(3枠目くらいから)
宗教の力ってすげー
ドクロちゃん教
嫌なことがあったら「でもそれってボクの愛なの~」と言って喜ぶ
支出税:可処分所得に対して税収を課す
消費税増税は社会保障費
デフレ中に消費税を増税したら税収が減っちゃう
今やるのはよろしくないのでは?
現に3%→5%にやったときはデフレで税収は減ってしまった
今の消費税条項も附帯条項に物価上昇率が安定すればいいと明記されている(らしい)
TPPや憲法の話も参院選の結果如何によって決まるのでは
今、選挙やれば自民党が勝つだろう
だから外交と経済以外はゆっくり進めていい
勝てば長期政権が約束される
夏くらいならば経済も安定してきて増税しても大丈夫になる?
<道徳教育について>
教育再生実行本部が超クソ
道徳が教科化(成績をつけて評価する)
いじめ対策……?
そして国を愛する政策の押し付け(?)
法律に基づいた専門機関(中央教育審議会)があるのに教育再生実行本部をつくっている
二重行政じゃね?
本当に教育の専門家なのか疑うレベル
日本やばいにも安易にやばいやばい言われちゃう
道徳は評価をつけるものではないと中央教育審議会が言っている
教育再生実行本部はただの嫌がらせじゃね?
さらに提言受けて文部科学大臣が真に受けちゃった
中央教育審議会が散々議論したじゃん
無駄な審議をまた文部科学省がやるはめに
タブレット端末の教育?
情報という教育なら面白いかも
家で勉強できるならいい
病院で授業見たり、家で授業を見たりするといい
キメ細かなサービス(発表や討論など)は学校でやる
コピーできる授業はタブレット配信にすればいい(押し付け型のサービス)
超教え方が上手い人の授業を配信すれば効率はあがる
<道徳ってそもそも何?>
道徳は一種の正義の植え付け
白か黒かの判断の基準
公に黒になったのなら公にいじめることが出来る
あれ? いじめなくならないじゃん
道徳を学校で教えるべきか
学校は社会の構成員を作るための場所
ルールを教えるために道徳を教えるのはあり
でもそれ評価する必要あるの?
社会的なトラウマがある
戦争に突っ走ってしまった
評価外の対象にしましょうという流れが起きた(戦後)
押し付け的な価値の教育はするべきではない
日本人には押し付け型の方が向いていたんじゃね?
民主主義を目指すので道徳を評価するのはおかしい
社会的なトラウマと戦後目指した社会の理念から道徳を評価しない流れになっている
道徳を考えさせる教育ならいい
そもそも道徳に正解があるとは限らない
盗人にも貧困という背景がある場合など
<政治主導したいの?>
道徳を評価する教育を推進
社会が間違わないと思っている人の考え方
慢心じゃね?
それを学校で刷り込むのは
小学校は社会の刷り込みをする
問題になってもいる
日本は国家社会主義を目指します!
道徳は唯一絶対です、とやったほうが日本人には合っている
国家社会主義を目指してたらいかれポンチじゃね?
安倍さんのバックについている人達はそう思ってるのでは
ちょっと“保守”とは違う
世間一般では保守と言われてしまうけれど
自民党の提言が省まで降りてきている
影響力が大きくなったなぁ
政治主導は聞こえがいいがもっと勉強してきて欲しい
建前すらしっかりできていない
政治主導とは
大きな流れを政治家が決めて細かい所は官僚さんがやること(くぎゅさんの考え)
<教育なんちゃらの言い分とつっこみ>
→私たちは違うんですよ
→価値の押し付けしないと子供はダメだよね
→幼いうちから(大人まで)押し付けたほうがいいんだよ
→価値観が多様化してるからきちっとした一本の価値観を国が押し付けるんだよ!
小学生には無理かもしれない
刷り込みをされていない人はどうなるかわからない
小学生は頭がいい
刷り込み教育についていっている
じゃあ勉強には答えがあるけど、世の中には答えがないのがあるよね
→そもそも道徳の時間がちゃんとしていれば解決されていた
→道徳の時間は雑に扱われていたのが原因だ
→ちゃんと授業が行われていればいじめは起きない
→でも道徳は完璧じゃないと書いている
→いや、道徳があれば自殺まではいかないよ
理想郷はすばらしいけど、手段が悪魔じゃね?
前提を覆せば異論の余地はないのに……
こういう価値観だとある問題に対してこう答えます
あなたたちはどれがいいですか、と選ぶならよい
→他の教化も実は評価しにくいのにできているから道徳もできるよ
間違いがひどくならないように民主主義制度を取ってるんじゃないの?
道徳は他の教化は他の教化とは違う
他の教化は絶対的正解と絶対的不正解がある
採点して比べられるのは道徳じゃない
道徳はテクニックなのか?
面白い視点
社会の中を生き抜くテクニック?
空気読むテクニックなのだろう
パターンマッチングできないから難しいんじゃね?
パッと見で賛同できる文章を書ける人すげー
表現の仕方によって印象が違うという
<なぜ刷り込みをするのか>
教育に刷り込みが重要だというのは教育のコストの問題
個々人を長く見るのは物理的に不可能なので踏襲していたやりかた
言語も同じ
教育は近代になって始まったもの
子供は労働力だったので実用的なことしかやっていなかった
都市部から識字が始まった
識字はお役所仕事でつかうから(これも実用的な流れ)
国民に、「自分達が国民である」というアンデンティティーを持ってもらうのが教育の一つの目標
明治政府が共同体としての一体感をもつためにやっていた
もう欧米列強と戦わなくてもいい
経済戦争なら国家に対する強いアイデンティティーは必要なくなってきた
連合国に弱められたのもある
押し付けで教わったのでそれしかやり方を知らない
拡大再生産
<どう道徳を教育すればいいのか>
道徳を教科化したいだけじゃん
複数の軸を見せてくれるならいいんじゃないのかな
小学生から哲学をやったほうがいいんじゃね?
小学生位だと素直に聞く
中学・高校よりも上手く染み込むかも
簡単なことなら教えてもいいかも
自由や私の存在などの抽象的なものだと分からないかも
抽象的でないものなら低学年でもできるかも
自由とは? 市民や社会? 輸入された言葉たち
真の意味での社会って何?
西洋基準の“社会”であって、日本固有の“社会”は成立している
お天道様は世間が見てるという意味合いじゃね?
「見えないところでやってもお天道様が見てるよ」という感じ
<大学について>
学歴システムについて
有能さの一つの指標にしているから
一人をいちいち見抜くのは面倒
学歴=ブランド
大学を選べばまぁ間違いが少ない
積極的にいかないと単位をもらえないアメリカの大学
日本の大学は出るの簡単
日本以外は就職難しい
昔は大学生の需要があったけれど、今はあんまりない
営業くらいしか仕事がない
日本の構造的な問題
上のほうは価値が保たれている
ハングリーは内圧的なもの
就活生は外圧によって追い詰められている
意識の高い()学生
勘違いしている学生
結びつくものがないので空回りするしかない
大学教育は公教育ではない
支援や補助はしているので必要ではある
<再び戻って道徳教育>
教育と学習の違い
大学は学習の場(自発的な勉強)
『こころのノート』
道徳教育の補助教材
見抜きはできないようだ
教科書読ませるよりカンボジアで地雷撤去したほうがよっぽど勉強になる
最終更新:2013年03月30日 01:16