――そこはどこの国にも属さない聖域、心の安息を求める者達の聖地
おおよそ三百メートル四方――学び舎のグラウンドほどの敷地一杯に花畑が広がっている。
鮮烈な紅色のアマリリス、美麗な青紫色のパンジー、脈動感溢れる黄色のチューリップ。
色彩豊かな花々はこの地を訪れる人間の荒んだ心を程よく癒してくれる。
そしてその中心部には一つの特異、荘厳さと美麗さを兼ね備える神殿が存在する。
整然と立ち並ぶ柱、内部を固く守る外壁、年月のせいか元々は純白であったはずのそれらは薄黒くくすんでしまっている。
それでもなお見るもの全てに畏敬の念を抱かせるのは、神殿の格の高さ故か。
神殿と花畑、二つの美を守るのは一人の名も無き司祭である。
慈愛に満ちた顔を決して崩さず、救いを求め聖域に訪れる全ての者に平等に手を差し伸べる敬虔な男、まさに人の鑑。
彼が存在する限りこの地の神聖が犯されることは決して無い。
訪れる者は悪心を吐きだし、心の平穏を手に入れる。それがこの地における唯一絶対の約束事だ。
――パロロワ大陸の平和を守る縁の下の力持ち、感謝の意をこめて人はそこを"毒吐き神殿"と呼ぶ
いまでこそ"茶徒"という便利な情報収集の手段が確立されているが、昔はそう簡単には他国の情報は手に入らなかった。
優秀なスパイを送り込む、自分自身の足で出向き調査する。
どちらにせよ重要な戦力である武将を長期に渡って動かすという点で非効率的だ。
調査の期間中自国の発展速度が落ちてしまうのは勿論、武将を相手国に取り込まれてしまう恐れもある危険な手段だ。
だからといって自国民の噂などの僅かな情報だけでは国を動かせない。手軽に確かな情報を手に入れる手段が軍師には必要だった。
そのため古来よりどの国も効率的な情報収集の方法について研究を重ねてはいたが、なかなか成果は上がらなかった。
そこで生まれたのが交流所である。
各国の武将達が名を隠して情報交換をする場所、嘘をつかないという不文律の元で各自の持っている情報を小出しにする。
もちろん手に入るのは他国に知られても害の少ない微細な情報のみ。
だが交流所が出現するまではその情報を手に入れるのにも一苦労だったのだ。
結果として交流所は大成功。各国とも肥大化していた情報用戦力を削減し、武将の効率的な運用を行えるようになったのだ。
そして武将達一個人にとっても国に縛られずに発言できる交流所は魅力的であった。
名の通りの交流の場として大いに愛用され、あまりの居心地の良さに自国に滅多に帰らない者が出るほどだった。
だが仮初の秩序はたった一人の人間の手によってあまりにあっけなく崩壊した。
下手人の名は無貌の邪神こと『G』。いくつもの顔をもち、偏在しているとしか思えぬほどに神出鬼没な魔人。
彼の悪辣にして執拗な攻撃によって交流所は一月足らずで陥落。情報交換と憩いの場は消え、各国の間に不穏な空気が漂い始めたのだ。
再起不能になった交流所、乱立戦争の再来まで秒読み、そんな緊張状態。
……だが実際には戦争は起きなかった。
毒吐き神殿の司祭が手を差し伸べた事によってパロロワ大陸の平和は保たれたのだ。
大陸全土で行われる戦争、それには当然のように無辜の民も巻き込まれる。
それは平和をこよなく愛する司祭にとって到底許しがたいことだった。
戦争の噂を聞いた彼はギャルゲ国の大神官の立場を棄てて、神殿を永世中立地帯として全ての国に開放。
さらに皆が忌憚なく交流を行えるように夷杜敵仁互暴(イトテキニゴバク)という理法を唱えたのだ。
この一連の行動により神殿は交流所の後継としての機能を手に入れ、交流所の復活を渇望していた民で溢れかえる事となった。
民の心は国の心、次第に各国間の剣呑な空気は薄れていき、いつしか和は取り戻されていた。毒吐き神殿という場の存在によって。
また平和の立役者である司祭はその結果を誇る事なく、淡々と司祭としての務めを果すのみであったという。
その姿に人々はいたく感動し、彼の英雄的行動を広く語り広めた。
――今日でも毒吐き神殿と司祭は愛と平和の象徴として奴隷から君主まで広く愛されている存在である。
(BR230/05/phase:00) 毒吐き神殿
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「戦争……できることならもう二度と聞きたくなかった言葉ですね」
眼鏡をかけた優しげな司祭、ただし現在その柔和そうな顔には苦渋の意が浮かんでいる。
足取り重く神殿の回廊を歩き回るその姿は彼の直面した問題の大きさを物語っている。
水面下で進められていたこのたびの戦争の計画。
それに司祭が気づいた時にはすでに手遅れ、開幕の火蓋は切って落とされてしまった。
争いが始まる前ならば司祭にも色々と手を打つ余地はあったのだが……始まってしまった以上は司祭にできる事はあまりに少ない。
神殿を傷ついた者の休息の地として、同志を亡くした者の弔いの地として、争いの中で僅かな平和を推進する。
"昔"の司祭なら迷わずにその道を選んだはずだ。
「虐殺、略奪、破壊、殺戮、拷問、強姦、弾圧、暴行、放火……彼らはどれだけの罪を重ねるつもりか」
そう、それは"昔"の司祭ならばだ。今の司祭はその道を甘んじない。
今の司祭の取る道は――
「――彼らには罰を与えないといけませんね、平和の有難さを理解できない人間相手に慈悲の心は必要ないのですから」
毒――パロロワ大陸中の人々が神殿に吐き捨てていった億万の毒は人知れず司祭と神殿を侵食していたのだ。
神殿は薄黒く染まり神聖さを失い、司祭の心には悪心が棲み付いた。
そしてこの度の戦争のしらせにショックを受けた司祭の心、それを悪心は一気に侵食して塗りつぶした。
今ここに居る司祭は皆の愛する慈悲深い男などではない、全パロロワ民の悪意の塊、人の形をした悪魔だ。
(BR230/05/phase:01) 毒吐き神殿
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「罰を与える……しかし私が出向くのは時期尚早、ここは彼らを動かすとしますか」
神殿の奥深くから地下へと歩みを進める司祭、向かう先にあるのは――牢屋。
そこに繋がれているのはパロロワ大陸から追放された者達だ。
皆が疎み、蔑み、そして大いに恐れ、表の歴史から消された存在。
司祭が直々に封印している過去の大悪人、その中にはあの『G』や『C』も含まれている。
存在するだけで災厄を撒き散らす彼らを司祭は解放すると言う。
「そうです、我が神に、私に逆らう全ての愚者に死を! 滅びを! キセィイイイイイイイイッッカイジョォオオオオオオオオォォッ!!
グッッゲハァ、ゲァハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
目を見開き、息を荒げ、口を吊り上げ、昔の名残が全くない表情でガクガクと司祭は狂笑する。
――全てのパロロワ民の味方は全てのパロロワ民の敵となった。
最終更新:2009年04月24日 19:46