プレイレポート > エーインランス帝国正史 > 前史

我が帝国の歴史は紀元前14年の初代ベルタス帝戴冠に始まる。
彼は父から受け継いだ小さな王国を大国へと成長させ、大陸を統一した偉大な人物である。
戴冠から数年の間にベルタス帝は有力貴族や功績のある将軍を各地に封じ、封建体制の基礎をしいた。
以下にその中で四諸侯といわれたものを列記する。

 西方公 ファレンビアウ公爵家(ベルタス帝の従弟)
 東方侯 ヒンデンディー侯爵家(統一の功臣、のちに公爵に格上げ)
 南方侯 テッセソン侯爵家(ベルタス帝の娘婿)
 北方侯 アットルッツ侯爵家(王国時代からの老臣)

大陸紀元 ベルタス帝は最後の抵抗勢力を殲滅し、その年を紀元として大陸暦という歴史の基準ができる。
9年、ベルタス帝の長男アイスムスが成人に伴い正式に立太子される。以後皇太子は成人後に立太子されるのが慣例となる。
14年、北方候アットルッツ家が当主の不行状により取り潰しとなる。
18年、ベルタス帝が崩御し、皇太子アイスムス殿下が即位、2代皇帝となる。このころが帝国の黄金時代であった。

アイスムス帝は数年がかりで大規模な軍制改革を行い、それまでの中小貴族の私兵を解体、すべて皇帝直属の軍とする。近衛軍の設立もこの時期のものである。
しかし大貴族の軍は彼らの反発を恐れて解体されず、兵力を奪われた中小貴族からは不十分な改革だと批判を受けた。

31年、慣例に従い、アイスムス帝の長男モルプール殿下が立太子され、新設の近衛軍の指揮官に任命される。
37年、皇太子モルプールがアイスムス帝の暗殺を企てているという噂が広まり、皇帝はモルプールを廃嫡、次男ケープマン殿下が皇太子となる。
    モルプールは処分を甘んじて受け、テッセソン侯領に身柄預かりとなる。
    このころから軍の維持費などで財政が苦しくなり、税率引き上げの是非が盛んに論議される。
46年、税率引き上げが決定され、他にも一部生産品の専売化や大商人の財産没収などが決定される。人々の不満は高まり、帝国の繁栄にもかげりがさし始める。
52年、アイスムス帝崩御。先帝ケープマン帝が即位するが、元皇太子モルプールがテッセソン侯に擁立されて反旗を翻し、自らが正当な3代皇帝であると主張する。
    この分裂(モルプールの乱)が引き金となって各地で反乱が頻発、特に大諸侯のいない北方は完全に帝国の権威が及ばなくなり、
    帝位継承権をすでに放棄していた西方のファレンビアウ侯領は所領のほとんどが失われた。
55年、モルプールが、ベルタス帝の外孫として帝位継承権を主張したテッセソン侯によって謀殺され、テッセソン侯は自立した勢力を築く。
    これによりモルプールの乱は終結したもののこの戦乱で帝国は再起できないほどの打撃を受け、帝国の領土と権力は大幅に縮小した。
69年、再び大反乱。このときの功績により東方侯コンエンナ・ヒンデンディーが公爵位を賜る。
76年、アンス陛下、立太子される。先帝の老齢のときのお子であったため、先帝はいたくお喜びであったという。
80年、先帝崩御。アンス陛下が即位。ヒンデンディー公が帝国軍の総司令官に任命される。
    ヒンデンディー公はアイスムス帝の改革によって拡大しすぎた軍を少数精鋭化することで軍を立て直すことを提言し、陛下もこれを承認した。
    兵員の充足を最優先したことによる質の低下が叫ばれていた帝国軍は完全に再編され、精強さを取り戻した。

アンス帝即位以来特に大きな戦乱はなく、帝国は周辺の反乱軍やテッセソン侯との小競り合いを繰り返しつつ現在の版図を維持している。
ここまでが前史である。この時代の史料についてはさらに詳しいものが尚書庁から発行されているのでそちらを見てほしい。
最終更新:2009年01月19日 20:01
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