順列都市FAQ

順列都市・塵理論FAQ(邦訳)



ネタバレ注意

 このFAQは順列都市のネタバレを含んでいます……本を読んでいない人にはあまり意味を成さないかもしれませんが。これから本を読むつもりなら、FAQを読むのは先延ばしにしましょう。その方が楽しめます。



なぜFAQを?

 順列都市が1994年に出版されてから、多くの読者が同じ質問を私に投げかけました……何度も何度も。以前は、これらの質問に答えていましたが――フォーラムへの投稿、インタビュー、個人的なEメールの返信など――結局、一箇所にまとめて私の考えを記して置いたほうがいいと思ったのです。ということで、出版に遅れることほぼ十三年、順列都市で最も物議を醸した部分に関するセルフインタビュー的なものをこのページに載せることにしました。



Q1.小説では、ポール・ダラムが自身のコピーを時間順序と関係なく走らせています。10秒間の精神状態をスキップし、それから中間を逆に計算していくというように。しかし、中間を計算せずに10秒も跳躍するのは明らかに無理があるのでは?

A1.そうですね、人間の脳と身体の複雑なコンピュータモデルのt=10における状態を、t=0の状態から数千の中間状態を計算せずに割り出すのはほぼ確実に不可能でしょう。なら、何故私はこれらのシーンを挟んだのでしょう? それは、これがコピーの時間的(あるいは空間的)に連続する状態の配置というものが、その主観的経験に影響するものではないというアイデアをドラマ仕立てにする最も簡単な方法に思えたからです。
 可能だったと思われる計算のバージョンとしては、コピーの各状態を表現する通常の方法を「正規」と宣言した上で、t=0の状態から「非正規」的にすべての中間状態を計算することでt=10の状態を割り出すというものが考えられます。些細な例を挙げれば、二進浮動小数点の数としてすべての関連量を保存・操作する代わりに、様々な異なる体系でそれらを符号化できます。さらには、物理オブジェクトの三次元レイアウトを反映するデータの表現方法を色んな方法で不明瞭にすることもできます。
 さて、コピーにとっては、状態の表現方法が可能な限り最も単純かつ透明性のあるデータ構造をしていても、あるいは、知らない人から見たら百万年あっても全く意味を成さないほど複雑で不明瞭なものであっても、明らかに違いが無いと言えるはずです。そしてまた、それほど明らかならば、実験をやる必要など全くありません(下記Q2参照)。結局、時間をジャンプして計算するという困難なことを尤もらしく書いた理由は、単に、基本概念が既に十分入り組んでおり、もし私がここに更なる複雑さを加えたなら、あまりに多くの読者が全体構想に見切りをつけるだろうと考えたからでした。
(このFAQを投稿した後、ジャック・ボイスがEメールで私にハッシュライフというアルゴリズムの存在を指摘してくれました。ハッシュライフは、ジョン・コンウェイの有名な「ライフゲーム」の進化において、膨大なタイムステップのスキップを可能にするものです。これは面白いアルゴリズムですが、人間の身体のシミュレーションのようなものに同じものが効力を発揮できる見込みはあまりないだろうと思います。ライフゲームは「チューリング完全」である(つまり、ライフゲームの配置によってどんな計算も模倣できる)と知られていますが、ハッシュライフにおけるライフゲームはコピーのタイムステップのスキップを可能にするには十分ではありません。何故なら、ハッシュライフはセルの一様なスピードアップを生むものではないため、複雑な計算を行うライフゲームの配置はその恩恵を被れそうもないからです。)


Q2.ダラムの実験結果は――どのケースの最終結果(実験後のコピーの精神状態)も初めからわかっている結論で、計算実行法の詳細とは何の関係もなく初期状態によって完全に決まっていることを考えれば――何も証明していないのでは?

A2.そうです。実験は何も証明せず、ダラムのコピーはこの事実を考慮しています。同時に、ダラムとそのコピー達は種々の錯綜した計算法を実際に経験する価値があると感じずにはいられないのです。これは確かにかなり不合理なことですが、それにもかかわらず、これらのアイデアに取りつかれた人が、驚くべきことが起こる場合に備え、こうした実験を試してみるというのは、そこまで不条理だとは私は思いません。


Q3.小説の中の塵理論を信じている登場人物たちは、なぜ目標を達成することに気を配るのですか? どうせ、彼らの違うバージョンが、確実に全く同じ目標を達成することは間違いないのに。

A3.私は人間の本質が小説の中で行ったような振る舞いをさせるのだと信じています。ですが、確かにある人々はこのアイデアに直面し、受け身になってしまうことでしょう。また、ある人々はそうはしない。私はより面白い物語になる方を選んだわけです。


Q4.小説のラストは塵理論に背いているのでは?

A4.「純粋な」塵理論、つまり「観察者を含む塵のパターンが維持される」という考えに対しては背いています。実際、どんな一連の経験も塵理論によって絶対に可能であるべきだと言えるでしょう。だからこのラストも可能ではあると言えますが、ここでの私の意図はそうではありません。むしろ、私はどうしても正確に定義できなかった(そして、未だにできていない。詳しくはQ5参照)「純粋な」塵理論に対して持っていた不満を、ドラマ的に表現する方法として、このラストを書きました。我々の住む宇宙は塵理論が要求するよりも首尾一貫しているのだから、そこには何か他のルールもある筈です。エリュシオンとオートヴァースの居住者の基底現実を巡る「戦争」は、エリュシオン人がまだ理解していなかったより深い原則があったことを示す(あまり厳密でない)試みとして意図されたものでした。


Q5.あなた自身は塵理論をどれくらい信じていますか?

A5.あまり真面目に受け取ってはいません――まだ純粋に論理的根拠に基づいた納得できる論駁を聞いてはいませんが。例えば、ある人達は、一連の状態はそれらが本当に因果関係を持つ場合だけ、意識を経験させられるはずだと言いました。しかし、塵理論の要は、状態の間の相関よりも強い因果関係は存在しないということにあります。
 しかしながら、私は、我々の生きる宇宙が「純粋な」塵理論に背くだけの強い経験的な証拠を生んでいると思います。というのは、この宇宙はあまりにも秩序だっており、ただ観察者を存続させる意味を含むという必要以上に、ずっと単純で均質な法則に従っているからです。もしそんな必要最低限な世界のパターン全てが現実にあるとすれば、混沌とした現象に囲まれている観察者の存在するパターンの方が、一様な物理法則の存在するパターンより十億倍は多く存在することでしょう。


Q6.順列都市で最も後悔したことは?

A6.上記の塵理論に関する議論はすべて妥当なものでしたが、それとはかなりかけ離れたところに後悔した点があります。最も後悔したのは、オートヴァースにおいて知的生命体の進化を許すことに無批判な扱いをしたことです。確かに、人工的な知的生命体の進化というは一般的なSFのアイデアですが、私は厳密に考えてみたとき(出版されて数年後の話です)、これを実際に行うものは完全に道徳的に破綻していなければならないことに気付きました。この方法で微生物から知的生命体を得ることは、計り知れない量の苦痛(十億の感覚を持つ生物が、生きてもがいて死んでいくのです)を巻き込むことでしょう。そう、これは我々の祖先に起こったことですが、だからといって我々が同種の苦痛を他者に与える権利を持っていることにはなりません。
 これは現実世界でも潜在的に重要な問題です。そう遠くない未来、人々は真面目にコンピュータの中で人工生命を"進化"させようとするかもしれない。今、単純な仕事をさせる特化したプログラムを作るのに遺伝的アルゴリズムを用いることがありますが、感覚を持つ数万のプログラムを「交配」させ、評価し、殺すことは忌まわしい行為だと言えるでしょう。もし最初のAIがそうして作られたなら、それは創造者を軽蔑するあらゆる権利を持っています。


追記、2009年12月19日

 数学者イェール・グラスナーに感謝を捧げます。彼は、エデンの園配置(どんな前の状態からもそのルールの下では起こらないセル・オートマトンの状態)でTVCセルオートマトンを始動させることで正気を証明するというポール・ダラムのアイデアの問題点をEメールで指摘してくれました。
 ダラムはもしエデンの園配置に遡る歴史を持つTVCセルオートマトンに自分がいるなら、それはダラムの経験を説明する、「塵の中に発見された」というのが唯一の可能な歴史だろうと論じました(自分がコピーであるように思えたが、シャットダウンされた後に他の説明があることが発覚した実験とは対照的に)。
 ダラムの議論の問題点は、Moore and Myhill[2,3]の「エデンの園理論」では、ある状態が一つより多くの可能な歴史を持つ場合のときに限りセル・オートマトンはエデンの園配置を認めると言っていることで、それはダラムがどんな明白な状態からもエデンの園配置に遡ることを潜在的に妨げています。言い換えれば、もしセル・オートマトンがどんな前の状態からも生み出されない状態Gを持つようなルールR(R(F)=GとなるFがない)を更新するとき、Moore and Myhillの理論はR(H1)=R(H2)となるようなH1とH2があることを要求するのです。すなわち、一般にどの状態が与えられた状態に先立つかを知ることは出来ないのです。


さらに詳しく知りたい人へ

[1] 著名なロボット学者ハンス・モラヴェクは魅惑的かつ思慮に富んだエッセイ「シミュレーション、意識、存在」を書き、その中で塵理論と本質的に同じアイデアを扱っています(これを教えてくださったマリアノ・チョウザに感謝します)。
[2] Edward F. Moore, “Machine models of self-reproduction”, in Essays on cellular automata, A. Burks (editor), University of Illinois Press, Urbana, 1970, pp. 17-33.
[3] Myhill, “The converse of Moore's Garden-of-Eden theorem”, Proc. Amer. Math. Soc. 14 (1963), 685-686.(イェール・グラスナーに感謝します)
最終更新:2010年03月01日 23:31