725 :軽音部員♪:2011/02/24(木) 23:45:30 ID:GTZnMFO20
ライブが終わった。
控室に戻ってきてもみんな興奮状態のままだった。
笑ったり泣いたり抱き合ったり。
全員上がりきったテンションを下げられないでいた。
まあそれも当り前か。
ついさっきまで熱気の中心にいたんだ。
そんな簡単に昂りが静まるわけがないよな。
……少し風に当たろう。
ケータリングの缶コーヒーを手に私は独り関係者通用口から外へ出た。
冷たい風に吹かれながらコーヒーに口をつける。
普段は恨めしい冬の寒さも今はむしろ心地いい。
耳をすませば遠くから喧騒が聞こえる。
今日来てくれてたファンの人たちかな。
「ありがとう」と星空に向かってつぶやく。
関係者以外立入禁止のここからじゃその人たちに直接伝わることはない。
だけど、その人たちのおかげで私たちは今日ここにいられるんだから。
ただただ「ありがとう」を言いたかった。
コーヒーも飲みきり控室に戻ろうと踵を返す。
振り返った私を迎えてくれたのは視界に収まりきらないほどの巨大な施設。
――本当にここでライブができたんだ。
ありきたりの単語なんかで言い表せない想いが胸にこみ上げる。
「あ、こんなところにいたんですね、律先輩」
言葉を失っていた私へと届く声。
その主へ目をやると首にタオルをかけた梓の姿があった。
まだどこか上気しているように思える表情を浮かべている。
梓は汗を拭いながら私のもとへ足を運んだ。
「そういう梓は何しにここに来たんだ?」
「まだちょっと興奮してるんで、熱を冷まそうかと思いまして」
そう言って梓はタオルで顔を押さえた。
「なんだ、私と一緒か」
「律先輩もですか?」
「ああ、頭を冷やすってわけじゃないけどちょっと風に当たりたくなってさ」
私が視線を動かすと梓もつられて同じ方向を見る。
そこに佇むのは今日ライブを成功させた会場。
「こんな大きな会場でライブできたんだよな、私たち」
「本当にやったんですよね。今でも夢の中にいるような、そんな心地ですけど」
726 :軽音部員♪:2011/02/24(木) 23:49:09 ID:GTZnMFO20
ふと梓に注意を向ける。
的確な表現が思いつかないけど、とにかく『いい表情』で会場を眺めていた。
梓もいろいろ思うところがあるんだろう。
さっきまで私もこんな顔をしてたのかな。
「でも……」
少しだけ低いトーンで梓が口を開いた。
「正直言うと今日のライブあんまり覚えてないんですよ、興奮し過ぎて」
自嘲した笑みをこぼす梓。
私は梓が見せた表情をそのまま返す。
「実は私もなんだよね。ステージ出るまでははっきり覚えてるのに、お客さんのあの声援聞いたらそっから記憶がもう曖昧だもん」
似た者同士、自分を、そして相手を笑いあった。
「少しだけ残念ですね、せっかくのライブだったのにちゃんと覚えてないなんて」
「結構みんなそんな感じかもしれないぞ。なんとなく唯だけははっきり覚えてそうな気もするけど」
「そうかもしれませんね。あの人は緊張なんかより楽しいが先に来る人ですから」
「まあ覚えてないってのはちょっと残念な気もするけど、またこんな会場でライブができるよう今までみたいにみんなで走っていけばいいさ」
自分自身の言葉にこれまでのことが想起される。
最初の学園祭、梓が入るきっかけとなった新歓、五人での初ライブ、卒業式の日の部室、大学生になってからの本格的な音楽活動……そして今日。
ライブも終わってしばらく経つはずなのに、いまだに地に足がついてないような浮揚感に包まれる。
「さっき梓も言ってたけどなんか夢みたいだな、こんな場所でライブできたなんて」
「なんならほっぺたつねってあげましょうか、これは夢じゃないって信じられるように」
いたずらな笑顔で梓は自分の頬をつねってみせた。
「それじゃ今日は特別に先輩に手を上げることを許してやろう」
その提案に乗っかってやろうと、ずいと梓に顔を寄せる。
「手を上げるっていうんですかこれ? では失礼しますね」
一言断りを入れて梓の指が私の頬を挟む。
今まで外気にさらされたその指はすっかり冷たくなっていた。
「いてて……ああ、よかった! これは夢じゃなかったんだ!」
これ見よがしに強調した声で現実を享受する。
芝居じみた私のセリフに梓の口元が緩んだ。
「ふふ、わざとらし過ぎますよ」
梓は笑いながら私へと伸ばしていた手を引っ込めた。
かと思うと首にかけていたタオルを掴んでマフラーのように巻いた。
さすがに少し寒さを覚えるようになってきたかな。
当初の目的としてはこのくらいで切り上げてもいいだろう。
727 :軽音部員♪:2011/02/24(木) 23:54:13 ID:GTZnMFO20
「さてと、そろそろ戻るか」
「そうですね、体も冷えてきましたし戻りましょうか」
梓は手に息を吐きかけながら通用口へと向かう。
少し遅れて私も歩みを進める。
目に映る梓の後ろ姿。
一年遅れで合流した、私より小さい真面目な頑張りや。
初めは軽音部に対する理想と現実のギャップに悩ませてしまったっけ。
きっとそれだけじゃなく、これまで何度も迷惑や苦労かけたんだろうな。
下手すれば愛想尽かされるような出来事もあったのかもしれない。
それでも、そんな私を見捨てることなく今まで一緒にいてくれて本当に嬉しく思う。
誰か一人でも欠けてたら、それはもう放課後ティータイムじゃなくなるから。
私たちの音は、最後に梓というピースがはまったことで創れているんだ。
今日まで積もったこの想い、みんなにも言うつもりだけど、まず梓に伝えよう。
「梓」
足を止めて背中越しに呼び掛ける。
「何ですか?」
数歩前を進んでいた梓は半身になってこちらに視線を投げた。
「今までついてきてくれてありがとう」
偽らざる、心からの「ありがとう」
さっきまで半身だった梓は柔らかな表情を見せて私と正対した。
「こちらこそ、今まで引っ張ってくれてありがとうございます」
私と変わらぬ感謝の言葉と共に、梓は深々とお辞儀をしてくれた。
下げた頭を起こすと私へ右手を差し出した。
「そして、これからもよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
私は力強く握り返す。
これからもこの手をしっかり引っ張っていこう、そんな決意を込めながら。
終わり
最終更新:2011年03月14日 02:35