アットウィキロゴ
504 :軽音部員♪:2011/02/14(月) 23:34:45 ID:v.9trDJs0
 第二音楽室内に響く部員達の歓談を他所に、
梓は気難しい顔で紅茶を啜っていた。
律の髪の毛に関して、梓には納得のいかない事が二つあった。
(そういえば私、律先輩の髪の毛の柔らかさを存分に堪能した事無いや。
ムギ先輩はあんなに堪能していたのに)
 触れた事ならあるが、髪の毛に手を通して弄った事までは無かった。
それが一つ目の不満だった。
そして梓は先輩に対しても臆する事無く意見や要求を言う。
その性格を発揮して、不満の解消へと梓は動いた。
「律先輩、カチューシャ外してくださいよ」
 梓の唐突な要求に、
部員達は一様に訝しげな表情を浮かべて梓を見やった。
「いいけど……」
 訝しげな表情を浮かべる一員には律も含まれていたが、
梓の要求に従ってカチューシャを外してくれた。
 梓は立ち上がって律の後ろに立つと、髪の毛へと手を伸ばす。
「わっ、本当に柔らかいですね。
さらさらで気持ちいいです」
「わっ、くすぐったいじゃんかー」
 口ではそう抗議しつつも、律の頬は緩んでいた。
梓も手に触れる髪の温かな感触の心地好さに、自然と頬が緩んだ。
 暫し髪と戯れた後、満足した梓は髪から手を引いて礼を述べる。
「有難うございました。とっても気持ちよかったですよ」
「んっ、こっちも中々良かったぞ。
梓の手櫛、いい感じのマッサージになったよ」
 律はそう言うとカチューシャに手を伸ばした。
梓はカチューシャを素早く取り上げてそれを制する。
「梓?」
 律の訝しげな声に対して、梓は決意を胸に言葉を放つ。
「私に付けさせて下さい」
 自分でも驚く程に声は緊張に満ちていた。
そして声に劣らず顔も強張っているのだろうと、梓は思った。
「い、いいけど……」
 一方ならぬ剣幕の梓に気圧されたのか、律は了承を返してくれた。
 梓のもう一つの不満は、このカチューシャの装着にあった。
紬が律の髪を弄くった時の事が、再び梓の脳裏に蘇る。
紬は律の髪で戯れた後、カチューシャを付ける事に難儀していた。
結局その時は澪が紬に代わって、一回の試行で難なくカチューシャを付けた。
それが、梓の胸に痞えている。
(私だって、律先輩をずっと見てきたもん。
一発で付けてみせるもん)
 梓は緊張に震えながらカチューシャを律の額へと近づける。
「そう構えるなよ。失敗してもいいよ」
 梓の緊張を感じ取ったのか、律がそう言ってくれた。
だが梓はその言葉を素直に受け入れる気にはなれなかった。
梓にとっては戦いにも等しかった。
澪が梓に対して有している幼馴染というアドバンテージ、
その象徴としてこのカチューシャ装着を捉えているのだから。
 梓は深呼吸を行った後、
律の前髪をかき上げて一息にカチューシャの位置を定める。
(確か、この辺だったはず……)
 確認の為、梓は律の前に回ってその顔を眺めた。
途端、落胆が梓を襲う。
(違う……)
 梓は再び律の後ろに回って眺めるが、何処に装着すべきか皆目検討が付かない。
「あれ?確か……」
 梓は試行錯誤を繰り返すが、どれも納得のいく位置では無かった。


505 :軽音部員♪:2011/02/14(月) 23:36:34 ID:v.9trDJs0
「こら梓。あまりやってると、律の髪が痛んじゃうだろ?」
 いつまでも成功しない梓を見かねたのが、澪が割り込んできた。
澪は梓の手からカチューシャを取り上げると、
「ここ」
その声と共に手馴れた動作で装着した。
(そんな……)
 梓はひどく惨めな気分で席に着く。
「あ、梓。そんなに落ち込むなよ。
ほら、こういうのって相当見慣れてないと当人以外には難しいからさ」
 梓の落胆振りが傍目にも明らかだったのか、澪が慰めるように口にした。
しかし、今の梓にとってはその澪の優しさですらが刃となる。
(澪先輩は相当見慣れてるんだ……。
当人以外には難しい事ですらあっさりとできちゃうくらいに)
 それは更なる失意へと梓を誘ったが、
律や澪の前で弱気に振舞いたくなかった。
梓は弱気な心に叱咤を加えて奮い立たせると、
澪に向き直って言葉を返す。
必死の努力で繕った笑顔を添えて。
「あ、いえ。落ち込んでませんよ。
大丈夫、です」
(笑えてる……よね?)
 梓に向けられる澪の心配そうな瞳に、己の演技の拙さを悟った。
澪から更に梓を気遣う言葉を受ける事は避けたい。
恋敵から向けられる優しさほど、屈辱的なものは無かった。
「あず」
「なー、梓ー」
 その時割り込むように発された律の声が、澪の更なる言及を遮った。
梓は幾分救われた思いで律を見つめる。
「何ですか?」
「いやさ、私はお前の要求に従ってカチューシャ外したじゃん?
でさ、髪も触らせたじゃん?」
「あ、はい。そうですね」
「だからさ、私の要求にも応えてくれよ」
「内容に依りますよ?」
 悪戯っぽい笑みを添えて内容次第と答えたが、
律の要求であれば内容問わず従う心算であった。
律ならば身体だって許せる。喜んで差し出すだろう。
「安心しろよ、可愛い後輩にえげつない要求なんてしないからさ。
梓も髪解いてよ。んで、私に触らせてよ。
髪に関する要求に従ったんだから、髪に関する要求をするのは妥当だろ?」
「仕方無いですね」
 言葉でこそ止むを得ずといった風を装って肯んじたが、
頬は緩み仄かな桃色に染まっていた。
律から可愛い、と言われた事に身体が素直な反応を見せてしまったのだ。


506 :軽音部員♪:2011/02/14(月) 23:39:10 ID:v.9trDJs0
 梓が髪を解くと、すぐに律の手が伸びてきて髪を擽った。
「へー、お前の髪も柔らかいじゃん。
さらさらで綺麗で、艶もあってさ」
「あ、有難うございます」
 幾分、声が上擦った。
律に髪を触れられている事と髪を褒められた事、
その二つが梓の心を多幸で満たして呂律すら乱した。
(律先輩に褒められちゃった……)
 自分の髪が愛しくなった。
律に褒められたのだから。
大事にしようと、そう思った。
 だがその思いも多幸も、一言で崩される事になる。
梓にとって律とは、一言が幸も不幸も左右する程の存在だった。
「綺麗な髪だよ、澪みたいで」
(……え?)
 梓の心を深刻な衝撃が見舞ったが、何とか表情を変えないよう繕った。
だからこそ律は、梓の心情に気付けなかったのだろう。
そのまま言葉を続けていた。
「梓って髪解くと、ほんっと澪に似てるよなー」
 表情を繕う事に限界を感じた。
バレンタイン以前ならば、
憧憬の対象である澪に似ていると言われ喜んだ事だろう。
だが今の梓にとって澪とは、
憧憬であると共に恋敵でもあるのだ。
(私は……澪先輩の代わりじゃないっ)
 表情が歪んでゆく。
視界も霞んでゆく。
 律に表情の変化を悟られなくなかった。
それ以上に──
(涙なんて見せられないっ)
 梓は咄嗟に立ち上がると、律に背を向けた。
「あ、梓っ?」
「すみません。具合が悪いので今日はもう失礼します」
 掠れた声でそれだけ言うと、梓は第二音楽室の出口へと向かう。
扉を閉める前に室内を振り返って見ると、
紬と唯に怒気を孕んだ視線で射竦められる律の姿が映った。
そして、こちらへと真剣な眼差しを送ってくる澪。
その澪と目が合った瞬間、梓は慌てて扉を閉めた。
 扉を閉めた瞬間、堪えていた涙が溢れてきた。
つい先程まで愛しかった自分の髪が、今は憎かった。


(律先輩は……悪くない……)
 梓は帰る道すがら、未だ霞む視界の中で考えた。
結局、自分が間違っていたのだ。
澪に憧れていた。近づきたかった。
そうすれば、律との距離が縮まる気がした。
 けれどそうやって澪に近づいた所で、
それは澪の代わりにしかならない。
(律先輩が澪先輩の代わりとして私を見たんじゃない……。
私が、澪先輩の代わりになろうとしてただけなんだ……)
 幼馴染というアドバンテージに張り合おうとしていた事も、
今となっては間違いだと分かる。
どうせ時間で競っても勝てないのだ。
(どうかしてたね、私。
澪先輩、貴女は今でも……そしていつまでも尊敬しますが、もう目指しません。
澪先輩の代わりじゃないオリジナルの存在として、
律先輩の心に屹立してみせます。
だから──)
 梓は決意を込めて、胸中叫ぶ。
(──カムバック、私っ)


507 :軽音部員♪:2011/02/14(月) 23:41:01 ID:v.9trDJs0

*

 次の日の放課後、梓は他の部員より一足遅れて第二音楽室へ入った。
梓を見た瞬間、部員達の顔に驚愕が浮かんだ。
その驚愕を楽しむように、梓は彼女達の顔を見回す。
「どうかしましたか?」
「梓ー、お前、髪切った……よな」
 律が言葉を途切れさせながら、部員を代表するように言った。
「あっ。気付いてくれたんですね。嬉しいです」
「そりゃ、そんだけバッサリいけば、な」
「ええ、結構切りましたからねー」
 腰に届く程長かった梓の髪は、肩の辺りで切り揃えられている。
今朝教室で会った憂や純も、梓の大胆な散発に驚いていた。
「でもまー、いーんじゃないか?
似合ってるよ」
 律はそう言うと、梓の髪に手を伸ばしてきた。
「やっぱり柔らかいよなー」
「わっ。いきなり何するんですか」
「いやほら、昨日の続き。
私まだ少ししか触ってないからさ。今日はもっと触らせてよ」
「仕方ないですね」
 梓は内心安堵しながら答えて、律の胸に背を預けた。
(髪切って澪先輩と似つかなくなった私。
それでも髪触って可愛がってくれるって事は、
やっぱり律先輩は澪先輩の代わりとして私を見ていたわけじゃ無かったんだね)
 髪を梳く律の手の感触を愉しんでいる時、
複雑な表情を向ける澪に気付いた。
(そういえば……澪先輩は知らないんだよね。
私が律先輩に告白した事。私は澪先輩が告白した事知ってるのに。
それってフェアじゃない……よね)
 梓は意を決して口を開く。
「あ、澪先輩。後でお話があるのですが……」
 澪は手を振っていた。
「バレンタインの事なら、昨日律を問い詰めて知ったよ。
……昨日の梓の態度、何かおかしかったからさ。
律と何かあったんじゃないかって、訝っちゃって……。
ごめん……」
「悪いな、梓。その……澪も知っている必要、あるんじゃないかって思って」
 梓も手を振って返す。
「あ、いえ。謝る必要無いですよ、お二人とも。
手間が省けて有難いくらいですよ」
「あー、そうか。それでな、梓。
私は思うんだけど、その……その話を知った今でも、
梓は可愛い後輩だと思ってる。
だから……都合のいい話かもしれないけど、律がどんな結論を3月14日に出しても、
私達は仲の良い先輩後輩でいよう……というか、居てくれるよな?」
 遠慮がちな声で、澪は不安げに問うてきた。
梓の答えなど決まっていた。


508 :軽音部員♪:2011/02/14(月) 23:44:12 ID:v.9trDJs0
「勿論です」
 律の安堵の吐息が背から聞こえる。
律にしてみれば、自分の決断によって部室内に亀裂が入る事は避けたいのだろう。
勿論、律がどのような結論を出そうが今まで通りとはいかない。
色々と変わる。変わらざるを得ない。
だが澪と梓の仲違い、
そしてHTT崩壊という最悪のシナリオは回避できた。
律のその安堵が、吐息だけではなく髪に触れる手を通じて梓には伝わってきた。
「どっちが勝っても、恨みっこなしです」
「どっちが負けても、な」
 澪と梓は視線を交差させると、悪戯っぽい笑みを浮かべて律に言った。
「但し、どっちも勝ちってのは無しですよ」
「ああ、それだけは無しだ」
「分かってるよ……そんなヘタレじゃねーって」
 板挟みとなった律の辛さは、梓にも理解できる。
その苦しみの一端を自身の愛が担っている事も理解している。
それでも身を引く心算は無かった。
(ごめんなさい、律先輩。
今は辛いかもしれません。
ですが……もし私を選んでくれたのなら、
その苦しみを帳消しにするくらい幸せにします。
だから……我侭な私の恋心、許してください。
そして願わくば──)
 悪戯っぽい笑みは未だ梓の顔に浮かんでいるが、
内心は真摯な気持ちで祈るように念じていた。
(私を選んでください。傍に居させてください)


<FIN>




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年02月20日 13:18