写真提供 刑事長:撮影 2016/11/10
最新の情報提供 刑事長:情報更新 2017/09/05
現在の状況 | 静態保存 キャブ内への立ち入り見学は可能 |
管理者 | 湧水町 |
協力募集 | 特になし |
1937年汽車製造製。新製配置は小郡区であったが、糸崎区を経て1939年に鳥栖区に配属され、以降九州島内から出ることがなかった。大分機関区所属中の1953年8月に小倉工場式除煙板(門司鉄道管理局式デフレクター、門デフ)K-6タイプに付け替えられ、1964年に宮崎機関区に移り、1968年に若松区に転籍するまでの間に炭水車をD51形のものに振り替え(D51のほうが大型で長距離走行に適していたため)1972年に吉松区に移り、肥薩線の隼人~吉松間などを走行し1974年鹿児島区で廃車。
備考:近代化遺産産業群「九州南部における産業創出とこれを支えた電源開発・物資輸送の歩みを物語る近代化産業遺産」の物資輸送関連遺産として肥薩線関連で13件が登録されており、C55 52もその1つである。