粒のような文字が整然と並ぶ書類に目を通すと、国木田少将は小さくため息をついた。
「…ともかく、ラドンは撃退できたわけだな?」
自分の座っている席の前に立つ熊坂にすっと視線を移す。
「ええ……致死させるには至りませんでしたがメガヌロン共々退けたようです。被害も最小限、これも家城達が頑張ってくれた成果でしょう」
「……」
こんな事例は珍しい。巨大怪獣相手に、ただの一人も被害者がなかった事は本当に稀なケースしかなかった。ひとえに、これはM機関として大きな前進といっても過言ではないだろう。
しかし、晴れやかな熊坂の態度に対し国木田はどこか浮かない表情だった。
「…どうかされましたか?」
「……不自然じゃないか?」
顔色を覗き込んできた熊坂を、国木田は冷たく睨んだ。
「たった二人だったんだぞ?それも、まだ経験の浅い子供2名…。どう考えても、割が合わないのではないか」
確かに、先兵たちが必死になってくぐり抜けてきた幾多の戦いから判断するに、こんな事例はありえなかった。
「しかし、これは事実です。現に家城達は…!」
そういいかけて、熊坂が言葉を詰まらせた。そして、国木田はその瞬間を逃さなかった。
「…随分と肩を持つんだな、あの2人……いや、家城由美子というミュータントに」
体が固まった。見透かすような国木田の視線に、冷たい汗が頬を伝う。
「君はあの娘にどうも入れ込んでいるようだが…」
ぐっ、と国木田が声を押し殺して迫る。
「何か、あるのではないかね。彼女について、秘密のようなものが」
落ち着け……そもそも何故こんな質問をされている?そうだ、元々は被害のなかったことに喜ばなくてはならない場面のはずなのに。
何だ、この少将の探るような態度は―――
「秘密…そう、例えば――――――」
その時、とぼけたような音が言葉の続きを遮った。扉をノックして入ってきたのは、瑞穂だった。
「えっと、お邪魔でしたかぁ?」
角のない声でニッコリと微笑む准将。
「これは神崎准将…何か御用ですかな?」
国木田がひらりと瑞穂へ向き直る。熊坂は小さく安堵のため息をついた。
「ええ、ちょっと熊坂教官さんに♪…お借り、できますかね?」
影を落とした国木田が、抑揚のない声で応える。
「ええ…どうぞ」
それを聞いた瑞穂はありがとうございます、と熊坂の手を取った。そして一礼の後熊坂を引きずるようにして部屋を後にした。
「まぁ、いずれわかることか…」
国木田の呟きは、おそらく扉を閉める音にかき消されただろう。

「危ない所でしたね♪」
満足のいったような笑みでこちらを振り返る瑞穂。
…そうだ、本当に危なかった。このことは、これは―――
「…その記憶は、まだアナタの胸のうちにしまっておいたほうがいい……」
瑞穂は、熊坂の胸をまるで壊れ物のように優しく叩いた。
炎の中の記憶。X星人が襲来した、運命の日の惨劇。おそらくその惨状の真実は、その本人すら覚えていないのだろう。だからこそ、これはこの胸のうちに秘めておく必要がある。
「それじゃ、私は行きますね♪国木田少将には、今後気をつけたほうがいいかもしれませんね…それじゃ♪」
…准将は見越していたのか。少将が不振な行動にでることに。
この一見芯の抜けたような人に人望があるのは、そういう先を見通す力にあるのかもしれない。
「それにしても少将…あの質問の意味は…?」


どれほど時間がたったのだろう…どれくらいこうしていたんだろう。戦いは終わったのか。ゆみは…。
そうだ、止めなければならない。彼女を殺戮マシンに仕立て上げるわけにはいかない…あんなにも純粋な娘を、血に染めるわけには。
ふと頭の中に浮かんだ、彼女の姿。鮮血に魅入られたような、妖艶でいてかつ感情を殺されたような冷たい瞳。そう、まさに朱を纏った死神のソレだった。
とめなきゃ、とめなきゃ…。
ぼんやりとしていた意識が、次第に覚醒してくる。目の前にある何か、それが輪郭として形になっていき、ゆっくりと人の顔であることを認識させる。
そしてそれが完全に顕となったとき、私は思わず飛び退いてしまった。
たった今頭に描いた顔が、目の前にあった。
「……ッ!?」
「お、落ち着いて!もう、敵いないから」
そう言われて、周りを見渡す。見慣れない個室。目の前に広がる雪みたいに真っ白な布団。
そうか、ここは病院か。どうやら気を失っている間に搬送されたらしい。
「私……」
「よかったぁ…このまま気がつかなかったらどうしようかと思っちゃった」
一点の曇りもない笑顔。眩しいそれは、死神とは間逆の存在―――まるで天使のようだった。その微笑に、先ほどまでのよからぬ妄想は一瞬にして吹き飛んだ。
よかった、いつものゆみだ…。
と、その時私でもゆみでもない声が割って入ってきた。
「ホントよかったですね、幸い背中の傷もたいしたことないみたいですし」
人当たりのよさそうな清楚ある声と共に現れたのは、利発そうな面持ちの男性だった。整えられた顔立ちが、好青年という印象を与える。
「医師も驚いてましたよ…すごい回復力だって。通常なら治癒に倍はかかるそうです」
「え…っと?」
困惑している私に、ゆみはああそうかと気がつき説明をいれる。
「ごめんね、そういえばまだ知らなかったよね。この人は『河原田勇介』二等空尉。さっきの応援部隊の中にいた人だよ」
そういわれて、そういえば通信で聞いた声と同じだな、と思い出す。
「M機関航空隊所属で、今注目の若手エースさんなんだって!」
「そ、そんなんじゃないですよ。本当に、色々と未熟で…」
それでもまんざらではないらしいことは、淡い紅を帯びた顔から読み取れる。
「いやー、でもホントすごかったよ、河原田『君』」
「い、いやゆみ…いきなり『君』付けは失礼じゃ……」
まだ入隊して間もないゆみには、上下関係が学校なんかの生ぬるいものとは違うものだという実感がわかないのだろう。
「いいんですよ、皆そんな感じですから」
礼儀正しくもやや腰の低い彼は、仏のような笑顔を私に向けた。そんな心ある計らいも気に留めず、ゆみは子供みたいにでね、と言葉を紡ぐ。
「私もさっきの戦いを見てたんだけど、すごかったよー。特に、こう相手と絡み合うようにくるくる~ってなったトコとか」
興奮冷めやらぬ、といった様子でジェスチャーまで加えて説明するゆみ。そんな自分の自慢話を恥ずかしく思ったのか、河原田さんは半ば強引にその対象を切り替えた。
「そういうゆみさんだってすごいじゃないですか。あのラドンと互角に戦った上に、あんな数のメガヌロンをたった一人で…」
頭を打ち付けられたような衝撃が全身を駆け巡った。一瞬にして地獄に引き戻されたような感覚。甦ってきたゆみのあの凍て付いた朱の瞳が私の心臓を刺し貫く。
「…どうしたの、怜ちゃん?」
一瞬でこわばった私の表情に、敏感に反応したゆみは、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。―――私は、ギクリとした。
「……ううん、なんでもない」
青ざめた表情で、私は力なく首を横に振った。
―――何故だろう、今はこんなにも清純で、まっすぐな瞳をしているのに。
―――何故、貴女は死神にならなくてはならないのだろう。
纏わり付いてくる血の記憶。今は、夢であったと信じたい。そう、ただの悪夢だったと。
ふと、思った。
もし美里があの時のゆみの姿をみたら、美里はどう思うのだろう。気絶するか、発狂するか…どちらにしても、笑えるジョークではない。

鬱蒼とした鉄のジャングル。だだっ広く、仄暗い風貌を持つ格納庫に、松本と静奈はいた。
眼前には所々焼け爛れ、ボロボロになった戦艦コンスタンティノープルが見るも無残な姿で横たわっている。
「派手にやられたものだ…せっかくの1200mm砲も、こうなればしばらくは使えないだろうな」
松本は、芸術鑑賞でもするようにむしろその傷に感心していた。しかし、その傍ら静奈は俯き影を落とし、押し黙っている。見かねた松本はぽん、と肩をたたいた。
「気負うな、お前のせいじゃない…お前はよくやった。初めての指揮も完璧だった、むしろ非があるとすれば俺のほうだ」
「しかし、間に合えなかった…」
根岸大佐は、ほんの数十分前に息を引き取った。元々、ラドンの攻撃はほぼ致命傷に近かったのだ。
「もっと早く、到着していれば…!」
「いや、それを言うならあのX星人に勝てなかった俺にも非がある。だから―――」
X星人。帰還したら早急に報告しなくてはならない。残党という可能性も否定はできないが、死亡したゴジラがそう容易な事態ではないことを物語っている。
「まぁつまり、ミュータントってのは能無しの筋肉バカって事ですかねぇ?」
それは突然の第3者の声。罵倒した内容のソレに松本は切れるような鋭い視線を浴びせた。
―――そこに立っていたのは、亜麻色の髪にすらりとした体つきの女性。髪をかきあげればそれはまるで絹のようなしなやかさを持っていた。
その姿に、静奈は体を一瞬こわばらせる。
「なっ…貴様、何故こんな所に―――!?」
静奈の反応に、女性は唇の端に不敵な笑みを浮かべた。まるで、獲物でも見つけたハイエナのような。
「あら、久しぶりですわね静奈さん♪」
「…知り合いか?」
「知っていたくもない相手だがな…」
静奈は引きつった顔で目をそらした。
「霧島麗華と申します…以後、お見知りおきを」
霧島と名乗った女性はぺこりと丁寧に御辞儀をした。
「それにしても…しばらく会っていませんでしたがお変わりないようで安心しました。胸も含めて」
「みるな!ていうか何しに来た!?とっくに軍をやめたお前に何の用事がある!?」
胸のことをいわれたせいか、少し言葉が上ずっていた。霧島はその様子を恍惚のまなざしでひとしきり見回した後、またも勝ち誇ったような笑みを見せた。
「心外ですわね…これでも私、雇われの身ですのよ?」
「だ、誰がお前みたいな性悪女を…!」
「瑞穂さんですが?」
この言葉は決め手だった。
「! み、瑞穂が…」
ぐっ、と一歩後ずさる。
「やはり、この名前には弱いですか」
「瑞穂っていうと… あぁ、神埼准将。どうした静奈、あの准将に弱みでも握られているのか?」
「いや、そういうわけではないんだがな…」
これだけ取り乱す静奈も珍しいと思った。いつも落ち着きを払って、メンバーを抑える役目たる彼女が―――
あ、いや。
考えてみればそうでもないかもしれない…。松本は、自らの相棒の存在を思い出し、訂正した。

「っしょい!」
人気のない海岸線。そこで、最後のショッキラスを撃ち抜いた信二は訝しげに鼻をすすった。
「ひょっとして噂されてるか?ま、この超完璧にして容姿端麗才色兼備なオレを噂したい気持ちはわかるが…」
あごに手を当て自惚れる信二だが、周囲にはむなしい風が流れるだけ。おまけに顔を覗かせた鼻水がなんとも間抜けさ醸し出していた…。
「くしゃみで弾道ずれたな…まぁ倒せたからいいか……っと?」
ずれた弾道分析のためにショッキラスの死骸に触れた信二を、滑らかな感触が襲った。ショッキラスのものではない。
「なんだ、こりゃ…」
ショッキラスにこびりついた小さなそれをつまみ取る。
黒い塊。楕円形に長い尻尾を加えたそれは、楽譜の音符のような姿をしていた。一見すれば、生物であるかどうかもあやしい。
「おたまじゃくし…だよな」
形状はよく親しまれているオタマジャクシのそれだった。唯一おかしな点をあげるとしれば、そうにしてはあまりに大きすぎるということくらいだ。





「俗物共が……自らが生み出した膿にも気づかず…汚らわしい生き物だ―――」
影の中で、声が響いた。それと共に―――どす黒い何かが、静寂な青い海から染み出すように這い上がった。








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最終更新:2007年10月02日 23:00