彼女の箱




自分と彼は幼馴染だ。
いつから一緒だったとか、細かいところは覚えていない。ただ、気づいたときにはもう彼がいて、それが国立学校に通う今でも続いている。
彼は優しい。
自分が何をやっても彼はそれに付き合ってくれる。散々文句は言うけれど、最後は自分を見捨てない。このクラブがいい例だ。
友達との溜まり場を確保するためだけに、入学して即座に作った適当なクラブ。俺は発案だけして、煩雑な書類や手続きを彼に押し付けた。彼は特にクラブ発足を希望していたわけではないので、当然のことながらひどく怒った。しかし結局は折れて、今では部長兼庶務兼会計、もとい雑務担当である。その上三日に一回は部室に顔を出す。一応部長なのだから、と思っているらしい。自分がそんなことされたら確実にユウレイ部員決定だ。全く恐ろしいほど真面目でお人よしである。

そんな彼がもう一週間もクラブに来ない。
違和感を抱くには十分な理由だった。

授業が終わり、四角い空間に賑わいが訪れる。一つ前の席に座り転寝をしていた彼も、その賑わいに少しばかり眉根をよせ覚醒した。
「夢の国からお帰りカズサ、授業中に寝るなんて珍しいじゃん。」
「…ただいま。ノートはとって…るわけないよな、お前は。」
らしくない失敗を揶揄しながら前に立つと、彼は少し苦い顔をしてこっちを見上げる。
「決め付けるとかひっでー! とってないけど。」
「…。」
「そんな怒んなって!でも本当珍しいよなー、カズサが居眠りとか。」
「この頃忙しくて…。」
自分の居眠りは珍しくもなんとないが、彼が寝ているところを見るのは一年に一回あるかないか、いやない。真面目な彼が珍しいと思ったことを口に出すと、予想外の答えが返ってきた。
「最近クラブ来てないのに?」
「まぁいろいろあって…あっ今日もいけないから、クラブ。それじゃ、また後で。」
驚いて問いかけた疑問に煮え切らない返答をして彼は教室を去る。こうして彼は最近毎日どこかに出かけ、晩にはなんだか疲労して寮に戻ってくるのだ。
何度かさりげなく聞き出そうとしたが、いつもはっきりしない答えばかりが返ってくる。
そこで今日は強硬手段に出ることにした。

早足に廊下を歩く彼の後ろをこっそりついて回る。
長年一緒にいたせいか彼は俺の気配にすこぶる鋭い。気づかれないように、さりげなく慎重に道を進む。こうすれば彼がどこに出かけているのかを知ることが出来るはずである。声をかけようとする友達の口を5回目に塞いだとき、彼の足がピタッと停止した。
(図書館…?)
彼が止まった階段の先には落ち着いた佇まいの図書館が見える。
図書館で何か調べ物でもしていたのだろうかと思考を巡らせ目を離した瞬間、彼の姿が見えなくなった。焦って彼がいた場所に駆け寄るがもう人の気配はない。
(や ら れ た)
もうすっかり手がかりはなくなってしまったが、諦めきれずに周辺を丹念に捜すと彼の代わりに薄汚れたドアを見つけた。建築上仕方なく出来てしまった何にも使えない小さな空間を無理やり倉庫にでもしたのだろう。ドアはこれでもかというほど見つけにくく、そして開けにくい場所にあった。
もしかしたらここにいるのかもしれない。少しの期待をもって錆びたノブを握り、一気にこじ開けた。

――ゴミ?
目前に現れたのは期待していた人物ではなく、奇妙な形をした金属片の数々だった。
予想していたよりかなり広い空間には、なかなか立派なソファにちょっとしたテーブル、どこか見覚えのある椅子、大量に積まれた本、そして大小様々な大きさの珍妙な金属片が散乱している。相当汚い。
本の塔にぶつからないよう慎重に部屋の中心まで進むとテーブル上に少しほかと違う金属片があることに気がついた。部屋の中は小さな金属片が散らばっているのにこの金属片は欠片というよりも塊に近く、そして四角い箱のような形をしている。興味をひかれ手にとるとそれには見たこともないような模様の装飾がされていた。
何かの入れ物なのだろうか。そのわりに重く、妙な装飾がされている。その上開ける部分がなく代わりにクローバーを半分に切ったような突起物がついていた。明らかに理解の範疇を超えたものだ。
ひとしきり触って調べてみたが一向にそれが何なのかわからないので、とりあえずその箱のような物体をテーブルに戻そうと動きかけると、大きな足音が聞こえてくる。急いでテーブルの上を元の状態に戻すが、その足音はどんどんとこの部屋に近づく。何か悪いことをしたわけではないが思わず本の影に逃げ込んだ。
飛び込んだのは本の塔と栗色の髪の知らない少女。
「到着!!」
そう叫んだ後軽やかな足取りでずんずんと部屋に入りこみソファに座る彼女は一般課の制服を身にまとっている。見覚えがないはずである。
別に一般課の生徒と特別隔離されているわけではないが、授業が別でしかも異性とくれば当然知らない人間がでてくる。ましてや自分は入学して2年目である。いくら自分が情報通でも知らなくて無理はない。
納得して観察を終えるとやっと彼女の後ろに目をやった。本の塔が動いて部屋に慎重に入ってくる。どうやら人間らしい。その人物はゆっくりと本を周辺に下ろすと体を上げる。
彼だ。
驚きについ声を上げそうになるが、ぐっとこらえ彼の行動を本の隙間から覗き見る。
彼はため息をつきながら今しがた持ってきた塔から一番上の本を手に取ると歩いて近くの椅子に座った。
「さぁパパっとやっちゃってセンパイ。」
「まだ本開いてもいないんだけど。っていうか全然敬ってもいないのにセンパイとかいうな。」
「でも呼び捨ても嫌でしょ。」
「当然。」
「我侭だねぇ。」
「だから、呼び方にあった待遇をしろって言ってんの!先輩に本運ばせるな!」
「レディファーストだよ、センパイ。」
ニコニコと綺麗に笑う彼女は、わりと可愛い。クラブサボって毎日ここで彼女と二人きりだったのかと思うとなんだか無性に前にうずたかく積まれた本を崩したくなった。
「大体ちゃんと動いているのも見ずに元通りにするなんて、無理に決まってる。」
「だからセンパイを呼んだんだよ。」
彼女はテーブルの上においてあったあの妙な箱を手に取り、愛しげにそれを撫ぜた。
「俺のは物の形を変えるだけ。中身まで再現することは出来ないって何度も言ってるだろ。」
「でも、折れたトコロの形を再現することは出来るでしょう。」
「そりゃあ出来るけど、あんたの記憶がはっきりしてないじゃないか。」
「だから、ホラ本読んで!」
「…毎日このやり取りすんの、飽きたんだけど…。」
何のことを話しているのかまったくわからないが、彼女が何かを再現したくて彼を呼んだことはわかった。彼の魔法は物の形を変えるというものだから。とりあえず彼女と彼がどうこうということではないことがわかり、何故か妙に安心した。

結局のところ、彼は時に彼女とたわいのない会話をしながら、時に本読みながら、箱には触れずに部屋を出て行った。彼女も本を読んだり、箱を眺めたり、彼が形を変えたであろう金属片で遊んだりして時間をつぶしていた。彼女は誰か、彼は何を読んでいるのか。そして何を再現しようとしているのか。
全くわからない。部屋から出て寮に戻った後も、その疑問はずっと頭に残った。

それから毎日、自分はその部屋に通うようになった。
盗み聞きは若干良心が痛むが致し方ない行動だった。というのも彼女のことがまったくわからなかったからである。
調べてわかったことといえば、

魔法がとてつもなく優れているということ
でも授業はサボり気味であるということ
そして彼女は謎が多いということ

ぐらいである。
いつもならここで諦めるのが常だが、今回はどうしても諦め切れなかった。どうしてか、自分でもよくわからない行動だった。
毎日通った成果によると、どうやら彼女はあの珍妙な箱を元通りにしたいらしい。あの箱はもともと、箱に付いた突起物を回すと音がなるという世にも珍しい代物だったようだ。さらにその箱はなんと魔法で動くものではない。小さな金属片が複雑に絡まりあい、お互いに影響を与えながら動く『キカイ』というものらしいのだ。彼が読んでいたのはその『キカイ』というものについて書かれた学術書だったのである。
彼女は箱がまだ動いていた頃の話をとても嬉しそうに話した。
「この棒を回すだけですぐに音が流れてたんだよ。」
大切だったのだろう。『キカイ』について少ししか記述されていない小難しい学術書を集めて、彼を呼び出すほどに本当に。動かなくなった後でも彼女が箱を触るときはいつも優しい表情をしていた。
彼女は彼の手をとる。
「ここは確かこんな形だったと思う。」
人と、記憶やイメージを共有する魔法を、彼女は使えた。人のどこかに触れてその人の思考やイメージを読み取る、自分の記憶やイメージを相手に与える。彼女は自分の魔法で、箱の元の状態を彼に伝えていた。彼はそのイメージを頼りに金属片の形を変える。
「特別課、行けたんじゃないか。こんなことできるんだったら。」
ある日彼は唐突にそう尋ねた。彼女の魔法は確かに戦うには向いていないが、軍にとって有用だろうと自分も薄々感じていた。
「うん、行けたよ。でも断った。」
サラッと答えた言葉に一瞬呆然となる。軍人になって武勲を立てるということは誰もがうらやむエリート街道であり、その候補生が入る特別課は将来を約束されたことと同義である。彼もそのことをまくし立てると、彼女はまたもや軽くこう言った。
「だって、キョーミないし。おもしろくなさそう。」
彼女の興味は箱のみに向いているようだった。
またある日彼はこうも尋ねた。
「一生こんな箱のことだけを考えて過ごすつもりか。将来はどうするんだ。」
真面目な彼らしい台詞に噴出しそうになる。
「将来はきっとセージカとかになるんだろうね、きっと。」
「きっとって…何かなりたいものはないのかよ!」
「だって望んでもしょうがないでしょ。私はおイエのためにここにいるんだから。」
その言葉に納得しきれず、さらに言い募ろうとする彼に苦笑して彼女は言った。
「イロイロな事情があるんだよ、人には。」
どんな言葉にも明答を返してきた彼女が初めて濁した言葉に、彼の顔は複雑そうな表情を乗せた。
今まで彼がこんなに表情を変え、感情的になるのは自分の前だけだった。なんとも言えぬ彼の表情を見て何故か不快な気分に陥る。彼女と話している彼は自分の知る彼とまったくの別人のように感じられた。


彼がクラブに現れなくなってから一ヶ月がすぎた。
ほぼ毎日活動していたクラブは、部長である彼も、副部長である俺もいないのでめっきり活動は減り、久しぶりに廊下で会った後輩にこれじゃあクラブにならないと怒られた。
当初に持った疑問はすべて解決したし、箱の再現も一向に進まない。毎日毎日覗かいても何にもならないとは思うが、それでも足蹴なく通った。もはや部屋に行くのは何かの義務のようだった。 

今日もクラブに行くと軽く声をかけて、彼より早く教室を出る。
いつものようにこっそりと部屋に入り、本の影に身を潜めるとちょうど足音が聞こえてきた。大凡彼女だろう。彼女が彼より遅く部屋に訪れたことは一度もない。
ドアが開く。栗色の長髪が見えると半ば信じ込んでいた自分は呆気にとられた。視界に入ったのは見慣れたブラウンの彼のくせ毛だったからだ。
彼自身も驚いたように部屋を見回し、釈然としない顔で椅子に腰掛けた。しばらくは本を読んで過ごしていたが、やはり落ち着かないようで。五分と立たずに席を立ち、何度も廊下を見に行く。彼が廊下を見るためにもう何度目かもわからないドアの開閉をすると、そこには彼が待ち望む彼女がいた。
「遅かったな。」
「…ちょっとね。」
いつも堂々と前を見据える彼女の瞳が微かに頼りない光を放つ。今日の彼女は本格的におかしい。
彼もそのことに気づいたようで少し心配そうにするが、彼女はそれ以上何も言わず彼の横を通り抜けテーブルの上にある『キカイ』を手に取った。
「センパイ、これ預かってくれない?」
思いがけない言葉に彼は呆然としながら言葉を紡ぐ。
「……なんで。」
「帰らなきゃいけないかもしれないの。」
「どこへ!」
「北に、おイエに。」
絶句して口を紡ぐ彼を見て、いつかのように苦笑しながら彼女はゆっくりと語り始めた。
「お爺ちゃんに育てられたんだ、私。
お爺ちゃんはなんでもよく知ってて、私にいろんなものを作ってくれた。これもそう。魔法は使えなかったけど、私の魔法使いはおじいちゃんだったの。
複雑な事情があるらしくて、お母さんにもお父さんにもあったことはなかったけどお爺ちゃんがいるから全然ヘーキだった。毎日が平和で穏やかだったんだ。
でも、死んじゃった。」
言いづらそうに彼は問いかける。
「…お爺さんが?」
小さく首を振って彼女はこう続けた。
「センパイも知らない?ウチの学校の先輩が北方軍部をふっ飛ばしちゃった話。」
「知ってる…確か黒髪の有名な先輩だったよな。」
それなら自分も知っている。漆黒の頭髪だけでかなり目立つが、貴血らしいという噂が実しやかにささやかれる、何かと話題に事欠かない先輩だった。
「そう。ウチは北の小さな一族らしいんだけど、それで死んじゃったんだって。跡継ぎさんたちが、全員。」
「らしいとかだってとか、自分の家じゃないのか?」
「だって今まで知らなかったんだもん。そんなこと。誰に聞いても教えてくれないけど、お母さんとお父さんのことで何かあったみたい。
とにかく私はお爺ちゃんとずっと二人きりで暮らしてきたの。でも、それで跡継ぎが必要になって今のおイエに連れてこられたんだ。もしかしたら女幻かもしれない、ってね。それで入学してきたんだよ、この学校に。
お母さんも魔法使いじゃなかったから、あんまり能力には期待されてなかったみたい。でも特別課蹴ったことがバレちゃって、北に戻って戦線に参加しろだって。まだ決定じゃないらしいけど、カッテだよね。」
日常会話のように普通に話す彼女を、彼のほうが辛そうに見つめる。
「だから、預かっててよセンパイ。あっちに持っていったら壊されちゃうかもしれないし。それに直すの進まないでしょ?」
彼女は彼の手をとり、箱をその上に乗せた。
次の瞬間、それに耐え切れなくなったように彼は彼女を抱きしめた。彼女は少し驚き身を強張らせたが、そのままじっとして小さく言葉を続けた。
「お爺ちゃんからもらったこれが壊れて、途方にくれた私にセンパイは希望をくれたの。全くわけがわからないはずなのに、見捨てないで、ずっと付き合ってくれて。全部を言葉にすることは出来ないけど、本当にありがとう。」
「会うのはこれで最後じゃないんだから、そんなこというな。お前はいつもみたいに傍若無人に振舞えばいいんだよ。」
「酷い、センパイ。私はいつもヒメウズのように生活してるのに。」
「…ヒメウズ?」
「しおらしいってこと。」
「…。」
「でもそうか、そうだよね。」
彼女は彼の背中に手を伸ばした。
「また会える。」
「うん。」
二人はずっと抱き合っていた。ずっと、ずっと。

その日彼らが帰った後、影から出てきた自分は彼女の『キカイ』を持ちだして学校の蓮池に捨てた。彼と彼女のつながり全てを消し去るために。
何故あの部屋に通い続けたのか、今ならわかる。自分は彼が自分の知らないところで変わっていくのが嫌だったのだ。誰よりも近くにいた彼が、自分以外の人によって少しずつ、でも確実に変貌していくのが堪らなく不快だった。彼に彼女と近づいてほしくなかった。それがただの幼馴染には到底抱くはずがない感情であっても。
彼女の大切な箱は濁った池の水に沈んでいく。
彼女と彼の関係もこんな風に消えていけばいい。静けさを取り戻す水面をじっと見つめながらそう思い続けた。




結局のところ彼女が本当に帰ったのか、まだこの学校にいるのか自分は知らない。
しかし彼はまたクラブに来るようになった。昔と変わらない、自分が望んだ日常だ。
だが自分は知っている。
彼が未だにあの本を、『キカイ』の本を持ち歩いていることを。
彼の机の奥底に、奇妙な鉄片が増え続けているということを。
最終更新:2008年08月16日 23:55