五代綱吉によって制定された世紀の悪法たる生類憐みの令
だが、追田の地には書簡ではなく伝聞によって通達が成されたが故、誤った内容で公布されることと相成った

追田の地で施行された法令は「将来憐みの令」という全くの別物であった
手に職を持たぬ鈍くさい怠け者の行く末を憐れむという、元来の法令とまるで似つかぬ支離滅裂な内容であった為、
曲者揃いの追田の民もさすがに困惑を禁じえなかった

この時代、人口の多い江戸や大坂ならまだしも地方の集落などは基本的に人手不足であり、たとえ領地を持つ武家の者でも
城勤めの長兄以外は農作業に駆り出されるのが常態化していた
そんな中で職にあぶれるような輩は、当人に相当な問題を抱えているわけである

とはいえ、公儀に従わねばどのような処断がなされるか判ったものではない
困り果てた追田の領主はとりあえず無職の者を集めて相撲の真似事をさせてみることにした
体をぶつける程度のことならばいかに鈍くさかろうが出来るであろうという考えから出た苦肉の策であった

こうして集められた無職の中から最初に選ばれたのは「伊尻 雌木灰(いじり めきぱい)」という齢四十になる小太りの中年男であった
伊尻は図体に仕舞い込んだ駄肉こそ御立派なものであったが馬力の方は豆粒程度であった為、「豆之富士(まめのふじ)」という四股名が与えられた

そしていざ相撲をとらせてみるのだが、そこは高齢無職である
普段からまともに動きもせぬ為、珍妙奇天烈な挙動で土俵狭しとタコ踊りのような奇行を見せる有様
だが、その様子があまりにも可笑しかったので、観覧していた領主を始め、その場にいた者が皆大笑いした
元来の相撲とはかけ離れているものの、これは庶民の娯楽として成立すると確信した領主は、このお笑い相撲を「追田相撲」として
広めるべく段取りを整えていった

相撲は神事であるので、取組場所を設けた地の土地神である亀を祀った社に奉納するという意味合いを込め、
追田相撲の行司は、「はっけよい」ではなく「亀社よい(きっしゃよい)」と発する習わしが出来た

今現在でも、大相撲追田場所では「きっしゃよい のこった!」の掛け声と共に力士が全力でぶつかり合うのである
最終更新:2020年12月08日 01:18