585 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:34:53 ID:h6sNDZf20
深夜1時過ぎのことだった。
梓からたった一行のメール。
『今から公園に来てください』
「……たくっ、こんな時間に何を考えてんだっつーの」
文句を言いたいのは山々だが、こんなに夜遅い時間に梓を独りぼっちにさせる訳にはいかない。
私はそそくさと上着を着て、急いで外出の支度をする。
『すぐに行く』
絵文字も何もないメールを返すと、家族に見つからないようにこっそり家を出た。
今日の梓は元気がなかった。
話しかけても伏し目がちに相づちを打つだけで、いつもの元気さが見られなかった。
いつもなら十時を回るころに掛かってくる電話も、今夜は音沙汰なかった。
びゅうっと寒風が吹き抜ける。
自転車に乗って、夜の道路を疾走する。
車はもちろん、すれ違う自転車も、歩行者もいなかった。
ペダルをこぐ音が、誰もいない夜道で妙に響いた。
こんな遅い時間に何の用だ。
警察に補導されてしまうぞ。
それならまだしも、不良に絡まれる……もしかしたら変質者に襲われることだってあり得るのに。
梓のバカ。
携帯のコール音が鳴った。
『待ってます』
味気ないメールは何ともあいつらしかった。
586 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:36:56 ID:h6sNDZf20
苛立ちがこみ上げる。
言い訳がましく聞こえるが、それは心配の裏返しだ。
こんな深夜に一人で外出するなんて、一体何を考えているんだ。
お前みたいな非力な奴は、もし襲われたら何も抵抗できないで、なすがままにされてしまうんだぞ。
もしお前に何かあったら、お前の親がどれだけ悲しむか分かっているのか。
……私が、どれだけ悲しむか分かっているのか。
焦りがたたって、不覚にもペダルを踏み外してしまう。
脛に当たったペダルが、これ以上にないほど痛くて、
「く~~~」
思わず声を漏らすほど悶絶してしまう。
激痛に顔がゆがみ、歯を食いしばって耐え抜く。
目から溢れる涙は、痛みからくるものだけではなかった。
脛を押さえた手を見ると、微かに血の跡があった。
少しだけ唾をつけると、再びペダルをこぎ始めた。
587 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:39:15 ID:h6sNDZf20
街灯も申し訳程度にしか点っていない公園は、暗がりの塊だった。
まだ闇に慣れない目を駆使して、必死に梓を探す。
入り口からその姿を捉えることはできない。
左ポケットに忍ばせた携帯を取りだして、梓の電話にかける。
たったの数コールもしないうちに、携帯の向こうから無機質な音声が流れた。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないためかかりません』
切断ボタンを押して、もう一度かけ直す。
全く同じ内容が、同じ声で再生された。
唇を強く噛んだ。
梓に何かあったのか。
電話帳から澪の番号を探し、発信ボタンを押す直前でもう一度考え直す。
まだ杞憂だ。杞憂に終われば良い。
とにかく一度、公園を回って梓を探してみよう。
「あずさーっ!」
近所迷惑になってしまうのも省みず、大声で梓の名前を呼ぶ。
市内では最も広い公園で、その声は大きく響いた。
「あずさーっ!」
入り組んだ道を行ったり来たりして、何度も何度もその名前を呼ぶ。
ペダルをこぎつつ、大声を上げる。
声は枯れ枯れになって、息も絶え絶えになっていた。
そして、何度目かの叫び声で。
「~~~!」
微かに、名前を呼ばれたような気がした。
自転車を止めて辺りを見回す。
暗闇の中に必死にその姿を求める。
同時に耳を澄ませる。
「……律せんぱあい!」
確かに、その声が聞こえた。
588 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:41:56 ID:h6sNDZf20
心臓がどくどくと胸を打ち、呼吸が異常に速くなっていた。
目を凝らして、暗闇のずっと向こうから走ってくる姿を見届ける。
小さな違和感。
でも、その小さな身長と走り方は紛れもなくあいつのものだった。
何事もなかったようで、ほっと胸をなで下ろす。
「梓……」
「こんな夜遅くにすいません」
息の調子はなかなか整わない。
体中に汗が流れる。無性に暑くて仕方がない。
「電話、何で出ないんだよ」
「ごめんなさい、電池が切れちゃって」
「心配したんだぞ……!」
ふつふつと沸き立つ怒りを抑えきれず、語気を強めてしまう。
「心配してくれたんですね、嬉しいです」
こっちの気も知らないで、あまりにも能天気だ。
その態度に、もう我慢がならなかった。
「……あったりまえだ、この馬鹿野郎っ!!」
空気を震わせるほどの怒鳴り声を上げると、梓がその小さな体をびくりと震わせる。
頭の中に、次々と文句が浮かび上がる。
こんな時間に一体何の用なんだ。
明日じゃダメだったのか。
何かあったら、とか考えていなかったのか。
親がどれだけ悲しむか分かっているのか。
唯が、澪が、ムギが、さわちゃんが、どれだけ悲しむと思っているのか。
憂ちゃんだって、お前の友達だって。
お前に何かあったら、私はどうしたらいいんだよ。
そんな一連の一言一句が、梓の顔をはっきり見て取れた瞬間、全て吹き飛んでしまった。
589 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:45:34 ID:h6sNDZf20
「お前、その髪……」
「えへへ、似合っていますか?」
梓は片手で後ろ髪を掻きあげる。
少し恥ずかしそうに、視線を下にして泳がせた。
「律先輩に、一番初めに見せたくて」
梓の自慢のツインテール。
枝毛一つない、よく手入れされた長髪。
思わず見とれてしまうほど艶のある黒髪。
その髪が、ばっさり短く切られていた。
自転車がばたんと倒れる音がした。
私はゆっくり梓に近づいていく。
手に触れるぐらいの距離に来ると、そっと梓の赤みがかった頬に手を添えた。
梓は瞳を潤ませてぼうっと私の言葉を待つ。
何か一言かける前よりも先に、私の腕は梓を包んでいた。
どうしたもこうしたも、どんな言葉も浮かばない。
ほとんど無意識に、梓を強く抱きしめて、頬を寄せることしかできない。
腕の中で、梓は微かに震えていた。
「何かあったのか?」
それは梓が震えていることに対して? それとも、髪を切ったことに対して?
どちらのことを聞いているのかは、私にも曖昧だった。
「大丈夫です、何もありません」
梓は前の方の意味で受け取ったようだ。
すかさず私は言葉を返す。
「怖くなかったか?」
梓はしばらく黙り込んだ。
「はい。律先輩、とても早く来てくれたので」
梓をもっと強く抱きしめる。
そうすると、梓の震えは少しずつ収まっていった。
590 :軽音部員♪:2011/04/13(水) 00:48:26 ID:h6sNDZf20
しばらくして、梓の呼吸が速くなったかと思うと、耳のすぐ側で嗚咽が聞こえた。
「やっぱり、長いほうが良かったですか?」
途切れ途切れの声を絞り出すようにして、梓は言った。
「澪先輩みたいな髪のほうが、お好きでしたか?」
ばか。心の中で呟く。何でそこで澪なんだ。
お前は澪じゃない。
お前は中野梓だ。
私の可愛い後輩で、世界一大事な恋人だ。
そんな大それた台詞を、私に吐けるはずはなかった。
恋人が悲しんでいるにもかかわらず、気の利いた言葉もかけられない。
肝心なときに役に立たない、私。
けれども、そんな臆病な私にも、たった一言だけ口にすることができる言葉があった。
「とてもよく似合っているよ」
腕の中の梓に告げる、何の飾り気もない淡泊な言葉。
嘘偽りのない、心の底からの本音。
これがどれほど梓の心に届くかは分からない。
梓の悩みをどれほど和らげられるか分からないけれど。
今はこの一言で十分に感じられた。
To be continued
最終更新:2011年05月19日 12:46