邑久鉄道(フィクション)

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注意)地形を無視して設定。本当に敷設したら、前島島内などはケーブルカーなみの超急勾配になるかと(^^;

  •  現実には邑久~牛窓間のバスは1日10~12本程度、邑久~虫明間も同程度、愛生園発着は日3往復。長船~鶴海間は数往復。土曜日は本数が減り、日曜休日は全便運休かと思われる。須恵線に相当するバス路線はない(対象は一般の路線バスに限る。送迎の類は除く)。

設定内容

  •  開業は一部区間を除き、赤穂線全通よりあとにする。※「長船~邑久間でほぼ平行する路線があったが、廃止された」という設定も考えたが、国鉄の新線と入れ替わりに廃止となると補償問題が出てくるため没。 先に開業した区間があるのは、車両を含む資材を港から陸揚げしたため。
  •  本社所在地は岡山県邑久郡(現 瀬戸内市)内とす。
  •  国鉄時代は「おくてつ」では聞き間違う恐れがあるとして、「おくでん」、「でんてつ」などとアナウンスしていた。
  •  基本は1067mm 1500V。

そして確定

  •  牛窓線 邑久~本庄~長浜~牛窓港 
  •  鶴海線 長船~飯井~鶴海 
  •  虫明線 本庄~尻海~虫明~瀬溝(~瀬溝港)
  •  須恵線 飯井~須恵~本庄 
  •  前島線 前島島内の路線の総称。
  •  長島線 瀬溝~
  •  錦海(塩田)線(廃止)
  •  長船線(廃止) 新長船~備前福岡~
  •  ヘルスセンター線(廃止) 大富~ヘルスセンター前

運転

  •  急行 
  •  準急 以前は一部の駅を通過するものが少なからずあり、区別のため準急を名乗った。現在は定期列車としては存在しない。
  •  快速 メインは邑久~牛窓港間。
  •  普通 
  •  直通 本土(基本的に邑久)~長島間を乗り換えなしで結ぶ列車のこと。
  •  変わりダネとして、長船~飯井~本庄~邑久と運転する列車が2時間に1本程度ある(逆方向もある)。飯井で鶴海発着、本庄で虫明方面発着と接続。通常は1両。邑久と長船の車両の交換も使用。編成が逆向きになるのは好ましくないため、飯井にスイッチバック線を設置している。

駅の種別

  •  有人 常時(少なくとも列車の発着がある時間帯)駅員がいる駅。
  •  時限有人 朝夕、または平日のみ、シーズンの休日のみなど駅員のいる時間帯が限定される。
  •  無人 駅員はいない。特別な行事のあるときだけ駅員が配置されるものも含まれる。 

特別な乗車券

優待乗車券など

  •  主要株主は沿線自治体と邑久郡3町でつくった組合だったが、3町が合併して瀬戸内市になったため、組合は解散。大阪急行電鉄グループがこれに次ぐ。町長が社長になることが多く、現在は瀬戸内市長。バスとの接続がよい、全面広告電車があることなどで、両備前(現Ryo-BizenHD)グループと誤認されることも多いが、同社の出資比率は5%未満。グループ企業ではない。長年「株主の請求があった場合のみ株券を発行する」規定だったが、現在は株券不発行。優待なし、配当は決算が赤字なのでない。

カード乗車券について

  •  一時期、電車・バス共通カード(磁気カード)が使えたが、発売した会社でしか使えなくなったため廃止。※当社では記念カードを出したことがある程度で、通常は自社カードは販売していなかった。ICカードは使えず、導入予定もない。

車両

邑久車庫、虫明留置線
長船車庫・工場、鶴海留置線
牛窓車庫(かつては港の近くにあったが、高潮の被害を受けるため、移転)、前島分車庫
長島車庫(工場は休止)

基本的な体系(例外あり)

  •  モハ4310など3000~6000台の番号がついているものは導入された年(製造年とは限らない)が昭和何年なのかを上2ケタで示す。
  •  長島島内は600V。直通運転は複電圧車に限られる。
  •  2000系 イメージはJR2000系DC。電車である、車体がアルミ製、高速運転を行わないため振り子機能がない、など相違点も多いが。クロハ2000(Thsc)、モハ2100(Mc)、モハ2150(M'c 1/2M)、モハ2200(M)。クロハといっても、グリーン料金の設定はなく、指定席扱い。「本来」の指定席はセミコンパートメントに。牛窓地区のリゾート開発にあわせて製造。
  •  5000系 モハ5000(Mc)、クハ5100(Tc)、モハ5200(cMc)の3形式が2両ずつあったが、モハ5000+クハ5100は既に廃車。5200形のみ残る。この系列・形式は「昭和50年代に導入」の意味。1975~77年デビューではない。水色カエル。
  •  700系 長島所有の直通用複電圧車。
  •  DLなど 前島では当初から、長島島内では架橋後、全般検査など大掛かりな作業を行わないため、回送用に用意。

保存車

  •  モハ3001(ヘルスセンター線)当初はデハ101。電動搬器の意味とされた。更新でモハ1101、邑久鉄道に編入され3001となり、休止まで活躍。同型は5両あったが、他の4両は他社へ譲渡または廃車。※運営業者が交代したときに資料が破棄されたらしく、正確な製造年が不明。昭和30年代の導入の意味。
  •  テラ1000 ワラを鋼体化したもの。一般貨物扱い廃止後は救援車。ワム改造の救援車登場で保存車に。

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最終更新:2011年03月05日 23:57
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