「あれから、彼とは出会っていません。というより…顔を合わせづらくて……避けているようにしてるんです。  …どうしてあの時彼はあんなことを言ってしまったのか、それは今でもわかりません。でも、きっと何かそうしなければならない理由があったと思うんです。だから…」
サキの虚ろな視線は、瞬く星空を常に追いかけていた。そこに何を求めていたかはわからない。だが、サキの求めるものは、はっきりとわかった。
―――居場所が欲しい。拒絶された彼から少しでも離れるには、軍に入るしかないと彼女は思ったのだろう。自分の行動が正当に評価され、かつ虐める親も、そして彼もいない。極端かもしれない、そんな考え、普通は思い浮かばない。でも、彼女が考えうる精一杯の居場所が、軍隊だったに違いない。
ただ、これは限りなく下方の選択肢であることも、私は知っていた。それは、とてもサキのような純潔な子が選ぶ道ではないということ。
そう、私のように―――自ら穢れた者もいる。
「そういえば、怜さんはどうなんですか?」
「ふえっ!?」
不意の質問に、私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ですから、怜さんの理由も聞きたいなぁって。どんな理由なんですか?」
「べ、別に…大した理由じゃないし……」
言えるはずがない。サキに比べたら、私の理由などあまりに愚かで、汚らわしい。そして何より…そんな自分が恥ずかしい。
そんなことを知るはずもなく、サキは期待の眼差しでこちらを見つめている。仕方がないので、私は適当にごまかすことにした。
「こ、こんな話してないでさっさと寝ないと…明日、早いんだからね」
「れ、怜さん!それはないですよ!」
「サキ、うるさい、寝れないでしょ!」
「うぅ……イジワル」
何とでも言いなさい。そんなことしなくても、明日も嫌というほど喋ってあげるから…。

「れ、怜さん!」
「何よ、明日があるんだから今日はもう…」
「ち、違うんです!ほら、空の上……」
少し怯えたような声を出すサキに、私も立ち上がり空を仰ぐ。

―――月が、三つ―――

星空を丸くくり抜いたように浮かぶ満月。それが、何故か二つも余計に浮かんでいたのだ。これは、ただ事ではないかもしれない。
「なんでしょうか、アレ……」
でも、そんな現象が実際にありえるのか?月が三つ?SF小説じゃあるまいし、そもそも急にそんな天体が動くこと自体ありえない。そう見えているだけにしても、そうそう条件が成立するわけでは…。
ふと、嫌な予感が脳裏をよぎった。それは、今朝の試験官の言葉。
(今簡単だな、とか拍子抜けだな、とか思った奴、安心しろ。このゾルゲル島にはカマキラスなどの原生怪獣が住み着いている。下手すると死ぬ)
見てはならないものを見てしまったような感覚が、体を軽く麻痺させる。『ホンモノ』の月明かりに一瞬照らしだされた、鋭利で長大なカマが閃く。
―――あれは、月なんかじゃない!
「サキ、伏せてっ!」
月だと思っていた二つの光が、私達目がけ一直線に突っ込んでくる。私は無理やりサキの頭を押さえつけ、地面に伏せる。
「な、何ですか…!?」
木々をすり抜け、それがわずか上空を過ぎると、今度は突風が襲った。
「あれは…」
次の瞬間、恨めしそうな、獲物を取り逃がした狩人の雄叫びが木霊した。
―――カマキラスだ!
月だと思っていたのはどうやら、奴の目だったらしい。サキが気づかなければ、恐らく今頃二人共細切れにされていただろう。
(また、助けられた…)
カマキラスは、旋回して再び突っ込んでこようとしている。よほど仕留められなかったのが悔しいのだろうか。
「仕方ない、逃げるわよ!」
「は、はいっ!」

まさか護身用の銃を置いてきてしまうなんて。サキの方を見ると、腰に銃はついているものの、カマキラスから逃げることに頭がいっぱいのようで撃つという考えには思い至らないらしい。
「サキ、銃を!」
私の叫び声に、一瞬パニックに陥っていたサキの目が覚めた。落ち着いて銃身をホルスターから抜くと、巨大な月の眼の中心に向かって引き金を引いた。
一発。二発。
国木田試験官の話が正しければ、カマキラス程度なら簡単に追い返すことが出来るはず…。
「ちょっ、冗談でしょ!?」
話が違う!簡単に追い返せるなんて冗談じゃない。目の前のカマキラスは、サキの放った加速銃の弾をいとも簡単に、あっけなく弾いてしまった。
…生きて帰ったら、国木田試験官を訴えてやる。
と、その時。
「あっ……」
すてん。
恐ろしくまぬけな声と同時に、私の体が宙に浮いた。どうやら足をくじいたらしい。こんな時に、何をやってるんだ私は…。これじゃ、サキのことなんか全くバカにできたもんじゃない。
こんな、肝心な時に…
迫るカマが稲光のように閃く。だめだ、動けない…。ホンモノの『怪物』を前に、体は石のように固まってしまう。サキを『怪物』扱いしたヤツラに、この光景を見せてやりたい。本物は、あんたらが虐めていたサキみたいに臆病で、可愛くもないってことを。
兄さん…毎日こんなのを相手に仕事していたなんて。何事もなかったみたいに帰ってきて、まだ幼かった私の世話をしてくれていた兄さん。それは、一体どれだけ大変なことだったのか…今ならわかる。それが並大抵の苦労ではなかったこと。そして…私の見ていた兄さんは、本当はもっと遠くにいたということ。
カマキラスのカマが、私の心臓を捉えた。

―――すべてが無音の世界。それは、時間にしてわずか3~4秒だった。だが、私にはそれがスローモーションのようにとてもゆっくりで、長い時間のように思えた。それはまるで、時間が刻が進むことを拒んでいるかのように。
その間に起こった事―――
私が何かに突き飛ばされた事。それがサキだった事。私は…あのアイビーの花の前に倒れ、それはあまりに意外なことで、私はまたも動けず。そして―――
私の代わりにカマキラスの前に立ったサキの右腕から、深紅の飛沫が勢いよく噴出し、月夜を紅く彩ったという事。その瞬間、進むことを忘れた刻が、一気に流れ出す!
気がついたとき、私は絶叫していた。サキの右腕は宙に放物線を描き、あの魔の大口を開けた崖下へと吸い込まれていった。うっ、と蹲るサキに私はどうすることもできなかった。どうにかしようとすればするほど、現実の残酷さとどうすればいいのかわからないという混乱が体を完全に金縛り状態にしてしまう。
「さ、サキぃ……っ!」
だから、こんな情けない声しかだせなくて。
「サキ、サキ…しっかりして…っ」
「れ、い、さ………」
今にも消え入りそうな声で、ふらふらと立ち上がるサキ。息はか細く、そして肌は見る見る内に血の気が引いていった。
「サキ…少し我慢して。すぐ病院に……」
しかし、駆け寄ろうとする私をサキは突き返した。
「……逃げて…下さい……。まだ、狙われて、る…」
上空で旋回しているカマキラスを指差し、サキは逃げろと私に言う。こんなに傷つき、息絶え絶えのサキを置いて? …そんなこと、できるわけがない!
「バカ言わないで!そんなこと…」
「ダメです…多分、私はもう……たすから、ない…」
「いい加減にしてよ!サキ、私は…」
だが、サキは話し始める前に私を突き飛ばした。サキの唯一の武器を、一緒に押し付けて。
「その銃で、生き残ってください…そし、て…この試験の、中止、を……被害者が出る、前に…」
「サキ……」
カマキラスが、再び降下を始めた。既に獲物を狩る態勢に入っている。
「行ってください!」
その声に尻を蹴られ、私は暗闇の森の中へと駆け出した。サキの後ろ姿が、どんどん小さくなっていく。そして―――


アイビーの花言葉、ご存知ですか?いえ、知らなくても当然だと思います。


アイビーの花言葉、それは――――――



「サキっ!!」
私が跳ね起きると、そこは見知らぬ一室のベッドの上だった。
私は、一体…?
霞がかった頭の中から、記憶を手繰り寄せる。そして、すぐにもやの晴れる感覚がした。
私はガイガンを倒した後、足に刺さった鉄骨を抜き取るために病院へと運ばれたのだ。そして疲労が襲い、眠ってしまったのだろう。
「………」
嫌な事を思い出させる夢だった。
あれから私はなんとかM機関の施設までたどり着き、それからすぐに試験は中止となった。しかし、誰が責任を取らされるとか、そういった話は一切なく、結局あの事件はうやむやのまま終わってしまった。多分、裏で何か工作があったのだろう。
その後、中止された試験は全く別の形で再開され、そして私は念願のM機関の入隊を許された。サキの姿は、やはりなかった。何も知らされないまま、一年が過ぎる。
その頃には、サキのことはほとんど頭の奥の、暗がりへと追いやられていた。あの日の事は思い出さない、思い出したくない、そう思った。
だが、ゆみが来た。私は、サキの面影を思い出さずにはいられなかった。
バラン・ラバとの初めての戦闘で彼女が転んだ時、私はヒヤッとした。カマキラスに追われたあの時の私を見ているようだったから。バラン・ラバとゆみの間に割ってはいる。今度は私が守る番だという想いを込めて。
―――危なっかしいゆみを見ていると、隣にサキがいるような錯覚に襲われる。
どうして、あんなに無茶をするんだろう。一途だから、まっすぐだから? 彼女もサキも、一生懸命ではあるのに、その頑張りが空回りしてしまう時がある。そんなに、無理しなくていいのに。『役立たず』なんて思った事は謝るから。私のためになんて、命を張らなくてもいいから。
(ごめんとかじゃなくて、死んじゃうんだからね?……最初っからそんなにしなくていいから、ゆっくりやればいいから―――)
それは、今の私からゆみを通して、私を庇ったあの頃のサキに送りたかった言葉だったのかもしれない。
と、その時突然私の思考を裂いて、誰かが声をかけてきた。
「…気が、ついた……」
「!? サ、キ……」
私のベッドのすぐ横で、サキは銅像のように微動だにせず座っていた。夢の中のサキと、今現実に、私の目の前にいるサキ。生気すら碌に感じられない目の前の彼女を、一体誰が同一人物と認められるのだろうか。…いや、信じられるのか、といったほうが正しいのかもしれない。
「…歩ける……?」
「え、うん……」
あの時、カマキラスに切られ海中に消えた右腕で、サキは私の掌を優しく握った。サキは、確かにそこに在った。しかし…
―――冷たい。
死者がそのまま動いているような、氷のような冷たさを持って。それはまるで、亡霊なのかと錯覚してしまうくらい。いや、本当にそうなのかも。
「……じゃあ、来て…。瑞穂が、待ってる………」
「へ…?」

薄暗い廊下に足音を響かせ、ツカツカと歩いていくサキ。さっきまで夢でみていただけに、やはり違和感を抱いてしまう。疑心暗鬼に狩られながらついていく私。
聞きたいことは山ほどあった。アレからどうなったのかとか、今までどうしていたのかとか。でも、このサキが本物だという確証はない。というより、これほどまでの変貌ぶりを見れば、信じられるはずはなかった。
―――そして、これがサキだと、認めてはいけないように思えたのだ。
(これを見せれば、はっきりするんだけど…)
私は、あの時サキに託された加速銃を掌に置いた。この銃は、今でも大切に持ち歩いている。ゆみのじゃがーくんと同じ、形見だと『思っていた』モノだ。
だが、見せる勇気は今の私にはない。もし紛い物だったとしても、私は『サキがいる』ということに甘んじてしまうだろう。
そして…もし本物だったとしても、私はサキを置いて逃げ出してしまったのだ。あの日のことを、私の口から語る資格はない。だから、向こうから何か言ってくるまで、私は何も言わないことにした。
と、サキの足が一室の前で止まった。慌てて私も立ち止まる。
「ここ……」
見た目は極普通のドアノブタイプの扉。こんな所で、瑞穂准将は一体何の用があるんだろう?
私は恐る恐るドアノブに手をかけ、そして静かに引いた。
「失礼します…」
中は真っ暗で、ほのかに涼しかった。
何もない部屋。そして瑞穂准将の姿もない。ひょっとしたら、サキが部屋を間違えたのかも…
が、その時。
「待っていましたよ、和泉さん」
撫でるような声と同時に、すっと白い明かりが降りた。そしてそれが、何もないと思っていた部屋にあった『物』を照らし出す。その瞬間、この部屋がその『物』のためだけにある空間だと理解した。
そして声の主―――瑞穂さんは、いつものようにニコニコした表情で私に歩み寄ってきた。
「無事で何よりです。サキちゃんからも連絡が途絶えてしまったので、心配していたんですよ♪」
「あの、私に用って…」
「アナタに、コレを渡したくて」
その時の瑞穂さんは、なんだかいつもの瑞穂さんではないような気がした。何か…鋭いものを含んだような視線が気になって。
瑞穂さんに促され、私はその『物』の前に立った。それは、一本の長大な棒状の武器。鉄なのか、それとも合成素材なのか。見た目だけでは、とてもこの黒の中に透明の混じったそれが何なのか判別することは出来ない。
しかし、触ってみなければどうしようもない。恐る恐る、私はそれに手を伸ばす。
と、その瞬間―――
「……っ!?」
透明な部分に、まるで人間に血が流れていくかのように朱の色が広がっていく。それは、この棒が生を受けたかのような光景だった。そして……同時に、棒の先端から間欠泉が湧き出るように、光の刃が現れ出でた。それは…サキの腕を切り裂いたモノに相違ない、カマ状になった光刃の武器。
「技術部が秘密裏に開発していた光学近接兵器『ブラッド・スィーパ』です。前に渡したミストラル・コアでは、和泉さんの実力がもったいないと思いまして。…どうですか?これならゆみちゃんとどっちがいいか、なんて喧嘩することもないでしょう?」
ブラッド・スィーパ。それ以外、瑞穂さんの言葉は聞こえなかった。

この感覚は、何だ…?

柄を握った瞬間、流れ込んできた―――感情。
…感情?それでは、この武器がまるで生きているような言い方ではないか。だが、それを認めないと説明がつかない。

この、覚えのない憎しみは、何だ…?

次々とこのカマから流れ込む憎しみの感情。でも、誰を?誰を憎み、誰に晴らせばいい?
覚えのない憎悪の感情に、私は戸惑った。だが、確かに『何か』を憎んでいる。そして、私はそれを晴らさなければならないような気がした。気がつけば、私は完全にこの感情に飲み込まれていたのだ。
ダメだ。この武器は、危険すぎる―――
「さ、テストしてみましょうか?」
変わらない、瑞穂の微笑み。それとは逆に、私はどんどん息が上がっていく。手放さなくては…手放さなくては、いけないのに―――
「…はい、お願いします」
何故―――

ああ、そうか…これは私の感情なのか。だって、私にはいるじゃないか。憎むべき、仇をとるべき男が…。

その時、私は気づいていなかった。そして気づくべきだったのだ。
サキの表情が、微かに変わったことに。
―――今の私には、それに気づくことはできない。だが、あの時の……まだ、アイビーの花言葉を覚えていた私ならば、それに気づけたかもしれない。





―――アイビーの花言葉、それは…

               ―――友情―――



最終更新:2008年04月01日 20:01