そそり立つ壁はあまりに大きすぎる。この小さな虫に対してはこれほど心強いものはないメーサー小銃だが、この壁に対しては木の葉のように頼りない。
「救援は呼んどいた…しばらくすれば援軍も来ると思う」
しばらくすれば。そのしばらくの前に、この身体が深紅に染まらないことを祈りたい。
「それじゃ…それまで、頑張ろうか」
私は、トリガーを握る手に力を込めた。
あたりにはグロテスクな音が不快なハーモニーを奏でている。
ラドンのくちばしがメガヌロンを一瞬のうちに捉える。ラドンの目には大好物が皿の上に並んでいる光景にでも見えるのだろう、次々口の中へ放り込んでいく。先ほどまであれほど獰猛だったメガヌロンはすっかり怯えきって、我先にと闇の中へ消えていく。
しかし、逃げることのできた者は少なく…
息を呑んでこの惨状を見守る中、後ろから怜が口を開く。
「銃構えて。…遠距離から一気に仕留める」
視界の端に映るメーサー。恐らく怜が構えている得物で間違いないだろう。
―――でも。
「いや…接近戦でいこうよ。メガヌロンに夢中になってる今なら簡単に…」
「バカ言わないで…相手は飛行すんのよ?メーサーなら撃ち落すことだって」
「でも、今なら飛ぶ前に…」
私は一歩、前に踏み出した。しかし、二歩目を出す前に肩をぐいと引っ張られた。
「バカ?近づいたら気づくに決まってるでしょ!」
「ばっ… め、メーサーじゃ威力足りないもん、怜ちゃんのほうがバカだよ!」
…正直、まずいと思った。そんなことを言うつもりはなかったのに、気づいたときにはもう遅かった。
「ちょっ、誰がバカよ、誰が!たった1年差でも、経験あるからモノ言ってるの!新人ちゃんは黙っててよ!」
「し、新人って、そんな言い方!」
「事実でしょ!いいから黙って私の言うこと聞いてればいいの!!」
「うわ、先輩面とか最低だね!大体、怜ちゃん私がいなきゃ死んでたくせに!!」
気がつけばもう我も忘れて思いつく限り言い合っていた。でも、今のはそれでも言ってはいけないことだった。それは、言わずとも私を睨みつける眼が物語っている。
「……っ! もう知らない…勝手にすれば!?」
とうとうそっぽを向いてしまった。
「いわれなくて、も…」
言いかけて、声が詰まった。
「? 何よ、やっぱり私のほうが正しいってわかった?」
「ご、ごめん…」
「最初から素直に……」
「いや、そ、そうじゃなくて…」
引きつった声の異変に気づき、ようやく怜も振り向く。そして…その瞬間、すべてを理解する。
「あ、うん…よくわかったわ」
巨大な眼光が二人を見下ろしていた。しかも、その朱の体は既に目の前にあったのだ。
咆哮―――耳を劈く危険音。最大ボリュームで身体が逃げろと告げている。
しかし、由美子は怯まずその身をラドンに向って跳ばす。この距離で動じないとは、ある意味で尊敬する。
ゆみの蹴りはそのままラドンの腹部を突くがさして効いている様子はない。巨大獣相手では圧倒的にパワーが不足している。
「ほら、やっぱり!」
今度は怜のメーサーが火を噴く。元々倒せるなんて思っていない…とにかく時間稼ぎさえ出来れば。青白い閃光の帯がラドンを襲う。しかし、ラドンは空中に逃れた。羽ばたくだけで、二人の身体は塵のように吹き飛んでしまいそう。
それでも、なんとか地面に這い蹲りながらメーサーを撃ち続ける。しかし…
「は、速い……」
しっかり狙ったつもりでも、引き金を引いた頃には完全に明後日の方向になってしまっている。
「へたっぴ…」
ぼそりと呟くゆみ。
「な、何よーぅ!速いんだからしょうがないでしょ!?」
顔を真っ赤にする怜。それでも、多少の辱めは感じていたのか、ぶつぶつと何かぼやき始めた。
攻撃が納まったのを見計らったラドンは大きく旋回し、風を巻いて突撃してくる。
完全に必殺の体勢。あの研ぎ澄まされた嘴、このまま一撃で死亡も十分に考えられる。そう思うと、改めて戦場に立つことに恐怖感を覚える。
―――しかし。
予測できる動き。一直線に獲物を狙う獣の動きは限られている。
ゆみがメーサーのトリガーを引いた。直撃。よろけたラドンはスピードを失う。そして、しめたとばかり回し蹴りで畳み掛ける。またも直撃。人間―――いや、ミュータントでもありえないほどの跳躍。そのままラドンはコンクリートを抉りながら地面に激突した。
「やりぃ♪」
満面の笑みで得物を掲げるゆみ。一瞬、無邪気な子供に見えた。同時に、『子供は案外残酷だ』という言葉を思い出した。廃工場での戦いが脳裏をよぎる。
そして―――気づいてしまった。
今の彼女が、『あの時』と同じ瞳をしていたことに。
全く迂闊だった。他怪獣を想定しての
コンスタンティノープル出撃だったというのに、たった一匹のラドンに大破されてしまうとは。それに…
「松本?まつもとっ!」
「五月蝿い…耳元で騒ぐな」
海中から引き上げてきた松本はゴジラの上に横たわっていた。
「何だ、生きてたのか」
「悪かったな、死んでなくて」
「ああ、せっかく厄介者が一人減ったと思ったんだが、残念だった」
ふぅとため息をつく静奈。本気なら張り倒してもいい所だが…
「で…まさかアイツなのか?コレをやった張本人は…」
「いや、違う」
きっぱりと言い放った。
「何?しかし、状況で言えば自然だと思うが…」
傷だらけの死体。その所々に残された斬撃の痕。
「あの時―――ラドンが襲ってきた時、アイツは戦かおうとはせず姿を消した」
「それが何なんだ?」
「…ゴジラを倒せる相手が、ラドンごときに臆すると思うか?」
そう、俺を簡単に退けた相手が。たとえあの時一戦を交えた後だったという理由だったなら俺はどんなにか嬉しいことだろう。しかし…それがありえないことは俺自身わかっている。あれは戦いと呼ぶにはあまりに一方的だった。俺は…ただの一度も相手を傷つけてなどいなかった。だから―――
「確かにそうだな……と、なると」
静奈は虚空を見上げ、小さく呟いた。
「なぁ…もしそんな奴がいたとしたら…私達は、どうしたらいい?」
底知れぬ不安が胸を塞いだ。力は見方を変えるだけで千差万別に意味を持つ。だが…なまじ中途半端な力が、役に立たない力が、一体どんな意味を持つのか。それは同時に、M機関の存在意義にも繋がる。これでは、ただ世界を汚しているだけに過ぎない。
「…それは、後で考えればいい。それよりも…」
おそらくその答えには時間がかかる。だから、今は出来ることから始めよう。
「ラドンか…対処できているといいがな……」
「そのための、俺たちだろ…?」
二人は足早にコンスタンのハッチをくぐった。
悲鳴が迸った。甲高い、人ではない―――獣の叫び。
夢、なのだろうか。屈するラドンは、わずか17の小さな少女になす術もなくもがいている。動きを見れば、どちらが怪物なのかわからない。むしろ私から見れば少女のほうが怪物である。ああそうだ、これは夢だ。そう
―――悪夢だ。
呆然と立ち尽くす私などおかまいなしに、ゆみの怒涛の反撃は続いた。
100mの怪獣が2m足らずの少女に押さえつけられる姿は滑稽だ。いや、簡潔に信じられないでもいい。この世のものでないような気さえした。もがけばもがくほど、ラドンの動きは弱々しくなっていく。遂に象徴ともいえる翼の一角が破けた。一瞬あがった炎が、そこに君臨する殺戮の天使を照らし出す。そして、月明かりの中に再びシルエットだけが残る。
―――その瞳は、ただ紅の色彩を持っていた。
それは…ただ前を見るだけの、『モノ』を確認するだけの飾りのように見えた。
だからだと思う…いつの間にか、私は叫んでいた。
「もういい、もうやめて!」
私の知っているゆみが消えるのがいやだった。それだけの理由。
言葉に気づいて、ゆみの動きが止まる。そして、眼がゆっくり私を見据えた。
―――よかった、言葉はまだ届く。
しかし、帰ってきた言葉は、さらに私を絶望に陥れた。
「…どうして?」
返す言葉がなかった。どうして? そのまま猛威を奮い、殺戮マシンにでも成り果てるつもりなのか。
「…………きゃ」
「…え?」
静かに呟いた声が、その場を凍りつかせた。
―――殺さなきゃ…
聞き間違いかと思った。けど、小さな声のソレは確かに、はっきりと聞こえた。
「どうしたの、恐いの? …躯、震えてるよ?」
きょとんとして、ゆみは小首をかしげる。
…上腕に鳥肌が立った。違う、こんなの違うよ…
「大丈夫、恐くないよ?」
すっ、とゆみが私の側に歩み寄る。そして、血に染まりきった冷たい手が頬に触れた。
「安心して……」
見せてくれた微笑みに、一瞬騙された。そして次の瞬間、それはキョウキに変わった。
「もう終わるから…」
踵を返し、喘ぎ声しかあげないラドンに再び足を向けるゆみ。私は思わず唾を飲み込んだ。そして、体が冷えていくのをはっきりと感じた。後姿が、次第に小さくなっていく。とめるべきなのか。今彼女を止められるのは、私のこの小さな手しかない。しかし…抑えようとしても、抑えられない震え。声を出そうとしても、かすれてしまって声にならない。
とうとうゆみはラドンに手をかけた。
ダメッ…………!
そう叫ぼうとした、そのときだ。
天空を切り裂いて、閃光と共にこもったような機械音が連続でラドンの背中をえぐった。
『やばっ、人いた!? …あ、えっと、遅れて申し訳ありません、応援部隊只今到着しました!』
突然の通信。それと同時に、数機の銀翼が空を駆け抜ける。
「ドッグファイター…やっと、来た」
私は心底ほっとした。何より、人が来てくれた事に安心した。
『後は我々がやります、お二人は退避してください!』
若い青年の声。私は素直にそれに従う。
「わかりました。…何やってるの、ゆみっ!!」
今度は自然と言葉が出た。体も動いた。私はゆみの手を引っ張り、ビルの影に飛び込んだ。
ゆみがいなくなったのを見たラドンは、急に半身を持ち上げた。そして、負傷した翼を羽ばたかせて空に逃れようとする。だが、今は追う必要はない。…ようやく、ゆみは目覚めた。
「あれ……私…?」
「もう…心配、かけないでよ……」
私はゆみを力いっぱい抱きしめた。恥ずかしながら、泣いていた。
「ど、どうしたの?…い、痛い…」
上空では、ドッグファイターの機銃の雨がラドンを追い詰めている。ラドンに先ほどまでの俊敏さは失われていて、よろよろと飛び逃れる姿は哀れみさえ覚える。
だが、今はそんなことはどうでもいい。とにかく、本当のゆみが帰ってきてくれた…それだけで、十分だった。
「ねぇ…何があったの?私、また何か……」
「いいから、今はいいから…」
少しでも長く、貴女を感じていたい。またどこかへ行ってしまう前に少しでも―――
―――ザシュッ
「…怜、ちゃん……?」
背中を、熱いものが走った。ゆみは何もわからず呆然と私を見ている。
体に力が入らない。鼓動が早くなる。私は、わずかな力を振り絞って後ろに振り向いた。
―――メガヌロン。
天敵が消えた巨大昆虫の数匹が、再び餌を求めて帰ってきたのだろう。だらしなくよだれを垂らしながら、その爪を研いでいた。
「……!」
ゆみも、ようやく気づいたようだ。…背中のことも。
血――――――
段々と目が掠れてきた。手足も感覚を失っていく。
「い、いや…!」
かすかに、くしゃくしゃになったゆみの顔が映る。さっきの私みたい。とうとう地に伏す。
「し、しっかりして!怜ちゃん、怜ちゃんてば!! ……っ!?」
私の体をゆすったゆみの手は、深紅に染まった。やがて元々染まっていた緑の血とまぜ合わさって、さらにどす黒い色へと変貌していく。声にならない悲鳴だった。
メガヌロンが威嚇の咆哮をあげる。待ちきれないとばかり、一匹のメガヌロンはこちらに向ってカマを振りかざした。
―――しかし。
そのカマは、一瞬の後に肉片に変わった。それだけではない。気づいた頃には、メガヌロンの腹が真っ二つに裂けていたのだ。
燃えるような血の熱さも忘れ、背筋が凍りついた。
「……」
ゆみが、ゆっくりとメガヌロンを睨みつける。まるで憎悪に狂っていた。
―――そして再び姿を現した。あの、血に染まった瞳が。
仲間の一匹を殺され、猛るメガヌロン。歩みだすゆみ。私は、手を伸ばしたが…無償にも、手は届かなかった。
「だ、め………」
意識薄れ行く中で、最後にかすかに映ったのは、飛び掛ってバラバラにされたメガヌロンと、首を掴まれもがき苦しむ別のメガヌロンの姿だった。
死 ん で
その言葉の直後、ゴキッという首の折れる音が響いた。
最終更新:2007年10月02日 23:08