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明治初頭の大原地区 - (2009/09/15 (火) 22:26:30) の編集履歴(バックアップ)


版籍奉還直後の大原地区状況  09/09/15 創始

 現在の大原地区も、「『智頭急行鉄道』 の立ち寄り地点」といわれる側面がありますが、幕末ー明治初年も 因幡・播磨 間の宿駅の一つという地位を経験しています。

<因幡・播磨道>
古町・更生橋東袂の元禄二年道標が象徴的。

<津山道>
「大原町史(H13)」には、旧・津山道に関する自然石道標3基が示されています。 大原側から見たとき、津山と梶並を意識していることが判ります。

 

<明石領/生野領>
版籍奉還の最初の数か月、吉野郡には明石領(縣)44ヶ村/勝北・吉野郡に生野領(縣)54ヶ村があり、北条縣に移管されました。

生野藩分は平福に役所があったが、明石藩分は下町(村)に旧・陣屋があり、役所が置かれていました。

 

<石井村/旧中山村の佐用郡への帰属>
経緯については詳しく調べる必要があるが、M29.3.29の法律第56号で、移管されることになりました。




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