「私―――スパイなんです」
パソコンの画面だけが滾々と光る暗闇の部屋で。
雷鳴のような衝撃が、僕の頭を打ち付けた。
彼女…霧島麗華の体が、僕に迫る。逸らすことのないまっすぐな視線に、僕は動くことができないでいた。蛇に睨まれた蛙、ってのは、こういう気分なんだろうか? どうすることもできず、僕はただその視線に拘束されてしまった。
彼女の体が重なる。手入れのされた、ブロンドの髪の香りが鼻にくすぐったかった。
「…聞きたいことがあるんですが、よろしいですか?」
匂いに誤魔化されているのか、あまりにショックだったからか、僕の思考はまともに働かない。動きの鈍くなった脳で、僕は何をするべきか考えていた。しかし、どうしようもない質問しか出てこない。
「な、何故僕なんかに聞くんです…………?」
「あなただから―――です」
そして、僕は―――



―――う………ぞう……
「小僧ッ!!」
その怒号の声に、ようやく僕は眼を覚まさした。
身体つきがよく、上顎に髭を蓄えた声の主―――ダグラス・ゴードン大佐は、わずかに苛立ちを見せながら僕に呆れた視線を送っている。
「全く…こんな時にボーッとしてる場合か?」
「すみません……少し、考え事を」
その言葉に、大佐は呆れを通り越し、むしろ笑っていた。
「妄想は、お家に帰ってからな、ボウズ」
「や、やめてください! そんなんじゃないですよ!!」
ゴードン大佐も……すぐそういう話に持っていくんだから。と、今はそれどころではない。

数十分前に突如空を覆ったガイガンの数はおよそ70。それも、M機関本部のある東京・臨海地区と中心に集中投入されていた。
これは、悪夢か何かなのだろうか? そう思わなかった者はまずほとんどいないだろう。
―――ガイガン。ほんの少し前に一度現れ、たった一体でM機関を壊滅直前にまで追い込んだ、まさに怪物。それが、再度現れただけでなく、1体や2体だけでもなく、70…。絶望はそれだけではない。これだけ多量のガイガンが投入できたということは、既にガイガンは量産が可能ということを意味する。これが相手にとって大規模な作戦なのか、単なる小手調べなのかどうかはわからないが―――
何にせよ、その軍事力差にいずれ防衛軍が敗北するのは時間の問題だ。そうなれば……
「くそ……」
気がつけば、僕は何度も悪態づいていた。本当は、こんなことをしている場合ではないのだ。
「霧島さん……」
もっと早く確かめるべきだった。僕に語ってくれた真実の、その真意を。そして…
霧島さんは、X星人とは何の関係もないということを。
とにかく今は、コンスタンティノープルへ向かう。ガイガンの装甲を一撃で貫ける可能性を持つとしたら、アンギラス達怪獣か、ウルトラメーサー砲を持つあの戦艦だけだ。そして今、混乱したM機関の中でコンスタンを指揮することができるのは僕の隣にいるこのゴードン大佐だけだ。しかし……どうも、それさえも簡単にやらせてはくれないようだ。
コンスタンが出撃を待つ格納庫への扉の前に、少女が立っていた。その姿は、ミュータント兵士のようなアーマーに身を包んだ姿ではなく、闇を溶かした漆黒のコートを纏っている。それとは対照的な空色の髪、表情のない目を覆い隠す仮面、そして手に閃く長身の剣。
その姿には見覚えがあった。忘れるはずもない―――僕たちの目の前で松本実を葬ったあの時の剣士だ。周りには血を流した兵士達が倒れている。間違いない、戦闘の後だ。それも、一方的な虐殺。彼女が傷ひとつ負っていないことがその証拠だ。
「下がっていてください、大佐」
僕は庇うようにゴードン大佐の前に躍り出た。勿論、生身ではほとんど戦闘力のない僕が彼女に敵うとは思っていない。今は僕が囮となって、確実にゴードン大佐をコンスタンの元へ送り届けるのだ。それに、邪魔をしてきたということは少なくとも向こう側があの戦艦を危惧しているということだ。ひょっとしたら、ガイガンも以前の個体より脆いのかもしれない。ならば尚更……
しかし次の瞬間、あろうことか逆に僕の前に立っていたのはゴードン大佐のほうだった。
「ボウズこそ下がってろ。戦えん奴に守られるほど、オレはなまっちゃいねぇ」
大佐が腰の鞘からスラリと刀を抜いて構える。それに習うように、相手も静かに刃を向けてきた。
「よう嬢ちゃん、手合わせ願おうか? なぁに心配すんな。オレは松本のボウズより強い」
押し黙ったままの仮面の剣士に、大佐が飛び掛った。


「あの、バカ……」
怜は、瑞穂に指令を受け防衛博物館に赴こうとしていた。道中戦闘が予想されるため、ブラット・スィーパを持って。しかし、いつもソレを置いておく専用の武器庫にあったのは、武器ひとつ分が抜けた空間と、一枚のメモだった。見るからに頭の悪そうな文体と、読みづらい丸文字。いうまでもなく書いたのは―――
「真面目に相談に乗ってくれなかったからって… ああもう、あのコはっ!」
本人にとっては些細なイタズラだろう。しかし、このままではまずい。
武器がなくなる程度ならまだいい。だが問題はそこではないのだ。あれは、あの武器は…


「はぁ、はぁ……」
随分息が荒れている。自分でも、何が起こっているのかわからない。まだ一体の敵にすら出会っていないというのに。しかし、恐怖は感じていない。では何?
「おいおいどうした、大丈夫か?」
「え? うん、全然! だいじょーぶだいじょーぶ……」
同僚のミュータントの心配する声も、何故だかずっと遠くに聞こえる。おかしいと思い始めたのは怜ちゃんの武器、ブラッドスィーパを持ち出して少し立ってからだった。まさか、この武器のせい? まさか。そんなはずはない。だって、持ち主である怜ちゃんが使っているときは何ともないのだから。…我慢でもしていない限りはだけど。
それだけではない。この覚えのない感情は何だ? この―――
覚えのない、同僚に対する憎しみ。
まさか、この武器の感情が流れ込んできている? ありえない。武器に感情などあるはずがない。でも、そうでないならこの状況を、どう説明すれば…?
ふと、それが『狂気に任せて戦っていた頃』の自分と同じような感覚であることに気づいた。
「うっ……!」
「顔色、かなりヤバ気だな……おーい、誰かこの子医療班に……」
だめ、近づいてこないで………それ以上来られたら、私…
だが、そのときだった。突如頭上のビルが紅い閃光に飲まれ、爆発を起こした。降りしきる瓦礫の山。その数は尋常ではない。
「危ない!」
同僚が、咄嗟に私の背中を押した。けたたましい轟音の中で、私の体がコンクリートに倒れ掛かる。
「ったた………」
「大丈夫か?」
「な、なんとか…」
一体何が起こったのか? 同僚を振り返る。しかし………
「え………?」
そこにあったのは、頭が割れ血まみれになった無惨な彼の姿だった。
「なんだよ、そんな顔し   」
「!!」
彼は、すぐに糸の切れた人形のように崩れ落ちた。―――中身が、こぼれ落ちる。
目を見開く。顔から血の気が引いて、吐き気を催す。同時に、空を支配するあの悪魔の咆哮。それはさながら大合唱だった。一瞬で平和な街並みが地獄と化していく。
―――やるしか、ない。
次々と降下してくるガイガンへメーサー戦車隊が閃光を放つのが見える。例え相手があのガイガンでも、一度は倒したことがあるんだ。やってやれないはずはない。…多分。
私は、慣れない武器を片手に怒号の中へと足を踏み入れた。

戦況は混乱の極みだった。あまりの敵の多さに、情報が錯綜しすぎている。それだけではない。この状況下で、何故か神崎准将と国木田少将の消息がつかめず、熊坂はただ一人で現場の指揮を行っていた。圧倒的に、指揮者が不足しているのだ。
「あの2人は、一体この非常時に何を……!」
しかし、悪い状況というのは重なるものだ。頭を抱える熊坂に、更に信じられないような悪報が飛び込んだ。ノイズの混じった通信。そこから聞こえる悲痛な兵士の叫びが、こう告げた。
「EXMAが、は、反乱を起こしました!」


いつの間にか追い詰められた。周りに見えて、動いているのは敵だけ。ガイガン、そして……EXMAの兵士。それはあまりに唐突だった。合流した部隊と共にガイガンを攻撃していた時、突然後ろから呻き声が上がった。振り返ると、仲間が血を吹き倒れている。だが、後ろに敵の姿は見えない。敵のステルス? 最初はそう思ったものもいたはずだ。しかし、すぐにそれが『援護していたEXMAによる砲撃』とわかった。
まさか、天下の精鋭部隊が誤射?
ここの部隊長が、仲間を撃ったEXMAに怒号を散らす。その瞬間、今度はその部隊長が撃たれた。銃弾は簡単に心臓を貫き、彼は噴水のように赤い水を噴き出して崩れ落ちた。
直後、部隊はパニックに陥った。
指揮者を失った敵を殺すことは容易い。しかも、それがEXMAなら尚更だ。反撃していいのかもわからないまま部隊は5分足らずで全滅した。…ただ一人、深紅の戦鎌を携えた少女を残して。

事態を把握できないまま、仲間は全員殺されてしまった。私の中では、戸惑う心と、憎む囁きが渦巻き、だんだんよくわからなくなってくる。狂気に駆られていたあの頃と同じような感覚。そういえば、いつから戦闘で自分を抑えられるようになったのだろう。ヘドラとの戦いから? いや、もう少し前だ。確か―――
と、思考を遮るかのようにEXMAのメーサーが火を噴いた。紙一重でそれをかわし、そのまま乗り捨てられた車の陰に身を滑らせる。
私は変わった。もう、ただの殺人鬼だったあの頃には戻らない。しかし、バランとの戦いで図らずもそれは発現してしまった。やっぱり、私は変わっていないんだろうか? 戦いとなれば、命などどうとも思わない殺人鬼……
そう思うと、やはり健太君には見られたくなかった。次にあったとき、どんな顔をしたらいいのかますますわからなくなっていく。
彼は恐がっているだろうか? きっとそうだろう。一年の戦闘経験を積んだ怜ちゃんですら、あの時私に恐怖を抱いていたんだからそれは当然だ。
でも、どうしたらいい? このままこの悪魔の囁きに身を任せEXMAと戦えば、確実に私はあの狂気に支配される。それは絶対に戻ってはいけない道。しかし、やらなければこっちが殺られてしまう。確実に。
二者択一…足元に横たわる、仲間達の無念を残した冷たい顔。
ええい、ままよ!
私は隠れていた物影から一気に彼らの前に躍り出た。躍動を得た戦鎌が妖しく閃く。銃口が一斉に私に向けられる。だが、こっちのほうが速い。銃口から閃光が放たれる前に、私は懐に飛び込んでいた。一閃。2,3人の体が、まとめて紙切れのように斬り裂かれる。悲鳴をあげさせる隙も与えず、そのまま隣で呆然としている顔に刃を振り翳す。
さっきまでの胸の慟哭が嘘のように、体がすんなりと動いた。利害が一致しているから? いや、元々これは私自身の声だったのかもしれない。今まで抑えてきたものが、たまたまこのカマによって引き出されただけ。流れる水に栓をすれば、いつかそれは爆発して洪水となる。それと同じように。それならそれでいい。暴れるだけ暴れて、生き残ってやる。正しいかどうかなんて、誰かが後で決めればいい。まだ死ぬわけにはいかない。たった今散っていった仲間達のためにも。
砲撃を刃で弾き、そのまま柔らかい相手の腹部にそれを突きたてる。びくんと体が跳ね、力が失われていくのが刃先から伝わってくる。そして敵が刺さったまま、勢いよくブラッドスィーパを振り回す。動かなくなった体が刃をすり抜け、まとめてEXMAをなぎ倒した。更に、息もつかせぬまま次の獲物に飛び掛る。動きを止めてはいけない…とにかく、相手に隙を見せずに押し切る!
だが、EXMAも精鋭と呼ばれた部隊だ。次第に後退せざるを得なくなる。数がそのまま戦力差となって、私に襲い掛かる。気がつけば、そこは東京湾の港のその隅。もう後がない。奇しくもそこは、ヘドラを葬ったあの地であった。一瞬、彼(?)の流したあの涙が脳裏をよぎる。
十数人のEXMAに取り囲まれ、前にも横にも逃げ道はない。そして、一歩後ろは暗い海。四面楚歌。向けられた銃口は、あまりに数が多すぎる。
ここまでか―――
彼らの背後では、メーサータンクがガイガンではなく、別のメーサーを攻撃していた。あれもきっと、EXMAの兵が乗っているんだろう。となると、どうやらここだけではなく相当のEXMAが各所で反乱行動に出ているのだろう。皆は、無事だろうか…。
いや、考えるのは後でいい。今は―――
私は、黄昏色の片翼を背に広げた。
今は、正面の敵を突破する!メーサーに心臓を貫かれるまでは、立ち止まらない!
決死の覚悟で、私は敵の包囲網に飛び込んだ。―――否、飛び込もうとした。
「……?」
EXMAの動きが止まった。構えていた銃を降ろし、呆然とこちらを見つめている。それだけではない。彼らの後方にいるメーサータンクや戦車、そしてガイガンまでもがその場に凍りついたように動かなくなった。どこか遠くに聞こえる爆音と咆哮が、刻の止まった東京湾に静かに響く。私の戦闘意識が削がれると、片翼も力を失ったように小さな羽根となって飛び散った。
すぐに気づいた。彼らは私を見ているわけではない。『その後ろ』だ。だが、後ろにあるのは広大に広がる海だけのはず。…海にあるものって?
波? 船? いや、そんなものなわけがない―――

「M機関陸上第2、第8、第11~14小隊まで殲滅」
通信兵が、『元』仲間の死を淡々と告げた。その様子をモニターで確認していた国木田は、満足そうに笑みを浮かべた。
「全て順調だな」
全ては計画通りに進んでいた。ガイガンの襲来、EXMAの反乱、指揮系統の混乱。これだけ悪条件が重なって、M機関がまともに機能しているはずがない。宿願の成就はもはや目の前にあった。だが、その時―――
「司令、第6小隊から通信が……!」
緊張した声で『司令』を呼び出す。その声に国木田がモニターを覗きこむ。
映し出されたのは東京湾の一角。そこには、M機関第6小隊を殲滅し、残党を追い詰めたEXMAともうひとつ……信じられないものを映し出していた。
「なん…だと……!?」
それは、一瞬で国木田の満足に満たされた顔を一気に青ざめさせた。

誰もが言葉を失った。それは魔獣に対する恐怖と、破壊神の持つ威圧によって。深く暗い海を丸ごと持ち上げているかのような巨体の力。持ち上げたソレをそのまま真っ二つに引き裂く白い背ビレ。ベムラーのそれなど物ともしない長大で、強靭そうな尾が。ガイガンのそれなど、簡単に掻き消してしまいそうなほどの重厚な咆哮が、炎で朱に染まった夜空を支配する。巨躯が切り裂いた海面から持ち上がった。以前引き上げた『親』ほどの大きさはないにせよ……そこに存在するもの全てを圧倒する巨大さと威圧感は、この肌にビリビリと伝わってきた。
その黒き巨体は……聞かずとも誰しもが知る、怪獣の王―――

「ゴジラ………」

誰かが半ば呆然と呟いた。
再度の、魔獣の咆哮。その瞬間、凍り付いていたその場の全部隊が一斉に火を噴いた。私もハッと我に帰り、メーサー小銃で攻撃に加勢する。閃光。爆発。黒煙の中に包まれる漆黒の巨体。戦車隊に加えメーサー戦車隊、EXMA、ミュータントによる一斉砲火。私にとってそれはかつてない火力だった。効果がないわけがない。少なくとも、私は勝利を確信していた。しかし、煙の晴れたそこにあったのは―――絶望だった。
何事もなかったかのように、その体はそそり立っていた。傷ひとつ負っていない。あれだけの攻撃を受けながら……もしコレがガイガンだったら、私はM機関に入ることもなくただ絶望に打ちひしがれていただろう。勝てるわけがない。そう確信して。
果敢な、そして無謀なメーサーの攻撃をものともせず三度の咆哮を轟かすゴジラ。これほどの無力感を感じたのは、お父さんを殺されたあの時以来かもしれない。だが、畏怖するにはまだ早かったと、私は思い知らされることになる。
奴の口腔内が、背ビレの発光と共に陽炎のように歪む。何か出すつもりだ。私は知らなかったのだ。ゴジラの恐れられるもうひとつの所以。唯一無二にして、絶対の切り札があることを。
「ま、まずい逃げ」
誰かが叫ぼうとしたときにはもう遅かった。一瞬視界が真っ白になり、青白い光の奔流がメーサーを、戦車隊を、そしてEXMAを飲み込んだ。
爆音、爆風。この世のものとは思えない、地獄絵図。全てが沈黙した世界で、怪獣王ゴジラは悠々とその野太い脚を陸に揚げた。
その光景に唖然とする私を、通信の音が現実に引き戻した。国木田少将からだ。
「ゴジラを追え、家城!」
怒号が飛ぶ。しかし、圧倒的な力を眼前で見せ付けられてしまった今の私は、金縛りにあったように動けない。
足元にゴロリと転がる、EXMAのヘルメット。
―――行くしか、ない。
別に、たった今散っていったEXMAのためじゃない。無論、仲間のためだ。それに、今この状況でゴジラを追うことができるのは私だけだった。飛び出しそうになる理性を押さえつけ、私は怪獣王が轟かす地響きに向かって駆け出した。
(まずは機銃で怯ませて………!)
私は機銃の内臓されたトンファーを構えようと、それが備えられた腰に手を回す。しかし―――
からん、と乾いた音がコンクリートに2つ反響した。
代わりに刃を剥きだすブラッド・スィーパ。その血のような朱の流線型が妖しい輝きを放つと、魅入られたように私に何かを求めてきた。
…求めてきた? 誰が。この戦鎌が。何故? いや、そもそもそんなことがあり得るのか?
その時、 にか えが聞こ たよ う 気がし

ゆみは歩き出した。その身に、死神のカマを携えて。かつて『相棒』とまで称したトンファーが、冷たい地面に残されていることにも気づかず。


「ふん……せいぜい共倒れでもするがいい。『化物』どもめ…」

僕の目の前で、大佐はらしくもなく苦渋の表情を浮かべていた。対照的に、仮面の剣士はやはり感情がなかった。
大佐はパワーで押す人だ。性格からもそれはわかる。しかし、敵は空間を自在に舞い相手を惑わすトリッキータイプ。小細工なしのパワー派が最も嫌うタイプだ。いくら力があっても、当たらなければ意味はない。加えて厄介なのが、相手の剣戟から発生する光刃。白光の、カッターのように飛び交うそれは、遠距離から大佐を正確に狙ってくる。それが、主の元へ近づけさせることを許さない。そして―――
「むおっ!!」
ついに、致命的な一撃がゴードン大佐の柔らかい皮膚を抉った。
「大佐!!」
脇腹を染める朱が、押さえる掌の隙間からあふれて滴る。僕は大佐を抱えようと駆け寄るが、すぐに血に彩られた切っ先が僕の行く手を遮った。感情を押し殺したような仮面の姿が、物を言わせぬ威圧感を放つ。
「くそ…」
自分の無力さを許せず、つい悪態づく。僕はミュータントじゃない。大佐や熊坂教官のように強くもない。だから、目の前の刃と戦うことも出来ない。それに、仮にここを突破できたとしても、ゴードン大佐があの傷じゃ、コンスタンティノープルは動かせないだろう。何も出来なかった、その結果がこれだ。皆戦ってるのに…
―――僕は、何もできないのか。







「できることは――――――ある!」
その声が響いたのは、喉元の刃が閃く直後だった。月下に影を落とし現れた声の主は、今の時代には見慣れないローヴを全身に纏っていた。更には素顔を隠すサングラス。仮面の剣士と僕との間に割って入ったその姿は、一見すると滑稽であまりに唐突な謎に包まれている。しかし、僕はすぐにその正体がわかった。――――――手に握られた魔断剣が、月光に反射して輝いた。
「心技を積んだ……お前に、勝つために」
仮面の下の瞳が、くすりと笑った気がした。好敵手の再会に。生きていたことが、さも当然のように。
「松本さん……」
「走れ…ここは俺が止める」
松本が霞の構えを取る。前とは違う構えだ。そして、交差する刀の甲高い音に蹴られるように、僕は走り出した。しかし、コンスタンへと続く扉とは別の方向へ。赤い池の中心で蹲る、ゴードン大佐の元へ。
「大佐!しっかりしてください!」
抱え起こすが、大佐の顔は人間の色とは思えないほど明らかに蒼白になっていた。…このままじゃいけない。すぐに医務室へ…
だが、大佐は僕に気づくとすぐにその体を突き放した。
「…オレのことはいい」
「し、しかし……!」
「常に優先順位を見間違うな……それが艦長……指揮するものの務めだ…」
「何言ってるんです!あの戦艦(ふね)の艦長は…大佐です…!」
そう、コンスタンや轟天号のような巨大戦艦はある程度の階級でなければその指揮権はない。そして、二等空尉である僕にその権限はなかった。
「河原田……皆が、必死になって頑張っている…。それぞれが、それぞれの『できること』をするために……。……お前も、できることを、やれ……」
乱れた呼吸の中で、大佐は僕に拳を突き立てた。握られているのは、彼の愛刀。彼の…指揮官たる証。
「これが、お前の今、『できること』だ…!」
「ゴードン大佐…」
「必ずやり遂げろ……!河原田『一等空尉』」


気がついた時、僕はコンスタンのコックピットに飛び込んでいた。
「ゴードン大佐は!?」
パイロットの一人が慌しい様子で問う。しかし、僕はそれを無視して艦長席に身を滑らせる。そして、託された刀を突き出し叫んだ。
「これより、僕がこの艦の指揮を執ります!」

一斉に計器が正常値を示し、天井のハッチが重々しい音を立ててゆっくりと開く。エンジンの振動が艦長席にもはっきりと伝わってくる。これが、いつも大佐が感じていたものか。操縦席とはまた違う感覚の振動、いつもとは違う仲間との位置関係。いつもとは違う―――プレッシャー。
本当に僕なんかが、ココに座っていていいのか。優柔不断な僕が、人を動かすことなんてできるんだろうか。僕の言葉を待つパイロット達の視線が突き刺さってくる。さっきまでの自信が一気に喪失していく。やはり、大佐のような人望もない僕なんかじゃ……

「あなただから―――」
「『できること』をやれ……」

ふと、言葉が浮かんできた。
ゴードン大佐……自分の身を犠牲にしてまで、大佐は僕に『できること』を教え、全てを託してくれた。それは、彼が僕を『信頼』してくれたから。
霧島さん………あの時のこともきっと、『信頼』だからだったと、僕は信じています。
だから、僕は――――――その『信頼』に応えるために、『できること』をする!!

「コンスタンティノープル、発進!!」

轟音を立て、ブースターが火を噴く。ついに、全員の希望を乗せた戦艦がその重い腰をあげた。星の散りばめられた夜空に、銀の機体が誇らしげに輝く。そしてそれは、混乱極まる朱の戦場へと前進していった。

「…………ふぅ」
我に返り、ついため息をつく。重責に潰されそうだった体から、どっと力が抜ける。我ながら、未熟だと思う。戦いはまだ始まってもいないというのに、もうこれだと自嘲的な笑みをこぼした。
改めて、気を引き締める。
やり遂げなければならない。それが、信頼してくれたゴードン大佐への―――
しかし、その時だった。ふと、こめかみに違和感を覚える。何か固くて………冷たいものが、押し付けられる。
「……え…………?」
一瞬、理解ができなかった。思わぬ形で叶った願いと
「きりし、ま…さん………?」
信じられないという、想い。
こめかみに当てられた冷たいもの――――――押し黙ったままの拳銃を握り、霧島麗華は鋭い視線を僕へと突き刺した。






最終更新:2009年09月04日 03:13