて激しい怒りを向けられた氷女姫は「あーごめん」と一言、その本性を現した。
吸い上げた苦しみを蓄え糧とし肥え太る生き様を身に表すがごとく、まさしく豆の妖であった。

「お主らは我なくして生きていけるのか」「我が他の国に落ち延びてもよいのか」「そうなってしまえば落ち事ぞ、里追人ぞ」

さまざまな言葉をささやき不安練を用いて、村人の心に再び根を張らんとする氷女姫であったが、
「氷女姫よ、我らは貴様が消えても何とも思わぬ」
心を取り戻し迷いの晴れた村人にはそれも通じず、ついには僧の神通力を受けて討ち倒された。

僧はこの妖を氷女姫あらため被女鬼(女の皮を被った悪鬼の意)と名付け、
再び甦るのではないかと怯える村人のために拝人練舎(はいどれんじゃ)と呼ばれる小さな拝み舎を建て、
骸を九つ(頭・両腕・胸・胴・腰・両脚・悪魂)に割りそこに封じ、人々の祈りで調伏されるように弔った。
日々、何事もなくともその舎を通るたびに「九葬」(くっそう)と呟き回り、
最後に拝みながら本東向礼(ほんとうこうれい・真東に向け一定の動作で礼をする)を行う。
この調伏の儀式は女鬼拝回伏(めきぱいかいふく)と呼ばれるようになり、村人の日課となった。

転じて、現在もこの一連の動作を心に芽生えた悪鬼を鎮めるために行うものもいる。

さて、妖から解放された村には新たな領主が迎えられ、新たな日々が始まることだろう。
しかし、村人たちは新しい領主、新しい生き方に不安を覚えていた。そんな彼らに僧は言い残した。
「お主らは強い心であの悪鬼を討ち倒された。自信を持ちなさい。ただ私から言えることは三つ…」

ひとつ、言い返したり腹を立てるだけ時と心の無駄遣い。無視せよ。
ふたつ、結果を出せば勝手に黙る。己のやるべきことに集中すべし。
みっつ、他人に何かと言うてくる時点でそやつらは相当な暇人。「おう暇人よ」と思うておけ。

ありがたい言葉に村人はたいそう感激し、被女鬼を封じた拝人練舎の横に封女覧(ふうめらん)と名付けてこれらを書き記し、
決して忘れないようにしたとされる。
最終更新:2020年03月10日 20:43