人世の始まり
「ちょっと大丈夫、しっかりして!」
目蓋から赤く熱い光が差し込んでくると腕で目を覆いながら周りを見渡す。
意識が戻ってくるとズキズキと頭が痛い、ツーンと鼻から独特の感覚が広がってきた。
何かしら顔か頭を打ったのか、研究室にいる間に何か起きて誰かが入ってきたのか少なくとも自分の知り合いではない。
「あ、目が覚めた!!」
目を開けたが視界が歪み安定していないそれに瞳孔が開いているのか眩しい、しばらくするとここが部屋ではなく屋外だと分かる。
「大丈夫?」
相手は黒髪の女子生徒、ヨーロッパ系の彼女は見下ろすように自身を覗いていた、表情からして大層心配しているようだそれ以外に見える物は草原横に倒れて籠が壊れた自転車と壊れていない自転車、眼鏡をかけた栗色の髪の女子生徒が自転車に乗ってやってきた。
「大丈夫?」
三度も同じ言葉を聞くと相手がどれぐらい焦っているのか分かるとりあえず返事をしようと努力するがうまく力が入らない、口にも力が入らない。
こんなことは初めてだ、それが正直な感想だった今まで立ちくらみなどはあったがこんなに長い時間にましては体の自由がないことなんてなかった、まるで糸が切れた人形のように、神経が切れたという表現が適切なのかそんな感覚に陥っていた。
しかし、しばらくすると糸がつながるように手足に感覚が戻り手足にも力が戻ってくる。
「ここは?」
「良かったぁ全然反応がなかったから心配したのよ。」
眼鏡を掛けている方の女子生徒はそういいながら涙をだらだらと両目から流しながら自分の心境を語る、状況を理解できない自分は泣いている彼女の顔を見ることしかできなかった。
しばらくすると丘の向こうから声が聞こえる、その方向には大きな宮殿のような建造物が建っておりまるで神戸か九州の某テーマパークにいる気分だった。
ここはと尋ねたかったが医者らしき人間が自転車に乗ってこちらに向かっていた先頭には制服を着た赤毛の女子生徒が指を指しながら案内をしていた。
「大丈夫かね?」
本当にこれで何度目だと思いたい、死には至らないが大丈夫ではないから大丈夫ではない。
「意識はあるみたいだね。」
彼の特徴は金髪で男性にしては少し長髪に近いが女性から見れば短い部類に入る、またただ単に伸ばしているだけではなくちゃんと整えており清潔感を感じる。
「よし、何か気分が悪いこととかないかい?」
「あ、いえ大丈夫です。」
「頭が痛いだけかい?」
「はい。」
「しばらく落ち着いてから学園に戻ろう。」
「は、はぁ。」
そう返事することしかできなかった、いや返事より反射的に口を動かしたという表現が一番的確だ。
「いや~しっかしいきなり倒れるもんなびっくりしたぜ。」
両手を頭に乗せ男性っぽい仕草をみせた赤毛の彼女は軽くため息をつき自分の隣に座ってきた。
「”カトリーヌ”また後で会おうな。まだ春休みは残っているし無理するなよ。」
肩を軽くたたき自分の隣から立ち去った、眼鏡を掛けた娘も、黒髪の娘も皆自転車に乗り先生と自分だけを残し帰って行った。
「一応頭を冷やしなさい、こういうのは早めにした方が良い。」
彼が水滴つついた氷の入った袋を自分に手渡す、何故だかひんやりはしているもののあの夏の暑苦しい中に感じる爽快感がなかった。
その時に気付いた真夏にも関わらず暑さを感じていなかった、どっちかと言えばポカポカして暖かい、少し走れば汗をかくだろう。
そういえば彼女は春休みと言っていたがどういう意味なのか、一瞬バカげた答えを見つけたがすぐに正気に戻り現実を見つめ直した。
「それよりここはどこ?」
「学園のすぐ近くだよ、何でも町に出かけようってことになったらしいけど無茶は止めてくれよ。」
それからしばらくして、自分は宮殿のような建造物“学園”に案内され保健室で寝ることになる。
「それじゃあ“カトリーヌ”ここで待っておいて。」
「うん・・・」
先生は紳士的に保健室まで案内しそのまま何かをしに部屋から静かに去った。
ここまでの状況を整理してみる、自分はさっきまでこの場所にいるのか、確か自分は大学の研究室で寝ていたはずだ。
もう一つここはどこの国か、話している間に気付いたが自分は日本語を話していなかった、だが無意識に喋っていたので実際今その言葉の単語を思い出せと言われても思い出せない。
そして彼が最後に発した名前“カトリーヌ”これには首を傾げるしかない、カトリーヌとは誰なのか、状況からして二人っきりだったため必然的に自分のことになる。
「カトリーヌ、確か女性の名前だったな。」
男性であるはずの自分に対してまず何故そんなことを聞いたのか分からない。
頭をかき何故か蒸れている首筋に手を当てるすると何故蒸れているのか分かった、長い髪が外の空気と遮断していたのだ。
「あれ?」
一瞬で何故自分が女性の名前で呼ばれたのか分かった、次は足元を見てみると靴が革靴に変わっていた。
革靴何てものは滅多に履かない、入学式以来だ加えて足は何故か素足普段ならGパンを履いているそして何より驚いたことが。
「スカート・・・」
自分の足が無防備にもさらされていた。
反射的に立ち上がり周りを見渡す、どこかに鏡はないのか。
少し値が張りそうな手鏡が都合よくベッドの隣に置かれていた、少し重く高そうだったがそんなことに気が回るほどの余裕がない。
一呼吸、二呼吸、息を整えてから鏡を覗く。
「あ。」
その一言しか言えなかった。
自分の顔が自分の知っている顔では無くなっていた、20年近く見慣れた顔では無く別人の顔に。
彼は文字通り”生まれ変わった”のだ。
最終更新:2012年09月24日 21:43