歴史学が扱うもの、それは所蔵された古文書、続々と発掘される遺物や遺跡だけではありません。絵画や文学、口承、土地景観などのあらゆる「時」を刻んだ記録や記憶に及びます。ただし、これらをたんなる知識として身につけることをめざすものではないのです。また、そこから読み出すものは、ifの世界でも、「現在」の肯定でもありません。
歴史学がめざすのは「昔の人のみた世界とはどのようなものだったのだろうか」「人間はどうしてこのような社会をつくり上げてきたのか」という人間の可能性を探り出すことなのです。しかし、人間が主観としてもった空間と時間に対する認識は、客観的に存在した空間や流れる時間という実体とは異なっています。私たちは、歴史学を通じて事実と真実の「あいだ」(それは真実か)だけでなく、事実と「認識」(それはどのように捉えられていたのか)の、そして「認識」と「記憶」(それはどのように伝えられたか)の「あいだ」にも踏み込むことによって、はじめて人間の可能性と「現在」とを「時」のなかに捉えることができるのです。
- 白須裕之(東京大学 大学院人文社会系研究科 次世代人文学開発センター)
&link_trackback() counter -
最終更新:2009年09月05日 22:05