つまり、いわゆる「酷道」というやつだ。酷道の例にもれず、歴史の新しい酷道である。1993年に第五次追加指定された、(今のところ)最後に指定されたグループの国道に入る。
もともと既存の県道をつなぐようにしてルートが想定されていたらしく、未通区間が4ヶ所存在した。
具体的には、
但東町坂野〜久美浜町尉ヶ畑、尉ヶ畑峠越
日高町稲葉〜村岡町昆陽川上流(地名不詳)
美方町秋岡〜若狭町つく米
船岡町殿〜用瀬町赤波馬路
いずれも、全く道の存在しない、存在し得る見込みのないところを指定するはずもないので、林道や旧道などが通っていたと思われる。
このうち、3箇所については93年から96年にかけてトンネルが開通して未通ではなくなった。最後に残ったのが鳥取-兵庫の県境付近というわけになる。
徒歩交通の時代は、この2地域は長らく交流があったようだ。しかし徒歩交通の時代の主な山越えルートは峠超えである。いかんせん自動車社会向きではない。
いろいろあったんだろうが、晴れて第五次追加指定で国道に昇格することになった、のはいいのだが、当時のこの峠超えの道は未舗装のダートだった。
当時この県境の峠に至る道は二本あったらしい。「桑ヶ仙林道」と「町道岩小屋線」。どちらも未整備には違いないのだが、もともとはこのうち、「桑ヶ仙林道」が経由地として予定されていたようだ。
どうもはっきりしないが、この「桑ヶ仙林道」は最奥部に位置する集落である熱田集落から伸びていたらしい。らしい。はずだ。歯切れがよくないのは、当時の林道の位置がはっきりしないから。
国土地理院の地図にも記載がない。古い地図になら道筋が残っているんじゃないかと思うのだが、古地図を調べるためには大阪の測量所に行かないといけない。つまり時間がない。金はまあないわけじゃないけど、ポピヨンヨードの国に今行きたくねえしなあ。
まあ、ネット上を見るとけっこう今の国道482号線が「桑ヶ仙林道」だという記述もあるんですけどね。
今年の5/25に、15年間不通だった鳥取県と兵庫県を結ぶ桑ヶ山林道が補修されて、国道482号線に昇格されて、両県が国道で結ばれました。
祝!桑ヶ山林道→国道482昇格 & 氷ノ山縦走 (とちのき村~高丸山~ホードー杉~氷ノ山~氷ノ山越コース)
(YamaReco)
国道482号と言えば、ひと昔前は4箇所の不通区間を抱えた酷道で名を馳せていましたが、今やガレ道で普通車通行困難だった道も全面舗装された町道岩小屋線(旧桑ヶ仙林道)の区間を残すのみ。
肉と酷道と絶景がごちゃ混ぜの日本海ドライブ^^(きままに下道ドライブ)
いわゆる国道の分断区間は、町道小岩屋線あるいは桑ヶ仙林道と呼ばれています。
国道482号
未開通区間 町道小岩屋線(桑ヶ仙林道)(ニコニコ動画)
国道482(旧桑ヶ仙林道)
林道への案内板
残り1ヶ所も桑ヶ仙林道でつながっているので下調べでは楽々走れると思ってましたが、崖崩れで通行不能になり、また復旧させる気がなくずっと通行止になっていたことが判明
国道482号線(国道ガイド)
桑ヶ仙林道(国道482号線)は、熱田口から先は現在通行止めで、
平日は工事をしており通行不能です。
小代渓谷の滝群(兵庫の滝)
というわけでよく分かりませんでした。国道ルートを制定している根拠法であるはずの、「
一般国道の路線を指定する政令」を調べてみても、通過する主な自治体が列挙されているだけで、具体的にどの道路を経由地とするかについてははっきり書かれていない。
というか、美方町(当時)の名前自体が書かれていない。重要な経過地として、こうあるのみ。
京都府竹野郡丹後町 同府中郡峰山町 同府熊野郡久美浜町 兵庫県出石郡但東町 同郡出石町 豊岡市 同県城崎郡日高町 同県美方郡村岡町 鳥取県八頭郡若桜町 同郡八東町 同郡用瀬町 岡山県苫田郡上齋原村 鳥取県東伯郡三朝町 岡山県真庭郡中和村 同郡八束村 鳥取県日野郡江府町
なのだが、その後町道のほうが国道として昇格したニュースのプレスリリースを見ると確かに二本道がひかれていて、そのうちいっぽんは熱田から峠へと通じているようにえがかれている。ので、やはり別物なんだろう。
もともとは、最奥部にある熱田集落から結ぶつもりだったのが、いろいろの事情(主に技術的な)があったのだろう。熱田集落は1968年に廃村になっているので、それも理由の一つか。
これがかつての林道の痕跡かもしれない。
町道は町道でかなりの悪路にはちがいなく、1996年頃に走破した人のウェブサイトによると、熱田へと分岐する2kmくらい先で道路は未舗装になっていたとのこと。
そのあとは文字通りの悪路が県境を過ぎても続いていたようだ。
2001年には舗装工事が行われて、かなり通りやすくなったらしいのだが
ところが、完成して間もない2004年にやってきたのが、台風である。
この年の10月に日本を縦断した
台風23号は、日本各地に大きな被害をもたらした。但馬地方の被害も非常に大きく、豊岡市では街を流れる円山川と出石川が決壊したために中心の市街地が水に浸ってしまった。今でも、「ここまで水が来た」という標識が残っている。美方町でも85歳の男性1名が死亡している。
このとき、県道では、土砂崩れが発生した。そのため、せっかく舗装された県道は再び不通となってしまったのである。その後はしばらくほったらかしにされていたようで(小泉が猛威を振るってた時期だし)、2010年ごろから再工事のめどがたったらしい。
とはいえ2010年頃に通った記録もあるので、この頃の通行止め状況についてははっきりしないところもある。
2019年になって、ようやく全通。
最終更新:2021年03月28日 20:42