4時間目の終わり。昼休みの開始を告げるチャイムの音と共に、水銀燈が席を立つ気配がした。
同時に僕は席を立ち――脱兎の如くの勢いで教室から駆け出す。
まさに、条件反射。
『生きる』という本能に付き従い、僕は廊下をひた走る…。
…あれ?
たしか…『毎日昼食を自主的に奢る。その代わり、カツアゲはされない』
そういう約束を昨日交わしたんだっけ?
僕とした事が…そそっかしくも、昔の悪い癖でついつい逃げ出してしまったよ…
ニヒルな笑みを浮かべて、額に浮かんだ汗を指で弾く。
今すぐに帰って、水銀燈に謝ろう。
きっと…笑って許してくれるだろう。笑いながら…殴ってね……ふふ……
僕は少し遠い目をしながら振り返り―――
同時に僕の首に水銀燈の延髄蹴りが炸裂した!―――
ああ、自己紹介が遅れたね。
僕は桜田ジュン。
学園一の美人、水銀燈に蹴られ…ボロ雑巾みたいになってる、可哀想な高校生です。
「…下僕としての自覚が足りないみたいねぇ…?」
廊下の真ん中で、水銀燈は『椅子』に座りながら、優雅に足を組む。
「でも…今回だけは、特別に許してあげるわぁ」
そう言い、僕を見下ろしてくる。
ああ、僕かい?
僕はちょうど、地面に四つんばいになって『椅子』になってる所さ!
これがまた…水銀燈のお尻の感触が背中でぷにぷにと…
「フヒ…フヒヒ……」
知らず知らずの内に声が漏れていたようで、水銀燈に思いっきり後頭部を殴られたけどね!
ああ、さっき水銀燈が僕の事を下僕、って呼んでたのは……
それは昨日の出来事まで遡るんだけど…―――
~~~~~
僕は首根っこを捕まれ、ズルズルと水銀燈に引き摺られていた。
これはマズイ。
何がマズイって、水銀燈が向かっているのは、屋上だって事だ。
100パー突き落とす気だ。
ヤバイ。殺られる。
僕は哀れな子羊よろしく、ガタガタと震える。
水銀燈が屋上へ至る、最後の階段を昇る音が、コツコツ響く…
(い…嫌だ!死にたくない!!)
僕は必死に手すりにしがみ付くが…そんな程度では、水銀燈が階段を昇る妨げにはならない。
僕より細い腕なのに僕より遥かに強いのは、何でなんだぜ?
僕の思いや願いを全て無視するように、水銀燈は屋上への階段を昇りきり――
(ああ…太陽があんなに眩しかったなんて…今まで気が付かなかったよ…)
そして軽く腕を振り、僕を投げ飛ばした――
僕の体が、まるで木の葉のように宙に放り出される―――
(―――…僕は…もう死ぬんだね……さようなら…姉ちゃん……
できれば……僕のPCは、中身を見ずに捨てて欲しいな……
あと…次に生まれるときは……二次元の世界に……―――)
ドベチ!
そんな音と共に、僕は地面に落ちた。
…地面に?
よく見るとそこは、なんって事は無い。屋上の石畳の上だった。
「は……はは…ははは…」
安堵感と共に、僕の口からは乾いた笑いが漏れる。
だけど…すぐに、何も助かってない事に気が付いた。
目の前には、相変わらず射すくめるような視線で僕を睨む、水銀燈の姿…
どうすべきか、一瞬で判断する。
土下座?ノーだ。そんなのスマートじゃないし、今更通用するとも思えない。
こんな時こそ…『交渉力』の腕前が試される瞬間なんじゃないかな?
僕は姿勢を正し、正座しながら、まるで祈るように手を合わせながら叫ぶ事にした。
「お願いです!何でもします!命だけは助けて下さい!
もちろん、誰にも言いません!水銀燈が実は黒薔r――ぶふぉお!?」
僕の脳天に水銀燈の踵落としが突き刺さり、それ以上の発言は許して貰えなかった。
まあ、パンチラが見れたから僕は許すけどね!
地面をのた打ち回る僕に追い討ちをかけるように、水銀燈が僕を踏みつけてくる。
えぐるように、グリグリと足に力を込めながら……。
いや、勘弁して下さい!お願いですから!お願い!もっと!違う!勘弁して!
暫くして…
完全にグッタリした僕の姿を一瞥しながら、水銀燈が声をかけてきた。
「……私なりの、精一杯の譲歩よ…二度は言わないわぁ…よぉく聞きなさい…」
僕は何とか顔だけを起こし、水銀燈に視線を向ける。
「…全て忘れなさい…それと、カツアゲは辞めにするわぁ…その代わり、自主的に私に貢ぎなさぁい」
太陽を背に、水銀燈が正面から僕を見据える。
「そして…そうねぇ…あなたには……私の下僕になる名誉をあげるわぁ…」
…え?どこを譲歩したの?
全然わかりません><
そんなキョトンとする僕を他所に…
威圧的な…王者の風格すら漂わせながら、水銀燈が僕の目の前に歩み寄る。
「…誓うがいいわぁ…私に仕えると……」
お前はアレか!?
帝王か!?戦国武将か!?
脳が叫びを上げるも…僕は動けなかった。
太陽を背に、『私に仕えろ』と命令してくる、絶世の美女。
その姿はあまりにも美しく…――神々しくすら感じた…
だが、かろうじて残る僕の理性が叫ぶ。
(立て!立ち上がって屋上から逃げろ!今すぐ平穏な日常に帰るんだ!)
そして僕は…立てなかった。
立てない理由が有った。
だって…立ったら『たってる』ってバレるから…
自分の若さが恨めしい。
水銀燈の美しさが憎らしい。
結局、何のリアクションも返せずに居た僕を…水銀燈はそれを肯定と解釈したのだろう。
ニヤリと口の端に不敵な笑みを浮かべると、優雅に足を組んだまま、僕にこう言った。
「…良い子ねぇ…下僕として…たぁっぷり調教してあげるわぁ……」
妖しい笑みを浮かべながら、僕を見下ろしてくる水銀燈の視線…
僕は思わず、ゾクゾクし……いや、何でもない。
……――――
と、まあこんな流れで、僕は水銀燈の下僕になってしまった訳だが…
正直、カツアゲの方がマシだったかもしれない。
財布に来るダメージはそのままに、彼女の気まぐれにも気を使わなくっちゃいけないからね…
そんな僕の下僕生活初日。最初の昼休み。
~~~~~
「スーパーデラックス花丸ハンバーグ定食と、ヤクルト……あと、素うどんを…」
僕は食堂のカウンターで二人分の昼食を受け取り、振り返って水銀燈を探す。
殊勝な事に、水銀燈が席を取っとくと自分から言ってくれたが…
多分、食堂の列に並ぶのが面倒なだけだろうな。
とにかく、水銀燈を探すと…いや、探す必要も無かった。
まさに爆心地というのか、むしろ平和な空間というのか…
混雑した食堂内で唯一、広々とした空間が広がっていた。
――電車に乗ったら、その車両の乗客が全員、別の車両に移動しました――
そんな昭和のヤンキー列伝みたいな事を、身に纏うオーラーだけでやってのける彼女。
正直、近づくのはかなり勇気がいるが…ここで逃げたら、間違いなく殺される。
僕はなけなしの勇気を振り絞って、水銀燈の向かいに座った。
「…遅かったじゃないのよぉ」
水銀燈が不快感丸出しの声を上げる。
「いや…列が混んでたしさ…」
僕はありのままの事実を伝える。
「……ま、いいわぁ」
水銀燈はそう呟き、食事が始まった。
ナイフとフォークを器用に使い、水銀燈は料理を口に運ぶ。
カチャカチャと聞こえる金属音も、何故か優雅なリズムのように聞こえる。
学校の食堂だというのに、非の打ち所の無いエレガントな動作。
周囲の喧騒と…僕の目の前に有るのが素うどんじゃなかったら、高級料理店と勘違いしてしまいそうだ。
(こうやって普通にしてると……)
―――なんって綺麗な人なんだ―――
僕は不覚にも、食事をする水銀燈の姿に見とれ…
彼女も、そんな僕の視線に気が付いた。
水銀燈は食事の手を止め、水を一口飲む。
そして身を乗り出し―――
「…食事中のレディーをジロジロ見るもんじゃないわよぉ…?」
そう言い、ニヤリとしながら僕の首筋にナイフをあてた。
…うん、前言撤回。
美人だろうが何だろうが、コイツは悪魔だ。
小悪魔系とかそんなレベルじゃない。鬼だ。魔王だ。デーモンだ。でもちょっとゾクゾクした。