TV番組要約

TV番組の内容要約です。要約してくれた有志のかた、ありがとうございます。要約はニュース・時事問題スレで行っています。

新世代が解く!ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」

番組情報

NHKEテレ1東京/2012年5月11日(金) 24時00分~25時30分
ニッポン・バージョンアップの道は教育にあり?「70年以降生まれ限定」のスタジオで交わされる、本音の教育論。若き知性たちが、学生時代の体験や体験的子育て論を披露しながら、リアルな戦略を語り尽くす。学歴神話はもはや崩壊?有名大学に行ってもムダ?本当に必要なリスクヘッジのための教育って?「格差社会」を生き抜くスペックは?教育のジレンマに真摯(しんし)に向き合い、切実に語りあった記録。救国の道は示せるか?
作家・批評家…東浩紀,NPO法人理事長・ワークショップ主宰…石戸奈々子,デジタルクリエーター…猪子寿之,教育哲学者…苫野一徳,

要約

苫野一徳:協同の学びの場を作る。道徳教育のジレンマ(=道徳教育をすればするほど胡散臭くなる)
石戸奈々子:
猪子寿之:本当のことを言わない空気感
東浩紀:国語教育を抜本的に変えなきゃダメ。国語教育がコミュニケーション能力。原発のガバナンスのなさはコミュニケーションの欠如からきていた。言葉の失敗のない国を作らないと

苫野一徳:言語活動の充実化、ゆとり=主体的に考えるだったなら賛成、能力を適切に測ることは難しい
石戸奈々子:「ゆとり」は要らない、基礎学力を減らさずにアドオンで新しい力が必要、評価が定量的にできないけど良し悪しはわかる、定量化できないものを認めることが重要
猪子寿之:わからないことがわかるようになることはエクスタシー、今は勉強すること自体が死ぬほど嫌い、どうやったら勉強自体が根本的に快楽になるか考えるべき、そのための方法論の1つが協同、インターフェースが気持ち良くなると学ぶことが楽しくなる
東浩紀:抜本的に国語教育が変わっているように見えない、本当の意味の正解がない(ある程度のところまでは正解がある)、正確な要約能力が必要

苫野一徳:人類史からみると、お互いの自由を認めあう社会を目指すことに200年前気づいた。そのためには教育が必要
石戸奈々子:10歳の壁=10歳以上から自分が(大人の基準で)上手かどうかが気になり始める、子供の目が光る体験=子供に自信を持たせることが大切
猪子寿之:抑圧いるの?
東浩紀:子供を子供のまま肯定すること≠子供を大人にする、クリエイティブ=ある意味子供っぽい、子供を大人にするってことを考えないといけない、抑圧が難しいことだが必要、社会は集団で維持しているので抑圧が現実問題として必要

苫野一徳:ジョン・デューイによると、いかに欲望の延期(努力の末の報酬)をできるか子供に学ばせるか
石戸奈々子:子供が失敗しながらクリエイティブ=本質的な詰め込み教育。
猪子寿之:
東浩紀:快楽には瞬間的な快楽とは別にマゾヒズム的快楽=計算ドリルのような抑圧の後に訪れる快楽、我慢した後の報酬、我慢を否定することは大人にさせることを否定することになる。ちなみに詰め込み教育を肯定しているわけではない。フロー型社会(目の前の充足に走る)。快楽を引き延ばすことをどう教えるかが難しい。欲望の延期が今までは受験勉強だった

苫野一徳:
石戸奈々子:
猪子寿之:金ないと生きていけないと言ったほうがいい。自分が好きな人といるためには自分が価値を提供しなければならない。価値の提供の仕方として、技術は今の教育の中では一番シンプルに提供できる。他者を愛することを知らないのは生物として本来おかしい。
東浩紀:何やりたいとかないので東大行ってみた。夢がある人にとって学歴は意味がない。世の中には夢のない奴がいっぱいいる。そいつらのためにも教育がある。無気力な奴らをどうすんだよ?欲望を肯定して救える人は少数。欲望のない子をいかに救うか。

苫野一徳:夢がないというが、こうやったら楽しいというのを気付かせる教育が大切。義務教育は教育機会の均等を守らなければならない。資源や人材の傾斜配分をして、学校間の格差の是正をすることが必要。
石戸奈々子:実際には平等はありえなくて、いい先生にあえるかどうかにかかってる→その是正のためにはデジタル教育。学力上がるかどうかの前に、ツールをまず与えてから新たな授業形態を考えればいい。
猪子寿之:同じような環境の子供たちでも何らかの役割分担をすれば・・・
東浩紀:今までは単に偉くなればいいと嘘を教えていた。同調圧力。キャラづけの多様性を認めようにも現代は家庭環境が同じすぎる。結論は出てて、人々のクリエイティビティの多様性を認めることは当然だが、持ってない子は?クリエイティビティは親の経済資本・家庭環境にモロに影響を受ける。受験勉強はクズだと思ってる。「協同」に疑問。

苫野一徳:今はまだ競争主義(いい大学・いい会社)。それが苦しいと皆わかってきた。教育の均等化→多様化。
石戸奈々子:デジタル教科書が導入すると、先生の役割が変わってくる。先生がコーディネーター・ファシリテーターの役割を新たに担うことになる。日本の先生は優秀。テクノロジーに社会がついていってないのが京大カンニングの背景。デジタル入試=パソコン・携帯持ち込み可の入試をすればいい。先生も将来の不確定性を子どもと一緒に考えることがこれから必要。先天的な創造性以外にも、特許などのある種の専門性による後天的な創造性がある。これは経験で育むことができる。
猪子寿之:デジタル化によって学び方を飛躍できる。今までの方法論を変えて、学習の楽しさにフォーカスを移せる。仕事の仕方はデジタル化とともに変わってきたのに、学校教育は変わっていないのに驚き。先生も子供たちに今は変化が激しくて将来どうなるかわからないと言うべき。
東浩紀:ここでは意見が合ってるけど、実際は通らないと思う。子供には受験を受けるかどうか選ぶ権利がない。子供の階級を上げてコネを持たせるために親は子供に受験を強いているのでは。親が子供の多様性を引き受けるのならいいけど実際できる?親はとりあえず今確率の高そうな路線を子供に歩ませようとさせるが、その割には子供への負担が大きい。他に選択肢がない人に多様性って言ってもねぇ

苫野一徳:
石戸奈々子:選択肢を持てない不幸。デジタル化でコミュニケーションの時間を増やす。
猪子寿之:多様性は個性ではなく専門性。専門性が違えば役割分担ができる。
東浩紀:公教育はリスクヘッジのためのものに徹するべき。これから格差は拡大し、金持ちはいい教育をするのは明らか。創造性もなく親にも恵まれなかった子供には最低限のコミュニケーション能力を与えなければならない。公教育は人材育成を考えなくていい。公教育はベースを作るもの。もっと基礎知識は評価していい。

苫野一徳:超ディベート(共通了解志向型ディベート)が必要。ディベート教育はどっちかが正しいを論理的に問うものだったが、これからは最もいいアイデアを皆で出すディベートが必要。本当に2つしかないのかを考えて新たな道を探すことが必要。教育は個人のためなのか社会のためなのかにいつもこのジレンマに行き着く。個人にとっての本質的な意味(自由に生きられる)と社会にとっての本質的な意味(皆で相互承認の感度を育む)を両方考え相互補完的に考えることが大切。
石戸奈々子:「楽しく」「みんなで」「便利」が大切。
猪子寿之:現実的な話として、自由に生きるには、他人に価値を提供しないと生きていけない(金銭の有無にかかわらず)。
東浩紀:ブレインストーミングが必要に同意。いろんな考えをまとめる司会的なブレインストーミングが必要。いろんな職業の人々に実際に会わせて会話させることが大事。日本語喋れるならどんな日本人ともしゃべれることが必要。ミニジャーナリズム(取材)の授業が必要。こんな生き方もあるのか・いろんな人生があるのだと気付かせることが大事。ネクタイを締めるサラリーマンの人生以外の生き方が当たり前なのだと子供に分からせることが大切。教育は子供を社会化するミッション。いま必要なのは、ここまで失敗しても生きていけると教えることが大切。複数的な人生モデルの提示して、失敗しても最低限働いて生きていけると教えることが公教育の役割。

TOKYO MX 西部邁ゼミナール

番組情報

TOKYO MX/2012年5月12日(土) 10時30分~11時00分 から5週に渡って憲法を論じる。

要約

2012年5月12日(土) 10時30分~11時00分(第1週) ゲスト:柴山 桂太(滋賀大学准教授)
本来は政府を縛る規範。憲法前文が長いのは米国が作った設計書だから
わざわざ戦争しないと書いてある
論理的には憲法は変えられない構造になっている(改正条項は見かけ上あるだけ)
米国が占領に成功した唯一の例が日本
国家には政府だけでなく国民も含まれる
前文(GHQの草案そのまま)に書いてある平和主義の中の平和を愛する諸国民とは誰?
白洲次郎(イギリスで遊んでた)の訳は下手糞な日本語
平和愛好勢力・親米保守はアメリカ様についていくだけ
戦争と平和の境目がわかりにくくなっている。国家はその瀬戸際で外交折衝をしている。
平和PeaceはPax(ローマ帝国の「平定」)からきている。日本はアメリカによる平定で平和だと思い込んでる。
憲法とはその国の国民と政府が守るべき常識。憲法学者は本来不要。
自国のことのみに専念せず他国のことを考えると憲法に書いてあるけど、戦争は他国のことをよく考えて起こすもの
アメリカは何かある度に「これで戦争の歴史は終わった」と60年前から言ってる
世界中を見ても何1つ普遍的なことなどない。
憲法違反って便利な言葉だよねー
我々の常識がしっかりしていれば憲法の前文なんて必要ないわけで
アメリカの作った設計書をまず捨てないと議論が始まらない

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最終更新:2012年05月12日 11:42
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