帰りたくない。
君達の仕事を端的に言い表すならば、現実になんて帰りたくないと思わせるような、そんな素敵な空間を作り出すことです。

キャラクターはそのためにいます。
素敵な隣人。夢を叶えてくれる存在。あるいは日常生きていたならば、決して見ることの出来ない深淵をのぞかせてくれる存在。
だから僕達は彼らを愛するんです。

入り口を見てください。
入りたくないなと思わせるようなところには行きたくないですよね。
だから書き出しにすべてがかかるんです。

ジェットコースターに乗せてください。
帰りたいと思う間もない一切の不純物が存在しない一本の流れに気持ちよく乗せてしまうのです。

文章が読みたいんじゃない。
凝った表現や夢みたいな設定を知りたいんじゃない。

行きたいんです。そこに。

いらないものをすべて省いてください。
文章を書くという作業と、物語を書くという作業は致命的なほどに似ていて異なるということを知ってください。

小説を書くということはリビドーに支配されることとおんなじです。
情欲のたぎるままに世界を蹂躙してください。好きな世界を作り出して、自身がそこから帰りたくなくなってください。
でなければ、本当に素晴らしいものなんて書けやしない。

なりたい自分、味わいたい経験、すべてをそこに詰め込んであげてください。
生ぬるい理想郷。永遠のファンタジア。

違う。

感じたい体験を空白に塗りこめて。

ぎとぎとに自分の色を塗りたくって。

そこに、真逆の線を無視できないほど大きく長く乱暴に塗りつけてやるんです。

現実なんて、そんなに甘くない。

理想ばかりでいられるもんか。

そんな声の一切合財を、その乱暴な線に込めてやるんです。

二つあるから読めるものになるんです。

ぎとぎとに塗りたくられた幸福な夢想を、叩き割る何かがあるから、真面目くさって読んでいられるような代物になるんです。

夢だけでは甘ったるくて気持ち悪い。でも現実だけでも干からびていてつまらない。

二つ、並ぶからこそ、どちらも輝くんです。

欲望を思う様叩きつけてください。

自分でも気持ち悪いと思うくらいのめりこんでのめりこんでのめりこんで、そうして出来たものに、ありったけのカウンターを叩き込む。

そうして物語を成立させることで、やっと、満足の行くものになるはずだ。

かたっぽを出し切らないと、もうかたっぽも全力を出し尽くせない。

だから、半端な理性は働かせなくていい。

人間性を疑われるほど自分1人の愉快で気味の悪い世界に浸りましょう。

大抵の人間は共感出来る。人間なんて夢見がちで欲深なものだから。

それから、想像しうる限りの、あらゆる反論を自分の手で自ら見た夢の世界に叩き込んでやればいい。

そうすればぐうの音も出はしない。

かわりに、手加減しないことだ。

おぞましくなるほどナルシシスティックな自分でいよう。

それを自らで力の限り死に絶えさせるほどに踏みつける無慈悲なサディズムとマゾヒズムを覚えよう。

夢を描く現実に生きない小説家なんて、つまるところ、皆が皆、そういう変態なんです。

多かれ少なかれ。

自覚していなければ幸福な奇人で、自覚していれば狂った愚人です。

小説が、夢のようなお花畑だけで出来ているなんて思わない方がいい。

そんな生易しい快楽でもなければ、汚し甲斐のない空間でもないんだから。

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最終更新:2008年05月21日 02:17