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***104年 #ref(ehinlans104-1.bmp) 3月 帝国は地方反乱軍であるヒンデンマイヤー軍討伐のため軍を起こす。レイムビアウ、ケススタン両大将率いる3万2千は反乱軍8千と対陣。 レイムビアウ司令官は川を越えて一気に敵を殲滅しようとしたが、川岸に待機していた敵に退路を断たれ、レイムビアウ司令官は捕虜となり、帝国軍は撤退する。 翌日レイムビアウは処刑された。今は亡きヒンデンディー宰相からも指摘されていた、功を焦りすぎる欠点が命取りとなった。 これに伴いマールヴァルト・ケススタン参謀長は司令官に昇格し、新たにミルリオ・シュタイローニ中将が参謀長に任命された。 この敗戦を教訓として、帝国軍はヒンデンディー宰相の提唱した電撃戦からビュベルク大将の唱えた集中突破戦術へと戦術を転換することとなった。 #ref(レイムビアウ大将b.bmp) &bold(){名声61} 4月 シュタイローニ中将は君主が死去して内部の対立が深まっているタスクベルク軍を攻撃することを提案。 ケススタン司令官は難色を示したが結局賛成し、陛下もこれを承認する。帝国軍は帝都のすぐ北に位置し、帝国の目の上の瘤となっているロイエンミニヨンへ侵攻。 パトテルク中将率いる帝国軍4万9千に対し、敵軍は7万8千の兵が山上に陣取っていた。 このロイエンミニヨン会戦で帝国軍は果敢に敵軍に立ち向かったが、兵力と地の利に勝る敵軍には敵わず、オーバノフ中将と4万の兵を失う大敗となった。 反乱軍であるカリムローニ軍の首領、アービスィール・カリムローニが病死。息子のコスフが後を継ぐ。 7月 帝国はヒンデンマイヤー軍を再び攻撃する。ケススタン司令官率いる2万8千の帝国軍は敵軍を殲滅し、ヒンデンマイヤー軍は鎮圧された。 この戦いの功績により、シュタイローニ参謀長は大将に昇進する。 陛下は自らロイエンミニヨンを再び攻撃することを決定され、軍を起こす。4万9千の帝国軍はタスクベルク軍7万7千と交戦。 作戦も陛下ご自身が立案され、我が軍は右翼に戦力を集中させ、敵左翼を突破する戦術に出る。 本陣の前面は近衛軍がお守りしていたが、前進する近衛軍に陛下の後退命令が伝わらなかったため本陣が攻撃され、 陛下のご奮戦もむなしく帝国軍は撤退、右翼では敵軍に打撃を与えることに成功したものの、敗北したことに変わりはなかった。 陛下の長男であるラウジェン殿下がご成人、正式に立太子される。帝都では盛大な祝賀会が行われる。 8月 ラウジェン殿下が軍の司令官となり、マールヴァルト・ケススタン司令官は宰相に任命される。 ケススタン司令官を宰相に任命する動きは以前からあったが、ラウジェン殿下のご成人を機会にそれが果たされる形となった。 ***105年 #ref(ehinlans105-1.bmp) 1月 陛下はタスクベルク軍を邪教を信奉する逆賊として公式に非難、テッセソン侯がこの声明に応じてタスクベルク軍に宣戦を布告した。 陛下は大陸全土から有能な人材を集めるため、帝都エーインランスに大学を設立することを提案。 宰相や重臣たちも賛成し、全土初の大学となるエーインランス大学の建設が開始された。 帝都の臣民はみな陛下に忠誠を誓っており、また裕福であったため、進んで寄付や労役を申し出た。 8月 オーバランスの地方司令フルデスタンが反乱を起こす。 9月 ミルリオ・シュタイローニ参謀長が病死、享年53歳。後任として適任な人物はおらず、ケススタン宰相が参謀長を兼任する。 #ref(ミルリオ・シュタイローニ大将b.bmp) &bold(){名声75} ***106年 1月 ラスケルン軍の頭領、ミゴーリー・ラスケルンが病死。長男バルティエンが後を継ぐ。 3月 かつてタスクベルク軍に内通したロイエンミニヨンの地方司令ブラウデルンがタスクベルク軍に反旗を翻すが、一度裏切った帝国に庇護を求めることなどできず、彼は孤立する。 しかし、ここでケススタン宰相は彼に救いの手を差し伸べることを提案。彼をタスクベルク軍の侵攻を防ぐための壁として利用しようと考えたのだ。 陛下もこれを承認し、ブラウデルン軍と帝国は対タスクベルク同盟を締結した。 6月 ロイエンミニヨンにタスクベルク軍が侵攻したとの知らせとともにブラウデルン軍からの援軍要請の使者が来訪する。 宰相は援軍を送ることを決定し、4万の兵が送られた。帝国軍は一時敵軍の挑発に乗って混乱したが、地の利を活かした別働隊が敵本隊を撃破、勝利する。 7月 テッセソン侯領内で反乱が起き、ケルンブルク元帥率いる東部方面軍が本土から孤立する。帝国はこれを好機としてテッセソン侯討伐計画を練り始める。 8月 エーインランス大学が落成し、大陸随一の科学者として知られるヨハネス・テクノロゴスをはじめとする文人たちが教授として招かれて着任する。 帝都の若者で学問の道を志すものはこぞって入学を志願し、他国からも心ある青年が新たな知識を求めて集まった。陛下の試みは大成功であった。 #ref(エーインランス大学.JPG) ▲大学の一角にある庭園は各国出身の学生たちが議論を交わす格好の場であった。 9月 テッセソン侯を討伐すべく第2回ブルタン攻撃作戦が実施される。総勢9万を超える軍勢でブルタンと周辺都市を同時攻撃、テッセソン侯領を併合する作戦であった。 この戦役で帝国はブルタン以外の2都市の攻囲戦に勝利したものの、肝心のブルタンではテッセソン侯自らの率いる軍勢に敗北したため、 帝国軍はブルタンを孤立させて補給路を断ち、敵の戦力と士気を削ぐことに決めた。 #ref(ブルタン攻撃作戦2.bmp) 11月 反乱軍の支配するエーインスタンを占領。 ***画像、能力値 #ref(ラウジェン・ミットダン皇太子a.bmp) ▲ラウジェン殿下は陛下に似て人望のある人物であった。書物で読んだ過去の英雄に憧れており、自分もその中に名を連ねるのが夢であった。 #ref(ミルリオ・シュタイローニ大将a.bmp) ▲シュタイローニ参謀長は軍の一翼を担える能力を持っており、レイムビアウのように功を焦って暴走するようなこともなかった。
***104年 #ref(ehinlans104-1.bmp) 3月 帝国は地方反乱軍であるヒンデンマイヤー軍討伐のため軍を起こす。レイムビアウ、ケススタン両大将率いる3万2千は反乱軍8千と対陣。 レイムビアウ司令官は川を越えて一気に敵を殲滅しようとしたが、川岸に待機していた敵に退路を断たれ、レイムビアウ司令官は捕虜となり、帝国軍は撤退する。 翌日レイムビアウは処刑された。今は亡きヒンデンディー宰相からも指摘されていた、功を焦りすぎる欠点が命取りとなった。 これに伴いマールヴァルト・ケススタン参謀長は司令官に昇格し、新たにミルリオ・シュタイローニ中将が参謀長に任命された。 この敗戦を教訓として、帝国軍はヒンデンディー宰相の提唱した電撃戦からビュベルク大将の唱えた集中突破戦術へと戦術を転換することとなった。 #ref(レイムビアウ大将b.bmp) &bold(){名声61} 4月 シュタイローニ中将は君主が死去して内部の対立が深まっているタスクベルク軍を攻撃することを提案。 ケススタン司令官は難色を示したが結局賛成し、陛下もこれを承認する。帝国軍は帝都のすぐ北に位置し、帝国の目の上の瘤となっているロイエンミニヨンへ侵攻。 パトテルク中将率いる帝国軍4万9千に対し、敵軍は7万8千の兵が山上に陣取っていた。 このロイエンミニヨン会戦で帝国軍は果敢に敵軍に立ち向かったが、兵力と地の利に勝る敵軍には敵わず、オーバノフ中将と4万の兵を失う大敗となった。 反乱軍であるカリムローニ軍の首領、アービスィール・カリムローニが病死。息子のコスフが後を継ぐ。 7月 帝国はヒンデンマイヤー軍を再び攻撃する。ケススタン司令官率いる2万8千の帝国軍は敵軍を殲滅し、ヒンデンマイヤー軍は鎮圧された。 この戦いの功績により、シュタイローニ参謀長は大将に昇進する。 陛下は自らロイエンミニヨンを再び攻撃することを決定され、軍を起こす。4万9千の帝国軍はタスクベルク軍7万7千と交戦。 作戦も陛下ご自身が立案され、我が軍は右翼に戦力を集中させ、敵左翼を突破する戦術に出る。 本陣の前面は近衛軍がお守りしていたが、前進する近衛軍に陛下の後退命令が伝わらなかったため本陣が攻撃され、 陛下のご奮戦もむなしく帝国軍は撤退、右翼では敵軍に打撃を与えることに成功したものの、敗北したことに変わりはなかった。 陛下の長男であるラウジェン殿下がご成人、正式に立太子される。帝都では盛大な祝賀会が行われる。 8月 ラウジェン殿下が軍の司令官となり、マールヴァルト・ケススタン司令官は宰相に任命される。 ケススタン司令官を宰相に任命する動きは以前からあったが、ラウジェン殿下のご成人を機会にそれが果たされる形となった。 ***105年 #ref(ehinlans105-1.bmp) 1月 陛下はタスクベルク軍を邪教を信奉する逆賊として公式に非難、テッセソン侯がこの声明に応じてタスクベルク軍に宣戦を布告した。 陛下は大陸全土から有能な人材を集めるため、帝都エーインランスに大学を設立することを提案。 宰相や重臣たちも賛成し、全土初の大学となるエーインランス大学の建設が開始された。 帝都の臣民はみな陛下に忠誠を誓っており、また裕福であったため、進んで寄付や労役を申し出た。 8月 オーバランスの地方司令フルデスタンが反乱を起こす。 9月 ミルリオ・シュタイローニ参謀長が病死、享年53歳。後任として適任な人物はおらず、ケススタン宰相が参謀長を兼任する。 #ref(ミルリオ・シュタイローニ大将b.bmp) &bold(){名声75} ***106年 1月 ラスケルン軍の頭領、ミゴーリー・ラスケルンが病死。長男バルティエンが後を継ぐ。 3月 かつてタスクベルク軍に内通したロイエンミニヨンの地方司令ブラウデルンがタスクベルク軍に反旗を翻すが、一度裏切った帝国に庇護を求めることなどできず、彼は孤立する。 しかし、ここでケススタン宰相は彼に救いの手を差し伸べることを提案。彼をタスクベルク軍の侵攻を防ぐための壁として利用しようと考えたのだ。 陛下もこれを承認し、ブラウデルン軍と帝国は対タスクベルク同盟を締結した。 6月 ロイエンミニヨンにタスクベルク軍が侵攻したとの知らせとともにブラウデルン軍からの援軍要請の使者が来訪する。 宰相は援軍を送ることを決定し、4万の兵が送られた。帝国軍は一時敵軍の挑発に乗って混乱したが、地の利を活かした別働隊が敵本隊を撃破、勝利する。 7月 テッセソン侯領内で反乱が起き、ケルンブルク元帥率いる東部方面軍が本土から孤立する。帝国はこれを好機としてテッセソン侯討伐計画を練り始める。 8月 エーインランス大学が落成し、大陸随一の科学者として知られるヨハネス・テクノロゴスをはじめとする文人たちが教授として招かれて着任する。 帝都の若者で学問の道を志すものはこぞって入学を志願し、他国からも心ある青年が新たな知識を求めて集まった。陛下の試みは大成功であった。 #ref(エーインランス大学.JPG) ▲大学の一角にある庭園は各国出身の学生たちが議論を交わす格好の場であった。 9月 テッセソン侯を討伐すべく第2回ブルタン攻撃作戦が実施される。総勢9万を超える軍勢でブルタンと周辺都市を同時攻撃、テッセソン侯領を併合する作戦であった。 この戦役で帝国はブルタン以外の2都市の攻囲戦に勝利したものの、肝心のブルタンではテッセソン侯自らの率いる軍勢に敗北したため、 帝国軍はブルタンを孤立させて補給路を断ち、敵の戦力と士気を削ぐことに決めた。 #ref(ブルタン攻撃作戦2.bmp) ▲帝国軍の攻撃によりブルタンは完全に孤立した。 11月 反乱軍の支配するエーインスタンを占領。 ***画像、能力値 #ref(ラウジェン・ミットダン皇太子a.bmp) ▲ラウジェン殿下は陛下に似て人望のある人物であった。書物で読んだ過去の英雄に憧れており、自分もその中に名を連ねるのが夢であった。 #ref(ミルリオ・シュタイローニ大将a.bmp) ▲シュタイローニ参謀長は軍の一翼を担える能力を持っており、レイムビアウのように功を焦って暴走するようなこともなかった。

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