ウサギとチョコレート
俺が所属している園芸部には、部員が三人しかいない。俺と、俺と同学年の女子と、二学年上のセンパイがひとりだけだ。魔法を使えるヤツだけが入れるこの学院で、折角なら自分の能力を最大限に使えるところに入部したいと思うのは当然だと思う。魔法を使わない部もあるにはある。が、魔法を使うところに比べるとやっぱり人気は低いんじゃないだろうか。多分。
だだっ広い校地の片隅、温室の隣に作られた小屋が園芸部の部室だ。近くには何かが出ると噂の蓮池がある。学舎からは少し遠いが、その池の噂も手伝ってか周囲は静かで、俺はこの場所を結構気に入っている。面倒な授業のときは、小屋のソファで寝るのが俺の習慣だ。今日もそう。備え付けの暖炉に火を入れてまどろんでいると、扉を開いて少しの雪と冷たい外気が入り込んできた。「うわっ」と小さく驚く声。センパイだ。
「あ、その、こ…こんにちは。早いですね」
「サボリだよ」
「え、あ、そ、そうですか…」
「そんなビビんなよ。アンタも慣れないね、ヨキさん」
名前を呼んでわざとらしくため息をつくと、肩がびくっと跳ねた。俺が入部してもう二年ほどになるけど、この人はいつまでも俺のことを恐がっているようだ。色が白くていつもびくびくしてて、まるでウサギみたいだと思う。
「ヨキさん、雪ついてる」
立ち上がって、頭や肩にかかった雪を払ってやる。ついでにこっそり、銀の髪に指を通す。
「うーっ寒っ! 寒いよーもおー」
ばぁんと勢いよく扉を開けて入ってきたのは、もう一人の部員のカンナだった。こいつも頭に雪をのせている。が、払ってはやらない。
「こんにちは、カンナさん」
「こんにちはっ。先輩、こいつになにもされませんでしたか?」
「おい。どういう意味だ」
「どういう意味って、そういう意味よ」
じんねりと睨みつけてくる様が小憎らしい。こいつはヨキさんを恐がらせる俺が気に入らないらしいが、とんだ言い掛かりだ。俺は何もしていない。ファッションが少々派手なだけだ。
「あーあ、先輩が卒業したらこいつとふたりっきりか。今から憂鬱だわぁ」
「あ? なんだテメー」
「そ、そんな…来年は新入部員が入りますよ、きっと」
俺とカンナの間で、ヨキさんは必死にフォローを入れる。フォローになってないが。
「…な、そういえばアンタ卒業したらどこ行くの? やっぱ軍部とか?」
「いえ、ぼくは…魔法はあまり、」
「特別課なのに? じゃあ家でも継ぐのか」
「…家は…」
呟いたきり、彼は黙り込んでしまった。話題を変えるつもりが、地雷を踏んでしまったらしい。くそ、気まずい。沈黙を破り口を開いたのはカンナだった。
「ねえ、先輩が卒業するときパーティーしましょうよ! 春の花がたくさん咲く頃に、温室にお菓子とか持ち寄って。 …そのときはあんたも手伝うのよ」
「…わぁったよ」
いつも口やかましくて面倒な奴だが、今だけは感謝してやってもいい。ヨキさんもほっとしたようだった。
四年前にこの学校に転入してくるまで、ぼくは父とふたりで暮らしていた。母は北部の出身で、里帰りの途中で戦いに巻き込まれて亡くなったと聞かされた。ぼくがまだ赤ん坊だった頃のことだ。ぼくに能力があると解ったのは七歳のときのことだ。最初は父の店の花、その次はお気に入りだったおもちゃ。ぼくはあるときを境に、触れたものを凍らせることができるようになった。
ぼくたちが住んでいた小さな町は、国都から少し北の、周囲を山に囲まれた盆地にあった。夏は暑く冬は寒いその町で、ぼくの能力はほとんど夏の間しか役に立たなかった。それでも、ぼくのように魔法を使える人間が近くにいなかったので、近隣の町でぼくの名前は広まっていった。
十三歳になったとき、ぼくの噂を聞きつけて軍部から入学監査官がやって来た。ぼくを国立学院に入れるためだ。その人は奨学制度があるからお金の心配はいらないと言ったけれど、ぼくは断った。町に留まって、父が切り盛りする花屋を手伝いたかったからだ。そのとき、その人はあっさり帰っていった。父が倒れたのはその翌年のことだった。過労と、長年患っていた肺病が原因だった。ぼくは自分の無力さに歯噛みした。魔法が使えたって、本当に大切なときには何の役にも立たない。打ちひしがれていたとき、あの監査官が姿を見せた。
「君の能力は我が軍にとって非常に有益だ」――もういいでしょう。お父様のことは責任を持って引き受けますから、君は大人しく私と一緒に――そう言われた瞬間、目の前が真っ白に染まった。後になって思うと、あれは自分が発した光だったのだ。身体から溢れ出した光膜は周囲のものを凍らせ、砕いた。すべてが塵になっていくなかで、彼だけがぼくを見つめていた。
それから学院に転入させられるまではあっという間だった。あれよあれよと言う間にぼくは学院に送り届けられ、特別課に配属された。
父は国立の療養施設に送られたと後から教えられた。自分が側についていられないのは心苦しかったけれど、あのまま町にいるよりずっといい。ぼくが軍人になって、それで父を助けてもらえるならそれでいいと思った。転入以来、父に連絡はとっていない。そもそも父の入院先を知らされていなかった。父のことは責任をもって引き受けるという言葉を信じたかった。それに父と言葉を交わせば、この覚悟が鈍ってしまいそうだったから。ぼくは春が来れば、戦地へ赴くことになるのだ。
「雪、止みませんね」
ヨキさんが呟いた言葉が自分に向けられたものだと一瞬分からず、反応が遅れた。これまでにヨキさんから話しかけられたことがあっただろうか。いやない。
「…あー。今年の冬はやけに寒い」
本当に、この寒さは異常だ。例年は雪どころか雨もあまり降らないような土地なのに、今年の冬はどうかしている。
「こんなに寒いと、ホットチョコでも飲みたくなりますね」
そう言って窓の外を眺めるヨキさんの横顔はどこか嬉しげで、普段より幼く見えた。
「…甘いもの、好き?」
「甘いものというか、チョコレートが好きなんです」
「へえ。アンタの好きなもんとか、初めて聞いた」
今までマトモに話したことなかったし、とからかうと、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。
「別にいいけど。ヨキさん、俺が恐いんだろ」
「え…こ、恐いとか、そんなんじゃ…」
「ほら、またどもる」
過剰に慌てる様子がおかしい。ソファーから立ち上がり、向かい合って瞳を覗き込んだ。澄んだ水の色だ。言葉もなくその色に見入っていると
「君は、綺麗な目をしていますね。チョコレートみたいに深くて、優しい色です」
ふわりと笑いかけられ、俺は自分の耳が熱くなるのを感じた。思わず目を逸らす。こんな風にヨキさんが自分に笑いかけたことがあっただろうか。いや、ない。
「恥ずかしいこと言うなよな…」
茶化そうとして放った言葉は意志に反して弱々しく、ヨキさんは今度は小さく声を立てて笑ったのだった。
それから、彼とは少しずつ話をするようになっていった。彼は色んな話をしてくれた。彼の派手な服装がお父さんの影響だということ、家は南部の港町で貿易商を営んでいること、彼が卒業後にその家督を継ぐこと。ぼくも故郷の町や父のことを話した。これまでの二年間はなんだったのかと思うほど、ぼくたちは親しくなった。
「ヨキさん、最近明るい顔してるね。なんかいいことあった?」ある日薬草を届けに行った先でそう訊ねられ、ぼくは狼狽した。他人から指摘されるほど、浮かれた顔をしているんだろうか。なんだか気恥ずかしい。理由は自分でも分かっている。最近、彼とよく話をするようになったからだ。彼の見た目と口調は今でも少し恐いけれど、極力ぼくを恐がらせまいとしてくれているのが分かる。学院に来て色々な人と関わるようになったけれど、あんな風に不器用で優しい人は初めてだと思う。話せるようになってよかった。
今日は馴染みの行商に頼んでいたココアが届いたから、早く部室に戻ってみんなで飲もう。そう思い、歩みを速めたときだった。
「ヨキくん、ヨキくんじゃあありませんか」
渡り廊下の向こうから近づいてくる、聞き覚えのある声。忘れもしない四年前の出来事。あの監査官だ。
「お久しぶりですね、ヨキくん」
「…どう、なさったんですか。こんなところで」
喉が渇いて、擦れた声が出た。
「なに、ちょっとした視察です。未来の英雄たちの学び舎を、たまには見ておこうと重いましてね…君にも、会いたいと思っていましたしね」そう言った口許は、酷薄な笑みに歪んでいた。
「…あの、父は、…父は、どうしていますか」かく
「ああ、お父様ならそろそろ退院される筈ですよ。調査も終わりましたし」
「…調査…?」一体なんのことだろう。
「お父様には、我々の研究に協力していただいたんです。能力者が生まれる要因がどこにあるのかを科学的に調査し、ひいては新たな能力者を生み出す――軍部で進めている研究です。今のところ、芳しい結果は出ていませんがね」
「父を、治療のために施設に入れてくれたんじゃないんですか」
「勿論です。ですが、こちらとしては…」
「どういうことですか! 父を巻き込まないでください…!」
信じられない。ぼくが軍につけば、父はそんなことに巻き込まれずに済むと思っていた。素直に信じたぼくが馬鹿だったのだ。情けなくて悔しくて、視界が滲んでゆく。
「まあまあ、そう心配するほどのものではありませんよ。お父様のご病気自体はもう完治しています。…ああそうだ、君も春になったら一度故郷に帰るといい」
「どういうことですか」
「ここでも君の様子は聞いていますよ。実践でもまともに魔法を使っていないとか。使わないのか、それとも使えなくなったのか…どちらかは知りませんが」
「何が言いたいんです」
「住み慣れた町で羽を伸ばしてはどうかと。監視員をつけることになりますがね。君は私が見込んだ人材です、本来ならば無理にでも派兵するところですが、しばらく様子見をしてもいいでしょう」
「まだ…まだぼくたちを振り回すつもりですか」
「おや。私は君とお父様と、軍にとっての最善を考えているつもりですよ」
かたちだけの笑みが深くなる。ぼくはそれを見ながら、自分の身体がじりじりと熱くなっていくのを感じた。四年前のあの時と同じ。内に渦巻いた怒りが光膜として放出される、あの感覚。抱えていた籠が白く凍り、腕の中でぱきりと音を立てた。刈りそろえられた足元の芝にも霜が降り始める。
「おや、ちゃんと魔法が使えるんじゃないですか。これならすぐに戦線に出られるかな?」
「ふざけるな…!」
煽られていると分かっていても我慢できなかった。光膜が一層強く、ぼくを取り巻く。
「――ヨキさん?」
耳に飛び込んできた、聞き慣れた低い声。咄嗟に振り向くと、彼が駆け寄ってくるところだった。自ら発する光のせいで、姿ははっきりとは見えない。
「どうしてここに、」
「アンタが戻ってこないってカンナがうるさいから探しにきたんだよ…どうしたんだよ、アンタ。おい、あのオッサン誰だ。なんなんだよこれ」
彼の声はいつになく焦っていた。こんなに必死な声、初めて聞いたな。そう思いかけたらなんだか気が抜けてしまい、どっと身体が重くなった。一度に光膜を出しすぎているせいだろうか。眠たくて仕方がなかった。膝が崩れ、地面に倒れ込みそうになったところで、彼に抱きとめられた。触れた腕があたたかい。
「ッ…冷てっ…ヨキさん、力を抑えろ! 止めるんだ!」
ぼくも止めたいんですが、どうしたらいいのか分からないんです。そう伝えようとしたけれど、もう口を動かすのも億劫だった。
「その子をこちらに渡してもらいましょうか」
「てめえ、ヨキさんに何をした」
「何も? ただ少し、お話をしていただけですよ。さあ、ヨキ君をこちらへ」
「誰が渡すか! ヨキさんがこんなになるなんて、」
遠くで二人が何か言い争っているのが聞こえたけれど、そこで意識は途切れた。
目が覚めたら温室にいた。目を開けると、ぼくを覗き込む彼の顔。その顔が白くぼやけていたので、自分がまだ光膜を出し続けていることに気付く。身体がだるい。
「気がついたか」
「…あの人は…」
「ボコってきた。それよりヨキさん、いい加減その光膜しまえ。アンタの身がもたない」
ボコって何。それで逃げてきたのか。そんなことをして、きみもこれからどうなるか分からないのに…言いたいことはいくつもあったけれど、ひとまず光膜をおさめるべく深呼吸してみた。
「…止められません…」
「落ち着け。このままじゃアンタ、徒人になっちまうぞ」
ただびと。それもいいかもしれない。こんな力を持っていても、いいことなんてひとつもない。
「もう魔法なんて…使えなくていいです…」
「馬鹿か! 魔法が使えなくなったら、アンタはただの兵士として使い捨てにされるんだぞ!」
アンタがそんなことになるなんて堪えられない、と彼は唸るように言った。
「どうしてそんなにぼくのことを気にしてくれるんですか」
不思議だった。思えば彼は、入部してきてから何かとぼくのことを気にかけてくれていたのだ。じっと彼の目を見つめると、観念したように話し始めた。
二年前に花の世話をするぼくを見かけたこと。それから園芸部に入部したこと。
話を聞くうち、身体を包んでいた光膜は消えていた。胸が温かい。
「ありがとう。すごく、嬉しいです」
それから一週間後、俺の元に自主退学を勧告する手紙が届いた。あのオッサンをはり倒した代償ってわけだ。学院側は、強制退学なんて外聞の悪いことは避けたいんだろう。手紙の文面から察するに、どうやらオッサンは軍部の偉いさんだったらしい。ヒョロくて気持ちの悪い奴だったが、あんなのがねえ。この国大丈夫なのか。まあそんなことはどうでもいい。今はこの勧告に従うかどうかが問題だ。俺としては正直、こんなタルい学院やめたって構わなかったが、親父たちがどう言うか。仕方ねえ、久しぶりに連絡してみるか。
彼が学院を去って、もう三ヶ月になる。突然のことで、ぼくもカンナさんも何も聞かされていなかった。生徒達の間では彼が自主退学したという噂が流れていた。カンナさんは「むかつくのがいなくなってスッキリした」と笑っていたけれど、表情はどこか少し寂しそうだった。
季節は巡り、ぼくが学院を卒業する日が来た。卒業生たちが講堂に押し込まれ、学院長の祝辞を聞くだけの、軍課の卒業式。ここ二、三日降り続く雨のせいで、講堂もどこか薄暗かった。
「…あいにくの天気ですが、今日は君たちにとってかけがえのない旅立ちの…」
ぼくは結局、一度故郷に戻ることになった。あのときの力の暴走で、ぼくの光膜はほとんど失われたのだ。あれ以降、あの監査官とは会っていないけれど、また近いうちに顔を合わせることになるのだろう。四年ぶりに父に会えるのが嬉しいはずなのに、後のことを思うと手放しで喜べない。監査官を“ボコった”彼の退学も、元はと言えばぼくが原因だ。いくら謝っても足りない。…もう一度、彼に会って話がしたい。
「――以上で、卒業式を終了します」
ああ、これでもう、この学院に来ることもない。そう思うと少し寂しかった。最後に温室を見ておこうと思い、ぼくは席を立った。
温室の中は、春の花で満ちていた。降りしきる雨に濡れることなく、美しく咲き誇っている。四年間、ぼくが世話をした花たちだ。外が晴れていれば、もっと綺麗に見えただろうな。言っても仕方のないことを思う。
そのとき、ふと雨が止んだ。あっという間に雲が消え、辺りが明るくなる。今日は一日降り続くと思っていたのに、こんなに唐突に止むなんて。不思議なこともあるんだなと思ったら、今度は頭上でバサバサと大きな羽音が聞こえ、すぐに消えた。近くに降り立ったようだ。
「ヨキさん!」
「え…え…?」
数ヶ月会わなかっただけなのに、すごく懐かしい。どうして彼がここに?
「式が始まる前に到着してここら一帯晴らせるはずだったのに、遅くなっちまった」
「どうして、」
「どうしてって、まあ…アンタの卒業祝いだよ。俺は天気を操れるから」
じゃあ、この空は彼が晴らせたのか。素直に感心しかけて、我に返った。彼に謝らなければならない。
「ごめんなさい、ぼくのせいで…退学なんて」
「あ? ああ…アンタのせいじゃねえよ。あのオッサンはムカつくけどな…面倒な授業に出なくてよくなって清々してる。それに親父も、俺が退学するっつったらアッサリ許したぜ。貿易やるのに必要なのはお上品な勉強じゃねえ、よく回る頭と人望だって言ってな。まあ、母さんはちっとゴネたけど…今は親父の下について商売の勉強してるよ」
そういえば、彼は制服姿ではなく、凝った刺繍が施されたシャツを身に着けている。南部の衣装だろうか。
「そうなんですか…でも…」
「あー、もういいって。なあそれよりヨキさん、俺んとこ来ないか」
「は」
「アンタの親父さんも連れてきて、ウチの隣で花屋を開けばいい」
「ちょ、ちょっと待って。何言ってるんですか」
話の展開がいきなりすぎてついていけない。ぼくが彼のところへ行ったところで、
「ぼくはまた軍に徴兵されることになるんですよ」
「そのときは、俺がなんとかする」
即座に返ってきた答えがなんだかおかしくて、思わず吹き出してしまった。その迷いのなさが、ぼくを安心させてくれる。怪訝な顔をする彼に問う。
「…港町まで、そこの使い魔に乗っていくんですか?」
「じゃあ」
「なんとかしてくれるんでしょう。…よろしく、お願いします」
そのときの彼は、今まで見たことのない眩しい笑顔をしていた。
最終更新:2008年02月17日 11:14