ハァ……ハァ……ハァ……
絶え絶えの息づかいで歩く一人の少女。
その彼女がやってきたのはNERV本部のエヴァ格納庫。そして修理を終えたばかりの零号機の足下へ。
「……治ったの?」
後ろからそう声をかけられた整備士はキビキビと返事をする。
「ハッ!切断された左下肢は接合完了!いつでも稼働できますが……あ、あなたは!」
振り返り、驚く整備士。
「もうよろしいのですか!あれほどの怪我を……」
そう言いかけたところで、少女の背後からドヤドヤと追いかけてきたのは医師と看護師達。
「待て!君の体はまだ治っていないぞ。そんな状態では……」
「エヴァの操作に体は要らない……接続する神経が働けば……」
少女はか細い声で返答しながらよろよろとタラップを上り、そしてどうにかエントリープラグに辿り着く。
「今……私が動かなければ……彼は……」
もう何を言っても無駄だ、と思ったのか。
看護師の一人が一本の注射器を片手に側に寄り、腕に突き刺す。
強心剤か、あるいは痛み止めのモルヒネか。
懇意の看護師なのだろう、少女を見守るその目に涙を浮かべていた。
しかし、その彼女の心配げな表情をよそに少女は整備士達に冷たく命ずる。
「槍の準備を」
『3,2,1……発射!』
……キュァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッ!!
遠方から放たれたらしい閃光が本部上空を切り裂いた。
それこそが戦自研が放った陽電子砲であった。が、
「外れた!?」
その報告を受けて衝撃を受けるNERV本部。
その騒然とする中で、赤木博士は立ち上がりスーパーコンピューターMAGIの端末へと駆け寄った。
「地球の磁場の影響よ。戦自研ともあろう連中がそんなことも判らないなんて。マヤ!」
「は、はい!センパイ!」
マヤと呼ばれた女性オペレーターが振り返る。後輩に当たるのだろう、センパイとは赤木博士に対する呼称。
彼女は司令室のオペレーターの一人、伊吹マヤ。赤木博士のお気に入りだ。
「今すぐ誤差修正プログラムを組んで。MAGIに問い合わせれば数式をはじき出してくれるわ。それから……」
自らも端末を猛烈な勢いで叩きながら振り返り、
「こちらで陽電子砲を操作します。彼らにシステムの開放を依頼……いや、いいです。ハックしたほうが早い」
「せ、センパイ!そんなことをしては……」
「大丈夫、以前に“枝”を忍ばせておいたから」
伊吹はそういうことを言ってるんじゃない、と背後で首を横に振る冬月副司令。
そして、総司令たる碇ゲンドウはモニタに映し出される情況を見たまま動かない。
はたして彼が見ているのはどちらか。本部上空の使徒ラミエルか。それとも苦悶を続ける初号機か。
「そのヘリよ。ライフルを受け取って!」
作戦部長の葛城ミサトの指示で、参号機は上空でホバリングするヘリに向かって手を伸ばす。
こちらでは使徒の攻撃を受ける初号機、もといシンジを救うために少しでも応戦しようと動いていた。
たとえ、赤木博士が言う通りにATフィールドに阻まれて効果が得られないとしても。
『おっしゃ、任しとけ……ん?ああ?』
参号機はライフルを受け取ったかに見えた、が……ライフルを取り落としてしまう。
「!?……鈴原君、どうしたの!」
『こ、こいつ……急に言うこと聞かなくなりよった!』
「そんな、参号機のシンクロ率は?」
ミサトは振り返ってオペレーターの一人に尋ねる。
「現在62.47パーセント、むしろ最初より上がっています。これは……」
ミサトは赤木博士の方を振り返ったが、陽電子砲の操作にかかりきりで動けない。
「……クッ!参号機の異常箇所は!?」
「はい……ああッ!パターン青です!参号機からパターン青が検出されています!」
「な、なんですって!?」
『く、くそォ……言うこと聞けや、こいつは……お、おい!何をさらす気じゃ!やめろ!やめんかいっ!!』
なんと参号機は、使徒アラエルのために苦悶に陥る初号機を攻撃し始めたのだ。
掴みかかり、殴りつけ、蹴り倒し、そして初号機はなすすべもなく打ちのめされていく。
『やめろ!やめんかい!……おいッ!このロボットどないなっとんねん!』
叫ぶトウジ。ミサトもまたマイクを握りしめ、叫ぶ。
「シンジ君しっかりして!参号機を押さえるのよ!」
しかし、シンジにはその声は届いていない。
『父さん!僕は……僕は……父さん、どこに行くの!僕を捨てないで!僕を見捨てないで!』
シンジは完全に使徒に精神を犯されていた。
自分の過去、苦い記憶を使徒に引きずり出されて、シンジ自身が自らを苦しめているようだ。
ミサトはもうどうしていいか判らない。しかも、NERV本部もまた使徒に襲われている現状だ。
「もうすぐ隔壁の全てが破られます!最終隔壁まであと3分!」
もうスタッフ達は気が狂わんばかりのパニックに陥っていた。
そんな中で黙々と作業を続ける赤木博士と伊吹マヤ。
「マヤ?」
「は、はい!発射角度の補正は+0.2、+0.3!」
その時、別のオペレーターが叫ぶ。
「使徒ラミエルの周囲に強力なエネルギー反応!」
それを聞いた赤木博士は顔をゆがめてマヤに命ずる。
「反撃が来る!いいわ、発射!」
「はいッ!!」
……ギュァァァァァアアアアアアッ!!
再び陽電子砲から放たれる閃光。
しかし今度は使徒からも強力な閃光が放たれ、双方のエネルギーが交差する!
「頼む!当たれっ!!」
誰かがそう叫び、そして巻き起こる凄まじい轟音。
ズズズゥゥゥゥゥゥゥゥン……
「命中しました!使徒、殲滅!」
確かに、命中はした。しかし、
ベキ……ベキ……ベキ……
崩壊する使徒の体内から細長い足が伸び、そして姿を現した禍々しい姿。
「……パターンなんぞ読み上げなくて良い。蜘蛛の象徴、これは使徒マトリエルだ」
そう言ったのは、冷静さをまるで失わない冬月副司令。
「ば、馬鹿な……使徒の内部から別の使徒が現れるなんて……」
スタッフの一人が言う。が、
「何を言っている。我々の常識なんぞ通用するものか……そして、マトリエルは雨の象徴でもある」
その冬月の言葉通りに、何やら怪しげな液体を使徒ラミエルが掘り進んだ穴へと注ぎ込む。
「あ、あの液体は……至急、確認します!」
慌ててMAGI端末を操作するスタッフ。
(あの液体、イヤな予感がする。あれこそが……)
そんな不安を抱く冬月であったが、それは只の空想であって読みでも推論でもなんでもない。
しかし、何故か間違いないと確信している。
だが冬月はそれを口に出さずに、ゲンドウに振り返った。
「これではエヴァの様な巨大ロボットには歯が立たん。まるで我々の努力を鼻で笑うかのようだな、碇」
「冬月、戯れ言はよせ。陽電子砲は?」
「はっ……使徒ラミエルの反撃で破壊されました。相打ちです……」
暗い表情で報告するスタッフ。
「また我々は手駒を一つ失ったか……」
冬月がそう呟く中、スタッフ達は更なるパニック状態に陥っている。
「液体の物質不明!このままでは最終隔壁に到達します!」
「だ、大丈夫だ。最終隔壁のガードは並大抵では敗れん。NERV設立費用の半額を費やしているのだぞ!」
「そんなことが当てになるか!司令!戦自に攻撃の要請を!」
「通常兵器で倒せるなら、こんな苦労は誰もしていないぞ!!」
「それにあいつを倒せばどうなる?体液の残りがそのまま注がれるだけではないか!」
そして本部上空の使徒だけではない。今も尚、使徒と化した参号機と初号機の戦いは続いている。
いや、もはや戦いではない。精神崩壊寸前まで陥ったシンジは参号機に一方的に打ちのめされている。
『父さん……父さんッ……アアッ!!ギャアアアアアアアッ!!』
その彼の悲鳴が混乱した本部に響く。
「参号機、初号機の左腕をちぎり取りました!パイロットの精神レベル、更に低下!」
そちらもまた最悪の事態だ。
彼らの対応にあたっているミサトは必死だが、なんら手を打てずにこまねいている。
「何でも良い、あの使徒アラエルに攻撃を!少しでもひるませて、シンジ君の意識を取り戻すのよ!」
といっても陽電子砲を失った今、効果の得られる兵器など何一つ無い。
自分自身がそれを感じながらも、しかしそう命ずるしかないミサト。
もはや支離滅裂な本部であったが、一つのアナウンスが彼らを静まりかえらせた。
「零号機が起動!射出口C-13から発進しようとしています!」
そして、モニタに映し出される零号機の姿。
「あれは、ロンギヌスの槍?」
見れば零号機の右手に巨大な赤い槍のようなものが装備されている。
「なんだと?レイ!勝手なマネをするな!」
しかし零号機のパイロットは止めようとはしない。
『構わないから本部からの制御を切断、そこからスタンドアロンで射出エレベーターを操作して』
恐らくパイロットは現場のスタッフ達に命じているのだろう。
やがて零号機はエレベーターに到着、地上へと射出される。
「レイ……」
呟くゲンドウ。その彼にやっとパイロットは答える。
『私は、あなたの意志にそっているだけ。ただ、それだけ……』
「零号機、投擲体勢に入っています。方角は……使徒アラエル!」
ギリギリという音が聞こえてきそうな程に体を引き絞り、そして動き出す。
ドシッ……ドシッ……ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!
助走をつける零号機の足音が地下の本部にまで響きわたり、
そして零号機は吠え猛り、ロンギヌスの槍が放たれる!
オオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォンッ…… ズシャァッ!!
ATフィールドもあっさりと突き破られ、まるで紙くずのように槍に貫かれた使徒アラエル。
零号機の方はといえば、投擲を終えた瞬間にその場で崩れ落ちる。
それは零号機ではなく、搭乗しているパイロットが力尽きた、その影響だろう。
すぐさま地上に出てパイロットの介抱にあたろうと、スタッフ達が走り出す。
そして本部に報告される。
「……使徒アラエル、殲滅!」
が、それを見て喜んでいる場合ではない。すぐにミサトはマイクを取って叫ぶ。
「シンジ君、聞こえる?シンジ君ッ!!」
『シンジ君ッ!!』
繰り返し叫ぶミサトの声にようやく我を取り戻すシンジ。
「あ、ああ……うわぁっ!!」
まるで初めて参号機に襲われていることに気が付いたような状態だ。
『シンジ君、逃げて!もうすぐお互いのバッテリーが底を突くわ!それまで粘るのよ!』
「は、はい!」
慌ててシンジは初号機を走らせる。が、先程以上の運動性を発揮した参号機があっというまに追いすがる。
「鈴原!ゴメンよ!」
ガキッ!!
蹴りを繰り出し、なんとか参号機を振り払い、距離を取ることに成功する。
それにトウジは答える。
『構わんッ!なんぼでもやってくれ!くそぉぉぉ……このじゃじゃ馬ぁっ!えぇ加減にせぇぇッ!!』
その気合いが通じたのか。
参号機は何やらワナワナと震えだし、身もだえし始めたではないか。
「よしッ!今だわ!」
その様子を見て活気づくミサト。
「鈴原君、そのまま頑張って!シンジ君?すぐにヘリからバッテリーの交換を受けて!」
『はいっ!!』
「そして参号機から出来るだけ距離を取るのよ!そして参号機をエントリープラグの強制イジェクトを!」
ようやく解けないパズルの糸口が見つかったかのように事態が進む。
しかし、
『……ああッ!』
ピシィィッ!! ドドォォォン……
何かに足をすくわれたかのように転倒する初号機。
慌てて立ち上がろうとするシンジ。しかし、その足下で何かがスルスルと蛇のようにうごめいている。
「……クッ!まだ来るというの?」
「ハッ!パターン青、新たな使徒です!」
が、その新たな使徒は蛇のような身体を持つだけでは無いようだ。
『ん……うわ……うわあぁぁぁぁぁッ!』
本部にこだまするシンジの悲鳴。
見れば、その使徒は初号機の表面に体を突き立て、ズルズルと内部に侵入し始めたではないか。
「あれは……初号機と融合しようというの!そんな、初号機までやられては……」
うろたえるミサト。そして周囲を見渡すが、しかし助けを求められそうな相手はいない。
他の者、一番あてにしたい赤木博士は、本部に浸食しようとしている使徒の液体の対応に追われていた。
実際のところ、対応らしきことは何一つ出来てはいないのだが。
「使徒マトリエル自壊!」
「全て注ぎ込んで役目が終わったと言う訳か。例の液体は?」
「使徒に掘削された穴の側面にこびりついていますが、浸食が進んでいる模様」
「よし、レーザーで焼却してみろ!」
「はいッ!」
あの手この手を尽くそうと奔走するスタッフ達。
「まさか三段構えとはな。で、次はどうする?そこまで侵入したのはいいが、それでは最終隔壁は破れんぞ?」
まるで使徒と対話するかのように呟く冬月。それを聞いたスタッフは驚いて振り向く。
「三段……構え……?まさか」
「調べてみろ。間違いなかろう?」
「ん……ああ、まさか、そんな!パターン青!まさか、あの液体自体が使徒だなんて!」
それを聞いたスタッフ達から悲鳴が飛び交う。
(必死だ。正に使徒は必死で我々に戦いを挑んでいる。そう、自らの犠牲もいとわずに)
(アスカがそうして使徒を倒したように。いや、彼らに犠牲というものが、そして生死の概念が在れば、だが)
(まあ、しかし……それでは最終隔壁は破れぬ。よほどの物理的な衝撃、化学変化でもあの隔壁だけは……)
が、その冬月の思いをあざけるかのような事態が巻き起こる。
「……MAGIがハッキングを受けています!」
「こんな時に?くそぅ、Cモードで対応!」
「逆探しろ!その経路を全て遮断、そんな奴の相手をしている暇など無いぞ!」
「おい、内部からだぞ!ど、どこだ!」
「もしや……」
見れば、先程に使徒マトリエルが残した液体が化学変化を起こして怪しげな文様を描き出した。
「まるで電子回路ね。最終隔壁の鍵を握っているのはMAGI。使徒はMAGIを乗っ取って開けようとしている」
この事態を見た赤木博士はそう言いながら、改めて端末へと向かう。
「そうするしかないことを彼らは知っている。彼らは最短距離で最下層に辿り着こうとしているのよ!」
その赤木博士の言葉を聞いて真っ青になるスタッフ達。
「信じられない……使徒が電子戦を仕掛けてくるだなんて……」
「疑っている暇などないわ。みんな、少しでも時間を稼いで!そして……司令!」
その赤木博士の呼びかけに、総司令たる碇ゲンドウは答える。
「判っている。現状で動かせる機材その他を地上に射出、本部を爆破する。総員、急げ」
最終更新:2007年06月25日 21:06