ヘドラとの一件以降、怪獣はぱったりと姿を見せなくなった。ヘドラによる自然バランスの崩壊を原因と予測した瑞穂准将の読みは正しかったようで、おかげでM機関にはつかの間の休暇が訪れた。
事後対応に追われる上層部とは違って、一般小隊などの兵士はゆったりとした時間を過ごすことができた。木の葉のさえずりが、心地よい眠りを誘う。
このところ、頻出する怪獣に碌な睡眠時間さえ取れていなかった尾崎小隊の面々。あれから一週間―――長い戦いという束縛からの解放感もあるのだが、日常から何かが抜け落ちたような脱力感が何をするにもやる気を起こさせない。
「そういえばー、ヤメタランスとかいう怪獣もいたよな」
携帯ゲーム機を弄りながら誰にでもなく話しかける信二。
「え、そうでしたっけ?初めて知りましたけど」
いつもは真面目な怜でさえ作業が手につかないようで、机に突っ伏して目蓋を重くしていた。
「いるんだよ、ふざけた顔しててさ…体中からなまけ放射能なるものを撒き散らしてるんだそうな」
「だったら、この状況はその怪獣のせいですかー? 何気に展開と文体もまた怠慢になってきてますし…」
「いや、それはない! つか、展開と文体って」
「どうしてです?」
怜があくび交じりに質問した瞬間、遠くのほうで声が聞こえる。
「うおらお前らっ! 真面目に仕事しろ!!」
あの張りのある声…熊坂教官だ。今時流行らない、見事な熱血教師。
「やだねー、あつっくるしい人は」
やれやれと首を振ってらっしゃいますが、それは先日のアナタにもいえるのではないでしょうか、信二さん。
「あ、そういや今日ゆみっちは?」
「サボって学校行きました」
「…後で雷落ちるかもな、この辺」
「そうですね…でも、学校に行くだけ立派だと思いますよ」
今更気づく。そういえば、ゆみに『休み』という日はないのではないだろうか。戦いと学校の板ばさみ。そう考えると、案外気楽そうに見えてそうでもないのかもしれない。
―――いつか、ゆみに休日をプレゼントしようかな。いつも助けてもらっているお礼に。
きっとゆみの事だから、小さな子供にはしゃぐだろうな。いつがいいだろう
「そうだ…今度、皆でどこか行きません?海とか」
「お、いいじゃねえか!今年は特に暑いし、きっと盛り上がるだろうな!  うん、れぃちんもたまにはいい提案しれくれるじゃない」
「たまにはで悪かったですね。 それより、そろそろ仕事したほうがよくないですか?」
静奈さんは瑞穂准将の手伝い、松本さんは修行とか何とか言って、どこかへ姿を消した。自分達だけ仕事をしないのでは、申し訳が立たない。
「いいっていいって、気にしなさんな。俺が許す」
「いや、気にしますよ」
「じゃ、ビール買ってきて。チューハイでも可」
「どうしてそうなるんですかっ」

―――そういえば、どうして私は海なんて提案したんだろう…泳げないのに。

世界を紅に染める夕刻。
「はー、終わった終わった」
堅苦しい学校も放課後を向かえ、美里はんっ、と大きく伸びをした。
「今日はゆみも訓練お休みってことだし、皆でどっか行こうか」
…まぁ、お休みが嘘だってことはわかってるんだけど。ゆみは嘘をつくとき、左肩をさする癖がある。大方、訓練か何かが嫌になって抜け出してきたのだろう。それにしても、そういった癖というのは、本人にはわからないものである。
「…どうかしたの、ゆみ?」
返事のないことを不思議に思って振り向くと、ゆみはしゃがみこみながら必死に鞄の中を覗き込んでいた。
「え、あ、いやなんでもないよ」
ほら、またさすってる。
「困ってるなら言ってよ。いつからの付き合いだと思ってる?」
「え、あ、うん…」
歯切れのよくない声で、ゆみは喋り始めた。


「え、じぇっとじゃがー君が消えた!?   …って、あの人形?」
「うん…」
ゆみのお父さんの形見という、あの古ぼけた人形。ゆみは、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。
「べ、別にいいじゃん…また買えば」
「だ、ダメだよそんなのっ!あれはお父さんの大事なものなんだから!」
一転して迫力のある声で反論される。
―――それにしても、私にはどうしても形見というその感覚が理解できない。例えその人に所縁のあるものであろうと、その人自身がそこにいるわけではない。所詮は幻以下の妄想だ。そんなものに固執したって、その人は帰ってくるわけではないのだから…。
「ゆみ、その人形だけど―――」
「よし、その人形、俺たちで探してやろうぜ」
それは、第三者の声だった。
「く、工藤くん!?いつの間に…」
「まぁ気にするな。それよりゆみ。その人形がいかに大切か、俺にはよっくわかったぜ!だから、人形探し、俺も協力してやる」
「ほ、ホント!?」
つぼみの花が満開になったみたいに、ゆみの表情が一気に明るくなる。
「え、デートは…」
「馬鹿野郎、今はそんな場合か!」
工藤君、多分に熱血漢すぎるのがタマに傷なんだよね…。でも、ゆみがこのまま悲しい想いのままなのは嫌だから、人形探しには賛成する。
「しょうがないな…それじゃ、私も手伝う」
「あ、ありがとうっ、二人ともっ!」
手を握り、ゆみは感激した。ここまで感激されては、探し出す他選択肢はないだろう。

私達は二手に分かれることにした。片方の校舎をゆみ、もう片方の校舎を私と工藤くんが探すことになった。
「そうは言っても…人形が勝手にどこかへいったりするかな?」
そもそも人形が動くことはない。つまり、誰かに盗まれたということになる。…しかし、あんな人形を一体誰が?
「そうだなぁ…ひょっとしたら、マニアの間では価値があるものなのかもな。それで、売りさばくために盗んだとか」
「もしその盗んだ人が、ものすごい強そうな人だったらどうしよう? もしゆみみたいにミュータントだったら、思いっきりボコボコにして取り返せるんだけどなぁ」
私が冗談めいた話をした途端、急に工藤くんの顔が険しくなった。しまったと思った。彼の前では、ミュータントの話は禁句だったということを、私はすっかり忘れていた。
「…ね、ねぇ……どうして、そこまでミュータントが嫌いなの?」
分かりきったことを、私は聞いた。
彼は中学時代、陸上部のエースの座を奪われてしまった。その人物こそが、ミュータントだったのだ。結果は歴然で、工藤君の築き上げてきたものを皆の心から忘れ去らせてしまうには、十分な演出だった。
「…別に、逆恨みとかじゃないんだ」
呟くように彼の口からこぼれた答えは、私の予想とは大きく違っていた。
「ただ、嫌いなんだよ。努力もせず、才能だけで勝ち誇っているヤツが。力も知恵も、自分の努力で作ってくもんだ。生まれに恵まれただけで優劣が決まるなんて、あってたまるものか」
語る彼のまなざしは、燃え上がる炎のような何かを宿していた。
「……だから、和泉のことは振ったんだ」

昔のことを思い出していた。和泉怜という人物に出会ってから、しばらくのこと。「好きな人が出来た」と、頬を真っ赤に染めながら相談してきた怜。珍しく、自身げのない声で、もじもじと指を弄りながら。
しかし、告白した男はあっさりとその怜の想いを突っぱねてしまった。それどころか、あろうことか次の日この私に「好きだ」などと迫ってきたのだ。はっきり言って気が引けた。結局はOKを出してしまったのだが、あの時ほど気まずい思いをしたことはない。それ以来、怜は学校を度々休むようになった。「仕事が忙しくって、たまにしか学校にこれなくなった」なんて言っていたけれど。きっと、胸が潰れる思いだったに違いない。そして、親友だったはずの私を恨んだに違いない。
それからしばらく―――怜が学校を中退するまで、私達は以前と何の変わりもなく親友として付き合った。ゆみはもちろん気づいていなかっただろうけど。きっと怜は、私に気遣っていたんだと思う。だから、時々不安になるのだ。今も、怜は私を恨んでいるじゃないか、って。
私も、『和泉』と呼ぶようになった。これが私なりの距離の置き方である。だが尚更、怜の想いが気になってしょうがなかった。だからつい、この前もゆみに聞いてしまった。『和泉は元気?』と。

工藤くんは、押し黙ったまま何も語ろうとしない。これが、彼なりの答えなんだろう。
―――だが、疑問も残る。
「だったら…どうして、ゆみの事は助けてあげようとするの?」
ゆみだってミュータントだ。その事実は、和泉となんら変わりない。すると、彼は答えた。
「あいつは、馬鹿だからさ」
「は?」
思わず、きょとんとする。
「馬鹿だから、才能とか自分の力とか、何にもわかっちゃいねえ。それなもんだから、あいつはいつも人に追いつこうと必死で努力しようとしてやがる。それが馬鹿みたいで、なんとなく笑えるんだよな」
さっきとは違い、一点の曇りもない微笑みを見せる工藤くん。
「その気持ち…なんとなく分かるかな」
私もまた―――そんなひたむきに頑張ろうとするゆみの姿に、惹かれたのかもしれない。きっと、いつも空席の椅子にゆみが座っているのを見ると嬉しくなるのは、そのせいだろう。
「…それじゃ、さっさと見つけちゃおっか、人形」
「ああ、そうしよう」
私達は、次の教室の扉を開いた。

「ここにもいない」
何度同じ台詞を口にしただろう。ゆみは半ば焦りながらため息を漏らす。ロッカー、机の中、カーテンの裏、窓の外―――教室中くまなく探すが、一向に見つかる気配はない。
「ここもダメ」
こうして、次の教室に向かう、これの繰り返し。傍から見れば変質者にも見て取れるが、幸い日の落ちきった校舎にはほとんど生徒の影はなかった。
と、そのとき。
「あっ」
ゆみは、目の前に転がる何かに目を奪われた。それは小さなもので、くたびれた赤や黄のストライプに、銀…もう古ぼけて灰色になってしまった、道化の顔。
それは紛れもなく、今まで探していた人形のじぇっとじゃがーくんだった。
「な、なぁんだ、私が落としちゃってたのかぁ…後で二人に謝らないと」
それでも、とりあえずは一安心のゆみ。今度は落とさないように気をつけよう、と心に想いながらじゃがーくんに手を伸ばす。だが。
―――え?
今、確かにじゃがーくんに手を伸ばしたはずなんだけど。何故か、人形は伸ばした手よりも右にあった。
「つ、つかれてるのかな…」
あはは、と乾いた笑い声をひとつ、もう一度手を伸ばす。今度はおそるおそる、慎重に。
ささっ。
「う、動いた…?」
確かに今、目の前でじゃがーくんが横に移動した。
ゆみの顔が青ざめた。そっちのネタにはめっぽう弱いのだ。じゃがーくんの視線が、いつもと違い、今にも襲い掛かってきそうな不気味なものに見える。
「ひっ…!」
今にも悲鳴を上げそうなゆみだったが、ふとじゃがーくんの下に何かあることに気がついた。液体のように見えながらも、しっかりと固形を保つ物体。そういえば最近、こんなようなものをどこかで見たような…。
「きゅ?」
『それ』は、なんとも愛くるしい声を発した。人形のような愛嬌を振りまきながら、『それ』はひょこひょこと廊下の奥へと這っていく。
つぶらな瞳とその声にしばらく呆気に取られていたゆみだが、ハッと気づいた頃にはじゃがーくんもろとも既に遥か遠くへ消えていた。
そして、今頃になって思い出す。ドロドロとしたあの特異な姿―――ヘドラだ!
「待てこのーっ!」
そうと分かれば容赦はいらない。ゆみは全速力で小さなヘドラのたどった道を駆け抜ける。まるで新幹線みたいな速さだ。まもなくして、ヘドラと、それに抱えられたじゃがーくんの姿が見えた。ヘドラだけに、移動速度はそう速くないようだ。今更になって焦っているようだが、もう遅いというものだ。
「つかまえたっ!」
一瞬の早業。小さなヘドラとじゃがーくんは、あっという間にゆみの腕の中に収まった。直も抵抗しようとじたばたもがくヘドラだが、ゆみの見た目からは想像もつかないような力の前にはなす術もない。
「全く、こんな所まで怪獣がいるなんて…これじゃサボってきた意味ないじゃん……」
とにかく、今度こそこれで一安心である。さあ、二人を見つけて帰るとしよう。
だが、それは浅はかだった。ヘドラに気を取られたゆみは、突き当りから歩いてきた人物に気がつかなかったのだ。
「げっ、どいてどいてそこの人!」
「え?」
―――打ち付けられたような衝撃が、頭を襲った。更に、衝撃でバランスを崩し、尻餅をつく。
「イタタタタ…」
同時に襲い来る二つの痛みに悶絶していると、脇にいたヘドラは軽やかに階段を下りていってしまう。
「あっ、ちょっとまっ―――」
言いかけて、ゆみはぶつかってしまった人物のことを思い出した。
そこに倒れていたのは、黒縁メガネのおとなしそうな少年。持っていたと思われる分厚い本の山の中で、ピクリとも動かず突っ伏していた。
「も、もしも~し…」
肩をゆする。が、反応なし。これはひょっとして、非常にまずいのでは…?
「と、とりあえず保健室!」
ヘドラのことは一旦忘れ、ゆみはその男の子を抱え一路保健室を目指した。

「ほんとごめんね」
ベッドに腰掛ける少年に恥ずかしそうに頭を下げるゆみ。どうやら、保健医は出張中でいないらしい。
「え、あ、いや…別に」
彼もまた、ぎこちない笑みを浮かべる。見るからにおとなしそうな少年は、なんだか居心地悪そうにあちこち視点を動かす。
「あの…大丈夫?」
「う、うん、大丈夫…じゃあ、僕はこれで」
歯切れの悪い声で、そそくさと立ち上がる彼。
「あっ、ダメだよ。まだ安静にしてないと」
それを制止するゆみ。

不気味なまでに静まり返った空気。何か話題を振りたいものだが、この空気の中では言葉が詰まってしまう。まったく、この女の子も余計な事をしてくれたものだ。引き止めたなら、何か話題くらいないのかよ…。
―――ああ、早く誰か来い。そうすれば、適当なこと言って帰れるのに。
「そういえば…さっきまで何してたの?部活?」
痺れを切らしたのか、女の子が質問する。同じように、この空気に気まずさを感じていたのだろう。他愛のない質問だが、今この状況を打破するにはこの際どんな話題でもいい。
「図書室の整理。委員の仕事でさ」
こんなことをしてる場合じゃないのに。今日は家庭教師もあったんだった。帰ったら親父になんて言い訳すればいいのか…。
「そうなんだ。偉いね」
そういって微笑む彼女。無垢な微笑みだ。だが、逆にそれが腹立たしくもなった。
「…偉くなんかないよ。なし崩し的にやらされるハメになっただけだから。…いつもそうだ」
「え?」
そうだ、いつも自分のことを決めるのは他の誰かだ。自分でいうのもなんだが、僕は気が弱いほうだ。だから、つい遠慮して自分の考えはいつも後手に回る。
それもこれも、全てあの高慢な親父のせいだ。あれをしろコレをしろ、お前の進路はこうだ、全てにおいて親父の意見が絶対優先だった。小さな頃からそれが当然のように育てられてきた僕にとって、自分の意見を持つことがどんなに大変なことだったろう。おかげで、中学校では碌な友達もできないまま卒業式まで過ごした。周囲からは『真面目だが暗い子』として見られ、一時期は虐められもした。この大戸高校まで耐えてこられたのは、ある意味で奇跡だ。
親父は何もわかっていない。自分の価値観でしか物事をみてないんだ。その価値観が、どれだけ僕を苦しめているかも知らないで…!
結局、この高校でも友達と呼べる友達はほとんどいない。どうせ付き合っても疲れるだけだ、と割り切ることにした。これも―――親父に植え付けられた価値観のひとつ。道を選ぶ力のない無様な自分…。周りに愛想笑いしかできない自分が情けなかった。
この腹立たしい想いは、そんな上辺だけじゃない、純粋な笑みを浮かべることが出来るこの気楽な少女への、羨望と嫉妬の感情なのかもしれない。

「あの…どうかした?」
はっ、と気づくと、女の子は心配そうな面持ちで僕の顔を覗き込んでいた。しかも、その距離は息遣いがわかるほど眼と鼻の先で、思わず僕は仰け反ってしまう。
「だ、大丈夫大丈夫…」
この子は何を考えているんだろう…。天然?それとも、誰もいないことを計算して誘っているのか?後者だとしたらますます帰る必要がある。
「眉間にしわ寄せてたから…どこか、苦しいのかと思って」
「そうじゃないけど…ちょっとね」
おっと、これで終わりにするわけにはいかない。辛いことまで思い出して作った話題だ、続けなければ僕自身が浮かばれない。
「そういう君は、何をしていたの?」
「えっ、ああ私は…」
そういって彼女が取り出したのは、小さな古びた人形だった。
「これを、探してたの」
「こ、これは…人形?それも、随分昔の物みたいだけど」
こんなもののために自分が負傷したと思うと、なんだか損な気分になる。
「うん…お父さんの、形見で」
…形見? ということは、既にこの子の父親は―――
「あの、ひょっとして、聞いちゃいけないことだったかな…?」
「え、ああいいのいいの!気にしないで。 だから、すごく大切な人形なんだ、これ。色とか、落ちちゃってるけど」
そういって苦笑する彼女。
「そんなにそれが大切?」
うん、と無邪気に笑顔を振舞う彼女。
「お父さんね、私が小さいときにお母さん亡くしちゃってるから、私の事で色々苦労してて。ほら、女の子のことって男の人には結構わからなかったりするから…。でもね、すごく頑張ってくれて、大切にしてくれて。だから、私もこのお人形、大切にしようって」

「あ、でも落としちゃうなんて結局大切にしてないよね、だめだな私…あはは」
―――このとき、不謹慎にもこの子が羨ましいと思った。いや、正確に言うと…
「いいじゃないか…親父がいなくたって」
「え?」
「そんなに父親が好き?」
「え…」
少し間をおいて、彼女は「うん」と答える。さっきとは違う、戸惑うような返答だった。
「そう…。僕は嫌いだよ。あれをしろこれをしろと五月蝿く言うし…僕の将来さえ押し付けようとする、親父が。…僕からすれば、君が羨ましいくらいだ」
「そんな…」
「君は大切されたからわからないんだろうけど…僕の親父はそんな暖かいものは何一つくれはしなかった。所詮親なんて、自分の理想を子供に押し付けるだけの奴らなんだ。結局は自分達の立場ことしか考えちゃいないんだよ」
―――何故、こんなにも熱くなっているのだろう。
親のことを楽しそうに語る彼女に腹が立ったのか。それとも、親の顔を思い出させた彼女に腹が立ったのか。気がつけば僕は、彼女にとっての『親』という存在をまるでわざと否定するように言い散らした。小さく俯く少女。
ああ、何やってるんだ僕は。
質量を持っているように重苦しい空気が流れる。何も言葉にすることができない。ひょっとしたら、この子はこのまま泣き出すんじゃないだろうか。そう考えたら、わずかな罪悪感がこみ上げてきた。
だが、彼女は泣かなかった。そして、静かに語るように呟く。
「…そんなこと、ないと思うよ。あなたのお父さんだって、アナタのためを思って―――」
「そんなの、綺麗ごとじゃないか」
親父が僕のためを思っているならば、僕はもうこれ以上構ってくれないことを願う。
「別に、親のことが嫌いでもいいよ。だけど―――」
「…何」
「育てようとする努力…それだけは、誰もが持ってると思うから。それだけは、わかってあげてほしいかな」

玄関。満点の星空の中、僕達はそれぞれの帰路につこうとしていた。
「じゃあ…またね」
「うん…また」
―――不思議な女の子だったな。最初は何にも考えてないようにみえたけど、結構色んなことを考えていて。でもやっぱり無用心に男の目の前に出たりして、天然なところもあって。―――もっとも、もう話すことはないだろうけど。
「あ、そういえばさー」
歩き出してから少しして、再び聞こえた彼女の声。
「何?」
「君、名前は? 私、家城由美子!皆はゆみって呼んでるよ。あなたは?」
名前、か。久しく、他人に名前を教えることなんてしてなかった。ひょっとして、この子…ゆみさんとなら。
「田口、健太―――」

本当に不思議な子だった。
でも、僕と違う価値観を持った彼女に、なんとなく僕は―――
「ねぇ…あの子と、友達になれるかな。なんだか…あの子なら、一緒にいても楽しい気がするんだ。……ね、ミニラ―――」
宙に吸い込まれて、言葉は消えた。真珠のように光り輝く星空は、その想いをいつまでも見守っていた。




「あれ?それにしても、何か忘れているような…」
その頃。
「げっ、もう学校閉まるよ!ていうかゆみもどこにもいないし!」
「ったく、どこにいやがるんだ犯人は!急ぐぞ美里!!」




M機関のエアポートに、一機のジェット機が着陸しようとしていた。降下するに連なって、雲は逆に登っていくように見える。銀の機体が雲を抜けると、眼下には宝石をちりばめたような美しい夜景が広がっていた。
そんな様子を、根岸ユイは無愛想な顔つきで眺めていた。








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最終更新:2007年10月02日 23:10