「ふにゃー…」
私はM機関での仕事のない日、つまりは非番の日を利用して大戸高校に通っているわけだが、どうにも勉強に身が入らない。特に春の暖かな日差しというのは残酷なほどに催眠作用が高く、窓側に席を置く私もまたその毒牙にあっさりと引っかかってしまった。
―――無理もないと思う。ここの所、休む暇もなく戦い通しの日々。バラン・ラバやメガヌロンを筆頭に、毎晩のように現れる怪獣群。もはや定例行事にすらなりつつあるそれは、私の体をじわじわと蝕んでいった。もちろん私だけがそういう大変な目に遭っているわけではない。怜ちゃんは、回復力があるとはいえあの傷を受けてから1週間もしないうちに戦場に駆り出されている。私も出来る限りのフォローはしているつもりだけれど、怜ちゃんの動きはまだどこか弱々しく見ている私には痛々しい。
それは静奈さんや信二さん、そして先日初めて挨拶をした松本さんにとっても同じことだと思う。私達以外いないんじゃないか、って思えるくらい出動尽くしの毎日。
そんな働き詰めの日々から解放されれば眠気が誘ってくるのは当然で。しかし休みになれば学校があるわけで、私の休みは一向に来ないわけで。こういうときは学校を辞めた怜ちゃんが本当に羨ましく感じる。
「ゆみ…だ、大丈夫?」
よっぽど疲れが顔に出ていたのだろうか、美里ちゃんが心配そうな面持ちでこちらを覗き込む。
「う~ん、だいよーぶ…」
「な、なんなら帰ったほうがいいんじゃない?私、センセーに言っておくよ?」
「う~ん、だいよーぶ…」
私の返答は、ほとんど寝言に近かった。あまりに眠いと、現実と夢の境界が曖昧になる。
「あ、あんまり大丈夫そうじゃないんだけど…」
規則的な心地よい寝息を聞いて、美里ちゃんは私を放っておいてくれたようだ。

そんなわけで、私達尾崎小隊はてんてこ舞いの状態です。今日は非番、なんていうけれど、結局夜になればいつものように怪獣は出てきて、私も休みを返上して出なければならなくなるでしょう。怪獣を倒す前に、私が過労死で死なないかがむしろ心配です。
ところで、私は前々から疑問に思っていたことがあるのです。私達は通称で尾崎小隊などと呼ばれていますが…
尾崎小隊、といわれるのですから、当然『尾崎さん』という方がいるではないでしょうか?どこかに出張中なのでしょうか?だとしたら、できればその『尾崎さん』には早めに帰ってきて欲しいと思います。私達一同、そろそろ本気で倒れかねませんので。

ハワイ諸島の射撃訓練場。観光地という印象の強いこの島で、こんな場所を利用するものがいるのかと疑問に思ったこともあったが、案外そうでもないことを知ったのは随分昔のことだ。
そんな銃声だけの物騒な一室の中に、ある男が早足に入ってきた。
髪は白髪、もみあげまで届くひげを生やしているものの、その動きは老人のそれとは思えないほど快活。歳は60代であろうか。ビシッと着こなされた銀のスーツがよく似合っている。
醍醐直太郎。日本人初の国連事務総長で、2004年に就任以来幾つもの偉業を成し遂げてきた男だ。
そんな彼が、その貫禄も忘れ少し慌しい様子で飛び込んできた。醍醐はその場所にいる人間を一人ひとり確認する。皆いかにも軍人らしいがっちりとした体格の男ばかりだが、醍醐が捜している人物はもっと特徴的であった。
そして、壁際の位置で醍醐は足を止めた。
周りの男たちとは身長も体格も一回り小さい。半そでから覗く肌は白く、腰周りや足はすらりと整えられていた。―――そもそも、男ではない。
「根岸くん、根岸くん」
努めて冷静に、彼は根岸ユイの名を呼んだ。

醍醐事務総長の存在には気づいていた。しかし、私は敢えてそれを無視した。またくだらない用件で訓練の邪魔をされたらたまらない。だから、確実に私が気づく方法を仕掛けてくるまではこの姿勢を維持する。目の前には頭部と心臓がある胸の一点のみを撃ち貫かれた人型がある。さらに弾丸を一発撃ち込むと今度は人型の首の部分に風穴が開いた。
―――ちっ。
乱れた。露骨に気が散っていることがわかる。自分自身でもわかっていた。この苛立ちにも似た感情は、醍醐事務総長の所為だけではない。いや、むしろその『もう一方』のほうが大きいだろう。
ようやく事務総長が私の肩を叩いた。私はわざとらしくならないよう微妙な仕草を真似て振り向いて見せた。そしてそのまま手招きされて舎の外へと呼び出された。
「…何か、御用ですか?」
私は愛想笑いというものが出来ない。かといって、怒ったような表情を作るのも苦手だ。言うならば、私は感情表現に疎い。自分でそんなことを自覚しているのも不思議なのだが、そうなのだから仕方が無い。一言で表現するなら無愛想といったところか。だから今回も例外なく、私はすました顔で事務総長の前に立った。対照的に、事務総長の表情はやはりどこか慌しい。
「落ち着いて聞いてくれ。実は先ほど日本から連絡があった。昨日、君のお父さんが…亡くなったらしい」
―――眉がピクリと動いた。
「どうも、怪獣と交戦して殉死したという話で…」
事務総長は次の言葉に詰まっている様子だった。私を少しでも傷つけまいとしてくれているのだろうか。
―――だとしたら、心配はいらない。
「―――そうですか」
その一言だけ言い放ち、私は踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」
事務総長は戸惑っているようだった。何とも思ってないのか、とでも言いたいのだろう。なら、敢えて言い返しておく必要があるだろう。今後、二度とそういった余計な事を言わせないためにも。
「父も軍人です…この世界に入った時から、常に死が側にあったことくらいは覚悟していたはずです」
「しかしだね…!」
「父は役目を立派にやり遂げただけです。そこに私の感傷など必要ない…」
「そんな話ではないだろう根岸くん!!」
多少の怒りを交えた声で事務総長は怒鳴った。しかし、今更私にとっては雑音だ。
「私は訓練に戻ります。それでは…」
「せめて…せめて葬儀には!私も日本に行く用事がある……!」
最後のほうは全く耳に入っていなかった。これ以上戯言に付き合う必要はない。それよりも…だ
「そう、それより問題は―――」
別に、ある。

いつ話しかけても、彼は上の空。どこかずっと遠くにある何かを見つめている。そう、何か。きっと、この世界のものではないと思う。
―――そして、私はそんな彼が腹立たしい。
「大尉」
白に輝くビーチの木陰に腰下ろしていた彼を呼んだ。しかし、彼は応えない。ずっと、澄んだ空に心を置いている。
これは、もうただの抜け殻だ。この体は…『尾崎真一』という名の、虚ろな入れ物。
「大尉、大尉…」
私は尾崎大尉の肩を揺すってみた。確実に反応があることは、先ほど事務総長が立証した。
だが、彼は首をわずかにこちらに向けただけだった。光のない瞳が、私の喉元を抉る。
世界を救った英雄、尾崎真一は死んだ。あの日―――富士山麓で想い人を失ったあの日に、その想い人と共に彼の心は亡くなったのだ。
何ともろく、儚いものだろうか。
私は、この抜け殻をどうすればいいのだろうか。このハワイにだって、引きずるようにしてようやくここまで連れてきた。しかし、今後ともそんな状況が続いていいものなのか。否、いいはずがない。もし、今ココで事務総長の身に何か危険が迫ったとして、対処できるのは実質私だけということになる。ひとりだけで対処できる相手ならいいが、もしそうでなかったら…? この2人という人数配置は、カイザーの能力有する尾崎大尉がいてこその人数なのだ。それなのに…。
「…大尉、ホテルへ戻りましょう」
返答は何もなかった。小波の音、陽光の下にはしゃぐ黄色い声達、そして風に揺れる南洋の葉の心地よいさえずり。しかし今は、そのすべてが私達の沈黙を引き立てる効果音でしかなかった。
「…大尉」
時間と共に、彼は腐っていているように見えた。そして私は、その腐り行く様をただ見つめ続けていた。大尉の行為はただのワガママにすぎない。悲しいから、寂しいから何も出来ない、それは子供と同じだ。時間は戻ってくれないし、有事は待ってくれない。そうしていても、帰ってくるものは何もない。時間が過ぎるだけだ。
もし時間が戻る術を持つものがいるのなら、是非私もあやかりたい。
―――少尉を…
「…いつまでそうしているつもりですか、大尉」
トーンの落ちた私の声に、大尉はさっきよりはっきりと反応した。しかし、またすぐに俯き、視線を下に落としてしまう。
「いい加減にしてください」
ぴしゃりと、音のする声だった。その冷め切った声が、一瞬草木までも黙らせた。
「私はあなたを慰めるためにここにいるわけじゃありません、事務総長の警護のためにここにいるんです。…大人なら、割り切ってください」
―――何故。何故何も言わない。いつまでその殻を捨てないつもりだ。
「―――くれ」
「はい?」
大尉が口を開くところを見たのは、実に数日ぶりだった。ぼそりと、くぐもった言葉でも、ようやくの進展に胸を撫で下ろす。少なくとも、いままでの一方通行の会話よりはよっぽどマシだ。
「俺が何をしたってどうにもならない…。大切な人一人守れない力なんて持っていても何の意味もない……。俺がいても意味なんてありはしないんだ。―――ほっといてくれ」
言葉を失った。心のうちにあったわずかな高揚も、一瞬のうちに冷めてしまう。
その、堕ちた抜け殻を私は哀れむでも怒るでもなく、ただ見下していた。
しかし、その時間はそう永くは続かなかった。清浄なる海が、一瞬にして轟音と共に持ち上がったからだ。

水柱から最初に姿を現したのは背びれだった。それに連なって首や尻尾が持ち上がってくる。
真っ白な水しぶきから現れた形状には見覚えがあった。聳える背びれやうねる尻尾はかのゴジラに酷似している。だが、死んだゴジラがここに現れるはずはない。では何?
その正体は、藻のようなほのかな深緑色の体と、そして何より目に引き付けられる首のエリマキが物語っていた。
―――ジラースか。
ゴジラの亜種とも言われているジラース。ライオンの鬣が強さを誇称するものであるように、ジラースのエリマキもまた眼下の群集に自らの強さを見せ付けているかのようだった。
逃げまとう群衆とは真逆の方向に走っていくユイ。
…やはり追ってこないか。
どんどん小さくなっていく尾崎を尻目に、ユイはジラースの前に躍り出た。
「いけ…っ!!」
ユイの握るメーサー小銃から一直線に放たれる一条の蒼い閃光。それがジラースの腹に突き刺さる。しかし、ジラースは平然とした様子で迫ってくる。直後、ジラースの口腔内がカゲロウのように揺らぎ、そして白熱の光が撃ち出された。紙一重、横っ飛びでかわすユイ。
亜種とはいえ、ゴジラの力は強大だということか。目標を見失った白熱光は真っ白なホテルの壁をぶち破った。太陽の眩しい天国は、一瞬のうちに地獄と化す。
ジラースは、早くも海に飛び込んでいる。元々ここは通過点でしかないのだろうか。
―――この配役にはやはり無理があったのだ。そう思うと、腹の底から怒りがこみ上げてくる。しかし今更どうしようもない、ならば、とユイは再びメーサーを叩き込む。
「逃がすか!」
攻撃を一点に集中すれば…。
まるで巻き戻し映像みたいに閃光は正確に相手の一点を突いている。そして…
空間を切り裂くような悲鳴と共に、ジラースは体勢を崩した。
「よし」

いかなる状況においても退かず、相手の弱点を的確に突き、確実に仕留める。
『勝利得るまで、何度費えても矛とあれ』―――
風間少尉は、ミュータントは守ることよりも、攻めることが使命だと口癖のように言っていた。
守り―――それは後手に回ることであり受けになること。敵が在り続ける限り、守り続けることなど不可能だ。ならば迅速に敵を断ち、被害を最小限に抑える。
―――だから
指を引く。もう一度敵が潜る前に。
―――打ち勝つまでは
もう一度。皮膚が砕けるまで。血をぶちまけるまで。
―――退かない。
背びれが砕ける。破片が飛び散り、次いで生臭い血の匂い、最後に煙が周囲を包み込んだ。

ユイは瞬きひとつせず、びゅうびゅうと吹く砂塵の中に佇んでいた。そして、ただ一点を醒めた瞳で見つめる。きっと、横たわる敵の未来を見据えているのだろう。


―――しかし
海中へ潜りかけていたジラースの首がピタリと止まった。槍のように研ぎ澄まされた眼光がユイを捉える。舌打ちひとつ、銃口を向けるユイだが…もう遅い。
放たれた閃光をいとも簡単に一蹴し、白熱光が砂を巻き上げる。陽光を反射してきらきらと瞬く砂粒。それに混じって吹き飛ばされるユイ。歳相応の体の軽さが皮肉にも安心感を持つ。
ジラースの口内が熱を伴って揺らぐ。これまでにないほどの憎悪を晒し、それに狂った顔つきはもはや幽鬼だ。どうやら、さっきの攻撃がよっぽど頭にきたらしい。
岩に背中を強く打ちつけたユイはまだ立ち上がることができない。
殺られる?
きっと本人は気づいていない。なぜなら、彼女は攻めることに躊躇いもなく夢中だからだ。きっと、目の前の巨大な肉塊を墜とすことしか頭の中にない。戦う時、彼女はそうすることで雑念を取り払い、感情を押し殺している。
―――自分も守れず、何が―――

ふと縁側の外から冷静に解析している自分に気づいた。座り続けていたため、尻に妙な負担が襲った。しかし、今の自分にはそんなものは何とも感じなくて。
気がつけば自分は走り出していた。
―――きっと、放っておけばユイは死ぬ。
尚もユイは効果の無い攻撃を続けている。自分が死の淵に立っていることもお構いナシに。そんなことは微塵にも思っていないのだろう。多分、相手が倒れるまで闘い続ける、それしか今の思考回路が受け付けていないのだと思う。
―――それじゃ、だめだ。
既に放たれた白熱光。空気をも切り裂く熱線は一直線にユイを捉えている。
―――間に合え、間に合え…


まるでスローモーションのような光景だった。私の目の前に迫った閃光。思考が避けろ、と言っているのはよくわかる。しかし、体は金縛りにあってしまったように動かない。
さっき背中を打ったからか?いや、そうじゃない。
―――恐れているのか?
私は目を庇うように、手をかざした。
―――目なんかじゃ、ない。全部だ。全部…根岸ユイという全て。覆いつくせないそれを、小さな、華奢な掌に任せようと。

一秒が永遠に思えた。ゆっくりと、その永遠が冷めていく。そして、体の感覚があることに醒める。目の前で、閃光は竹を割るように綺麗に二分されていた。その根元には、一人の男の姿。その躍動は、もはや抜け殻とは呼ばない。…いや、呼べない。
尾崎真一の、はっきりとした躍動、一歩の力強さ。

私は、その姿を見て、ようやく『覚めた』。

おろかな、身を焼くだけの前進。ただの無謀な一歩。今、目の前にいる男の一歩に比べて、それはあまりにも滑稽で、惨めで、情けないものだったのだろう。


まっすぐジラースに向って行く彼には迷いなどない。自分の想いを貫いている姿は、まるで矛のようだった―――。






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最終更新:2007年10月02日 23:00