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・三鷹車両センター
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900番台は1998年10月に東急車輛製造(1~5号車を担当)とJR東日本新津車両製作所(6~10号車を担当)にて新製された本系列の試作車で、登場当初は209系950番台と称していた。1992年の901系(→209系900・910・920番台)を嚆矢とするJR東日本の新系列電車の開発は、209系とE217系、それにE501系によってその基礎を確立したが、共に登場後5年以上が経過したため、その間の技術進歩を採り入れた「第2世代」車両の試作車として製造。車体の基本的な構造は同時期に生産が開始された209系500番台とほぼ同一だが、制御・動力系は一新され、列車情報管理システムTIMSと新しい動力系装置が採用され、本系列の技術的基礎を確立。900番台のVVVFインバータ装置は、試作車という意味合いもあって三菱電機製の3レベルインバータ(後に通勤タイプで採用)と日立製作所製の2レベルインバータ(後に近郊タイプで採用)の2種類が1ユニットずつ搭載され、1編成で2種の異なる起動音がインバータ装置およびモータから発生するのが特徴。なおこの編成のパンタグラフは後の量産車とは互換性のないPS33形を使用(量産車はPS33B形)。
側窓の構造が209系500番台と同一の仕様で、ドア間側窓は中間車で4か所、先頭車で2か所が開閉可能な構造(ただし、先頭車については2007年3月に固定窓であった車体中央窓の下降窓への改造工事を施行)。側窓ガラスについても0番台とは異なり、可視光透過率約41%のグレーに着色された熱線吸収ガラスを使用。車内のつり革についても0番台のものとは異なり、209系と同一のつり輪形状。編成のうち5号車には6扉車を組み込んでおり、先頭車の前面と6扉車の各ドア上部には「6DOORS」のステッカーが貼り付けされている。なお、落成時から5号車に連結をしているが、試験のために2号車へ連結位置を変更することが可能なようにしている。6扉車は4扉車とは構造が異なり、側窓が片側5か所のうち、3か所のみ開閉するほか、非常時には換気容量不足が生じることから連結妻面上部に非常換気口が設置。これは後述する0番台に踏襲。ドアエンジンには4扉車にリニアモーター式戸閉装置が試験導入され(6扉車は従来のスクリュー式)、それが近郊タイプに採用。ただし、本番台ではドア1か所につき2つのリニアモーターを使用しているのに対し、近郊タイプでは1モーターによる2扉連動方式。また、ATS-P形の他にATS-SN形を搭載(0番台中央・総武緩行線用はATS-P形のみ)しているほか、前面列車番号の表示が微妙に違い、本番台では「0601B」のように空白の部分が0と表示されるのに対し、0番台中央・総武緩行線用は601Bと表示される(現在は900番台も0番台と同表示)。このほか車外側面のJRロゴマークの位置が量産車のラインカラー帯部にあるのに対し、本番台では209系500番台同様に戸袋部に貼られている。さらに登場時は「近郊形置き換え用」の位置付けから行先表示器のメモリー内に宇都宮線・高崎線の駅名の一部が含まれていたことも特筆できるが、量産化改造時に削除。1998年10月の落成後、中央・総武緩行線を中心に209系500番台の投入と合わせて性能試験などが行われ、試験後の1999年(平成11年)3月27日から営業運転を開始。その後、量産車の登場に伴い2000年(平成12年)6月にE231系900番台に改番された。形式上は「試作車」として位置付けられているが、その登場から1年半後にほぼ同一の仕様で0番台が投入されたことからも伺えるように、車両の完成度は高く、事実上の「量産先行車」であったとも考えられる(JR東日本の車両図鑑では「量産先行車」としているほか、東急車輛とともに製造を担当した新津車両製作所での案内では「量産先行試作電車」としても紹介)。また、量産車両の登場を待たずに鉄道友の会2000年ローレル賞に選定されるなど、新世代車両としての技術的な先進性は高く評価。編成番号は、登場時は201系や当時車両不足で他線から借入中の103系「ミツ23」の続番として在籍編成では最終番号の「ミツ24」であったが、201系の運用終了後は他の0番台編成や209系500番台編成とともに先頭車の車両番号に改められ、「ミツB901」になっている。この編成は2005年製造分以降の近郊タイプに装着されたものと同様のV字に尖がった大型形状のスカートに交換され、優先席付近のつり革もE233系タイプに交換済。また、2008年春から自動放送の使用を開始。
一方0番台は、2000年(平成12年)3月13日から中央・総武緩行線用は営業運転を開始。最初は103系と201系の置き換えが急務となった中央・総武緩行線に投入。初期グループは1999年度末から2001年度(2000年2月~2001年11月)にかけて10両編成40本(400両)が103系・201系・205系の置き換え用として集中投入(このうち初期の3本は東急車輛製・残る37本は新津車両製作所製)。投入当初は現在のミツB1~B5・B10~B19・B26・B27編成が習志野電車区に投入され、またミツB6~B9編成は三鷹電車区に一旦投入した後に習志野電車区へ転配されていたが、いずれも同区の無配置化で三鷹電車区に転入。この初期グループ製造中の2000年度(2000年11月)には京浜東北線・根岸線車両へのD-ATC取り付け改造に伴う予備車確保のため、中央・総武緩行線用の209系500番台2編成が浦和電車区へ転属したため、その代替として2本(B26・B27編成)が投入。その後、2002年12月のダイヤ改正で地下鉄東西線への直通運用が削減されるとともに301系1本が廃車されたため、その代替として1本(ミツB57編成)が先に落成した0番台に準拠した仕様で新製。そして2006年10月・11月には京浜東北線・根岸線用の209系900番台試作車3編成の置き換え用として中央・総武緩行線用の209系500番台3本が浦和電車区に転属するため、その代替として3本(ミツB80~B82編成)が追加製造。なお、これら転属分の補充車両はすべて東急車輛製。このグループでは先に落成した車両に準じた仕様ながら、同時期に落成が始まったE233系の設計思想を取り入れている。ただし、制御装置などの走行機器類は従来車両と同様。また、空調装置についても能力向上形ではなく、従来車と同仕様。
当番台区分を運用する列車は原則として列車番号の末尾がBである。ただし、運行状況により、C運用にE231系を使用したり、逆にB運用に209系を使用する場合がある。900番台同様に5号車に6扉車(サハE230形)を連結。座席は折りたたみ式となっており、平日の初電から10時までは収納状態で固定され、10時を過ぎた時点で使用できるようになっている。また、先頭車の前面と6ドア車の扉の上部には「6DOORS」のステッカーが貼り付けされている。側面のLED式行先表示器は行先と「中央・総武線」の表示を交互に行う。表示内容は209系500番台と同様だが、フォントなどが微妙に異なる。2008年3月までに全編成が2005年製造分以降の近郊タイプに装着されたものと同様のV字に尖がった形状の大型スカートに交換され、優先席付近のつり革もE233系タイプに交換。2008年から全編成で自動放送の使用を開始。0番台は中央・総武緩行線用として三鷹車両センターに配置。
山手線の6扉付随車を置き換えることを目的に新津車両製作所で4扉付随車が製造されていたが、付随車は単独で試運転を行うことができないことと、本系列のブレーキ装置は TIMS を介して行うもので、機関車けん引による配給輸送の際にブレーキを作用させるために制御車(クハ・TIMS中央装置搭載) とTIMS に電源を供給する電動車(モハ)が必要となる。このため、検査時期などを考慮して三鷹車両センターのB27編成が2010年(平成22年)1月に東京総合車両センターに転属され、付随車を抜いた制御車(クハ)・電動車(モハ)6両のみが使用。使用された6両は新製された付随車の試運転・配給輸送のほか、廃車になるサハE230形(6扉車)の長野総合車両センターへの配給輸送に使用され、いずれも編成の中間に対象となる付随車を4両組み込む形態で試運転・配給輸送が実施。使用しない付随車4両は東京総合車両センターに保留車として留置。また、配給輸送使用中の同車は営業用車両ではなく、事業用車の扱いとなっていた。その後、約1年半の山手線用車両配給輸送終了後の2011年(平成23年)11月に三鷹車両センターに戻っている。
2014年12月には、ミツA520編成が山手線E235系化に伴いE231系東トウ520編成が1両減車にて転属、営業運転導入。この置き換えと上野東京ライン常磐線快速への増強用としてB20・B21・B22編成がマトへ転属のため三鷹から消滅。
(「Wikipedia」より一部改)
〔2000年 2月 4日 東急車輛製〕
〔2000年 2月 9日 東急車輛製〕
〔2000年 2月23日 東急車輛製〕
準備中
〔2000年 4月12日 新津車両製作所製〕
〔2000年 4月27日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 5月17日 新津車両製作所製〕
〔2000年 6月 1日 新津車両製作所製〕
〔2000年 6月15日 新津車両製作所製〕
〔2000年 7月 1日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 7月14日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 8月 3日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 8月21日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 9月 5日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年 9月21日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年10月 5日 新津車両製作所製〕
〔2000年10月23日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年11月 8日 新津車両製作所製〕
〔2000年11月25日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年12月 8日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2000年12月22日 新津車両製作所製〕
〔2001年 1月22日 新津車両製作所製〕
〔2001年 1月30日 新津車両製作所製〕
未撮影
〔2001年 2月16日 新津車両製作所製〕
〔2001年 3月 2日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年 3月17日 新津車両製作所製〕
〔2001年 2月21日 東急車輛製〕
〔2001年 3月14日 東急車輛製〕
〔2001年 4月 3日 新津車両製作所製〕
〔2001年 4月16日 新津車両製作所製〕
〔2001年 5月 2日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年 5月21日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年 6月 4日 新津車両製作所製〕
〔2001年 6月19日 新津車両製作所製〕
〔2001年 7月 4日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年 7月18日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年 8月 3日 新津車両製作所製〕
〔2001年 8月21日 新津車両製作所製〕
〔2001年 9月 3日 新津車両製作所製〕
〔2001年 9月17日 新津車両製作所製〕
〔2001年10月 2日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年10月17日 新津車両製作所製〕
準備中
〔2001年11月 1日 新津車両製作所製〕
〔2002年11月15日 東急車輛製〕
〔2006年10月20日 東急車輛製〕
〔2006年11月18日 東急車輛製〕
準備中
〔2006年11月22日 東急車輛製〕
準備中
〔1998年10月20日 新津&東急 両製〕 試作900番台
〔2003年 7月17日(7号車2011年 1月18日) 新津車両製作所製〕 元東トウ520編成