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ふと目が覚めると、明るく輝いている月と満点の星空が視界一杯に広がっていた。
一瞬だったが、私は自分が何所に居て何をしていたのかが思い出せなくなる。
「四時二十五分五十六秒一七。地球へようこそ、メリー?」
聞き慣れた声と私の手を握ってくる感触で、私は隣に居る彼女を見た。白いリボンを巻いた黒い帽子、日に当たると少し赤みが入る黒髪、好奇心旺盛な少年に似たキラキラと輝く瞳。
その瞳には、小さな秘密がある。
「貴女のその眼は相変わらず役に立たなかったわね、蓮子?」
私は先に目を覚まし、体を起こして私を見つめていた相方の名を呼んだ。
宇佐見蓮子。大学のサークル『秘封倶楽部』のメンバーの一人――といっても総勢二名しか居ない上に、活動の大半をお茶会で占めているサークルなのだが。
今私達は天鳥船神社の石畳の上で、私達は寄り添いながら手を繋いで堂々と寝転がっている。こうする事で私達は同じ夢を見る事が出来るのだ。
「失礼ね。窓から見えなかったのは月だけで星はちゃんと見えたわよ……ただまぁ分かった事と言えば、メリーの夢の中じゃ私の能力は無意味って事ね。実際あちらに行ったのは私の意識だけって事かしら」
「……さぁどうかしらね。地球以外の場所からじゃ能力の適応範囲外になったのかもしれないし?」
「それも否定出来ないわね。あーあ、やっぱり月ね! 月! 月に行きましょうよ、メリー!」
そんな事を言いながら目を輝かせる蓮子。
「そうなると今度の課題をしっかり熟して、単位取って、良い所に就職して、お金貯めて、それからになるわよ? 道のりは長いわ」
「そんなのメリーの能力でぱぱっと」
「しません」
「ちぇーっ。メリーさんのケチー」
「そもそも宇宙空間でどうやって呼吸するつもり? 温度調節は? 気圧は? 紫外線、太陽光線、宇宙塵、生身でやるには問題が多過ぎるわ」
「宇宙人なんて信じてるの?」
「…………別にそっちでも良いわ。月に行って月の兎に餅代わりに叩き潰されると良いわ」
「冗談、冗談よメリー! そんなに怒らないで頂戴」
彼女は立ち上がるとスカートの汚れを軽く払い、帽子を被り直すと私の方へ体を向けた。
「――またもう一度、あの場所へ行きましょう、メリー。勿論、私達二人で」
にっこりと笑みを浮かべながら差し出してきた彼女の手を、私は迷い無く取った。
「えぇ、そうね。貴女となら夢の中でも迷わずに済みそうだもの」
「私は別にナビゲーターでは無いのだけれどね」
手を引かれて立ち上がった私もスカートの汚れを払いつつ、蓮子のその言葉を頭の中で否定した。
彼女は私にとって道標なのだ。夢と現の境界を彷徨っている私を、現の世界へと導いてくれるナビゲーター。大切な相方だ。

    *** *** ***

二人揃って私の夢へと入る事が出来る事が判明したのは、数ヶ月ほど前の話。
私達は秘封倶楽部の活動として、山奥で湖と一つの神社が消えたという話を確かめる為に、その場所とされる所まで登山したのだが――本格的な山登りなんて滅多にしない物だからお互い疲労困憊してしまった。
なんとかその神社のあったと言われた場所まで辿り着けたと思ったが、それを正確に確認する程の気力は残っていなかった。
私達は休憩と言って近くの木に寄り掛かり、案の定寝てしまったのだ。休む前に持ってきていた軽量の毛布を一緒に羽織った為、凍傷といった寒さからの被害は無かったのは、まぁ運が良かったとしか思えない。
問題は私達が見た夢である。

    * * *

高い山の上に広がる湖、一面に氷が張り一直線に伸びる割れた氷がせり上がる御神渡りが確認出来た。現代ではその現象は人工的に起こしている為、よく観察すれば規則性が判別出来るのだが……恐らくこれは天然に出来た物だろう。
そして何よりも異様だったのが、湖に突き刺さった太く大きく長い柱だ。それが幾本も聳え立っているものだから、私達は暫く何も言葉に出来ず只々見惚れていた。
「――ねぇ、メリー? これは夢なの? それとも二人して夢遊病にでも掛かったのかしら?」
「いえ違うわ、蓮子。これは間違いなく私がいつも見ている夢の世界……何故貴女が居るのか分からないけれど、あの御神渡りを見れば分かるでしょう? あれは天然に出来た本物よ」
「……あぁ……どうしましょうメリー。私、なんて言葉にしたらいいのか分からないわ」
「貴女が今までに無い程混乱しているのはよく分かるわ。私も正直貴女と似た様な状態だもの」
互いに絡めた片手に少し力が入り、手汗が滲み出る。それは興奮と同時に現れた恐怖心からだった。
もしこれが夢の世界なら、蓮子と離れてしまえば彼女を此処に置き去りにしてしまうかもしれないと考えたからだ。恐らく蓮子もそれを直感で意識したのかもしれない。
「……ねぇメリー、この後ろの先にある神社って――」
「よく、見えないわね……でもあの形は確か貴女の持ってきた資料と似ている、かしら?」
そして不意に、頭上から女性の声が響き渡った。
「おやおや、人間の参拝客とは珍しいねぇ」

    * * *

夢はここで唐突に終わるのであった。
だが蓮子にとっては十分過ぎる程十分な体験で、目を覚ましたばかりだというのに異様なはしゃぎっぷりを見せた。例えるならサンタを信じている子供がクリスマスにドンピシャで欲しい物が貰えた時の様な感じだ。
そういえばサンタクロースは不思議と現代から未だ忘れ去られていない。割と妖怪みたいな者なのに……うん。結構酷い事を言ってしまった。
とにかくそれからの蓮子はもう一度あちら側――私の夢の中へ、どうすれば同調出来るのかを、調べて実験して結果を纏めて考察してを繰り返した。私が蓮子の部屋に一時期寝泊まりし続けた程である。
その実験の成果もあり、比較的高確率で蓮子と一緒にあちら側へと飛べる様になった。
それとその副産物なのか、私のイメージを彼女へ伝える方法も判明した。私の手を彼女の眼――どちらかと言えば瞼だが――に当て、私がイメージすれば良い。割と単純だが、これはまだ今一精度と解像度が悪いので後々更なる研究が必要だった。
今回の事は秘封倶楽部の活動としては飛躍的な進歩だった。
これを利用して、衛星トリフネの中を一緒に見ようと言ったのは私からだった。
あの場所が、夢の中から私を誘っていたから。
季節は冬が終わり、春の始め。夜になればまだ肌寒い日が続くとある日に、私達は行動を開始したのだ。

    *** *** ***
    *** *** ***

「……ふぅ、あとは始発までのんびり待つだけね」
天鳥船神社を後にして、私達はバス停に設置されたベンチで一息ついた。持ってきていた携帯食料を分け、空いた腹を誤魔化す。
「帰ったらレポートを忘れずにね。また私の写しなんてしたら今度こそ単位貰えないわよ?」
「分かってる分かって――メリー!」
蓮子の表情が急に険しくなり、手にしていた物を放り捨て私の手を取って引いた。
「ちょ、っと! いきなり何!?」
私が問うも、彼女は強く私の手を掴んだままだ。
「蓮子、痛い! 痛いって!」
「当り前よ! 何で怪我してるのを言わなかったの!?」
彼女の真剣な表情を、何を言っているのかという表情で見つめ返した。怪我なんてしていないというのに。
と思い、蓮子が引いた私の腕を見ると――
「……ほんとだ」
二の腕の辺り、服と肌を数センチ程切られていたのだった。といっても皮膚への傷は浅かったので既に血は止まっていた。
「何か痛くないから気付かなかったわ。大丈夫よ蓮子、帰ったら消毒しておくから、すぐに治るわよこのくらい」
「……駄目。病院に行きましょう」
「何故? 別にこのくらいの傷、良くあるじゃない?」
「でも……いつ怪我をしたのか分からないし、一応診て貰った方が良いわ」
「必要無いって」
「私も付いて行くから」
「……わ、分かったわよ」
何故か彼女は泣きそうだった。
それが何故か初めは分からなかったが、どうやら蓮子はこの傷が自分の所為だと思っている様だ。
夢の世界だからと侮っていた自分が許せないのだろう。けれど蓮子にとってあれは紛いも無い夢で、私にとっても只の夢なのだ。
……けれどこの傷、本当にこの現実で受けた傷なのだろうか?
そして結局の所、朝一番に病院へ向かった。結果として特に異常は見当たらなかったし、感染もしていないとの事だ。
私自身も怪我による不快感や体調の崩れは無いので、消毒といった軽い手当をして貰って病院を後にした。
蓮子もこの結果に一安心した様で、お詫びと言って近場のカフェで紅茶とケーキのセットを一つ奢ってくれた。
それから他愛無い会話をして、私達は明日の大学に備えて帰宅する事にした。
また明日、そう約束して。

*** *** ***
*** *** ***
*** *** ***

開いてしまった胸の穴から私は空を見上げた。
勿論そんな事は出来ないが、そんな表現が今の私には合っていた。
穴を埋める代わりなんて存在しないし、埋められるのは私の相方しか居ない。
メリーという存在。
私は一人、大学にあるいつものカフェ、いつもの席で珈琲を口にした。そして向かい側に置かれたティーカップを見つめて深い溜め息を吐いた。
先程うっかり店員に二人分の飲み物を頼んでしまった。一人しかいないのに二人分を注文する客を不審に思わなかったのも、私とメリーが一緒に居る事を店員もよく知っているからだ。
そんな訳で私は向かいに紅茶が置かれるまで、自分がミスを犯した事に気付かなかった。
「はぁ……メリーが治療に行ってもう一ヶ月以上経っているのにこの様か」
彼女は衛星トリフネで負った怪我が原因で、信州のサナトリウムで治療を受けているのだ。

    *** *** ***

衛星トリフネから戻った私達は、朝一番にメリーの傷口を見て貰いに病院へ向かった。
診て貰った結果は特に何とも無かったし、細菌等の感染も認められなかった。だがその日の晩の事、私の携帯が鳴った。その相手は勿論メリーからだ。
「はいはい、こちら蓮子。夢が怖くて寝れないから子守唄でもご所望かしら、メリーちゃん?」
窓の外の星を見ながら私はそう茶化した。
二十二時四十五分三十五秒。この日は病院へ行ったので活動は無しにし、明日の大学に備えてお互い帰る事にしたのだ。
「……メリー?」
返事が無い。少しの間だけ黙って彼女の反応を待ってみたが、一向に耳元のスピーカーからは何の音も発せられていない。
頭から血の気が引いていくのが分かった。
彼女が消えてしまったのかもしれない。大分以前に夢の話を聞いた際、危惧していた事が現実となってしまったのではないかと。
再び夢に捕らわれ妖怪に食われたか。それとも神隠しに遭ったのか……私の身体は自分の思考より早く動いた。
自分がワイシャツにハーフパンツという簡易な服装をしている事すら忘れ、私は部屋を飛び出した――勿論鍵すらも掛け忘れていた事実を後に知る事となるのだが、盗られる物が無かったのとアナログだらけの部屋へ態々入って盗る物好きが居なくて本当に助かった。
自転車に跨り彼女の住むマンションへとペダルを必死に漕いだ。
前髪が額に張り付き、頬を伝って顎から滴り落ち、荒くなる呼吸を整える余裕も無く、私は只々只管に彼女の元へ向かった。
不安も恐怖も何もかも感じる事無く、頭の中は全くの空っぽで――いや、メリーの名だけが延々とぐるぐる渦巻いていたのだと思う。
「メリー!」
私は自転車を降り、スタンドを立てる事すらもどかしく思い、自転車を放りマンションへと必死に足を運んだ。膝が限界だと震えている。
あぁ笑ってしまう。
今まで秘封倶楽部の活動で、山道や不安定な道を延々と歩いてそれなりの体力があると自負していたのに、彼女の元へ辿り着くのにこんなにもふら付いてしまうなんて。
たった数十分程度必死に漕いでこの様か。私は壁にもたれ掛りながら上昇のボタンを連打した。
私を乗せて上がり始めた狭い箱の中で、私は胸を押さえながら呼吸を整える。鉄の固く冷たい感触を背にしながら、私はその場に座り込んだ。
一応もう一度メリーに連絡を、と思いポケットに手を突っ込んだが目的の物はそこには無かった。
「……へ?」
我ながら間抜けな声だ。
そして理解した。携帯を部屋に置き忘れてきたのだ。
本当に私は頭の中がどうかしていた様だ。
冷静さ、状況分析、状態推測、行動選択、今落ち着いて考えてみれば、何もメリーの家に押し掛けるという選択が正しいとも思えない。
そうこうしている内に目的の階に到着した様だ。
何だろうこの胸の高鳴りは。思春期の男の子が初めて女の子に電話する様な感覚に似ている、気がする。いや、だって私女だし。
メリーの部屋の扉をそっと叩いた。
呼吸を整え、私は彼女の名前を読んだ。
「ねぇ、メリー? 居るの?」
チャイムを鳴らし、扉を叩く。しかし反応は無い。
「……ちょっと、メリー? 私よ、蓮子。宇佐見蓮子。今貴女の部屋の前に居るの!」
少しだけ声を張り上げ、扉を少し強く叩いた。
「――ねぇ蓮子、メリーさんごっこをするなら、電話にするべきじゃないかしら?」
そんなか細い返事と共に、扉が重々しく開かれる。
そこには壁にもたれ掛りながらも微笑みを浮かべているメリーの姿。汗で額に前髪が張り付いていた。
「全く、居るなら返事くらいしてよ。それとそんな冗談言う前に、貴女は鏡を見た方が良いわよ?」
「ムラサキカガミ?」
「馬鹿。ほら、肩貸して。ベッドまで運ぶわ」
私は彼女の腕を取って自分の首に回し、もう片手を彼女の脇に抱き抱えた。全身酷く汗ばんでいるのがよく分かった。
「どうせならお姫様抱っこが良いわ、蓮子王子?」
「冗談! そんな体力残ってないわよ」
「心配して来てくれたのよね。蓮子も鏡見た方が良いわよ? 綺麗な顔立ちが汗で台無しだわ。それにワイシャツが肌に張り付いて……私を誘ってるの?」
「誰の所為だと思って? そんな事を言える余裕があるなら、急いで来るんじゃなかったわ」
メリーをベッドまで連れて、腰掛けさせた。
途中床に彼女の携帯が落ちていて、どうやらそこでメリーは倒れてしまったらしい。
「熱があるわね。急に発熱するなんて何か病原菌でも入ったのかしら? でもそうだとしても一度病院で診て貰っているから、感染を見落とすなんて信じられないし」
機械の技術進歩と精度の高さは、現在においてほぼ世界共通だ。診察や治療などは何処でも同等のモノを受けられるし、病気を見逃したり見落としたりする様な事はまず有り得ないのだ。
一先ず私は病院へ連絡し、メリーを搬送して貰う事となったのでそれまで彼女へ付き添う事にした。
「急に意識が遠退いたのよ。咄嗟に携帯で連絡をしようと思ったら、蓮子に掛かっていたみたいね」
「無意識下であっても私を頼ってくれるのは嬉しいわ。でも正直こんなのは二度と御免だわ。寿命が縮んで秘封倶楽部の活動が出来なくなったら責任とってもらうわよ?」
「あら怖い。でも私が居なくなったら秘封倶楽部自体が無くなるから意味無いわね」
「メリーが居なくなるなんて冗談も御免だわ。折角活動が軌道に乗ってきたというのに、こんな所で終わって堪るもんですか」
私がそう言うと彼女は、それはそれは嬉しそうににっこりと笑うものだから、私は何だか恥ずかしく思えてしまう。
「そ、そういえば倒れている間に夢は見なかったの?」
「んー……あんまり覚えてないかなぁ。気付いたら蓮子が家に来てくれてたし」
「あらそう……」
人は熱に掛かった時こそ夢と現実の境界が曖昧になり易いのだが、メリーの場合は普段から曖昧なので今回も夢に引き摺り込まれたのかもしれないと思った。だがどうやらその点は私の杞憂に終わる様だ。
それから少しの時間、何度もメリーの体調を本人に確認しつつ病院の者にメリーを託して私は自宅への帰路に着いた。
メリーが無事だった事に安堵したからか、帰りに自転車を漕ぐ気力は湧かなかったのだ。
長い時間を掛けて私はアパートの自室に戻り、鍵を掛けていなかった事に驚愕して室内の貴重品や下着などの所在を確認し、他人の入った痕跡が無い事に安心して椅子に腰掛け天井を仰ぎ見た。
今日は本当に疲れる一日だった。
メリーが心配ではあったが、詳しい連絡は明日には――いや既にその明日になっていたのだが――来るだろうと思い、私は一先ず汗を流す為にシャワーを浴びる事にした。
そしてシャワーを浴び終えて、携帯を手にした私は頭をハンマーで殴られた感覚に陥った。
「メ、リー?」
酷く頭の中が混乱した。
理解しようにも理解出来ず。
行動しようにもどうすればいいのか分からず。
携帯には一通のメールが来ていた。
勿論メリーからだ。

『詳しい事は分からないのだけれど、信州のサナトリウムで治療を受ける事になったわ。暫く連絡が取れなくなるみたいだけど、心配しないでね?』

    *** *** ***

私は自分の分の珈琲を飲み終え、今はメリーの分の紅茶を口にしていた。
「何が『心配しないでね』だ。心配するに決まってるじゃない」
今回の事で改めて自分がどれ程までにメリーの事を想っていたのか思い知らされた。近過ぎた故に気付けなかった事。
酷い喪失感。
「……って、別に二度と帰ってこない訳じゃないのに」
自分で言って自分で笑う。けれど、紅茶に映る自分の顔は悲しげだった。只の空笑い。
でも私には待っている事しか出来ない。
今までもそうだ。
彼女が夢の世界へ飛び込み、その情報を待っているだけ。ようやく私も彼女の言う夢の世界の一片に触れられる様になってきたが、それは彼女を媒体にしなければ叶わぬ事。
そう、今まで私はメリーの夢を夢でしかないと彼女に言い続けてきたが、彼女の夢は現実だ。私は彼女に便乗し、彼女の中にある夢の現実を見る事が出来ただけなのだ。
メリーが居なければ秘封倶楽部は成り立たない。
彼女が居なければ私には何も出来ない。
失いたくないと思うのは、彼女の能力に魅了されたからか。私の知り得ない世界を持つ彼女を羨ましく思ったからか。
いつの間に、私の感情は変わったのだろうか。
性別など関係無い。
私には、あの娘が必要なのだ。
現に彼女が居ないだけでこんなにも心は安定しない。
早く戻って来て欲しい。
――しかし、脳裏に過った予感が一気に私の不安を煽った。

メリーは本当に
戻って来るのだろうか?

何故そんな事を考えてしまったのか。そんな思考に至った原因が分からない。
けれど生まれてしまった不安は大きくなる一方だった。
そもそも一度病院へ行った筈なのに病気や感染が見つからなかったのは絶対にありえない――というのはメリーの部屋に行った時に考えた事だ。
故にサナトリウムへメリーが搬送されたのも、その現実的にありえない事が原因であるのは明白である。
サナトリウムは現実という世界から隔離されたといっても過言ではない施設だ。メリーと再び連絡を取るには彼女からの連絡を待つしかないだろう。
あぁ、待つしかないのか。
熱でうなされて気を失ったメリーが、再び夢の世界に捕らわれてしまっても可笑しくは無い筈だ。
いつだって私は心配だった。
その日の初めにメリーと会う時は、いつだって声を掛けるのが不安で仕方が無かった。そこに居るメリーが現実に存在しているのか分からず怖かったからだ。
待ち合わせをしても私は傍からメリーが来るのを待って、それから声を掛けていた。
私は待つなんて御免だ。待つくらいなら自分の足で走って行った方がマシだ。待っていて手に入る物より、自分の手で取りに行く方が断然良い。
何故思い付かなかったのだろう。
簡単な一つの答えに。

「――迎えに行こう」

隔離されている施設に押し込められているなんて、それこそ病気が悪化してしまうだろう。
熱くらい朝から晩まで私が付きっきりで看病したら良い。私にうつったって構わないし、信用出来ない場所に引き渡すくらいならそれくらいの覚悟は持てた筈なんだ。
あぁそうだ。最初からそうすれば良かったんだ。
元々病院が気付けない未知の病気を治療出来る筈が無い。治療出来ない病気は周囲から隠され、そんなモノは有り得ないと烙印を押されるのである。その後にどうなるかなんて想像は付かない。
私はそんな場所へ彼女を引き渡してしまったのだ。
「……メリー」
すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、私は席を立った。
まずは情報収集。資金面はなんとかする――という名の食費削減だ。週に一度のメリーとのケーキ評論会は月一に減らすしかあるまい。メリーが居なくては出来ない事だし。
「信州のサナトリウム、か」
私は一先ず大学の資料室へ歩みを向けた。
今は情報を、ありったけの情報を。集めたその中からメリーの居場所を必ず突き止めてみせる。

    *** *** ***
長時間電車に揺られ、全自動化された無人駅に降り立った私はすっかり日が昇ってしまった太陽を睨みつける。
周囲を見回したが私以外に人の様子は無い。この路線も直に廃線するという話なのだから、山奥のこの小さな町へ赴く為に必要な唯一の交通手段が絶たれるという事と同意である。
例え車で最も近い別の町へ行くとしても燃料が途中で切れればほぼ死を意味するし、往復するのに恐らく半日以上かかるだろう。そんな町に残る酔狂な人間はこの時代に誰一人として居ない事を、此処は実際に証明していた。
荒廃した今の東京に住む者だってこんな所に住みはしない。
さてそんな町に私が赴いた理由は勿論ただ一つだ。
「メリー、今行くわ」
だが問題はここからで、私が目指すべき場所までどうやって向かうかだ。徒歩なんかで行けば丸々一日使っても辿り着けないだろう。
もしあればタクシーか地元民の車を借りるか送って貰うという手段を予測していたが、私は目に映った物体を暫く幻かと疑った。どうやらバスがまだ走っているらしい。
私は一昔前まで都市でも現役で走っていたであろうバスに乗り込み、運転手に地図を見せて目的地周辺のどの位置まで向かうのか問い掛けた。するとこれまた運良く割と近くまでこのバスの路線が通っている事を知った。
現代で溢れんばかりに存在するデータの海にも、こうしてデータに残っていない路線が存在したというのは半分驚きも有りつつ、まぁ当然かと嘆きも混ざった。
デジタル化した世界で真っ先に切られるのはこういった殆ど誰も住まない様な田舎や、未開拓の地域である。
私が調べた結果、サナトリウムは電車が奇跡的にまだ残っている信州の山奥に存在する施設で、データ上でも廃棄されたとあった場所。
病人を隠して隔離する施設なのだから、私が調べた通りに一般的には廃棄されたと残しておくだろう。衛星写真からまだ稼働していると踏まえた上で私はその場所に賭けてみる事にしたのだ。
結局その場所を調べ上げるまでに季節は春から夏へと移ってしまっていた。なので私の服装も半袖の夏仕様へと変更した。
セミの鳴き声は夏と言う季節を感じる為の大切な声なのだが、今の私には非常に耳障りでしかない。それだけ気持ちが焦っているのだ。本当にメリーが居るのか。私は間違っていないだろうか。無駄足にならない事を願う。
無駄に柔らかな座席と殺し切れていないエンジンの振動と整備が行き届いていない路面、それから少し埃と錆臭さのある辺り、余計に田舎臭さが強調されている。
あぁ、どうやら窓も手動で開くらしい。いつの時代のバスなのか気になってきた。
周囲の景色やバスの形状や内装を見回す事で、私は落ち着かない心を誤魔化していた。何時間掛かったのかは調べなかった。正確には調べる程、心の余裕が無かった。
目的のバス停に着いた事を確認し、私は運転手にお金を支払うと彼は――短い金髪な上、若くて非常に整った顔立ちをしていたので始めは女性と間違えてしまった。声も中性的だったのでそれの所為もあった――優しく微笑みを浮かべながら問い掛けてきた。
「こんな山奥で降りる人は珍しいね。誰かと待ち合わせかい?」
「あ……いえ、ちょっと迎えに。多分この辺りに居ると思うので」
「へぇ。もしかして君にとって大切な人かな?」
「……はい。大切な、とても大事な人です」
私が彼に真っ直ぐ視線を向けて答えると、帽子を被り直して彼は改めて微笑んだ。
「逢えるといいね。彼女も、きっとそれを待っているだろうさ」
「えぇ。では、ありがとうございました」
「こちらこそ、ご利用ありがとうございました。またの機会を、お待ちしています」
私がバスから降りると、彼は小さく手を振って扉を閉めた。ボロボロになったアスファルトの道を走っていくバスを見送り、私は携帯に入れた地図を確認しつつサナトリウムを目指す。
「……道無き道を行け、という事かしら。いや道っぽいのはあるけれど……これどう見ても獣道よね」
人が通っていたであろう形跡。道の入り口は、今は草木が生い茂り地面の舗装跡を確認しなければ見逃してしまいそうだった。だが少し整備されていた様子が残っている所から、私はこの道がサナトリウムへ続く道なのだと判断した。
自作の地図と現在位置を何度も見比べ、自分の今いる位置が確かなのかを確認するが、残念ながら正しい様だ。
いや、残念という表現は本来ならば間違っているが、まさかサナトリウムまでの道がここまで整備されていないとは予測していなかったのだ。
一先ず私は足を踏み入れる事にする。そうでなくては此処まで来た意味が無い。
だがいくら隔離された施設とはいえ、車の一台が通れる道くらいあってもいいのではないだろうかと思う。つまりそれは、私が向かう施設は本当に稼働していないのかもしれない。
――そんな不安を振り払う様に頭を振った。
実際に確認するまでそんな事分かる筈が無い。今私がするべき事はメリーを迎えに行く、只それだけだ。
それにこの場所にメリーが居る可能性は高い筈だ。
何故なら隔離施設なんて物は現代において殆ど必要とされておらず、サナトリウム本来の意味での稼働が確認されているのは片手の指で済む程度の数しか無いのだ。今の人らにサナトリウムとは何かと問えば、返ってくる答えは老人介護施設的な物になるだろう。
そう、老人ホームの様な認識でしかないのだ。
精神疾患の様な人の心が関係している病気ですら、現代では殆ど治療出来てしまう。長期的な治療を必要とする病気は無くは無いが、サナトリウムを利用する程では無い。
よってサナトリウム本来の利用方法で使われている療養所など殆ど存在せず、逆に隠蔽目的が主となってしまっているのが現状だ。その事から使われなくなってしまった病院施設が隔離施設として再利用されていると私は推測した。
逆にサナトリウムの名を掲げた病院へ本当に入院した可能性については、恐らく相当低い筈だ。
その理由は何度も疑問に思えた、病院側が病気を見落とした点からだ。今回のメリーの病気は現代において限りなく異常なのだ。
そんな者を一般の人間が居る施設へ入れる訳がない。
あとは様々な条件を推測し設定して、絞り、絞り、絞っていった結果がこの先にある施設、という事だ。
流れ出る汗をハンカチで拭う。
道の左右は長年放置され続けた木々で覆われ、足元は人の手が加えられた微かな跡としてアスファルトが点々と剥き出しになっている。細い一本道がまだ続いているのが分かる。
先へ進むか、振り返って戻るかの二択しかこの道には存在しない。
だが先へ進むにしても前方に見えるは曲がりくねったり、日が差し込まずに暗く見え辛かったりと、目的の場所はまだ見えそうもない。
不安ばかりが胸に積もっていく。
一度引き返してもう一度場所を確認するべきだろうか。戻りたい。戻って確認したい。
「――馬鹿。そんな事したって不安が完全に拭える訳無いじゃない」
前へ進む。選択肢は元から一つだ。
私をこんなにも不安にさせるのは、まだ昼間の筈なのに差し込まない日差しによる物が大きい。
夜と比べればそれほど恐怖は感じない筈だが、このまま進んでもメリーが居ない可能性がある。推測を外して施設自体が無いかもしれない。道を誤っているかもしれない。そして――いつもこういう時、傍に居てくれる相方が居ないという孤独。
怖い。
とても怖いのだ。
私は只管にメリーという光を求めて、光があると信じて進むのだ。
「――っひぃ!」
思わず小さな悲鳴とも聞き取れる、自分の驚いた声が漏れ出た。
突然左右の木々が途切れ目の前が開け、そこに小さく如何にも古臭いボロボロな白い外壁の建物が現れたからだ。
それは傍から見れば非常に気味の悪い光景で、如何にも他人に知られたくない見つかる事を恐れているかの様な雰囲気を醸し出している。
施設名が書かれてあったであろう部分は、既に何も書かれて無い。この建物には名前が無いのだ。
誰からも忘れられた、正しく隔離された施設。
「これがサナトリウム――」
外壁に沿って移動し、入口らしい鉄格子の前に私は居た。
建物には明かりが灯っている様に見える。つまり私の推測は正しかったという事だ。この施設は稼働している。
さて問題は此処からだ。この施設にメリーが居るかどうか。それとどうやってメリーと会わせて貰うか。
「……はぁ、何も考えてなかったわ」
一先ず落ち着く為に、私は外壁を背にして門の脇に座り込んだ。
一応メリーは病人という扱いだ。それにサナトリウムで治療というのだから隔離されている人に易々と面会出来る訳がないだろう。
帽子で顔を覆い、真っ暗な世界で私は必死に思考を巡らした。
考えて、考えて、考えて、考えて――
「一度周囲から監視カメラ、赤外線センサーの類がどの位置にあるかを把握。侵入経路を見定めた後にガラスを割る等で注意を逸らして施設内へ突入。警備室へ潜り込めればメリーの居る部屋も施設内の職員の位置も把握出来るが……警備員がどう行動するかが問題か」
それにこれでは時間が掛かり過ぎる。
事前の情報収集や安全確保に時間を掛けて成功率を高めるのは悪い事ではないだろう。しかし時間を掛ける事が必ずしも良いという訳では無いのだ。
「侵入経路の確認は必須だ。監視カメラやセンサーの位置把握は最小限に……一番の問題は施設に侵入した後、ね」
私の知り得ている情報は、この施設は上空から見た際にそこまで大きな施設では無い、という事。それは現に目の前にあるのだから今更役には立たない。
……いや、施設の形状と外観で大まかに部屋数や警備室、診察室などが割り出せるかもしれない。
「仕方無い、一度外壁沿いに一周して侵入出来そうな場所と外観を確認。そこから推測される非常階段の場所へ向かう。そこで改めて施設の広さや部屋数などを再確認。それが無難かな」
非常階段にはその階毎に地図がある筈で、その上監視カメラなどが設置されていない可能性が非常に高い。
地図さえあればカメラが配置されていそう場所も大体分かるし、隔離施設に居る患者数はそう多くない。入院させられる部屋数もそう多くないだろう。
余りやりたくはないが各部屋を虱潰しという手の方が早そうだ。警備室を押さえるよりかは現実的かもしれない。
「混乱を作り、その際に侵入……メリーの居場所を見つけ出して取り返す。見つかれば臨機応変に対応し、出来るだけ混乱は大きくする。まとめたら大体こんな感じかしらね」
我ながら大胆且つ無茶苦茶な計画だなぁとは思う。不法侵入、器物損害、その他諸々、下手すりゃ誘拐犯扱い。あぁ私、何やっているんだろうか。
帽子を改めて被り直し、私は立ち上がってスカートの土を払った。
「まぁそれでも、メリーを取り返すって決めたしなぁ」
身体を伸ばして解していると、隣から一つ問い掛けられる。
「で、私を取り返したらどうするの?」
「どうするって決まってるわ。帰るのよ、私達の日常に。メリーの居ない秘封倶楽部の寂しさと言ったら、紅茶を注文してティーカップは出されたのに肝心の紅茶が注がれてない様だわ」
「それはサービスとしてどうなのかしら」
「成り立たないわね」
「それじゃあご一緒にケーキは如何かしら? それはそれは、とても魅力的で美味しいケーキよ?」
「…………」
私は言葉を失った。
当たり前だ。
不意打ちにも程がある。
開いた口が塞がらなかった。
目の前の出来事が信じられなくて、そこにいる彼女が幻の様で。
「久し振りね、蓮子。迎えに来てくれて嬉しいわ」
いつもの様に笑った彼女が、嬉しそうにそう言った。
止まってしまった私の思考が、少しずつ解凍されていく。そして、私がようやく吐き出せた言葉。
「やっぱり貴女が居ないと、甘いケーキでも美味しくならないわ。勿論紅茶もね」
「それは光栄だわ。さ、帰りましょう?」
私は差し出されたメリーの手を取って、元来た道を戻った。一人では無く、二人でだ。

    *** *** ***

帰り道。
なんとか大きな道まで戻る事が出来、バス停まで移動すると、朝に私が乗ってきたバスが私達を迎えてくれた。
運転手はやはり彼で、手を繋いだ私達を見て嬉しそうに微笑んでくれた。
私達は一番後ろの席に腰掛け、私は窓の外を見た。そうでもしないと、今手にしている温もりが温か過ぎて泣いてしまいそうだったからだ。
だからバスが発車して直ぐに疲れて寝てしまったフリをした。勿論外を眺めながらだ。けれど彼女の手だけはしっかりと握り締めた。離れてしまわない様に。
眠れずに目を瞑ったまま暫く経った時、啜り泣く声が聞こえた。メリーが泣いていたのだ。
彼女は頻りに消え入りそうな声で何度も「ありがとう、蓮子」と言っていた。その度に繋いだ手に力が篭った。
結局私の頬にも冷たい雫が流れた。
それがメリーにバレてしまったかどうかは分からないが、繋いだ手は決して離さなかった。

    * * *

その後、折角信州に来たのだからという理由で私達は観光旅行と洒落込んだ。……授業のレポート提出などは私の頭の中からすっかり抜け落ちていたのは言うまでもない。
それとあまり話したくない余談だが、メリーを迎えに行く朝、携帯に一通のメールが届いていたのだが私はそれに気付かなかった。
そのメールには『治療が終わったから夕方にはそっちに着くと思うわ』との事。あぁ……私の空回り。

    * * *

そして、分かれ道。
信州からの帰路の途中から徐々に口数は減っていき、お互いに別れを惜しんでいる事はよく分かった。
明日になれば私達にとっての日常が待っていて、今迄通りに大学で顔を合わせて「おはよう」と声を掛け合い、いつものカフェでティータイムと洒落込み、秘封倶楽部としての活動をする。
そんな日常がまた戻って来るのだと分かってはいても、私達は自然と立ち止まってしまい、お互い何も言えずに黙り込んだ。
楽しい夢が終わってしまう事を酷く惜しんでいるかの様に。けれどそんな事は誰にでもよくある。
私はずっと考えていた。
この時が来てしまったら、どうするのか。
私がどうしたいのか。
「――ねぇメリー」
「な、なぁに蓮子?」
唐突に声を掛けられた事で戸惑う様子のメリー。
私は間髪入れずに彼女へ提案をした。
「今日、泊まっていかない? 私の部屋に」
それは恐怖からだった。
メリーの夢にメリー自身が飲み込まれてしまわない様に。再び離れてしまわない様に。彼女が此処に居る事を確認する為に。
私はメリーの瞳を見詰めた。
その問いを拒絶される事への恐怖から、私は無意識にそうしたのだ。願いを受け入れて欲しいという、願望だ。
少し驚いていた様子のメリーだったが、一度空を仰ぎ見てから小さく頷いた。
「突然襲ったりしたら嫌よ?」
「誰が襲うもんか。メリーじゃあるまいし」
「あら失礼ね。私なら合意の上で嫌よ嫌よも好きの内」
「結局私が襲われるんじゃないのよ……」
少しだけ内心安心した。少々気持ちの高ぶりが見られるが、いつものメリーが戻ってきた様に見えたからだ。
「さぁ行きましょう、蓮子。お腹が空いちゃったわ」
「それならまずは買い出しね。冷蔵庫の中、すっからかんだわ」
と、そこまで言って私はある事に気付いた。空なのは冷蔵庫の中身だけではないと。
「……あの、メリーさん?」
「何かしら?」
私は一度メリーから目を逸らしつつ、覚悟を決めて非常に申し上げ辛い事を伝えた。
「お茶漬け、好き?」
「……一先ず私の家に行きましょう? 冷蔵庫の食材、暫く放置していたから、使えそうなのは使い切っちゃいましょう」
「恩に着ます」
私はメリーに連れられて彼女の自宅へ一先ず向かう。
しかし問題はこの先どうやって食材を確保していくかだ。
昼食は学生カードがあるので問題無いとして、朝食と夕食の確保は非常に厳しい。カードで三食分をこれからほぼ毎日使っていたら流石に親から殺されかねない。そもそも昼食にカードを使うのも本当は非常に不味い。
食費は安く抑える為、その分別にお金を貰っているからだ。
やはり信州までの当日特急料金にプラスして観光旅行までしてしまったのは、一学生にとって自殺行為に等しい金額まで容易に跳ね上がる。
――私の頭に卑しい考えが浮かぶ。
「あの、メリーさん。前みたいに筍とかクッキーとか持ってこれない? そうして頂けると今月残り、非常に助かるんですけど……」
「……貴女、どれだけ切羽詰っているのよ? ちなみにその今月残りとやらはあと半月以上あるけれど、主に食事面をどうやってやり繰りするつもりだったの?」
「あー……非常食、野草、消費期限ぎりぎりの格安食材をループで。最悪スープ系の飲み物でお腹を誤魔化す計画です」
咄嗟に思い付いた計画を口にしたのだが、実際これが最善なのだろう。私の食料事情はそこまで切迫していたのだ。
先を歩いていたメリーが振り返りながら、私を信じられないとでも言わんばかりの表情で見つめていた。
「このご時世に食べられる野草なんて存在すると思って?」
「遺伝子操作されていてもタンポポ程度ならなんとか食べられるかなぁ……と。あとカタバミとかスベリヒユとか……」
「今時どんなに貧困な家庭でも野草は食さないわよ?」
「ほら、物は試し」
「人体実験紛いな事を気軽に試さない」
「大丈夫よ。その辺の知識は無くは無いから、危険な野草には手を出さないわ」
「天然の野草ならまだしも、今やその辺の草も人の手が加えられてるのよ? それで危険じゃないというのも可笑しな話じゃない?」
「大丈夫よ。結果はレポートにして纏めるから」
「論点がずれているわ。成程ね、信州の時やけに小食になった上、メニュー決めるのに時間が掛かった訳だわ」
「まぁ最悪部屋の中に何か売れる物があるわよ」
「……分かったわ。暫く蓮子の部屋にお邪魔するわね」
「あー、うんうん。それは別に――はい?」
「今の蓮子を放っておくと何をし出すか分からないから、傍で監視してあげるわ。それに私と一緒なら食費も少しは浮くわよ?」
いやいやいや、放っておくとどうなるか分からないのはメリーだ。サナトリウムでも夢を見ていたと言っていたし、どうにも能力に磨きが掛かってきた様だし、私なんかよりメリーの方が心配だ。
私が彼女を部屋に招こうとしたのも、そういった理由からでもあるのだ。
「あら、私じゃ不服かしら?」
「そ、そういう訳じゃないけど……」
「それとも何? あれとか期待しちゃってるとか?」
妖美な笑みを浮かべながらメリーが顔を寄せてくる。メリーさん、それはズルいですよ。
「そ、そんな事無いわ!」
「あら。私の料理の腕、期待してくれないの?」
「…………」
私はメリーを無視して先へ進む事にした。
別にあれとかこれとか期待していない訳では無い。断じて無い。メリーに乗せられただけだ。
「拗ねないで、蓮子。美味しいご飯作ってあげるから。明日からお弁当も一緒ね?」
ふむ。メリーと一緒のお弁当か、悪くないだろうなぁ……なんて事を考えながら、後ろから追い越してきたメリーに手を取られる。
あぁ、やはり彼女には敵わない。

    *** *** ***
    *** *** ***

「それで、蓮子。研究発表の準備はどうなの?」
私のベッドを占領して寝転がっているメリーが、私に問い掛けてきた。
「どうもこうも無いわよ。今貴女の眼に映る私こそが物語っているでしょう?」
画面に向かって私は苛立ちを吐き捨てた。
私は大学院で所属する講座の研究発表を間近に控えているのだ。既に数日の睡眠時間を犠牲にしている。
あー進まない。進まない。進まない。
「ところで蓮子ー。今日私宛の荷物届かなかった?」
「来たわよ。玄関脇の棚上。お蔭で良い気分転換になったわ、ほんの一分だけ」
「それはどうも」
キーボードを必死になって叩いていたが、脳が完全に思考停止した。
「だぁぁぁーーっ! もういいやこれで! 完成! 完成よ! 別にこれで人生終わる訳でも無いし!」
「あらお疲れ様。それじゃあ夕ご飯にしましょ?」
ファイルを保存してキーボードとマウスを放り投げ、私は椅子から這い降りて、部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台へと向かった。
少しして美味しそうな香りが私の鼻腔をくすぐった。
「ほら、蓮子。ちゃんと座って」
「ほぁーい」
「それじゃいただきます」
「いただきまーす」
ちゃぶ台の上にはメリーの作ってくれた料理が並んでいた。いつもの事ながらメリーには感謝してもしきれない。
あれからメリーは殆どの日を私の部屋で泊まっていった。お蔭で食事は美味しくなったし、私が講義などに遅刻する事は無くなったし、メリーの相談にも容易に乗れる様になった。
うん。やっぱりご飯が美味しいというのは良い事だ。お蔭で食事が進む進む。食べ終えて箸を置いた私は目の前の彼女へ気になった事を問い掛けた。
「……そういえばさ、メリー。貴女が最後に家に戻ったのっていつだったかしら?」
「どうしたの唐突に?」
「いや、メリーの荷物が随分多くなったなぁと思って。着替えとか食器とかもう殆ど私の部屋に置いてない?」
「えぇそうね」
「だからそろそろ整理した方が良いんじゃないかと思って。貴女の家も随分長い間空けてたら不味いでしょ?」
随分長いというレベルでは無い気がしてならないが。
ちなみにメリーは私の様に大学院には行かず、ばっちし就職を決めている。その辺りを詳しく聞こうとすると毎回はぐらかされるので、私はもう聞くのを諦めている。
「あら蓮子、気付いてないの?」
「何が?」
「私宛の荷物が、何で蓮子の所に届くと思って?」
「――っ!」
私は慌てて今日届いたメリー宛ての荷物を確認した。名前は確かにメリーの物だが、住所は完全に此処私の部屋と一致している。
つまり、これは……
「住所の移転をしたの。いつ気付くかなぁって思ってたけど、蓮子ったら全然気付かないんだもの。最初は面白かったけど流石に飽きちゃったわ」
「こ、ここここれって……同居? ルームシェア?」
「同棲じゃない?」
「どどど同棲!?」
「あら可愛い」
って、顔が熱くなったけれど、よくよく考えれば同棲は正式に結婚をしていない男女が一つ屋根の下で暮らす事だ。当てはまっていない。
「じゃあメリーの家、というかマンションはどうしたのよ?」
「とっくの昔にお金にしちゃったわよ」
……どうせなら私のこの部屋よりメリーのマンションの方が圧倒的に暮らしやすいとは思うのだが。
しかし何故私はあんな分かり易い事に気付かなかったのだろうか。いや、逆か。メリーが傍に居る事が当たり前になり過ぎていたんだ。
現に今メリーが自分の家へ戻ってしまったら、私の部屋はあっという間に腐敗物に溢れた樹海へと変貌していくだろう。
「ふぁぁぁ……ごちそうさま」
「お粗末様でした」
私は食べ終えた食器を流し台に置いて、ベッドへと飛び込んだ。
「食べてすぐ寝ると牛になるわよ?」
「胃液の逆流には勿論気を付けるわよ。牛になれるものなら、私は牛になったって良いわー。のんびりご飯食べて寝てたい」
「あら、牛になっても胸はそのままかもね」
「おし、その挑発乗った。今晩は覚悟しなさい、メリー」
私は仰向けになってジャブ、ジャブ、ストレート、と拳を振るった。
ふと視界が陰に覆われた。メリーの身体が私を覆ったのだ。
彼女の綺麗で整った顔が近い。
「な、何よ……?」
「私の覚悟なら出来てるわよ、蓮子」
いつも以上に真剣な表情から、私は息を飲んだ。
「何の、覚悟かしら?」
メリーの指が、私の胸元をゆっくり通る。そして彼女は優しい微笑みを浮かべながら言った。
「胸を大きくしたいなら――」
「したいなら?」

「子作り、しましょ?」


「――はぁ!?」