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夢見る一ヶ月




 律儀にカーテンを揺らしてから教室に入ってくる、生温かい風。容赦なく太陽から放たれる、とても直視できないような陽射し。もう九月も終わり、明日からは学園祭なのに、どうしてこんなに暑いんだ。気候だけの話じゃない。グラウンドから聞こえるのは、異国語のような応援合戦のエール。教室で鳴り響くのは、耳に悪そうなトンカチの音。下の階では上級生が声を張り上げ、劇の練習をしている。
「ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの!」
 ああ神様、どうして僕はここにいる。クラスにちっともなじめなくて、友だちも少なくて、学園祭期間はまっすぐ家に帰るような僕が、こんな恥ずかしい恰好で、みんなと居残りしてるなんて。しかも、それを少し楽しいと思っているなんて。どこに行ったんだむかしの僕。額に手を当てた瞬間、教室の奥からお呼びがかかった。
「おーい、イエモト。この道具ってどこに並べるんだ?」
「ねえ葵くん、このお茶碗なんだけど…」
「悪ぃ蒼真!俺の帯結んでくれー」
 …勘弁してよ。苦笑いを噛み殺して立ち上がる僕に、教壇の前で『和装喫茶』の看板を作っていた茜が笑いかける。
「ふふ、引っ張りだこですね、葵さん」
「…他に人がいないだけです。僕、家元の息子だから…」
「そうでしょうか?頼りにされてるんですよ、きっと。それにその振袖姿も、とっても素敵じゃないですか!」
「…えーっと…男が女装を褒められても…。紅円寺さんの方こそ、やっぱり似合いますね、巫女さんの服」
「本当ですか?良かったぁ、これでも神社の娘ですから」
そう言って茜は、きらきらと瞳を輝かせる。普通の人ならここで、かわいい、なんて思うのだろうけど、正直僕は恐ろしくてたまらない。むしろ見下して鼻で笑ってくれる方が安心できる。いっそ罵って欲しいくらいだ(僕はそういう変わった趣味があるわけじゃない)。だって、僕が知ってる茜は、女の子の恰好をした僕を見て、「さすが女顔にはよくお似合いだな、明日からそれで過ごしたらどうだ?」とか、「かわいいじゃないか。まあ、私には負けるけどな」なんて言い放つような人間だ。間違っても、僕を手放しに褒めたり、曇り無い眼で僕に微笑みかけたりなんてしない。あぁ、記憶喪失で人格が変わるって、やっぱり本当だったんだ。それとも茜が変わったのは、ちっとも連絡を取らなかった中学時代の間なのか。もうこの際どっちでもいい。
カムバック、漢前で女王様で無駄に偉そうな茜。 「あの…葵さん?」
「へ?わ、すみません!僕、声に出してましたか?」
「それは…。えぇっと、とりあえず、皆さんお待ちですよ?」
 はっとして顔を上げると、五対十個の目が僕らの方を向いていた。しまった、という顔をすると、五人を代表した、クラス委員長の村崎さんから、怒りの叫びが飛んでくる。
「蒼真くん、早くしてよ!もうすぐ完全下校なのよ!」
「ご、ごめん!今行くよ。あか…じゃない、紅円寺さんは看板の方、大丈夫ですか?お手伝いとか…」
「ええ、大丈夫ですよ。あともう少しですから。ご心配ありがとう、葵さんも、がんばって下さいね」
「う、うん。それじゃあ、また明日」
 そう言うと僕は、服の裾を踏まないように気を付けながら、クラスのみんなの元へと走る。できるだけ、茜を見ないようにして。見てしまえば泣きそうな、そんな気がしたから。背後で「じゃあな、葵」という茜の声が聞こえた気もしたけど、きっと幻聴だ。幻だ。今ここにいる茜は夢なんだと、そう思いたくて、そう思う自分が嫌だった。

 完全下校の三十分後、明日に備えて完璧な『喫茶店』へと変貌した教室の中、僕と村崎さんは一つのテーブルに向かい合わせで座っていた。コンビニで買ったカツ丼を食べる僕と、重苦しい表情で僕を睨む村崎さん。取調べみたい、と僕は思った。僕が振袖、村崎さんが巫女服を着ていること以外は。中指で眼鏡を上げて、村崎さんは口を開く。
「やっぱり、女装もダメか」
「ごめん。クラスの出し物にまでしてくれたのに…」
「決めたのは皆の総意よ。私はあなたの話を元にして、案を出しただけ。でも、これで本当に八方塞がりね…」
「うん…」
 二学期になって、突然このクラスに転校して来た茜。小学校に入る前からの幼なじみとの三年ぶりの再会に喜ぶ僕に、彼女は一言、「あの、どちら様ですか?」と呟いた。とても困った様子で、心底不思議そうに。彼女は忘れていた。高校に入る以前のことを、全部。もちろん、僕のことも。
 ショックだった。自分でも驚くほどに。なんであんなにショックだったのか、今でもよくわからないけど、その日から、僕は茜の記憶を取り戻そうと色々なことを試した。村崎さんと一緒に。村崎さんは僕の中学からの知り合いだから、茜とは面識がない。だけど、村崎さんはなぜか常に僕に親切で、いつも僕の世話を焼いてくれる。今回も、事情を聞くやいなや、全面的に僕に協力してくれた。
僕らはまず、僕の家や近所の公園、二人でよく遊んだ場所に茜を連れて行った。学校の裏山にも行こうとしたけど、山の入り口ではすでに男子の先輩が二人、親密そうに話し込んでいたから入れなくて(村崎さんはすごく興奮して先輩たちを見ていたけど、なんだったんだろう)。マッドサイエンティスト、と言われている笹川先生なら脳や記憶にも詳しいかと思って理科準備室を訪ねたけど、先客に女の先輩がいたから諦めて(ここでも村崎さんは嬉しそうに、「やだ、禁断の恋の予感?!」とか言ってたけど、なんのことだろう)。それから、超常現象同好会に相談に行って、玉砕して。
さらに、今回のクラス出し物、『和装喫茶』(男子も女子も振袖もしくは巫女服でお客さんをもてなす、和服版メイド喫茶のようなもの)も実を言えば、「僕は小さい頃、よく母さんに女の子の服を着せられて遊ばれた。その姿を茜にはよく見られて、散々からかわれた」という僕のトラウマを掘り起こした村崎さんが、「蒼真くんの女装を見たら、紅円寺さんもピンと来るものがあるかもよ~」と、からかい八割あきらめ二割で提案した企画だ。まさか乗ってしまうなんて思わなかった。僕自身が。よもや認めるとは思わなかった。クラスのみんなが。
「いや、そもそも幼なじみの女装なんて、普通に暮らしてても記憶から抹消するよね…。バカだろ僕…」
 いつもより苦い気がするネギをかみ締めつつ、呟く。ご飯で口直しをしようとしたら、村崎さんが話し出した。
「別にいいじゃない」
「へ?」
「紅円寺さんがこの学校に来てからの蒼真くんは、私が今まで見た蒼真くんの中で、一番楽しそうだもの。中学の頃、私がどれだけ言っても参加しなかった学園祭も、すごくがんばって準備してて。私達がしたことは、無駄じゃないわ」
「そう…かな」
「そうよ」
 静かに答える村崎さんの表情は、少し寂しそうに見えた。その理由はわからなかったけど、村崎さんの言ってることは、本当かもしれない。今まで面倒くさいとしか思っていなかった学園祭。だけど、クラスのみんなに茶道のことを教えたり、店の内装を一緒に考えたり、衣装を揃えたりするのは、文句を言いながらも、楽しかった。学校って、友だちって、温かいんだと思えた。そう思えるようになったのは、茜がいたから、というのもあるけれど、それだけじゃない。
「村崎さんの、おかげだよ」
「あら、そーお?じゃ、明日もその調子で頼むわよ」
「うん、みんなでがんばったんだ。成功させたい」
 僕が右手を強く握ると、村崎さんはふう、と息をついて立ち上がった。
「さて、それじゃあ私は帰りますか」
「あぁ、ごめん、付き合わせて。お疲れ様」
「ううん、お疲れ。ゴミ、ちゃんと持ち帰りなさいよ」
「了解です、委員長」
 敬礼するように箸をちょっと上げながら、僕は返事する。村崎さんは鞄を抱えると、首を傾け、
「大丈夫、紅円寺さんにはきっと伝わってるわ。蒼真くんの気持ち」
 そう言って、満面の笑顔になった。
「…ありがとう」
「どーいたしまして。じゃね」
 ぴしゃん、とドアが閉まって、ぱたぱた音を立てながら村崎さんは帰って行く。ここにある現実も、捨てたものじゃないかも知れない。そう思って、冷めた豚カツを齧る。いつもより美味しい。そう思える自分が、少し嬉しかった。

 生徒の声が消えて、すっかり静かになった学校。幽霊が出る、なんて噂がある蓮池も、今は夜の静寂に包まれている。その隣、月明かりの当たるベンチには、二人の女生徒が座っていた。足を組み、缶ジュースを飲んでいるのは紅円寺茜。揃えたひざの上に、両手で持った紙コップのお茶を置いているのは村崎紫だ。
「そっか。うまく行ったか」
 茜は缶から口を離し、得意げに口元をゆがめる。
「うん、お陰さまで。この分なら明日も楽しんでくれそう」
 答える紫の表情も、とても穏やかで満足げだ。
「ったく、人にお膳立てされないと学園祭も楽しめないとは、あいつも本当に情けない。わざわざそんな奴を構うお前もお前だけどな。お人好しにも程があるぞ」
「…愛の力で一ヶ月休学しちゃう人に言われたくないわ」
「勘違いするな、あいつのためじゃない。他でもないお前の頼みだから、一ヶ月も記憶喪失のふりをしてたんだ。それに、あっちの学校も問題ない。『あの人』がなんとかしてくれたからな」
「あの人…?」
 茜が突然口にした不可解な単語に、紫は怪訝そうな顔になる。しかし、すぐに謎は解けたらしい。
「…って、『伝説の生徒会長』?まさか茜、知り合いなの?」
「いや、実際に会ったわけじゃない。二年の先輩に、その人の知り合いがいてな」
「へえー…。本当にいたんだ。『平成のジャンヌ・ダルク』」
「なんだ、その恥ずかしい通り名」
 茜はけほけほとジュースをむせる。紫は、そんな彼女を見てくすくす笑った。少しして、冷たい夜風が二人の間に沈黙を運んだ。小さい咳払いの後、茜は喋りだす。
「紫、明日から頼むな。あいつのこと」
 目を丸くして、驚いたような、しかし、意外ではない、という表情を、紫は茜に見せる。
「本当に帰るの?せめて学園祭が終わるまでは、ここに…」
「私は脇役だ。学園祭本番には必要ない。主人公のためなら転校もするし、くさい芝居もする。だが、足は引っ張らない。ヒロインってのは、そういうものだ」
 きっぱりと、揺るぎ無い口調で茜は言い切る。「反論は認めない!」背中でそう、語りながら。紫は小さく吹きだすと、からかうように告げた。
「ま、結構なお手前でしたよ、茜さん」
「ふふっ、当然だ」
 茜は残っていたジュースをぐいっと飲み干して、立ち上がる。輝く満月をバックに、ピン、と背筋を伸ばして一言。
「私は、紅円寺茜は、葵茜になる女だからな」
最終更新:2007年11月18日 18:27