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1986年11月1日のダイヤ改正で松本運転所から、信越本線関係の運用を移管し配置車両基地となった。1997年の長野新幹線開通以前は碓氷峠を越えて高崎まで運用されていた実績もある。
1987年~1993年の間には、当時のN12編成が、コカ・コーラの広告電車として運用。車体は赤一色。ドア間窓下にコカ・コーラのロゴを貼付け車両番号表記は中央ドア下へ移設された。モハ114形にコカ・コーラ社製品の自動販売機を設置。なお、契約終了後にすべて復元されている。
2009年現在、2・3両編成のN編成(1000番台)と6両貫通のC編成(300番台・1000番台)及び訓練車が配置されており、N編成とC編成とが混用されることはない。長野配置車は、パンタグラフをシングルアーム式のPS35形への交換とATS-Psの搭載が行われている。また塗装も1989年から白地に緑色のラインで構成された初代「長野色(信州色)」が採用されたが、1992年以降は開催が決定した長野オリンピックへ向けてイメージチェンジを図るため2代目「長野色(信州色)」に変更され現在も引き続き採用されている。
(「Wikipedia」より一部改)
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